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Module 1-1 - Section 1: 宗教の定義問題

セクション情報

項目 内容
モジュール Module 1-1: 宗教学総論
前提セクション なし
想定学習時間 2時間

導入

宗教学(Religionswissenschaft / Study of Religion)が学問として成立するためには、その研究対象である「宗教」が何であるかを規定する必要がある。しかし、「宗教の定義は宗教学者の数ほどある」と言われるように、普遍的に合意された単一の定義は存在しない。アメリカの心理学者ジェームズ・リューバ(James H. Leuba)は1912年の著作において48の定義を収集し、日本の文部省宗務課がかつて作成した「宗教定義集」には104の定義が収録されていた。

「宗教」を定義する試みは、単なる学術的言葉遊びではない。定義のあり方は、何を研究対象に含め何を排除するかという研究の射程そのものを規定し、ひいては宗教学の方法論や成果を左右する。本セクションでは、宗教の定義をめぐる主要なアプローチを整理し、それぞれの利点と限界を検討する。


「宗教」を定義することの困難さ

定義が困難である構造的理由

宗教の定義が困難である理由は、大きく以下の点に集約される。

第一に、多様性の問題がある。「宗教」という語のもとに包括される現象は、キリスト教・イスラーム・仏教・ヒンドゥー教といった世界宗教から、アニミズム・シャーマニズムのような民俗的信仰、さらには新宗教運動や現代のスピリチュアリティまで極めて多岐にわたる。これら全体を包摂する共通項を抽出することは容易ではない。

第二に、概念の歴史的被拘束性がある。「religion」という語はラテン語 religio に由来し、キリスト教的な文脈で発展してきた。日本語の「宗教」も幕末・明治期に religion の翻訳語として造語されたものであり、仏教用語としての「宗教」(宗の教え)とは意味が異なる。つまり、「宗教」という概念自体が西洋近代の産物であり、それを非西洋社会の諸現象に適用する際にはカテゴリーの妥当性が問われる。

第三に、定義と価値判断の不可分性がある。ある現象を「宗教」と認定するか否かは、法的・政治的・社会的含意をもつ。たとえば、信教の自由や税制上の宗教法人の認定など、「宗教」の範囲画定は実践的帰結を伴う。

定義アプローチの二大潮流

こうした困難のなかで、宗教学における定義アプローチは大きく実体的定義(substantive definition)と機能的定義(functional definition)の二つに分類される。前者は宗教の本質・内容そのものに着目し、後者は宗教が個人や社会において果たす役割・機能に着目する。


実体的定義(substantive definition)

Key Concept: 実体的定義(substantive definition) 宗教の本質・内容(たとえば「聖なるもの」への信仰、超自然的存在への関わり)に着目し、宗教を他の現象から区別する定義アプローチ。宗教に固有の特質を同定しようとする点に特徴がある。

実体的定義は、「宗教とは何であるか」(what religion is)を問う。すなわち、宗教に固有の内容・対象・経験を特定し、それをもって宗教を定義しようとする立場である。

ルドルフ・オットー「聖なるもの」

ルドルフ・オットー(Rudolf Otto, 1869-1937)は、ドイツのルター派神学者であり比較宗教学者である。1917年に刊行された主著『聖なるもの(Das Heilige)』において、宗教の核心にある経験を分析した。

オットーは、「聖なるもの」(the holy / das Heilige)から道徳的・合理的な意味内容を取り除いた残余に、宗教経験の本質があると主張した。彼はこの非合理的な核心をヌミノーゼ(numinous)と名づけた。この語はラテン語の numen(神性・霊威)に由来する造語である。

Key Concept: ヌミノーゼ(numinous) オットーが提唱した概念で、宗教経験の非合理的核心を指す。合理的・倫理的に還元できない、聖なるものとの出会いにおける独自の感情体験であり、mysterium tremendum et fascinans(畏怖と魅惑の神秘)として特徴づけられる。

ヌミノーゼ体験の構造は、以下の三要素からなる。

  1. Mysterium(神秘): 日常的経験のカテゴリーでは捉えられない「まったく他なるもの」(das ganz Andere)との遭遇。
  2. Tremendum(戦慄・畏怖): 圧倒的な威力への恐れ、被造物としての自己の無力さの自覚。オットーは「被造物感情」(Kreaturgefühl)という語を用いた。
  3. Fascinans(魅惑): 恐るべきものでありながら、同時に抗いがたい魅力をもって人を引きつける力。

この畏怖と魅惑の逆説的共存こそが宗教意識の本質であるとオットーは論じた。オットーの議論はイマヌエル・カント(Immanuel Kant)の認識論およびフリードリヒ・シュライアマハー(Friedrich Schleiermacher)の宗教感情論を批判的に継承したものであり、20世紀の宗教学・宗教現象学に多大な影響を与えた。カール・グスタフ・ユング(Carl Gustav Jung)、ミルチャ・エリアーデ(Mircea Eliade)、ニニアン・スマート(Ninian Smart)らの学問形成にもオットーの影響が認められる。

評価と限界: オットーの議論は宗教経験の独自性を説得的に提示したが、キリスト教的な神秘体験を暗黙の規範としている点、非合理的経験を前提とすることで合理的教義体系を重視する宗教伝統を十分に捉えられない点が批判されてきた。

エミール・デュルケーム「聖と俗の区別」

エミール・デュルケーム(Émile Durkheim, 1858-1917)は、フランスの社会学者であり、宗教社会学の創始者の一人である。1912年の主著『宗教生活の原初形態(Les Formes élémentaires de la vie religieuse)』において、宗教を社会学的に定義した。

デュルケームは次のように定義する。「宗教とは、聖なる事物、すなわち分離され禁止された事物に関する信念と実践の統一的体系であり、それらの信念と実践は、教会と呼ばれる単一の道徳的共同体にこれを奉ずるすべての者を結合するものである」。

Key Concept: 聖と俗(sacred and profane) デュルケームが宗教の基本構造として提示した二項対立。聖(sacred)は日常から隔離され禁忌によって保護された領域であり、俗(profane)は日常的・世俗的な領域を指す。両者の区別の維持こそが宗教の本質的営みであるとされる。

デュルケームの定義には二つの重要な要素がある。第一に、宗教の核心は「神」ではなく「聖と俗の区別」にある。これにより、人格神を持たない仏教のような宗教も包摂しうる。第二に、「教会」(église)、すなわち信者の道徳的共同体の存在を宗教の構成要件としている点で、個人的な信仰や呪術との区別が図られている。

デュルケームはオーストラリア先住民のトーテミズムの分析を通じて、聖なるものの起源は社会そのものにあると論じた。集合的儀礼における「集合的沸騰」(effervescence collective)の経験が聖なるものの感覚を生み出し、それが社会的紐帯の強化と維持に寄与するという社会機能論的な解釈を展開した。

評価と限界: デュルケームの議論は宗教の社会的側面を体系的に論じた先駆的業績であるが、聖俗二分法の普遍性に対しては疑問が呈されている。また、宗教の本質を社会的機能に還元する傾向があり、個人的な宗教経験の独自性を十分に扱えないとの批判がある。

パウル・ティリッヒ「究極的関心」

パウル・ティリッヒ(Paul Tillich, 1886-1965)は、ドイツ出身でアメリカに亡命したプロテスタント神学者・宗教哲学者である。ティリッヒは宗教を究極的関心(ultimate concern)として定義した。

Key Concept: 究極的関心(ultimate concern) ティリッヒが提唱した宗教の定義。人間が無条件的に関わり、そのために他のすべてを犠牲にしうるような究極的な関心事を指す。この定義により、宗教は特定の信条や組織に限定されず、人間存在の根源的次元として捉えられる。

ティリッヒによれば、宗教は人間の精神のすべての創造的機能のなかに現れる究極的関心である。すべての人間はある究極的な関心をもっており、その関心に向けてすべての行為・感情・態度が方向づけられる。金銭、成功、権力、民族、国家なども究極的関心の対象となりうるのであり、この意味で宗教は特定の制度的宗教に限定されない。

ティリッヒの定義は非常に包括的であり、「宗教的」と通常は見なされない現象(ナショナリズム、イデオロギーなど)をも射程に収める。これは宗教学の研究対象を拡大する利点をもつ一方、「宗教」の概念を過度に拡張し、宗教と非宗教の区別を曖昧にするという批判を招いた。


機能的定義(functional definition)

Key Concept: 機能的定義(functional definition) 宗教の内容・本質ではなく、宗教が個人の心理や社会構造において果たす機能・役割に着目して宗教を定義するアプローチ。意味付与、社会統合、不安の緩和などの機能が注目される。

機能的定義は、「宗教とは何をするか」(what religion does)を問う。宗教の本質を規定するのではなく、宗教が人間生活において担う役割に基づいて定義する立場である。

クリフォード・ギアツの文化システムとしての宗教

クリフォード・ギアツ(Clifford Geertz, 1926-2006)は、アメリカの文化人類学者であり、解釈人類学(interpretive anthropology)の代表的論者である。1966年の論文「文化の体系としての宗教(Religion as a Cultural System)」において、宗教を次のように定義した。

「宗教とは、象徴の体系であり、人間のうちに強力で広範かつ持続的な気分と動機づけを確立し、一般的な存在秩序の概念を定式化し、これらの概念に事実性のアウラ(aura of factuality)をまとわせることで、それらの気分と動機づけが比類なく現実的(uniquely realistic)に見えるようにするものである。」

この定義はいくつかの構成要素に分解できる。

  1. 象徴の体系(a system of symbols): 宗教は意味を伝達する象徴(観念・実践・事物)の体系である。ギアツにとって文化とは「象徴に体現された意味の歴史的に伝達されるパターン」であり、宗教はその中核をなす。
  2. 気分と動機づけの確立: 宗教的象徴は単に世界観を表現するだけでなく、人々の情動的態度(畏敬、安心、罪悪感など)と行動への指向性を能動的に形成する。
  3. 存在秩序の概念の定式化: 宗教は世界の成り立ちに関する包括的な説明枠組みを提供する。
  4. 事実性のアウラ: 宗教的象徴は、その世界観が単なる仮説ではなく「現実そのもの」であるという確信を生み出す。

ギアツの定義は、宗教を意味体系として捉える点で文化人類学的研究に大きな影響を与えた。一方、宗教の権力的側面を十分に分析していないとするタラル・アサド(Talal Asad)からの批判や、定義が広範すぎてイデオロギーや美学との区別が不明確になるとの指摘がある。

ピーター・バーガーの「聖なる天蓋」

ピーター・バーガー(Peter L. Berger, 1929-2017)は、オーストリア出身のアメリカの社会学者であり、知識社会学の代表的論者である。1967年の著作『聖なる天蓋――神聖世界の社会学(The Sacred Canopy: Elements of a Sociological Theory of Religion)』において、宗教の社会的機能を分析した。

バーガーは、トーマス・ルックマン(Thomas Luckmann)との共著『現実の社会的構成(The Social Construction of Reality)』(1966年)で展開した知識社会学の枠組みを宗教に適用した。人間社会は混沌(chaos)に対抗する意味の秩序、すなわちノモス(nomos)を構築するが、宗教はこのノモスを宇宙論的な根拠のもとに正当化する聖なる天蓋(sacred canopy)として機能する。

バーガーの議論の核心は、宗教が「コスモス化」(cosmization)の機能をもつという点にある。苦痛・悪・死といった混沌の脅威(アノミー anomie)に対し、宗教は「聖なる宇宙」のなかにそれらを位置づけることで意味を付与し、社会的秩序を安定させる。同時にバーガーは、近代化に伴う世俗化(secularization)がこの聖なる天蓋を侵食するプロセスも分析した。

ヨアヒム・ヴァッハの宗教の三次元

ヨアヒム・ヴァッハ(Joachim Wach, 1898-1955)は、ドイツ出身でアメリカのシカゴ大学で活動した宗教学者であり、宗教社会学と宗教解釈学(hermeneutics)の発展に寄与した。

ヴァッハは、宗教経験は三つの次元を通じて表現されると主張した。

  1. 理論的次元(theoretical expression): 教義・神話・神学など、宗教的真理の知的・言語的表現。
  2. 実践的次元(practical expression): 礼拝・祈り・儀礼・戒律など、宗教的行為の体系。
  3. 社会的次元(sociological expression): 教団・教会・サンガなど、宗教共同体の組織形態。

この三次元モデルは、宗教を単一の要素に還元することなく、多面的に把握するための分析枠組みとして有用である。特定の宗教伝統を理解する際に、三次元のそれぞれにおいてどのような表現形態がとられているかを検討することで、体系的な比較が可能となる。


宗教と呪術(magic)の区別

宗教と呪術の関係は、宗教学・人類学において古くから議論されてきた重要な論点である。

ジェームズ・フレイザーの進化論的図式

ジェームズ・ジョージ・フレイザー(James George Frazer, 1854-1941)は、イギリスの社会人類学者であり、主著『金枝篇(The Golden Bough)』(1890年初版)で知られる。フレイザーは呪術(magic)・宗教(religion)・科学(science)を人間の知的発展の三段階として位置づけた。

フレイザーによれば、呪術は自然を直接的に操作しようとする試みであり、呪文や儀礼によって因果的効果を得ようとする。呪術の無力さを認識した人間は、超自然的存在への懇願・宥和によって望みを達成しようとするようになり、これが宗教の段階である。さらに科学は、呪術と同様に自然法則の規則性を前提としつつ、正しい因果関係の理解に基づく段階とされる。

呪術(magic) 宗教(religion) 科学(science)
自然への態度 直接的操作 超自然的存在への懇願 法則に基づく理解と操作
前提 類感・接触の法則 超越的人格の存在 因果法則
手段 呪文・護符・儀礼 祈り・供犠・礼拝 実験・観察

フレイザーの進化論的図式は、呪術→宗教→科学という単線的発展を想定する点で現在では否定されているが、呪術と宗教の操作的側面と懇願的側面を区別する視点は後の議論の出発点となった。

ブロニスワフ・マリノフスキーの機能主義的区別

ブロニスワフ・マリノフスキー(Bronislaw Malinowski, 1884-1942)は、ポーランド出身のイギリスの社会人類学者であり、トロブリアンド諸島でのフィールドワークに基づく民族誌で知られる。1925年の論文「呪術・科学・宗教(Magic, Science and Religion)」において、呪術と宗教の機能的区別を提示した。

マリノフスキーによれば、呪術は実用的目的のために用いられる。漁労・農耕・航海などの不確実性が高い活動において、技術的手段では制御できない要素に対処するために呪術が動員される。これに対し、宗教は死・通過儀礼・社会的危機など、人生の根本的な局面において意味を付与し、共同体の紐帯を強化する自己充足的な営みである。

つまり、呪術は手段的(instrumental)であり特定の目的に奉仕するのに対し、宗教は目的そのもの(expressive / consummatory)であるという区別がなされる。

デュルケームの区別

デュルケームは前述の宗教の定義において、宗教を「教会」(道徳的共同体)の存在と結びつけた。呪術には呪術師とその依頼者の関係はあっても、信者の持続的な道徳的共同体(教会)は存在しない。この点が宗教と呪術を区別する基準とされた。

現代的評価

現代の宗教学・人類学では、呪術と宗教を截然と区別することへの懐疑が広がっている。マリノフスキー自身も認めていたように、「呪術」「宗教」「科学」という範疇は20世紀ヨーロッパの知的枠組みの産物であり、トロブリアンド社会をはじめとする非西洋社会の人々自身がそのような区別をもっていたわけではない。宗教的儀礼に操作的要素が含まれ、呪術的実践に宗教的意味づけが伴う事例は枚挙にいとまがない。したがって、両者の区別は分析的道具としての有用性をもちつつも、本質的な区分として実体化することには慎重であるべきとされる。


宗教と類似概念の境界

スピリチュアリティ

スピリチュアリティ(spirituality)は、特に20世紀後半以降、「宗教」とは区別される概念として注目を集めてきた。英語圏では「宗教的ではないがスピリチュアル」(Spiritual but not religious, SBNR)を自認する人々が増加しており、宗教学における重要な研究対象となっている。

一般的に、宗教(religion)が組織・教義・制度・共同体的実践を含意するのに対し、スピリチュアリティは個人的・内面的な聖なるものとの関わりを重視する。ただし、歴史的に見れば spirituality と religion は長く互換的に用いられてきた語であり、両者の区別が明確化されたのは比較的近年のことである。

学術的には、宗教とスピリチュアリティを二項対立的に捉えるのではなく、両者が重なり合う部分と乖離する部分を具体的に分析する姿勢が求められている。

イデオロギーと世俗的信念体系

ティリッヒの「究極的関心」の定義が示唆するように、ナショナリズム、マルクス主義、消費主義などの世俗的イデオロギーも、人々に包括的な世界観と行動指針を提供し、強い帰依を生み出しうる。これらを「宗教」に含めるか否かは、定義の広狭によって異なる。

ニニアン・スマート(Ninian Smart, 1927-2001)は「世界観(worldview)」という上位概念を用いて、制度的宗教と世俗的イデオロギーを包括的に分析する枠組みを提案した。スマートは宗教的・世俗的世界観に共通する七つの次元(儀礼的、神話的、教義的、倫理的、社会的、経験的、物質的)を提示し、宗教と非宗教の境界を固定的に引くのではなく、連続的なスペクトラムとして捉える視点を提供した。


宗教の定義アプローチの分類

graph TD
    A["宗教の定義アプローチ"] --> B["実体的定義<br/>substantive definition"]
    A --> C["機能的定義<br/>functional definition"]
    A --> D["多元的・次元的アプローチ"]

    B --> B1["オットー<br/>ヌミノーゼ体験"]
    B --> B2["デュルケーム<br/>聖と俗の区別"]
    B --> B3["ティリッヒ<br/>究極的関心"]

    C --> C1["ギアツ<br/>文化システムとしての宗教"]
    C --> C2["バーガー<br/>聖なる天蓋"]

    D --> D1["ヴァッハ<br/>宗教の三次元"]
    D --> D2["スマート<br/>世界観の七次元"]

まとめ

  • 宗教の単一の定義は存在せず、定義のあり方自体が研究の射程と方法を規定する。
  • 実体的定義は宗教に固有の内容(聖なるもの、究極的関心など)を特定しようとするが、特定の宗教伝統への偏りや概念の過度な拡張が問題となる。
  • 機能的定義は宗教が果たす役割(意味付与、社会統合、象徴体系の維持など)に着目するが、宗教と非宗教の境界が不明確になるリスクがある。
  • 宗教と呪術の区別は近代西洋的な分析概念としての有用性をもつが、本質的区分として実体化することには慎重さが必要である。
  • 現代ではスピリチュアリティやイデオロギーとの境界問題が新たな課題として浮上しており、宗教の定義問題は宗教学の根幹をなす未決の問いであり続けている。
  • 次セクション(→ Module 1-1, Section 2「宗教学の成立と展開」)では、こうした定義をめぐる議論が宗教学という学問分野の形成とどのように連動してきたかを検討する。

用語集(Glossary)

用語 英語表記 定義
実体的定義 substantive definition 宗教の本質・内容に着目して宗教を定義するアプローチ
機能的定義 functional definition 宗教が果たす機能・役割に着目して宗教を定義するアプローチ
ヌミノーゼ numinous オットーが提唱した宗教経験の非合理的核心。畏怖と魅惑の神秘(mysterium tremendum et fascinans)
聖と俗 sacred and profane デュルケームが提示した宗教の基本的二項対立。聖なる領域と日常的領域の区別
究極的関心 ultimate concern ティリッヒによる宗教の定義。人間が無条件的に関わる最も根源的な関心事
聖なる天蓋 sacred canopy バーガーの概念。社会の意味秩序(ノモス)を宇宙論的に正当化する宗教の機能
ノモス nomos 社会が構築する意味の秩序。アノミー(無秩序)の対概念
集合的沸騰 collective effervescence デュルケームの概念。集団的儀礼において個人を超えた力の感覚が生じる現象
被造物感情 creature-feeling (Kreaturgefühl) オットーの概念。聖なるものの前での自己の卑小さ・無力さの感覚

確認問題

Q1: 実体的定義と機能的定義それぞれの利点と限界を説明せよ。

A1: 実体的定義の利点は、宗教に固有の特質(聖なるもの、超越的存在など)を明確に同定することで、宗教と非宗教の区別を比較的明瞭に示せる点にある。限界としては、特定の宗教伝統(とりわけキリスト教)を暗黙の規範としがちであること、定義の範囲が狭すぎて一部の宗教現象を排除するか、広すぎて非宗教的現象まで包摂してしまう危険がある。機能的定義の利点は、宗教の社会的・心理的役割を幅広く捉え、多様な宗教現象を包摂できる点にある。限界としては、宗教が果たすのと同様の機能を非宗教的な制度(イデオロギー、心理療法など)も果たしうるため、宗教と非宗教の境界が不明確になる傾向がある。

Q2: ギアツの宗教の定義における「事実性のアウラ」とはどのような概念か。宗教が単なる世界観と異なる点を説明する際に、この概念がどのような役割を果たすか論じよ。

A2: 「事実性のアウラ」(aura of factuality)とは、宗教的象徴体系が提示する存在秩序の概念に、単なる仮説や思弁ではなく「現実そのもの」であるという強い確信を付与する作用を指す。ギアツによれば、宗教は象徴を通じて人々の気分と動機づけを形成するが、その際、宗教的世界観が「比類なく現実的」に見えるよう作用する。これにより、哲学的世界観や科学的仮説が留保を伴うのに対し、宗教的世界観は信者にとって疑いえない現実として経験される。この「事実性のアウラ」の概念は、宗教が単なる知的枠組みではなく、情動的・実践的に人々の生を方向づける力をもつことを説明するものである。

Q3: フレイザー、マリノフスキー、デュルケームそれぞれの宗教と呪術の区別の基準を比較せよ。

A3: フレイザーは進化論的図式に基づき、呪術を自然の直接的操作(呪文・護符による因果的効果の追求)、宗教を超自然的存在への懇願・宥和として区別した。両者は知的発展の段階的差異として位置づけられる。マリノフスキーは機能主義的観点から、呪術を実用的・手段的な営み(特定の目的達成のための技術的補完)、宗教を自己充足的・表出的な営み(人生の危機における意味付与と社会的紐帯の強化)として区別した。デュルケームは社会組織の観点から、宗教を「教会」(信者の持続的な道徳的共同体)の存在によって特徴づけ、呪術にはそうした共同体が欠如している点を区別の基準とした。

Q4: ティリッヒの「究極的関心」による定義を採用した場合、ナショナリズムは「宗教」に含まれうるか。この論点について、学術的に整理して論じよ。

A4: ティリッヒの定義に従えば、ナショナリズムは「宗教」に含まれうる。ティリッヒは究極的関心を宗教の本質とし、金銭・権力・民族・国家なども究極的関心の対象となりうるとした。ナショナリズムが国家・民族への無条件的帰依を求め、そのために他のすべてを犠牲にすることを要求する場合、それはティリッヒの定義における「宗教」の条件を満たす。この包括性はティリッヒの定義の利点であると同時に弱点でもある。利点は、制度的宗教に限らず人間の根源的な信奉の構造を捉えられる点にある。弱点は、宗教の概念が過度に拡張され、通常「宗教」とは呼ばれない現象まで含んでしまうことで、概念の分析的有用性が低下する点にある。スマートが「世界観」の概念を用いて宗教的世界観と世俗的世界観を包括的に扱う枠組みを提案したのは、この問題への一つの応答である。