Module 1-1 - Section 5: 宗教学の方法論¶
セクション情報¶
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| モジュール | Module 1-1: 宗教学総論 |
| 前提セクション | Section 1, 2 |
| 想定学習時間 | 2時間 |
導入¶
宗教学は、宗教現象を学問的に探究する営みであるが、その「学問的」とはいかなる方法論的立場を意味するのか。この問いは、宗教学が神学から分離して独立の学問領域を形成した19世紀以来、繰り返し問われてきた根本問題である。
宗教という対象は、研究者自身の実存的関与を免れない特異な性格をもつ。信仰者として内側から宗教を生きる視点と、研究者として外側から宗教を分析する視点との間の緊張関係は、宗教学固有の方法論的課題を形成してきた。本セクションでは、価値中立性の問題、内在的理解と外在的分析の区別、還元主義をめぐる論争を検討したうえで、宗教学を構成する諸分野の方法と対象を概観し、宗教学の学際的統合の意義を論じる。
宗教学の方法論的前提 — 神学と宗教学の関係¶
神学と宗教学の分岐¶
宗教学と神学は、ともに宗教を対象とするが、その方法論的前提は根本的に異なる。神学(theology)は特定の宗教的伝統の内部に立ち、その信仰内容の体系化・深化・弁証を目的とする。キリスト教神学であれば、神の存在と啓示を前提として教義の整合的理解を追究する。これに対し、宗教学(study of religions / Religionswissenschaft)は、特定の信仰的前提を置かず、宗教現象を経験的・学際的に研究する学問である。
この分岐は、Section 2で確認したマックス・ミュラー(Friedrich Max Müller)による比較宗教学の創始に遡る。ミュラーは「一つの宗教しか知らない者は、宗教を知らない」と述べ、複数の宗教を比較する経験的方法の必要性を主張した。ここに、啓示に基づく神学的探究から、経験的データに基づく学問的探究への転換が生じた。
価値中立性(Wertfreiheit)の問題¶
Key Concept: 価値中立性(Wertfreiheit) マックス・ヴェーバー(Max Weber)が提唱した社会科学の方法論的原則。研究者は自己の価値判断を学問的認識の過程から排除し、事実認識と価値判断を峻別すべきであるとする立場。宗教学においては、特定の宗教の真理性に関する価値判断を学問的分析から分離することを要求する。
ヴェーバーが「社会科学と社会政策の認識の『客観性』」(1904) で展開したWertfreiheitの概念は、宗教学の方法論的基盤に直接関わる。ヴェーバーの主張の核心は、価値(実践的内容を含むもの)を認識の「対象」として扱うことは許容されるが、価値判断を学問的命題の「基準」として用いることは排除されるべきだという点にある。
宗教学の文脈でこれを敷衍すれば、「仏教とキリスト教のどちらが真理であるか」という価値判断は学問的命題として成立しないが、「なぜ特定の社会で仏教が受容されたか」という因果分析は学問的に探究可能である。ただし、ヴェーバー自身が認めていたように、研究テーマの選択自体が研究者の価値関心(Wertbeziehung)に導かれる以上、完全な価値の排除は不可能であり、重要なのは自覚的な価値判断の統制である。
内在的理解と外在的分析¶
エティック/エミックの区別¶
Key Concept: エティック/エミック(etic/emic) 言語学者ケネス・パイク(Kenneth L. Pike)が1954年に提唱した分析枠組み。音韻論(phonetics)と音素論(phonemics)の対比に由来する。エティックは文化外部の分析者の視点からの記述、エミックは文化内部の参与者の視点からの記述を指す。宗教学では、研究者の外部的分析枠組みと信仰者の内部的意味世界の区別に適用される。
パイクは、人間の行動を記述する際に「二つの基本的な立場」が存在すると論じた。エティックな記述は、観察対象の文化体系の外部に立つ分析者が、普遍的・比較可能な枠組みを用いて行う記述であり、エミックな記述は、当該文化体系の内部に立つ参与者にとって意味をもつカテゴリーによる記述である。
宗教研究においてこの区別が重要となるのは、宗教的行為や信念の「意味」が、内部者と外部者で根本的に異なりうるからである。たとえば、ある儀礼を外部の研究者が「社会的結束を強化する機能をもつ集団行為」(エティック)と記述する場合と、参与者が「神との交わりの場」(エミック)と経験する場合とでは、同一の現象に対する理解が質的に異なる。
インサイダー/アウトサイダー問題¶
エティック/エミックの区別は、宗教学における「インサイダー/アウトサイダー問題」(insider/outsider problem)と密接に関連する。ラッセル・マカチェン(Russell T. McCutcheon)が編纂した論集 The Insider/Outsider Problem in the Study of Religion (1999) が示すように、この問題は宗教学において繰り返し論じられてきた。
問題の核心は次の点にある。宗教共同体の内部者(インサイダー)は、宗教的経験の「生きられた意味」に直接アクセスできるが、客観的な距離を欠く可能性がある。他方、外部者(アウトサイダー)は分析的距離を保てるが、宗教的経験の質的側面を十分に理解できない可能性がある。いずれの立場にも認識論的な利点と限界が存在する。
現代の宗教学では、この二項対立を固定的に捉えるのではなく、研究者が状況に応じて内部的理解と外部的分析を往還する動的な過程として方法論を構想する方向に議論が進んでいる。
方法論的不可知論と方法論的無神論¶
Key Concept: 方法論的不可知論(methodological agnosticism) ニニアン・スマート(Ninian Smart)が提唱した宗教学の方法論的原則。宗教的真理主張の真偽について判断を保留し(肯定も否定もせず)、宗教現象をそのものとして記述・分析することを求める立場。宗教現象学のエポケー(判断停止)の系譜に連なる。
スマートは、宗教学を神学から区別する方法論的基盤として方法論的不可知論を位置づけた。宗教学者は、宗教的信念の真偽に関する強い存在論的コミットメントを避け、信仰者がなぜその宗教的言明を真と信じるかを記述・理解することに注力すべきである。スマートによれば、宗教的多元性の状況において、有神論も無神論も研究の前提として採用することは合理的に正当化されず、不可知論的態度のみが方法論的に適切である。
Key Concept: 方法論的無神論(methodological atheism) ピーター・バーガー(Peter L. Berger)が『聖なる天蓋』(The Sacred Canopy, 1967)で提唱した宗教社会学の方法論的原則。社会学者は研究の過程において、宗教的現象を超自然的原因に帰属させず、あくまで人間の社会的構成物として分析すべきであるとする。個人的信仰とは独立の方法論的要請である。
バーガーの方法論的無神論は、宗教的真理主張を「括弧に入れる」(bracket)点ではスマートの方法論的不可知論と共通するが、より積極的に宗教現象を人間の社会的投影として扱う点で異なる。バーガーは、宗教を「人間が聖なるコスモスを投影することによって構築する意味世界」と定義し、社会学者はこの構築過程を社会学的道具立てによって分析すべきだと主張した。
ダグラス・ポルポラ(Douglas V. Porpora)は、方法論的無神論と方法論的不可知論の対比を整理し、方法論的無神論が宗教的経験の超越的次元を不当に排除するリスクを指摘している。宗教学全体の方法論としては、方法論的不可知論がより広く受容されているが、宗教社会学のような個別分野では方法論的無神論が有力な立場を維持している。
還元主義(reductionism)をめぐる論争¶
Key Concept: 還元主義(reductionism) 宗教学の文脈では、宗教現象をより「基底的」とされる社会的・心理的・生物学的要因に還元して説明する立場を指す。宗教を社会的機能(デュルケーム)、心理的投影(フロイト)、経済的上部構造(マルクス)に還元する議論が典型例である。還元主義をどこまで許容するかは、宗教学の方法論において最も論争的な問題の一つである。
還元主義の系譜¶
宗教の還元主義的説明には複数の系譜がある。エミール・デュルケーム(Émile Durkheim)は『宗教生活の原初形態』(1912) で、宗教を社会的連帯の象徴的表現として分析し、「神とは社会の変容された姿である」と論じた。ジークムント・フロイト(Sigmund Freud)は『トーテムとタブー』(1913) や『幻想の未来』(1927) で、宗教を父親コンプレックスの投影や幼児的願望の充足として心理学的に説明した。カール・マルクス(Karl Marx)は、宗教を「民衆のアヘン」と呼び、支配階級の利益を正当化するイデオロギー的上部構造として把握した。
これらの説明に共通するのは、宗教現象が「本当は」何であるかを、宗教の外部にある要因によって説明しようとする点である。信仰者が「神への帰依」として経験していることを、「社会的連帯の維持」「無意識的願望の充足」「階級支配の正当化」として「翻訳」するのが還元主義的アプローチの特徴である。
反還元主義の立場¶
還元主義に対する批判は、宗教現象学の伝統から提起されてきた。ルドルフ・オットー(Rudolf Otto)の「ヌミノーゼ」概念(→ Section 1参照)は、宗教的経験が他の経験類型には還元不可能な固有の質(sui generis)をもつことを主張するものであった。ミルチャ・エリアーデ(Mircea Eliade)もまた、宗教現象はそれ自体の次元において理解されるべきであり、社会学や心理学に還元することは宗教の本質を見失うことになると論じた。
この反還元主義的立場は、「宗教的なもの」(the religious)が独自の実在性をもち、他の社会的・心理的カテゴリーには解消されないという存在論的主張を含んでいる。
現代的な整理¶
現代の宗教学では、還元主義を全面的に排除するのでも全面的に受容するのでもなく、「説明のレベル」の問題として整理する傾向がある。宗教現象を社会的・心理的・認知的メカニズムによって説明することは、当該レベルにおいて妥当な分析であるが、それが宗教的経験の「すべて」を汲み尽くすとは限らない。多層的な分析を許容しつつ、単一の説明レベルへの不当な縮減を批判するのが、現在の学界における穏当な立場である。
宗教学の諸分野概観¶
宗教学は単一の方法論をもつ学問ではなく、複数の隣接学問と方法論を共有する学際的な知の領域である。以下に主要な諸分野を概観する。
graph LR
subgraph "宗教学の諸分野"
A["宗教哲学"]
B["宗教社会学"]
C["宗教心理学"]
D["宗教人類学"]
E["宗教史学"]
F["比較宗教学"]
G["認知科学的宗教学"]
end
subgraph "母体学問"
P["哲学"]
S["社会学"]
Ps["心理学"]
An["人類学"]
H["歴史学"]
Co["認知科学"]
end
P --> A
S --> B
Ps --> C
An --> D
H --> E
H --> F
Co --> G
宗教哲学(philosophy of religion)¶
宗教哲学は、神の存在論証、悪の問題(theodicy)、宗教言語の意味論、宗教的経験の認識論的地位、信仰と理性の関係などを哲学的方法によって探究する分野である。宗教学の他の分野が経験的方法を基本とするのに対し、宗教哲学は概念分析・論理的論証を主たる方法とする。アンセルムス(Anselmus)の存在論的証明、トマス・アクィナス(Thomas Aquinas)の五つの道、アルヴィン・プランティンガ(Alvin Plantinga)の改革派認識論など、哲学的伝統に基づく議論が展開される。
ただし、宗教哲学は歴史的にキリスト教の哲学的伝統を主たる対象としてきた経緯があり、非西洋的宗教への適用可能性については批判的検討が進められている。
宗教社会学(sociology of religion)¶
宗教社会学は、宗教と社会の相互関係を社会学的方法によって研究する分野である。ヴェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」(1905) やデュルケームの『宗教生活の原初形態』(1912) が古典的出発点となる。世俗化論(secularization thesis)、宗教市場論(religious economy theory)、宗教の公共的役割(public religion)などが主要な研究テーマである。
方法論的には、バーガーの方法論的無神論に代表されるように、宗教現象を社会的構成物として分析する立場を採り、量的調査(信仰率調査、宗教意識調査)と質的調査(参与観察、インタビュー)の双方を用いる。
宗教心理学(psychology of religion)¶
宗教心理学は、宗教的信念・体験・行動を心理学的方法によって研究する分野である。ウィリアム・ジェイムズ(William James)の『宗教的経験の諸相』(1902) が先駆的業績であり、回心(conversion)体験、祈りの心理的機能、宗教的発達段階、宗教とウェルビーイングの関係などが研究される。
実験心理学的手法、質問紙調査、神経科学的測定(宗教的経験時の脳活動の画像化)など、経験科学としての方法論が中心となる。
宗教人類学(anthropology of religion)¶
宗教人類学は、文化人類学の方法、とりわけフィールドワークと参与観察によって、宗教的信念・儀礼・実践を文化的文脈のなかで研究する分野である。エドワード・タイラー(Edward B. Tylor)のアニミズム論、ブロニスワフ・マリノフスキー(Bronislaw Malinowski)の呪術の機能分析、クリフォード・ギアツ(Clifford Geertz)の宗教の文化体系としての分析(→ Section 2参照)が主要な理論的基盤である。
近年では、タラル・アサド(Talal Asad)によるポストコロニアル的批判(→ Section 2参照)を受け、「宗教」概念自体の文化的構築性を問い直す反省的な方法論が重視されている。
宗教史学(history of religions)¶
宗教史学は、個別の宗教伝統の歴史的展開を、文献学・考古学・碑文学などの歴史学的方法によって実証的に研究する分野である。テクストの批判的分析(文献批判)が基本的方法であり、聖典の成立過程、教義の歴史的変容、宗教運動の社会史的分析などが主要な課題となる。東京大学の宗教学研究室が「宗教学宗教史学研究室」と称しているように、日本では宗教史学的方法が宗教学の中核に位置づけられてきた。
比較宗教学(comparative religion)¶
比較宗教学は、複数の宗教伝統を体系的に比較することで、宗教現象の共通構造と個別的差異を明らかにする分野である。ミュラーに始まるこの方法は(→ Section 2参照)、類型論的比較(宗教的指導者の類型、儀礼の構造比較など)を主たる手法とする。ただし、異なる文脈にある現象を比較する際の「比較の基準」の恣意性、および西洋的カテゴリーの普遍化という問題が批判されてきた。
認知科学的宗教学(cognitive science of religion)¶
認知科学的宗教学(CSR)は、1990年代以降に急速に発展した比較的新しい分野であり、宗教的信念・実践の認知的基盤を、進化心理学・認知心理学・神経科学の方法によって研究する。
パスカル・ボイヤー(Pascal Boyer)は『神はなぜいるのか?』(Religion Explained, 2001) で、「最小反直観性」(minimal counterintuitiveness, MCI)の概念を提唱した。人間の直観的存在論(物理的対象、生物、行為者などに関する生得的な認知テンプレート)からわずかに逸脱する概念(死者の霊、空を飛ぶ絨毯など)は、記憶に残りやすく文化的に伝達されやすいため、宗教的観念として広まりやすいとする理論である。
ジャスティン・バレット(Justin L. Barrett)は、「過敏な行為者検知装置」(Hypersensitive Agency Detection Device, HADD)仮説を提唱した。人間の認知システムは、曖昧な刺激に対して意図的行為者の存在を過剰に検知する傾向をもち、この認知的バイアスが超自然的存在者への信念を生み出す基盤となっているとする。
CSRは還元主義的傾向が強い分野であり、宗教的信念を認知的メカニズムの副産物として説明する立場を採ることが多い。このため、先述の還元主義批判との間に理論的緊張を抱えている。
学際性と宗教学の統合的性格¶
以上の概観が示すように、宗教学は単一の方法論をもつ自律的なディシプリンというよりも、複数の学問分野の方法論を「宗教」という共通の対象に向けて統合する学際的な知の領域として性格づけられる。
graph TD
subgraph "分析の層"
L1["個人レベル: 宗教心理学・認知科学的宗教学"]
L2["相互行為レベル: 宗教人類学"]
L3["社会構造レベル: 宗教社会学"]
L4["歴史的展開レベル: 宗教史学・比較宗教学"]
L5["概念的レベル: 宗教哲学"]
end
L1 --> L2
L2 --> L3
L3 --> L4
L4 --> L5
この学際性は、宗教という対象の多層性に起因する。宗教は、個人の内面的経験であると同時に、社会的制度であり、歴史的に変容する文化的体系であり、哲学的に検討されるべき知的内容でもある。いずれの側面も宗教の「本質」を構成する不可分の要素であり、単一の分析レベルに還元することはできない。
宗教学者ニニアン・スマートは、宗教の「七つの次元」(教義的、物語的、倫理的、儀礼的、経験的、制度的、物質的次元)を提示し、いかなる宗教伝統もこれらの次元の複合体として理解されるべきであると論じた。この多次元的理解は、宗教学の方法論的多元性を正当化するものである。それぞれの分野は、宗教の特定の次元を優先的に照射するが、いずれの単一の分野も宗教現象の全体を捉えることはできない。したがって、宗教学は諸分野の対話と統合によってこそ、その対象にふさわしい知的射程を獲得しうる。
まとめ¶
- 宗教学は神学と異なり、特定の信仰的前提を置かず、宗教現象を経験的・学際的に研究する学問であり、ヴェーバーの価値中立性(Wertfreiheit)の原則がその方法論的基盤の一つである。
- エティック/エミックの区別は、研究者の外部的分析と信仰者の内部的意味世界の緊張関係を分析する枠組みであり、インサイダー/アウトサイダー問題として宗教学の方法論論争の中核をなす。
- スマートの方法論的不可知論は宗教的真理主張の真偽に対する判断保留を、バーガーの方法論的無神論は宗教現象の社会的構成物としての分析を要求する。いずれも宗教研究における信仰と学問の関係を規律する方法論的原則である。
- 還元主義の問題は、宗教現象を社会的・心理的・認知的要因に還元する説明の妥当性と限界をめぐる論争であり、現代では多層的分析の必要性が認識されている。
- 宗教学は、宗教哲学・宗教社会学・宗教心理学・宗教人類学・宗教史学・比較宗教学・認知科学的宗教学などの諸分野から構成される学際的な知の領域であり、宗教という対象の多層性に対応した方法論的多元性をもつ。
Module 1-1全体の振り返り: 本モジュール「宗教学総論」では、宗教の定義問題(Section 1)、宗教学の成立と歴史的展開(Section 2)、日本の宗教学の固有の伝統(Section 3)、宗教の基本要素と分類(Section 4)、そして宗教学の方法論(本セクション)を扱ってきた。これらを通じて、宗教学という学問の全体像 — その対象、歴史、方法 — を概観した。
次のModule 1-2「宗教哲学の基礎」への接続: 本セクションで概観した宗教学の諸分野のうち、宗教哲学は概念分析と論理的論証を方法とする独自の分野である。次のモジュールでは、神の存在論証、悪の問題、宗教言語の意味論、信仰と理性の関係など、宗教哲学の基礎的主題を体系的に検討する。
用語集(Glossary)¶
| 用語 | 英語表記 | 定義 |
|---|---|---|
| 価値中立性 | Wertfreiheit | ヴェーバーが提唱した社会科学の方法論的原則。事実認識と価値判断の峻別を求める |
| エティック | etic | 文化外部の分析者の視点からの記述・分析。普遍的・比較可能な枠組みを用いる |
| エミック | emic | 文化内部の参与者の視点からの記述・分析。当該文化に固有の意味カテゴリーを用いる |
| 方法論的不可知論 | methodological agnosticism | スマートが提唱した宗教学の方法論的原則。宗教的真理主張の真偽について判断を保留する立場 |
| 方法論的無神論 | methodological atheism | バーガーが提唱した宗教社会学の方法論的原則。宗教現象を人間の社会的構成物として分析する立場 |
| 還元主義 | reductionism | 宗教現象をより基底的とされる社会的・心理的・生物学的要因に還元して説明する立場 |
| インサイダー/アウトサイダー問題 | insider/outsider problem | 宗教共同体の内部者と外部者のいずれの視点が宗教研究に適切かをめぐる方法論的論争 |
| 認知科学的宗教学 | cognitive science of religion (CSR) | 宗教的信念・実践の認知的基盤を進化心理学・認知科学の方法で研究する分野 |
| 最小反直観性 | minimal counterintuitiveness (MCI) | ボイヤーの理論。直観的存在論からわずかに逸脱する概念が文化的に伝達されやすいとする |
| 過敏な行為者検知装置 | Hypersensitive Agency Detection Device (HADD) | バレットの仮説。曖昧な刺激に対して意図的行為者を過剰に検知する認知的傾向 |
確認問題¶
Q1: 神学と宗教学の方法論的差異を説明し、ヴェーバーの価値中立性(Wertfreiheit)の概念が宗教学においてどのような意味をもつか論じよ。 A1: 神学は特定の宗教的伝統の内部に立ち、信仰内容の体系化・弁証を目的とするのに対し、宗教学は特定の信仰的前提を置かず宗教現象を経験的に研究する。ヴェーバーの価値中立性は、事実認識と価値判断の峻別を求める方法論的原則であり、宗教学においては特定宗教の真理性に関する判断を学問的分析から排除し、因果分析や構造分析に徹することを要求する。ただし、研究テーマの選択には研究者の価値関心が不可避的に介入するため、完全な価値排除ではなく自覚的な価値判断の統制が重要となる。
Q2: エティック/エミックの区別を宗教研究の具体例を用いて説明し、インサイダー/アウトサイダー問題との関連を述べよ。 A2: エティックは文化外部の分析者の視点による記述(例: 儀礼を「社会的結束強化の機能をもつ集団行為」として分析する)、エミックは文化内部の参与者の視点による記述(例: 同じ儀礼を「神との交わりの場」として経験する)を指す。宗教研究におけるインサイダー/アウトサイダー問題は、信仰者(インサイダー)が宗教的経験の生きられた意味に直接アクセスできる一方で客観的距離を欠く可能性があり、外部の研究者(アウトサイダー)が分析的距離を保てる一方で宗教経験の質的側面を理解しにくいという、双方の立場の認識論的利点と限界をめぐる論争である。現代ではこの二項対立を動的な往還過程として捉える方向に議論が進んでいる。
Q3: 方法論的不可知論(スマート)と方法論的無神論(バーガー)の共通点と相違点を整理せよ。 A3: 両者の共通点は、宗教的真理主張を学問的分析の前提としないこと、すなわち宗教の超越的次元を「括弧に入れる」点にある。相違点として、スマートの方法論的不可知論は宗教的真理主張の真偽について判断を保留し肯定も否定もしない中立的立場であるのに対し、バーガーの方法論的無神論はより積極的に宗教現象を人間の社会的構成物として分析する立場を採る。方法論的無神論には宗教的経験の超越的次元を不当に排除するリスクが指摘されており、宗教学全体では方法論的不可知論がより広く受容されているが、宗教社会学では方法論的無神論が有力な立場を維持している。
Q4: 宗教学における還元主義の論争を、具体的な還元主義的立場と反還元主義的立場をそれぞれ挙げて説明し、現代的な整理の方向性を述べよ。 A4: 還元主義的立場の例として、デュルケームによる宗教の社会的連帯への還元、フロイトによる宗教の心理的投影への還元、マルクスによる宗教のイデオロギー的上部構造への還元がある。反還元主義的立場として、オットーは宗教的経験が他に還元不可能な固有の質(ヌミノーゼ)をもつと主張し、エリアーデは宗教現象がそれ自体の次元で理解されるべきだと論じた。現代では、単一の説明レベルへの不当な縮減を批判しつつも、社会的・心理的・認知的メカニズムによる説明を当該レベルにおいて妥当なものとして許容する多層的分析の方向性が支持されている。
Q5: 宗教学が学際的な学問であることの意義を、宗教学を構成する諸分野を踏まえて論じよ。 A5: 宗教学は、宗教哲学(概念分析・論証)、宗教社会学(社会との相互関係)、宗教心理学(個人の経験・行動)、宗教人類学(文化的文脈)、宗教史学(歴史的展開)、比較宗教学(比較構造分析)、認知科学的宗教学(認知的基盤)などの諸分野から成る。宗教は個人の内面的経験であると同時に社会的制度・歴史的文化体系・哲学的検討対象でもあるため、単一の分析レベルに還元できない多層的な現象である。スマートの「七つの次元」論が示すように、各分野は宗教の特定の次元を照射するが、全体の把握には諸分野の対話と統合が不可欠である。この学際性こそが宗教学の方法論的多元性を正当化し、対象の多層性にふさわしい知的射程を可能にしている。