コンテンツにスキップ

Module 2-8 - Section 1: 古典的宗教社会学

セクション情報

項目 内容
モジュール Module 2-8: 宗教社会学
前提セクション なし
想定学習時間 6時間

導入

宗教社会学(Religionssoziologie)は、宗教を社会的事実として分析する学問領域である。宗教の教義内容の真偽を問うのではなく、宗教が社会構造・経済活動・権力関係とどのように関わり、社会的機能を果たしているかを経験的に解明することを目的とする。この学問は19世紀末から20世紀初頭にかけて、社会学そのものの成立と同時期に確立された。

本セクションでは、宗教社会学の基礎を築いた三人の古典的思想家を扱う。エミール・デュルケーム(Emile Durkheim, 1858-1917)は宗教を社会的統合の機制として分析し、マックス・ウェーバー(Max Weber, 1864-1920)は宗教と経済活動の因果関係を追究するとともに宗教的権威の類型論を展開し、ゲオルク・ジンメル(Georg Simmel, 1858-1918)は個人の宗教性と制度化された宗教を区別して宗教の社会的形式を考察した。この三者の理論は、その後の宗教社会学のすべての議論の出発点となっている。


デュルケームの宗教社会学

聖と俗の二分法

エミール・デュルケームは主著『宗教生活の原初形態』(Les formes elementaires de la vie religieuse, 1912)において、宗教の本質を「聖なるもの」(le sacre)と「俗なるもの」(le profane)の根源的な二分法に見出した。

Key Concept: 聖と俗の二分法(sacred/profane dichotomy) デュルケームが提示した宗教の根本構造。人間の思考においてあらゆる事物・観念は「聖」と「俗」の二つの領域に分類され、両者は絶対的に異質で相互に対立する。聖なるものとは禁忌(タブー)によって保護・隔離された領域であり、俗なるものとは日常的・世俗的な領域である。この二分法が宗教を定義する最も基本的な特徴とされる。

デュルケームによれば、宗教的信念とは「聖なる事物の本質を表現する表象」であり、宗教的儀礼とは「聖なる事物に対して人間がいかに振る舞うべきかを規定する行為規則」である。ここで重要なのは、聖と俗の区別が事物の内在的性質に由来するのではなく、社会がそれに付与する意味によって成立するという点である。同一の石でも、道端に転がっていれば俗であるが、祭壇に置かれ集団的崇拝の対象となれば聖となる。聖性は事物に内在する属性ではなく、社会的に構成されるカテゴリーなのである。

デュルケームはさらに、宗教を以下のように定義した。

「宗教とは、聖なる事物、すなわち分離され禁止された事物に関する信念と実践の連帯的な体系であり、教会と呼ばれる一つの道徳的共同体にそれに忠実なすべての者を結合するものである。」

この定義において決定的に重要なのは「教会」(eglise)、すなわち道徳的共同体への言及である。デュルケームは、呪術(magie)と宗教を区別する基準として、呪術には「教会」が存在しない点を挙げた。呪術師とその顧客の間には信者共同体が形成されないのに対し、宗教は必然的に集合的な性格を持つ。

トーテミズムと宗教の社会的起源

デュルケームはオーストラリア先住民のトーテミズム(totemism)を「最も原初的な宗教形態」として分析した。トーテミズムとは、特定の動植物(トーテム)を氏族の象徴・守護的存在として崇拝する信仰体系である。

デュルケームの核心的主張は、トーテムが象徴しているものの正体は、実は「社会そのもの」であるというテーゼである。氏族がカンガルーやエミューをトーテムとして崇拝するとき、彼らが真に崇拝しているのはそれらの動物ではなく、トーテムを通じて表象された氏族共同体そのものの力(「トーテムの原理」)である。すなわち、神とは社会の別名にほかならない。

この主張の根拠として、デュルケームはトーテム的象徴(トーテムの紋章が刻まれた聖具チュリンガなど)が、トーテム動物そのものよりもはるかに強い聖性を帯びているという民族誌的事実を指摘した。崇拝の対象は動物の経験的実在ではなく、それが表象する非人格的な力 ── すなわち社会的凝集力 ── なのである。

集合的沸騰

Key Concept: 集合的沸騰(effervescence collective / collective effervescence) デュルケームが用いた概念で、祭儀・儀礼の場において集団が密集し、共同の感情が高揚する状態を指す。日常的な世俗の生活(散在的な個人生活)から離れ、集団的な祭儀に参加することで、個人は自己を超える力の存在を体験する。この集合的な情動体験こそが、聖なるものの観念を生み出す源泉である。

デュルケームの宗教理論における鍵概念が集合的沸騰である。オーストラリア先住民の生活は、日常的な散在生活(食糧獲得のため小集団に分散する時期)と、定期的な集合生活(大規模な祭儀のため一堂に会する時期)の二つの位相を交替する。後者の集合的祭儀においては、人々は密集し、興奮が伝染し、歌・踊り・叫びが渦巻き、通常の自己統制が弛緩し、日常では起こりえない感情的高揚が生じる。

この非日常的な集合的体験の中で、個人は自己を超える圧倒的な力の存在を実感する。しかしその力の真の源泉は超自然的存在ではなく、集団的に生成される社会的エネルギーである。個人はこのエネルギーを理解可能な形で表象するために、トーテムや神という象徴を用いる。つまり、宗教とは社会が自己自身を理想化し象徴的に表象するシステムなのである。

graph TD
    A["散在的日常生活<br/>(俗の領域)"] -->|"定期的集合"| B["集合的祭儀"]
    B --> C["集合的沸騰<br/>(感情的高揚・興奮の伝染)"]
    C --> D["自己を超える力の体験"]
    D --> E["トーテム・神への象徴化"]
    E --> F["聖なるものの観念の成立"]
    F --> G["信念体系・儀礼の制度化"]
    G --> H["社会的連帯・道徳的統合の強化"]
    H -->|"日常への復帰"| A

デュルケーム理論の射程と批判

デュルケームの宗教社会学は、宗教を個人の心理に還元するのではなく社会的事実として分析するという方法論的立場を確立した点で、宗教社会学の基礎を築いた。「宗教とは社会の自己崇拝である」というテーゼは、宗教の社会的機能分析に決定的な方向性を与えた。

ただし以下の批判がある。第一に、トーテミズムを「最も原初的な宗教形態」とする前提自体が、単線的な進化論的思考に基づいており、現代の宗教学・人類学では支持されない。第二に、「神=社会」というテーゼは宗教を社会的機能に還元する社会学的還元主義であり、宗教の教義内容や個人の宗教経験を十分に捉えられない。第三に、デュルケーム理論は小規模な「機械的連帯」の社会を念頭に置いており、大規模で多元的な近代社会にそのまま適用することは困難である。


ウェーバーの宗教社会学

『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』

マックス・ウェーバーの宗教社会学は、デュルケームとは対照的に、宗教の「意味」と行為主体の動機への理解(Verstehen)を方法論の核とする。ウェーバーの最もよく知られた業績は、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(Die protestantische Ethik und der Geist des Kapitalismus, 1904-05)である。

ウェーバーはこの著作で、近代資本主義の精神(合理的・禁欲的・計画的な営利追求の態度)が、カルヴィニズムの教義 ── とりわけ予定説(Pradestinationslehre) ── と親和的な関係にあったことを論じた。カルヴァンの予定説によれば、各人の救済と断罪は神によってあらかじめ定められており、人間の側のいかなる善行も救済を獲得する手段とはならない。この教義は信者に深刻な「救済の不安」(Heilsangst)を生じさせた。

救済が確実であるか否かを知りえないという不安に対して、牧会的実践の中から、自己の職業労働における成功が救済の「しるし」(証し)であるという解釈が生まれた。ここから、職業労働を「天職」(Beruf)として捉え、勤勉かつ禁欲的に従事する生活態度 ── 「世俗内的禁欲」(innerweltliche Askese) ── が形成された。利潤は享楽のために消費されるのではなく再投資され、禁欲的な生活態度と合理的な営利追求が結合した。この倫理的態度が、近代資本主義の「精神」の重要な一源泉となったとウェーバーは論じた。

重要な点として、ウェーバーは「プロテスタンティズムが資本主義を生んだ」という単純な因果関係を主張したのではない。彼が論じたのは、宗教的な倫理観と経済的行為の間に存在する「選択的親和性」(Wahlverwandtschaft)であり、複合的な因果連関の中の一つの契機としてプロテスタンティズムの倫理を位置づけたのである。

世界宗教の経済倫理

ウェーバーは『プロテスタンティズムの倫理』の議論を発展させ、比較宗教社会学的研究として「世界宗教の経済倫理」(Die Wirtschaftsethik der Weltreligionen, 1915-20)に着手した。儒教と道教(中国)、ヒンドゥー教と仏教(インド)、古代ユダヤ教を対象とし(イスラーム研究は計画されたが未完)、各宗教がそれぞれの社会の経済活動にどのような影響を与えたかを比較分析した。

ウェーバーの基本的な問いは、なぜ近代合理的資本主義が西洋においてのみ成立したのか、という点にあった。中国やインドにも合理的な経済活動は存在したが、近代資本主義の「精神」に相当する倫理的態度は生まれなかった。その一因として、各宗教の救済論の構造の相違をウェーバーは指摘した。儒教は世俗的な礼教であり世界を「適応すべきもの」として肯定的に受容したため、世界を根本的に変革しようとする態度を生まなかった。ヒンドゥー教のカルマ論は現世の不平等を宗教的に正当化し、カースト秩序の維持に寄与した。対照的に、古代ユダヤ教の預言者の倫理は、現実世界を神の意志に照らして批判し変革すべきものとして捉える態度 ── ウェーバーの言う「倫理的預言」── を生み出し、これが西洋の宗教的合理主義の源流となった。

預言者類型:模範的預言者 vs 倫理的預言者

ウェーバーは預言者(Prophet)を二つの類型に分けた。

類型 定義 典型的事例 救済の方法
模範的預言者(exemplarische Prophetie) 自らの生き方を通じて救済の道を示す ブッダ 瞑想・内的観照による悟り
倫理的預言者(ethische Prophetie) 神の意志を伝達し、その実行を要求する 旧約聖書の預言者(イザヤ、エレミヤ等) 神への服従と倫理的行為

模範的預言者は自己の宗教的実践を「模範」として示し、弟子たちは師の道を追体験することで救済に至る。この類型はインド・東アジアの宗教(仏教、ジャイナ教等)に多くみられる。一方、倫理的預言者は超越的な唯一神の「使者」として、神の意志・命令を民衆に伝達し、その遂行を要求する。この類型はセム系一神教(ユダヤ教、キリスト教、イスラーム)に特徴的である。

倫理的預言は、現実の社会秩序を神の命令に照らして批判し、変革を求める力学を内包している。ウェーバーが西洋に固有の「合理化」の推進力として注目したのは、まさにこの倫理的預言の伝統であった。

カリスマの日常化

Key Concept: カリスマの日常化(Veralltäglichung des Charisma / routinization of charisma) ウェーバーの支配社会学における概念。カリスマ的指導者の非日常的な権威が、指導者の死後または運動の持続化の過程で、伝統的支配または合法的支配の形態へと転化していく過程を指す。後継者の選定(世襲化・選挙制・指名制)、教義の体系化、組織の官僚制化、財政基盤の確立などを含む。宗教運動の制度化を分析する中心的概念である。

ウェーバーの支配社会学では、正当的支配の三類型として、伝統的支配(Tradition)、カリスマ的支配(Charisma)、合法的支配(Legalitat)が区別される。カリスマ的支配とは、指導者個人の非日常的な資質 ── 超自然的力、英雄的行為、あるいは模範的人格 ── に対する帰依に基づく支配形態である。

宗教運動において典型的に見られるのは、カリスマ的宗教指導者(教祖・預言者)のもとに信者が結集するパターンである。しかし、カリスマ的支配は本質的に不安定である。カリスマは指導者の個人的資質に依存するため、指導者の死、あるいはカリスマの「証し」(奇跡・成功)が失われることによって基盤が崩壊する危険を常にはらんでいる。

このため、カリスマ的支配は長期的には必然的に「日常化」の過程をたどる。日常化の具体的形態には以下が含まれる。

  1. 後継者問題の制度的解決: カリスマの世襲化(血統による継承)、選挙制の導入、先代指導者による指名など
  2. 教義の体系化: カリスマ的指導者の口頭的教えの文書化・教理体系への編成
  3. 組織の官僚制化: 信者の自発的結集から、職業的聖職者による管理体制への移行
  4. 経済的基盤の合理化: 信者の自発的寄進から、定期的な献金・教団財政の制度化へ
  5. カリスマの「職務化」(Amtscharisma): 個人的カリスマが「職位」に付随するものとして再解釈される(例: カトリック教会における使徒的継承、教皇の不可謬性)

カリスマの日常化は、宗教運動が永続的な制度として存続するために不可避の過程である。しかしその代償として、運動の革命的・非日常的性格は失われ、創始者の当初の教えと制度化後の教義の間にしばしば乖離が生じる。この乖離が、のちの宗教改革運動や原点回帰運動を引き起こす構造的要因となる。

宗教的合理化と呪術からの解放

Key Concept: 宗教的合理化と呪術からの解放(Entzauberung der Welt / disenchantment of the world) ウェーバーが西洋の宗教史に固有の長期的傾向として析出した概念。呪術的・魔術的な手段によって救済を追求する態度が、倫理的・合理的な手段に置き換えられていく過程を指す。古代ユダヤ教の預言者による偶像崇拝批判に始まり、プロテスタンティズム(とりわけカルヴィニズム)による聖人崇拝・秘跡・祈願的祈りの否定に至って頂点に達した。

ウェーバーの宗教社会学を貫く中心的テーマが「呪術からの解放」(Entzauberung der Welt)である。これは日本語では「脱魔術化」「世界の脱呪術化」とも訳される。

ウェーバーによれば、古代の宗教においては、呪術的手段(呪文、儀式、供犠など)によって超自然的力を操作し、現世的利益を獲得しようとする態度が支配的であった。この呪術的態度から倫理的態度への転換が「宗教的合理化」の核心である。

この過程を推進した決定的な契機として、ウェーバーは以下の段階を指摘した。

  1. 古代ユダヤ教の預言者: 偶像崇拝の禁止、呪術的実践の否定、唯一神ヤハウェの倫理的命令への服従の要求
  2. 古代キリスト教: ユダヤ教の反呪術的態度の継承と、普遍的な救済宗教への展開
  3. 中世カトリシズム: 部分的な再呪術化(聖人崇拝、聖遺物信仰、秘跡の呪術的理解)
  4. 宗教改革: ルターの聖人崇拝批判、カルヴィニズムの徹底した反呪術主義(秘跡による救済の否定、予定説)

カルヴィニズムにおいて、呪術からの解放は極限にまで推し進められた。カルヴィニズムの予定説のもとでは、祈りによって神の意志を変えることはできず、秘跡は救済の手段ではなく、聖人は存在せず、聖遺物は迷信に過ぎない。救済に至る呪術的な「近道」はすべて排除され、残されたのは世俗内での禁欲的な倫理的生活のみであった。

ウェーバーはこの宗教的合理化の帰結を、近代科学の台頭と結びつけて論じた。世界から呪術的・神秘的な意味が剥奪され、合理的に計算可能な因果連関のみが残る ── これがウェーバーの言う「世界の脱魔術化」であり、それは近代の合理主義の宗教史的根源の一つなのである。


ジンメルの宗教社会学

宗教性と宗教の区別

ゲオルク・ジンメルは、デュルケームやウェーバーと同時代の社会学者であるが、宗教社会学において独自の立場をとった。ジンメルの宗教社会学の核心は、「宗教」(Religion)と「宗教性」(Religiositat)の区別にある。

ジンメルによれば、「宗教性」とは個人の内面に存する心的態度・傾向であり、制度化された「宗教」(教義体系、儀礼、教会組織)とは区別される。宗教性は、信頼・献身・敬虔・一体化への衝動といった人間の基本的な心的傾向に根ざしており、必ずしも特定の宗教組織や教義への帰属を必要としない。

ジンメルの議論で重要なのは、宗教性が宗教に先行するという点である。すなわち、まず宗教的制度があってそこに宗教性が生まれるのではなく、人間の宗教的な心的態度が先に存在し、それが客体化・制度化されたものが「宗教」なのである。この意味で、ジンメルは宗教の起源を社会的事実に求めたデュルケームとは異なり、個人の内面的経験に宗教の根源を見出した。

社会的相互作用としての宗教

ジンメルは「形式社会学」(formale Soziologie)の立場から、社会的相互作用(Wechselwirkung)の「形式」と「内容」を区別した。宗教もまた、社会的相互作用の一つの「形式」として分析される。

ジンメルは、世俗的な社会関係の中にすでに「宗教的な」要素が含まれていると指摘した。例えば、子どもが親に対して抱く無条件的な信頼、愛国者が祖国に対して捧げる献身、恋人たちの間の一体化の感情 ── これらは特定の宗教に属するものではないが、その構造において宗教的な性質を帯びている。ジンメルはこのような世俗的関係における宗教的「調子」(religiose Tonfarbung)に注目した。

つまり、宗教性は世俗的な社会関係の中にも瀰漫しており、「宗教」はこの散在する宗教性を凝集し、独自の領域として自律化させたものである。宗教は社会生活の中に偏在する宗教的要素を結晶化し、超越的な対象(神)へと投射することによって成立する。

ジンメルの位置づけ

ジンメルの宗教社会学は、デュルケームの社会還元主義(宗教=社会の自己崇拝)ともウェーバーの行為論的分析(宗教倫理と経済行為の因果連関)とも異なる第三の道を示している。個人の内面的な宗教的傾向と、それが制度化される過程の動態を分析する視角は、20世紀後半の「見えない宗教」論(トーマス・ルックマン)や、現代の「宗教なき宗教性」「Spiritual But Not Religious」現象の分析に接続する先駆的な視座を提供している。


三者の比較

以下の表は、デュルケーム・ウェーバー・ジンメルの宗教社会学の主要な対比を整理したものである。

比較軸 デュルケーム ウェーバー ジンメル
宗教の本質 社会的事実・社会の自己表象 意味ある行為・倫理的態度 個人の心的態度(宗教性)
分析の焦点 社会的統合と連帯 宗教倫理と経済行為の因果連関 宗教性の社会的形式化
方法論 実証主義・社会的事実の分析 理解社会学・理念型 形式社会学・相互作用分析
宗教の起源 集合的沸騰(社会的エネルギー) 救済欲求と預言者の教え 宗教性(個人の内面的傾向)
主要著作 『宗教生活の原初形態』(1912) 『プロ倫』(1904-05)、『世界宗教の経済倫理』(1915-20) 『宗教』(1906/1912)
近代化との関係 機械的連帯から有機的連帯へ 合理化・呪術からの解放 宗教性の個人化
graph TD
    subgraph デュルケーム
        D1["社会的事実としての宗教"] --> D2["聖と俗の二分法"]
        D2 --> D3["集合的沸騰"]
        D3 --> D4["社会的統合・連帯"]
    end

    subgraph ウェーバー
        W1["意味理解の社会学"] --> W2["宗教倫理の分析"]
        W2 --> W3["プロテスタンティズムと<br/>資本主義の精神"]
        W2 --> W4["預言者類型"]
        W2 --> W5["カリスマの日常化"]
        W2 --> W6["呪術からの解放<br/>(Entzauberung)"]
    end

    subgraph ジンメル
        S1["形式社会学"] --> S2["宗教性 vs 宗教の区別"]
        S2 --> S3["社会関係の中の<br/>宗教的要素"]
        S3 --> S4["宗教性の制度的結晶化"]
    end

まとめ

  • デュルケームは、宗教を社会的事実として分析し、聖と俗の二分法・集合的沸騰・トーテミズム分析を通じて「宗教とは社会の自己崇拝である」というテーゼを提示した。宗教の社会的統合機能の分析に決定的な方向性を与えたが、社会学的還元主義の限界も指摘される。
  • ウェーバーは、宗教倫理と経済行為の「選択的親和性」を論じ、プロテスタンティズムと近代資本主義の精神的連関を解明した。預言者類型(模範的/倫理的)、カリスマの日常化、呪術からの解放(Entzauberung)といった概念は、宗教の動態分析の基本的枠組みとして今日なお用いられている。
  • ジンメルは、「宗教性」と「宗教」を区別し、個人の内面的な宗教的傾向が社会的に制度化される過程を分析した。この視角は、現代のスピリチュアリティ論の先駆となっている。
  • 三者はそれぞれ異なる方法論的立場(実証主義・理解社会学・形式社会学)から宗教を分析しており、その多角的な視点を統合的に理解することが、Section 2以降で扱う世俗化論・宗教市場理論等の現代的議論の前提となる。

用語集(Glossary)

用語 英語表記 定義
聖と俗の二分法 sacred/profane dichotomy デュルケームによる宗教の根本構造。あらゆる事物は聖と俗に分類され、両者は絶対的に異質で対立する
集合的沸騰 collective effervescence 集団的祭儀において感情が高揚し、個人を超える力が体験される状態。聖なるものの観念の源泉
トーテミズム totemism 特定の動植物を氏族の象徴・守護的存在として崇拝する信仰体系
世俗内的禁欲 innerweltliche Askese 修道院的な現世逃避ではなく、世俗内での職業労働に禁欲的に従事する生活態度
選択的親和性 Wahlverwandtschaft 二つの現象が因果的に独立しつつも相互に引き寄せ合い促進し合う関係
模範的預言者 exemplarische Prophetie 自らの生き方を通じて救済の道を示す預言者類型。ブッダが典型
倫理的預言者 ethische Prophetie 神の意志を伝達しその実行を要求する預言者類型。旧約聖書の預言者が典型
カリスマの日常化 Veralltäglichung des Charisma カリスマ的指導者の非日常的権威が、制度的支配形態へと転化する過程
呪術からの解放 Entzauberung der Welt 呪術的手段による救済追求が倫理的・合理的手段に置き換えられていく長期的過程
宗教性 Religiositat ジンメルの概念。制度化された「宗教」と区別される、個人の内面的な宗教的心的態度
形式社会学 formale Soziologie ジンメルの方法論。社会的相互作用の「形式」と「内容」を区別し、形式を分析対象とする

確認問題

Q1: デュルケームは宗教を定義する際に呪術(magie)との区別をどのような基準で行ったか。その基準が宗教社会学的にどのような含意を持つかを説明せよ。 A1: デュルケームは、宗教と呪術を区別する基準として「教会」(eglise)すなわち道徳的共同体の有無を挙げた。呪術師とその顧客の間には持続的な信者共同体が形成されないのに対し、宗教は必然的に集合的な性格を持ち、信念と実践を共有する共同体を形成する。この基準は、宗教の本質を個人的な超自然的信念ではなく社会的な連帯・統合の機能に見出すデュルケームの立場を反映しており、宗教の社会学的分析の出発点を確立した。

Q2: ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』における議論を「選択的親和性」の概念を用いて説明せよ。なぜウェーバーは単純な因果関係の主張を避けたのか。 A2: ウェーバーは、カルヴィニズムの予定説がもたらした救済の不安が、世俗内的禁欲(職業労働への禁欲的献身と利潤の再投資)という生活態度を促し、これが近代資本主義の精神と「選択的親和性」を持ったと論じた。選択的親和性とは、二つの現象が因果的に独立しながらも相互に引き寄せ合い促進し合う関係を指す。ウェーバーが単純な因果関係を避けたのは、近代資本主義の成立は法制度・技術・政治構造など複合的な要因によるものであり、宗教倫理はその一契機にすぎないと認識していたためである。一元的因果説は歴史的現実の複雑性を捨象する誤りを犯す。

Q3: ウェーバーの「カリスマの日常化」概念について、その過程で生じる具体的な変化を列挙し、なぜこの過程が宗教運動にとって不可避であるかを論じよ。 A3: カリスマの日常化において生じる変化には、(1)後継者選定の制度化(世襲・選挙・指名)、(2)教義の文書化・体系化、(3)組織の官僚制化(職業的聖職者による管理)、(4)財政基盤の制度化(自発的寄進から定期献金へ)、(5)カリスマの職務化(個人的カリスマから職位に付随する権威への転化)がある。この過程が不可避である理由は、カリスマ的支配が指導者個人の非日常的資質に依存するため、指導者の死やカリスマの証しの喪失により基盤が崩壊する危険を常にはらんでいるからである。運動が存続するためには、個人に依存しない制度的基盤を確立する必要がある。

Q4: ジンメルの「宗教性」と「宗教」の区別は、デュルケームの宗教理解とどのように対立するか。両者の立場の違いを、宗教の起源をめぐる問いに即して説明せよ。 A4: デュルケームは宗教の起源を社会的事実(集合的沸騰における社会的エネルギーの体験)に求めた。宗教は社会の自己表象であり、個人の宗教的意識は社会から派生する。これに対しジンメルは、宗教性(Religiositat)という個人の内面的心的態度が宗教に先行すると論じた。信頼・献身・敬虔・一体化への衝動といった宗教的傾向がまず個人に存在し、それが客体化・制度化されたものが「宗教」である。デュルケームが「社会→個人」の方向で宗教の成立を説明するのに対し、ジンメルは「個人の内面→社会的制度」の方向で説明する。宗教の根源を社会構造に見るか個人の心的態度に見るかという点で、両者は根本的に対立している。

Q5: ウェーバーの「呪術からの解放」(Entzauberung)の過程について、古代ユダヤ教からカルヴィニズムに至る展開を段階的に説明し、この概念が近代の合理主義とどのように接続するかを論じよ。 A5: 呪術からの解放は以下の段階を経て進行した。(1)古代ユダヤ教の預言者が偶像崇拝と呪術的実践を否定し、唯一神ヤハウェの倫理的命令への服従を要求した。(2)古代キリスト教がこの反呪術的態度を継承し普遍的救済宗教として展開した。(3)中世カトリシズムでは聖人崇拝・聖遺物信仰・秘跡の呪術的理解により部分的な再呪術化が生じた。(4)宗教改革、とりわけカルヴィニズムが秘跡による救済・聖人崇拝・祈願的祈りを徹底的に否定し、呪術からの解放を極限にまで推し進めた。カルヴィニズムのもとでは救済に至る呪術的近道はすべて排除され、世俗内での禁欲的な倫理的生活のみが残された。この宗教的合理化は、世界から呪術的・神秘的意味を剥奪し、合理的に計算可能な因果連関のみが残る近代科学的世界観の成立の宗教史的根源の一つとなった。