Module 2-4 - Section 4: 上座部仏教とチベット仏教¶
セクション情報¶
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| モジュール | Module 2-4: 仏教 |
| 前提セクション | Section 1 |
| 想定学習時間 | 4時間 |
導入¶
仏教は北伝(大乗仏教)と南伝(上座部仏教)という大きな二つの潮流に分かれて展開したが、Section 2・3ではもっぱら大乗仏教の思想的発展と東アジアへの伝播を扱った。本セクションでは、残る二つの重要な仏教圏――スリランカ・東南アジアを中心とする上座部仏教(Theravāda)と、チベット・モンゴルを中心とするチベット仏教(Vajrayāna / Tibetan Buddhism)――を取り上げる。
上座部仏教はパーリ語三蔵を正典とし、出家修行による解脱を軸とする実践体系を維持してきた。近現代にはヴィパッサナー瞑想運動を通じて在家修行の可能性を拡大し、西洋のマインドフルネス運動にも影響を与えている。一方、チベット仏教はインド後期密教の体系的移入を基盤とし、独自の転生活仏制度や「チベット死者の書」に代表される死生観を発展させた。両者はいずれも仏教の根本教理(→ Section 1参照)を共有しつつ、地域・時代の条件に応じた固有の展開を遂げた伝統である。
上座部仏教(Theravāda)¶
Key Concept: 上座部仏教(Theravāda Buddhism) パーリ語三蔵(Tipiṭaka)を正典とする仏教の一派。「上座部(Theravāda)」は「長老たちの教え」を意味し、スリランカ・ミャンマー・タイ・カンボジア・ラオスを主要な分布域とする。Section 1で扱った部派仏教期の上座部(Sthaviravāda)を直接の母体とする。
スリランカへの伝播:マヒンダの布教¶
上座部仏教のスリランカ伝来は、紀元前3世紀のアショーカ王(Asoka)の仏教布教政策に端を発する。伝承によれば、アショーカ王の子マヒンダ(Mahinda)が紀元前249年頃にスリランカに渡り、当時のデーヴァーナンピヤ・ティッサ王(Devānaṃpiyatissa)に仏法を伝えた。マヒンダは第三結集を主導したモッガリプッタ・ティッサ(Moggaliputta-Tissa)の弟子とされ、パーリ語経典の伝承をスリランカにもたらした。続いて、マヒンダの妹サンガミッター(Saṅghamittā)が比丘尼僧団とともに渡来し、菩提樹の苗木をもたらしたと伝える。
アヌラーダプラ(Anurādhapura)を拠点として確立された大寺派(Mahāvihāra)は、以後スリランカにおけるパーリ語上座部仏教の正統を担い、紀元前1世紀には口伝で保持されてきた三蔵がはじめて文字化された。
ブッダゴーサと『清浄道論』¶
Key Concept: ブッダゴーサ(Buddhaghosa, 5世紀) 上座部仏教における最重要の註釈者(アッタカターカーラ)。インド出身とされ、スリランカの大寺派に赴いて、シンハラ語の古註釈をパーリ語に翻訳・体系化した。
ブッダゴーサの主著『清浄道論(Visuddhimagga)』は、上座部仏教の教学と実践を包括的に体系化した著作である。全23章からなり、戒(sīla, 第1〜2章)・定(samādhi, 第3〜11章)・慧(paññā, 第12〜23章)の三学の構造に従って修行道を論じる。『清浄道論』はパーリ三蔵に次ぐ権威ある文献としてスリランカおよび東南アジアの上座部仏教圏で広く参照され、修行体系の事実上の標準テキストとなった。
ブッダゴーサはこのほかにも、ヴィナヤ・ピタカ(律蔵)の註釈『サマンタパーサーディカー(Samantapāsādikā)』、ディーガ・ニカーヤ(長部)の註釈『スマンガラヴィラーシニー(Sumaṅgalavilāsinī)』など主要な経律の註釈を著し、パーリ語上座部仏教の教学的基盤を確立した。
東南アジアの上座部仏教¶
上座部仏教は、インドおよびスリランカを起点として東南アジア大陸部に伝播し、各地の支配的な宗教となった。
ミャンマー(ビルマ) では、11世紀のパガン朝アノーヤター王(Anawrahta, 在位1044〜1077)の時代にモン族を通じて上座部仏教が導入・国教化され、パーリ語三蔵の研究と瞑想修行が盛んとなった。19世紀以降はミンドン王の下で第五結集(1871年)が開催され、近代のヴィパッサナー瞑想運動の母体ともなった。
タイ では、13世紀のスコータイ朝においてスリランカ系上座部仏教が導入され、以後ラーンナー王国・アユタヤ朝・チャクリー朝を通じて王権と結びつきながら発展した。ラーマ4世(モンクット、在位1851〜1868)は出家中にパーリ語研究と戒律の厳格な遵守を追求し、タンマユット派(Dhammayuttika Nikāya)を創設した。
カンボジア・ラオス でも13〜14世紀にスリランカ系上座部仏教が定着し、サンガが社会秩序の中心的機能を担った。
出家と在家の関係:サンガの社会的機能¶
上座部仏教圏における社会構造の大きな特徴は、出家者(比丘 / bhikkhu)の僧団(saṅgha)と在家者(upāsaka / upāsikā)の間の相互依存関係にある。比丘は戒律(ヴィナヤ)に基づく厳格な生活を送り、毎朝の托鉢(piṇḍapāta)によって在家者から食物の供養を受ける。在家者は比丘への布施(dāna)を通じて功徳(puñña)を積み、よりよい来世への再生を期する。
Key Concept: 功徳(puñña / merit) 布施・持戒・瞑想などの善行によって蓄積される善業の力。上座部仏教圏では、功徳を積むことが在家者の宗教実践の中核をなし、サンガへの布施はその最も一般的な手段である。
この出家—在家関係は、上座部仏教圏の社会秩序を構造的に規定している。ミャンマーやタイでは青年期に一時出家する慣行が広く存在し、男性にとって通過儀礼としての意味をもつ。サンガは教育・医療・地域コミュニティの中心として社会的機能を果たしてきた。
ヴィパッサナー瞑想と現代のマインドフルネス¶
Key Concept: ヴィパッサナー(vipassanā / insight meditation) パーリ語で「明確に見ること」を意味し、身体感覚・心的現象を注意深く観察することによって無常(anicca)・苦(dukkha)・無我(anattā)という三相を直接体験する瞑想法。サマタ(samatha, 止)と対をなす「観」の実践である。
近現代の上座部仏教において最も注目すべき展開は、在家者にも開かれたヴィパッサナー瞑想運動の興隆である。この運動は19世紀末のミャンマーに起源をもつ。
レーディー・サヤドー(Ledi Sayadaw, 1846〜1923) はアビダンマ(阿毘達磨)教学に基づくヴィパッサナー瞑想を在家者にも広く教授した先駆者であり、従来は出家者の専門領域とされてきた瞑想修行を一般社会に開放した。
マハーシ・サヤドー(Mahāsī Sayādaw, 1904〜1982) は「新ビルマ式サティパッターナ法」と呼ばれる手法を確立し、腹部の膨縮への注意を起点とする体系的な修行プログラムを開発した。ミャンマー国内に多数の瞑想センターを設立し、1972年までに約70万人の修行者を指導したとされる。その影響はスリランカ、タイ、インドネシアにも及んだ。
S. N. ゴエンカ(S. N. Goenka, 1924〜2013) はミャンマーの在家教師ウ・バ・キン(U Ba Khin, 1899〜1971)に師事し、1969年にインドへ移住した後、宗教的枠組みを超えた普遍的な瞑想法としてヴィパッサナーを世界中に普及させた。ゴエンカの系統では10日間の集中瞑想リトリートが標準的な形態となり、世界120か国以上にセンターが設立されている。
Key Concept: マインドフルネス(sati / mindfulness) パーリ語 sati(念)に由来する概念で、「今この瞬間の体験に対する、判断を交えない注意」を意味する。1970年代以降、アメリカのジョン・カバットジン(Jon Kabat-Zinn)らによって医療・心理臨床に応用され(MBSR: Mindfulness-Based Stress Reduction)、上座部仏教の瞑想実践が世俗的文脈で広く受容される契機となった。
1976年にはジョセフ・ゴールドスタイン(Joseph Goldstein)、ジャック・コーンフィールド(Jack Kornfield)、シャロン・サルツバーグ(Sharon Salzberg)らがマサチューセッツ州バレーにインサイト・メディテーション・ソサエティ(Insight Meditation Society)を設立し、上座部仏教の瞑想実践が西洋社会に根づく重要な拠点となった。
チベット仏教¶
チベットへの仏教伝来¶
チベットへの仏教伝来は、7世紀のチベット帝国統一期に遡る。
ソンツェン・ガンポ王(Srong btsan sgam po, 在位7世紀前半) はチベット高原を統一した君主であり、唐のブンチェン公主(文成公主)およびネパールのティツン(ブリクティ)を妃として迎えた。両妃はそれぞれ仏像をチベットにもたらしたと伝承され、この時期にトンミ・サンボータ(Thon mi Saṃ bho ṭa)がインドに留学してチベット文字を創製したとされる。ただし、ソンツェン・ガンポの時代にはまだ組織的な仏教の受容には至らなかった。
ティソン・デツェン王(Khri srong lde btsan, 在位742〜797年頃) の治世において仏教は国教に定められた。ティソン・デツェンはインドのナーランダ僧院の学僧シャーンタラクシタ(Śāntarakṣita)を招聘し、仏教教学の基礎を確立した。また、密教行者パドマサンバヴァ(Padmasambhava)がチベットの土着宗教ボン教の障碍を調伏するために招かれたと伝承される。
サムイェー寺と「頓漸論争」¶
775年頃、ティソン・デツェン王の庇護のもとでチベット最初の国立僧院であるサムイェー寺(bSam yas, Samye)が建立された。サムイェー寺はインドのオーダンタプリー僧院を模して建造されたと伝えられ、チベット人最初の出家者(「七覚士」)がここで誕生した。
サムイェー寺で起きた重要な事件が、いわゆる 「サムイェーの宗論」(頓漸論争) である。786年頃、敦煌から中国禅宗の僧侶摩訶衍(Mahāyāna / Hvashang Mahāyāna)がチベットに招かれ、一切の思慮分別を離れることで一挙に覚りに至るとする「頓悟」の立場を説いた。これに対し、シャーンタラクシタの弟子カマラシーラ(Kamalaśīla)がインド仏教の立場から、菩薩が段階的に修行を積んで覚りに至る「漸悟」の立場を主張した。
チベットの伝承によれば、国王の裁定の結果カマラシーラが勝利し、以後チベット仏教はインド系仏教を正統とする方向性が決定された。この論争の帰結は、チベット仏教がインド後期大乗仏教・密教の体系を継承する上で決定的な意義をもった。
チベット仏教の四大宗派¶
チベット仏教は10〜11世紀以降、複数の宗派に分化した。以下に四大宗派の概要を示す。
graph TD
A["チベット仏教"] --> B["ニンマ派<br/>(Nyingma)<br/>8世紀〜<br/>パドマサンバヴァ"]
A --> C["カギュ派<br/>(Kagyu)<br/>11世紀〜<br/>マルパ・ミラレパ"]
A --> D["サキャ派<br/>(Sakya)<br/>11世紀〜<br/>コン氏"]
A --> E["ゲルク派<br/>(Gelug)<br/>14世紀〜<br/>ツォンカパ"]
B --- B1["特徴: ゾクチェン<br/>テルマ(埋蔵経典)"]
C --- C1["特徴: マハームドラー<br/>多数の支派"]
D --- D1["特徴: 道果説<br/>元朝との関係"]
E --- E1["特徴: 戒律重視<br/>ダライ・ラマ制度"]
ニンマ派(rNying ma pa / Nyingma)¶
ニンマ派は「古派」を意味し、パドマサンバヴァを宗祖とする。チベット帝国期(8〜9世紀)に翻訳された「旧訳」(snga 'gyur)のタントラ群を典拠とし、10世紀以降に「新訳」のタントラが導入された際に、旧来の伝統を維持する集団として「ニンマ(古い)」と呼ばれるようになった。
Key Concept: ゾクチェン(rDzogs chen / Great Perfection, 大究竟) ニンマ派の最高位の教えとされる瞑想体系。心の本性(rig pa, 覚知)はすでに完全であり、人為的な修正を加えることなくその自然な状態にとどまることで解脱が実現するとする。
ニンマ派のもう一つの特徴は テルマ(gter ma, 埋蔵経典) の伝統である。パドマサンバヴァが将来の適切な時機に発見されるよう隠した教えを、テルトン(gter ston, 埋蔵経典発掘者)が発見するという形式で新たな経典が出現する。ニンマ派は中央集権的な僧院組織をもたず、在家行者やヨーガ行者による実践の伝統も重視する。
カギュ派(bKa' brgyud pa / Kagyu)¶
カギュ派は「口伝の系統」を意味し、インドの密教行者ティローパ(Tilopa)・ナーローパ(Nāropa)の教えがチベットに伝えられた系統である。
マルパ・ロツァワ(Mar pa lo tsā ba, 1012〜1097) はインドに複数回渡ってナーローパから密教の教えを受け、チベットに持ち帰った。マルパの弟子 ミラレパ(Mi la ras pa, 1040〜1123) はチベット仏教史上最も著名な修行者の一人であり、苦行と瞑想による覚りの達成で知られる。ミラレパの弟子 ガンポパ(sGam po pa, 1079〜1153) は僧院制度を整備し、カギュ派を組織的宗派として確立した。
カギュ派の主要な修行体系は マハームドラー(phyag rgya chen po / Mahāmudrā, 大印) であり、心の本性を直接認識することを目的とする。カギュ派はガンポパの弟子たちにより多数の支派に分かれ、カルマ・カギュ派、ディクン・カギュ派、ドゥクパ・カギュ派などが形成された。とりわけカルマ・カギュ派のカルマパは、チベット仏教における転生活仏制度の嚆矢として知られる。
サキャ派(Sa skya pa / Sakya)¶
サキャ派は、1073年にコン・コンチョク・ギェルポ('Khon dKon mchog rgyal po)が中央チベットにサキャ寺を建立したことに始まる。インドの密教行者ヴィルーパ(Virūpa)から伝わるヘーヴァジュラ・タントラの教えを中核とし、道果説(lam 'bras / Lamdré) を主要な教学体系とする。道果説は、修行の道(lam)と果('bras bu)が不可分であるとする教えである。
13世紀にはサキャ・パンディタ(Sa skya Paṇḍita, 1182〜1251)がモンゴルのゴダン・カンに招かれ、その甥パクパ('Phags pa, 1235〜1280)がクビライ・カアンの帝師に就任した。これにより、サキャ派はモンゴル帝国(元朝)の庇護のもとでチベットの政教両面における権力を掌握した。
ゲルク派(dGe lugs pa / Gelug)¶
Key Concept: ツォンカパ(Tsong kha pa, 1357〜1419) チベット仏教ゲルク派の開祖。中観帰謬論証派(プラーサンギカ)の哲学的立場を採用し、戒律の厳格な遵守と論理的な教学体系を重視した。主著『菩提道次第大論(Lam rim chen mo)』はアティーシャの『菩提道灯論』を範とし、凡夫から仏果に至る修行の全体系を段階的に整理した。
ツォンカパは1409年にガンデン寺(dGa' ldan)を建立し、ゲルク派の総本山とした。ゲルク派は「黄帽派(Yellow Hats)」とも呼ばれ、戒律の厳格な遵守、中観哲学に基づく精緻な教学、秘密集会タントラ(Guhyasamāja Tantra)の重視を特徴とする。
ツォンカパの没後、その教えはダライ・ラマ(tā la'i bla ma)とパンチェン・ラマ(pan chen bla ma)の二つの転生系統によって継承された。ダライ・ラマは観世音菩薩(アヴァローキテーシュヴァラ)の化身、パンチェン・ラマは阿弥陀如来(アミターバ)の化身とされ、ゲルク派の二大精神的指導者として併存する。17世紀、ダライ・ラマ5世(1617〜1682)がモンゴルの軍事支援を背景にチベットの政教一致政権(ガンデン・ポタン政府)を樹立し、以後ダライ・ラマがチベットの政治的元首を兼ねる体制が20世紀半ばまで続いた。
転生活仏(トゥルク)制度¶
Key Concept: トゥルク(sprul sku / tulku, 転生活仏) 高僧の意識的な転生によって法統を継承する制度。「トゥルク」は「化身」を意味し、中国語では「活仏(huófó)」と呼ばれる。先代の高僧が没した際、その転生者とされる幼児を探し出して後継者とする。
チベット仏教に独自の制度であるトゥルク制度は、12〜13世紀にカルマ・カギュ派において確立された。1288年にヨーガ行者オルギェンパ(Orgyenpa, 1230〜1309)が4歳の少年をカルマ・パクシ(Karma Pakshi, 1204〜1283)の転生として認定したのが、制度としてのトゥルク認定の嚆矢とされる。この先例はその後チベット仏教の全宗派に広がり、ダライ・ラマ、パンチェン・ラマをはじめとする多数の転生系統が確立された。
転生者の認定にあたっては、先代の遺言、高僧の夢告・神託(ネーチュン神託官など)、自然現象の兆候(虹、異常な天候)、候補者の幼児が先代の遺品を選び取る試験など、多角的な方法が用いられる。トゥルク制度は宗教的法統の連続性を保証すると同時に、僧院の財産・権威の継承メカニズムとしても機能した。
チベット死者の書(バルドゥ・トドゥル)¶
Key Concept: バルドゥ(bardo / 中有) チベット仏教における「中間状態」を意味する概念。とりわけ死の瞬間から次の生への再生までの間に意識が経験する諸段階を指す。
『チベット死者の書』の通称で知られる 『バルドゥ・トドゥル(Bar do thos grol, 聞くことによる中有からの解脱)』 は、ニンマ派のテルマ文献に属し、パドマサンバヴァが著したものを14世紀のテルトンであるカルマ・リンパ(Karma gling pa)が発掘したと伝えられる。1927年にウォルター・エヴァンス=ヴェンツ(Walter Evans-Wentz)が "The Tibetan Book of the Dead" として英訳出版し、西洋で広く知られるようになった。
同書は、死に臨む人の耳元で四十九日間にわたって読み聞かされる経典であり、死者の意識が経験する三つのバルドゥの段階を説く。
- チカエ・バルドゥ(chi ka'i bar do): 死の瞬間に現れるバルドゥ。根源的な光明('od gsal)が出現し、これを認識できれば即座に解脱する。
- チョエニ・バルドゥ(chos nyid bar do): 心の本性のバルドゥ。寂静尊と忿怒尊の幻視(ヴィジョン)が次々に出現する。これらが自己の心の投影であると認識できれば解脱に至る。
- シパ・バルドゥ(srid pa'i bar do): 再生のバルドゥ。前二段階で解脱できなかった意識が、業の力に導かれて次の生へと向かう段階。よりよい再生先を選ぶための教示が与えられる。
バルドゥ・トドゥルの思想は、死を修行の究極的機会として位置づけるチベット仏教の死生観を端的に表現しており、20世紀以降は西洋の死生学やトランスパーソナル心理学にも影響を与えた。
現代のチベット仏教:ダライ・ラマ14世と亡命チベット仏教¶
1950年、中華人民共和国によるチベット侵攻が始まり、1959年のチベット蜂起の失敗後、ダライ・ラマ14世テンジン・ギャツォ(bsTan 'dzin rgya mtsho, 1935〜)はインドのダラムサラに亡命した。ダライ・ラマ14世は亡命政府(中央チベット行政府)を率いるとともに、非暴力による民族自決を訴え、1989年にノーベル平和賞を受賞した。
亡命チベット人社会において僧院教育の再建が進められ、南インドを中心にデプン寺、セラ寺、ガンデン寺の三大僧院が再建された。チベット仏教はまた、ダライ・ラマ14世をはじめとする指導者たちの積極的な活動により、欧米を中心に世界的に信奉者を広げている。ダライ・ラマ14世は科学者との対話にも積極的であり、仏教と現代科学の接点を探る「心と生命研究所(Mind and Life Institute)」の活動を支援している。
まとめ¶
本セクションの要点: - 上座部仏教はパーリ語三蔵を正典とし、スリランカ・東南アジアを主要分布域とする。ブッダゴーサの『清浄道論』が教学と実践の体系化において中心的役割を果たした - 上座部仏教圏では出家僧団(サンガ)と在家者の相互依存関係が社会構造の基盤をなし、托鉢と布施を通じた功徳の蓄積が在家実践の核心である - 近現代のヴィパッサナー瞑想運動は、レーディー・サヤドー、マハーシ・サヤドー、ゴエンカらによって在家者に開放され、西洋のマインドフルネス運動に大きな影響を与えた - チベット仏教はソンツェン・ガンポ王の時代に仏教が伝来し、ティソン・デツェン王の下でインド系仏教が正統として確立された。サムイェーの宗論(頓漸論争)の帰結が決定的であった - チベット仏教は四大宗派(ニンマ派・カギュ派・サキャ派・ゲルク派)に分化し、それぞれ固有の教学・修行体系をもつ - トゥルク(転生活仏)制度はチベット仏教に独自の法統継承メカニズムであり、ダライ・ラマ制度の基盤をなす - 『バルドゥ・トドゥル(チベット死者の書)』は死を修行の究極的機会として位置づけるチベット仏教の死生観を代表する文献である
Module 2-4 全体の振り返り:
Module 2-4では、仏教という巨大な宗教伝統を4つのセクションにわたって概観した。Section 1では原始仏教の根本教理(四諦・八正道・縁起・三法印)と部派仏教の形成を扱い、仏教の教理的基盤を確認した。Section 2では大乗仏教の思想的展開――中観派の空、唯識思想、如来蔵思想、そして密教――を追った。Section 3では中国および日本における仏教受容の歴史と各宗派の特徴を検討した。そして本セクション(Section 4)では、南伝の上座部仏教と北伝の中でも独自の展開を遂げたチベット仏教を取り上げた。
これら4セクションを通じて明らかとなるのは、ゴータマ・ブッダの教えが異なる言語・文化圏に伝播する中で、根本教理を共有しつつも驚くべき多様性を生み出した事実である。この多様性は、仏教が「対機説法(相手の機根に応じた教え)」という原理を内在させていたことに起因する部分も大きい。
Module 2-5「ヒンドゥー教」への接続:
次のModule 2-5では、仏教と共通のインド思想的基盤をもちながら、異なる方向に発展したヒンドゥー教を取り上げる。ヴェーダ宗教からウパニシャッド哲学、叙事詩時代を経てプラーナ文献に至る展開、そしてヴィシュヌ信仰・シヴァ信仰・シャクティ信仰といった多元的な神格体系を学ぶ。仏教とヒンドゥー教は相互に影響を与え合った関係にあり、とりわけ密教はヒンドゥー・タントラとの交渉なくしては理解できない。Module 2-4で得た仏教の知識は、ヒンドゥー教を理解する上での重要な比較軸となる。
用語集(Glossary)¶
| 用語 | 表記 | 定義 |
|---|---|---|
| 上座部仏教 | Theravāda Buddhism | パーリ語三蔵を正典とし、スリランカ・東南アジアを主要分布域とする仏教の一派 |
| ブッダゴーサ | Buddhaghosa | 5世紀の上座部仏教の最重要註釈者。『清浄道論』の著者 |
| 清浄道論 | Visuddhimagga | ブッダゴーサの主著。戒・定・慧の三学に基づき修行道を体系化した著作 |
| 功徳 | puñña / merit | 布施・持戒・瞑想などの善行により蓄積される善業の力 |
| ヴィパッサナー | vipassanā / insight meditation | 身体感覚・心的現象の観察を通じて三相を直接体験する瞑想法 |
| マインドフルネス | sati / mindfulness | パーリ語 sati に由来する「今この瞬間への判断を交えない注意」の概念 |
| ゾクチェン | rDzogs chen / Great Perfection | ニンマ派の最高位の教え。心の本性の自然な状態にとどまることで解脱するとする |
| マハームドラー | phyag rgya chen po / Mahāmudrā | カギュ派の主要な修行体系。心の本性の直接認識を目的とする |
| トゥルク | sprul sku / tulku | 高僧の意識的転生による法統継承制度。「転生活仏」「化身」の意 |
| バルドゥ | bardo / 中有 | 死の瞬間から再生までの中間状態 |
| テルマ | gter ma / 埋蔵経典 | パドマサンバヴァが隠し、後にテルトンが発掘するとされる経典 |
| ツォンカパ | Tsong kha pa | ゲルク派の開祖(1357〜1419)。戒律重視と中観哲学に基づく教学で知られる |
| 道果説 | lam 'bras / Lamdré | サキャ派の主要教学。修行の道と果が不可分であるとする教え |
| 頓漸論争 | サムイェーの宗論 | 8世紀にチベットで行われた中国禅宗(頓悟)とインド仏教(漸悟)の論争 |
確認問題¶
Q1: ブッダゴーサの『清浄道論』は上座部仏教においてどのような位置づけにあるか。その構成と意義を説明せよ。 A1: 『清浄道論(Visuddhimagga)』は、5世紀にブッダゴーサが著したパーリ語文献であり、パーリ三蔵に次ぐ権威をもつ上座部仏教の最重要著作である。全23章からなり、戒(第1〜2章)・定(第3〜11章)・慧(第12〜23章)の三学の構造に基づいて修行道を包括的に体系化した。スリランカおよび東南アジアの上座部仏教圏において修行体系の事実上の標準テキストとして機能し、後代の教学・実践の基盤を提供した。
Q2: 上座部仏教圏における出家者(サンガ)と在家者の関係を「功徳」の概念を用いて説明せよ。 A2: 上座部仏教圏では、出家者の僧団(サンガ)と在家者の間に相互依存関係が成立している。比丘は毎朝の托鉢によって在家者から食物の供養を受け、戒律に基づく修行生活を送る。在家者は比丘への布施(dāna)を通じて功徳(puñña)を蓄積し、よりよい来世への再生を期する。この交換関係が上座部仏教圏の社会秩序の構造的基盤をなしており、布施の実践は在家者にとっての最も一般的な宗教行為となっている。
Q3: サムイェーの宗論(頓漸論争)の経緯とその帰結がチベット仏教の方向性に与えた影響を論ぜよ。 A3: 786年頃、サムイェー寺において中国禅宗の僧侶摩訶衍(頓悟派)とインド仏教のカマラシーラ(漸悟派)の間で論争が行われた。摩訶衍は一切の思慮分別を離れることで一挙に覚りに至ると主張し、カマラシーラは菩薩が段階的に修行を積んで覚りに至ると主張した。ティソン・デツェン王の裁定によりカマラシーラが勝利したとされ、以後チベット仏教はインド系仏教(後期大乗仏教・密教)を正統として継承する方向性が確定した。この決定はチベット仏教の教学的基盤を規定する上で決定的な意義をもった。
Q4: チベット仏教の四大宗派のうち、ニンマ派とゲルク派の教学的特徴の違いを比較せよ。 A4: ニンマ派は「古派」として8〜9世紀の旧訳タントラを典拠とし、パドマサンバヴァを宗祖とする。ゾクチェン(大究竟)を最高位の教えとし、心の本性がすでに完全であるとする立場から、人為的修正を排した自然な覚知の実践を重視する。テルマ(埋蔵経典)の伝統が独自の経典形成メカニズムとして機能し、中央集権的僧院組織をもたない。一方、ゲルク派はツォンカパ(14世紀)を開祖とし、戒律の厳格な遵守と中観帰謬論証派に基づく論理的教学体系を特徴とする。修行道を段階的に整理する「道次第(ラムリム)」の方法論を採用し、体系的な僧院教育制度を確立した。ダライ・ラマ・パンチェン・ラマの転生系統を通じた政教一致体制を築いた点でも対照的である。
Q5: 近現代のヴィパッサナー瞑想運動が西洋のマインドフルネス運動にどのように接続したかを、具体的な人物・組織を挙げて説明せよ。 A5: ヴィパッサナー瞑想運動は19世紀末ミャンマーのレーディー・サヤドーに始まり、マハーシ・サヤドーが体系的修行プログラムを確立、S. N. ゴエンカがインドおよび世界各地に瞑想センターを設立して普及に貢献した。1976年にはジョセフ・ゴールドスタイン、ジャック・コーンフィールド、シャロン・サルツバーグらがマサチューセッツ州バレーにインサイト・メディテーション・ソサエティを設立し、上座部仏教の瞑想実践が西洋に根づく拠点となった。ジョン・カバットジンはこの瞑想実践を医療・心理臨床に応用し、マインドフルネス・ストレス低減法(MBSR)を開発した。こうして、パーリ語の sati に基づく仏教的概念が「マインドフルネス」として世俗的文脈に翻訳され、世界的な広がりをもつに至った。