Module 3-1 - Section 2: 宗教概念の脱構築とポストコロニアル批判¶
セクション情報¶
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| モジュール | Module 3-1: 宗教学の方法論論争 |
| 前提セクション | Section 1(宗教学の学問的アイデンティティと比較方法論) |
| 想定学習時間 | 6時間 |
導入¶
Section 1 では、宗教学と神学の関係、J・Z・スミスの比較方法論批判、本質主義と構築主義の対立を検討した。そのなかで、ヴィルフレート・キャントウェル・スミス(Wilfred Cantwell Smith)が「religion」概念の歴史性を論証したこと、ティモシー・フィッツジェラルド(Timothy Fitzgerald)が宗教学の「価値中立性」に潜むリベラル・プロテスタント的前提を指摘したことを確認した。本セクションでは、これらの批判をさらに徹底化した理論的展開として、タラル・アサド(Talal Asad)の「宗教の系譜学」、ポストコロニアル批判による「宗教」カテゴリーの再審、そして21世紀における宗教概念の再構築の試みを検討する。
これらの議論の核心は、「宗教」という概念が普遍的な分析道具であるという前提への根本的な懐疑にある。アサドらの批判は、「宗教」概念が近代西洋のキリスト教的自己理解と植民地主義的権力構造のなかで形成されたものであり、この概念を非西洋世界に無批判に適用することが認識論的暴力を伴うことを明らかにした。この批判は宗教学の学問的基盤そのものを揺るがすものであり、21世紀の宗教研究がいかなる概念的枠組みの上に立つべきかという問いを不可避にしている。
タラル・アサドの「宗教の系譜学」¶
アサドの知的背景¶
タラル・アサド(Talal Asad, 1932-2024)はサウジアラビア生まれの社会人類学者であり、ニューヨーク市立大学大学院センターで長年教鞭をとった。父はムハンマド・アサド(Muhammad Asad, 旧名レオポルト・ヴァイス)であり、ユダヤ教からイスラームへの改宗者として知られるクルアーン英訳者・思想家である。アサドの知的形成には、イギリスの社会人類学(エドワード・エヴァンズ=プリチャード(Edward Evans-Pritchard)に師事)、ミシェル・フーコー(Michel Foucault)の系譜学的方法と権力論、そしてポストコロニアル理論の影響が色濃く刻まれている。
アサドの主著 Genealogies of Religion: Discipline and Reasons of Power in Christianity and Islam(1993、邦題『宗教の系譜 --- キリスト教とイスラムにおける権力の根拠と訓練』)は、宗教学・人類学における「宗教」概念の前提を根底から問い直した著作であり、1990年代以降の宗教研究に決定的な影響を及ぼした。
ギアツ批判 --- 「文化の体系としての宗教」の解体¶
アサドの系譜学的分析の出発点は、クリフォード・ギアツ(Clifford Geertz)の宗教の定義に対する批判である。ギアツは1966年の論文「文化の体系としての宗教」(Religion as a Cultural System)において、宗教を以下のように定義した。
宗教とは、(1) 象徴の体系であり、それは (2) 人々のうちに強力で包括的で持続的な気分と動機づけを確立するものであって、(3) 一般的な存在秩序についての概念を定式化し、(4) これらの概念を事実性の雰囲気で包み込むことによって、(5) 気分と動機づけが独自の実在性を持つかのように見えるようにするものである。
この定義は宗教人類学において広く参照されてきたが、アサドはこの定義に含まれる暗黙の前提を三つの観点から批判した。
第一に、信仰の内面性への偏向である。 ギアツの定義は「気分と動機づけ」「存在秩序についての概念」といった内面的・認知的次元を宗教の核心に据えている。アサドによれば、これはプロテスタンティズムに特有の宗教理解 --- 宗教の本質を外面的な儀礼や制度ではなく内面的な信仰(faith)に見出す見方 --- の無自覚な普遍化である。中世キリスト教においても、イスラーム的伝統においても、宗教は個人の内面的信仰に還元されるものではなく、身体的規律(discipline)、制度的権威、共同体的実践と不可分であった。
第二に、権力と制度の捨象である。 ギアツの定義は「象徴の体系」として宗教を把握するが、象徴がいかなる権力関係のなかで生産・流通・強制されるかという問いを欠いている。宗教的象徴は真空のなかに浮遊しているのではなく、教会・ウラマー・僧伽といった制度的権威によって正統/異端の境界が定められ、教育・儀礼・法的規制を通じて身体に刻み込まれる。アサドにとって、宗教を象徴の意味論(semantics of symbols)に還元し、象徴の政治学(politics of symbols)を無視することは、宗教の実態を歪めるものである。
第三に、通文化的定義の不可能性である。 アサドは、ギアツが提示したような「宗教」の通文化的(transhistorical / transcultural)な定義は原理的に不可能であると主張した。「宗教」というカテゴリーの意味内容自体が歴史的に変化してきたのであり、中世のキリスト教徒が religio として理解していたものと、近代以降の西洋知識人が「religion」として理解しているものは、同一の範疇に属さない。
Key Concept: 宗教の系譜学(genealogy of religion) タラル・アサドがフーコーの系譜学的方法を援用して展開した分析枠組み。「宗教」概念の通文化的・超歴史的な定義を試みるのではなく、「宗教」というカテゴリーがいかなる歴史的条件(権力関係、制度的配置、知的伝統)のなかで形成・変容してきたかを追跡する。この方法は、「宗教とは何か」という問いを「『宗教』という概念はいつ、誰によって、いかなる目的のために、どのように構築されてきたか」という問いに置き換える。
「世俗」と「宗教」の共構築¶
アサドの議論のもう一つの重要な貢献は、「宗教」(the religious)と「世俗」(the secular)が対立する二つの領域ではなく、近代西洋において相互に構成し合った概念対であることを示したことにある。アサドは後続の著作 Formations of the Secular: Christianity, Islam, and Modernity(2003)において、この議論をさらに展開した。
近代的な「世俗」概念は、宗教が「私的領域」に退くことによってはじめて成立する。逆に、近代的な意味での「宗教」 --- 信仰告白、教義体系、私的な内面の領域 --- は、「世俗的」な公共空間との分離を通じてはじめてその輪郭を獲得する。したがって「世俗化」(secularization)は、宗教が単に衰退する過程ではなく、「宗教」と「世俗」の境界線が特定の歴史的条件のもとで引かれる過程として理解されるべきである。
この視点は、政教分離(separation of church and state)を普遍的な政治原則と見なす理解にも根本的な疑問を投げかける。政教分離は、宗教と政治を分離可能な二つの領域として措定することを前提とするが、その前提自体がキリスト教(とりわけプロテスタンティズム)の歴史的経験に基づいて構築されたものである。イスラーム的伝統やヒンドゥー的伝統においては、「宗教」と「政治」がそもそも分離可能な領域として概念化されていないことが多い。
graph TD
A["近代西洋における<br/>概念的分離の形成"] --> B["「宗教」の再定義<br/>= 私的信仰・教義体系"]
A --> C["「世俗」の成立<br/>= 公共的・合理的領域"]
B <-->|相互構成| C
D["前近代(中世キリスト教)"] --> A
D --> D1["religio = 修道的実践・<br/>儀礼的態度<br/>(包括的生活形態)"]
B --> E["「宗教」概念の<br/>非西洋世界への<br/>輸出・適用"]
C --> F["世俗化論の形成<br/>(近代化 = 宗教の<br/>私事化・衰退)"]
E --> G["ポストコロニアル批判:<br/>概念の適用は<br/>認識論的暴力か"]
ポストコロニアル批判と宗教カテゴリーの再審¶
オリエンタリズムと宗教研究¶
エドワード・サイード(Edward W. Said)の Orientalism(1978)は、西洋が「東洋」を知の対象として構築する営みが、植民地主義的な権力関係と不可分であることを明らかにした。サイードの議論は文学・歴史学・政治学に広範な影響を及ぼしたが、宗教研究もまたオリエンタリズム批判の射程に含まれる。
19世紀の比較宗教学は、植民地行政・宣教活動・学術研究の三者が密接に結びついた知的環境のなかで成立した。マックス・ミュラー(Friedrich Max Müller)のインド学研究は、東インド会社およびイギリスの植民地行政との制度的関係のなかで展開された。ミュラーが「インドの聖なる書物」(Sacred Books of the East)シリーズを編纂した際、選択・翻訳・編集の過程において、インドの宗教的伝統がキリスト教的な「聖典」(scripture)の範型に合わせて再構成された。口承伝統、儀礼的実践、共同体の生きた伝承が、テクスト中心の「宗教」概念に従って取捨選択されたのである。
リチャード・キング(Richard King)は Orientalism and Religion: Postcolonial Theory, India and "The Mystic East"(1999)において、オリエンタリズムと宗教研究の共犯関係を体系的に分析した。キングによれば、西洋の宗教学者は非西洋の宗教的伝統を研究する際に、以下のような操作を無自覚に行ってきた。
1. テクスト化(textualization): 口承・儀礼・身体的実践を含む多元的な伝統を、テクスト(聖典・教義書)に還元して理解する。この操作は、プロテスタンティズムにおける「聖書のみ」(sola scriptura)の原則を非西洋の伝統に投影するものである。
2. 体系化(systematization): 多様で流動的な実践や観念を、整合的な「教義体系」として再構成する。キリスト教の教義学(dogmatics)のモデルに従って、ヒンドゥー教やイスラームの「教え」が体系的に整理され、内的一貫性を持つ「宗教」として提示される。
3. 私事化(privatization): 宗教を政治的・経済的・社会的文脈から切り離し、「内面的信仰」の問題として扱う。この操作は、近代西洋の政教分離原則を普遍的前提として適用するものである。
「ヒンドゥー教」の構築¶
ポストコロニアル批判がとりわけ鮮明に展開されたのは、「ヒンドゥー教」(Hinduism)というカテゴリーの歴史的構築性をめぐる議論である。
「Hinduism」という語は18世紀末にイギリスの植民地行政官・宣教師によって造語されたものであり、それ以前にインド亜大陸の人々が自らの宗教的実践を「ヒンドゥー教」という統一的な体系として認識していたわけではない。「Hindu」は元来ペルシア語でインダス川流域の住民を指す地理的呼称であり、宗教的アイデンティティを示す語ではなかった。
ブライアン・ペニントン(Brian Pennington)は Was Hinduism Invented?: Britons, Indians, and the Colonial Construction of Religion(2005)において、「ヒンドゥー教」が植民地統治のニーズに応じて構築された過程を分析した。植民地行政は、インドの多様な宗教的実践を統治可能な単位に分類する必要があり、「ヒンドゥー教」というカテゴリーはその分類作業の産物であった。ヴェーダ文献を頂点に据えた「正統的ヒンドゥー教」の像は、ブラーフマン的知的伝統を特権化し、民衆的な儀礼実践やダリト・部族民の宗教的伝統を「迷信」や「劣った形態」として周縁化した。
ただし、「ヒンドゥー教の発明」テーゼに対しては重要な修正も提起されている。アンドリュー・ニコルソン(Andrew Nicholson)は Unifying Hinduism: Philosophy and Identity in Indian Intellectual History(2010)において、「ヒンドゥー教」の統一的アイデンティティの萌芽を植民地期以前のインド知識人の思想的営為のなかに見出し、純粋な「植民地的発明」テーゼの単純化を批判した。ヴェーダーンタ学派の思想家たちは、仏教やジャイナ教と自派を区別する統一的な「アースティカ」(正統派)的アイデンティティを前近代においてすでに構想していたとニコルソンは論じる。この議論は、植民地主義的構築と土着的な知的伝統の双方が「ヒンドゥー教」というカテゴリーの形成に関与していることを示唆しており、構築主義的テーゼの精緻化に貢献している。
「仏教」の構築¶
「仏教」(Buddhism)というカテゴリーもまた、19世紀ヨーロッパの東洋学者によって構築された側面を持つ。フィリップ・アーモンド(Philip C. Almond)は The British Discovery of Buddhism(1988)において、19世紀のイギリスにおいて「仏教」がいかにしてパーリ語・サンスクリット語テクストの文献学的研究を通じて一つの「宗教」として構成されたかを論じた。
ヨーロッパの東洋学者たちは、アジア各地の多様な実践(スリランカの上座部仏教、チベットの密教的伝統、日本の禅や浄土教)を、パーリ語聖典に基づく「原始仏教」の像を基準として序列化した。テクストに基づく「合理的な」教えこそが「本来の仏教」であり、各地の儀礼的・呪術的実践は「堕落」や「変質」であるという図式が構築された。この図式は、プロテスタンティズムの宗教改革モデル --- 原始教会の純粋な教えが後世に堕落した --- の仏教への投影であるとの批判がなされている。
ドナルド・ロペス(Donald S. Lopez Jr.)は Curators of the Buddha: The Study of Buddhism under Colonialism(1995)において、西洋の仏教研究が植民地主義的知の枠組みのなかでいかに構成されたかを多角的に検討した。ロペスは、西洋の仏教学者が「仏教徒自身よりも仏教をよく知っている」と自認する姿勢 --- テクスト的知識を実践的知識に優越させる態度 --- が、オリエンタリズム的な知の権力構造を体現していることを指摘した。
「宗教」概念の脱構築の帰結と再構築の試み¶
脱構築の射程と限界¶
アサド、フィッツジェラルド、キングらによる「宗教」概念の脱構築は、宗教学に対して以下の根本的な問いを突きつけた。
1. 学問としての存立基盤: 「宗教」が西洋近代の歴史的構築物にすぎないのであれば、「宗教学」(Study of Religion)という学問は何を研究対象とするのか。研究対象そのものが分析者の構築物であるならば、宗教学は自らの概念的前提を永続的に問い直す自己言及的な営みに陥るのではないか。
2. 比較の正当性: 「宗教」という通文化的カテゴリーが成立しないのであれば、「キリスト教とイスラームの比較」や「仏教とヒンドゥー教の比較」は、そもそも何を比較しているのか。比較の前提となるカテゴリー自体が問題含みであるならば、比較宗教学は正当性を維持できるのか。
3. 政治的帰結: 「宗教」概念の脱構築は、宗教的少数者の権利保護、政教分離原則の運用、宗教的暴力への対処といった実践的問題にいかなる帰結をもたらすのか。「宗教」カテゴリーを放棄することが、これらの問題の分析と対処を困難にする可能性はないか。
フィッツジェラルドは The Ideology of Religious Studies(2000)および Discourse on Civility and Barbarity(2007)において、最も急進的な立場をとり、「宗教」というカテゴリーを学問的分析概念として放棄すべきであると主張した。フィッツジェラルドによれば、「宗教」に代えて「イデオロギー」や「世界観」(worldview)、あるいはより文脈依存的な分析概念を用いるべきである。「宗教」を独立の研究対象とする宗教学(Religious Studies)は、「文化研究」(Cultural Studies)のなかに解消されるべきであるとフィッツジェラルドは論じた。
しかし、この急進的な立場に対しては、複数の方向から批判が提起されている。
再構築の試み (1): 戦略的本質主義¶
ガヤトリー・チャクラヴォルティー・スピヴァク(Gayatri Chakravorty Spivak)のポストコロニアル理論における「戦略的本質主義」(strategic essentialism)の概念は、宗教概念の再構築にも援用されている。戦略的本質主義とは、あるカテゴリーが歴史的に構築されたものであることを理論的に承認しつつも、政治的・実践的な目的のためにそのカテゴリーを暫定的に使用する立場である。
宗教研究への適用においては、「宗教」概念がキリスト教中心的な構築物であることを自覚しつつも、分析概念としての有用性ゆえに批判的に使用し続けるという立場がこれにあたる。ケヴィン・シルブルーク(Kevin Schilbrack)は Philosophy and the Study of Religions: A Manifesto(2014)において、「宗教」概念を放棄するのではなく、自覚的に再定義して使用することの必要性を論じた。シルブルークは、「宗教」を「超人的存在(superhuman agents)に対する社会的に組織された実践」として再定義することで、キリスト教中心的な偏りを軽減しつつ比較研究の基盤を維持しようとした。
再構築の試み (2): テイヴスの「建物的ブロック」アプローチ¶
Section 1 で言及したアン・テイヴス(Ann Taves)は、脱構築的批判を踏まえたうえで、「宗教」概念に代わる分析的枠組みを積極的に構築しようとした研究者の一人である。テイヴスは Religious Experience Reconsidered(2009)において、「宗教」というマクロ概念を出発点とするのではなく、人々が「特別なもの」(things deemed special)として識別する経験・対象・実践を分析の基本単位(building blocks)とし、これらの「建物的ブロック」がいかにして複合的な形成物(complex formations)--- 人々が「宗教」と呼んだり呼ばなかったりするもの --- へと組み上げられていくかを追跡するアプローチを提唱した。
このアプローチの利点は、「宗教」という事前に定義されたカテゴリーに依拠することなく、人々の帰属行為(ascription)を経験的に研究できる点にある。「この経験は宗教的か否か」という問いではなく、「この経験はいかなるプロセスを通じて『宗教的』なものとして意味づけられたか」という問いに転換することで、分析者が「宗教」の本質を事前に規定する必要がなくなる。
再構築の試み (3): 「世界制作」としての宗教¶
トーマス・トゥヴィード(Thomas A. Tweed)は Crossing and Dwelling: A Theory of Religion(2006)において、「宗教」を固定的な教義体系としてではなく、流動的な実践 --- 「境界を越えること」(crossing)と「場所に住まうこと」(dwelling)の動態 --- として理論化することを試みた。トゥヴィードは、「宗教は有機的・文化的な流れであり、力づけられた人間や人間以上の存在との出会いに言及しつつ、住まいを定め、境界を越えていくものである」と定義した。この定義は、テクスト・教義に偏った「宗教」概念を、身体的実践・空間的移動・物質的文化を含むものへと拡張する試みであり、ポストコロニアル批判への一つの応答として位置づけられる。
脱構築と再構築の関係¶
「宗教」概念の脱構築と再構築は、相互に排他的な営みではなく、弁証法的な関係にある。脱構築は「宗教」概念の歴史的偶然性を明らかにし、無批判的な適用を阻止する。再構築は、脱構築によって露呈した問題点を踏まえつつ、比較研究と経験的分析を可能にする概念的枠組みを再設計する。両者のあいだの往復運動こそが、21世紀の宗教研究の方法論的基盤を形成している。
graph LR
subgraph "脱構築"
D1["W.C.スミス:<br/>「religion」の概念史"]
D2["アサド:<br/>宗教の系譜学"]
D3["フィッツジェラルド:<br/>宗教学の解消論"]
D4["キング:<br/>オリエンタリズム批判"]
end
subgraph "再構築の諸方向"
R1["シルブルーク:<br/>戦略的再定義"]
R2["テイヴス:<br/>帰属理論・建物的ブロック"]
R3["トゥヴィード:<br/>crossing & dwelling"]
R4["セイラー:<br/>家族的類似"]
end
D1 --> D2
D2 --> D3
D2 --> D4
D3 -->|「宗教」の放棄| E["文化研究への<br/>解消?"]
D2 -->|批判を踏まえた<br/>概念の再設計| R1
D2 --> R2
D2 --> R3
D1 --> R4
まとめ¶
- アサドの「宗教の系譜学」は、ギアツの宗教定義に含まれるプロテスタント的偏向(信仰の内面性への還元、権力・制度の捨象)を批判し、「宗教」の通文化的定義が原理的に不可能であることを論じた。アサドの方法は、「宗教とは何か」という本質的問いを「『宗教』概念はいかなる歴史的条件のなかで構築されたか」という系譜学的問いに転換する。
- アサドは「宗教」と「世俗」が近代西洋において相互に構成し合った概念対であることを示し、政教分離原則の普遍性に疑問を投げかけた。
- ポストコロニアル批判は、「ヒンドゥー教」「仏教」等のカテゴリーが、植民地行政・宣教活動・東洋学研究の制度的文脈のなかで構築された側面を持つことを明らかにした。テクスト化・体系化・私事化という操作が、非西洋の宗教的伝統をキリスト教的モデルに合わせて再構成してきた。
- 「宗教」概念の脱構築は宗教学の存立基盤そのものに疑問を突きつけるが、フィッツジェラルドの急進的な解消論には批判も多い。シルブルークの戦略的再定義、テイヴスの帰属理論、トゥヴィードの動態的宗教論など、脱構築を踏まえた再構築の試みが多方面から展開されている。
- これらの方法論的議論は、次のSection 3(→ Module 3-1, Section 3「フィールドワーク・テクスト研究と生きられた宗教」参照)で検討する「生きられた宗教」(lived religion)アプローチへの理論的基盤を提供している。lived religion アプローチは、テクスト・教義中心の宗教研究に対する実践的な応答として、ポストコロニアル批判の帰結を方法論的に具体化するものである。
用語集(Glossary)¶
| 用語 | 英語表記 | 定義 |
|---|---|---|
| テクスト化 | textualization | 口承・儀礼・身体的実践を含む多元的な伝統を、テクスト(聖典・教義書)に還元して理解する操作 |
| 体系化 | systematization | 多様で流動的な実践や観念を、整合的な「教義体系」として再構成する操作 |
| 私事化 | privatization | 宗教を政治的・経済的・社会的文脈から切り離し、「内面的信仰」の問題として扱う操作 |
| 戦略的本質主義 | strategic essentialism | カテゴリーの構築性を理論的に承認しつつ、政治的・実践的目的のためにそのカテゴリーを暫定的に使用する立場 |
| 世俗 / 世俗的なもの | the secular | 「宗教的なもの」との対概念として近代西洋で構成された領域・概念。アサドはその構築的性格を強調する |
| オリエンタリズム | Orientalism | サイードが提起した概念。西洋が「東洋」を知の対象として構築する営みが植民地主義的権力関係と不可分であること |
確認問題¶
Q1: アサドがギアツの宗教定義を批判した三つの論点を説明し、それらに共通する問題意識を述べよ。
A1: アサドの批判の第一は、ギアツが宗教の核心を「気分と動機づけ」「存在秩序の概念」といった内面的・認知的次元に置いていることが、プロテスタンティズムに特有の宗教理解の普遍化であるという点である。第二は、ギアツが宗教を「象徴の体系」として把握しつつ、その象徴がいかなる権力関係のなかで生産・流通・強制されるかを問わない点である。第三は、ギアツの定義が通文化的に適用可能であるとの想定が、「宗教」概念自体の歴史的変動を無視している点である。三つの批判に共通する問題意識は、近代西洋(とりわけプロテスタンティズム)に固有の宗教理解が、あたかも普遍的なカテゴリーであるかのように学術的分析の前提に組み込まれているということである。
Q2: 「ヒンドゥー教」というカテゴリーの歴史的構築性について、ペニントンの議論とニコルソンの修正的議論の双方を踏まえて論じよ。
A2: ペニントンは、「Hinduism」という語が18世紀末にイギリスの植民地行政官・宣教師によって造語されたものであり、インドの多様な宗教的実践を統治可能な単位に分類する植民地行政の必要から構築されたカテゴリーであることを論じた。ヴェーダ文献を頂点とする「正統的ヒンドゥー教」の像はブラーフマン的知的伝統を特権化し、民衆的実践を周縁化した。これに対しニコルソンは、「ヒンドゥー教」の統一的アイデンティティの萌芽を植民地期以前のインド知識人の思想的営為のなかに見出し、ヴェーダーンタ学派の思想家が仏教・ジャイナ教との区別において「アースティカ」(正統派)的自己理解を構想していたことを指摘した。この修正は、「ヒンドゥー教」が純粋に植民地的発明であるとする単純なテーゼを精緻化し、植民地主義的構築と土着的知的伝統の双方がカテゴリー形成に関与していることを示す。
Q3: アサドが「宗教」と「世俗」の関係について展開した議論を要約し、政教分離原則の普遍性に対する批判的含意を説明せよ。
A3: アサドは、「宗教」と「世俗」が対立する二つの自律的領域ではなく、近代西洋において相互に構成し合った概念対であると論じた。近代的な「世俗」は、宗教が「私的領域」に退くことによって成立し、逆に近代的な「宗教」は「世俗的」公共空間との分離を通じてその輪郭を獲得する。この分析から導かれる政教分離原則への批判は、政教分離が「宗教」と「政治」を分離可能な二つの領域として措定することを前提とするが、その前提自体がキリスト教(とりわけプロテスタンティズム)の歴史的経験に基づいた構築物であるという点にある。イスラーム的伝統やヒンドゥー的伝統においては、「宗教」と「政治」がそもそも分離可能な領域として概念化されていないことが多く、政教分離を普遍的な政治原則として適用することが、特定の文化的前提の押しつけとなりうる。
Q4: フィッツジェラルドの「宗教」概念放棄論と、シルブルークの戦略的再定義の立場を対比し、それぞれの利点と問題点を論じよ。
A4: フィッツジェラルドは「宗教」を学問的分析概念として放棄し、「イデオロギー」や「世界観」などに代替させ、宗教学を文化研究に解消すべきだと主張した。この立場の利点は、キリスト教中心的なカテゴリーの無批判的適用を根本的に阻止できることである。しかし問題点として、「宗教」カテゴリーが法制度・国際政治・社会運動において現に機能している以上、学問的にこれを放棄することが分析力の低下を招きうること、また代替概念(「イデオロギー」等)にも同様の構築性の問題が生じうることがある。シルブルークは「宗教」概念の構築性を承認しつつ、「超人的存在に対する社会的に組織された実践」として再定義することで比較研究の基盤を維持しようとした。この立場の利点は、概念の批判的使用を可能にしつつ経験的研究の実行可能性を保つことである。問題点としては、いかなる再定義も新たな排除を生みうること(たとえば「超人的存在」を想定しない仏教の一部学派をどう扱うか)、また戦略的に構築物を使用し続けること自体が批判の対象となりうることがある。
Q5: リチャード・キングが指摘した、西洋の宗教研究における「テクスト化」「体系化」「私事化」の三つの操作について、それぞれ具体例を挙げて説明せよ。
A5: テクスト化とは、口承・儀礼・身体的実践を含む多元的な伝統をテクストに還元する操作であり、具体例としてはミュラーの「東方聖典」シリーズが、インドの宗教的伝統を文献テクストの選択と翻訳を通じてキリスト教的な「聖典」の範型に合わせて再構成したことが挙げられる。体系化とは、多様で流動的な実践を整合的な教義体系として再構成する操作であり、具体例としては「ヒンドゥー教」がヴェーダ文献を頂点に据えた一貫した教義体系として提示され、多様なローカルな実践がこの体系のなかに位置づけられた(あるいは逸脱として排除された)ことがある。私事化とは、宗教を政治的・社会的文脈から切り離して内面的信仰の問題として扱う操作であり、具体例としては植民地行政が「ヒンドゥー法」を宗教的私事の領域に限定し、政治的・経済的次元を「世俗的」統治の領域として切り分けたことが挙げられる。これら三つの操作はいずれもプロテスタンティズムの宗教モデル(聖書中心主義・教義の体系性・信仰の内面性)を非西洋の伝統に投影するものである。