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Module 3-2 - Section 2: 宗教と政治的暴力・ナショナリズム

セクション情報

項目 内容
モジュール Module 3-2: 宗教と政治・法
前提セクション Section 1(政教分離の思想史と諸類型)
想定学習時間 6時間

導入

Section 1では、政教分離の思想史と各国の制度的類型を検討した。そこで明らかになったのは、近代国家が国家と宗教の制度的分離を追求してきた歴史的経緯である。しかし、政教分離が制度化された後もなお、宗教は政治的暴力の動機・正当化の論理として機能し続けている。冷戦終結後の世界では、宗教に動機づけられたテロリズムやナショナリズムがむしろ顕在化しており、世俗化論が予測した「宗教の退場」は実現していない。

本セクションでは、宗教と政治的暴力の関係を二つの軸から検討する。第一に、「聖戦」概念の歴史的展開と宗教テロリズムの理論的分析を扱い、マーク・ユルゲンスマイヤーの「宇宙戦争」(cosmic war)論を中心に宗教的暴力の構造を解明する。第二に、宗教とナショナリズムの結合という現代的現象を、ヒンドゥー・ナショナリズム、クリスチャン・ナショナリズム、仏教ナショナリズムの三つの事例を通じて比較分析する。


宗教戦争と「聖戦」概念の系譜

ヨーロッパにおける宗教戦争

ヨーロッパの宗教戦争は、宗教的動機と政治的利害が不可分に結合した暴力の歴史的典型である。十字軍(Crusades, 1096-1291年)は、教皇ウルバヌス2世(Urban II)がクレルモン公会議(1095年)でエルサレム奪還を呼びかけたことに始まる。しかし、十字軍を純粋に宗教的な動機のみで説明することはできない。封建領主の領土拡大欲、イタリア商業都市の交易圏拡大、教皇権の伸張といった世俗的利害が宗教的大義と結びついていた。

Key Concept: 十字軍(Crusades) 11世紀末から13世紀にかけて、キリスト教世界がイスラーム勢力からの聖地エルサレム奪還を名目に実施した軍事遠征。教皇の呼びかけによって正当化され、参加者には免償(indulgence)が約束された。単なる宗教的動機にとどまらず、政治的・経済的利害が複合的に絡んでいた。

宗教改革以降の宗教戦争――フランスのユグノー戦争(1562-1598年)、三十年戦争(1618-1648年)――は、キリスト教内部の宗派間対立が政治的暴力へと転化した事例である。三十年戦争はドイツ人口の約3分の1を喪失させたとも推計されるが、その過程では宗派的忠誠と王朝的利害が複雑に交錯し、カトリックのフランスがプロテスタント側に加担するといった「聖戦」の論理では説明不能な展開も生じた。このことは、宗教と暴力の関係が単線的な因果関係ではなく、政治的・社会的文脈に深く埋め込まれていることを示している。

「聖戦」概念の比較――十字軍とジハード

Key Concept: ジハード(jihad) アラビア語で「努力」「奮闘」を原義とする概念。イスラーム法学上、「大ジハード」(al-jihad al-akbar, 自己の内面における信仰の奮闘)と「小ジハード」(al-jihad al-asghar, 武力による戦闘)に区別される。西洋メディアでは「聖戦」(holy war)と訳されるが、この訳語はイスラーム法学における概念の多義性と厳密な法的規制を見えなくする点で問題がある。

十字軍とジハードはともに「神の名における戦争」として理解されがちであるが、学術的にはその概念構造に重要な相違がある。

十字軍は教皇の権威によって宣言される特殊な軍事遠征であり、参加は原則として自発的であった。十字軍参加者には免償が約束され、戦死者は殉教者とみなされた。ただし、十字軍の概念は中世の制度的文脈に固有のものであり、教皇がこの権威を行使する条件や正戦論(bellum justum)との関係は、トマス・アクィナス(Thomas Aquinas, 1225-1274)をはじめとするスコラ学者によって精緻に議論された。

ジハードはイスラーム法(シャリーア)において精緻に規制されている。開戦の条件、捕虜の処遇、非戦闘員の保護、停戦の手続きなどが法学的に詳細に規定されており、無制限な暴力の正当化とは本質的に異なる。ジハードは集団的義務(ファルド・キファーヤ)であるが、その発動には正当な権威(イスラーム法学上はカリフまたはそれに準じる統治者)による宣言が原則として必要とされた。

「聖戦」という概念で両者を一括することの問題性は、宗教学の重要な方法論的教訓である。各宗教伝統には暴力に関する固有の規範的枠組みが存在し、それらを超歴史的・超文化的な単一カテゴリーに還元することは、学術的精度を損なう。

graph TD
    A[宗教と暴力の諸形態] --> B[宗教戦争]
    A --> C[聖戦概念]
    A --> D[宗教テロリズム]
    A --> E[宗教ナショナリズム]

    B --> B1[十字軍<br/>1096-1291]
    B --> B2[宗教改革期の戦争<br/>16-17世紀]

    C --> C1[十字軍<br/>教皇の権威による宣言<br/>自発的参加]
    C --> C2[ジハード<br/>大ジハード:内面の奮闘<br/>小ジハード:武力行使]

    D --> D1[宇宙戦争論<br/>ユルゲンスマイヤー]
    D --> D2[パフォーマンス的暴力]

    E --> E1[ヒンドゥー・<br/>ナショナリズム]
    E --> E2[クリスチャン・<br/>ナショナリズム]
    E --> E3[仏教<br/>ナショナリズム]

宗教テロリズムの理論的分析

ユルゲンスマイヤーの「宇宙戦争」論

Key Concept: 宇宙戦争(cosmic war) マーク・ユルゲンスマイヤー(Mark Juergensmeyer, 1940-)が『神の心の中のテロ(Terror in the Mind of God: The Global Rise of Religious Violence)』(2000年初版)で提唱した概念。宗教的暴力の実行者が、自らの闘争を善と悪、神と悪魔、秩序と混沌の間の超越的・究極的な戦いとして認識する心的枠組みを指す。

カリフォルニア大学サンタバーバラ校の社会学者マーク・ユルゲンスマイヤーは、宗教テロリズムを比較宗教学的な枠組みで分析した先駆的研究者である。彼はアメリカのキリスト教右派によるテロ、ユダヤ教過激主義、イスラーム急進主義、シク教過激派、オウム真理教など、複数の宗教伝統に跨がる事例を比較調査し、宗教的暴力に共通する構造的特徴を析出した。

ユルゲンスマイヤーの分析の核心は、宗教的暴力の実行者が現実の政治的紛争を「宇宙戦争」の枠組みで再解釈するという点にある。宇宙戦争の特徴は以下の三点に集約される。

  1. 超越的二元論: 紛争が善と悪の究極的対立として理解される。敵は単なる政治的対立者ではなく、悪の体現者・悪魔的存在として絶対的に悪魔化される
  2. 無時間性: 闘争は世俗的な時間軸の中ではなく、宇宙的なスケールで展開されるものと理解される。そのため、世俗的な勝利・敗北の基準は意味を失い、象徴的行為そのものが目的化する
  3. 全面性: 妥協や交渉は宇宙的な善悪の闘争においては本質的に不可能とされる。善と悪の間に中間地帯は存在しない

パフォーマンス的暴力

Key Concept: パフォーマンス的暴力(performance violence) ユルゲンスマイヤーの用語で、宗教テロリズムの行為が戦略的合理性よりも象徴的・劇場的効果を志向する性質を指す。暴力行為は「演じられる」ものであり、恐怖と畏怖を喚起する公的な「劇場」(theater of terror)として機能する。

ユルゲンスマイヤーは、宗教テロリズムが通常のテロリズムと異なる特徴として、暴力の「パフォーマンス的」性格を指摘する。宗教テロリストの行為は、しばしば戦略的合理性の観点からは説明困難である。標的の軍事的・政治的価値は低く、行為者自身の自爆を伴い、組織の政治的目標の達成に直接的に貢献しないことも多い。

これをユルゲンスマイヤーは「恐怖の劇場」(theater of terror)として理解する。暴力行為は象徴的コミュニケーションであり、以下のメッセージを内包する。

  • 既存の世俗的秩序の脆弱性と不正義の暴露
  • 超越的権威(神)の名における裁きの宣告
  • 「宇宙戦争」への参加による行為者自身の存在論的意味の獲得

世俗化の挫折と宗教的暴力

宗教テロリズムの台頭は、世俗化論の限界を露呈させた。ユルゲンスマイヤーは、世俗的ナショナリズムが正統性を失う状況において、宗教が政治的暴力の正当化の論理として再浮上する構造を指摘する。冷戦後の世界において、世俗的イデオロギー(マルクス主義、アラブ・ナショナリズムなど)が求心力を失い、その真空を宗教的イデオロギーが埋めるという動態は、中東、南アジア、東南アジアなど広範な地域で観察される。

ただし、宗教テロリズムの分析においては、宗教的要因の過大評価を避ける必要がある。ロバート・ペイプ(Robert Pape)は『自爆テロ(Dying to Win)』(2005年)において、自爆テロの主たる動機は宗教ではなく外国軍の占領に対する抵抗であるとする実証的分析を提示した。宗教的言説は暴力を正当化し動員力を高める機能を果たすが、暴力の根本的原因は政治的・社会的文脈に求められるべきであるとする見解は、多くの研究者が共有するものである。


宗教とナショナリズム

宗教ナショナリズムの理論的枠組み

Key Concept: 宗教ナショナリズム(religious nationalism) 国民的アイデンティティを特定の宗教伝統と結合させ、国家の正統性・文化的統一性の基盤を宗教に求める政治的イデオロギー。世俗的ナショナリズムが国民的アイデンティティを言語・領土・民族に基づけるのに対し、宗教ナショナリズムは宗教的帰属を国民の本質的属性として位置づける。

ベネディクト・アンダーソン(Benedict Anderson, 1936-2015)が『想像の共同体(Imagined Communities)』(1983年)で論じたように、ナショナリズムは「想像された共同体」を構築する政治的プロジェクトである。アンダーソン自身は世俗化の進行によって宗教共同体がナショナルな共同体に「置き換えられる」とする議論を展開したが、現実の歴史はこの図式に収まらない。20世紀後半以降、宗教はナショナリズムの構成要素として再び強力な役割を果たしている。

ヒンドゥー・ナショナリズム(ヒンドゥトヴァ)

Key Concept: ヒンドゥトヴァ(Hindutva) 「ヒンドゥー性」を意味する概念。ヴィナーヤク・ダーモーダル・サーヴァルカル(Vinayak Damodar Savarkar, 1883-1966)が著書『ヒンドゥトヴァ(Hindutva: Who Is a Hindu?)』(1923年)で定式化した。インドの国民的アイデンティティをヒンドゥー教的文化・文明に基づけようとする政治的イデオロギーであり、ヒンドゥー・ナショナリズムの理論的基盤をなす。

ヒンドゥー・ナショナリズムは、宗教ナショナリズムの最も体系的かつ政治的に成功した事例の一つである。

思想的基盤: サーヴァルカルは、ヒンドゥーとは単に宗教的信仰の問題ではなく、インド亜大陸を「祖国」(pitrbhumi)かつ「聖地」(punyabhumi)とみなす人々の文化的・文明的アイデンティティであると定義した。この定義によれば、仏教徒・ジャイナ教徒・シク教徒はヒンドゥーに包摂されるが、ムスリムとキリスト教徒は「聖地」を国外(メッカ、エルサレム)に持つため排除される。

組織的展開: ヒンドゥー・ナショナリズムの組織的基盤は、ケーシャヴ・バリラーム・ヘードゲーワール(Keshav Baliram Hedgewar, 1889-1940)が1925年に設立した民族奉仕団(RSS: Rashtriya Swayamsevak Sangh)である。RSSはヒンドゥー青年の身体的・精神的鍛錬を通じてヒンドゥー社会の統一と強化を目指す組織であり、その傘下にはインド人民党(BJP: Bharatiya Janata Party)、世界ヒンドゥー協会(VHP: Vishva Hindu Parishad)などの関連組織が存在する。これらは総称して「サング・パリワール」(Sangh Parivar, 「家族」の意)と呼ばれる。

政治的暴力との関係: 1992年のバーブリー・マスジド(アヨーディヤーのモスク)破壊事件は、ヒンドゥー・ナショナリズムと暴力の結合を象徴する事件であった。ヒンドゥー・ナショナリストはこの地をラーマ神の生誕地と主張し、数万人の群衆がモスクを破壊した。この事件はヒンドゥー・ムスリム間の大規模な暴動を引き起こし、2002年のグジャラート暴動へとつながる宗教的暴力の連鎖を生んだ。

学術的論争: ヒンドゥトヴァをめぐる学術的論争の焦点は、それが「文化的ナショナリズム」であるのか「宗教的ファシズム」であるのかという点にある。BJPはヒンドゥトヴァを宗教ではなく文化的アイデンティティの表現であると主張するが、人類学者トマス・ブロム・ハンセン(Thomas Blom Hansen)をはじめとする研究者は、ヒンドゥトヴァが宗教的感情を国民文化の言説に組み込む形態のポピュリズム的ナショナリズムであると分析している。

クリスチャン・ナショナリズム

Key Concept: クリスチャン・ナショナリズム(Christian nationalism) 国民的アイデンティティをキリスト教的価値・伝統と結合させ、国家の法制度・公的空間をキリスト教的規範に基づけようとする政治的イデオロギー。アメリカ合衆国において顕著であり、特に白人福音派(white evangelicalism)との親和性が指摘される。

アメリカにおけるクリスチャン・ナショナリズムは、「アメリカはキリスト教国家として建国された」という歴史認識を基盤とし、国家の法制度・公教育・公的空間をキリスト教的価値観に基づいて構成すべきだと主張する。

歴史的展開: クリスチャン・ナショナリズムの系譜は、ピューリタンの「丘の上の町」(city upon a hill)の理念にまで遡りうるが、現代的な形態は1970年代末のジェリー・ファルウェル(Jerry Falwell, 1933-2007)による「モラル・マジョリティ」(Moral Majority, 1979年設立)に始まる宗教右派の政治運動に端を発する。人工妊娠中絶・同性婚・進化論教育・公的空間からの宗教的象徴の除去といった争点をめぐり、福音派キリスト教徒の政治的動員が進んだ。

構造的特徴: 社会学者アンドリュー・ウィテッド(Andrew L. Whitehead)とサミュエル・ペリー(Samuel L. Perry)は『Taking America Back for God』(2020年)において、クリスチャン・ナショナリズムを「キリスト教とアメリカの市民生活を融合させようとする文化的枠組み」と定義し、その態度的特徴を四段階(拒否者・抵抗者・順応者・大使)に類型化した。彼らの実証分析によれば、クリスチャン・ナショナリズムへの支持は、教会出席頻度や聖書に対する態度よりも、権威主義的態度、反移民感情、白人至上主義的傾向との相関が強い。

Section 1との接続: アメリカの政教分離は修正第1条の国教樹立禁止条項によって制度化されている(→ Section 1参照)。クリスチャン・ナショナリズムは、この制度的枠組みに対する内在的な挑戦である。「建国の父たちはキリスト教国家を意図していた」とする歴史解釈は、ジェファソンやマディソンの書簡・著作と齟齬をきたすが、クリスチャン・ナショナリストは独自の歴史観を構築し、政教分離原則の再解釈を試みている。

仏教ナショナリズム

Key Concept: 仏教ナショナリズム(Buddhist nationalism) 国民的・民族的アイデンティティを上座部仏教の伝統と結合させ、仏教徒多数派の政治的・文化的優位を主張する運動。スリランカとミャンマーに顕著であり、反ムスリム・反キリスト教の排他的言説を伴うことが多い。「暴力と無縁な平和の宗教」という仏教のイメージに対する根本的な問い直しを迫る現象である。

仏教は一般に非暴力の宗教として理解されるが、スリランカとミャンマーにおける仏教ナショナリズムは、この通念に対する反証的事例を提供する。

スリランカ: スリランカの仏教ナショナリズムは、パーリ語年代記『マハーヴァンサ(Mahavamsa)』(5世紀成立)にまで遡る歴史的基盤を持つ。同書は、ブッダ自身がスリランカを仏法の守護のために選んだ聖地であるとする建国神話を提示し、シンハラ民族・上座部仏教・スリランカの島嶼という三位一体のアイデンティティを構築する。

20世紀初頭、アナガーリカ・ダルマパーラ(Anagarika Dharmapala, 1864-1933)はイギリス植民地支配に対抗するシンハラ仏教復興運動を展開し、仏教とシンハラ民族主義を結合させた。この伝統は独立後も持続し、1956年のバンダーラナーヤカ首相による「シンハラ・オンリー法」(シンハラ語の唯一公用語化)をめぐる政治動員、そしてタミル人との民族紛争(1983-2009年)における仏教僧の政治参加へとつながった。

2012年に設立されたボードゥ・バラ・セーナ(BBS: Bodu Bala Sena, 「仏教の力の軍隊」の意)は、ムスリム少数派を仏教文化への脅威として攻撃する急進的仏教ナショナリスト組織である。BBSはムスリム経営の商店に対する不買運動、モスクへの攻撃、ハラール食品認証への反対運動などを展開した。

ミャンマー: ミャンマーにおける仏教ナショナリズムもまた、植民地期の仏教復興運動に起源を持つ。2012年頃から台頭した969運動は、僧侶アシン・ウィラトゥ(Ashin Wirathu, 1968-)を中心的人物とし、仏教徒のムスリムとの経済的・社会的交流を制限することを主張した。「969」はブッダ・ダンマ(教え)・サンガ(僧団)の徳を象徴する数字であるとされる。

969運動の後継として2013年に組織化された「民族・宗教保護協会」(MaBaTha: Ma Ba Tha)は、異教徒との婚姻を制限する法律の制定を推進し、2015年にはロヒンギャ・ムスリムの権利制限を支持する四法案の成立に影響を与えた。2017年のミャンマー軍によるロヒンギャに対する暴力においても、仏教ナショナリストの言説が暴力を正当化する論理として機能したとの分析がある。

比較の視点: スリランカとミャンマーの仏教ナショナリズムには構造的類似性がある。両者とも英国植民地支配の経験、上座部仏教と民族的アイデンティティの融合、ムスリム少数派に対する排他的言説、僧侶の政治的動員という特徴を共有する。学術的研究は、BBSの教育カリキュラムがミャンマーのMaBaThaにほぼそのまま翻訳されて導入されたことを指摘しており、両国の仏教ナショナリズム間のトランスナショナルな連携が存在することが示されている。


宗教的暴力の構造的要因

宗教と政治的暴力の関係を分析する上で、以下の構造的要因を整理しておくことが重要である。

宗教固有の暴力促進要因: - 超越的権威による正当化: 暴力が神の意志として正当化されることで、世俗的な道徳的制約が解除される - 終末論的思考: 現在の世界秩序の終焉と新たな秩序の到来への確信が、破壊的行為を「浄化」として意味づける - 殉教の論理: 暴力の過程での死が救済・報酬として意味づけられることで、自己犠牲的暴力が可能になる - 絶対的他者化: 異教徒・異端者を救済の外部に位置づけることで、暴力の対象としての脱人間化が進む

宗教的暴力を抑制する要因: - 各宗教伝統に内在する非暴力・平和の教説 - 暴力に関する法的・倫理的規制(正戦論、ジハードの法学的規制など) - 宗教間対話の伝統と実践 - 宗教共同体内部の自浄作用と批判的知識人の存在

宗教テロリズム研究の要諦は、宗教を暴力の「原因」として本質主義的に理解するのではなく、特定の政治的・社会的条件のもとで宗教的言説が暴力の動員・正当化の資源として活性化するメカニズムを解明することにある。


まとめ

  • 宗教戦争の歴史は十字軍から宗教改革期の戦争に至るまで、宗教的動機と政治的利害の不可分な結合として理解される必要がある
  • 「聖戦」概念(十字軍とジハード)は各宗教伝統に固有の規範的枠組みの中で理解されるべきであり、超文化的な単一カテゴリーへの還元は学術的に不適切である
  • ユルゲンスマイヤーの「宇宙戦争」論は、宗教テロリズムの実行者が現実の政治的紛争を善悪の究極的闘争として再解釈する構造を明らかにした
  • ヒンドゥトヴァ、クリスチャン・ナショナリズム、仏教ナショナリズムは、それぞれ異なる歴史的・社会的文脈のもとで宗教と国民的アイデンティティを結合させる現代的現象であるが、多数派宗教によるマイノリティの排除という共通構造を有する
  • 宗教的暴力の分析においては、宗教を暴力の「原因」とする本質主義的理解を避け、政治的・社会的文脈における宗教的言説の動員メカニズムに着目する必要がある
  • 次のセクション(Section 3)では、宗教的マイノリティの権利と信教の自由の国際的保障の問題を扱う

用語集(Glossary)

用語 英語表記 定義
十字軍 Crusades 11-13世紀にキリスト教世界が聖地奪還を名目に実施した軍事遠征。教皇の権威による宣言と免償の約束を特徴とする
ジハード jihad 「努力・奮闘」を原義とするイスラームの概念。大ジハード(内面の奮闘)と小ジハード(武力行使)に区別される
宇宙戦争 cosmic war ユルゲンスマイヤーの概念。宗教的暴力の実行者が自らの闘争を善悪の超越的闘争として認識する心的枠組み
パフォーマンス的暴力 performance violence 宗教テロリズムが戦略的合理性よりも象徴的・劇場的効果を志向する性質
宗教ナショナリズム religious nationalism 国民的アイデンティティを特定の宗教伝統と結合させる政治的イデオロギー
ヒンドゥトヴァ Hindutva サーヴァルカルが定式化した「ヒンドゥー性」の概念。ヒンドゥー・ナショナリズムの理論的基盤
クリスチャン・ナショナリズム Christian nationalism 国民的アイデンティティをキリスト教的価値と結合させ、国家を宗教的規範に基づけようとするイデオロギー
仏教ナショナリズム Buddhist nationalism 国民的アイデンティティを上座部仏教と結合させ、仏教徒多数派の優位を主張する運動
ボードゥ・バラ・セーナ Bodu Bala Sena (BBS) 2012年にスリランカで設立された急進的仏教ナショナリスト組織
969運動 969 Movement ミャンマーにおける反ムスリム仏教ナショナリスト運動。アシン・ウィラトゥが中心的人物
民族・宗教保護協会 MaBaTha ミャンマーにおける969運動の後継組織。異教徒との婚姻制限法などを推進

確認問題

Q1: ユルゲンスマイヤーの「宇宙戦争」(cosmic war)概念の三つの特徴を説明し、この枠組みが宗教テロリズムの「パフォーマンス的暴力」という性格をどのように説明するかを論ぜよ。

A1: 宇宙戦争の三つの特徴は、第一に超越的二元論(紛争が善と悪の究極的対立として理解され、敵が悪魔的存在として絶対的に悪魔化される)、第二に無時間性(闘争が世俗的時間ではなく宇宙的スケールで展開されるものと理解され、世俗的な勝敗の基準が意味を失う)、第三に全面性(善と悪の闘争において妥協・交渉は本質的に不可能とされる)である。この枠組みは「パフォーマンス的暴力」を次のように説明する。宇宙戦争の論理のもとでは、暴力行為の意味は戦略的合理性(領土の獲得、政治的譲歩の獲得など)にではなく、象徴的・劇場的効果にある。暴力は「恐怖の劇場」として演じられ、既存の世俗的秩序の脆弱性の暴露、超越的権威の名における裁きの宣告、行為者自身の存在論的意味の獲得というメッセージを伝達する。このため、軍事的・政治的に無意味に見える暴力(民間人への自爆攻撃など)も、宇宙戦争の枠内では十全な意味を持つ行為となる。

Q2: ヒンドゥー・ナショナリズム(ヒンドゥトヴァ)の思想的基盤をサーヴァルカルの議論に即して説明し、この定義がムスリムとキリスト教徒をどのような論理で排除するかを論ぜよ。

A2: サーヴァルカルは『ヒンドゥトヴァ』(1923年)において、ヒンドゥーを単なる宗教的信仰ではなく、文化的・文明的アイデンティティとして定義した。その核心は、インド亜大陸を「祖国」(pitrbhumi)かつ「聖地」(punyabhumi)とみなす人々という二重の基準にある。この定義により、仏教徒・ジャイナ教徒・シク教徒は、インドを祖国としかつインド起源の宗教を奉じる者としてヒンドゥーの範疇に包摂される。一方、ムスリムとキリスト教徒は、インドを祖国としうるとしても、その「聖地」がメッカやエルサレムという国外にあるため、ヒンドゥーの完全な構成員とはなりえないとして排除される。この排除の論理は、宗教を文化的アイデンティティの問題に読み替えることで、宗教的排他性を文化的差異の言説に転換するものであり、BJPがヒンドゥトヴァを「宗教的」ではなく「文化的」ナショナリズムと主張する根拠ともなっている。

Q3: スリランカとミャンマーの仏教ナショナリズムに共通する構造的特徴を、歴史的背景・組織形態・排除の対象の三点から比較せよ。また、「平和の宗教」としての仏教イメージとこれらの運動はどのような関係にあるかを考察せよ。

A3: 歴史的背景として、両国ともイギリスの植民地支配を経験し、植民地期に仏教復興運動が反植民地ナショナリズムと結合した。スリランカではダルマパーラの仏教復興運動、ミャンマーでも同様の反植民地的仏教運動が展開された。組織形態として、スリランカのBBS(2012年設立)とミャンマーの969運動・MaBaTha(2013年組織化)はともに僧侶が政治的動員の中心的役割を果たし、BBSのカリキュラムがMaBaThaに翻訳導入されるなどトランスナショナルな連携が存在する。排除の対象として、両国ともムスリム少数派が仏教文化への脅威として攻撃の対象とされ、不買運動・立法による権利制限・暴力的攻撃が行われた。「平和の宗教」としての仏教イメージとの関係については、仏教に非暴力(アヒンサー)の教説が存在することは事実であるが、上座部仏教圏では「仏法の守護」という論理のもとで国家・民族・仏教の三位一体的アイデンティティが構築されてきた歴史的経緯がある。仏教ナショナリズムは、仏教の教義的内容よりも、仏教を民族的・国民的アイデンティティの核として政治的に動員する構造に本質があり、宗教の本質主義的理解(「仏教は平和的」「イスラームは暴力的」等)の限界を示す重要な事例である。

Q4: 十字軍とジハードを「聖戦」として一括することの学術的問題点を、両概念の制度的・法的相違に着目して論ぜよ。

A4: 十字軍とジハードを「聖戦」(holy war)という単一カテゴリーで一括することには以下の学術的問題がある。第一に、制度的基盤が異なる。十字軍は教皇の権威によって宣言される特殊な軍事遠征であり、教皇権という固有の制度的文脈に依存する。ジハードはイスラーム法学上の概念であり、その発動にはカリフまたはそれに準じる正当な権威による宣言が原則として必要とされた。第二に、法的規制の体系が異なる。ジハードはシャリーアにおいて開戦条件、捕虜の処遇、非戦闘員の保護、停戦の手続きが精緻に規定されている。十字軍は正戦論(トマス・アクィナス等)の枠組みで議論されたが、その法的規制の体系は異なる。第三に、概念の多義性が等閑視される。ジハードは大ジハード(内面の信仰的奮闘)と小ジハード(武力行使)を包含する多義的概念であるが、「聖戦」の訳語はこの区分を隠蔽する。第四に、超歴史的・超文化的な単一カテゴリーへの還元は、各宗教伝統に固有の暴力に関する規範的枠組みの特殊性を見えなくし、「宗教は暴力を生む」という本質主義的理解を助長する危険がある。