Module 2-2 - Section 3: 近現代の神学と主要教派¶
セクション情報¶
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| モジュール | Module 2-2: キリスト教 |
| 前提セクション | Section 1 |
| 想定学習時間 | 4時間 |
導入¶
宗教改革以降のキリスト教は、啓蒙思想・近代科学・産業革命・二度の世界大戦といった歴史的変動のなかで、絶えず自らの知的基盤を問い直してきた。18世紀末から20世紀にかけて展開した神学諸潮流は、「理性と信仰」「歴史と超越」「解放と救済」という根本的な緊張を軸に多様化し、それぞれの応答がカトリック・プロテスタント・正教会という三大伝統のなかで独自に結実した。本セクションでは、近現代の主要な神学思潮を時系列的に概観した上で、キリスト教主要教派の教義的・組織的相違を整理し、最後に終末論をめぐる学的論争を取り上げる。
近現代の神学潮流¶
自由主義神学(Liberal Theology)¶
Key Concept: 自由主義神学(Liberal Theology) 啓蒙思想を受容し、聖書を歴史批評的に読解しつつ、宗教の本質を教義体系ではなく人間の内的経験に求めた19世紀プロテスタント神学の潮流。
フリードリヒ・シュライアマハー(Friedrich Schleiermacher, 1768-1834)は「近代神学の父」と呼ばれる。彼は『宗教論』(Über die Religion, 1799)において、宗教の本質は教義でも道徳でもなく「絶対依存の感情」(das schlechthinnige Abhängigkeitsgefühl)にあると主張した。この立場は、宗教を「知」でも「行為」でもなく「感情」の領域に位置づけることで、啓蒙主義の理性的批判と科学的世界観から信仰を防御する戦略的意義をもった。
アドルフ・フォン・ハルナック(Adolf von Harnack, 1851-1930)はベルリン大学の教会史家として、教義の発展を「ギリシア精神によるキリスト教の変質」として捉えた。『キリスト教の本質』(Das Wesen des Christentums, 1900)では、イエスの福音の核心を「神の父性」「人間の魂の無限の価値」「愛の戒め」の三点に還元し、教会の制度的・教義的発展をそこからの逸脱と見なした。
自由主義神学は聖書の歴史批評を推進し、近代的学問としての神学の基礎を築いた功績がある一方、第一次世界大戦における「知識人の宣言」(1914年、ハルナックを含む93人のドイツ知識人がドイツの戦争遂行を正当化)は、文化と福音を同一視する危険性を露呈させた。
弁証法神学(Dialectical Theology)¶
Key Concept: 弁証法神学(Dialectical Theology) カール・バルトを中心に第一次世界大戦後に興った神学運動。神を人間の文化・理性・経験から根本的に区別される「全き他者」として再定位し、自由主義神学の文化プロテスタンティズムを批判した。
カール・バルト(Karl Barth, 1886-1968)は、スイスの牧師時代に第一次世界大戦の勃発とドイツの自由主義神学者たちの戦争支持を目の当たりにし、自由主義神学と決別した。1919年に初版、1922年に全面改稿された『ローマ書講解』(Der Römerbrief)は、20世紀プロテスタント神学の転換点となった。
バルトの思想の核心は「神の全き他者性」(die gänzliche Andersheit Gottes)にある。神は人間の文化・宗教・理性のいかなる延長線上にも到達し得ない。人間は神について語ることができないにもかかわらず、神について語る責任を負う。この根本的な緊張(「否」と「然り」の弁証法)が「弁証法神学」の名の由来である。「危機の神学」(Theologie der Krise)とも呼ばれるのは、神の言葉が人間のあらゆる自己理解を「危機」(krisis = 裁き)に晒すからである。
バルトはその後、主著『教会教義学』(Kirchliche Dogmatik, 1932-1967, 全13巻・未完)において、神学的方法をキリスト論的に徹底した。あらゆる神認識はイエス・キリストにおける神の自己啓示に基づくという立場から、自然神学(人間の理性による神認識)を否定した。
実存主義神学¶
自由主義神学と弁証法神学の対抗のなかから、実存主義哲学を神学的に応用する二つの重要な試みが生まれた。
パウル・ティリッヒ(Paul Tillich, 1886-1965)は「相関の方法」(method of correlation)を提唱した。これは、人間の実存的状況から生じる問い(有限性、疎外、不安など)と、キリスト教的啓示に含まれる答えとを組織的に対応させる方法論である。ティリッヒは神を「存在そのもの」(Being-itself)あるいは「存在の根拠」(Ground of Being)と規定し、神を「一つの存在者」として対象化する有神論を批判した。主著『組織神学』(Systematic Theology, 1951-1963, 全3巻)はこの方法に基づく体系的展開である。
Key Concept: ケリュグマ(Kerygma / 宣教) 新約聖書が伝達する本来的な「宣教の言葉」。ブルトマンは、聖書の神話的表象と宣教の核心(ケリュグマ)を区別し、前者を実存論的に再解釈することを提唱した。
ルドルフ・ブルトマン(Rudolf Bultmann, 1884-1976)は新約聖書学者として様式史批評を発展させるとともに、1941年の論文「新約聖書と神話論」(Neues Testament und Mythologie)で非神話化(Entmythologisierung / demythologization)のプログラムを提唱した。
Key Concept: 非神話化(Entmythologisierung / demythologization) 新約聖書の神話的世界像(三層宇宙観、悪霊、奇跡など)を除去するのではなく、その背後にある実存的意味を解釈によって取り出す解釈学的方法。ハイデガーの実存論的分析を援用する。
ブルトマンの主張の要点は以下の通りである。現代人に三層構造の宇宙観(天・地・地下)を前提とする新約聖書の神話的世界像を受容せよと要求することはもはやできない。しかし神話を単に削除するのではなく、神話が本来表現しようとしていた実存的自己理解を解釈学的に取り出すべきである。すなわち、ケリュグマへの信仰において人間は「非本来的実存」から「本来的実存」へと移行する決断を迫られる。このプログラムはドイツ神学界に激烈な論争を引き起こし、賛否両論は『ケリュグマと神話』(Kerygma und Mythos, 1952)に集成された。
解放の神学(Liberation Theology)¶
Key Concept: 解放の神学(Liberation Theology) 1960-70年代のラテンアメリカを起源とし、キリスト教信仰を社会的・政治的抑圧からの解放と結びつける神学運動。神学的営みの出発点を「貧者の現実」に置く。
グスタボ・グティエレス(Gustavo Gutiérrez, 1928-2024)は、1971年の『解放の神学』(Teología de la liberación)において、救済を純粋に霊的な事柄とみなす伝統的理解を批判し、神の救済は歴史内の具体的な解放(政治的・経済的・社会的)と不可分であると論じた。
「貧者の優先的選択」(opción preferencial por los pobres)は、1968年のメデジン(Medellín)司教会議と1979年のプエブラ(Puebla)司教会議を経てラテンアメリカ教会の公式的立場となった概念である。これは慈善的施しではなく、貧困層の視点から社会構造そのものを変革するという方法論的・認識論的原則を意味する。
解放の神学はバチカンから批判も受けた。教理省長官ヨーゼフ・ラッツィンガー(後の教皇ベネディクト16世)は1984年の訓令で、マルクス主義の無批判的受容を警告した。しかし2013年に就任した教皇フランシスコはグティエレスの貢献を積極的に評価し、この神学の核心的洞察を再び正面から受容する姿勢を示した。
フェミニスト神学(Feminist Theology)¶
フェミニスト神学は、キリスト教の伝統に埋め込まれた家父長制的構造を批判的に分析し、女性の完全な人間性を神学的規範として再構築を図る運動である。
ローズマリー・ラドフォード・リューサー(Rosemary Radford Ruether, 1936-2022)は『性差別と神の語り』(Sexism and God-Talk, 1983)において、「女性の完全な人間性を促進するものは聖なるものであり、それを損なうものは救済的ではない」という批判的原理を提示した。さらにエコフェミニズムの先駆者として、女性の従属と自然の搾取が同一の家父長制的二元論に根差すことを論じた。
エリザベス・シュスラー・フィオレンツァ(Elisabeth Schüssler Fiorenza, 1938-)は『彼女を記念して』(In Memory of Her, 1983)において、新約聖書の背後に女性たちが積極的な役割を果たした初期キリスト教共同体を歴史的に再構成した。彼女が開発した「疑いの解釈学」(hermeneutics of suspicion)は、聖書テクストの背後にある家父長制的編集を批判的に読み解く方法論として広く受容されている。また、「キリアルキー」(kyriarchy)の概念を造語し、性差別のみならず階級・人種・植民地支配を含む複合的支配構造を分析する枠組みを提供した。
第二バチカン公会議とカトリックの近代化¶
第二バチカン公会議(Concilium Vaticanum II, 1962-1965)は、教皇ヨハネ23世が「アジョルナメント」(aggiornamento = 現代化)を掲げて召集した公会議であり、カトリック教会の自己理解と世界との関係を根本的に転換させた。
主要文書と改革内容は以下の通りである。
| 文書名 | ラテン語題名 | 主な内容 |
|---|---|---|
| 典礼憲章 | Sacrosanctum Concilium | 各国語によるミサ挙行の許可、信徒の積極的参加 |
| 教会憲章 | Lumen Gentium | 教会を法的制度ではなく「神の民」として再定義、司教団体制の強調 |
| 現代世界憲章 | Gaudium et Spes | 教会と現代世界の対話、信教の自由の肯定 |
| エキュメニズムに関する教令 | Unitatis Redintegratio | プロテスタント・正教会との対話推進 |
| 諸宗教宣言 | Nostra Aetate | 非キリスト教諸宗教への肯定的評価、反ユダヤ主義の否定 |
第二バチカン公会議は、カトリック教会が近代世界との対決から対話へと転じた画期的事件であり、典礼改革(ラテン語から各国語へ、祭壇の向きの変更、信徒の積極的参与)は信徒の日常的礼拝体験を一変させた。
主要教派の比較¶
graph TD
A[初代教会] --> B[東西分裂 1054年]
B --> C[ローマ・カトリック教会]
B --> D[東方正教会]
C --> E[宗教改革 16世紀]
E --> F[ルーテル派]
E --> G[改革派 / カルヴァン派]
E --> H[英国国教会]
F --> I[メソジスト]
H --> I
E --> J[バプテスト]
I --> K[ペンテコステ派]
J --> K
カトリック教会¶
カトリック教会の教義的特徴は以下の諸点に集約される。
教皇の首位権と不可謬性: ローマ司教(教皇)はペトロの後継者として全教会に対する最高の裁治権をもつ。第一バチカン公会議(1870)で定義された教皇不可謬性(infallibilitas)は、教皇が「聖座から」(ex cathedra)信仰と道徳に関する教義を定義する際、聖霊の助けにより誤りから保護されることを意味する。
使徒的継承(successio apostolica): 司教の叙階は使徒たちからの途切れない按手の連鎖を通じて伝えられるとされ、聖職の正統性の基盤となる。
七つの秘跡(sacramenta): 洗礼、堅信、聖体、ゆるし、病者の塗油、叙階、婚姻の七つを秘跡として認める。特に聖体の秘跡において、パンとぶどう酒がキリストの体と血に実体変化する(全質変化 / transsubstantiatio)と教える。
マリア論: 無原罪の御宿り(Immaculata Conceptio, 1854年定義)と聖母の被昇天(Assumptio, 1950年定義)はカトリック固有の教義である。
プロテスタント諸派¶
| 教派 | 創始者 / 起源 | 教義的特徴 | 教会政治 |
|---|---|---|---|
| ルーテル派 | マルティン・ルター(1517) | 信仰義認(→ Section 1)、二王国論(世俗と霊的統治の区別)、聖餐における実在的臨在 | 監督制が多い |
| 改革派 | ジャン・カルヴァン(1530年代) | 予定説(二重予定)、神の主権の強調、規律ある共同体 | 長老制 |
| 英国国教会 | ヘンリー8世の離反(1534) | via media(カトリックとプロテスタントの中道)、39箇条信仰箇条、典礼の重視 | 監督制 |
| メソジスト | ジョン・ウェスレー(18世紀) | 聖化論(sanctification、信仰者の漸進的な道徳的完成)、社会的実践の強調 | 監督制 |
| バプテスト | 17世紀英国分離派 | 信者の洗礼(幼児洗礼の拒否)、万人祭司、政教分離 | 会衆制 |
| ペンテコステ派 | 1906年アズサ・ストリート・リバイバル | 聖霊のバプテスマ、異言(glossolalia)、神癒、カリスマ的礼拝 | 会衆制が多い |
ルーテル派の「二王国論」(Zwei-Reiche-Lehre)は、神が世俗の統治(法と秩序)と霊的な統治(福音と恩寵)という二つの領域を通じて世界を統べるという教説であり、政教関係の理論的基盤を提供した。
改革派の「予定説」(praedestinatio)は、カルヴァンが『キリスト教綱要』(Institutio Christianae Religionis)で体系化したものであり、神が永遠の昔に一部の人間を救済に、一部を滅びに予定したとする(二重予定説)。この教説はウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」における世俗内禁欲論の前提としても知られる。
ペンテコステ派は20世紀に最も急速に拡大した教派であり、使徒行伝2章の聖霊降臨(ペンテコステ)の経験の再現を重視する。現在グローバル・サウスを中心に6億人以上の信徒を擁するとされ、キリスト教の人口動態を大きく変えつつある。
東方正教会¶
東方正教会は1054年の東西教会分裂(大シスマ)以降、ローマから独立した教会群であり、コンスタンティノープル総主教を「同等者の中の首位」(primus inter pares)として尊重する。
テオーシス(Theosis / 神化): 東方正教会の救済論の中心概念であり、「神が人となったのは、人が神となるためである」(アタナシオスに帰される定式)に要約される。これは人間が神の「本質」(ousia)に参与するのではなく、神の「非被造のエネルゲイア」(energeia)に与ることで、被造物としての身分を保ちつつ神的生命を分かち合うことを意味する。グレゴリオス・パラマス(14世紀)が定式化した本質(ousia)とエネルゲイア(energeia)の区別はこの教説の哲学的基盤をなす。
イコン(eikon / 聖画像): 東方正教会の霊性においてイコンは「書かれざる神学」であり、神の受肉の教義的帰結として位置づけられる。8-9世紀の聖像破壊論争(Iconoclasm)を経て、第二ニカイア公会議(787年)がイコンの崇敬(veneratio、崇拝 adoratio との区別に注意)を正統と宣言した。イコンに対する崇敬は、その原型(描かれた聖人やキリスト自身)に向けられるとされる。
典礼の中心性: 東方正教会において典礼(リトゥルギア)は神学そのものの場である。ビザンティン典礼における「聖金口イオアンの聖体礼儀」は礼拝の中核をなし、信者は聖体拝領を通じてテオーシスの過程に与る。「神学者とは祈る者である」という格言が示すように、正教の神学は学問的思弁以前に典礼的経験を基盤とする。
終末論(Eschatology)¶
Key Concept: 終末論(Eschatology) ギリシア語 eschaton(最後のもの)に由来し、神の国の到来、歴史の終末、死後の運命など「究極的事柄」を扱う神学的主題。
20世紀の新約聖書学において、イエスの終末論的メッセージをどう理解するかは根本的な論争点であった。
アルベルト・シュヴァイツァー(Albert Schweitzer, 1875-1965)は『イエスの生涯の研究史』(Geschichte der Leben-Jesu-Forschung, 1906)において、イエスは神の国の差し迫った到来を文字通り期待しており、その期待は実現しなかった(「徹底的終末論」、konsequente Eschatologie)と論じた。この結論は、19世紀の自由主義神学が描いた「倫理の教師としてのイエス」像を根底から覆した。
C・H・ドッド(C. H. Dodd, 1884-1973)は「実現された終末論」(realized eschatology)を提唱した。ドッドによれば、イエスが「神の国は近づいた」と宣言したとき、それは将来の出来事の予告ではなく、イエスの宣教活動そのものにおいて神の国がすでに到来したことの宣言であった。終末論的出来事は未来に先送りされるのではなく、イエスの人格と活動において「実現された」のである。
この二つの極端な立場の間に、多くの折衷的見解が展開された。代表的なのはオスカー・クルマン(Oscar Cullmann)の「すでに、しかしまだ」(already, but not yet)という定式であり、神の国はイエスにおいて決定的に始まったが、完全な成就は将来の終末を待つとする。現代の新約聖書学ではこの「中間的」立場が最も広く支持されている。
まとめ¶
- 近現代の神学史は、啓蒙主義以降の知的状況にキリスト教がどう応答するかという問いの連続的展開として理解できる。シュライアマハーの宗教的経験への転回、バルトの神の超越性への回帰、ブルトマンの実存論的再解釈、解放の神学の社会的実践への志向は、それぞれ異なる応答の型を示す。
- 主要教派の相違は、教権構造(教皇制・監督制・長老制・会衆制)、秘跡理解(七つ vs 二つ)、救済論(功績・信仰義認・テオーシス)の三つの軸で整理できる。
- 終末論は、イエスのメッセージの核心をどう理解するかという新約聖書学の根本問題であり、「徹底的終末論」と「実現された終末論」の間の緊張は現在も解消されていない。
- Module 2-2全体を通じて、キリスト教は新約聖書の成立、教義の確定、中世の制度化、宗教改革による分裂、近現代の多様な神学的応答という重層的な歴史をもつことが確認された。次のModule 2-3「イスラーム」では、キリスト教と同じアブラハムの伝統に属しつつ独自の啓示理解と法体系を発展させたイスラームの成立・教義・展開を扱う。
用語集(Glossary)¶
| 用語 | 英語表記 | 定義 |
|---|---|---|
| 自由主義神学 | Liberal Theology | 啓蒙思想を受容し宗教の本質を内的経験に求めた19世紀プロテスタント神学の潮流 |
| 弁証法神学 | Dialectical Theology | バルトを中心に神の全き他者性を強調し自由主義神学を批判した神学運動 |
| 非神話化 | Entmythologisierung / Demythologization | 新約聖書の神話的表象の背後にある実存的意味を解釈学的に取り出す方法 |
| ケリュグマ | Kerygma | 新約聖書が伝達する宣教の核心的メッセージ |
| 相関の方法 | Method of Correlation | ティリッヒが提唱した実存的問いと啓示的答えを対応させる神学的方法論 |
| 解放の神学 | Liberation Theology | 貧者の現実を出発点とし信仰と社会的解放を結びつける神学運動 |
| 貧者の優先的選択 | Preferential Option for the Poor | 貧困層の視点から社会構造を変革するという認識論的・方法論的原則 |
| アジョルナメント | Aggiornamento | 第二バチカン公会議の標語、教会の現代化を意味する |
| テオーシス | Theosis / Deification | 東方正教会の救済論の中核。人間が神の非被造のエネルゲイアに与ること |
| 終末論 | Eschatology | 神の国の到来や歴史の終末など究極的事柄を扱う神学的主題 |
| 実現された終末論 | Realized Eschatology | ドッドが提唱した、神の国がイエスの宣教において既に到来したとする見解 |
| キリアルキー | Kyriarchy | シュスラー・フィオレンツァが造語した性・階級・人種を含む複合的支配構造の概念 |
確認問題¶
Q1: シュライアマハーが宗教の本質を「絶対依存の感情」と規定したことの戦略的意義を、啓蒙主義との関連で説明せよ。 A1: 啓蒙主義は宗教を理性的検証の対象とし、教義や奇跡の非合理性を批判した。シュライアマハーは宗教を「知」でも「行為」でもなく「感情」の独自領域に位置づけることで、科学的・理性的批判が宗教の本質に及ばないことを論証しようとした。これにより、宗教は科学と競合する知識体系ではなく、人間存在の根源的次元として再定位された。
Q2: バルトの弁証法神学が自由主義神学から決別した歴史的契機と、その神学的帰結を述べよ。 A2: 直接的な契機は第一次世界大戦開戦時に自由主義神学者たち(ハルナック含む)がドイツの戦争遂行を支持したことである。バルトはこれを、文化と福音を同一視する自由主義神学の帰結と見なし、神を人間の文化・理性・経験から根本的に区別される「全き他者」として再定位した。神学的帰結として、人間の側からの神認識(自然神学)の否定と、キリストにおける神の自己啓示のみを神学の出発点とする立場が確立された。
Q3: ブルトマンの「非神話化」は新約聖書の神話を「除去」することとどう異なるか。 A3: 非神話化は神話の単純な削除ではなく、神話的表象が本来表現しようとしていた実存的自己理解を解釈学的に取り出す操作である。たとえば復活の記述を単に非歴史的として排除するのではなく、その記述が信仰者に迫る実存的決断(非本来的実存から本来的実存への移行)の表現として再解釈する。ブルトマンはハイデガーの実存分析を援用し、ケリュグマへの応答としての信仰の決断こそが新約聖書のメッセージの核心であると主張した。
Q4: カトリック・プロテスタント・東方正教会の救済論における根本的相違を、「功績」「信仰義認」「テオーシス」の三つの概念を用いて説明せよ。 A4: カトリックでは、恩寵と人間の自由意志の協働により功績(meritum)が蓄積され、秘跡を通じて恩寵が注入されることで救済に至る。プロテスタント(特にルター派・改革派)では信仰義認(sola fide)が強調され、人間の行為や功績ではなく信仰のみによって神の前に義とされる。東方正教会ではテオーシス(神化)が救済論の中心であり、人間が神の非被造のエネルゲイアに与ることで漸進的に神的生命を分かち合う過程として救済が理解される。カトリックが法的・制度的、プロテスタントが法廷的(義認の宣言)、正教が存在論的(存在の変容)な救済理解を示す点が根本的な相違である。
Q5: シュヴァイツァーの「徹底的終末論」とドッドの「実現された終末論」の対立点を整理し、現代の新約聖書学における折衷的見解の内容を述べよ。 A5: シュヴァイツァーはイエスが神の国の差し迫った到来を文字通り期待しており、それは実現しなかったと論じた(未来的終末論の徹底)。ドッドはイエスの宣教においてすでに神の国は到来しており、終末は実現済みであると主張した。現代の折衷的見解の代表はクルマンの「すでに、しかしまだ」(already, but not yet)の定式であり、神の国はイエスの到来において決定的に開始されたが、その完全な成就は将来の終末を待つとする。この「中間的」立場が現在最も広い支持を得ている。