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Module 2-5 - Section 3: バクティ運動・実践・近現代

セクション情報

項目 内容
モジュール Module 2-5: ヒンドゥー教
前提セクション Section 1
想定学習時間 5時間

導入

Section 1・Section 2 では、ヴェーダからウパニシャッドに至る思想的基盤、および叙事詩・プラーナ文献を通じた神話体系と六派哲学を扱った。本セクションでは、ヒンドゥー教が民衆の宗教として展開したバクティ(信愛)運動、日常的・儀礼的実践の体系、カースト制度と宗教の関係、そして近現代における改革運動を取り上げる。バクティ運動は6世紀の南インドに端を発し、15〜17世紀に北インドで最盛期を迎えた。カースト・性別を超えた神への直接的帰依を説くこの潮流は、ヒンドゥー教の大衆化を決定的なものとした。さらに19世紀以降、西洋近代との接触を契機とする改革運動が興り、ヒンドゥー教は自己変革と政治的動員の両面で新たな局面を迎える。


バクティ運動

Key Concept: バクティ(bhakti / 信愛) 神への熱烈な愛と献身を通じて解脱(モークシャ)に至る道。祭式や苦行ではなく、個人的・情緒的な神との関係を重視する。『バガヴァッド・ギーター』第12章においてクリシュナが説くバクティ・ヨーガがその思想的根拠となる。

ギーターにおけるバクティ・ヨーガ

『バガヴァッド・ギーター』はジュニャーナ・ヨーガ(知識の道)、カルマ・ヨーガ(行為の道)と並んでバクティ・ヨーガ(信愛の道)を解脱への道として提示する。第12章でクリシュナはアルジュナに対し、「私に心を定め、常に私を思う者は、最も優れたヨーガ行者である」と述べ、無形のブラフマンへの瞑想よりも、人格神への帰依をより容易で確実な道として位置づけた。この教説がバクティ運動の思想的出発点となる。

南インドにおける展開(6〜10世紀)

バクティ運動は6世紀頃、タミルナードゥ地方で発生した。ヴィシュヌ派の聖者群であるアールヴァール(Āḻvār)とシヴァ派の聖者群であるナーヤナール(Nāyanār)が、タミル語による讃歌を通じて神への熱烈な帰依を歌い上げた。

ナーヤナール(Nāyanār) は63人のシヴァ派聖者の総称で、6〜8世紀にかけてタミル地方で活動した。彼らの讃歌は後に『テーヴァーラム』(Tēvāram)として編纂された。ティルニャーナサンバンダル、ティルナーヴッカラサル、スンダラルの三人が特に重要である。

アールヴァール(Āḻvār) は12人のヴィシュヌ派聖者の総称で、同時期にヴィシュヌ(特にその化身としてのクリシュナやラーマ)への讃歌をタミル語で詠んだ。彼らの讃歌集『ナーラーイラ・ディヴィヤ・プラバンダム』(Nālāyira Divya Prabandham)は、「タミルのヴェーダ」とも称される。アールヴァールには女性聖者アーンダール(Āṇṭāḷ)も含まれ、カースト・性別を超えた信愛の普遍性を体現した。

南インドのバクティはやがて哲学的体系化を促し、ラーマーヌジャ(Rāmānuja, 11〜12世紀)のヴィシシュタードヴァイタ(制限不二一元論)として結実する。ラーマーヌジャはバクティを哲学的に基礎づけ、ヴィシュヌ派の組織的展開に決定的な影響を与えた。

また、カシミール・シヴァ派(Kaśmīra Śaiva)は9〜11世紀にカシミール地方で展開した。アビナヴァグプタ(Abhinavagupta)を代表的思想家とし、シヴァの遍在性と意識の非二元性を説いた。ヴェーダーンタ系の不二一元論とは異なり、世界を幻影(マーヤー)として否定せず、シヴァのエネルギー(シャクティ)の現れとして肯定する点に特徴がある。

北インドへの拡大(12〜17世紀)

イスラーム諸王朝の進出(12世紀〜)と時期を同じくして、バクティ運動は北インドへ拡大した。ヒンディー語・ベンガル語・マラーティー語など各地の言語で詩歌が生み出され、サンスクリットを解さない民衆の間に広まった。

timeline
    title バクティ運動の地域的・時代的展開
    section 南インド(6〜12世紀)
        6-8世紀 : ナーヤナール(シヴァ派63聖者)
               : アールヴァール(ヴィシュヌ派12聖者)
        11-12世紀 : ラーマーヌジャ(ヴィシシュタードヴァイタ)
    section 西インド(13〜17世紀)
        13世紀 : ニャーネーシュワル(マラーティー語バクティ)
        15世紀 : ナームデーヴ(ヴィシュヌ派詩聖)
        16世紀 : ミーラーバーイー(ラージャスターン)
    section 北インド(15〜17世紀)
        15世紀 : カビール(ニルグナ・バクティ)
               : ラヴィダース(不可触民出身の聖者)
        16世紀 : トゥルスィーダース(ラーマチャリトマーナス)
               : チャイタニヤ(ベンガルのクリシュナ信仰)

サント運動:ニルグナ・バクティとサグナ・バクティ

北インドのバクティ運動は、神をどのように表象するかによって二つの潮流に分かれる。

サグナ・バクティ(saguṇa bhakti) は、属性・形象をもつ人格神(ラーマ、クリシュナなど)への帰依を説く。トゥルスィーダースやスールダースがこの系統に属する。

ニルグナ・バクティ(nirguṇa bhakti) は、属性を超えた無形の絶対者への帰依を説く。サント運動(Sant Mat)の詩聖たちがこの潮流を代表する。ナート派(Nāth)の瑜伽行やスーフィズムの影響を受けつつ、偶像崇拝・カースト差別・形式的儀礼を批判した。

中世の詩聖たち

カビール(Kabīr, 15世紀) はヴァーラーナシーの織工カーストに生まれ、ヒンドゥー教・イスラーム双方の形式主義を批判した。「ラーマ」の名を唱えたが、それは特定の神格ではなく無属性の絶対者を意味した。その詩はヒンディー語で口承され、後にシク教聖典『グル・グラント・サーヒブ』にも収録された。

ミーラーバーイー(Mīrābāī, 1498頃〜1546頃) はラージャスターンの王族出身で、クリシュナへのサグナ・バクティを歌った女性詩聖である。嫁ぎ先の王家の反対を押し切り、放浪の聖者としてクリシュナへの愛を詠み続けた。性別・身分による社会的制約への抵抗としても読まれる。

トゥルスィーダース(Tulsīdās, 1532頃〜1623) はラーマへのサグナ・バクティの代表者で、アワディー語で『ラーマチャリトマーナス』(Rāmacaritamānasa)を著した。ヴァールミーキの『ラーマーヤナ』を民衆語で再構成したこの作品は、北インドにおけるラーマ信仰の基盤となった。

チャイタニヤ(Caitanya, 1486〜1534) はベンガルにおけるクリシュナ信仰の中心人物で、集団的なキールタン(讃歌斉唱)を通じたエクスタティックな信仰実践を広めた。カースト・宗教の区別なく弟子を受け入れ、後のガウディーヤ・ヴァイシュナヴァ派(ISKCON〔ハレ・クリシュナ運動〕の源流)を形成した。


実践と儀礼

プージャー(pūjā / 礼拝)

Key Concept: プージャー(pūjā / 礼拝) ヒンドゥー教における日常的な神への礼拝行為。神像を生ける神の顕現として扱い、沐浴・着衣・供花・供食・灯明・讃歌などの一連の奉仕(upacāra)を行う。

プージャーは寺院と家庭の双方で実践される。寺院プージャーでは僧侶(プジャーリー)が主宰し、大規模な祭祀として行われる。家庭プージャーでは各家に設けられた神棚(pūjā ghar)において家長が日常的に執り行う。アーラティ(āratī)と呼ばれる灯明の儀式は、プージャーの中核をなす要素である。

プージャーの根底にはダルシャナ(darśana / 神を見ること・神に見られること)の概念がある。信者は神像を見、同時に神からの視線を受けることで、恩寵を得ると信じられる。

巡礼(tīrtha yātrā)

ヒンドゥー教における巡礼地はティールタ(tīrtha / 渡し場)と呼ばれ、聖俗の境界を渡る場を意味する。四大聖地(チャールダーム / Chār Dhām)として、北のバドリーナート(Badrīnāth)、南のラーメーシュワラム(Rāmeśvaram)、東のプリー(Purī)、西のドワールカー(Dvārakā)がインド亜大陸の四方に配置される。

これに加え、ヴァーラーナシー(Vārāṇasī / ベナレス)はシヴァの聖都として最重要の巡礼地であり、ガンジス河畔のガート(階段状の沐浴場)で死を迎えることが最上のモークシャへの道とされる。ハリドワール(Haridvār)はガンジス河が平野部に流出する地点に位置し、12年に一度のクンブ・メーラー(Kumbha Melā)の開催地の一つとして数百万の巡礼者を集める。

通過儀礼(saṃskāra)

ヒンドゥー教の伝統では、人生の各段階に16の通過儀礼(ṣoḍaśa saṃskāra)が定められている。主要なものは以下の通りである。

儀礼名 サンスクリット名 内容
命名式 nāmakaraṇa 誕生後10〜12日目に行われる命名の儀式
食い初め annaprāśana 初めて固形食を与える儀式(生後6ヶ月頃)
入門式 upanayana 聖紐(ジャネーウー)を授与される「再生」の儀式。上位三ヴァルナの男子に限定
結婚式 vivāha 聖火の周囲を七回廻る「サプタパディー」が中心儀礼
葬送儀礼 antyeṣṭi 火葬と遺灰のガンジス河への散布。長子が火葬の火を点ける

特にウパナヤナ(upanayana / 入門式)は、上位三ヴァルナ(ブラーフマナ・クシャトリヤ・ヴァイシャ)の男子が師(グル)のもとでヴェーダ学習を開始する儀式であり、「二度生まれの者」(dvija)としての資格を得る。

祭礼

ヒンドゥー教の祭礼は太陰暦に基づき、地域ごとに多様な形態をとる。

  • ディーワーリー(Dīvālī / 光の祭り):ラーマの帰還を祝い、無数の灯火を灯す。ラクシュミー女神への礼拝も行われ、商業年度の始まりとされる。
  • ホーリー(Holī / 色の祭り):春の到来を祝い、色粉・色水を掛け合う。クリシュナとラーダーの神話的恋愛が背景にある。カースト・性別の区分が一時的に緩和される逆転祭としての性格をもつ。
  • ダシャラー(Dasharā / ナヴァラートリ):女神ドゥルガーによる魔神マヒシャーの退治、またはラーマによるラーヴァナの打倒を記念する。10日間の祭礼の最終日にラーヴァナの巨像を焼く。
  • ガネーシャ・チャトゥルティー(Gaṇeśa Caturthī):象頭神ガネーシャの誕生を祝う祭礼。マハーラーシュトラ州で特に盛大に行われる。

ヴァルナ・ジャーティ制度と宗教

Key Concept: ヴァルナ(varṇa / 種姓) 社会を四つの機能的階層に区分する理念的枠組み。『リグ・ヴェーダ』「プルシャ・スークタ」(10.90)に起源をもち、原人プルシャの身体各部から四ヴァルナが生じたとされる。

ヴァルナの四区分

ヴァルナ 由来(プルシャの身体) 伝統的職能
ブラーフマナ(brāhmaṇa) 祭祀・教育・学問
クシャトリヤ(kṣatriya) 統治・軍事
ヴァイシャ(vaiśya) 農業・商業・牧畜
シュードラ(śūdra) 上位三ヴァルナへの奉仕

ヴァルナ体系は理念的・規範的なものであり、実際の社会組織はジャーティ(jāti)によって構成される。

ジャーティとカースト制度

ジャーティ(jāti / 生まれ)は、内婚制・世襲的職業・食事規制・浄-不浄の階梯に基づく実際の社会集団であり、インド亜大陸に数千存在する。ポルトガル語の casta(カースト)は、ヴァルナとジャーティの双方を指す外来概念として用いられた。

ダルマシャーストラ(法典文献)はヴァルナ間の序列と義務を規定したが、ジャーティの序列は地域・時代により流動的であった。植民地期のイギリスによるセンサス(国勢調査)はジャーティを固定的カテゴリーとして記録し、制度の硬直化を促進した。

ダリット問題とアンベードカルの仏教改宗運動

ヴァルナ体系の外部に位置づけられた人々は、「不可触民」(untouchable)と呼ばれ、火葬・皮革加工・清掃などの「不浄」な職業に従事させられた。マハートマー・ガンディーは彼らを「ハリジャン」(神の子)と呼んだが、当事者はこの呼称を拒否し、ダリット(Dalit / 踏みにじられた者)という自称を選んだ。

ビームラーオ・ラームジー・アンベードカル(B.R. Ambedkar, 1891〜1956)はマハール・カースト(ダリット)出身の法学者であり、インド憲法の起草者である。アンベードカルは、カースト差別がヒンドゥー教の聖典に根拠をもつ限り、ヒンドゥー教内部からの改革は不可能であると結論し、20年以上の検討の末、1956年10月14日にナーグプルのディークシャーブーミで約36万5千人の支持者とともに仏教に集団改宗した。この運動はダリット仏教運動(Dalit Buddhist movement)と呼ばれ、1961年の国勢調査では仏教徒人口が1,697%増加した。アンベードカルの仏教は伝統的な上座部・大乗仏教とは異なり、「ナヴァヤーナ」(Navayāna / 新しい乗り物)と称される社会的解放を核とする仏教解釈である。


近現代のヒンドゥー教改革

19世紀のインドでは、イギリス植民地支配と西洋近代思想との接触を契機に、ヒンドゥー教の内部改革運動が相次いで興った。

ラーム・モーハン・ロイとブラフモ・サマージ

ラーム・モーハン・ロイ(Ram Mohan Roy, 1772〜1833)は「近代インドの父」と称されるベンガルの知識人で、1828年にブラフモ・サマージ(Brahmo Samaj / 梵の会)を設立した。ロイはウパニシャッドの一元論を真正なヒンドゥー教の核心と見なし、偶像崇拝・カースト差別・サティー(satī / 寡婦焚死)を批判した。彼の運動は1829年のサティー禁止法(Sati Regulation Act)の成立に直接貢献した。

ダヤーナンダ・サラスヴァティーとアーリヤ・サマージ

ダヤーナンダ・サラスヴァティー(Dayānanda Sarasvatī, 1824〜1883)は1875年にアーリヤ・サマージ(Ārya Samāj / アーリヤの会)を設立した。「ヴェーダに帰れ」(Back to the Vedas)をスローガンとし、ヴェーダのみを権威ある聖典として認め、プラーナ文献・偶像崇拝・カースト差別を否定した。アーリヤ・サマージはシュッディ(śuddhi / 浄化)運動を通じて他宗教からの改宗を受け入れ、ヒンドゥー教の積極的な布教組織として機能した。

ラーマクリシュナとヴィヴェーカーナンダ:ネオ・ヴェーダーンタ

Key Concept: ネオ・ヴェーダーンタ(Neo-Vedānta) 19世紀後半に形成された、ヴェーダーンタ哲学の近代的再解釈。すべての宗教は同一の究極的真理に至る異なる道であるとする宗教多元主義と、ヴェーダーンタの普遍性の主張を特徴とする。

ラーマクリシュナ・パラマハンサ(Rāmakṛṣṇa, 1836〜1886)はベンガルの神秘家で、ヒンドゥー教・イスラーム・キリスト教の各々の修行を実践し、すべての宗教が同一の神的実在に至ると説いた。

その弟子スワーミー・ヴィヴェーカーナンダ(Svāmī Vivekānanda, 1863〜1902)は、1893年のシカゴ万国宗教会議(World's Parliament of Religions)において「アメリカの兄弟姉妹よ」の演説で世界的注目を集めた。ヴィヴェーカーナンダはアドヴァイタ・ヴェーダーンタ(不二一元論)を普遍的哲学として西洋に紹介し、1897年にラーマクリシュナ・ミッション(Ramakrishna Mission)を設立して教育・医療・社会奉仕を展開した。ネオ・ヴェーダーンタはその後のインド・ナショナリズムの精神的基盤ともなった。

マハートマー・ガンディーの宗教思想

モーハンダース・カラムチャンド・ガンディー(Mahatma Gandhi, 1869〜1948)の政治思想は深く宗教的信念に根ざしていた。

  • アヒンサー(ahiṃsā / 非暴力):ジャイナ教・仏教・ヒンドゥー教に共通する不殺生の原理を、政治的抵抗の方法論として体系化した。
  • サティヤーグラハ(satyāgraha / 真理の把持):非暴力による不服従運動の原理。真理(satya)への固執が不正な体制を変革する力をもつとした。
  • ガンディーは『バガヴァッド・ギーター』を最も重要な聖典と見なし、カルマ・ヨーガ(無私の行為)の実践者として政治的行動を位置づけた。カースト差別の廃絶を訴えたが、ヴァルナ体系そのものを否定したわけではなく、この点でアンベードカルとの根本的対立があった。

ヒンドゥー・ナショナリズム

Key Concept: ヒンドゥトヴァ(Hindutva) ヴィナーヤク・ダーモーダル・サーヴァルカル(V.D. Savarkar)が1923年の著作で定式化した政治的イデオロギー。「ヒンドゥーであること」を宗教的帰属ではなく文化的・地理的・民族的アイデンティティとして定義し、インドをヒンドゥー国家として構想する。

ヒンドゥー・ナショナリズムの組織的展開は以下の三団体を軸とする。

  • RSS(民族奉仕団 / Rāṣṭrīya Svayamsevak Saṅgh):1925年にK.B.ヘードゲーワールが設立。ヒンドゥー社会の組織化・身体訓練を通じた文化的統合を目指す。「サング・パリワール」(Sangh Parivar / RSS系団体群)の中核。
  • VHP(世界ヒンドゥー協会 / Viśva Hindū Pariṣad):1964年設立。ヒンドゥー教の統一的組織化と世界的布教を目的とする。1992年のバーブリー・マスジド破壊事件の主要な推進組織の一つ。
  • BJP(インド人民党 / Bhāratīya Janatā Party):1980年設立。1989年にヒンドゥトヴァを公式イデオロギーとして採択。1990年代のラーム・ジャンマブーミ運動を通じて勢力を拡大し、現在のインド与党である。

1992年12月6日のバーブリー・マスジド(Babri Masjid)破壊事件は、ヒンドゥー・ナショナリズムの暴力的側面を象徴する出来事であった。アヨーディヤーのこのモスクはラーマ生誕地に建てられたとされ、その撤去を求める運動が大規模な宗派間暴動を引き起こした。

ヒンドゥトヴァをめぐっては、ヒンドゥー教の宗教的多元性・非教義的性格との矛盾、少数派(ムスリム・キリスト教徒)の権利との衝突、世俗主義(secularism)の原則との緊張が継続的な論争となっている。


まとめ

  • バクティ運動は6世紀南インドに発し、15〜17世紀に北インドで最盛期を迎えた。カースト・性別を超えた神への直接的帰依を説き、地方語による讃歌を通じてヒンドゥー教の大衆化を推進した。
  • ニルグナ・バクティ(無属性の絶対者への信愛)とサグナ・バクティ(有属性の人格神への信愛)の二潮流が並存し、カビール・ミーラーバーイー・トゥルスィーダース・チャイタニヤなどの詩聖を生んだ。
  • プージャー・巡礼・通過儀礼・祭礼がヒンドゥー教の実践体系を構成し、日常生活と宗教的意味づけを結びつける。
  • ヴァルナ(理念的四区分)とジャーティ(実際の社会集団)は相互に関連しつつも異なる概念であり、カースト制度はその複合体として機能した。アンベードカルの仏教改宗運動はカースト差別への最も根本的な抵抗であった。
  • 19世紀以降、ブラフモ・サマージ、アーリヤ・サマージ、ラーマクリシュナ・ミッションなどの改革運動が興り、社会改革と宗教的自己刷新を推進した。ネオ・ヴェーダーンタは宗教多元主義とヴェーダーンタの普遍性を結合した。
  • ガンディーのアヒンサー・サティヤーグラハは宗教的原理の政治的実践化であり、ヒンドゥトヴァはヒンドゥー教の政治的動員という別の方向性を示す。

Module 2-5 全体の振り返り: 本モジュールではヒンドゥー教を、(1) ヴェーダ・ウパニシャッドの思想的基盤と核心概念(Section 1)、(2) 叙事詩・プラーナの神話体系と六派哲学(Section 2)、(3) バクティ運動・実践・近現代の展開(Section 3)の三側面から考察した。ヒンドゥー教は単一の教祖・聖典・教義をもたず、多層的な伝統の複合体として理解すべきであり、その内部には一元論的哲学から多神教的民衆信仰、社会制度としてのカースト、近代的改革運動、政治的ナショナリズムまでを包含する。

Module 2-6「日本宗教史」への接続: 次のモジュールでは、仏教の日本への伝来とその変容を扱う。インドで成立した仏教がヒンドゥー教との相互作用の中で発展したこと(→ Module 2-4)、そしてヒンドゥー教的要素(密教的実践、神仏習合における天部の諸神など)が日本宗教にも流入したことを念頭に置きつつ、日本固有の宗教的展開を検討する。

用語集(Glossary)

用語 英語/サンスクリット表記 定義
バクティ bhakti 神への熱烈な愛と献身。解脱への道の一つ
アールヴァール Āḻvār 南インドのヴィシュヌ派聖者12人の総称
ナーヤナール Nāyanār 南インドのシヴァ派聖者63人の総称
ニルグナ・バクティ nirguṇa bhakti 無属性の絶対者への信愛
サグナ・バクティ saguṇa bhakti 有属性の人格神への信愛
プージャー pūjā 神像に対する礼拝行為
ダルシャナ darśana 神を見ること・神に見られること
ティールタ tīrtha 巡礼地。聖俗の境界を渡る場
サンスカーラ saṃskāra 人生の通過儀礼。伝統的に16種
ウパナヤナ upanayana 聖紐授与の入門式。上位三ヴァルナの男子が対象
ヴァルナ varṇa 社会の四機能的区分(ブラーフマナ・クシャトリヤ・ヴァイシャ・シュードラ)
ジャーティ jāti 内婚制に基づく実際の社会集団
ダリット Dalit 「踏みにじられた者」。ヴァルナ体系外の被差別民の自称
ネオ・ヴェーダーンタ Neo-Vedānta ヴェーダーンタ哲学の19世紀的再解釈。宗教多元主義を特徴とする
アヒンサー ahiṃsā 非暴力・不殺生の原理
サティヤーグラハ satyāgraha 真理の把持。ガンディーの非暴力不服従の原理
ヒンドゥトヴァ Hindutva 「ヒンドゥーであること」。サーヴァルカルが定式化した政治的イデオロギー

確認問題

Q1: バクティ運動における「ニルグナ・バクティ」と「サグナ・バクティ」の違いを、それぞれの代表的詩聖を挙げて説明せよ。 A1: ニルグナ・バクティは無属性・無形の絶対者への信愛であり、カビールがその代表である。カビールはヒンドゥー教・イスラームの形式主義を批判し、特定の神格ではなく無属性の絶対者としての「ラーマ」を称えた。サグナ・バクティは属性・形象をもつ人格神への信愛であり、ミーラーバーイー(クリシュナへの帰依)やトゥルスィーダース(ラーマへの帰依)がその代表である。両潮流はいずれもカースト差別や形式的儀礼への批判を含んでいたが、神の表象のあり方において根本的に異なる。

Q2: アンベードカルがヒンドゥー教ではなく仏教への改宗を選択した理由と、その歴史的意義を論ぜよ。 A2: アンベードカルは、カースト差別がヒンドゥー教の聖典(ダルマシャーストラ等)に宗教的根拠をもつ以上、ヒンドゥー教内部からの改革では差別の根絶は不可能であると結論した。20年以上の検討を経て仏教を選択した理由は、仏教がカースト制度を否定するインド起源の宗教であったためである。1956年にナーグプルで約36万5千人とともに集団改宗し、「ナヴァヤーナ」(新しい乗り物)と称される社会的解放を核とする仏教解釈を提唱した。この運動は宗教的選択を通じたカースト差別への構造的抵抗として歴史的意義をもつ。

Q3: 19世紀のヒンドゥー教改革運動において、ブラフモ・サマージとアーリヤ・サマージのアプローチはどのように異なっていたか。 A3: ブラフモ・サマージ(1828年設立、ラーム・モーハン・ロイ)はウパニシャッドの一元論を真正なヒンドゥー教の核心と見なし、西洋の合理主義・キリスト教一神教の影響を受けつつ、偶像崇拝やサティーを批判した。西洋近代との融合を志向する改革であった。一方、アーリヤ・サマージ(1875年設立、ダヤーナンダ・サラスヴァティー)は「ヴェーダに帰れ」をスローガンとし、ヴェーダのみを権威として認め、後世の偶像崇拝・プラーナ文献・カースト差別を否定した。アーリヤ・サマージはシュッディ(浄化)運動を通じて積極的な布教を行い、より復古主義的・民族主義的な性格を有した。

Q4: ヴィヴェーカーナンダが1893年のシカゴ万国宗教会議で果たした役割と、ネオ・ヴェーダーンタの特徴を説明せよ。 A4: ヴィヴェーカーナンダは1893年のシカゴ万国宗教会議において、ヒンドゥー教の代表として「アメリカの兄弟姉妹よ」の演説を行い、ヒンドゥー教(特にアドヴァイタ・ヴェーダーンタ)を普遍的哲学として世界に紹介した。ネオ・ヴェーダーンタの特徴は、(1) すべての宗教は同一の究極的真理に至る異なる道であるという宗教多元主義、(2) ヴェーダーンタの普遍性の主張、(3) 社会奉仕を宗教的実践と位置づける姿勢(ラーマクリシュナ・ミッションの設立)にある。ネオ・ヴェーダーンタはインド・ナショナリズムの精神的基盤ともなった。

Q5: ヒンドゥトヴァの概念が宗教としてのヒンドゥー教とどのように異なるかを、その政治的帰結も含めて論ぜよ。 A5: ヒンドゥトヴァはサーヴァルカルが1923年に定式化した政治的イデオロギーであり、「ヒンドゥーであること」を宗教的帰属ではなく文化的・地理的・民族的アイデンティティとして定義する。宗教としてのヒンドゥー教が教義的統一性を欠く多元的伝統であるのに対し、ヒンドゥトヴァはヒンドゥー社会の政治的統合を目指す。RSS・VHP・BJPなどの組織を通じて制度化され、1992年のバーブリー・マスジド破壊事件に象徴される宗派間対立、世俗主義原則との緊張、ムスリム・キリスト教徒など少数派の権利問題を生んでいる。