Module 2-2 - Section 2: 教義の展開と東西分裂・宗教改革¶
セクション情報¶
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| モジュール | Module 2-2: キリスト教 |
| 前提セクション | Section 1 |
| 想定学習時間 | 4時間 |
導入¶
Section 1 では原始キリスト教の成立からニカイア公会議(325年)における三位一体論の基礎確立までを扱った。本セクションでは、ニカイア以降の教義的精緻化、東西教会の分裂(1054年)、そして16世紀の宗教改革と対抗宗教改革に至るキリスト教の教義史と制度史を通観する。三位一体論・キリスト論・恩寵論という教義的基盤がいかに形成され、それが東西の分裂や宗教改革という制度的分岐にどう接続したかを理解することが、本セクションの主要な目的である。
教義の精緻化――三位一体論の完成¶
カッパドキア三教父¶
ニカイア公会議(325年)はアリウス派を退け、子(ロゴス)と父の「同質」(ホモウーシオス / homoousios)を宣言したが、聖霊の位置づけや「同質」概念の哲学的精密化は未完であった。これを完成に導いたのが、4世紀後半のカッパドキア三教父である。
Key Concept: カッパドキア三教父(Cappadocian Fathers) 大バシレイオス(Basil of Caesarea, c.330-379)、ナジアンゾスのグレゴリオス(Gregory of Nazianzus, c.329-390)、ニュッサのグレゴリオス(Gregory of Nyssa, c.335-c.395)の3人。小アジアのカッパドキア出身で、ギリシア哲学の方法をキリスト教神学に導入し、三位一体論の教義的完成に決定的な貢献を果たした。
彼らの神学的貢献の核心は、ウーシア(ousia / 本質・実体)とヒュポスタシス(hypostasis / 位格)の区別にある。三教父は、神は一つのウーシア(本質)において三つのヒュポスタシス(位格)として存在するという定式を確立した。すなわち、父・子・聖霊は同一の神的本質を共有しつつ、それぞれ固有の存在様態(固有性 / idiotes)をもつ。父は「不生」、子は「生まれ」、聖霊は「発出」という関係性によって区別される。この定式は、381年の第1コンスタンティノポリス公会議で正統教義として確認され、ニカイア・コンスタンティノポリス信条として結実した。
大バシレイオスは特に聖霊論を発展させ(『聖霊論』)、聖霊の神性を擁護した。ナジアンゾスのグレゴリオスは雄弁な「神学講話」で三位一体の教義を体系的に論じ、「神学者」(ho Theologos)の称号を得た。ニュッサのグレゴリオスはプラトン主義的哲学を援用し、無限なる神への人間の永遠の前進(エペクタシス / epektasis)という独自の概念を展開した。
キリスト論――二性一人格の確立¶
アレクサンドリア学派とアンティオキア学派¶
三位一体論の決着後、神学的論争の焦点は「キリストにおいて神性と人性はいかに結合するか」というキリスト論(Christology)へ移行した。この問題をめぐり、二つの神学的伝統が対立した。
アレクサンドリア学派は「受肉したロゴスの統一」を強調し、キリストにおける神性の主導的役割を重視した。代表者であるアレクサンドリアのキュリロス(Cyril of Alexandria, c.376-444)は「受肉した神の言葉の一つの本性」(mia physis tou theou logou sesarkomene)という表現を用いた。
一方、アンティオキア学派はキリストの完全な人性の実在を強調し、神性と人性の区別を明確に維持しようとした。コンスタンティノポリス総主教ネストリオス(Nestorius, c.386-c.450)は、聖母マリアを「神の母」(テオトコス / Theotokos)と呼ぶことに異議を唱え、「キリストの母」(クリストトコス / Christotokos)を提唱して論争を引き起こした。
カルケドン公会議(451年)¶
エフェソス公会議(431年)でネストリオスの立場が排斥された後、アレクサンドリアのエウテュケス(Eutyches, c.380-c.456)がキリストの神性による人性の吸収を主張する単性説(Monophysitism)を唱え、新たな論争が生じた。これを決着させたのがカルケドン公会議(451年)である。
Key Concept: カルケドン信条(Chalcedonian Definition) キリストは「一つの位格(prosopon / persona)において、混合されず(asynchytos)、変化されず(atreptos)、分割されず(adiairetos)、分離されず(achoristos)、二つの本性(神性と人性)において認識される」とする教義定式。いわゆる二性一人格(two natures in one person)の公式である。
カルケドン信条はアレクサンドリア学派とアンティオキア学派の両極端を退け、中間的な立場を定式化したものである。しかし、エジプト(コプト教会)、シリア、アルメニアなどではこの決定を「ネストリオス主義への後退」とみなす勢力が反発し、非カルケドン派(東方諸教会)として分離した。コプト正教会・シリア正教会・アルメニア使徒教会・エチオピア正教会などがこの系譜に属する。
原罪論と恩寵論――アウグスティヌスとペラギウス¶
西方教会においては、キリスト論とは異なる文脈で人間論(人間学的神学)が重要な論争主題となった。その核心が、アウグスティヌス(Augustine of Hippo, 354-430)とペラギウス(Pelagius, c.354-c.420)の間で展開された原罪論・恩寵論争である。
ペラギウスは、アダムの罪は個人の行為であり後代に遺伝しないと主張した。人間は自らの自由意志(liberum arbitrium)によって善を選択し、功徳を積むことで救いに至ることが可能であるとした。
これに対しアウグスティヌスは、アダムの原罪(peccatum originale)が全人類に遺伝的に継承され、人間本性は根本的に損傷を受けていると論じた。堕落した人間は自力で神の掟を遵守することができず、救いはもっぱら神の先行的恩寵(gratia praeveniens)によって可能となる。人間の自由意志は存在するが、恩寵なしには善に向かう力を持たない。
418年のカルタゴ公会議はペラギウス主義を異端と断じ、原罪・幼児洗礼の必要性・神の恩寵に関する教義を確立した。アウグスティヌスの恩寵論は西方キリスト教神学の基盤となり、後の宗教改革にも決定的な影響を及ぼした。ルターやカルヴァンがアウグスティヌスに深く依拠したことは周知の事実である。
東西教会の分裂¶
フィリオクェ問題¶
Key Concept: フィリオクェ(Filioque) ラテン語で「と子から」を意味する。ニカイア・コンスタンティノポリス信条において、聖霊の発出を「父から」(ex Patre)とする原文に対し、西方教会が「父と子から」(ex Patre Filioque)と付加した問題。三位一体論における東西の根本的な神学的相違を象徴する。
原初の信条では聖霊は「父から発出する」(ヨハネ福音書15:26に基づく)と告白されていた。6世紀頃から西方教会(特にスペインのトレド公会議、589年)でフィリオクェの挿入が始まり、やがてローマ教会全体に広がった。東方教会はこの挿入を公会議の承認なき信条改変として強く拒否した。
神学的には、西方の立場は父と子が共同で聖霊を発出させるという「二重発出」(double procession)を主張し、東方の立場は聖霊の発出源は父のみ(monopatrism)であり、子を経由するとしても「父から子を通して」(a Patre per Filium)という表現にとどまるとした。この差異は三位一体の内的構造に関わる根本問題であり、単なる語句の問題ではない。
1054年の大シスマ¶
フィリオクェ問題に加え、教会管轄権の問題(ローマ教皇の首位権 vs 五大総主教の合議制)、礼拝様式の差異(無酵母パンの使用、聖職者の婚姻可否など)が累積し、1054年にローマ教皇使節のフンベルトゥス枢機卿とコンスタンティノポリス総主教ミカエル・ケルラリオスが相互に破門を宣言した。これが東西教会の分裂(大シスマ / Great Schism)である。
この分裂は一日にして生じたのではなく、395年のローマ帝国の東西分裂以来の政治的・文化的・言語的(ラテン語圏 vs ギリシア語圏)乖離が数世紀にわたって蓄積した結果である。1204年の第4回十字軍によるコンスタンティノポリス略奪は、両教会間の関係を決定的に悪化させた。
東方正教会の神学的特質¶
Key Concept: テオーシス(theosis / 神化) 東方正教会の救済論の中心概念。人間が神の恩寵と協働により神の本性に与ること(ペトロ第二書簡1:4に基づく)。アタナシオスの「神が人となったのは、人が神となるためである」という命題に端的に表現される。西方の法的な義認論とは異なる、存在論的変容としての救済理解。
テオーシスの概念は2世紀のエイレナイオスに遡り、アタナシオス、カッパドキア三教父を経て、マクシモス証聖者(Maximus the Confessor, c.580-662)が体系化した。14世紀にはグレゴリオス・パラマス(Gregory Palamas, 1296-1359)が、神の本質(ousia)とエネルゲイア(energeia / 働き)を区別し、人間は神の本質そのものには与れないが、神のエネルゲイア(非被造の光)に参与することで神化されるとするパラマス神学を確立した。
イコン(eikon / 聖像画)もまた東方正教会の神学的特質を示す。8-9世紀の聖像破壊論争(イコノクラスム / Iconoclasm)を経て、第7回全地公会議(第2ニカイア公会議、787年)はイコンの崇敬を正統と認めた。イコン神学の論拠は、神が受肉してキリストとして可視的存在となった以上、その像を描くことは受肉の教義の帰結であるという点にある。「像に対する崇敬は原像に遡る」(プロティポンへの参照)という原理が確立された。
宗教改革¶
マルティン・ルター¶
16世紀の宗教改革は、中世末期のカトリック教会の制度的腐敗(聖職売買・贖宥状の濫用など)と、アウグスティヌス的恩寵論の再発見が結合して生じた宗教運動である。
マルティン・ルター(Martin Luther, 1483-1546)は、アウグスティヌス隠修修道会の修道士・ヴィッテンベルク大学の神学教授であった。ローマ書講義(1515-1516年)の中で「神の義」(iustitia Dei)の再解釈に到達し、義は神が人間に要求する基準ではなく、信仰を通じて人間に賦与される神の賜物であるという理解(いわゆる「塔の体験」Turmerlebnis)を得た。
1517年10月31日、ルターはヴィッテンベルク城教会の扉に『九十五箇条の論題』(Disputatio pro declaratione virtutis indulgentiarum)を掲示し、贖宥状(免罪符 / indulgentia)の効力に疑問を呈した。これが宗教改革の発端とされる。
Key Concept: 信仰のみ(sola fide)/ 聖書のみ(sola scriptura) ルター神学の二大原理。信仰のみは、人間の義認(神の前に正しいとされること)は善行・功績によらず、キリストへの信仰のみによるとする教義。聖書のみは、信仰と生活の唯一の規範は聖書であり、教会の伝統や教皇の教令はそれに従属するとする原理。
ルターはさらに万人祭司(Priestertum aller Gläubigen / priesthood of all believers)を主張し、聖職者と平信徒の本質的区別を否定した。すべての洗礼を受けた信者は等しく祭司的機能を有する。
ジャン・カルヴァン¶
Key Concept: 予定説(predestination) ジャン・カルヴァン(Jean Calvin, 1509-1564)の神学の核心的教義。神は永遠の昔から、ある者を救い(選び)、ある者を滅びに定めていると説く。人間の功績や行為は救いの条件ではなく、選びはもっぱら神の主権的意志による。いわゆる二重予定説(double predestination)。
カルヴァンはフランス生まれの第二世代改革者で、主著『キリスト教綱要』(Institutio Christianae Religionis, 初版1536年)で改革派神学を体系化した。1541年からジュネーヴで活動し、教会規律と市民生活を聖書に基づいて統合する神政政治的体制を構築した。教会の長老制(Presbyterianism)を導入し、長老と牧師の合議体が教会と社会を統治する仕組みを確立した。
カルヴァンの予定説はアウグスティヌスの恩寵論を徹底させたものであり、救いは完全に神の側のイニシアチブに帰せられる。この教説は後にドルト会議(1618-1619年)で「TULIP」(全的堕落・無条件的選び・限定的贖罪・不可抵抗的恩寵・聖徒の堅忍)として体系化される。カルヴァン主義は後にオランダ、スコットランド、イングランドのピューリタニズム、さらには北米植民地へと拡大した。
フルドリッヒ・ツヴィングリとチューリヒの改革¶
フルドリッヒ・ツヴィングリ(Huldrych Zwingli, 1484-1531)は、ルターとほぼ同時期にスイスのチューリヒで独自の宗教改革を推進した。1519年にチューリヒ大聖堂の司祭に就任し、聖書の連続講解説教を開始した。ツヴィングリはルターよりも徹底して聖像・聖画・オルガン・修道院制度・ミサの儀式を批判し、その廃止を実行した。
聖餐理解においてルターとツヴィングリは決定的に対立した。1529年のマールブルク会談(Marburger Religionsgespräch)では、ルターが聖餐のパンとぶどう酒にキリストが現実に臨在する(共在説)と主張したのに対し、ツヴィングリはこれを象徴と見なす(象徴説)立場を取り、両者の合意は不成立に終わった。
急進的宗教改革――再洗礼派¶
ツヴィングリの改革に満足しなかった急進派は、幼児洗礼を聖書に根拠がないとして否定し、信仰告白に基づく成人洗礼のみを有効とする立場を取った。1525年にチューリヒで最初の再洗礼が行われ、再洗礼派(アナバプテスト / Anabaptist)が成立した。
再洗礼派は国家と教会の分離、非暴力・平和主義、信者の自発的共同体としての教会を主張した。既存の政治秩序との摩擦から激しい迫害を受け、カトリック・プロテスタント双方から異端視された。後のメノナイト派やフッター派がこの系譜に属する。
対抗宗教改革(カトリック改革)¶
トリエント公会議(1545-1563年)¶
プロテスタント改革への対応として、カトリック教会は内部改革と教義的再確認を行った。その中心がトリエント公会議(Council of Trent)であり、1545年から1563年まで断続的に開催された。
公会議はプロテスタントの主張に対して以下の教義を再確認・定式化した:
- 義認論: 信仰のみ(sola fide)を否定し、信仰と善行の協働(synergism)による義認を主張
- 聖書と伝統: 聖書のみ(sola scriptura)を退け、聖書と使徒的伝承の双方を同等の権威として承認。聖書解釈権は教導権(Magisterium)に属する
- 秘跡: 7つの秘跡すべてを再確認
- 聖餐: 実体変化説(transsubstantiatio)を公式教義として再確認
- 煉獄: 煉獄の存在と死者のための祈りの有効性を確認
同時に、聖職売買の禁止、司教の管区居住義務、神学校(seminarium)設置による聖職者教育の制度化など、実質的な制度改革も断行した。
イエズス会¶
イグナティウス・デ・ロヨラ(Ignatius of Loyola, 1491-1556)は1534年にパリで同志とともにイエズス会(Societas Iesu)を結成し、1540年に教皇パウルス3世の認可を得た。イエズス会は教皇への絶対的服従、厳格な修練、高度な知的教育を特徴とし、トリエント公会議の改革精神を具体化する実行力を持った。
イエズス会はポーランド、ボヘミア、南ドイツなどでプロテスタントの拡大を阻止する「再カトリック化」に貢献するとともに、フランシスコ・ザビエル(Francisco de Xavier, 1506-1552)らによるアジア・アメリカ大陸への宣教活動を展開し、キリスト教の世界宗教化を推進した。
秘跡/サクラメント¶
Key Concept: 秘跡/サクラメント(sacrament) ラテン語 sacramentum に由来し、ギリシア語ミュステーリオン(mysterion / 機密)に対応する。神の恩寵が可視的なしるしを通じて伝達される儀礼行為。カトリック教会は7つの秘跡を認め、プロテスタント諸派は聖書に直接の根拠がある2つ(洗礼と聖餐)のみを認める。
カトリックの七つの秘跡とプロテスタントの二つのサクラメント¶
| 秘跡 | カトリック | プロテスタント |
|---|---|---|
| 洗礼(Baptism) | ○ | ○ |
| 聖餐/聖体(Eucharist) | ○ | ○ |
| 堅信(Confirmation) | ○ | × |
| 告解/ゆるし(Penance) | ○ | × |
| 病者の塗油(Anointing) | ○ | × |
| 叙階(Holy Orders) | ○ | × |
| 婚姻(Matrimony) | ○ | × |
プロテスタントが秘跡を2つに限定した根拠は、聖書においてキリスト自身が制定したと明確に読み取れる儀礼が洗礼と聖餐のみであるという判断にある。なお、プロテスタントでは「秘跡」ではなく「礼典」(ordinance)という呼称を用いる教派もある。
聖餐理解の諸類型¶
聖餐におけるキリストの臨在をめぐっては、教派間で大きく見解が分かれる。
| 教説 | 教派 | 内容 |
|---|---|---|
| 実体変化説(transsubstantiatio) | カトリック | パンとぶどう酒の実体(substantia)がキリストの体と血に変化する。外見(偶有性 / accidentia)は変わらない |
| 共在説(consubstantiatio) | ルター派 | パンとぶどう酒の実体はそのまま残りつつ、キリストの体と血が「パンとともに、パンの中に、パンの下に」共存する |
| 霊的臨在説 | カルヴァン派 | パンとぶどう酒は変化しないが、聖霊の働きにより信仰者はキリストの霊的臨在に与る |
| 象徴説(記念説) | ツヴィングリ派 | パンとぶどう酒はキリストの死を記念する象徴にすぎず、実在的臨在は生じない |
timeline
title キリスト教の主要な教義的分岐と制度的分裂
325 : ニカイア公会議(三位一体の基礎)
381 : 第1コンスタンティノポリス公会議(三位一体の完成)
431 : エフェソス公会議(ネストリオス排斥)
451 : カルケドン公会議(二性一人格)
: 非カルケドン派の分離(コプト・シリア・アルメニア)
589 : トレド公会議(フィリオクェ挿入の開始)
787 : 第2ニカイア公会議(イコン崇敬の承認)
1054 : 東西教会の大シスマ
1517 : ルターの九十五箇条(宗教改革の開始)
1525 : 再洗礼派の成立(チューリヒ)
1536 : カルヴァン『キリスト教綱要』初版
1545-1563 : トリエント公会議(対抗宗教改革)
まとめ¶
- カッパドキア三教父がウーシアとヒュポスタシスの区別により三位一体論を哲学的に精緻化し、381年の公会議で正統教義が確定した
- カルケドン公会議(451年)は二性一人格の公式を定式化したが、非カルケドン派の分離を招いた
- アウグスティヌスの原罪論・恩寵論はペラギウスを退けて西方教会の基盤となり、後の宗教改革に直結した
- 東西教会はフィリオクェ問題・首位権問題・文化的乖離の蓄積により1054年に分裂した
- 東方正教会はテオーシス(神化)を中心とする独自の救済論とイコン神学を発展させた
- 16世紀の宗教改革において、ルターは「信仰のみ」「聖書のみ」「万人祭司」を、カルヴァンは予定説と長老制を確立した
- 対抗宗教改革としてのトリエント公会議とイエズス会がカトリック教会の再建を推進した
- 秘跡/サクラメントの数と聖餐理解の相違は、教派間の神学的差異を象徴的に示している
- 次のセクション(Section 3)では、近現代のキリスト教の展開を扱う
用語集(Glossary)¶
| 用語 | 英語表記 | 定義 |
|---|---|---|
| カッパドキア三教父 | Cappadocian Fathers | バシレイオス、ナジアンゾスのグレゴリオス、ニュッサのグレゴリオスの3人の4世紀ギリシア教父。三位一体論の完成に貢献 |
| ウーシア | ousia | 本質・実体。三位一体論で神の一つの本質を指す |
| ヒュポスタシス | hypostasis | 位格。父・子・聖霊の三つの存在様態を指す |
| カルケドン信条 | Chalcedonian Definition | 451年にキリストの二性一人格を定式化した教義宣言 |
| 二性一人格 | two natures in one person | キリストが神性と人性を一つの位格において有するという教義 |
| 原罪 | original sin (peccatum originale) | アダムの罪が全人類に遺伝的に継承されるとする教義 |
| フィリオクェ | Filioque | 「と子から」。西方教会が信条に付加した聖霊の発出に関する語句 |
| テオーシス | theosis | 神化。東方正教会の救済論の中心概念で、人間が神の本性に与ること |
| イコン | eikon (icon) | 東方正教会で用いられる聖像画。神学的根拠は受肉の教義に基づく |
| 信仰のみ | sola fide | 義認は信仰のみによるとするルター派の原理 |
| 聖書のみ | sola scriptura | 聖書が信仰と生活の唯一の規範であるとするプロテスタントの原理 |
| 万人祭司 | priesthood of all believers | すべての信者が祭司的機能を有するとする教説 |
| 予定説 | predestination | 神が永遠の昔から救いと滅びを定めているとするカルヴァンの教義 |
| 再洗礼派 | Anabaptist | 幼児洗礼を否定し成人洗礼のみを認める急進的宗教改革の一派 |
| 秘跡 | sacrament | 神の恩寵が可視的しるしを通じて伝達される儀礼行為 |
| 実体変化説 | transsubstantiation | 聖餐のパンとぶどう酒がキリストの体と血に実体的に変化するとする教説 |
| 共在説 | consubstantiation | パンの実体が残りつつキリストの体が共存するとするルター派の教説 |
確認問題¶
Q1: カッパドキア三教父が導入した「ウーシア」と「ヒュポスタシス」の区別は、三位一体論のどのような問題を解決したか。また、この区別がなぜアリウス派論争の終結に寄与したのかを説明せよ。 A1: ニカイア公会議では父と子の「同質」(ホモウーシオス)が宣言されたが、「同質」が何を意味するかの哲学的精緻化が不十分であった。カッパドキア三教父は、神は一つのウーシア(本質)を共有しつつ三つのヒュポスタシス(位格)として存在するという定式を確立した。これにより、三位一体が三神論でも様態論でもなく、一つの本質における三つの位格の区別として整合的に説明可能となり、ニカイア信仰の教義的基盤が完成した。
Q2: カルケドン公会議が定めた「二性一人格」の公式における四つの否定的規定(混合されず、変化されず、分割されず、分離されず)はそれぞれどのような異端的立場を退けているか。 A2: 「混合されず」「変化されず」は、神性と人性が融合して一つの本性となるとするエウテュケスの単性説を退ける。「分割されず」「分離されず」は、キリストにおける神性と人性を過度に分離するネストリオス的立場を退ける。この四規定により、両極端を排しつつ、二つの本性が一人格において不可分かつ非混合に結合するという中道を定式化した。
Q3: アウグスティヌスの恩寵論がルターの宗教改革思想にどのように接続しているかを、ペラギウス論争との関係を踏まえて論ぜよ。 A3: アウグスティヌスはペラギウスの自由意志論を退け、人間は原罪により善に向かう力を喪失しており、神の先行的恩寵なしには義を達成できないと論じた。ルターはアウグスティヌス隠修修道会の修道士として彼の著作に深く親しみ、ローマ書講義を通じて「神の義」を信仰によって賦与される賜物として再解釈した。これが「信仰のみ」(sola fide)の原理であり、善行による功績を義認の条件とする中世カトリックの立場(半ペラギウス主義的傾向を含む)に対する根本的批判となった。
Q4: フィリオクェ問題が単なる語句の挿入問題にとどまらず、東西教会の三位一体理解の根本的相違を反映していることを説明せよ。 A4: 西方のフィリオクェは、聖霊が父と子の双方から発出するとし、父と子の共同的働きを強調する。これは三位一体の内的関係において父と子の間の対称性を重視する立場である。一方、東方は聖霊の発出源を父のみに帰し、父を三位一体の唯一の源泉・始原(モナルキア)として位置づける。この差異は三位一体における各位格の関係構造そのものに関わり、神論の基本的枠組みの相違を示している。
Q5: 聖餐におけるキリストの臨在をめぐる四つの立場(実体変化説・共在説・霊的臨在説・象徴説)の相違を整理し、それぞれの神学的前提を説明せよ。 A5: 実体変化説(カトリック)はアリストテレス的な実体/偶有性の形而上学に依拠し、パンの実体がキリストの体に変化すると主張する。共在説(ルター派)は実体変化を否定しつつも、「これはわたしの体である」というキリストの言葉を文字通りに受け取り、パンの実体とキリストの体が共存するとする。霊的臨在説(カルヴァン派)は物理的変化を否定するが、聖霊の働きにより信仰者がキリストの霊的な臨在に与ると主張する。象徴説(ツヴィングリ派)は「これはわたしの体を意味する」と解釈し、聖餐をキリストの死を記念する象徴的行為と位置づける。これらの相違は、聖書解釈の方法論、形而上学的前提、聖霊論の違いを反映している。