Module 3-2 - Section 1: 政教分離の思想史と諸類型¶
セクション情報¶
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| モジュール | Module 3-2: 宗教と政治・法 |
| 前提セクション | なし |
| 想定学習時間 | 6時間 |
導入¶
政教分離(separation of church and state)は、近代国家を構成する基本原理の一つであり、国家と宗教の制度的分離を要請する原則である。しかし、その具体的な内容・射程は国家ごとに大きく異なり、「政教分離」という語が一義的に同じ制度を指すわけではない。
本セクションでは、まず政教分離の思想的基盤がいかにして形成されたかを、ヨーロッパ宗教戦争期からロックの寛容論、啓蒙思想、フランス革命を経て20世紀に至る思想史として跡づける。次に、各国で採用されている政教関係の制度を類型化し、フランスの厳格分離型(ライシテ)、アメリカの友好的分離型、イギリス・北欧の国教制度、トルコのライクリック、そして日本の政教分離の特殊性を比較検討する。
政教分離の問題は、単なる制度設計にとどまらず、信教の自由・良心の自由・国家の宗教的中立性・宗教的マイノリティの権利という、近代民主主義の根幹に関わる問いを含んでいる。
政教分離の思想史¶
前近代における政治と宗教¶
近代的な政教分離の概念は、キリスト教文明圏において固有の歴史的経験から生じたものである。古代ローマにおいては宗教と政治は不可分であり、皇帝が最高神祇官(pontifex maximus)を兼ねた。キリスト教の国教化(392年、テオドシウス帝)以降、教会と世俗権力の関係は西洋政治史の中心的問題となる。
Key Concept: 両剣論(two swords doctrine) 教皇ゲラシウス1世(在位492-496年)が提唱した、教権(auctoritas)と俗権(potestas)の二つの権威が並存するという理論。中世の教皇権と皇帝権の対立(叙任権闘争等)の理論的基盤となった。
中世ヨーロッパでは教皇権と世俗権力の緊張関係が持続したが、両者は対立しつつも相互に依存する関係にあった。宗教改革(16世紀)は、このカトリック教会の普遍的権威を解体し、「領主の宗教がその土地の宗教である」(cuius regio, eius religio)というアウクスブルクの和議(1555年)の原則を生み出した。しかしこの原則は個人の信教の自由を保障するものではなく、領邦君主の宗教選択権を認めたにすぎない。
宗教戦争と寛容の萌芽¶
16世紀後半から17世紀にかけてのヨーロッパ宗教戦争――フランスのユグノー戦争(1562-1598年)、三十年戦争(1618-1648年)――は、宗教的不寛容が招く政治的・社会的破局を人々に痛感させた。
ナントの勅令(1598年、アンリ4世)はカルヴァン派に限定的な信仰の自由と市民権を認めた先駆的文書であったが、ルイ14世による撤廃(フォンテーヌブローの勅令、1685年)は、王権による宗教的統一の追求がなお強固であったことを示す。
ウェストファリア条約(1648年)は、cuius regio, eius religio の原則を確認しつつも、私的礼拝の自由を一定程度認め、宗教的多元性の制度化への端緒を開いた。
ロックの寛容論¶
Key Concept: ジョン・ロックの寛容論(A Letter Concerning Toleration) ロック(John Locke, 1632-1704)が1685年にオランダ亡命中にラテン語で執筆し、1689年に公刊した書簡体の論考。政治権力と宗教的権威の管轄領域を峻別し、近代的な政教分離思想の基盤を提供した。
ロックの議論の核心は、国家(commonwealth)と教会(church)の目的の根本的相違にある。国家の目的は「市民的利益」(civil interests)、すなわち生命・自由・身体の安全・財産の保全であり、世俗的事柄に限定される。一方、教会は「魂の救済」(salvation of souls)を目的とする任意的結社であり、国家はこの領域に介入する正当な権限を持たない。
ロックがこの区分を正当化する論拠は以下のとおりである。
- 管轄権の限界: 国家権力は外的強制力を本質とするが、信仰は内面的確信の問題であり、強制によって真の信仰を生じさせることは不可能である
- 魂の配慮の委託不在: 人民は社会契約によって自己の魂の救済を為政者に委ねてはいない
- 為政者の認識論的限界: 為政者が正しい宗教を知りうるという保証はなく、誤った宗教の強制は魂の破滅をもたらす
ただし、ロックの寛容には重大な限界があった。カトリック教徒は外国の君主(教皇)への忠誠を理由に排除され、無神論者は神への信仰なくして道徳的義務を遵守しえないとして排除された。この限界は、ロックの寛容論が抽象的な原理ではなく、17世紀イングランドの政治的文脈に規定されたものであったことを示している。
啓蒙思想と政教分離の深化¶
18世紀の啓蒙思想は、ロックの議論をさらに推し進めた。
ヴォルテール(Voltaire, 1694-1778)は『寛容論』(Traité sur la tolérance, 1763年)においてカトリック教会の不寛容を痛烈に批判し、宗教的多元性の擁護を説いた。イングランドの宗教的多元主義をフランスの模範として称揚した点でも重要である。
モンテスキュー(Montesquieu, 1689-1755)は『法の精神』(De l'esprit des lois, 1748年)において権力分立論を展開し、国家権力が宗教的権威と一体化することの危険を制度論的に示した。
ジェファソン(Thomas Jefferson, 1743-1826)はロックの思想を直接的に継承し、ヴァージニア信教自由法(1786年)の起草において、宗教的信念に対する世俗権力の介入を全面的に否定した。ジェファソンが1802年にダンベリー・バプティスト協会への書簡で用いた「教会と国家の間の分離の壁」(a wall of separation between Church and State)という表現は、のちにアメリカの政教分離原則を象徴する言い回しとなった。
timeline
title 政教分離の思想史
section 前近代
392年 : キリスト教国教化(テオドシウス帝)
5世紀 : ゲラシウスの両剣論
1555年 : アウクスブルクの和議(cuius regio, eius religio)
section 宗教戦争期
1598年 : ナントの勅令
1648年 : ウェストファリア条約
1685年 : ロック『寛容についての書簡』執筆
section 啓蒙期
1689年 : ロック『寛容書簡』公刊
1748年 : モンテスキュー『法の精神』
1763年 : ヴォルテール『寛容論』
1786年 : ヴァージニア信教自由法
section 近代
1789年 : フランス人権宣言
1791年 : 合衆国憲法修正第1条
1905年 : フランス政教分離法
1937年 : トルコ ライクリック原則の憲法明記
1946年 : 日本国憲法公布
各国の政教分離制度¶
合衆国憲法修正第1条とアメリカの「友好的分離」¶
Key Concept: 国教樹立禁止条項(Establishment Clause) 合衆国憲法修正第1条冒頭の「連邦議会は、国教の樹立に関する法律、または宗教の自由な実践を禁止する法律を制定してはならない」という規定。政府による特定宗教の優遇・冷遇の禁止と、宗教の自由な実践の保障という二つの原則を内包する。
修正第1条は1791年に批准されたが、その解釈は20世紀の連邦最高裁判例によって大きく展開した。
エバソン対教育委員会事件(Everson v. Board of Education, 1947年)において、連邦最高裁のブラック判事は、修正第1条の国教樹立禁止条項が州にも適用されることを確認するとともに、ジェファソンの「分離の壁」の比喩を援用して政教分離の厳格な解釈を提示した。
レモン対カーツマン事件(Lemon v. Kurtzman, 1971年)では、政府の行為が国教樹立禁止条項に違反するか否かを判定するための三要件テスト(レモン・テスト)が確立された。
- 法律が世俗的な目的を有すること(secular purpose)
- 法律の主たる効果が宗教を促進も抑制もしないこと(primary effect)
- 政府と宗教との過度のかかわり合い(excessive entanglement)を生じさせないこと
しかしアメリカの政教分離は、フランスのライシテとは性格を異にする。アメリカでは、政府は特定の宗教を優遇してはならないが、宗教一般に対して敵対的であることも許されない。大統領就任式における聖書への宣誓、通貨に刻印された「In God We Trust」、連邦議会の祈祷牧師の存在など、公的空間における宗教的要素は広く容認されている。このため、アメリカの政教分離は「友好的分離」(benevolent separation / friendly separation)と称されることが多い。
近年では、レモン・テストに代わる新たな基準の模索も進んでいる。ケネディ対ブレマートン学区事件(Kennedy v. Bremerton School District, 2022年)において、連邦最高裁はレモン・テストを事実上放棄し、歴史的実践と理解(historical practices and understandings)に基づく判断基準を示した。
フランスのライシテ¶
Key Concept: ライシテ(laïcité) フランスにおける政教分離の原則。国家の宗教的中立性、公的空間からの宗教の排除、良心の自由の保障を核心とする。1905年の政教分離法によって法制化され、1958年の第五共和政憲法第1条に「フランスはライックな(laïque)共和国である」と明記された。
フランスのライシテは、カトリック教会と共和主義勢力の長期にわたる対立の産物である。
フランス革命(1789年)は、アンシャン・レジーム下でカトリック教会が享受していた特権的地位を根本的に覆した。聖職者市民憲法(1790年)は聖職者を国家の公務員として管理下に置くことを企図し、ナポレオンの政教条約(コンコルダート、1801年)はカトリック教会との妥協的共存体制を構築した。
しかし19世紀後半、第三共和政下の共和派政権は反教権主義(anticléricalisme)を推進し、ジュール・フェリーによる公教育の世俗化(1882年の初等教育義務化・無償化・世俗化法)を断行した。
1905年12月9日の政教分離法(Loi du 9 décembre 1905 concernant la séparation des Églises et de l'État)は、以下の二つの原則を定めた。
- 第1条: 共和国は良心の自由を保障し、宗教の自由な実践を保障する
- 第2条: 共和国はいかなる宗教も公認せず、いかなる宗教に対しても俸給・補助金を支出しない
この法律によって、国家はカトリック・プロテスタント・ユダヤ教の聖職者に対する俸給支払を停止し、宗教を完全に私的領域の事柄とした。
20世紀末以降、ライシテは新たな局面を迎えている。ムスリム移民の増加に伴い、公立学校におけるイスラーム・スカーフ(ヒジャーブ)の着用が社会問題化した。2004年の法律は公立学校における宗教的標章の着用を禁止し、2010年の法律は公共の場における顔全体を覆うヴェール(ブルカ、ニカブ)の着用を禁止した。これらの措置は、ライシテの名のもとに宗教的マイノリティの表現の自由を制約するものだとの批判も生んでいる。
トルコのライクリック¶
Key Concept: ライクリック(laiklik) トルコ共和国における世俗主義の原則。フランスのライシテを範として、ムスタファ・ケマル・アタテュルクの改革により導入された。イスラーム諸国において政教分離を憲法原則として採用した最初の事例。
オスマン帝国では、スルタンがカリフを兼任し、シャリーア(イスラーム法)が国法の基盤であった。ムスタファ・ケマル・アタテュルク(Mustafa Kemal Atatürk, 1881-1938)はトルコ共和国の樹立(1923年)後、以下の改革を断行した。
- カリフ制の廃止(1924年)
- シャリーア裁判所の廃止とスイス民法典の継受(1926年)
- 憲法からの「国教はイスラームである」条項の削除(1928年)
- 政教分離(ライクリック)原則の憲法への明記(1937年)
トルコのライクリックは、フランスのライシテ以上に国家による宗教の積極的管理を特徴とする。宗教庁(Diyanet İşleri Başkanlığı)が設置され、モスクの管理・イマームの任命・宗教教育のカリキュラムを国家が統制した。これは宗教を私的領域に追いやるのではなく、国家が宗教を管理・統制下に置くという独特の形態である。
21世紀に入り、エルドアン政権のもとでイスラーム的価値観の公的復権が進み、ライクリックの原則は揺らぎを見せている。
イギリス・北欧の国教制度¶
Key Concept: 国教制度(established church) 国家が特定の宗教・宗派を公的に承認し、法的に特権的地位を与える制度。イギリスの英国国教会(Church of England)が典型例であり、国王が教会の首長を兼ねる。
イギリスでは、ヘンリー8世の宗教改革(1534年、国王至上法)以来、英国国教会が国家と一体的な地位を占めてきた。国王は「信仰の擁護者」(Defender of the Faith)の称号を持ち、カンタベリー大主教が戴冠式を司る。上院には聖職貴族(Lords Spiritual)として26名の主教が議席を有する。
しかし、国教制度の存在は信教の自由の否定を意味しない。1689年の寛容法(Toleration Act)以来、非国教徒への宗教的自由は段階的に拡大され、現代のイギリスは高度な宗教的多元主義の社会である。国教制度は「形式的な特権的地位の維持と実質的な宗教的平等の共存」として機能しており、これを「形骸化した国教制度」(vestigial establishment)と呼ぶ論者もいる。
北欧諸国では、ルター派教会が長く国教の地位を占めてきた。スウェーデンは2000年に国教制度を廃止し、ノルウェーも2012年の憲法改正で国教制度を事実上解消したが、デンマークではなお福音ルーテル教会が国教の地位にある。これらの国では、高度な世俗化が進行しつつも、国教会は文化的・歴史的制度として社会に根づいている。
日本の政教分離¶
憲法上の規定¶
日本国憲法は、政教分離に関して以下の規定を置いている。
第20条 1. 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。 2. 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。 3. 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。
第89条 公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、(中略)これを支出し、又はその利用に供してはならない。
これらの規定は、戦前の国家神道体制への反省から、GHQ(連合国軍最高司令官総部)の主導のもとで導入されたものである。神道指令(1945年12月)によって国家神道の制度的基盤が解体された後、新憲法によって政教分離が制度化された。
目的効果基準と主要判例¶
Key Concept: 目的効果基準(purpose and effect test) 日本の最高裁判所が政教分離原則の適用に際して採用した基準。国家の行為の「目的」が宗教的意義を持つか否か、その「効果」が特定の宗教に対する援助・助長・促進または圧迫・干渉になるか否かを判定する。アメリカのレモン・テストとの類似性が指摘される。
日本の政教分離に関するリーディング・ケースは以下のとおりである。
津地鎮祭事件(最大判昭和52年7月13日): 三重県津市が市体育館建設にあたり神式の地鎮祭を行い、公金から玉串料を支出した事案。最高裁は、政教分離は「国家と宗教との完全な分離を理想としつつも、国家が社会的・文化的諸条件に照らしてやむを得ない限度の関わりを持つことは許容される」とし、目的効果基準を初めて定立した。地鎮祭は「建築着工に際し土地の平安堅固、工事の無事安全を願う一般的慣習に基づく儀礼」であって、宗教的活動には該当しないと判断した。
愛媛県玉串料事件(最大判平成9年4月2日): 愛媛県が靖国神社に対し玉串料等を公金から支出した事案。最高裁は、県が特定の宗教団体に対し公金を支出する行為は「その目的が宗教的意義を持つことを免れず、その効果が特定の宗教に対する援助、助長、促進になる」として、憲法20条3項及び89条に違反すると判断した。政教分離訴訟における最高裁初の違憲判決である。
空知太神社事件(最大判平成22年1月20日): 市有地を神社の敷地として無償で提供していた事案。最高裁は目的効果基準を精緻化し、「国公有地が無償で宗教的施設の敷地としての用に供されている状態が、信教の自由の保障の確保という制度の根本目的との関係で相当とされる限度を超えて」いるか否かを判断する「総合判断」の枠組みを示した。
日本の政教関係の特殊性¶
日本の政教分離には、欧米とは異なる固有の特徴がある。
第一に、日本においては「宗教」の概念そのものが流動的である。初詣・七五三・クリスマス・葬式仏教といった宗教的実践が、当事者からは「宗教」と意識されないまま広く行われている。これは「無宗教」を自認する国民が過半数を占めるという調査結果とも関連する。
第二に、戦前の国家神道は「神道は宗教にあらず」という公式見解のもとで政教一致的体制を維持した。これは「宗教」の定義操作によって政教分離を形式的に維持しつつ実質的に破壊するという、日本に固有の歴史的経験である。
第三に、日本の政教分離は、宗教的多元主義の論理的帰結としてではなく、敗戦と占領という外的契機によって導入された。このため、政教分離の原理的基盤が社会において十分に内在化されているか否かは、なお検討を要する問題である。
政教分離の諸類型――比較の視点¶
以下に、主要国の政教関係を類型化して整理する。
| 類型 | 特徴 | 代表的な国 |
|---|---|---|
| 厳格分離型 | 国家と宗教の制度的分離を徹底。公的空間からの宗教の排除 | フランス、トルコ |
| 友好的分離型 | 制度的分離を維持しつつ、宗教一般に対して好意的中立性を保持 | アメリカ |
| 国教制度型 | 特定宗教に法的特権を付与しつつ、他宗教の自由も保障 | イギリス、デンマーク |
| 国家管理型 | 国家が宗教を制度的に管理・統制 | 中国、旧ソ連 |
| 宗教国家型 | 宗教法(シャリーア等)が国法の基盤 | イラン、サウジアラビア |
graph LR
A[政教関係の諸類型] --> B[分離型]
A --> C[協調型]
A --> D[一体型]
B --> B1[厳格分離<br/>フランス・トルコ]
B --> B2[友好的分離<br/>アメリカ]
C --> C1[国教制度<br/>イギリス・デンマーク]
C --> C2[協約型<br/>ドイツ・イタリア]
D --> D1[宗教国家<br/>イラン・サウジアラビア]
D --> D2[国家管理型<br/>中国]
ただし、この類型は理念型であり、現実の各国の政教関係はより複合的である。たとえばドイツでは、基本法上は国教を有しないが、キリスト教諸教会は公法上の社団として教会税の徴収権を有し、公立学校での宗教教育が保障されている(協約型)。また、フランスのアルザス=モゼル地方では歴史的経緯により1905年法が適用されず、コンコルダート体制が存続している。
類型間の共通課題¶
各類型に共通する現代的課題として、以下の点が挙げられる。
- 宗教的多元化への対応: 移民の増加に伴うムスリム人口の増大は、既存の政教関係モデルに挑戦を突きつけている。フランスのヒジャーブ論争、ドイツのモスク建設問題、イギリスのシャリーア法廷問題など、各国で異なる形で顕在化している
- 世俗化と脱世俗化の同時進行: チャールズ・テイラー(Charles Taylor)が論じたように、「世俗の時代」においても宗教は消滅せず、むしろ新たな形態をとって公的空間に回帰する動きが見られる
- 宗教的マイノリティの権利: 良心的兵役拒否、宗教的服装・食事の規律、宗教教育の自由など、個人の信教の自由と国家の宗教的中立性の間の緊張が各所で生じている
まとめ¶
- 政教分離の思想は、ヨーロッパの宗教戦争の経験を背景に、ロックの寛容論を嚆矢として啓蒙期に理論的精緻化が進み、アメリカ独立革命・フランス革命を通じて制度化された
- 政教分離の具体的形態は各国の歴史的経験に規定されており、フランスの厳格分離型(ライシテ)、アメリカの友好的分離型、イギリス・北欧の国教制度型、トルコの国家管理的世俗主義など、多様な類型が存在する
- 日本の政教分離は、戦前の国家神道体制への反省から憲法に規定されたが、「宗教」概念の流動性や社会的慣行との関係において固有の問題を抱えている
- 目的効果基準は日本の政教分離訴訟における基本的判断枠組みであり、津地鎮祭事件・愛媛玉串料事件・空知太神社事件を通じて展開してきた
- 現代においては、宗教的多元化、世俗化と脱世俗化の同時進行、宗教的マイノリティの権利保障といった共通課題に各国が直面しており、政教分離の原理と制度の再検討が求められている
- 次のセクション(Section 2)では、宗教と政治的暴力・宗教テロリズム・宗教ナショナリズムの問題を扱う
用語集(Glossary)¶
| 用語 | 英語表記 | 定義 |
|---|---|---|
| 政教分離 | separation of church and state | 国家と宗教団体の制度的分離を要請する原則 |
| 両剣論 | two swords doctrine | 教皇ゲラシウス1世が提唱した教権と俗権の並存理論 |
| 寛容論 | A Letter Concerning Toleration | ロックが国家と教会の管轄領域の峻別を論じた書簡体論考(1689年公刊) |
| ライシテ | laïcité | フランスにおける政教分離の原則。国家の宗教的中立性と公的空間からの宗教の排除を核心とする |
| ライクリック | laiklik | トルコ共和国における世俗主義の原則。フランスのライシテを範としつつ、国家による宗教管理を特徴とする |
| 国教樹立禁止条項 | Establishment Clause | 合衆国憲法修正第1条の規定。連邦議会による国教の樹立を禁止する |
| 国教制度 | established church | 国家が特定の宗教・宗派を公的に承認し法的特権を付与する制度 |
| 目的効果基準 | purpose and effect test | 日本の最高裁が政教分離訴訟で採用する判断基準。国家行為の目的の宗教性と効果の援助・助長性を審査する |
| レモン・テスト | Lemon test | アメリカ連邦最高裁がレモン対カーツマン事件(1971年)で確立した、国教樹立禁止条項の違反判定基準 |
| 反教権主義 | anticlericalism | 宗教的聖職者層の政治的・社会的影響力の排除を主張する思想・運動 |
| 神道指令 | Shinto Directive | 1945年にGHQが発出した、国家神道の制度的基盤を解体する指令 |
| 協約型 | concordat model | 国家と宗教団体が協定を結び、相互の権利義務を定める政教関係の類型。ドイツが代表例 |
確認問題¶
Q1: ロックの『寛容についての書簡』において、国家が宗教的事項に介入してはならないとされる根拠を3点述べよ。また、ロックの寛容論の限界として、どのような集団が寛容の対象から排除されたか、その排除の論理とともに説明せよ。
A1: ロックが国家の宗教的事項への不介入を正当化する根拠は以下の3点である。第一に、国家権力は外的強制力を本質とするが、信仰は内面的確信の問題であり、強制によって真の信仰を生じさせることは不可能である(管轄権の限界)。第二に、人民は社会契約において自己の魂の救済を為政者に委ねてはいない(魂の配慮の委託不在)。第三に、為政者が正しい宗教を知りうるという保証はなく、誤った宗教の強制は魂の破滅をもたらす(為政者の認識論的限界)。ロックの寛容から排除されたのは、カトリック教徒(外国の君主たる教皇への忠誠が国家への忠誠と矛盾するという政治的理由)と無神論者(神への信仰なくして道徳的義務の基盤が失われるという倫理的理由)であった。
Q2: フランスのライシテとアメリカの政教分離の相違を、歴史的背景・制度的特徴・公的空間における宗教の位置づけの3点から比較せよ。
A2: 歴史的背景として、フランスのライシテはカトリック教会と共和主義勢力の長期にわたる対立の産物であり、反教権主義の伝統を有する。一方、アメリカの政教分離はイギリス国教会からの自由を求めた植民地の経験と、宗教的多元性の制度的保障の必要から生じた。制度的特徴として、フランスは1905年政教分離法によっていかなる宗教も公認せず補助金を支出しないことを定め、国家の宗教に対する厳格な中立性を追求する。アメリカは修正第1条の国教樹立禁止条項と信教自由条項により制度的分離を維持しつつ、宗教一般に対して好意的な中立性を保つ。公的空間における宗教の位置づけとして、フランスでは2004年の法律で公立学校における宗教的標章の着用が禁止されるなど、公的空間からの宗教の排除が徹底される。アメリカでは大統領の聖書宣誓、通貨の「In God We Trust」の刻印、議会の祈祷牧師など、公的空間における宗教的要素が広く容認されている。
Q3: 日本の最高裁判所が津地鎮祭事件で定立した「目的効果基準」の内容を説明し、この基準が愛媛県玉串料事件ではどのように適用されて異なる結論に至ったかを論ぜよ。
A3: 目的効果基準とは、国家の行為が憲法20条3項の禁止する「宗教的活動」に該当するか否かを、当該行為の「目的」が宗教的意義を持つか否か、その「効果」が特定の宗教に対する援助・助長・促進または圧迫・干渉になるか否かという二つの観点から判定する基準である。津地鎮祭事件(1977年)では、地鎮祭は建築着工に際して工事の安全を願う一般的慣習に基づく儀礼であり、その目的は世俗的であって宗教的意義は希薄であり、その効果も特定宗教の援助・助長には当たらないとして合憲と判断された。一方、愛媛県玉串料事件(1997年)では、県が靖国神社に対し玉串料を公金から支出する行為は、その目的が宗教的意義を持つことを免れず、その効果が特定の宗教に対する援助・助長・促進になるとして違憲と判断された。両事件の結論の相違は、行為の社会的慣習性の程度、特定宗教団体との結びつきの度合い、金銭支出の継続性といった具体的事実関係の差異に基づく。
Q4: トルコのライクリック(世俗主義)は、フランスのライシテとどのような点で共通し、どのような点で異なるか。また、トルコ固有の問題として、イスラーム世界における政教分離がなぜ特異なものとされるかを論ぜよ。
A4: トルコのライクリックとフランスのライシテは、いずれも国家と宗教の制度的分離を憲法原則として掲げ、公的領域からの宗教の排除を志向する点で共通する。ライクリックはフランスのライシテを直接の範として導入された。しかし、フランスのライシテが宗教を私的領域に解放する(国家は不介入)のに対し、トルコのライクリックは宗教庁を通じて国家がモスクの管理・イマームの任命・宗教教育を統制するという、国家による宗教の積極的管理を特徴とする。トルコの政教分離がイスラーム世界で特異とされる理由は、イスラームが本来、宗教と政治・法・社会の統一的体系(ディーン・ワ・ダウラ)を志向する傾向が強く、シャリーアが国法の基盤とされてきた歴史的伝統の中で、アタテュルクがカリフ制廃止・シャリーア裁判所廃止・スイス民法典の継受という急進的な世俗化改革を断行した点にある。これはイスラーム諸国初の政教分離であり、上からの強権的近代化の典型とも評される。