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Module 1-1 - Section 4: 意思決定

セクション情報

項目 内容
モジュール Module 1-1: 認知心理学
前提セクション Section 3(思考と推論)
想定学習時間 3時間

導入

意思決定(decision making)は、複数の選択肢の中から一つを選択する認知過程である。Section 3(思考と推論)では、ヒューリスティクスとバイアスの研究を通じて、人間の判断が確率論や論理学の規範から体系的に逸脱することを確認した。代表性ヒューリスティクによる基準率の無視や結合錯誤、利用可能性ヒューリスティクによる頻度判断の歪み、アンカリングと調整による数量推定の偏りは、いずれも「判断」の段階における認知的特性であった。本セクションでは、これらの知見を基盤として、「判断」からさらに一歩進んだ「選択」の過程、すなわち不確実性下での意思決定を扱う。

意思決定研究の中核にあるのは、「人間は合理的に選択するのか」という問いである。経済学が前提とする合理的行為者モデルに対して、認知心理学は実際の人間の意思決定過程を実験的に検討し、規範モデルからの体系的な逸脱パターンを明らかにしてきた。本セクションでは、まず規範モデルとしての期待効用理論を概観し、その限界を示すパラドクスを確認する。次に、Kahneman & Tverskyのプロスペクト理論を中心に記述的モデルを検討し、フレーミング効果を扱う。最後に、意思決定を支える認知的アーキテクチャとしての二重過程理論を整理する。


期待効用理論

規範モデルとしての期待効用理論

Key Concept: 期待効用理論(expected utility theory) 不確実性下での合理的な意思決定の規範モデル。各選択肢の効用(主観的価値)とその発生確率の積の総和(期待効用)を最大化するように選択すべきであるとする理論。

期待効用理論の源流は、ダニエル・ベルヌーイ(Daniel Bernoulli, 1738)のサンクトペテルブルクのパラドクスに対する解法にまで遡る。ベルヌーイは、人間が客観的な貨幣価値(期待値)ではなく、主観的な価値(効用)に基づいて判断していることを指摘し、効用関数が対数的であるとする仮説を提唱した。

ジョン・フォン・ノイマン(John von Neumann)とオスカー・モルゲンシュテルン(Oskar Morgenstern)は、1944年の著書『ゲームの理論と経済行動(Theory of Games and Economic Behavior)』において、期待効用理論を公理的基盤の上に定式化した。彼らの公理系は、以下の条件を満たす意思決定者が期待効用を最大化するかのように行動することを証明する。

  • 完備性(completeness): 任意の2つの選択肢に対して、一方を選好するか無差別であるかを判断できる。
  • 推移性(transitivity): AをBより選好し、BをCより選好するならば、AをCより選好する。
  • 独立性(independence): AをBより選好するならば、Aと第三の選択肢Cの確率的混合は、Bとの同等の混合より選好される。
  • 連続性(continuity): 選好の間に連続的な確率混合が存在する。

Key Concept: 効用関数(utility function) 選択肢の主観的価値を数値化する関数。期待効用理論では、意思決定者は各選択肢の効用と確率の積和(期待効用)を最大化するように選択すると仮定する。

期待効用理論は規範理論(normative theory)、すなわち「合理的な意思決定者はどのように行動すべきか」を記述する理論として極めて強力であり、経済学・オペレーションズリサーチ・ゲーム理論の基盤をなしてきた。しかし、記述理論(descriptive theory)、すなわち「人間が実際にどのように行動するか」としての妥当性には重大な疑問が呈されている。

規範モデルの限界:パラドクス

Key Concept: アレのパラドクス(Allais paradox) モーリス・アレ(Maurice Allais, 1953)が提示した、期待効用理論の独立性公理に対する反例。確実な利得と確率的利得の間の選好が、独立性公理から導かれる予測と矛盾する。

アレのパラドクスは以下のような選択場面で生じる。

  • 問題1: A「確実に100万円を得る」 vs. B「89%で100万円、10%で500万円、1%で0円」
  • 問題2: C「11%で100万円、89%で0円」 vs. D「10%で500万円、90%で0円」

多くの人は問題1でAを選好し(確実性効果)、問題2ではDを選好する。しかし、期待効用理論の独立性公理に従えば、AをBより選好する者は論理的にCをDより選好しなければならない。この体系的な選好の逆転は、独立性公理に対する実証的反例である。アレのパラドクスが示唆するのは、人間が確実な結果に対して、確率理論が予測する以上に強い選好を示すということである。

Key Concept: エルスバーグのパラドクス(Ellsberg paradox) ダニエル・エルスバーグ(Daniel Ellsberg, 1961)が提示した、確率が既知の状況(リスク)と確率自体が不明な状況(曖昧性)で異なる選好が現れる現象。曖昧性回避(ambiguity aversion)を示す。

エルスバーグのパラドクスは、赤い球30個と、黒または黄色の球が合計60個入った壺から球を取り出す場面で例示される。黒と黄の比率は不明である。参加者は赤に賭ける方を選好し(確率1/3と確定)、黒に賭けることを回避する(確率が不明)。この選好パターンは主観的確率の一貫した割り当てと矛盾する。エルスバーグのパラドクスは、期待効用理論が前提とする確率の主観的一意性に対する反例であり、人間が確率の不確実さ自体(曖昧性)を忌避することを示している。

graph TD
    EUT[期待効用理論<br>規範モデル] --> AX[公理系<br>完備性・推移性<br>独立性・連続性]
    AX --> PRED[予測: 期待効用最大化]
    PRED --> AL[アレのパラドクス<br>独立性公理の違反<br>確実性効果]
    PRED --> EL[エルスバーグのパラドクス<br>曖昧性回避<br>主観的確率の非一貫性]
    AL --> LIM[規範モデルの<br>記述的限界]
    EL --> LIM
    LIM --> PT[プロスペクト理論<br>記述的モデルへ]

プロスペクト理論

Key Concept: プロスペクト理論(prospect theory) ダニエル・カーネマン(Daniel Kahneman)とエイモス・トヴェルスキー(Amos Tversky)が1979年に発表した意思決定の記述的理論。期待効用理論に代わり、参照点依存性、損失回避、確率加重関数によって、人間の実際の意思決定パターンを説明する。

プロスペクト理論は、Econometrica誌に掲載された論文 "Prospect Theory: An Analysis of Decision under Risk"(1979)で提唱され、行動経済学の理論的基盤となった。この理論は期待効用理論の規範的枠組みを放棄し、人間が実際にどのように意思決定を行うかを記述することに焦点を当てる。

参照点依存性

Key Concept: 参照点(reference point) 結果が利得か損失かを判定する基準点。プロスペクト理論では、人は結果の絶対的な水準ではなく、参照点からの変化(利得または損失)に基づいて価値を評価する。

期待効用理論では、効用は富の最終的な水準(final wealth)に依存する。これに対してプロスペクト理論では、人間は結果を参照点からの変化として認知し、利得と損失を非対称に評価する。参照点は多くの場合、現在の保有状態(現状)であるが、期待水準や社会的比較対象によっても規定されうる。この参照点依存性は、同じ客観的結果であっても、参照点の設定次第で利得にも損失にもなりうることを意味する。

価値関数

プロスペクト理論の中核をなすのが価値関数(value function)である。価値関数は以下の3つの特徴をもつ。

  1. 参照点で定義される: 絶対的な富の水準ではなく、参照点からの変化として定義される。
  2. 損失回避(loss aversion): 損失の負の価値は、同額の利得の正の価値よりも大きい。実験的には、損失は利得の約2〜2.5倍の心理的インパクトをもつとされる(損失回避係数 λ ≈ 2.25)。
  3. 感応度逓減(diminishing sensitivity): 参照点から離れるほど、同じ変化量に対する価値の変化は小さくなる。利得領域では凹(リスク回避的)、損失領域では凸(リスク追求的)の曲線を描く。

Key Concept: 損失回避(loss aversion) 同じ大きさの利得と損失を比較した場合、損失の心理的インパクトの方が利得のそれよりも大きい現象。プロスペクト理論の中核的特徴の一つであり、損失回避係数は約2〜2.5と推定されている。

価値関数の形状は、参照点を原点としたS字型の曲線として表現される。利得領域では凹関数(上に凸)、損失領域では凸関数(下に凸)となり、損失側の傾きが利得側より急峻である。

graph TD
    subgraph 価値関数の特徴
        RF[参照点 = 原点]
        GAIN[利得領域<br>凹関数 = リスク回避的<br>感応度逓減]
        LOSS[損失領域<br>凸関数 = リスク追求的<br>感応度逓減]
        LA[損失回避<br>損失側の傾きが急峻<br>λ ≈ 2.25]
    end
    RF --> GAIN
    RF --> LOSS
    LOSS --> LA

感応度逓減の帰結として、利得領域ではリスク回避が、損失領域ではリスク追求が生じる。例えば、「確実に3,000円を得る」と「80%の確率で4,000円を得る(期待値3,200円)」の間では、多くの人が前者を選ぶ(利得領域のリスク回避)。一方、「確実に3,000円を失う」と「80%の確率で4,000円を失う」の間では、多くの人が後者を選ぶ(損失領域のリスク追求)。この利得と損失での態度の反転(reflection effect)は、期待効用理論では説明が困難である。

確率加重関数

Key Concept: 確率加重関数(probability weighting function) 客観的確率を主観的な決定重みに変換する関数。小さい確率は過大に重み付けされ、中〜大きい確率は過小に重み付けされる傾向がある。

プロスペクト理論では、各結果の確率がそのまま使用されるのではなく、確率加重関数 π(p) を通じて決定重み(decision weight)に変換される。確率加重関数の主要な特徴は以下の通りである。

  • 小確率の過大評価: 小さい確率(例: 0.01)は客観的確率よりも大きく重み付けされる。これは宝くじの購入(小確率の大きな利得への過大な重み付け)や保険の購入(小確率の大きな損失への過大な重み付け)を説明する。
  • 中〜大確率の過小評価: 中程度から高い確率は客観的確率よりも小さく重み付けされる。
  • 確実性効果(certainty effect): 確率1.0(確実)から確率0.99への変化は、0.50から0.49への変化よりもはるかに大きな心理的インパクトをもつ。確実性と不確実性の間の質的な違いが過大に評価される。
  • 逆S字型: 確率加重関数は全体として逆S字型を描く。
graph LR
    subgraph 確率加重関数の特徴
        LOW[小確率<br>π p > p<br>過大評価] --> LOTTERY[宝くじの購入<br>保険の購入を説明]
        MID[中〜大確率<br>π p < p<br>過小評価] --> RISK[確率的利得の<br>魅力低下]
        CERT[確実性効果<br>p=1.0の特権的地位] --> ALLAIS[アレのパラドクス<br>を説明]
    end

確率加重関数の導入により、プロスペクト理論はアレのパラドクスを自然に説明できる。問題1でAが選好されるのは、確実な結果(p=1.0)の決定重みが確率的結果に比べて不釣り合いに大きいためであり、問題2ではいずれも不確実な結果であるため確実性効果が働かず、期待値の高いDが選好される。

エンダウメント効果

Key Concept: エンダウメント効果(endowment effect) ある財を保有している人がそれを手放すために要求する金額(受入補償額: WTA)が、その財を保有していない人が入手するために支払ってもよいとする金額(支払意思額: WTP)よりも体系的に高くなる現象。

リチャード・セイラー(Richard Thaler, 1980)が概念化し、Kahneman、ジャック・クネッチ(Jack Knetsch)、Thalerによる一連の実験(1990, 1991)で実証されたエンダウメント効果は、プロスペクト理論の損失回避から直接導かれる現象である。例えば、コーヒーマグを無作為に配布された群は、そのマグを手放す最低価格として約7ドルを要求したのに対し、配布されなかった群がマグを購入する最高価格は約3ドルであった。この WTA/WTP の乖離は、マグの放棄が「損失」として経験されるために損失回避が作用し、手放す際の要求額が高まることで説明される。


フレーミング効果

Key Concept: フレーミング効果(framing effect) 論理的・実質的に同一の問題であっても、提示の仕方(フレーム)が異なると選好が変化する現象。合理的な意思決定者は実質的に等価な選択肢に対して同一の選好を示すべきであるとする不変性(invariance)の原則に反する。

アジア病問題

トヴェルスキーとカーネマン(Tversky & Kahneman, 1981)は、フレーミング効果を実証する代表的パラダイムとして「アジア病問題(Asian disease problem)」を考案した。

米国でアジア由来の異常な疫病が流行し、600人が死亡すると予想されている。この疫病と闘うために2つの対策が提案された。

利得フレーム条件: - 対策A: 200人が助かる。 - 対策B: 1/3の確率で600人が助かり、2/3の確率で誰も助からない。

損失フレーム条件: - 対策C: 400人が死亡する。 - 対策D: 1/3の確率で誰も死亡せず、2/3の確率で600人が死亡する。

利得フレーム(AとB)では約72%の参加者が確実な選択肢Aを選好したが(リスク回避)、損失フレーム(CとD)では約78%がリスクのある選択肢Dを選好した(リスク追求)。AとCは客観的に同一の結果であり、BとDも同一であるにもかかわらず、フレームの違いによって選好が逆転した。

フレーミングの類型

フレーミング効果は、以下のように分類される。

リスク選択フレーミング(risky choice framing): アジア病問題に代表される、利得フレームと損失フレームの間でリスク態度が逆転するタイプのフレーミング効果である。プロスペクト理論の価値関数(利得領域のリスク回避、損失領域のリスク追求)によって直接説明される。

属性フレーミング(attribute framing): 同一の対象の属性を肯定的に表現するか否定的に表現するかによって評価が変化する現象である。例えば「脂肪分25%」の牛ひき肉と「赤身75%」の牛ひき肉は同一であるが、後者の方がより高く評価される。アーウィン・レヴィン(Irwin Levin)とゲイリー・ゲイス(Gary Gaeth, 1988)による研究は、属性フレーミングが実際の味覚評価にまで影響することを示した。

目標フレーミング(goal framing): 行動の結果を、行動することによる利得として提示するか、行動しないことによる損失として提示するかによって説得力が変化する現象である。損失回避の帰結として、損失を強調するフレーム(例:「検診を受けないと早期発見の機会を失う」)の方が、利得を強調するフレーム(例:「検診を受ければ早期発見の機会を得る」)よりも行動変容を促しやすいとされている。

フレーミング効果のメカニズム

フレーミング効果は、プロスペクト理論の参照点依存性と損失回避から体系的に説明できる。利得フレームは参照点を「誰も助からない状態」に設定し、利得領域での評価を誘導するため、確実な利得への選好(リスク回避)が生じる。損失フレームは参照点を「全員が生存している状態」に設定し、損失領域での評価を誘導するため、不確実だが損失を回避できる可能性がある選択肢への選好(リスク追求)が生じる。

加えて、二重過程理論の観点からは、フレーミング効果はSystem 1の直感的処理によって駆動されると考えられている。ベネデット・デ・マルティーノ(Benedetto De Martino)ら(2006)のfMRI研究は、フレーミング効果に感受性の高い参加者ほど扁桃体の活動が大きいことを示し、フレーミング効果の情動的基盤を示唆した。


二重過程理論

Key Concept: 二重過程理論(dual-process theory) 人間の認知には質的に異なる2つの処理システムが存在するとする理論的枠組み。Type 1処理(自動的・高速・直感的)とType 2処理(統制的・低速・熟慮的)の区分を基盤とする。

System 1とSystem 2

キース・スタノヴィッチ(Keith Stanovich)とリチャード・ウェスト(Richard West, 2000)は、推論と判断に関する多様な二重過程理論を統合的に整理し、2つの処理システムを「System 1」と「System 2」という包括的な用語で呼ぶことを提案した。Kahnemanは著書『ファスト&スロー(Thinking, Fast and Slow)』(2011)においてこの用語法を採用し、広く普及させた。

特性 System 1(Type 1処理) System 2(Type 2処理)
処理速度 高速 低速
処理様式 自動的・並列的 統制的・逐次的
意識的気づき 低い 高い
認知的負荷 小さい 大きい
ワーキングメモリ 不要 必要
典型的な機能 知覚、連想、直感的判断 論理的推論、計画、意図的計算
進化的起源 古い(他の動物と共有) 新しい(人間に固有の可能性)

Section 1(注意)で扱った自動処理と統制処理の区分、および Section 2(記憶)で扱ったワーキングメモリの概念は、二重過程理論の基盤と密接に対応する。System 1は注意資源をほとんど消費しない自動処理に相当し、System 2はワーキングメモリを使用する統制処理に相当する(→ Module 1-1, Section 1「注意」参照)(→ Module 1-1, Section 2「記憶」参照)。

デフォルト介入モデル

Key Concept: デフォルト介入モデル(default-interventionist model) System 1がまずデフォルトの直感的反応を生成し、必要に応じてSystem 2がその反応を監視・修正(介入)するとする、二重過程理論の主要な処理アーキテクチャ。

ジョナサン・エヴァンズ(Jonathan Evans)とスタノヴィッチが提唱したデフォルト介入モデルによれば、認知的処理は以下の手順で進行する。

  1. System 1がデフォルト反応を生成: 状況の知覚に基づいて、自動的かつ即座に直感的判断・反応が生成される。
  2. System 2による監視: System 2がこのデフォルト反応を評価する。
  3. 介入または承認: System 2が反応を不適切と判断すれば修正・抑制し(介入)、適切と判断すればそのまま承認する。
graph TD
    INPUT[入力・状況] --> S1[System 1<br>自動的・高速]
    S1 --> DEFAULT[デフォルト反応<br>直感的判断]
    DEFAULT --> MONITOR{System 2<br>による監視}
    MONITOR -->|承認| OUTPUT1[直感的反応<br>がそのまま出力]
    MONITOR -->|介入| OVERRIDE[System 2による<br>修正・抑制]
    OVERRIDE --> OUTPUT2[熟慮的反応<br>が出力]

    WM[ワーキングメモリ<br>容量・動機づけ] -.->|制約| MONITOR

ヒューリスティクスとバイアスの多くは、System 1がデフォルト反応を生成し、System 2による介入が不十分な場合に生じると解釈できる。例えば、Section 3で扱った信念バイアス(→ Module 1-1, Section 3「思考と推論」参照)は、System 1が結論の信じやすさに基づく直感的反応を生成し、System 2による論理的検証が不十分な場合に生じる。同様に、フレーミング効果は、System 1が言語的フレームに敏感に反応してデフォルト判断を形成し、System 2がフレームの等価性を検出して修正する過程が作動しない場合に顕在化する。

System 2の介入が生じるか否かは、認知的資源の利用可能性(ワーキングメモリ容量、認知的負荷の程度)と動機づけ(正確な判断を行う動機の強さ)に依存する。認知的負荷が高い状況(時間圧力下での判断など)では、System 2の介入能力が低下し、System 1のデフォルト反応がそのまま出力されやすくなる。

二重過程理論への批判

二重過程理論は広く受容されているが、重要な批判も存在する。エヴァンズとスタノヴィッチ自身(Evans & Stanovich, 2013)が整理した主要な論点を含め、以下の批判が指摘されている。

System 1/System 2の二分法の単純さ: 自動処理と統制処理の間には明確な境界がなく、連続的なスペクトラムとして捉えるべきだとする批判がある。部分的に自動的で部分的に統制的な処理(例: 熟練したチェスプレイヤーの直感的判断は、長年の学習を経た高度な処理であり、System 1の「原始的」なイメージとは合致しない)の位置づけが問題となる。

System 1は必ずしも非合理ではない: ギゲレンツァーの生態学的合理性の議論(→ Module 1-1, Section 3「思考と推論」参照)と同様に、System 1の処理が多くの日常場面で適応的に機能していることは二重過程理論の枠組み内でも認められている。問題は、「バイアス=System 1」「合理性=System 2」という単純な図式が誤解を招きやすい点である。

神経科学的基盤の曖昧さ: System 1とSystem 2が脳の特定の領域やネットワークに対応するかどうかは十分に確立されていない。二重過程理論は認知レベルでの記述であり、神経レベルでの実装との対応関係は依然として研究途上にある。

Type 3処理の提案: Evans(2007)は、System 1とSystem 2の相互作用を媒介する「Type 3処理」の存在を提案した。System 2がSystem 1のデフォルト反応を「介入すべきかどうか」を判断する過程自体が、いずれのSystemにも還元しきれない可能性がある。

これらの批判にもかかわらず、二重過程理論は意思決定・推論・判断研究における主要な理論的枠組みとしての地位を維持しており、ヒューリスティクスとバイアス、フレーミング効果、認知的負荷の影響など、幅広い現象を統合的に説明する枠組みとして機能している。


まとめ

  • 期待効用理論(von Neumann & Morgenstern)は合理的意思決定の規範モデルであるが、アレのパラドクスやエルスバーグのパラドクスが示すように、人間の実際の選好は公理系と体系的に矛盾する。
  • プロスペクト理論(Kahneman & Tversky)は、参照点依存性、損失回避、感応度逓減を特徴とする価値関数と確率加重関数により、これらの逸脱パターンを統合的に説明する記述的モデルである。
  • フレーミング効果は、論理的に等価な問題の提示方法が選好を変化させる現象であり、合理的意思決定の不変性原則に対する深刻な反例である。プロスペクト理論の参照点操作として体系的に説明される。
  • 二重過程理論(System 1 / System 2)は、意思決定における直感的判断と熟慮的判断の相互作用を記述する認知的アーキテクチャであり、デフォルト介入モデルによってヒューリスティクスとバイアスの生起メカニズムを説明する。

本セクションを含むモジュール全体を振り返ると、Section 1(注意)では認知資源の配分と自動処理/統制処理の基本的枠組みを学び、Section 2(記憶)ではワーキングメモリを中心とする情報の保持・操作の仕組みを理解した。Section 3(思考と推論)では、これらの基盤の上に成り立つ概念形成、推論、ヒューリスティクスを検討した。本Section 4(意思決定)では、ヒューリスティクスとバイアスの知見をさらに展開し、不確実性下での選択行動を規範モデルと記述モデルの対比から理解した。認知資源の制約(ワーキングメモリ容量)と処理様式の二重性(自動的/統制的)は、注意から意思決定に至るまで一貫して人間の情報処理を特徴づけるテーマであり、二重過程理論はこの統合的な視点を明確に提供するものである。次のSection 5(言語と認知)では、これらの認知機能が言語処理とどのように関連するかを検討する。

用語集(Glossary)

用語 英語表記 定義
意思決定 decision making 複数の選択肢の中から一つを選択する認知過程
期待効用理論 expected utility theory 期待効用を最大化する合理的選択の規範モデル
効用関数 utility function 選択肢の主観的価値を数値化する関数
アレのパラドクス Allais paradox 期待効用理論の独立性公理に対する実証的反例
エルスバーグのパラドクス Ellsberg paradox 曖昧性回避を示す、主観的確率の非一貫性の実証
曖昧性回避 ambiguity aversion 確率が不明な選択肢を確率既知の選択肢より忌避する傾向
プロスペクト理論 prospect theory 参照点依存性・損失回避・確率加重を特徴とする意思決定の記述的理論
参照点 reference point 結果が利得か損失かを判定する基準点
損失回避 loss aversion 同額の損失が利得よりも大きな心理的インパクトをもつ現象
感応度逓減 diminishing sensitivity 参照点から離れるほど同じ変化量への感応度が低下する特性
確率加重関数 probability weighting function 客観的確率を主観的な決定重みに変換する関数
確実性効果 certainty effect 確実な結果が確率的結果に比べて不釣り合いに重み付けされる傾向
エンダウメント効果 endowment effect 保有している財の手放しに要求する価格が購入意思額を上回る現象
フレーミング効果 framing effect 問題の提示方法が選好を変化させる現象
属性フレーミング attribute framing 対象の属性を肯定的/否定的に表現することで評価が変化する現象
目標フレーミング goal framing 行動の結果を利得/損失として提示することで説得力が変化する現象
二重過程理論 dual-process theory 質的に異なる2つの認知処理システムの存在を仮定する理論
デフォルト介入モデル default-interventionist model System 1のデフォルト反応をSystem 2が監視・修正するモデル

確認問題

Q1: 期待効用理論の独立性公理を簡潔に説明し、アレのパラドクスがなぜこの公理に対する反例となるのかを、具体的な選択問題を用いて論じよ。

A1: 独立性公理とは、AをBより選好するならば、Aと第三の選択肢Cの確率的混合は、BとCの同等の混合より選好されるべきであるという条件である。アレのパラドクスでは、問題1で確実な100万円(A)を確率的な選択肢(B)より選好する人が、問題2では期待値の高い確率的選択肢(D)を低い方(C)より選好する。しかし、問題1と問題2は共通成分(89%で100万円を得る部分)を除去した関係にあり、独立性公理に従えばAを選好する者はCを選好するはずである。この矛盾は、人間が確実な結果に対して確率理論の予測以上に強い選好をもつこと(確実性効果)を示し、独立性公理の記述的妥当性に疑問を投げかける。

Q2: プロスペクト理論の価値関数の3つの特徴(参照点依存性、損失回避、感応度逓減)を説明し、それぞれが人間の意思決定行動のどのような側面を説明するか、具体例を挙げて述べよ。

A2: (1) 参照点依存性: 価値は富の絶対水準ではなく参照点からの変化として評価される。年収500万円の人が600万円になるのと、年収1,000万円の人が600万円になるのでは、客観的には同じ600万円でも主観的価値は全く異なる。(2) 損失回避: 同額の損失の心理的インパクトは利得の約2〜2.5倍である。これによりエンダウメント効果(保有する財を手放す際の要求額が購入意思額を上回る)が説明される。(3) 感応度逓減: 参照点から離れるほど同じ変化量への感応度は低下する。100円から200円への変化は10,000円から10,100円への変化よりも大きく感じられる。この特性により利得領域ではリスク回避(確実な利得を選好)、損失領域ではリスク追求(不確実だが損失を回避できる可能性のある選択肢を選好)が生じる。

Q3: Tversky & Kahnemanのアジア病問題を用いて、フレーミング効果を説明せよ。また、なぜフレーミング効果が合理的意思決定の観点から問題となるかを、不変性原則との関係で論じよ。

A3: アジア病問題では、600人の死亡が予測される疫病への対策として、同一の客観的結果を利得フレーム(「200人が助かる」vs.「1/3の確率で600人が助かる」)と損失フレーム(「400人が死亡する」vs.「2/3の確率で600人が死亡する」)で提示する。利得フレームでは約72%が確実な選択肢を選好し(リスク回避)、損失フレームでは約78%が不確実な選択肢を選好する(リスク追求)。これは合理的意思決定の不変性原則(同一の結果をもたらす選択肢に対して同一の選好を示すべき)に違反する。フレームの変更だけで選好が逆転するということは、人間の選好が選択肢の実質的内容ではなく表層的な表現方法に依存することを意味し、選好の安定性・一貫性という合理性の基本要件が満たされていないことを示す。

Q4: 二重過程理論におけるデフォルト介入モデルを説明し、このモデルがヒューリスティクスとバイアスの生起をどのように説明するかを、具体的なバイアスを一つ挙げて論じよ。

A4: デフォルト介入モデルでは、(1) System 1がまず自動的にデフォルトの直感的反応を生成し、(2) System 2がその反応を監視・評価し、(3) 必要に応じてSystem 2がデフォルト反応を修正・抑制する。例えば信念バイアスの場合、System 1は結論の信じやすさに基づいて「この推論は妥当だ/妥当でない」という直感的反応を即座に生成する。System 2が十分に機能すれば、この直感を論理構造の分析によって検証し、信じやすいが妥当でない推論を正しく棄却できる。しかし、認知的負荷が高い場合や動機づけが低い場合にはSystem 2の介入が不十分となり、System 1のデフォルト反応がそのまま出力されるため信念バイアスが生じる。

Q5: エンダウメント効果をプロスペクト理論の損失回避の観点から説明し、期待効用理論ではこの現象を説明することが困難である理由を述べよ。

A5: エンダウメント効果では、保有する財を手放す際の受入補償額(WTA)が購入時の支払意思額(WTP)を体系的に上回る。プロスペクト理論によれば、保有する財の放棄は参照点(現在の保有状態)からの「損失」として経験される。損失回避により損失の心理的インパクトは同等の利得の約2〜2.5倍であるため、放棄に対する補償要求額が高くなる。一方、期待効用理論では効用は富の最終状態のみに依存し、参照点という概念がないため、同一の財に対するWTAとWTPは(取引費用等を除けば)一致するはずである。保有の有無によって同一財の評価が変化する現象は、参照点と損失回避を仮定しない限り説明が困難である。