Module 0-1 - Section 3: 心理学の主要領域概観¶
セクション情報¶
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| モジュール | Module 0-1: 心理学概論 |
| 前提セクション | Section 1: 心理学とは何か, Section 2: 心理学の歴史的展開 |
| 想定学習時間 | 3〜4時間 |
導入¶
Section 1で心理学を「行動と心的過程の科学的研究」と定義し、Section 2でその歴史的展開を概観した。心理学は19世紀末の成立以降、研究対象と方法論の拡張を続け、現代では多数の下位領域に分化している。各領域は固有の研究対象と方法論をもつが、相互に独立して存在しているわけではない。ある領域の基礎的知見が別の領域の応用研究を支え、また応用領域で発見された現象が基礎研究の新たな問いを生み出すという循環的関係がある。
本セクションでは、現代心理学の主要領域を概観し、各領域の定義・研究対象・代表的研究を紹介する。さらに、領域間の相互関係と学際的連携のあり方を理解することを目的とする。
認知心理学¶
Key Concept: 認知心理学(cognitive psychology) 知覚、注意、記憶、思考、言語、問題解決など、人間の情報処理過程を研究する心理学の一領域。1960年代の認知革命を契機に成立し、人間の心を情報処理システムとして捉えるアプローチを特徴とする。
認知心理学は、Section 2で述べた認知革命の直接的な産物として成立した領域である。Ulric Neisserが1967年の著書『認知心理学(Cognitive Psychology)』で名づけたこの分野は、人間が外界からの情報をいかに受容し、変換し、貯蔵し、検索し、利用するかを解明することを目標とする。
主要な研究テーマ¶
認知心理学が扱う主要なテーマは以下の通りである。
| テーマ | 研究対象 |
|---|---|
| 知覚 | 感覚情報の組織化と解釈の過程 |
| 注意 | 情報の選択的処理と処理資源の配分 |
| 記憶 | 情報の符号化・貯蔵・検索の過程 |
| 思考・推論 | 概念形成、判断、意思決定の過程 |
| 言語 | 言語の理解・産出・獲得の過程 |
| 問題解決 | 目標達成のための方略と創造性 |
代表的研究:ストループ効果¶
認知心理学を代表する古典的研究の一つに、John Ridley Stroop(ジョン・リドリー・ストループ)が1935年に報告したストループ効果(Stroop effect)がある。この実験では、色名を表す単語がその単語の意味とは異なる色のインクで印刷される(例:「赤」という文字が青いインクで書かれる)。被験者にインクの色を命名するよう求めると、単語の意味とインクの色が一致しない条件では反応時間が著しく遅延し、誤答も増加する。
この現象は、読みの自動化された処理と意図的な色命名処理の間に生じる干渉(interference)として説明される。ストループ課題は発表以来90年以上にわたり認知心理学で最も頻繁に用いられる実験パラダイムの一つであり、注意の選択的制御、自動処理と統制処理の区別、実行機能の研究に広く応用されている。
実社会への貢献¶
認知心理学の知見は、ユーザーインターフェース設計、教育工学、法廷における目撃証言の信頼性評価、航空管制や医療現場におけるヒューマンエラーの防止策など、幅広い実践領域に応用されている。
社会心理学¶
Key Concept: 社会心理学(social psychology) 個人の思考・感情・行動が、他者の現実的あるいは想像上の存在によっていかに影響されるかを研究する心理学の一領域。態度、社会的認知、集団過程、対人関係、偏見、攻撃性、援助行動などを主要な研究対象とする。
社会心理学は、Gordon Allport(ゴードン・オールポート)の定義に従えば、「他者の現実の、想像上の、あるいは暗黙の存在によって、個人の思考・感情・行動がいかに影響されるかを理解し説明しようとする科学的試み」(1954年)である。この定義が示す通り、社会心理学の分析単位はあくまで個人であるが、その個人を社会的文脈の中で理解しようとする点に特徴がある。
主要な研究テーマ¶
- 態度と態度変容: 対象に対する評価的傾向の形成・変容過程。説得、認知的不協和
- 社会的認知: 他者についての推論過程。帰属理論、ステレオタイプ、偏見
- 集団過程: 同調、服従、集団意思決定、集団間関係
- 対人関係: 対人魅力、親密な関係、社会的交換
- 向社会的行動と攻撃: 援助行動、攻撃行動の規定要因
代表的研究:Aschの同調実験¶
社会心理学の古典的研究として最も知られるものの一つに、Solomon Asch(ソロモン・アッシュ)が1950年代に行った同調実験(conformity experiment)がある。Aschは、線分の長さ比較という明白に正答が判断可能な課題を用い、集団圧力が個人の判断に及ぼす影響を検討した。
実験では、7〜9名の集団のうち1名のみが真の被験者であり、残りは実験者の指示に従うサクラ(confederate)であった。サクラ全員が明らかに誤った回答を行う条件では、被験者の約76%が少なくとも1回は集団の誤答に同調した。全試行を通じた平均同調率は約33%であった。
この実験は、人間が明確な知覚的証拠に反してでも集団の多数派に同調しうることを実証した。同調の動機としては、集団からの排除を回避しようとする規範的影響(normative influence)と、不確実な状況下で他者の判断を情報源として利用する情報的影響(informational influence)が区別されている。また、反対意見を述べる同盟者が1名でもいれば同調率が劇的に低下することも示された。
実社会への貢献¶
社会心理学の知見は、偏見・差別の低減プログラム、マーケティングや公衆衛生における説得的コミュニケーション戦略、組織におけるリーダーシップとチームダイナミクスの理解、法廷における陪審員の意思決定分析などに応用されている。
発達心理学¶
Key Concept: 発達心理学(developmental psychology) 受胎から死に至る生涯を通じて、人間の身体的・認知的・社会的・情動的変化のパターンとプロセスを研究する心理学の一領域。発達の連続性と変化、普遍性と個人差、遺伝と環境の相互作用が中心的な問いとなる。
発達心理学は、当初は児童心理学として出発したが、現代では生涯発達(lifespan development)の観点から、胎児期から老年期までの全発達段階を研究対象としている。Paul Baltes(パウル・バルテス)が提唱した生涯発達心理学の枠組みでは、発達は生涯を通じて継続する多方向的(multidirectional)な過程であり、獲得と喪失の両面を含むとされる。
主要な研究テーマ¶
| テーマ | 研究内容 |
|---|---|
| 認知発達 | 知的能力の発達。Jean Piagetの認知発達段階説、Lev Vygotskyの最近接発達領域 |
| 社会性・情動の発達 | 愛着形成、道徳性の発達、自己概念の形成 |
| 言語発達 | 語彙獲得、文法の発達、コミュニケーション能力の発達 |
| 身体・運動の発達 | 脳の成熟、運動技能の発達、老化のプロセス |
| 生涯発達 | 青年期のアイデンティティ形成、成人期の発達課題、老年期の認知変化 |
代表的研究:Ainsworthのストレンジ・シチュエーション法¶
Mary Ainsworth(メアリー・エインズワース, 1913-1999)は、John Bowlby(ジョン・ボウルビィ)の愛着理論を基盤として、乳児と養育者の間に形成される愛着の質的差異を体系的に測定するストレンジ・シチュエーション法(Strange Situation Procedure)を開発した(1970年代)。
この手続きは約20分間にわたって行われ、見知らぬ部屋での母子の分離と再会の場面を構造化して観察する。乳児の探索行動、分離時のストレス反応、再会時の行動パターンに基づき、愛着の型が分類される。Ainsworthは当初3つの愛着型を同定し、後にMary Main(メアリー・メイン)が第4の型を追加した。
| 愛着型 | 特徴 |
|---|---|
| 安定型(secure) | 母親を安全基地として探索し、分離時に苦痛を示すが再会時にすぐに安定する |
| 回避型(avoidant) | 母親への接近・接触を回避し、分離時に苦痛を示さない |
| 抵抗/アンビバレント型(resistant/ambivalent) | 分離時に強い苦痛を示し、再会時に怒りと接触欲求が混在する |
| 無秩序・無方向型(disorganized/disoriented) | 一貫した方略を欠き、矛盾した行動パターンを示す |
この研究は、乳幼児期の愛着パターンがその後の対人関係や情動調整に長期的な影響を及ぼすことを示す多くの縦断研究へとつながった。
実社会への貢献¶
発達心理学の知見は、保育・教育政策の策定、発達障害の早期発見と介入プログラム、高齢者の認知機能維持のための介入、養育支援プログラムの設計などに直接的に活用されている。
生物心理学¶
Key Concept: 生物心理学(biopsychology / biological psychology) 行動と心的過程の生物学的基盤を研究する心理学の一領域。脳の構造と機能、神経伝達物質、内分泌系、遺伝的要因が行動・認知・感情にいかに関与するかを解明することを目標とする。行動神経科学(behavioral neuroscience)とも呼ばれる。
生物心理学は、心的過程と行動を生物学的メカニズムの水準から理解しようとする領域である。Section 2で述べた認知神経科学の発展とも密接に関連するが、生物心理学はより広く、神経系・内分泌系・遺伝的要因を包括的に研究対象とする。
主要な研究テーマ¶
- 脳と行動: 脳の各領域が認知・感情・行動にいかに関与するか。損傷研究および脳イメージング研究
- 神経伝達: 神経伝達物質(セロトニン、ドーパミン、ノルエピネフリンなど)の機能と行動への影響
- 内分泌系と行動: ホルモン(コルチゾール、テストステロン、オキシトシンなど)が行動・情動に及ぼす効果
- 行動遺伝学: 遺伝的要因と環境要因が行動の個人差にいかに寄与するか。双生児研究、養子研究
- エピジェネティクス: 環境要因による遺伝子発現の変化と行動への影響
代表的事例:Phineas Gage症例¶
生物心理学の歴史において最も有名な事例の一つが、Phineas Gage(フィニアス・ゲージ, 1823-1860)の症例である。1848年、鉄道建設の現場監督であったGageは、爆発事故により鉄棒が左頬から頭蓋を貫通し、左前頭葉に重大な損傷を受けた。Gageは事故後も意識を保ち生存したが、担当医John Harlow(ジョン・ハーロー)の報告によれば、事故後に人格の顕著な変化が観察された。以前は有能で思慮深い人物であったGageが、衝動的で社会的規範を逸脱する行動を示すようになったとされる。
この症例は、前頭葉が人格・社会的行動・意思決定に関与することを示す初期の証拠として位置づけられてきた。ただし、近年の歴史的再検討では、Gageの人格変化の程度は従来の記述ほど劇的ではなく、事故後数年で一定の回復を示していたことが指摘されている(彼はチリで長距離馬車の御者として就労しており、これは相当な計画能力と集中力を要する職業であった)。この事例は、脳損傷と行動変化の関係について重要な洞察を提供すると同時に、症例研究の解釈において歴史的文脈を慎重に考慮する必要性も示している。
実社会への貢献¶
生物心理学の知見は、向精神薬の開発と作用機序の理解、精神疾患の生物学的マーカーの探索、脳損傷患者のリハビリテーション、遺伝カウンセリングの基盤提供などに貢献している。
臨床心理学¶
Key Concept: 臨床心理学(clinical psychology) 精神的苦痛や精神障害の理解・予防・軽減を目的とする心理学の一領域。心理アセスメント、心理療法(psychotherapy)、研究を主要な活動領域とする。心理学の下位領域の中で最大の専門家人口を擁する。
臨床心理学は、心理学の諸領域の中で最も実践志向が強い分野の一つであり、精神障害の科学的理解と心理学的介入の開発・実施を中核的課題とする。
主要な研究テーマ¶
- 精神障害の理解: 抑うつ障害、不安障害、統合失調症、パーソナリティ障害、神経発達障害等の病態と発症メカニズム
- 心理アセスメント: 知能検査、性格検査、神経心理学的検査、症状評価尺度等を用いた心理状態の評価
- 心理療法: 認知行動療法(CBT)、精神力動的心理療法、人間性心理療法、家族療法など多様なアプローチ
- エビデンスに基づく実践: 科学的に有効性が実証された治療法の同定と普及
エビデンスに基づく心理学的実践¶
現代の臨床心理学を特徴づける重要な概念が、エビデンスに基づく実践(evidence-based practice in psychology; EBPP)である。APAは2006年にEBPPを「最良の利用可能な研究エビデンスと、臨床的専門性と、患者の特性・文化・選好を統合すること」と定義した。この枠組みの下で、APA第12部会(臨床心理学会)は各種精神障害に対するエビデンスに基づいた心理療法(empirically supported treatments)のリストを作成・公開している。
例えば、うつ病に対する認知行動療法、パニック障害に対する曝露療法、心的外傷後ストレス障害(PTSD)に対する認知処理療法や持続エクスポージャー療法などが、強い実証的支持を得ている治療法として挙げられる。
実社会への貢献¶
臨床心理学は、精神保健医療における心理療法の提供、学校・企業でのメンタルヘルス支援、災害時の心理的応急処置(サイコロジカル・ファーストエイド)、司法領域における精神鑑定などの形で社会に直接的に貢献している。
応用心理学の諸領域¶
Key Concept: 応用心理学(applied psychology) 心理学の基礎的知見と方法論を実社会の具体的問題の解決に適用する心理学の総称。産業・組織心理学、教育心理学、健康心理学、司法心理学などの下位領域を含む。
応用心理学は、基礎心理学の知見を現実の問題解決に応用する領域の総称であり、多様な専門分野を含む。以下に主要な応用領域を概観する。
産業・組織心理学(industrial/organizational psychology; I/O心理学)¶
職場における人間の行動を研究し、組織の効果性と従業員の福利(well-being)の向上を目指す領域である。人材の選抜・配置、職務分析、リーダーシップ、動機づけ、組織文化、職場ストレスなどが主要な研究テーマである。Hugo Munsterberg(ヒューゴ・ミュンスターバーグ)が20世紀初頭に産業心理学の基盤を築き、第一次・第二次世界大戦期の軍事的ニーズ(適性検査の開発など)を通じて発展した。
教育心理学(educational psychology)¶
学習・教授過程を研究し、教育実践の改善に寄与する領域である。学習理論の教育場面への応用、動機づけの促進、教育評価の設計、学習障害への対応、教室経営(classroom management)などを扱う。
健康心理学(health psychology)¶
心理的・行動的要因が身体的健康と疾病にいかに関与するかを研究する領域である。ストレスと免疫機能の関係、健康行動の促進(禁煙、運動、食事改善)、慢性疾患への心理的適応、医療場面でのコミュニケーションなどが主要なテーマである。
司法心理学(forensic psychology)¶
心理学の知見と方法を法的問題に適用する領域である。犯罪行動の理解、目撃証言の信頼性評価、犯罪者のリスクアセスメント、裁判過程における心理学的要因の分析、被害者支援などを含む。
基礎研究と応用研究の連続性¶
心理学における基礎領域と応用領域は、截然と分かれるものではなく、連続的な関係にある。基礎研究で得られた知見が応用場面に活用され、応用場面で見出された問題が基礎研究の新たな問いを生み出す双方向的な関係が存在する。
graph LR
subgraph "基礎心理学"
COG[認知心理学]
SOC[社会心理学]
DEV[発達心理学]
BIO[生物心理学]
end
subgraph "応用心理学"
CLI[臨床心理学]
IO[産業・組織心理学]
EDU[教育心理学]
HEA[健康心理学]
FOR[司法心理学]
end
COG -->|記憶・注意の知見| EDU
COG -->|認知バイアスの知見| FOR
SOC -->|集団・説得の知見| IO
SOC -->|偏見・態度の知見| CLI
DEV -->|発達段階の知見| EDU
DEV -->|愛着・養育の知見| CLI
BIO -->|神経基盤の知見| CLI
BIO -->|ストレス反応の知見| HEA
CLI -->|治療効果の問題| COG
EDU -->|学習過程の問題| DEV
HEA -->|健康行動の問題| SOC
FOR -->|目撃証言の問題| COG
例として、認知心理学における記憶研究の知見は、教育心理学における効果的な学習方略の設計(検索練習、分散学習など)や、司法心理学における目撃証言の正確性の評価に直接応用されている。逆に、臨床場面で観察される認知的歪みのパターンが、認知心理学における情報処理バイアスの基礎研究を刺激してきた。
各領域間の相互関係と学際的連携¶
現代心理学の特徴は、領域間の境界が流動的であり、複数の領域にまたがる学際的研究が活発に行われている点にある。
graph TD
COG[認知心理学] --- SOCOG[社会的認知]
SOC[社会心理学] --- SOCOG
COG --- COGDEV[認知発達]
DEV[発達心理学] --- COGDEV
BIO[生物心理学] --- COGNEU[認知神経科学]
COG --- COGNEU
SOC --- SOCNEU[社会神経科学]
BIO --- SOCNEU
DEV --- DEVNEU[発達神経科学]
BIO --- DEVNEU
CLI[臨床心理学] --- NPCLI[神経心理学]
BIO --- NPCLI
SOC --- SODEV[社会性の発達]
DEV --- SODEV
領域横断的研究の具体例¶
社会的認知(social cognition) は、社会心理学と認知心理学の交差点に位置する研究領域であり、他者の意図・信念・感情の推論(心の理論)、ステレオタイプの自動的活性化、帰属過程における認知バイアスなどを扱う。
社会神経科学(social neuroscience) は、社会心理学と生物心理学(特に神経科学)の統合領域であり、社会的行動の神経基盤をfMRIなどの脳イメージング技術を用いて研究する。共感、信頼、道徳的判断の神経メカニズムなどが主要な研究テーマである。
発達神経科学(developmental neuroscience) は、脳の成熟過程と認知・情動の発達を関連づけて研究する領域であり、発達心理学と生物心理学の知見を統合する。前頭前皮質の成熟と実行機能の発達の関係、青年期の脳発達とリスク行動の関連などが研究されている。
発達精神病理学(developmental psychopathology) は、発達心理学と臨床心理学の結節点であり、精神障害の発達的起源と経過を研究する。正常発達と異常発達を連続体として捉え、発達軌跡(developmental trajectory)の個人差を理解しようとする枠組みである。
まとめ¶
- 認知心理学は知覚・注意・記憶・思考・言語などの情報処理過程を研究し、ストループ効果のような実験パラダイムを通じて人間の認知メカニズムの解明を進めてきた
- 社会心理学は他者の存在が個人の思考・感情・行動に及ぼす影響を研究し、Aschの同調実験に代表される社会的影響過程の実証的研究を蓄積してきた
- 発達心理学は生涯発達の観点から人間の変化と連続性を研究し、Ainsworthのストレンジ・シチュエーション法は愛着研究の方法論的基盤を確立した
- 生物心理学は行動と心的過程の生物学的基盤を研究し、Gage症例のような事例から脳イメージング研究に至るまで、脳・神経系・遺伝と行動の関係の解明を進めてきた
- 臨床心理学は精神障害の理解と心理学的介入を中核的課題とし、エビデンスに基づく実践が現代の標準となっている
- 応用心理学は産業・組織、教育、健康、司法など多様な領域で基礎心理学の知見を実社会の問題解決に活用している
- 各領域は独立に存在するのではなく、社会的認知・社会神経科学・発達神経科学のような学際的研究領域を通じて相互に連携している
- 基礎研究と応用研究は双方向的に影響し合い、心理学全体としての知識の深化と社会的貢献を支えている
- 次のセクション(→ Module 0-1, Section 4「研究方法の基礎」)では、これらの領域に共通する研究方法論の基礎を学ぶ
用語集(Glossary)¶
| 用語 | 英語表記 | 定義 |
|---|---|---|
| 認知心理学 | cognitive psychology | 知覚・注意・記憶・思考・言語など人間の情報処理過程を研究する心理学領域 |
| 社会心理学 | social psychology | 他者の存在が個人の思考・感情・行動に及ぼす影響を研究する心理学領域 |
| 発達心理学 | developmental psychology | 生涯を通じた身体的・認知的・社会的・情動的変化のパターンとプロセスを研究する心理学領域 |
| 生物心理学 | biopsychology / biological psychology | 行動と心的過程の生物学的基盤(脳・神経系・遺伝・内分泌系)を研究する心理学領域 |
| 臨床心理学 | clinical psychology | 精神的苦痛や精神障害の理解・予防・軽減を目的とし、心理アセスメントと心理療法を主要活動とする心理学領域 |
| 応用心理学 | applied psychology | 基礎心理学の知見を実社会の問題解決に適用する心理学の総称 |
| ストループ効果 | Stroop effect | 色名の単語がその意味と異なる色で印刷された場合にインク色の命名が遅延する認知干渉現象 |
| 同調 | conformity | 集団の多数派の意見・行動に個人が合わせる現象 |
| 愛着 | attachment | 乳児と特定の養育者の間に形成される情動的絆 |
| エビデンスに基づく実践 | evidence-based practice | 最良の研究エビデンス・臨床的専門性・患者の特性を統合した実践の枠組み |
確認問題¶
Q1: 認知心理学と生物心理学はどのような点で研究対象が重なり、どのような点で異なるか。認知神経科学の例を挙げて説明せよ。
A1: 認知心理学と生物心理学はともに人間の心的過程を研究対象とする点で重なる。しかし、分析の水準が異なる。認知心理学は情報処理過程としての認知メカニズム(符号化・貯蔵・検索など)を行動指標や反応時間などから推論するのに対し、生物心理学は同じ過程を神経活動・神経伝達物質・脳構造などの生物学的水準から解明しようとする。認知神経科学はこの両領域の結節点に位置し、例えば記憶の研究において、認知心理学的に同定された符号化・固定化・検索の過程が、海馬やその周辺領域でいかなる神経活動として実現されているかを脳イメージング技術で検討する。
Q2: Aschの同調実験の結果から導かれる規範的影響と情報的影響の区別を説明し、それぞれが日常場面でどのように作用しうるか具体例を挙げよ。
A2: 規範的影響とは、集団からの排除や否定的評価を回避するために多数派に合わせようとする動機に基づく同調である。情報的影響とは、不確実な状況下で他者の判断を正確な情報源として利用することに基づく同調である。日常場面の具体例として、規範的影響は、自分の意見が少数派であることを知りながら会議で多数派に賛成する場合に作用する。情報的影響は、初めて訪れたレストランで料理を選ぶ際に、周囲の客が注文しているメニューを参考にする場合に作用する。Aschの実験では、明白に正答が判断可能な課題であっても規範的影響が強く作用することが示された点が重要である。
Q3: 発達心理学における「生涯発達」の観点とはどのようなものか。それ以前の児童心理学中心のアプローチとどのように異なるか説明せよ。
A3: 生涯発達の観点とは、発達を乳幼児期や児童期に限定された過程ではなく、受胎から死に至る全生涯にわたって継続する過程として捉える立場である。Baltesの生涯発達心理学の枠組みでは、発達は多方向的であり、ある機能の獲得と別の機能の喪失が同時に進行しうるとされる。これに対し、以前の児童心理学中心のアプローチでは、発達を主に成熟に向かう一方向的な過程として捉え、成人期以降は安定期、老年期は衰退期とみなす傾向があった。生涯発達の観点は、青年期のアイデンティティ形成、中年期の生産性、老年期の知恵の発達など、成人期以降の変化にも発達心理学の問いを拡張した。
Q4: 基礎心理学と応用心理学の関係を「双方向的」と表現する根拠を、具体的な研究例を用いて説明せよ。
A4: 基礎心理学から応用心理学への方向として、認知心理学における記憶の検索練習効果の研究がある。テスト形式の学習が再読よりも長期的な記憶保持に優れることは基礎研究で実証され、これが教育心理学における効果的な学習方略の設計に応用されている。応用心理学から基礎心理学への逆方向として、臨床場面でうつ病患者に観察される否定的な認知的歪み(選択的注意、過度の一般化など)のパターンは、認知心理学における注意バイアスや記憶バイアスの基礎研究を刺激した。Aaron Beckの臨床的観察から始まった認知的歪みの概念が、実験的認知心理学における情報処理バイアスの体系的研究プログラムにつながった例は、この双方向性を示す好例である。
Q5: ある青年が学校での対人関係に困難を抱え、抑うつ的な症状を示しているとする。この問題に対して、認知心理学・社会心理学・発達心理学・臨床心理学の各領域はそれぞれどのような観点から分析・介入しうるか述べよ。
A5: 認知心理学の観点からは、この青年が社会的情報をいかに処理しているか(例:他者の中立的な表情を敵意と解釈する認知バイアス、否定的事象への選択的注意)を分析できる。社会心理学の観点からは、学校という集団環境における同調圧力、排除のメカニズム、対人魅力の要因、帰属スタイル(自己の失敗を内的・安定的に帰属する傾向)を分析できる。発達心理学の観点からは、青年期特有のアイデンティティ形成の課題、幼少期の愛着パターンの影響、社会的スキルの発達水準を分析できる。臨床心理学の観点からは、抑うつ症状のアセスメントを行い、認知行動療法による否定的自動思考の修正や、社会技能訓練(SST)による対人スキルの向上を介入として実施しうる。この例は、一つの問題に対して複数の領域からの多角的アプローチが可能であり、それらを統合することでより包括的な理解と効果的な介入が実現されることを示している。