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Module 2-3 - Section 2: イスラーム思想:神学・哲学・神秘主義

セクション情報

項目 内容
モジュール Module 2-3: イスラーム
前提セクション Section 1
想定学習時間 5時間

導入

Section 1 で概観したイスラームの基本教義と法体系は、共同体の拡大とともに新たな知的課題に直面した。7世紀後半以降、信仰の合理的基礎づけ、ギリシア哲学の受容、そして内面的な神体験の追求という三つの方向でイスラーム思想は独自の展開を見せる。本セクションでは、カラーム(イスラーム神学)・ファルサファ(イスラーム哲学)・スーフィズム(イスラーム神秘主義)という三大潮流を取り上げ、それぞれの成立背景、主要人物、核心的論争を検討する。この三潮流は相互に対立・影響し合いながらイスラーム文明の知的枠組みを形成しており、いずれか一つだけではイスラーム思想の全体像を把握できない。


カラーム(イスラーム神学)

Key Concept: カラーム(kalām / イスラーム神学) アラビア語で「言葉」「議論」を意味し、理性的論証(弁証法)によって信仰の諸命題を擁護・体系化する学問を指す。ギリシア論理学の方法を用いつつ、クルアーン(→ Section 1参照)とハディース(→ Section 1参照)に基づく教義を理性的に正当化することを目的とする。

カラームの成立背景

カラームが学問として成立した背景には、ウマイヤ朝末期からアッバース朝初期にかけての複数の要因がある。第一に、ムスリム共同体(ウンマ(→ Section 1参照))の急速な拡大に伴い、ユダヤ教・キリスト教・ゾロアスター教の神学者との論争が必要となった。第二に、イスラーム共同体内部で信仰と行為の関係、神の属性、人間の自由意志と神の予定(カダル)をめぐる教義論争が先鋭化した。とりわけ「大罪を犯したムスリムは信仰者か不信仰者か」という問いが、ハワーリジュ派・ムルジア派など初期諸派の対立を生み出した。第三に、アッバース朝の翻訳運動を通じてギリシア論理学・形而上学の手法が利用可能となり、これを教義擁護に応用する知的環境が整った。

ムウタズィラ派(Muʿtazila)

ムウタズィラ派は8世紀前半にバスラのワースィル・イブン・アター(Wāṣil b. ʿAṭāʾ, d. 748)を始祖として成立し、カラームを体系的学問として確立した最初の学派である。ムウタズィラとは「分離した者たち」を意味し、大罪者の位置づけに関して師ハサン・アル=バスリーから「分離」したことに由来する。

ムウタズィラ派の教説は「五原則(al-uṣūl al-khamsa)」に集約される。

  1. タウヒード(神の唯一性)(→ Section 1参照)の徹底:神の本質と区別される永遠の属性を認めると多神に陥るとして、神の属性を本質と同一視した。クルアーンは神の言葉であるが「被造物」であるとする「クルアーン被造説」はここから導かれる。
  2. 神の正義(al-ʿadl):神は正義に基づいて行為し、不正をなすことはありえない。これは人間が善悪を理性で認識しうるという理性主義的倫理学の前提に立つ。
  3. 人間の自由意志:人間は自らの行為の真の創造者(行為者)であり、報奨と懲罰はこの自由意志に基づいて正当化される。
  4. 約束と脅迫(al-waʿd wa-l-waʿīd):神は善行への報奨と悪行への懲罰を約束しており、その約束は必ず履行される。
  5. 善の命令と悪の禁止(al-amr bi-l-maʿrūf wa-l-nahy ʿan al-munkar):信仰者は社会的義務として善を命じ悪を禁じる責任を負う。

ムウタズィラ派はアッバース朝カリフ・マアムーン(在位813-833)の下で公認教学となり、「ミフナ(信仰審問)」を通じてクルアーン被造説の受容が官僚・法学者に強制された。しかしムタワッキル(在位847-861)の治世に政策が転換され、以後ムウタズィラ派は政治的支持基盤を失い衰退する。

アシュアリー派(Ashʿarī)

アブー・アル=ハサン・アル=アシュアリー(Abū al-Ḥasan al-Ashʿarī, 873/874-935/936)は、元来ムウタズィラ派に属していたが40歳頃に転向し、伝統主義的教義をカラームの方法論で擁護する立場を確立した。アシュアリー派はムウタズィラ派の合理主義と、クルアーン・ハディースの文言に厳格に従うハンバル派の伝統主義との「中間路線」として位置づけられる。

アシュアリー派の主要教説は以下の通りである。

  • 神の属性の実在性:神は知・力・意志などの永遠の属性を有し、それらは本質とは区別されるが本質から独立しているわけではない。クルアーンは「神の永遠の言葉」であって被造物ではない。
  • カスブ(kasb / 行為の取得)理論:人間の行為は神が創造するが、人間はその行為を「取得(kasb)」する。これにより神の全能と人間の道徳的責任を両立させようとする折衷論である。ムウタズィラ派の自由意志論とジャブリーヤ(宿命論)派の決定論のいずれにも与しない。
  • 原子論的世界観:世界は神が瞬間ごとに創造し直す「偶有体(aʿrāḍ)」と「原子(ajzāʾ)」から成り、自然因果の独立的必然性は否定される(機会因論(occasionalism))。

アシュアリー派はバーキッラーニー(d. 1013)、ジュワイニー(d. 1085)、さらにガザーリー(後述)によって発展し、スンナ派世界で最も広範な支持を得る神学学派となった。シャーフィイー派・マーリク派の法学者の多くがアシュアリー派神学を採用した。

マートゥリーディー派(Māturīdī)

アブー・マンスール・アル=マートゥリーディー(Abū Manṣūr al-Māturīdī, d. 944)は中央アジアのサマルカンドで活動し、ハナフィー派法学と密接に結びついた神学体系を構築した。マートゥリーディー派はアシュアリー派と並んでスンナ派正統神学の二大学派を形成する。

マートゥリーディー派の特徴的教説としては以下がある。

  • 理性による善悪の認識:人間の理性は啓示なしでも善悪を認識しうる。この点ではムウタズィラ派に近く、善悪の認識を啓示に依存させるアシュアリー派とは異なる。
  • タクウィーン(takwīn / 創造行為)の永遠性:神の創造という属性は永遠であり、創造の結果のみが時間的に生起する。アシュアリー派は創造行為と結果をともに時間的なものとする。
  • 人間の行為における意志の役割:人間には実質的な選択能力があると認め、アシュアリー派のカスブ理論よりも人間の意志に大きな余地を与える。

マートゥリーディー派は中央アジア・南アジア・トルコなどハナフィー派が優勢な地域で広く採用された。アシュアリー派との差異は微妙であるが、理性の役割の評価において一貫してアシュアリー派より理性に積極的な位置づけを与えている点が特徴である。


ファルサファ(イスラーム哲学)

Key Concept: ファルサファ(falsafa / イスラーム哲学) ギリシア語の philosophia に由来するアラビア語で、アリストテレス・プラトン・新プラトン主義の哲学的伝統をイスラーム文明圏で受容・発展させた知的営為を指す。カラームが啓示の合理的弁護を目的とするのに対し、ファルサファは哲学的真理の独立的追究を特徴とする。

アル=キンディー(al-Kindī, c. 801-873)

アブー・ユースフ・ヤアクーブ・イブン・イスハーク・アル=キンディー(Abū Yūsuf Yaʿqūb b. Isḥāq al-Kindī)は「アラブの哲学者(Faylasūf al-ʿArab)」と称され、イスラーム圏でギリシア哲学を体系的に導入した最初の人物である。アッバース朝の翻訳運動(バイト・アル=ヒクマ(知恵の館)における組織的翻訳事業)の中心に位置し、アリストテレス・プラトン・新プラトン主義の著作をアラビア語世界に紹介した。

キンディーの核心的主張は「哲学と啓示の両立可能性」である。彼は哲学を「人間の能力の及ぶ限り諸事物の真理を知ること」と定義し、預言者が啓示を通じて瞬時に得る知識と、哲学者が論証を通じて漸次的に到達する知識は、最終的に同一の真理に収斂すると論じた。彼は260以上の著作を残したとされるが、後続のファーラービーやイブン・スィーナーに影響力で凌駕され、その著作の多くは散逸した。

アル=ファーラービー(al-Fārābī, c. 870-950)

アブー・ナスル・アル=ファーラービー(Abū Naṣr al-Fārābī)は「第二の師(al-muʿallim al-thānī)」すなわちアリストテレスに次ぐ教師と称された。彼の貢献は主に二つの領域にある。

第一に流出論(emanation theory)の体系化である。ファーラービーは新プラトン主義的な流出論をイスラーム的宇宙論に統合した。神(「第一者(al-Awwal)」)は自己認識を通じて第一知性を流出させ、順次10の知性が段階的に流出する。第十知性(能動知性 / al-ʿaql al-faʿʿāl)は天上世界と地上世界を媒介し、人間の知性を可能態から現実態へ導くとともに、月下界(地上世界)に形相を付与する。この体系はクルアーンの「無からの創造(creatio ex nihilo)」とは異なるため、後にガザーリーの批判を招くことになる。

第二に政治哲学である。主著『有徳都市の住民の見解の諸原理(Mabādiʾ Ārāʾ Ahl al-Madīna al-Fāḍila)』においてファーラービーはプラトンの理想国家論をイスラーム的文脈に再構成した。理想国家の統治者は哲学的知性と預言者的資質を兼ね備えた「預言者=哲人王」であり、能動知性との合一を通じて真理を把握する。この統治者論はプラトンの『国家』の哲人王論とイスラームの預言者論の融合として独創的である。

イブン・スィーナー(Ibn Sīnā / Avicenna, 980-1037)

アブー・アリー・フサイン・イブン・アブダッラー・イブン・スィーナー(Abū ʿAlī al-Ḥusayn b. ʿAbd Allāh b. Sīnā)はブハラ出身のペルシア人であり、イスラーム哲学の最大の体系構築者と評される。主著『治癒の書(al-Shifāʾ)』は論理学・自然学・数学・形而上学を包括する百科全書的著作であり、『医学典範(al-Qānūn fī al-Ṭibb)』は17世紀までヨーロッパの大学で教科書として用いられた。

イブン・スィーナーの形而上学上の最大の貢献は「本質(māhīya)と存在(wujūd)の区別」である。あらゆる存在者において本質と存在は概念上区別されうるが、唯一の例外が「必然的存在者(wājib al-wujūd)」すなわち神である。神においては本質と存在が同一であり、神は自らの存在の原因を外部に持たない。それ以外の全存在者は「可能的存在者(mumkin al-wujūd)」であり、その存在は神からの因果連鎖によって付与される。この「必然的存在者」と「可能的存在者」の区別は、ラテン世界においてトマス・アクィナスに影響を与え、スコラ哲学における「存在と本質」の議論の基盤となった。

ガザーリーの哲学批判

アブー・ハーミド・アル=ガザーリー(Abū Ḥāmid al-Ghazālī, 1058-1111)はアシュアリー派の神学者としてバグダードのニザーミーヤ学院で教鞭を執ったが、著作『哲学者の矛盾(Tahāfut al-Falāsifa)』(1095年頃)において、ファーラービーとイブン・スィーナーの哲学を20の論点にわたり批判した。とりわけ以下の3点をイスラーム教義に対する「不信仰(kufr)」と断じた。

  1. 世界の永遠性:哲学者たちは世界が神から永遠に流出すると主張するが、これはクルアーンが教える神による世界の時間的創造に矛盾する。
  2. 神の個物認識の否定:イブン・スィーナーは神が個別的事物を直接認識するのではなく普遍的認識のみを有すると論じたが、これは神の全知を否定するものである。
  3. 身体的復活の否定:哲学者たちは来世における身体の復活を否定し霊魂の不滅のみを認めるが、これはクルアーンの明文に反する。

ガザーリーの批判は哲学的議論としてきわめて精緻であり、ファルサファの前提を内在的に批判した点が重要である。この著作は東方イスラーム世界(マシュリク)においてファルサファの独立的営為に大きな打撃を与えた。

イブン・ルシュド(Ibn Rushd / Averroes, 1126-1198)

アブー・アル=ワリード・ムハンマド・イブン・ルシュド(Abū al-Walīd Muḥammad b. Rushd)はアンダルス(イベリア半島のイスラーム地域)のコルドバに生まれ、法官(カーディー)・医師・哲学者として活動した。彼はガザーリーの『哲学者の矛盾』に対する体系的反論として『矛盾の矛盾(Tahāfut al-Tahāfut)』を著し、哲学の正当性を擁護した。

イブン・ルシュドの核心的主張は、理性(哲学)と啓示(宗教)は同一の真理の異なる表現形式であるという点にある。彼はクルアーンの章句を三層に分類した。第一に万人が理解しうる修辞的表現、第二に弁証法的論証によって理解される表現、第三に論証的(哲学的)方法によってのみ正確に理解される表現である。哲学者には最も深い層の解釈が義務づけられるが、大衆に哲学的解釈を公開することは混乱を招くため禁じられる。

ラテン世界ではこの立場が「二重真理説(double truth theory)」——すなわち哲学的真理と宗教的真理が矛盾しうる——として受容されたが、これはイブン・ルシュド自身の主張の正確な反映ではない。彼は真理が二重であるとは述べておらず、真理は一つであるがその表現・到達方法が異なると論じた。

イブン・ルシュドはアリストテレスの著作に対する詳細な注釈でも知られ、ラテン世界では「注釈者(Commentator)」の名で呼ばれた。彼の著作はラテン語に翻訳されてパリ大学などで広く読まれ、13世紀ラテン・アヴェロイズム(Latin Averroism)の思潮を生んだ。


スーフィズム(イスラーム神秘主義)

Key Concept: スーフィズム(taṣawwuf / イスラーム神秘主義) 内面的修行を通じて神との直接的合一(ファナー / fanāʾ / 自我の消滅)を追求するイスラームの精神的伝統。語源については、羊毛(ṣūf)の粗衣を身につけた禁欲者に由来する説が有力である。法学(フィクフ(→ Section 1参照))や神学(カラーム)が外面的・知性的アプローチをとるのに対し、スーフィズムは体験的・内面的な神認識を重視する。

スーフィズムの起源と展開

スーフィズムの起源は、初期イスラーム共同体における禁欲的信仰者(ズッハード / zuhhād)に遡る。ウマイヤ朝期の急速な世俗化と富の蓄積に対する反動として、ハサン・アル=バスリー(Ḥasan al-Baṣrī, d. 728)に代表される禁欲運動が台頭した。8世紀後半にはラービア・アル=アダウィーヤ(Rābiʿa al-ʿAdawīya, d. 801)が「恐れからでも報奨への期待からでもなく、ただ神への愛ゆえに」神を崇拝するという純粋な神愛の概念を表明し、スーフィズムに愛の神学的次元を導入した。

9世紀にはバグダードを中心にスーフィズムが知的に洗練された。バーヤズィード・バスターミー(Bāyazīd Basṭāmī, d. 874頃)は「酩酊的神秘主義」の代表者であり、神との合一における自我の消滅(ファナー)を極端な表現で語った。一方ジュナイド・バグダーディー(Junayd al-Baghdādī, d. 910)は「覚醒的神秘主義」を提唱し、ファナーの後にバカー(baqāʾ / 神における持続的存在)の段階があるとして、シャリーア(→ Section 1参照)の遵守と神秘体験の両立を図った。ジュナイドの「覚醒的」アプローチは後のスンナ派スーフィズムの主流路線を形成することになる。

ハッラージュ(al-Ḥallāj, 858-922)

マンスール・アル=ハッラージュ(Manṣūr al-Ḥallāj)は「酩酊的神秘主義」の最も劇的な代表者である。彼は神秘体験の中で「アナー・アル=ハック(Anā al-Ḥaqq / 我は真理なり)」と宣言した。「ハック(al-Ḥaqq)」は神の名称の一つであり、この宣言は「我は神なり」と解釈されて冒瀆と見なされた。ハッラージュの師であったジュナイドは、その真理性を認めつつも公言を諫めたとされる。

ハッラージュは922年にバグダードで異端として処刑(磔刑)された。しかし後世のスーフィーたちは彼を「殉教者」と見なし、神への愛のために命を捧げた模範として崇敬した。ハッラージュの事例は、スーフィズムの内的体験と外面的なシャリーアとの緊張関係を象徴的に示している。

ガザーリーのスーフィズム正統化

ガザーリーは前述の通りファルサファを批判した神学者であるが、彼自身が深刻な精神的危機を経験し、1095年にバグダードの教壇を放棄してスーフィーとしての遍歴生活に入った。約10年の修行を経て著された主著『宗教諸学の復興(Iḥyāʾ ʿUlūm al-Dīn)』は、イスラーム知的伝統における画期的著作である。

この著作でガザーリーは、法学(フィクフ)・神学(カラーム)・哲学(ファルサファ)のいずれも究極的な宗教的確実性を与えないとし、スーフィーの体験的神認識こそが真の知識に至る道であると論じた。同時に、スーフィズムがシャリーアの枠内で実践されるべきことを強調し、律法遵守と内面的修行の統合を説いた。これにより、それまで正統的法学者から疑念の目を向けられていたスーフィズムはスンナ派の知的伝統の中に正統的な位置を与えられた。ガザーリーの功績は「スーフィズムの正統化」として知られる。

イブン・アラビー(Ibn ʿArabī, 1165-1240)

Key Concept: 存在一性論(waḥdat al-wujūd / 存在の一性) イブン・アラビーに帰される形而上学的教説。真の意味で存在するのは神のみであり、被造世界は神の諸名称・属性の自己顕現(タジャッリー / tajallī)にほかならないとする。万物は外見上多様であるが、その本質においては神の存在の現れである。

ムヒー・アッディーン・イブン・アラビー(Muḥyī al-Dīn Ibn ʿArabī)はアンダルスのムルシアに生まれ、後半生をダマスクスで過ごした。「偉大なる師(al-Shaykh al-Akbar)」と称される彼は、スーフィズムの形而上学的基礎を構築した最も影響力のある思想家である。主著『メッカの啓示(al-Futūḥāt al-Makkīya)』は数百章に及ぶ百科全書的著作であり、『叡智の台座(Fuṣūṣ al-Ḥikam)』は各預言者に固有の叡智を論じた体系的著作である。

イブン・アラビーの思想の核心は存在一性論であり、被造世界は神の「鏡」として神を映し出す。この思想はさらに「完全人間(al-insān al-kāmil)」の概念と結びつく。完全人間は神の全名称・全属性を最も完全に反映する存在であり、預言者ムハンマドがその究極的範型とされる。

存在一性論は後の弟子サドルッディーン・クーナウィー(Ṣadr al-Dīn al-Qūnawī, d. 1274)らによって体系化される一方、イブン・タイミーヤ(Ibn Taymīya, d. 1328)はこれを汎神論として厳しく批判した。存在一性論の是非はイスラーム思想史上最大の論争の一つであり、現在に至るまで議論が続いている。

ルーミー(Jalāl al-Dīn Rūmī, 1207-1273)

ジャラール・アッディーン・ルーミーは現在のアフガニスタン・バルフに生まれ、モンゴルの侵攻を避けてアナトリアのコンヤに定住した。法学者・神学者として活動していたが、遍歴のスーフィーであるシャムス・タブリーズィー(Shams-i Tabrīzī)との出会いを契機に神秘詩の創作に没頭した。

ルーミーの主著『精神的マスナヴィー(Mathnavī-yi Maʿnavī)』はペルシア語で書かれた約26,000句の韻文叙事詩であり、「ペルシア語のクルアーン」とも呼ばれる。物語・寓話・教訓を織り交ぜながら、神への愛と魂の帰還を歌い上げた作品である。冒頭の「葦笛の歌」は、葦笛が葦原(神との原初的合一)から切り離された悲しみを歌うものであり、人間の魂が神から離れた状態への郷愁を象徴している。

ルーミーの死後、息子スルターン・ワラドがコンヤにメヴレヴィー教団(Mevleviye)を組織した。この教団は旋回舞踊(セマー / samāʿ)を中心的修行法とし、身体の回転によって宇宙の運行を模倣しつつ神との合一を追求する。セマーの儀式は2005年にユネスコの無形文化遺産に登録されている。

タリーカ(修道教団)の展開

Key Concept: イジュティハード(ijtihād / 独立的法解釈) 法源から独立的に法的判断を導出する知的営為。スーフィズムの文脈では、各タリーカの創設者が独自の霊的修行法を確立する際の精神的権威の根拠ともなった。

12世紀以降、スーフィズムは個人的修行から組織的教団(タリーカ / ṭarīqa)の形態へと移行する。タリーカとはアラビア語で「道」を意味し、特定の霊的師(シャイフ / shaykh)を起点とする修行法の系譜と、それを実践する共同体を指す。各教団は創設者に遡る霊的系譜(シルシラ / silsila)を重視し、師弟間の直接的伝授を修行の正統性の根拠とした。

主要なタリーカとしては以下がある。

教団名 創設者 成立時期 特徴
カーディリーヤ(Qādirīya) アブド・アル=カーディル・アル=ジーラーニー(d. 1166) 12世紀 最も広範に普及、穏健な律法遵守型
リファーイーヤ(Rifāʿīya) アフマド・アル=リファーイー(d. 1182) 12世紀 過激な身体的修行(火渡り等)で知られる
シャーズィリーヤ(Shādhilīya) アブー・アル=ハサン・アッ=シャーズィリー(d. 1258) 13世紀 北アフリカ中心、日常生活内での修行を重視
メヴレヴィーヤ(Mevleviye) ルーミーの弟子たち 13世紀 旋回舞踊(セマー)、音楽重視
ナクシュバンディーヤ(Naqshbandīya) バハーウッディーン・ナクシュバンド(d. 1389) 14世紀 沈黙のズィクル(心内念誦)、シャリーア遵守を厳格に要求
チシュティーヤ(Chishtīya) ムイーヌッディーン・チシュティー(d. 1236) 13世紀 インド亜大陸で隆盛、音楽(サマー)重視、宗教間対話に開放的

タリーカの展開はイスラームの社会的浸透に重大な役割を果たした。特にサハラ以南アフリカ、中央アジア、東南アジアにおけるイスラームの普及は、商人・旅行者としてのスーフィーの活動とタリーカのネットワークに負う部分が大きい。


イスラーム思想三潮流の関係

カラーム・ファルサファ・スーフィズムの三潮流は独立に発展したのではなく、相互に批判・影響・統合を繰り返した。この関係を最もよく体現する人物がガザーリーである。彼はアシュアリー派神学者として哲学を批判し(『哲学者の矛盾』)、同時にスーフィズムを正統化し(『宗教諸学の復興』)、カラームとスーフィズムの統合を実現した。

graph TD
    subgraph カラーム["カラーム(神学)"]
        MU["ムウタズィラ派<br/>理性主義"]
        ASH["アシュアリー派<br/>折衷路線"]
        MAT["マートゥリーディー派<br/>理性+伝統"]
    end

    subgraph ファルサファ["ファルサファ(哲学)"]
        KIN["キンディー<br/>ギリシア哲学導入"]
        FAR["ファーラービー<br/>流出論・理想国家"]
        SIN["イブン・スィーナー<br/>本質と存在の区別"]
        RUS["イブン・ルシュド<br/>アリストテレス注釈"]
    end

    subgraph スーフィズム["スーフィズム(神秘主義)"]
        HAL["ハッラージュ<br/>酩酊的神秘主義"]
        ARA["イブン・アラビー<br/>存在一性論"]
        RUM["ルーミー<br/>詩的神秘主義"]
        TAR["タリーカ<br/>修道教団の展開"]
    end

    GHZ["ガザーリー"]

    MU -->|"批判・転向"| ASH
    KIN --> FAR --> SIN
    SIN -->|"批判対象"| GHZ
    GHZ -->|"哲学者の矛盾"| RUS
    RUS -->|"矛盾の矛盾"| SIN
    GHZ -->|"スーフィズム正統化"| ARA
    ASH -->|"神学的基盤"| GHZ
    HAL --> GHZ
    GHZ --> ARA --> RUM --> TAR

まとめ

  • カラーム(イスラーム神学)は、信仰と理性の関係をめぐる議論から成立し、ムウタズィラ派(理性主義)・アシュアリー派(折衷)・マートゥリーディー派(理性+伝統)の三学派が展開した。神の属性、人間の自由意志、クルアーンの被造性が主要な論点であった。
  • ファルサファ(イスラーム哲学)は、ギリシア哲学の受容を通じてキンディー→ファーラービー→イブン・スィーナーと発展し、本質と存在の区別、流出論、理想国家論など独自の哲学体系を構築した。ガザーリーの批判とイブン・ルシュドの反論は、理性と啓示の関係をめぐるイスラーム思想史最大の論争である。
  • スーフィズム(イスラーム神秘主義)は、禁欲運動から発展し、ハッラージュの殉教、ガザーリーによる正統化、イブン・アラビーの存在一性論、ルーミーの詩的神秘主義を経て、12世紀以降はタリーカ(修道教団)として組織化され、イスラームの社会的浸透に大きく貢献した。
  • ガザーリーは三潮流の交差点に位置する人物であり、哲学批判とスーフィズム正統化を通じてスンナ派イスラーム思想の方向性を決定づけた。
  • Section 3 では、近現代におけるイスラーム改革運動と世俗主義との対峙を検討する。

用語集(Glossary)

用語 英語/アラビア語表記 定義
カラーム kalām 理性的論証によってイスラームの信仰命題を体系化・擁護する学問(イスラーム神学)
ムウタズィラ派 Muʿtazila 理性主義を特徴とする初期イスラーム神学学派。神の唯一性と正義、人間の自由意志を強調
アシュアリー派 Ashʿarīya アル=アシュアリーを祖とするスンナ派主流の神学学派。理性と伝統の折衷を図る
マートゥリーディー派 Māturīdīya アル=マートゥリーディーを祖とする神学学派。ハナフィー派と密接に結合
カスブ kasb / acquisition アシュアリー派の理論。行為は神が創造するが人間がそれを「取得」するとする折衷論
ファルサファ falsafa ギリシア哲学の伝統をイスラーム文明圏で受容・発展させた知的営為(イスラーム哲学)
流出論 emanation theory 神(第一者)から知性が段階的に流出して世界が生じるとする新プラトン主義的宇宙論
必然的存在者 wājib al-wujūd イブン・スィーナーの概念。存在の原因を外部に持たない唯一の存在者(神)
スーフィズム taṣawwuf 内面的修行を通じて神との合一を追求するイスラームの精神的伝統(イスラーム神秘主義)
ファナー fanāʾ 自我の消滅。スーフィーの修行の目標である神との合一の状態
存在一性論 waḥdat al-wujūd 真に存在するのは神のみであり万物は神の自己顕現であるとする形而上学的教説
タリーカ ṭarīqa 特定のスーフィー師を起点とする修行法の系譜とその共同体(修道教団)
イジュティハード ijtihād 法源から独立的に法的・知的判断を導出する営為
セマー samāʿ スーフィーの音楽・舞踊を伴う修行法。メヴレヴィー教団の旋回舞踊が著名

確認問題

Q1: ムウタズィラ派の「五原則」のうち、「神の正義」と「人間の自由意志」はどのような論理的関係にあるか。また、アシュアリー派はこの関係をどのように再構成したか説明せよ。

A1: ムウタズィラ派において、「神の正義」は神が不正をなさないことを意味し、これは人間が自らの行為の真の創造者であるという「自由意志」の前提の上に成立する。人間が自由に善悪を選択するからこそ、神による報奨・懲罰が正当化されるという論理構造である。アシュアリー派はカスブ理論によりこの関係を再構成した。行為の創造者は神であるが、人間はその行為を「取得」するとし、神の全能を維持しつつも人間に一定の道徳的責任を帰すという折衷論を展開した。

Q2: イブン・スィーナーの「本質と存在の区別」が「必然的存在者」の概念とどのように結びつくか説明せよ。この概念がラテン世界に与えた影響にも触れよ。

A2: イブン・スィーナーによれば、あらゆる存在者において「何であるか(本質)」と「あるということ(存在)」は概念上区別される。可能的存在者の場合、本質は存在を含意しないため、存在するには外部の原因を必要とする。因果連鎖を遡れば、本質と存在が同一である唯一の存在者——すなわち必然的存在者(神)——に到達する。この区別はラテン世界に翻訳を通じて伝わり、トマス・アクィナスのスコラ哲学における「存在(esse)と本質(essentia)の区別」の議論に直接的影響を与え、キリスト教神学における神の存在証明の枠組みの一部となった。

Q3: ガザーリーが『哲学者の矛盾』で「不信仰」と断じた3つの論点を挙げ、それぞれがイスラーム教義のどの側面と矛盾するとされたか説明せよ。

A3: 第一に「世界の永遠性」。哲学者たちは世界が神から永遠に流出すると主張したが、これはクルアーンが教える神による時間的創造の教義と矛盾する。第二に「神の個物認識の否定」。イブン・スィーナーが神は普遍的認識のみを有すると論じたことは、神の全知という教義と矛盾する。第三に「身体的復活の否定」。哲学者たちが来世における身体の復活を否定し霊魂の不滅のみを認めたことは、クルアーンの明文に反する。これらの論点はいずれもクルアーンの明示的教義に関わるとされ、単なる誤りではなく「不信仰(kufr)」と判定された。

Q4: ガザーリーの知的軌跡を、カラーム・ファルサファ・スーフィズムの三潮流との関係から説明せよ。彼がイスラーム思想史上「三潮流の交差点」と評される理由を述べよ。

A4: ガザーリーはアシュアリー派神学(カラーム)の教育を受け、ニザーミーヤ学院で教鞭を執った。その間に哲学(ファルサファ)を内在的に研究し、『哲学者の矛盾』で体系的に批判した。この批判は東方イスラーム世界におけるファルサファの独立的営為に大きな打撃を与えた。しかし彼自身が精神的危機を経験し、学問的知識による確実性の限界を認識して教壇を去り、スーフィーとしての修行生活に入った。その成果である『宗教諸学の復興』で、スーフィズムの体験的神認識こそが真の知識に至る道であると論じるとともに、シャリーアの枠内でのスーフィズム実践を正統化した。このように、カラームに立脚しつつファルサファを批判し、スーフィズムを正統化するという一連の知的営為が三潮流の交差点と評される所以である。

Q5: 存在一性論(waḥdat al-wujūd)の核心的主張を説明し、それがイブン・タイミーヤらから批判された理由を述べよ。

A5: 存在一性論は、真の意味で存在するのは神のみであり、被造世界の万物は神の諸名称・属性の自己顕現(タジャッリー)にほかならないと主張する。外見上の多様性は現象的なものであり、本質においてはすべてが神の存在に帰される。イブン・タイミーヤらはこの教説を「汎神論(pantheism)」として批判した。すなわち、創造者(神)と被造物の区別が曖昧化され、神の超越性(タウヒードにおける神と被造物の絶対的区別)が損なわれるとした。また、万物が神の現れであるならば悪や不正も神に帰されることになり、道徳的区別が不可能になるという倫理的批判も向けられた。