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Module 1-1 - Section 3: 日本の宗教学史

セクション情報

項目 内容
モジュール Module 1-1: 宗教学総論
前提セクション Section 2
想定学習時間 2時間

導入

Section 2で概観したように、宗教学は19世紀後半のヨーロッパで成立し、マックス・ミュラーの比較宗教学からオットー、エリアーデの宗教現象学・宗教史学を経て、タラル・アサドのポストコロニアル批判へと展開してきた。これらの西洋発の学問体系は、日本においてどのように受容され、独自の発展を遂げたのか。本セクションでは、明治期における「宗教」概念そのものの受容問題から始め、姉崎正治による宗教学の制度的確立、岸本英夫・柳川啓一による戦後の再建と展開、さらに島薗進・井上順孝による現代的課題への取り組みまでを通観し、日本の宗教学の特質と課題を検討する。


「宗教」概念の受容 — 翻訳語としての「宗教」

religionの翻訳問題

日本の宗教学を考えるうえで、まず検討すべきは「宗教」という語そのものの成立過程である。英語の religion に相当する統一的な概念は、前近代の日本には存在しなかった。仏教用語としての「宗教」は本来「宗の教え」すなわち各宗派の教義を指す語であり、諸宗教を包括的に捉えるカテゴリーではなかった。

religion の翻訳が最初に必要とされたのは、1858年の日米修好通商条約においてである。条約の翻訳過程では「宗旨」「宗法」といった訳語があてられた。その後も「宗門」「教法」「聖道」「教門」「法教」「奉教」「神道」など多様な候補が乱立し、「宗教」が religion の定訳として確立するのは明治10年代(1877年頃以降)になってからとされる。

Key Concept: 「宗教」概念の翻訳問題(translation of "religion") 近代日本において religion の訳語として「宗教」が定着する過程は、単なる言語的問題にとどまらず、西洋的な religion 概念の枠組みそのものを日本の宗教的伝統に適用することの妥当性という根本的な問いを含んでいる。

概念受容の政治的文脈

「宗教」概念の定着は、近代天皇制国家の形成と不可分に結びついていた。明治政府は、国家神道を「宗教」の範疇から外し、「国家の祭祀」として位置づけることで、信教の自由の保障と国家神道の超宗教的地位を両立させようとした。この「神道非宗教論」は、religion という概念の操作的運用を通じて成立したものであり、「宗教」という翻訳語が中立的な学術用語ではなく、政治的・制度的含意を帯びた概念であったことを示している。このことは、後にタラル・アサドが批判した「宗教」概念の歴史的構築性(→ Module 1-1, Section 2参照)という問題と、日本の文脈において直結するものである。


姉崎正治 — 日本宗教学の制度的確立

生涯と業績

姉崎正治(あねざき まさはる、1873-1949)は、日本における宗教学の制度的確立を担った人物であり、「日本宗教学の祖」と評される。1893年に東京帝国大学哲学科に入学し、井上哲次郎およびラファエル・フォン・ケーベルのもとで学んだ。1896年の卒業後、1897年には哲学館(現・東洋大学)で「比較宗教学」の講義録『言語学的宗教学』を残している。

1900年から1903年にかけてドイツ・インド・イギリスに留学し、ヨーロッパの宗教学の方法論を直接学んだ。帰国後の1904年に東京帝国大学教授に就任し、1905年には同大学に宗教学講座を開設した。これは日本の大学における宗教学の制度的出発点となった。

Key Concept: 比較宗教学の日本への導入(introduction of comparative religion to Japan) 姉崎正治は、ミュラーらが確立した比較宗教学の方法論を日本に導入し、神道・仏教・キリスト教を含む複数の宗教伝統を比較研究の対象とする学問的枠組みを確立した。1905年の東京帝国大学宗教学講座開設は、日本における宗教学の制度的起点である。

学問的特徴

姉崎の研究対象は広範であり、神道、仏教(特にインド宗教)、キリスト教、新宗教にわたった。彼の学問的姿勢は、ミュラー流の比較宗教学を基盤としつつも、日本の宗教的伝統への深い理解を伴うものであった。1905年には東京帝国大学で神道・仏教・キリスト教の三教の宗教家懇談会を主催しており、学問的中立性のもとで諸宗教の対話を促進する試みを行っている。

1914年前後にはハーバード大学に招聘され、日本宗教についての講義を行った。英語での著作活動も活発に行い、日本の宗教を国際的な学術コミュニティに紹介する役割を果たした。

日本宗教学会の設立

1930年5月、姉崎を初代会長として日本宗教学会が設立された。第1回大会は東京帝国大学宗教学講座創設25年記念会の主催により開催された。学会設立の背景には、1905年以降の諸大学における宗教学講座の漸次的設置、仏教系・キリスト教系・神道系の私立大学の認可に伴う宗教学者の増加、そして当時の社会情勢(唯物論的宗教批判への対応を含む)があった。1937年には宗教研究会の機関紙であった『宗教研究』を日本宗教学会が引き継ぎ、以後、同学会の機関誌として継続的に刊行されている。


岸本英夫 — 戦後宗教学の再建

経験科学としての宗教学

岸本英夫(きしもと ひでお、1903-1964)は、姉崎正治の後を継いで東京大学宗教学講座を担い、戦後日本の宗教学の再建に尽力した人物である。1947年に『宗教神秘主義の研究』(ヨーガ・スートラの宗教学的研究)で東京帝国大学より文学博士の学位を取得し、同年に文学部宗教学宗教史講座教授に就任した。

岸本の学問的貢献の中心は、宗教学を経験科学として確立しようとした方法論的試みにある。1961年に刊行された『宗教学』(大明堂)は、この方法論的立場を体系的に示した著作であり、戦後日本の宗教学に広範な影響を及ぼした。岸本は宗教を「人間の生活の究極的な意味をうちに含むと考えられている営みに対して、それに、ふさわしい仕方で積極的に関わっていく態度」と定義し、価値判断を排した記述的・分析的アプローチを追求した。

アメリカ宗教学との交流

岸本は戦後まもなくアメリカに渡り、ハーバード大学やシカゴ大学の宗教学者たちと交流した。このアメリカ宗教学との接触は、日本の宗教学に社会科学的方法論を導入する契機となった。1948年には日本宗教学会が九学会連合(当時は八学会連合)に加わり、その枠組みのなかで日本各地の宗教の社会学的調査が実施されるようになった。

闘病と宗教 —『死を見つめる心』

岸本は1954年、アメリカ滞在中にがんの告知を受けた。宗教学者でありながら「死後の生命の存続という信念をもっていない」と自覚していた岸本は、自らの死の脅威との対峙を通じて、生と死の問題を宗教学的に考察し続けた。岸本は「死というものは実体ではなくて、実体である生命がない場所であるというだけのことである」「生と死とは、ちょうど光と闇との関係にある」という理解に到達した。1964年に定年退官の直前にがんで没した後、遺著として編集された『死を見つめる心——ガンとたたかった十年間』(1973年)は、宗教学者自身が死の脅威と格闘した記録として広く読まれた。この著作は、後に展開される死生学(death and life studies)の先駆的な業績としても位置づけられる。


柳川啓一 — 宗教社会学と民俗宗教研究

研究の特徴

柳川啓一(やながわ けいいち、1926-1990)は、1973年から1986年まで東京大学文学部教授を務め、1980年から1982年には日本宗教学会会長を歴任した。退官後は國學院大學文学部教授となった。

柳川の学問的特徴は、宗教社会学的方法の積極的な導入と、日本の民俗宗教(folk religion)への注目にある。新宗教の実態調査においては、ゼミ生に宗教団体へ調査者であることを明かさずに参加させて調査する手法(いわゆる「もぐり込み調査」)を用いるなど、参与観察を重視する実証的な研究姿勢を持っていた。

祭り研究

柳川のもう一つの重要な業績は、日本の祭礼に関する組織的研究である。1963年の秩父神社夏祭りの調査を皮切りに、1960年代末から1970年代にかけて祭礼研究を本格化させた。柳川は「祭りを研究すれば、何か日本人の一つの生き方といったものがわかるのではないか」という問題意識のもと、祭礼を日本人の宗教性を理解するための鍵として位置づけた。

この祭り研究は、制度的宗教(organized religion)の枠組みには収まりきらない日本人の宗教的行動を捉えようとする試みであり、後の「宗教」概念の再検討にもつながる視座を提供した。主要著作に『祭と儀礼の宗教学』、編著に『宗教民俗学』(東京大学出版会)などがある。


島薗進 — 新宗教研究から新霊性運動論へ

研究の広がり

島薗進(しまぞの すすむ、1948-)は、東京大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得退学後、東京大学文学部教授を経て、現在は東京大学名誉教授・大正大学客員教授を務める。専攻は宗教学、近代日本宗教史、死生学であり、(1) 宗教社会学、(2) 近現代日本宗教史、(3) 近現代宗教理論の三領域にわたる研究を展開している。

新宗教研究

島薗は日本の新宗教について体系的な研究を行い、近代日本における新宗教の展開を社会史的に分析した。主要著作に『新宗教を問う——近代日本人と救いの信仰』(ちくま新書、2020年)がある。

新霊性運動(new spirituality movements)

島薗の学問的貢献のうち、とりわけ注目されるのは「新霊性運動」(new spirituality movements)概念の提唱である。欧米で広く用いられていた「ニューエイジ運動」(New Age movement)という呼称について、島薗はその用語がアメリカの特定の文脈に依存しすぎていることを指摘し、アメリカや日本の「精神世界」などの現象をグローバルな運動、あるいは新しい宗教運動の地域的に異なる現れとして捉える立場から、「新霊性運動」という学術用語を提案した。

Key Concept: 新霊性運動(new spirituality movements) 島薗進が提唱した概念で、伝統的な宗教と近代科学・合理主義の双方の限界を乗り越えようとする現代的な精神的探求の総体を指す。その当事者は、自らが「宗教」の時代に続く「霊性」の新しい時代に属していると自覚し、既存の宗教や科学に代わる代替的な生のあり方を志向する。「ニューエイジ」の地域限定性を克服する学術概念として提案された。

この概念は『精神世界のゆくえ——現代世界と新霊性運動』(1996年)で本格的に展開され、さらに『スピリチュアリティの興隆——新霊性文化とその周辺』(岩波書店、2007年)で精緻化された。

国家神道研究

島薗のもう一つの重要な研究領域は国家神道論である。『国家神道と日本人』(岩波新書、2010年)、『戦後日本と国家神道——天皇崇敬をめぐる宗教と政治』(岩波書店、2021年)などにおいて、国家神道の形成と展開、そして戦後における変容を分析し、近代日本における宗教と政治の関係を歴史的に解明する作業を行っている。


井上順孝 — 新宗教の通史的研究と宗教情報リテラシー

新宗教の体系的研究

井上順孝(いのうえ のぶたか、1948-)は、國學院大學教授を経て同大学名誉教授を務め、日本宗教学会会長を歴任した。専門は宗教社会学であり、新宗教と教派神道の研究に長く従事してきた。1992年には「教派神道の形成」の研究で國學院大學より宗教学博士の学位を取得している。

井上の業績は、個別の新宗教団体の研究にとどまらず、日本の新宗教を通史的に把握しようとする点にある。『新宗教の解読』『人はなぜ「新宗教」に魅かれるのか?』などの著作を通じて、新宗教現象を近代日本社会の変動と関連づけて分析した。

宗教情報リテラシー

井上のもう一つの重要な貢献は、「宗教情報リテラシー」(religious information literacy)の概念提唱と普及活動である。國學院大學日本文化研究所所長・宗教情報リサーチセンター長として、インターネット時代における宗教情報の適切な読解・活用のあり方を研究した。

Key Concept: 宗教情報リテラシー(religious information literacy) 井上順孝が提唱した概念で、メディアやインターネット上に氾濫する宗教に関する情報を、適切に評価・判断・活用する能力を指す。オウム真理教事件(1995年)以降の日本社会において、宗教に関する偏見や誤解を避けつつ、多元的な宗教文化を理解するための基盤として提案された。

この取り組みの背景には、1995年のオウム真理教事件以降、日本社会で宗教に対する忌避感や偏見が強まったことがある。井上は、宗教について「知らない」ことが偏見や差別の温床となることを指摘し、宗教文化に関する基礎的な教養の普及に努めた。


日本の宗教学の特質と課題

日本の宗教学者の系譜

timeline
    title 日本の宗教学の展開
    1905 : "姉崎正治 — 東京帝国大学宗教学講座開設"
    1930 : "日本宗教学会設立(姉崎が初代会長)"
    1947 : "岸本英夫 — 東大宗教学教授就任・戦後宗教学の再建"
    1961 : "岸本英夫『宗教学』刊行"
    1973 : "柳川啓一 — 東大教授就任・祭り研究の本格化"
    1996 : "島薗進『精神世界のゆくえ』— 新霊性運動概念の提唱"
    2007 : "島薗進『スピリチュアリティの興隆』"
    2010 : "井上順孝 — 宗教情報リテラシーの普及"

「科学か実践か」という根本問題

日本の宗教学が一貫して直面してきた問題の一つは、宗教学が「宗教についての科学」であるのか、それとも宗教的実践と何らかの形で関わる営みであるのかという二項対立である。

Key Concept: 「科学か実践か」問題(science vs. practice problem) 宗教学が、対象から距離を置いた客観的・経験科学的研究であるべきか、それとも宗教的経験や実践に対してある種の共感的関与(エポケーを含む)を行うべきかという方法論上の根本問題。日本の宗教学においては、仏教学・神道学・キリスト教神学といった「内部的」研究伝統との関係もあり、この問題はとりわけ鋭い形で現れてきた。

姉崎正治は比較宗教学という学術的枠組みを導入しつつも、宗教的伝統に対する深い共感を失わなかった。岸本英夫は経験科学としての宗教学を志向しつつ、自らの闘病を通じて宗教的経験の内在的理解に到達した。この二面性は、日本の宗教学に通底する特徴として指摘できる。

21世紀の課題 — 「宗教」概念の見直し

本セクションの冒頭で検討した「宗教」の翻訳問題は、21世紀に入って新たな文脈で再浮上している。アサドらによるポストコロニアル的批判は、religion という概念自体が西洋近代の産物であることを明らかにした(→ Module 1-1, Section 2参照)。日本においても、「宗教」概念のもとでは捉えきれない宗教的実践——初詣、墓参り、パワースポット巡り、スピリチュアルな関心など——をどう学術的に記述するかが大きな課題となっている。

柳川啓一の祭り研究が示した、制度的宗教の枠組みに収まらない日本人の宗教性の問題、島薗進が「新霊性運動」として概念化した脱宗教的霊性の台頭、井上順孝が取り組む情報化時代の宗教現象の変容——これらはいずれも、「宗教」という概念そのものの射程と限界を問い直す試みであり、日本の宗教学が今後取り組むべき中心的課題を形成している。


まとめ

  • 日本の宗教学は、明治期の「宗教」概念受容という翻訳問題を出発点とし、この概念の妥当性をめぐる問いは現在も継続している
  • 姉崎正治が1905年に東京帝国大学に宗教学講座を開設し、1930年に日本宗教学会を設立したことで、日本の宗教学は制度的に確立された
  • 岸本英夫は戦後の宗教学を経験科学として再建し、アメリカ宗教学との交流を通じて社会科学的方法論を導入した
  • 柳川啓一は宗教社会学的方法を用いて民俗宗教や祭礼を研究し、制度的宗教の枠に収まらない日本人の宗教性を明らかにした
  • 島薗進は新宗教研究から出発し、「新霊性運動」概念の提唱と国家神道研究という二つの方向で日本の宗教学を拡張した
  • 井上順孝は新宗教の通史的研究と「宗教情報リテラシー」の提唱を通じて、情報化時代の宗教理解を推進している
  • Section 4では、これらの学問的蓄積を踏まえ、宗教の構成要素(教義・儀礼・共同体・体験)とその分類の問題を検討する

用語集(Glossary)

用語 英語表記 定義
「宗教」概念の翻訳問題 translation of "religion" 明治期に religion の訳語として「宗教」が定着する過程に伴う、西洋的概念枠組みの日本への適用可能性をめぐる問題
比較宗教学の日本への導入 introduction of comparative religion to Japan 姉崎正治がミュラー流の比較宗教学を日本に持ち込み、1905年の東大講座開設で制度化した過程
新霊性運動 new spirituality movements 島薗進が提唱した概念。伝統宗教と近代科学の双方の限界を乗り越えようとする現代的な精神的探求の総体
宗教情報リテラシー religious information literacy 井上順孝が提唱した概念。メディア上の宗教情報を適切に評価・判断・活用する能力
「科学か実践か」問題 science vs. practice problem 宗教学が客観的科学であるべきか宗教的実践への共感的関与を含むべきかという方法論上の根本問題
神道非宗教論 theory of Shinto as non-religion 明治政府が国家神道を「宗教」の範疇から外し「国家の祭祀」と位置づけた論理
民俗宗教 folk religion 制度的な教団組織を持たない、民衆の日常的な宗教的実践の総体

確認問題

Q1: 明治期に religion の訳語が「宗教」に定着する過程にはどのような問題が含まれていたか。「宗教」という語の仏教的起源と、政治的文脈の双方に触れて説明せよ。

A1: 「宗教」は本来「宗の教え」すなわち各宗派の教義を意味する仏教用語であり、諸宗教を包括するカテゴリーではなかった。1858年の日米修好通商条約で religion の翻訳が必要となり、「宗旨」「宗法」「教法」など多様な候補が乱立した末、明治10年代に「宗教」が定訳として確立した。この過程には政治的文脈も深く関わっており、明治政府は国家神道を「宗教」の範疇から外して「国家の祭祀」と位置づけることで、信教の自由と国家神道の超宗教的地位を両立させた。この翻訳語は中立的な学術用語ではなく、政治的・制度的含意を帯びた概念であった。

Q2: 姉崎正治が日本の宗教学の制度的確立に果たした役割を、大学と学会の両面から述べよ。

A2: 大学の面では、姉崎は1904年に東京帝国大学教授となり、1905年に同大学に宗教学講座を開設した。これは日本の大学における宗教学の制度的出発点であった。学会の面では、1930年に日本宗教学会を設立して初代会長に就任した。学会は機関誌『宗教研究』を1937年に引き継ぎ、日本の宗教学研究の学術的基盤を形成した。姉崎はまた、ハーバード大学に招聘されるなど国際的な学術交流にも貢献し、日本の宗教を国際的な学術コミュニティに紹介する役割を果たした。

Q3: 島薗進が「ニューエイジ運動」ではなく「新霊性運動」という用語を提案した理由と、この概念の特徴を説明せよ。

A3: 島薗は、「ニューエイジ運動」という呼称がアメリカの特定の文脈に依存しすぎていることを問題視した。日本の「精神世界」やアメリカのニューエイジなどの現象を、グローバルな運動あるいは新しい宗教運動の地域的に異なる現れとして捉える立場から、「新霊性運動」という学術用語を提案した。この概念の特徴は、当事者が伝統的な宗教と近代科学・合理主義の双方の限界を乗り越えようとし、自らが「宗教」の時代に続く「霊性」の新しい時代に属していると自覚している点にある。

Q4: 日本の宗教学における「科学か実践か」問題とはどのようなものか。姉崎正治と岸本英夫を例にとり、この問題が日本の宗教学においてどのように現れたか論じよ。

A4: 「科学か実践か」問題とは、宗教学が対象から距離を置いた客観的・経験科学的研究であるべきか、宗教的経験や実践に対してある種の共感的関与を行うべきかという方法論上の根本問題である。姉崎正治は比較宗教学という学術的枠組みを導入しつつも、宗教的伝統に対する深い共感を保持し、三教懇談会の主催など宗教間対話の促進にも取り組んだ。岸本英夫は経験科学としての宗教学を志向して価値判断を排した記述的アプローチを追求したが、自らのがん闘病を通じて生と死の問題に内在的に向き合い、宗教的経験の理解に到達した。日本の宗教学には仏教学・神道学・キリスト教神学という「内部的」研究伝統が併存しており、この問題はとりわけ鋭い形で現れてきた。