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Module 3-3 - Section 2: 宗教と環境倫理・宗教間対話

セクション情報

項目 内容
モジュール Module 3-3: 宗教と倫理・生命
前提セクション Section 1(宗教倫理の基礎と生命倫理)
想定学習時間 7時間

導入

Section 1では、宗教倫理の基礎理論(自然法論・神命説・徳の倫理)と、脳死・中絶・安楽死という生命倫理上の個別問題に対する各宗教の立場を検討した。本セクションでは、倫理の射程を「人間の生命」から「自然環境」へ、さらに「宗教間の共通倫理基盤」へと拡張する。

第一に、リン・ホワイト・ジュニア(Lynn Townsend White Jr.)が1967年に提起した「生態学的危機の歴史的根源」テーゼを検討する。ホワイトは西洋キリスト教の人間中心主義が環境破壊の思想的根源であると論じ、この主張は宗教と環境倫理の学術的議論の出発点となった。次に、各宗教が有するエコロジー思想の資源を概観し、ホワイト・テーゼへの応答を含めて検討する。第二に、ハンス・キュング(Hans Küng, 1928-2021)の「世界倫理」(Weltethos)構想を中心に、宗教間対話が倫理的共通基盤の構築をいかに試みてきたかを分析する。


宗教と環境倫理

リン・ホワイト・テーゼ

Key Concept: リン・ホワイト・テーゼ(Lynn White thesis) 歴史学者リン・ホワイト・ジュニアが1967年の論文「生態学的危機の歴史的根源」(The Historical Roots of Our Ecologic Crisis)で提起した学説。西洋キリスト教の人間中心主義的自然観が近代科学技術の無制約な自然支配を正当化し、生態学的危機の思想的根源となったと主張する。

リン・ホワイト・ジュニア(Lynn Townsend White Jr., 1907-1987)は中世技術史の専門家であり、1966年12月にアメリカ科学振興協会(AAAS)の年次大会で行った講演をもとに、1967年に『サイエンス』誌に「生態学的危機の歴史的根源」を発表した。この論文は宗教と環境の関係をめぐる学術的議論を事実上創始したとされ、数千回引用されている。

ホワイトの論旨は以下のように整理される。

第一に、キリスト教は古代の異教的アニミズム(自然物に精霊が宿るという信仰)を一掃した。異教的アニミズムにおいては、樹木の伐採や河川の堰き止めは精霊の怒りを買う可能性があり、自然開発に対する心理的制約として機能していた。キリスト教の創造論は、自然界から神聖性を剥奪することで、この制約を除去した。

第二に、創世記(Genesis 1:28)における神の命令「地を従わせよ、すべての生き物を支配せよ」(dominion mandate)は、自然に対する人間の優越と支配権を神学的に正当化した。キリスト教は人間を神の似姿(imago Dei)として特権的に位置づけ、それ以外の被造物には「魂」も「理性」もないとして、人間と自然のあいだに存在論的な断絶を設けた。

第三に、この人間中心主義(anthropocentrism)が近代西洋の科学技術の発展を支え、自然を操作・征服の対象とする態度を生み出した。したがって、現代の生態学的危機の根源は、キリスト教的世界観にある。

ホワイトは、キリスト教を全面的に否定したのではなく、キリスト教内部からの改革の可能性をも示唆した。彼はアッシジのフランチェスコ(Francesco d'Assisi, c.1181-1226)を「生態学者の守護聖人」として提案した。フランチェスコは『太陽の賛歌』(Canticle of the Sun)において太陽を「兄弟」、月を「姉妹」と呼び、すべての被造物との兄弟的連帯を説いた。ホワイトはこの「フランチェスコ的代替案」に、キリスト教内部における自然観の根本的な転換の可能性を見出したのである。

ホワイト・テーゼへの批判

ホワイト・テーゼは発表後すぐに広範な批判を受けた。主要な批判点は以下のとおりである。

歴史的妥当性への批判: 人間中心的な自然観はキリスト教に固有のものではなく、古代ギリシア哲学(アリストテレスの目的論的自然観)やローマの実用主義にも見出される。環境破壊は非キリスト教圏(古代メソポタミアの塩害、中国の大規模森林伐採等)にも広くみられ、キリスト教を単一の原因として特定することは還元主義的である。

聖書解釈への批判: 創世記の「支配」(radah/dominion)の概念は、「搾取的支配」ではなく「管理責任」(stewardship)として解釈されるべきだとする反論がキリスト教神学者から広く提起された。創世記2:15の「エデンの園を耕し、守る」(to till and keep)という表現は、自然に対する保全的な責務を含意している。

Key Concept: 管理責任(stewardship) 自然は神からの委託物であり、人間はその管理者(steward)として責任を負うとするキリスト教神学上の概念。「支配」(dominion)を「搾取」ではなく「保全的管理」として再解釈するもので、ホワイト・テーゼへの主要な応答の一つ。

因果関係の複雑性: 近代の環境破壊の原因は、キリスト教的世界観のみに帰されるものではなく、資本主義経済体制、産業革命、人口増加、技術的能力の拡大など、多元的な要因の複合であるとする批判がなされた。

各宗教のエコロジー思想

ホワイト・テーゼは、各宗教が環境問題にいかなる思想的資源を有するかという学術的問いを触発した。イェール大学のメアリー・エヴァリン・タッカー(Mary Evelyn Tucker)とジョン・グリム(John Grim)が主導した「世界宗教とエコロジー」(Religions of the World and Ecology)プロジェクト(1996-1998年)は、この分野の体系的研究の嚆矢となった。

キリスト教の応答

キリスト教内部からの最も体系的な環境倫理的応答として、教皇フランシスコ(Francis, 1936-)の回勅『ラウダート・シ——共に暮らす家のケアについて』(Laudato Si': On Care for Our Common Home, 2015年)がある。カトリック教会の歴史において環境問題に全面的に捧げられた最初の回勅であり、「統合的エコロジー」(integral ecology)の概念を提示した。

Key Concept: 統合的エコロジー(integral ecology) 教皇フランシスコが回勅『ラウダート・シ』で提示した概念。環境危機と社会的不正義は別個の問題ではなく、一つの複合的危機の二側面であるとし、生態学的配慮と社会正義を統合的に追求すべきだとする。

フランシスコは、環境破壊が最も深刻に影響するのは貧困層であるという「環境正義」の視点を導入し、消費主義・無責任な開発を批判した。回勅のタイトルはアッシジのフランチェスコの『太陽の賛歌』に由来しており、ホワイトが示唆したフランチェスコ的代替案をカトリック教会の公式教説として展開したものと位置づけられる。

正教会においても、コンスタンティノープル総主教バルトロメオス1世(Bartholomew I, 1940-)が「グリーン・パトリアーク」と称され、環境破壊を「被造物に対する罪」と規定している。

イスラームのエコロジー思想

Key Concept: ハリーファ(khalifah) アラビア語で「代理人」「後継者」を意味する。クルアーンにおいて人間は地上における神の代理人(khalifah)と位置づけられ、自然の所有者ではなく、神から委託された管理者としての道徳的責任を負う。イスラーム環境倫理の中核概念。

イスラームの環境倫理は、クルアーンにおける三つの中核概念に基づく。第一に、タウヒード(tawhid、神の唯一性)は、創造全体が神の統一的意志の顕現であることを意味し、自然界の一体性と相互依存性の神学的基盤を提供する。第二に、ハリーファ(khalifah)の概念は、人間を自然の所有者ではなく神の代理人=管理者として位置づけ、自然に対する搾取的支配を否定する。第三に、アマーナ(amanah、信託)は、自然が神から人間への信託物であり、最後の審判において管理の責任が問われることを意味する。

Key Concept: アマーナ(amanah) アラビア語で「信託」「委託」を意味する。クルアーン(33:72)に基づき、自然は神から人間に託された信託物であり、人間はその管理についてアッラーに対して責任を負うとする概念。

クルアーンには環境保全に関わる記述が多数含まれる。「地上で悪事を働いてはならない」(2:60)、「陸と海における腐敗(fasad)は人々の手が獲得したものによる」(30:41)などの章句が、イスラーム環境倫理の聖典的根拠として引用される。預言者ムハンマドのハディースにも、植樹の功徳や水資源の浪費の禁止に関する伝承が存在する。

仏教のエコロジー思想

仏教の環境倫理的資源は、その核心的教説に内在する。

縁起(pratityasamutpada)の思想は、すべての存在が相互依存的に生起することを説き、人間と自然の分離を否定する。人間は自然環境から独立した主体ではなく、因果の網の目の中に位置づけられる存在である。この存在論的相互依存の認識は、自然環境の破壊が人間自身の苦(dukkha)に帰結することを論理的に含意する。

Key Concept: 山川草木悉皆成仏(sanzen sōmoku shikkai jōbutsu) 山・川・草・木などの非情(意識を持たない存在)もすべて仏性を有し成仏しうるとする、日本仏教(天台宗・真言宗)に特徴的な教説。中国天台の湛然(Zhanran, 711-782)が理論化し、日本では最澄・空海を経て展開された。自然界に対する尊厳の根拠を提供する。

大乗仏教、とりわけ東アジアの仏教思想は、「仏性」(buddha-nature)の概念を通じて独自のエコロジー的視座を提供する。中国天台宗の湛然は、仏性を有情(sentient beings)のみならず非情(insentient beings=草木・国土)にまで拡張し、「無情仏性」の教説を確立した。この思想は日本仏教において「山川草木悉皆成仏」として展開され、自然物に内在的価値と霊的尊厳を認める基盤となった。これはホワイトが批判した「自然の脱聖化」とは対照的な自然観である。

現代においては、ダライ・ラマ14世(Dalai Lama XIV, 1935-)が、縁起の思想に基づく環境保全の義務を繰り返し訴え、気候変動対策や生態系保全への仏教的関与を推進している。タイの「環境僧」(ecology monks)運動は、森林保全のために樹木に袈裟を巻いて「出家」させるという実践を通じ、仏教の儀礼的権威を環境活動に応用した事例である。

ヒンドゥー教のエコロジー思想

ヒンドゥー教においては、自然は神の顕現(theophany)として理解される。バガヴァッド・ギーター(Bhagavad Gita 10:20-42)においてクリシュナは「私はすべての生きとし生けるものに宿る魂である」と述べ、自然界全体が神聖なものとして位置づけられる。聖なる河川(ガンジス川)、聖なる山(カイラス山)、聖なる樹木(菩提樹)への崇敬は、自然に対する宗教的畏敬の具体的表現である。

graph TD
    subgraph WhiteThesis["ホワイト・テーゼとその応答"]
        W["リン・ホワイト・テーゼ (1967)<br/>キリスト教の人間中心主義が<br/>生態学的危機の根源"]
        W --> C1["批判1: 歴史的妥当性<br/>人間中心主義は<br/>キリスト教固有ではない"]
        W --> C2["批判2: 聖書解釈<br/>dominion ≠ 搾取<br/>stewardship = 管理責任"]
        W --> C3["批判3: 因果関係の複雑性<br/>多元的要因の複合"]
    end

    subgraph EcoResponse["各宗教のエコロジー的応答"]
        R1["キリスト教<br/>『ラウダート・シ』(2015)<br/>統合的エコロジー"]
        R2["イスラーム<br/>ハリーファ(代理人)<br/>アマーナ(信託)"]
        R3["仏教<br/>縁起・仏性<br/>山川草木悉皆成仏"]
        R4["ヒンドゥー教<br/>自然は神の顕現"]
    end

    W --> R1
    W --> R2
    W --> R3
    W --> R4

宗教間対話と世界倫理

宗教間対話の歴史的展開

Key Concept: 宗教間対話(interreligious dialogue) 異なる宗教の信仰者が、相互理解・共通基盤の発見・共同行動を目的として行う対話。比較神学(comparative theology)や宗教の多元主義(religious pluralism)とは区別される実践的概念であり、20世紀後半に制度化された。

近代的な宗教間対話の制度的起源は、1893年にシカゴで開催された第1回「万国宗教会議」(Parliament of the World's Religions)に遡る。シカゴ万博の付帯行事として開催されたこの会議は、キリスト教・イスラーム・ユダヤ教・仏教・ヒンドゥー教・ジャイナ教・ゾロアスター教など、主要な世界宗教の代表者が初めて一堂に会した歴史的出来事であった。スワーミー・ヴィヴェーカーナンダ(Swami Vivekananda, 1863-1902)のヒンドゥー教を代表する演説はとりわけ大きな反響を呼んだ。

20世紀後半、カトリック教会は第2バチカン公会議(1962-1965年)の宣言『ノストラ・アエターテ』(Nostra Aetate、「我らの時代に」、1965年)において、非キリスト教諸宗教に対する積極的な評価を初めて公式に表明した。同宣言は、ヒンドゥー教やイスラームなどに「真実と聖なるもの」が存在することを認め、対話と協力を促進する姿勢を示した。これは、キリスト教以外の宗教を全面的に否定してきた従来の排他主義(exclusivism)からの重大な転換であった。

ハンス・キュングの世界倫理構想

Key Concept: 世界倫理(Weltethos / Global Ethic) スイスのカトリック神学者ハンス・キュングが1990年代に提唱した構想。諸宗教が共有する倫理的共通基盤を体系化し、「宗教間の平和なくして世界の平和はない」(No peace among the nations without peace among the religions)というテーゼのもと、宗教間対話を通じた共通倫理の確立を目指す。

ハンス・キュング(Hans Küng, 1928-2021)はスイス出身のカトリック神学者であり、第2バチカン公会議の公式顧問(peritus)を務めた。1979年に教皇の不可謬性への疑義を理由にカトリック教会の教授資格(missio canonica)を剥奪されたが、テュービンゲン大学で研究活動を続け、宗教間対話と世界倫理の構想に専心した。

キュングの出発点は、1990年の著書『世界倫理構想』(Projekt Weltethos)で定式化された三段論法的命題である。

  1. 宗教間の平和なくして世界の平和はない(No peace among the nations without peace among the religions)
  2. 宗教間の対話なくして宗教間の平和はない(No peace among the religions without dialogue between the religions)
  3. 宗教の基礎研究なくして宗教間の対話はない(No dialogue between the religions without investigation of the foundations of the religions)

この論理構造は、平和→宗教間平和→対話→基礎研究という連鎖を示し、学術的な宗教研究が平和構築の実践的基盤であることを示唆している。

世界宗教会議における世界倫理宣言

1993年、シカゴで開催された第2回万国宗教会議において、キュングが起草した「世界倫理に向けて――初期宣言」(Towards a Global Ethic: An Initial Declaration)が採択された。この宣言は、約200名の宗教指導者によって署名され、40以上の宗教伝統の代表者が参加した。

宣言は、二つの基本原則と四つの不可撤回の指令(four irrevocable directives)から構成される。

二つの基本原則

第一原則: すべての人間は人間的に扱われなければならない(Every human being must be treated humanely)。

第二原則: 黄金律(Golden Rule)。「自分がしてほしくないことを他者にしてはならない」(What you do not wish done to yourself, do not do to others)。キュングは、この黄金律が事実上すべての宗教伝統に見出されることを論証した。

Key Concept: 黄金律(Golden Rule) 「自分がしてほしいことを他者にもせよ」(肯定形)または「自分がしてほしくないことを他者にするな」(否定形)という倫理原則。儒教(「己の欲せざるところ、人に施すなかれ」)、ユダヤ教(ヒレルの教え)、キリスト教(マタイ7:12)、イスラーム(ハディース)、仏教(ダンマパダ)など、ほぼすべての宗教伝統に見出される。

宗教伝統 黄金律の表現 出典
儒教 己の欲せざるところ、人に施すなかれ 『論語』衛霊公篇
ユダヤ教 あなたにとって嫌なことを隣人にしてはならない ヒレルの教え(バビロニア・タルムード シャバット31a)
キリスト教 人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい マタイ福音書7:12
イスラーム 自分自身に望むことを兄弟にも望まぬ者は信仰者ではない ハディース(ブハーリー)
仏教 すべての者は暴力を恐れ、死を恐れる。己を他者に類比して、殺してはならない ダンマパダ(法句経)129-130
ヒンドゥー教 自分に苦痛を与えることを他者に与えてはならない マハーバーラタ(アヌシャーサナ・パルヴァン113:8)
ジャイナ教 人は他の生き物を、自分自身を扱うように扱うべきである スートラクリタンガ 1.11.33

四つの不可撤回の指令

Key Concept: 不可撤回の指令(irrevocable directives) キュングの世界倫理宣言における四つの倫理的誓約。「不可撤回」とは不変であり無条件であること、すなわち状況や例外なくすべての人間に適用されることを意味する。

  1. 非暴力の文化と生命の尊重への誓約(Commitment to a culture of non-violence and respect for life):「汝、殺すなかれ」に対応。あらゆる形態の暴力の否定と生命の尊厳の承認。

  2. 連帯の文化と公正な経済秩序への誓約(Commitment to a culture of solidarity and a just economic order):「汝、盗むなかれ」に対応。搾取・腐敗の否定と公正な分配の追求。

  3. 寛容の文化と誠実な生への誓約(Commitment to a culture of tolerance and a life of truthfulness):「汝、偽証するなかれ」に対応。虚偽・欺瞞の否定と真実への誓約。

  4. 同権の文化と男女の協調への誓約(Commitment to a culture of equal rights and partnership between men and women):「汝、姦淫するなかれ」に対応。性差別の否定と男女の対等な協調関係の追求。

graph TD
    K["キュングの世界倫理構想"] --> P1["基本原則1:<br/>人間的扱い"]
    K --> P2["基本原則2:<br/>黄金律"]
    K --> D["四つの不可撤回の指令"]
    D --> D1["1. 非暴力と<br/>生命の尊重"]
    D --> D2["2. 連帯と<br/>公正な経済秩序"]
    D --> D3["3. 寛容と<br/>誠実な生"]
    D --> D4["4. 同権と<br/>男女の協調"]

    P2 --> G1["儒教: 己の欲せざるところ…"]
    P2 --> G2["ユダヤ教: ヒレルの教え"]
    P2 --> G3["キリスト教: マタイ7:12"]
    P2 --> G4["イスラーム: ハディース"]
    P2 --> G5["仏教: ダンマパダ129-130"]

世界倫理構想への批判と限界

キュングの世界倫理構想は、宗教間対話における画期的な試みとして評価される一方、以下のような批判にも直面している。

最小公分母の問題: 諸宗教の共通項を抽出する方法論は、各宗教の固有の教説・世界観の豊かさを捨象し、最も一般的で抽象的な道徳原則のみを残す結果となりうる。批判者は、このような「薄い」倫理は具体的な道徳的指針としての実効性を欠くと指摘する。

権力と代表性の問題: 1993年の宣言が、各宗教の多様な立場を真に代表しているかという問題がある。宗教伝統内部の多元性(たとえば、フェミニスト神学と保守的神学の対立)は、単一の宗教的代表者によって代表されえない。

西洋的前提の問題: 「人権」「寛容」「男女同権」といった概念枠組み自体が近代西洋に由来するものであり、これを普遍的倫理の基盤とすることが文化帝国主義的な前提を含みうるとの批判がある。

倫理と教義の関係: 宗教間の倫理的合意が可能であるとしても、各宗教の教義的差異(三位一体、タウヒード、無我など)は残存し、倫理的合意が宗教間の本質的理解にどこまで貢献するかは別問題である。

宗教間対話の現在と課題

キュングの構想以後、宗教間対話は制度的にも学術的にも深化を続けている。世界倫理財団(Stiftung Weltethos、1995年設立)は、教育・研究・実践の三領域で活動を展開し、万国宗教会議は1999年(ケープタウン)、2004年(バルセロナ)、2009年(メルボルン)、2015年(ソルトレイクシティ)、2018年(トロント)、2023年(シカゴ)と定期的に開催されている。

しかし、宗教間対話の実践的限界も明らかになりつつある。第一に、対話に参加する宗教指導者と一般信徒のあいだの乖離が指摘される。宗教間対話はしばしば知識人エリートの営みにとどまり、草の根レベルでの宗教間の緊張関係(コミュナリズム、宗派対立)を十分に解消しえていない。第二に、宗教的原理主義(fundamentalism)の台頭は、対話そのものを拒否する立場を強化している。第三に、世俗主義(secularism)の進展は、宗教間対話の社会的意義を問い直す状況を生み出している。

これらの課題にもかかわらず、気候変動・貧困・暴力紛争といったグローバルな課題に宗教が共同で応答する試みは拡大しており、宗教間の倫理的協働は今後もその重要性を増すと考えられる。


まとめ

  • リン・ホワイト・テーゼ(1967年)は、西洋キリスト教の人間中心主義的自然観が生態学的危機の思想的根源であると主張し、宗教と環境倫理の学術的議論を創始した
  • ホワイト・テーゼに対しては、歴史的妥当性、聖書の「支配」概念の解釈(管理責任としての再解釈)、因果関係の多元性といった観点から批判がなされている
  • 各宗教は固有のエコロジー的思想資源を有する。キリスト教は『ラウダート・シ』の統合的エコロジー、イスラームはハリーファ(代理人)とアマーナ(信託)、仏教は縁起と山川草木悉皆成仏、ヒンドゥー教は自然を神の顕現とする思想を展開している
  • ハンス・キュングの世界倫理構想は、「宗教間の平和なくして世界の平和なし」を基本命題とし、黄金律を共通基盤、四つの不可撤回の指令を行動規範として提示した
  • 世界倫理構想は、最小公分母の問題、代表性の問題、西洋的前提の問題、倫理と教義の関係の問題といった批判に直面しているが、宗教間の倫理的協働の重要性は増している
  • 本モジュール全体を通じて、宗教倫理は静的な教義体系ではなく、生命倫理・環境倫理・宗教間対話という現代的課題との対話の中で不断に再解釈されている動態的営みであることが明らかとなった

用語集(Glossary)

用語 英語表記 定義
リン・ホワイト・テーゼ Lynn White thesis 西洋キリスト教の人間中心主義が生態学的危機の思想的根源であるとする1967年の学説
管理責任 stewardship 自然は神からの委託物であり人間はその管理者として責任を負うとするキリスト教神学上の概念
統合的エコロジー integral ecology 教皇フランシスコが提示した、環境危機と社会的不正義を一体的に把握する概念
ハリーファ khalifah 地上における神の代理人・管理者としての人間の役割を示すイスラームの概念
アマーナ amanah 自然は神から人間への信託物であるとするイスラームの概念
山川草木悉皆成仏 sanzen sōmoku shikkai jōbutsu 非情を含む一切の存在が仏性を有し成仏しうるとする日本仏教の教説
宗教間対話 interreligious dialogue 異なる宗教の信仰者が相互理解と共通基盤の発見を目的として行う対話
世界倫理 Weltethos / Global Ethic ハンス・キュングが提唱した諸宗教の共通倫理基盤の構想
黄金律 Golden Rule 「自分がしてほしいことを他者にもせよ」というほぼすべての宗教に共通する倫理原則
不可撤回の指令 irrevocable directives 世界倫理宣言における四つの無条件的倫理的誓約

確認問題

Q1: リン・ホワイト・ジュニアの「生態学的危機の歴史的根源」テーゼの論旨を三つの段階に分けて説明し、このテーゼに対する主要な批判を二つ以上挙げよ。

A1: ホワイト・テーゼの論旨は以下の三段階で構成される。第一に、キリスト教は古代の異教的アニミズムを一掃し、自然物から神聖性を剥奪した。これにより、自然開発に対する心理的制約が除去された。第二に、創世記(1:28)の支配命令は、人間を神の似姿として特権的に位置づけ、自然に対する人間の優越と支配権を神学的に正当化した。第三に、この人間中心主義が近代西洋の科学技術の発展を支え、自然を操作・征服の対象とする態度を生み出した結果、現代の生態学的危機が生じた。主要な批判としては、(1) 人間中心的自然観は古代ギリシア哲学にも見出され、環境破壊は非キリスト教圏にも広くみられるため、キリスト教を単一の原因として特定することは歴史的に妥当でないとする批判、(2) 創世記の「支配」(dominion)は「搾取」ではなく「管理責任」(stewardship)として解釈されるべきであり、創世記2:15の「耕し、守る」という表現は保全的責務を含意しているとする聖書解釈上の批判、(3) 環境破壊の原因はキリスト教的世界観のみに帰されるのではなく、資本主義・産業革命・人口増加等の多元的要因の複合であるとする因果関係の複雑性に関する批判が挙げられる。

Q2: イスラームにおけるハリーファ(khalifah)とアマーナ(amanah)の概念が、環境倫理にいかなる含意を持つかを説明し、ホワイトが批判した「キリスト教的支配」概念との相違を論ぜよ。

A2: ハリーファは、クルアーンにおいて人間を地上における神の代理人・管理者として位置づける概念である。これは人間を自然の所有者とするのではなく、神から委託された管理者としての道徳的責任を強調する。アマーナは、自然が神から人間への信託物であることを意味し、人間は最後の審判においてその管理の責任を神に対して問われるとされる。これら二つの概念は、環境に対する人間の責任を神学的に基礎づけ、自然の搾取的利用を否定する。ホワイトが批判した「キリスト教的支配」(dominion)概念は、人間を自然の上位に位置づけ、自然に対する無制約な支配権を正当化するものと解釈された。これに対しイスラームのハリーファ概念は、人間は自然の所有者ではなく神の委託を受けた管理者であり、管理には責任と審判が伴うことを明確にする点で、搾取的支配とは構造的に異なる。ただし、キリスト教内部でも「管理責任」(stewardship)概念による再解釈がなされており、ハリーファとstewardshipは構造的に類似した環境倫理的含意を持つ。

Q3: ハンス・キュングの世界倫理構想における「黄金律」の位置づけを説明し、異なる宗教伝統における黄金律の表現を三つ以上挙げて、その共通性と差異を論ぜよ。

A3: キュングの世界倫理構想において、黄金律は二つの基本原則の第二として位置づけられ、諸宗教が共有する倫理的共通基盤の核心をなす。キュングは、この原則がほぼすべての宗教伝統に見出されることを論証し、宗教間の倫理的合意の可能性の経験的根拠とした。異なる宗教伝統における表現としては、儒教の「己の欲せざるところ、人に施すなかれ」(論語)、ユダヤ教のヒレルの教え「あなたにとって嫌なことを隣人にしてはならない」(タルムード シャバット31a)、キリスト教の「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい」(マタイ7:12)、イスラームの「自分自身に望むことを兄弟にも望まぬ者は信仰者ではない」(ハディース)が挙げられる。共通性は、自己と他者の立場の互換可能性を道徳判断の基準とする点にある。差異としては、儒教・ユダヤ教が否定形(〜するな)で表現するのに対し、キリスト教は肯定形(〜せよ)で表現しており、否定形は最小限の害の回避を、肯定形は積極的な善の実践を求めるという含意の違いがある。また、イスラームの表現は「信仰者」であることの条件として黄金律を位置づけており、倫理的規範を信仰のアイデンティティに直結させている点が特徴的である。

Q4: キュングの世界倫理構想に対して提起されている批判を二つ以上説明し、それぞれの批判が宗教間対話の実践にいかなる課題を投げかけているかを論ぜよ。

A4: 第一に、最小公分母の問題がある。諸宗教の共通項を抽出する方法論は、各宗教固有の教説・世界観の豊かさを捨象し、最も一般的で抽象的な道徳原則のみを残す結果となる。この批判は、宗教間対話が各宗教の独自性を尊重しつつ共通基盤を見出すという困難な課題に直面していることを示す。第二に、権力と代表性の問題がある。1993年の宣言に署名した約200名の宗教指導者が、各宗教伝統内部の多様な立場(フェミニスト神学と保守的神学、改革派と正統派等)を真に代表しているかが問われる。この批判は、宗教間対話が知識人エリートの営みにとどまり、草の根レベルでの宗教間緊張関係を解消しえていないという実践的課題を提起する。第三に、西洋的前提の問題がある。「人権」「寛容」「男女同権」といった概念枠組み自体が近代西洋に由来するものであり、これを普遍的倫理の基盤とすることが文化帝国主義的な前提を含みうるとの批判がある。この批判は、宗教間対話の枠組み自体が特定の文化的前提に立脚している可能性を問い、真に普遍的な対話の条件とは何かという根本的な問いを投げかけている。