Module 2-3 - Section 1: クルアーン・ハディースとイスラーム法学¶
セクション情報¶
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| モジュール | Module 2-3: イスラーム |
| 前提セクション | なし |
| 想定学習時間 | 5時間 |
導入¶
イスラームは、7世紀アラビア半島に興った一神教であり、神(アッラー)がムハンマドを通じて人類に啓示した教えに基づく。その教義と実践の根幹をなすのが、聖典クルアーン、預言者の言行録であるハディース、そしてこれらから導出されるイスラーム法(シャリーア)の体系である。本セクションでは、ムハンマドの生涯とクルアーンの成立過程から出発し、クルアーン学・ハディース学の基本構造を概観した上で、イスラーム法学(フィクフ)の法源論と四大法学派、さらにムスリムの信仰生活の基盤となる五行(五柱)までを体系的に扱う。
ムハンマドの生涯とクルアーンの成立¶
Key Concept: ウンマ(umma / イスラーム共同体) ムハンマドがメディナにおいて形成した信仰に基づく共同体。血縁・部族を超えた信仰共同体という原理は、以後のイスラーム世界の社会編成の基本原理となった。
預言者ムハンマドの生涯¶
ムハンマド(Muhammad, 570頃-632)は、メッカのクライシュ族ハーシム家に生まれた。幼くして両親を失い、叔父アブー・ターリブのもとで育った。25歳頃に裕福な商人の寡婦ハディージャと結婚し、商業に従事した。
610年頃、メッカ近郊のヒラー山の洞窟で瞑想中に、天使ジブリール(ガブリエル)を通じて最初の啓示を受けた。これがクルアーン第96章「凝血」冒頭の「読め(イクラア)、創造したおまえの主の御名において」である。以後、約23年間にわたり断続的に啓示が下され続けた。
メッカでの布教は多神教を奉じるクライシュ族の激しい抵抗を招き、622年、ムハンマドと信徒たちはメディナ(ヤスリブ)に移住した。この移住をヒジュラ(hijra / 聖遷)と呼び、イスラーム暦(ヒジュラ暦)の紀元とされる。メディナにおいてムハンマドは、宗教指導者であると同時に政治的・軍事的指導者として共同体(ウンマ)を形成し、「メディナ憲章」と呼ばれる共同体規約を定めた。
630年にメッカを征服し、カアバ神殿から偶像を排除して一神教の聖所として再奉献した。632年、最後の巡礼(「別れの巡礼」)を行った後、メディナで死去した。
クルアーンの啓示と編纂¶
ムハンマドの生前、啓示はムハンマドの口述を弟子たちが記憶し、ヤシの葉・獣骨・革片などに書き留める形で保存されていた。ムハンマドの死後、初代正統カリフのアブー・バクル(在位632-634)の時代に、リッダ戦争(棄教者との戦争)でクルアーンの暗記者(ハーフィズ)が多数戦死したことを受け、ムハンマドの秘書であったザイド・イブン・サービトを中心に最初の編纂が行われた。
第3代正統カリフのウスマーン・イブン・アッファーン(在位644-656)は、イスラームの版図拡大に伴いクルアーンの朗誦に地域差が生じたことを憂慮し、650年頃に再びザイドを中心とする委員会にクルアーンの統一版の編纂を命じた。これが「ウスマーン版(ムスハフ)」であり、正典として各地に送付されるとともに、それ以外の写本は焼却された。現存するクルアーンのテキストはすべてこのウスマーン版に基づく。
メッカ期とメディナ期¶
クルアーンの各章(スーラ)は、ヒジュラ(622年)を境にメッカ期(マッキー)とメディナ期(マダニー)に大別される。両期の特徴は以下のように整理できる。
| 特徴 | メッカ期(マッキー) | メディナ期(マダニー) |
|---|---|---|
| 期間 | 610年頃-622年 | 622年-632年 |
| 章数 | 約86章 | 約28章 |
| 章の長さ | 短い章が多い | 長い章が多い |
| 主な内容 | 神の唯一性、終末論、道徳的勧告 | 法制的規定、社会規範、共同体の規律 |
| 文体 | 韻律的・詩的・情熱的 | 散文的・説明的 |
| 対象 | メッカの多神教徒への布教 | ムスリム共同体の統治 |
クルアーン学¶
Key Concept: クルアーン(Qurʾān) イスラームの聖典。アラビア語で「朗誦されるもの」を意味し、神(アッラー)が天使ジブリールを通じてムハンマドに啓示した言葉そのものとされる。ムスリムにとってクルアーンはアラビア語の原文が神の言葉であり、翻訳は「意味の解釈」にすぎないと位置づけられる。
クルアーンの構成¶
クルアーンは全114章(スーラ, sūra)から構成される。各スーラは複数の節(アーヤ, āya, 複数形 āyāt)で構成され、全体で約6,236節を数える。スーラの配列は啓示の時系列順ではなく、おおむね長いスーラが前、短いスーラが後ろに置かれている。ただし第1章「開端(アル=ファーティハ)」は7節の短い章ながら冒頭に置かれ、礼拝で繰り返し朗誦される特別な位置を占める。
各スーラの冒頭には「バスマラ」(「慈悲深く慈愛あまねき神の御名において」)が付されている(第9章「悔悟」を除く)。一部のスーラの冒頭には「切り離された文字」(ムカッタアート, ḥurūf muqaṭṭaʿa)と呼ばれる単独のアラビア文字列が置かれており、その意味は伝統的に「神のみが知る」とされ、学術的にも定説がない。
タフスィール(クルアーン解釈学)¶
タフスィール(tafsīr)はクルアーンの意味を解明する学問であり、イスラーム諸学の中で最も重要な分野の一つとされる。解釈方法は大きく二つに分類される。
伝承による解釈(tafsīr bi-l-maʾthūr) は、クルアーンをクルアーン自身によって、またスンナ(ムハンマドの言行)、教友(サハーバ)の見解、後続世代(ターピウーン)の見解によって解釈する方法である。イブン・カスィール(1301-1373)の『タフスィール・アル=クルアーン・アル=アズィーム』はこの方法の代表的著作である。
理性による解釈(tafsīr bi-l-raʾy) は、アラビア語学・修辞学・法学等の学術的知識と理性的推論を用いて解釈する方法である。ザマフシャリー(1075-1144)の『アル=カッシャーフ』が代表的である。ただし、個人的恣意に基づく解釈は忌避され、学術的素養に裏付けられた解釈のみが許容される。
クルアーンの朗誦と不可模倣性¶
タジュウィード(tajwīd) は、クルアーンを正確かつ美しく朗誦するための音韻規則の体系である。各文字の発音部位(マフラジュ)、同化(イドガーム)、鼻音化(グンナ)、延長(マッド)等の精緻な規則が体系化されており、クルアーンの口頭伝承の正確性を支えてきた。
イジャーズ(iʿjāz) はクルアーンの「不可模倣性」を指す概念であり、クルアーンの文体的卓越性は人間の能力では模倣不可能であるという教義的主張である。クルアーン自身がこの挑戦(タハッディー)を提示しており(第2章23節等)、これはクルアーンの神的起源を証する根拠とされる。
ハディース学¶
Key Concept: ハディース(ḥadīth) 預言者ムハンマドの言葉(カウル)、行為(フィアル)、黙認(タクリール)の記録。クルアーンに次ぐ第二の法源であり、イスラーム法の具体的適用において不可欠な役割を果たす。
ハディースの構造¶
各ハディースは二つの要素から構成される。
- イスナード(isnād / 伝承の連鎖): 「AがBから聞いた。BはCから聞いた。CはDから聞いた。Dは預言者が…と言ったと伝えた」という形式の伝承者の連鎖。この連鎖の信頼性がハディース全体の真正性評価の基本的基準となる。
- マトン(matn / 本文): ムハンマドの実際の言葉や行為の記述部分。
イスナードの分析こそがハディース学の核心であり、各伝承者の信頼性(正義・アダーラ)、記憶力(精確さ・ダブト)、連鎖の連続性(イッティサール)などが厳密に検証される。このための学問が「伝承者批評学(イルム・アッ=リジャール)」である。
ハディースの真正性評価¶
ハディースは信頼性の程度に応じて以下の三段階に大別される。
| 等級 | アラビア語 | 定義 |
|---|---|---|
| 真正 | サヒーフ(ṣaḥīḥ) | 伝承者の連鎖が途切れず、各伝承者が公正で記憶力に優れ、異伝や隠れた欠陥がないもの |
| 良好 | ハサン(ḥasan) | サヒーフの条件をほぼ満たすが、伝承者の記憶力がやや劣るもの |
| 弱い | ダイーフ(ḍaʿīf) | 伝承者の連鎖に断絶があるか、伝承者の信頼性に問題があるもの |
ダイーフの中にもさまざまな等級があり、伝承者の連鎖が完全に欠落しているもの(ムルサル)、伝承者が虚偽を行ったとされるもの(マウドゥーウ=捏造)等の下位分類が存在する。
六大ハディース集(クトゥブ・アッ=シッタ)¶
スンナ派において最も権威あるハディース文献は「六大ハディース集」(al-Kutub al-Sitta)と総称される六つの編纂書である。
| 書名 | 編纂者 | 年代 | 特徴 |
|---|---|---|---|
| サヒーフ・アル=ブハーリー | ブハーリー | 810-870 | 最も権威ある真正集。約60万のハディースから約2,700余を厳選 |
| サヒーフ・ムスリム | ムスリム・イブン・アル=ハッジャージュ | 817/821-875 | ブハーリーに次ぐ権威。体系的な配列に優れる |
| スナン・アブー・ダーウード | アブー・ダーウード | 817-888 | 法学的観点からのハディース収集に特化 |
| ジャーミウ・アッ=ティルミズィー | ティルミズィー | 824-892 | 法学派間の見解の相違にも言及 |
| スナン・イブン・マージャ | イブン・マージャ | 824-887 | 六書の中では信頼性の点で議論がある |
| スナン・アン=ナサーイー | ナサーイー | 830-915 | 伝承者批評が厳格で信頼性が高い |
ブハーリーとムスリムの二書は特に「二真正集(アッ=サヒーハイン)」と呼ばれ、クルアーンに次ぐ最も信頼される文献とされる。
イスラーム法学(フィクフ)¶
Key Concept: シャリーア(sharīʿa / イスラーム法) アラビア語で「水場へ至る道」を原義とし、神が人間に示した正しい生き方の道を意味する。クルアーンとスンナに基づく包括的な規範体系であり、礼拝から商取引、刑罰まで人間生活のあらゆる側面を規律する。シャリーアの具体的な法規範を学問的に導出する営みがフィクフ(fiqh / 法学)である。
法源の四原則(ウスール・アル=フィクフ)¶
イスラーム法学における法源論(uṣūl al-fiqh)は、法規範を導出するための方法論を体系化した学問である。シャーフィイー(767-820)が『アル=リサーラ』において確立した四法源の理論は、スンナ派法学の基本的枠組みとなった。
graph TD
A["クルアーン<br/>(神の啓示)"] --> E["法的判断<br/>(フトワー / 判決)"]
B["スンナ<br/>(預言者の言行)"] --> E
C["イジュマー<br/>(学者の合意)"] --> E
D["キヤース<br/>(類推)"] --> E
A -.- F["第一法源:最高権威"]
B -.- G["第二法源:クルアーンの補完・詳細化"]
C -.- H["第三法源:共同体の無謬性に基づく"]
D -.- I["第四法源:既知の判断からの類推"]
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- クルアーン: 最高権威の法源である。法的規定を含む節は全体の約500節程度とされ、礼拝・断食・婚姻・相続・刑罰等の規定が含まれる。
- スンナ(ハディース): クルアーンの規定を補完・詳細化する第二の法源である。クルアーンが概括的に定めた規範の具体的適用方法を示す。
- イジュマー(ijmāʿ / 合意): ある時代のイスラーム法学者たちの見解が一致すること。預言者の「わたしのウンマは誤謬において合意することはない」というハディースに根拠を持つ。
- キヤース(qiyās / 類推): 既存の法源にない新しい問題について、類似の事例から法的判断を類推する方法である。例えば、クルアーンが禁じた葡萄酒の禁止規定を、酩酊という共通の理由(イッラ)によって他のすべての酒類に拡張する。
法源間には優先順位があり、クルアーンが最優先され、クルアーンのみで判断できない場合にスンナ、さらにイジュマー、キヤースの順で参照される。
四大法学派¶
10世紀頃までにスンナ派では四つの法学派(マズハブ, madhhab)が形成され、今日に至るまで存続している。
| 法学派 | 創設者 | 成立時期 | 特徴 | 主な分布地域 |
|---|---|---|---|---|
| ハナフィー派 | アブー・ハニーファ(699-767) | 8世紀 | キヤース(類推)を重視し、柔軟な法解釈。最も寛容とされる | トルコ、中央アジア、南アジア、中国 |
| マーリキー派 | マーリク・イブン・アナス(711-795) | 8世紀 | メディナの慣行(アマル)を重視。地域慣行を法源として認める | 北アフリカ、西アフリカ、スペイン(歴史的) |
| シャーフィイー派 | シャーフィイー(767-820) | 9世紀 | 法源学(ウスール)を体系化。ハディース重視と論理的方法の統合 | 東南アジア、東アフリカ、エジプト(一部) |
| ハンバリー派 | アフマド・イブン・ハンバル(780-855) | 9世紀 | クルアーンとハディースのみを有効な法源とする厳格な立場 | サウジアラビア、カタール |
四大法学派は相互に正統として承認し合っており(相互承認の原則)、いずれの法学派に従っても有効なイスラーム法の実践とみなされる。
シャリーアの体系¶
シャリーアの規範は、大きく二つの領域に分類される。
- イバーダート(ʿibādāt / 礼拝的行為): 神と人間の関係に関する規範。礼拝、断食、巡礼等。
- ムアーマラート(muʿāmalāt / 社会的行為): 人間相互の関係に関する規範。商取引、婚姻、相続、刑罰等。
五つの法的評価(アル=アフカーム・アル=ハムサ)¶
イスラーム法学は、人間のあらゆる行為を五段階の法的評価によって分類する。
| 評価 | アラビア語 | 定義 | 例 |
|---|---|---|---|
| 義務 | ワージブ(wājib) / ファルド(farḍ) | 行えば報奨、怠れば罪となる | 五回の礼拝、ラマダーン月の断食 |
| 推奨 | マンドゥーブ(mandūb) / ムスタハッブ | 行えば報奨、怠っても罪とならない | 義務以外の自発的礼拝 |
| 許容 | ムバーフ(mubāḥ) | 行っても行わなくても報奨も罪もない | 日常的な飲食 |
| 非推奨 | マクルーフ(makrūh) | 避ければ報奨、行っても罪とならない | 離婚(合法だが嫌悪される行為) |
| 禁止 | ハラーム(ḥarām) | 避ければ報奨、行えば罪となる | 飲酒、豚肉の摂取、利子の授受 |
この五段階評価の体系は、「義務」と「禁止」の間に三つの緩やかな範疇を設けることで、人間生活の多様な行為に対して柔軟な規範的評価を可能にしている点が特徴的である。実際に、ムスリムの日常生活の大部分は「推奨」「許容」「非推奨」の範疇に属する。
イスラームの五行(五柱)¶
Key Concept: タウヒード(tawḥīd / 神の唯一性) イスラームの最も根本的な教義。アッラーが唯一絶対の神であり、いかなるものも神に並ぶことはないとする信条。多神崇拝(シルク)はイスラームにおける最大の罪とされる。タウヒードはシャハーダ(信仰告白)の前半部「アッラーの他に神なし」に凝縮されている。
イスラームの五行(アルカーン・アル=イスラーム, arkān al-Islām)は、すべてのムスリムに義務として課される五つの基本的実践行為である。
1. シャハーダ(shahāda / 信仰告白)¶
「アッラーの他に神はなく、ムハンマドはアッラーの使徒である(ラー・イラーハ・イッラッラー、ムハンマドゥン・ラスールッラー)」と証言すること。この告白を真摯に行うことがイスラームへの入信の要件であり、タウヒードの信条と預言者ムハンマドの使徒性への信仰を表明する。
2. サラート(ṣalāt / 礼拝)¶
一日五回(ファジュル=夜明け前、ズフル=正午、アスル=午後、マグリブ=日没、イシャー=夜)、キブラ(メッカのカアバ神殿の方角)に向かって行う礼拝。決められた動作(起立、ルクーウ=頂礼、スジュード=伏拝)とクルアーンの朗誦を伴う定型的な礼拝であり、礼拝前にはウドゥー(小浄)による身体的清浄が必要とされる。金曜日の正午にはジュムア(集団礼拝)がモスクで行われ、フトバ(説教)が行われる。
3. ザカート(zakāt / 喜捨)¶
一定額以上の財産を保有するムスリムに課される義務的な浄財。一般に保有財産の2.5%が基準とされ、貧困者、困窮者、ザカートの徴収・分配にあたる者、イスラームに心を寄せる者、奴隷の解放、負債者、神の道における活動、旅行者の8カテゴリーの受益者に分配される(クルアーン第9章60節)。ザカートは単なる慈善ではなく、財産を「浄化」する宗教的義務として位置づけられる。
4. サウム(ṣawm / 断食)¶
ヒジュラ暦第9月であるラマダーン月の間、夜明けから日没まで飲食・喫煙・性行為を断つこと。断食は自己鍛錬と神への服従の表現であり、困窮者の苦しみを体験的に理解する意義も持つ。病人、旅行者、妊婦、授乳中の女性等には免除規定がある。ラマダーン月の終了はイード・アル=フィトル(断食明けの祭り)として祝われる。
5. ハッジ(ḥajj / 巡礼)¶
経済的・肉体的に可能なすべてのムスリムに、生涯に少なくとも一度課されるメッカへの大巡礼。ヒジュラ暦第12月(ズー・アル=ヒッジャ)の8日から12日頃にかけて行われる。主要な儀礼として、カアバ神殿の周回(タワーフ)、サファーとマルワの丘の間の往復走行(サアイ)、アラファト平原での立礼(ウクーフ)、ミナーでの石投げ(ラミー・アル=ジマラート)等がある。巡礼の最終日は犠牲祭(イード・アル=アドハー)として祝われる。ラマダーン月以外に行う小巡礼はウムラ(ʿumra)と呼ばれ、義務ではないが推奨される。
まとめ¶
- ムハンマドは610年頃に啓示を受け始め、メッカ期の一神教的・終末論的教えからメディナ期の法制的・社会的規範へと啓示内容が展開した
- クルアーンはウスマーン版(650年頃)として正典化され、114章・約6,236節から構成される。タフスィール(解釈学)には伝承による解釈と理性による解釈の二大潮流がある
- ハディースはイスナード(伝承の連鎖)とマトン(本文)から構成され、サヒーフ・ハサン・ダイーフの三段階で真正性が評価される。六大ハディース集がスンナ派の標準的典拠である
- イスラーム法学(フィクフ)は四法源(クルアーン・スンナ・イジュマー・キヤース)に基づき、四大法学派が形成された。各法学派は相互に正統と認め合う
- シャリーアは五段階の法的評価によってあらゆる行為を分類し、五行(シャハーダ・サラート・ザカート・サウム・ハッジ)がムスリムの信仰実践の基盤をなす
- 次のセクションでは、イスラームの神学(カラーム)、スーフィズム(神秘主義)、シーア派とスンナ派の分裂等を扱う
用語集(Glossary)¶
| 用語 | 英語/アラビア語表記 | 定義 |
|---|---|---|
| タウヒード | tawḥīd | 神の唯一性。イスラームの最も根本的な教義 |
| クルアーン | Qurʾān | イスラームの聖典。神がムハンマドに啓示した言葉 |
| ハディース | ḥadīth | 預言者ムハンマドの言行録。第二の法源 |
| シャリーア | sharīʿa | イスラーム法。神が示した正しい生き方の道 |
| ウンマ | umma | イスラーム共同体。信仰に基づく超部族的共同体 |
| ヒジュラ | hijra | 622年のメッカからメディナへの移住。イスラーム暦の紀元 |
| タフスィール | tafsīr | クルアーン解釈学 |
| イスナード | isnād | ハディースの伝承者の連鎖 |
| マトン | matn | ハディースの本文部分 |
| フィクフ | fiqh | イスラーム法学。シャリーアの具体的規範を導出する学問 |
| ウスール・アル=フィクフ | uṣūl al-fiqh | 法源学。法規範導出の方法論 |
| イジュマー | ijmāʿ | 法学者の合意。第三の法源 |
| キヤース | qiyās | 類推。既知の判断から新たな法的判断を導出する方法 |
| マズハブ | madhhab | 法学派 |
| イバーダート | ʿibādāt | 神と人間の関係に関する礼拝的規範 |
| ムアーマラート | muʿāmalāt | 人間相互の関係に関する社会的規範 |
| シャハーダ | shahāda | 信仰告白。五行の第一 |
| サラート | ṣalāt | 一日五回の礼拝。五行の第二 |
| ザカート | zakāt | 義務的喜捨。五行の第三 |
| サウム | ṣawm | ラマダーン月の断食。五行の第四 |
| ハッジ | ḥajj | メッカ大巡礼。五行の第五 |
| イジャーズ | iʿjāz | クルアーンの不可模倣性 |
| タジュウィード | tajwīd | クルアーン朗誦の音韻規則体系 |
確認問題¶
Q1: クルアーンのメッカ期(マッキー)とメディナ期(マダニー)の章の内容的特徴の違いを、それぞれの歴史的背景と関連づけて説明せよ。
A1: メッカ期のスーラは、多神教社会の中で一神教を布教する状況を反映し、神の唯一性(タウヒード)、終末論、道徳的勧告が中心であり、文体は韻律的・詩的で短い章が多い。一方メディナ期のスーラは、ムハンマドが政治的・宗教的指導者としてムスリム共同体(ウンマ)を統治する状況を反映し、婚姻・相続・商取引・刑罰等の法制的規定や共同体の規律に関する内容が中心で、散文的で長い章が多い。
Q2: ハディースの真正性評価において、イスナード(伝承の連鎖)の分析が重視される理由と、サヒーフ・ハサン・ダイーフの三段階の区別の基準を説明せよ。
A2: ハディースは口頭伝承を基盤とするため、伝承者の連鎖(イスナード)の各人物の信頼性(公正さ・アダーラ)と記憶力(精確さ・ダブト)が、本文の信頼性を保証する根本的な基準となる。サヒーフは伝承者の連鎖が途切れず全員が公正かつ記憶力に優れるもの、ハサンはほぼ同条件だが記憶力がやや劣るもの、ダイーフは連鎖に断絶があるか伝承者の信頼性に問題があるものである。この厳格な批評方法論(イルム・アッ=リジャール)は、ハディースの歴史的信頼性を担保する仕組みとして機能した。
Q3: イスラーム法の四法源(クルアーン・スンナ・イジュマー・キヤース)の優先順位とその論理的根拠を説明せよ。
A3: 最高権威はクルアーン(神の言葉そのもの)であり、クルアーンのみで判断できない場合にスンナ(預言者の言行)が参照される。スンナはクルアーンの規定を補完・詳細化する位置づけである。第三のイジュマー(学者の合意)は「ウンマは誤謬において合意しない」というハディースに根拠を持ち、共同体の集合的判断の無謬性に基づく。第四のキヤースは、先行する三法源にない新たな問題について、類似事例の共通する法的理由(イッラ)を根拠に判断を類推する補助的方法である。この階層構造は、神の啓示を最上位に置き、人間の理性的判断を下位に位置づけるイスラームの認識論的原則を反映している。
Q4: 四大法学派の中でハナフィー派が「最も寛容」とされる理由と、ハンバリー派が「最も厳格」とされる理由を、それぞれの法源の扱い方の違いから説明せよ。
A4: ハナフィー派はキヤース(類推)やイスティフサーン(法的優先)といった理性的推論を重視し、テキストの字義に留まらない柔軟な法解釈を認めるため、新たな状況への適応力が高く「最も寛容」とされる。一方ハンバリー派はクルアーンとハディースのテキストのみを有効な法源とし、個人的見解(ラアイ)に基づく法的推論を極力排するため、テキストに忠実な厳格な立場をとる。この対照は、法的推論における理性の役割をどの程度認めるかという法源学上の根本的な立場の違いに起因する。
Q5: イスラーム法における五段階の法的評価(ワージブ・マンドゥーブ・ムバーフ・マクルーフ・ハラーム)の体系が、「義務」と「禁止」の二分法に比べてどのような実践的利点を持つか論じよ。
A5: 義務と禁止の二分法では、人間の行為を「すべきこと」と「すべきでないこと」に峻別するのみだが、五段階評価は両極の間に推奨・許容・非推奨という三つの中間的範疇を設けることで、より繊細な規範的指針を提供する。これにより、ムスリムの日常生活の大部分を占める行為に対して、強制や禁止ではなく道徳的指針としての方向性を示すことが可能になる。例えば離婚は「合法だが嫌悪される」(マクルーフ)とされ、禁止はしないが回避を促すという柔軟な態度が表現される。この体系はシャリーアの包括性と現実的柔軟性を両立させる仕組みとして機能している。