Module 2-1 - Section 2: 脳の構造と機能¶
セクション情報¶
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| モジュール | Module 2-1: 神経・生理心理学 |
| 前提セクション | Section 1(神経系の基礎) |
| 想定学習時間 | 4.5時間 |
導入¶
Section 1では神経系のミクロレベルの構成要素---ニューロンの構造、活動電位の発生・伝導、シナプス伝達、主要な神経伝達物質系---を学んだ。本セクションでは視点をマクロレベルに移し、それらのニューロンが組織化された解剖学的構造としての脳を扱う。脳の各領域がどのような機能を担い、それらがいかに相互連絡して行動・認知・情動を生み出すかを理解することは、心理学のあらゆる分野の基盤となる。
本セクションでは、中枢神経系の全体的な構成から出発し、大脳皮質の機能局在、辺縁系、大脳基底核、そして左右半球の機能差を順に扱う。これらの知識は、Section 4(感覚・運動系の神経基盤)およびSection 5(行動の生物学的基盤)において、より専門的な神経回路を理解するための前提となる。
中枢神経系の概要¶
Key Concept: 中枢神経系(central nervous system; CNS) 脳と脊髄から構成される神経系の中核部分。感覚情報の統合、運動指令の生成、高次認知機能のすべてを担う。末梢神経系(PNS)と対をなす。
脊髄¶
脊髄(spinal cord)は脊柱管内を走行し、末梢神経系と脳を中継する。横断面では中心部の灰白質(ニューロンの細胞体が集積)がH字型を呈し、周囲を白質(髄鞘化された軸索束)が取り囲む。
脊髄の重要な機能の一つが反射弓(reflex arc) である。例えば膝蓋腱反射(膝蓋反射)では、感覚ニューロンが筋紡錘からの伸張情報を脊髄後角に伝え、脊髄内の介在ニューロンを介さず(単シナプス反射の場合)運動ニューロンが前角から大腿四頭筋へ収縮指令を送る。この過程は脳を経由しないため、損傷や疾患により脳と脊髄の連絡が断たれても反射は保存されうる。
脳幹¶
Key Concept: 脳幹(brainstem) 延髄、橋、中脳から構成される脳の基底部。生命維持に不可欠な自律機能の調節、覚醒の維持、脳神経の起始核を含む。
延髄(medulla oblongata) は脊髄の直上に位置し、呼吸中枢、心臓血管中枢、嘔吐中枢などの生命維持機能を司る。延髄の損傷は直ちに生命を脅かすため、「生命の座」とも呼ばれる。
橋(pons) は延髄と中脳の間に位置する。小脳との連絡を中継し、睡眠の調節(特にレム睡眠の生成)にも関与する。三叉神経や顔面神経の核が存在する。
中脳(midbrain) には上丘(superior colliculus; 視覚定位反射)と下丘(inferior colliculus; 聴覚中継)が存在する。また、Section 1で触れた黒質(substantia nigra)と腹側被蓋野(VTA)はいずれも中脳に位置し、ドーパミン系の主要な起始核である。中脳水道周囲灰白質(periaqueductal gray; PAG)は内因性鎮痛系の中核をなす。
脳幹全体に広がる網様体(reticular formation) は、覚醒・注意・意識レベルの調節を担い、上行性網様体賦活系(ascending reticular activating system; ARAS)として大脳皮質の覚醒を維持する。
小脳¶
Key Concept: 小脳(cerebellum) 後頭蓋窩に位置し、大脳の約10%の体積であるが全ニューロンの半数以上を含む。運動協調、運動学習、タイミング制御の中枢として機能する。
小脳は運動の精度・タイミング・協調を制御する。小脳の損傷は筋力低下ではなく運動失調(ataxia)---動作のぎこちなさ、歩行障害、構音障害、眼振など---を引き起こす。小脳は内部モデル(forward model)を用いて運動の予測誤差を計算し、運動指令を修正するとされる。近年の研究では、運動以外にも言語処理や認知的タイミング、情動調節への関与が示唆されている。
間脳¶
視床(thalamus) は大脳皮質と皮質下構造を中継する「脳のゲートウェイ」である。嗅覚を除くすべての感覚情報は、対応する視床核を経由して大脳皮質の一次感覚野に投射される。例えば外側膝状体(lateral geniculate nucleus; LGN)は視覚情報を一次視覚野へ、内側膝状体(medial geniculate nucleus; MGN)は聴覚情報を一次聴覚野へ中継する。視床は感覚中継にとどまらず、注意の選択的フィルタリングや意識の維持にも寄与する。
Key Concept: 視床下部(hypothalamus) 間脳の腹側に位置する小さな構造で、自律神経系の最高中枢、内分泌系の制御(下垂体との連携)、恒常性(ホメオスタシス)の維持を担う。
視床下部は体温調節、摂食行動、飲水行動、性行動、概日リズム(視交叉上核)、情動反応のストレス応答(HPA軸の起点)を調節する。その体積は脳全体の1%にも満たないが、機能的重要性はきわめて大きい。
graph TD
subgraph "中枢神経系の階層構造"
SC["脊髄"] --> MED["延髄"]
MED --> PONS["橋"]
PONS --> MID["中脳"]
MID --> DIEN["間脳(視床・視床下部)"]
DIEN --> CC["大脳皮質"]
PONS --> CB["小脳"]
end
大脳皮質の区分と機能局在¶
Key Concept: 機能局在(functional localization) 大脳皮質の特定の領域が特定の機能を優先的に担うという原理。ただし、多くの高次機能は複数領域の協調的ネットワークにより実現される。
大脳皮質は左右の大脳半球から成り、表面には多数の溝(sulcus)と回(gyrus)が存在する。中心溝(central sulcus)、外側溝(lateral sulcus / Sylvian fissure)、頭頂後頭溝(parieto-occipital sulcus)を主要なランドマークとして、前頭葉、頭頂葉、側頭葉、後頭葉の4葉に区分される。
ドイツの解剖学者コルビニアン・ブロードマン(Korbinian Brodmann)は1909年に細胞構築学的基準に基づき大脳皮質を52の領域(ブロードマン領野; Brodmann area, BA)に区分した。この区分は現在でも脳領域の同定に広く使用されている。
前頭葉¶
一次運動野(primary motor cortex; M1, BA4) は中心溝の前方、中心前回に位置する。身体の各部位が体部位局在的(somatotopic)に配列されており、ワイルダー・ペンフィールド(Wilder Penfield)が電気刺激法により作成した運動ホムンクルス(motor homunculus)として視覚化される。手や顔など精密な運動制御を要する部位ほど皮質の配分面積が大きい。
前頭前野(prefrontal cortex; PFC) は前頭葉の前方を占める広大な連合野であり、ヒトで特に発達している。実行機能(executive function)---計画、意思決定、ワーキングメモリ、衝動抑制、柔軟な行動の切り替え---の中枢である。
前頭前野の機能的重要性を最も劇的に示した症例がフィニアス・ゲージ(Phineas Gage)である。1848年、鉄道建設現場の爆発事故により鉄棒が左眼窩から前頭葉を貫通した。ゲージは奇跡的に生存し、知的機能や言語能力は表面上保たれたが、人格が激変した。かつて責任感が強く計画的であった彼は、衝動的・無計画・社会規範を無視する人物となった。ゲージの主治医であったジョン・ハーロウ(John Harlow)の報告は、前頭前野が社会的行動と人格の維持に不可欠であることを示す初期の臨床的証拠である。現代の神経画像解析により、損傷部位は主に腹内側前頭前野(ventromedial PFC)と眼窩前頭皮質(orbitofrontal cortex)であったと推定されている。
ブローカ野(Broca's area; BA44, 45) は左半球の下前頭回に位置し、言語産出に関与する。ポール・ブローカ(Paul Broca)は1861年、この領域に損傷を受けた患者「タン」が言語理解は可能であるにもかかわらず発話がほぼ不可能であることを報告した(ブローカ失語 / 運動性失語)。
頭頂葉¶
一次体性感覚野(primary somatosensory cortex; S1, BA1, 2, 3) は中心溝の後方、中心後回に位置する。触覚、圧覚、温覚、固有感覚などの体性感覚情報を処理し、運動野と同様に体部位局在的配列(感覚ホムンクルス)を示す。
頭頂連合野 は空間認知の中枢である。特に右半球の頭頂連合野の損傷は半側空間無視(hemispatial neglect / unilateral neglect) を引き起こしうる。これは対側(通常左側)の空間に存在する刺激を認識・注意できなくなる症候であり、視覚障害とは異なり、患者は左側に食物が残っていても気づかず、時計の左半分の数字を描けないなどの特徴を示す。
側頭葉¶
一次聴覚野(primary auditory cortex; A1, BA41, 42) は側頭葉上面のヘッシル回(Heschl's gyrus)に位置し、聴覚情報の周波数分析を行う。周波数局在的配列(tonotopic organization)を示す。
ウェルニッケ野(Wernicke's area; BA22) は左半球の上側頭回後部に位置し、言語理解に関与する。カール・ウェルニッケ(Carl Wernicke)が1874年に報告した。この領域の損傷はウェルニッケ失語(感覚性失語)を引き起こし、流暢に発話するが内容が無意味で、言語理解が著しく障害される。
下側頭回(inferior temporal gyrus) を含む腹側視覚経路(ventral stream)は物体認知に関与する。特に紡錘状回顔領域(fusiform face area; FFA)は顔の知覚に特化した処理を行うことが、ナンシー・カンウィッシャー(Nancy Kanwisher)らの fMRI 研究(1997)により示されている。
後頭葉¶
一次視覚野(primary visual cortex; V1, BA17) は後頭葉の鳥距溝(calcarine sulcus)周囲に位置し、網膜からの視覚情報が視床の外側膝状体を経由して到達する最初の皮質領域である。V1からはさらに高次視覚野(V2, V3, V4, V5/MT等)へ情報が送られ、背側経路(dorsal stream; 「どこ/いかに」経路)は空間位置や運動の処理を、腹側経路(ventral stream; 「なに」経路)は物体の形状・色・同定の処理を担う。
graph LR
subgraph "大脳皮質の4葉と主要機能領域"
FL["前頭葉"] --> M1["一次運動野(BA4)"]
FL --> PFC["前頭前野(実行機能)"]
FL --> BR["ブローカ野(BA44/45)"]
PL["頭頂葉"] --> S1["一次体性感覚野(BA1-3)"]
PL --> PA["頭頂連合野(空間認知)"]
TL["側頭葉"] --> A1["一次聴覚野(BA41/42)"]
TL --> WA["ウェルニッケ野(BA22)"]
TL --> IT["下側頭回(物体認知)"]
OL["後頭葉"] --> V1["一次視覚野(BA17)"]
end
辺縁系¶
Key Concept: 辺縁系(limbic system) 情動、動機づけ、記憶に関与する皮質下構造および皮質領域の総称。扁桃体、海馬、帯状回などを含む。ジェームズ・パペッツ(James Papez, 1937)が情動回路を提唱し、ポール・マクリーン(Paul MacLean, 1952)が「辺縁系」の概念を拡張した。
扁桃体¶
Key Concept: 扁桃体(amygdala) 側頭葉内側に位置する扁桃状の核群。恐怖を中心とする情動処理、情動学習(恐怖条件づけ)、社会的認知に中心的な役割を果たす。
扁桃体は恐怖条件づけ(fear conditioning)の神経基盤として最も詳細に研究されている。ジョセフ・ルドゥー(Joseph LeDoux)の研究により、感覚入力が視床から扁桃体へ直接伝達される「低位経路(low road)」と、感覚皮質を経由する「高位経路(high road)」の2経路が存在することが示された。低位経路は粗い処理だが高速であり、潜在的脅威に対する迅速な防御反応を可能にする。
扁桃体の両側損傷を呈するウルバッハ・ヴィーテ病(Urbach-Wiethe disease)の患者S.M.は、恐怖表情の認識困難、恐怖条件づけの障害、日常的な恐怖体験の欠如を示し、扁桃体が恐怖処理に不可欠であることを臨床的に裏づけた。
海馬¶
Key Concept: 海馬(hippocampus) 側頭葉内側面に位置する海馬状の構造。陳述記憶(宣言的記憶)の固定化---短期記憶から長期記憶への変換---において中心的役割を果たす。空間記憶・ナビゲーションにも関与する。
海馬の記憶における役割を最も明確に示したのが、患者H.M.(ヘンリー・モレゾン; Henry Molaison, 1926-2008)の症例である。1953年、難治性てんかんの治療として神経外科医ウィリアム・スコヴィル(William Scoville)により両側の内側側頭葉(海馬を含む)が切除された。手術後、H.M.のてんかん発作は軽減されたが、新たな陳述記憶を形成する能力が重篤に障害された(前向性健忘)。一方、手術前の遠隔記憶の大部分は保持され、手続き記憶(運動技能の学習)も可能であった。
H.M.の症例から導かれた重要な知見は以下の通りである。 - 海馬は新しい陳述記憶の固定化に不可欠であるが、記憶の永続的な貯蔵庫ではない(長期記憶は大脳皮質に分散貯蔵される)。 - 陳述記憶と手続き記憶は異なる神経基盤を持つ。 - 短期記憶(ワーキングメモリ)と長期記憶は解離しうる。
ブレンダ・ミルナー(Brenda Milner)によるH.M.の詳細な神経心理学的研究は、記憶の多重システム理論の確立に決定的な貢献を果たした(→ Module 1-3「学習・記憶の心理学」参照)。
帯状回¶
帯状回(cingulate gyrus) は大脳縦裂の内側面に位置し、脳梁の上方を弧状に走る。特に前帯状皮質(anterior cingulate cortex; ACC) は、認知的葛藤のモニタリング(ストループ課題におけるエラー検出など)、痛みの情動的側面の処理、意思決定に関与する。ACCは前頭前野や扁桃体と密接に連絡し、認知と情動の統合に寄与する。後帯状皮質(posterior cingulate cortex; PCC)はデフォルトモードネットワーク(default mode network)の中核構造として、自己参照的処理や内省に関与する。
大脳基底核と報酬系¶
Key Concept: 大脳基底核(basal ganglia) 大脳深部に位置する皮質下核群の総称。随意運動の選択・開始・制御、手続き学習、報酬に基づく意思決定に関与する。
大脳基底核の構成要素¶
大脳基底核は以下の構造から成る。
- 線条体(striatum): 尾状核(caudate nucleus)と被殻(putamen)から成り、大脳皮質からの入力を受ける大脳基底核の入力部。腹側線条体には側坐核(nucleus accumbens)が含まれ、報酬処理の中核をなす。
- 淡蒼球(globus pallidus): 外節(GPe)と内節(GPi)に分かれ、内節は大脳基底核の主要な出力部の一つである。
- 黒質(substantia nigra): 緻密部(SNc)はドーパミンを線条体に供給し、網様部(SNr)は出力核として機能する。
- 視床下核(subthalamic nucleus; STN): 淡蒼球外節と相互連絡し、間接経路において重要な役割を果たす。
直接経路と間接経路¶
大脳基底核は2つの主要な回路を通じて運動制御を行う。
直接経路(direct pathway) は、線条体のD1受容体を発現するニューロンがGPi/SNrを直接抑制し、GPi/SNrから視床への持続的抑制を解除する(脱抑制)。結果として視床から大脳皮質への興奮性入力が促進され、運動が開始・促進される。
間接経路(indirect pathway) は、線条体のD2受容体を発現するニューロンがGPeを抑制し、GPeによるSTNへの抑制が解除される。活動が増大したSTNがGPi/SNrを興奮させ、視床への抑制が強化される。結果として皮質への興奮性入力が減少し、不要な運動が抑制される。
graph TD
subgraph "大脳基底核の直接経路と間接経路"
CTX["大脳皮質"] -->|"興奮(Glu)"| STR["線条体"]
STR -->|"直接経路(D1)<br>抑制(GABA)"| GPI["GPi / SNr"]
STR -->|"間接経路(D2)<br>抑制(GABA)"| GPE["GPe"]
GPE -->|"抑制(GABA)"| STN["視床下核"]
STN -->|"興奮(Glu)"| GPI
GPI -->|"抑制(GABA)"| TH["視床"]
TH -->|"興奮(Glu)"| CTX
SNC["黒質緻密部(SNc)"] -->|"ドーパミン"| STR
end
パーキンソン病との関連¶
パーキンソン病(Parkinson's disease)は黒質緻密部のドーパミンニューロンが進行性に変性する神経変性疾患である。ドーパミンの減少は直接経路の活動低下と間接経路の活動亢進をもたらし、運動の開始困難(無動 / akinesia)、筋固縮(rigidity)、安静時振戦(resting tremor)、姿勢保持障害という四大症候を生じる。治療にはドーパミン前駆体であるL-DOPA(レボドパ)やドーパミン受容体作動薬が用いられる。進行例では視床下核への深部脳刺激(deep brain stimulation; DBS)が適用される場合がある。
中脳辺縁系ドーパミン経路と報酬¶
中脳辺縁系ドーパミン経路(mesolimbic dopamine pathway)は、VTAから側坐核を含む腹側線条体へ投射する。この経路は報酬予測誤差(reward prediction error)の信号を伝達するとされ、ウォルフラム・シュルツ(Wolfram Schultz)の電気生理学的研究(1990年代)により示された。予想外の報酬が得られたときにドーパミンニューロンの発火が増加し、予想通りの報酬では変化せず、予想された報酬が得られなければ発火が減少する。この信号は強化学習の計算論的モデルにおけるTD誤差(temporal difference error)と対応し、報酬に基づく学習と意思決定の神経基盤と考えられている。
薬物依存においては、乱用薬物がこの経路のドーパミン放出を直接的または間接的に増強し、報酬系の可塑的変化(感作や耐性)が嗜癖行動を駆動する。
左右半球の機能差¶
Key Concept: 大脳半球の側性化(lateralization) 左右の大脳半球が異なる認知機能において相対的に優位性を示す現象。言語処理は一般に左半球優位、空間認知は右半球優位であるが、両半球は脳梁を介して常に協調的に機能する。
分離脳研究¶
ロジャー・スペリー(Roger Sperry)とマイケル・ガザニガ(Michael Gazzaniga)は、難治性てんかんの治療として脳梁が離断された分離脳(split-brain)患者を対象に、左右半球の機能差を実験的に明らかにした(スペリーは1981年ノーベル生理学・医学賞受賞)。
視覚系の解剖学的特性(各視野の情報が対側半球に投射される)を利用し、一方の半球にのみ視覚刺激を提示する実験が行われた。主要な知見は以下の通りである。
- 右視野(左半球)に提示された単語は言語的に報告できるが、左視野(右半球)に提示された単語は口頭報告できない。しかし、左手(右半球制御)で対応する物体を触覚で選択することは可能であった。
- 右半球は言語的出力能力に乏しいが、空間的・非言語的課題(顔の認知、パターンマッチング、空間構成)では優位性を示した。
- 左右の半球は独立した意識・意図を持つかのように振る舞う場合があった。
言語の左半球優位¶
人口の約95%の右利き者と約70%の左利き者において、言語機能は左半球に優位に局在する。ブローカ野(言語産出)とウェルニッケ野(言語理解)はいずれも左半球に位置し、両者を結ぶ弓状束(arcuate fasciculus)を含む言語ネットワークを形成する。左半球損傷が失語症(aphasia)を引き起こしやすいのはこのためである。ただし、右半球も韻律(プロソディ)や比喩・ユーモアの理解など、言語のパラ言語的側面に寄与する。
空間認知の右半球優位¶
空間認知、顔の認知、全体的パターン認知は右半球が優位である。先述の半側空間無視が主に右半球の頭頂葉損傷で生じるのは、右半球が両側の空間に注意を配分するのに対し、左半球は対側(右側)の空間のみを担当するためと考えられている。
脳梁の役割¶
Key Concept: 脳梁(corpus callosum) 左右の大脳半球を連絡する最大の交連線維束。約2億本の軸索から成り、半球間の情報統合と協調を可能にする。
健常者においては脳梁を介した半球間の情報転送が瞬時に行われるため、側性化は通常意識されない。脳梁の形態や結合の個人差は認知スタイルの差異と関連する可能性があるが、一般に流布する「右脳型/左脳型」人間という二分法は、科学的根拠を欠く過度な単純化である。
graph LR
subgraph "左半球の主要機能"
L1["言語産出(ブローカ野)"]
L2["言語理解(ウェルニッケ野)"]
L3["論理的・分析的処理"]
L4["右側空間への注意"]
end
subgraph "右半球の主要機能"
R1["空間認知"]
R2["顔の認知"]
R3["全体的パターン処理"]
R4["韻律・情動的プロソディ"]
R5["両側空間への注意"]
end
L1 <-->|"脳梁"| R1
まとめ¶
- 中枢神経系は脊髄から大脳皮質まで階層的に組織化されており、下位構造ほど生命維持・反射に、上位構造ほど高次認知・意志的行動に関与する。
- 大脳皮質は4葉に区分され、各葉に一次感覚野・運動野および連合野が配置される。機能局在の原理が成り立つが、高次機能は複数領域のネットワークにより実現される。
- 辺縁系(扁桃体、海馬、帯状回など)は情動処理と記憶の固定化に中心的な役割を果たし、損傷症例(H.M.、S.M.)の研究がその機能の解明に貢献した。
- 大脳基底核は直接経路・間接経路を通じて運動の選択と抑制を制御し、中脳辺縁系ドーパミン経路は報酬予測誤差に基づく学習を支える。
- 左右の大脳半球は機能的側性化を示し、脳梁を介して協調的に機能する。分離脳研究はこの側性化を実験的に解明した。
Section 4(感覚・運動系の神経基盤)では、本セクションで概観した一次感覚野・運動野を出発点として、視覚系・聴覚系・体性感覚系・運動制御系の詳細な神経回路を学ぶ。Section 5(行動の生物学的基盤)では、視床下部を中心とした内分泌系との連携、睡眠・覚醒の調節、精神薬理学を扱う。
用語集(Glossary)¶
| 用語 | 英語表記 | 定義 |
|---|---|---|
| 中枢神経系 | central nervous system (CNS) | 脳と脊髄から構成される神経系の中核部分 |
| 脳幹 | brainstem | 延髄・橋・中脳から成る脳の基底部。生命維持機能を司る |
| 小脳 | cerebellum | 運動協調・運動学習・タイミング制御の中枢 |
| 視床 | thalamus | 感覚情報を大脳皮質に中継する「脳のゲートウェイ」 |
| 視床下部 | hypothalamus | 自律神経系・内分泌系の統合中枢。恒常性維持を担う |
| 機能局在 | functional localization | 大脳皮質の特定領域が特定機能を優先的に担う原理 |
| 前頭前野 | prefrontal cortex (PFC) | 実行機能(計画・意思決定・衝動抑制)の中枢 |
| ブローカ野 | Broca's area | 左下前頭回に位置し、言語産出に関与する領域 |
| ウェルニッケ野 | Wernicke's area | 左上側頭回後部に位置し、言語理解に関与する領域 |
| 扁桃体 | amygdala | 恐怖を中心とする情動処理・情動学習の中枢 |
| 海馬 | hippocampus | 陳述記憶の固定化と空間記憶に関与する内側側頭葉構造 |
| 前帯状皮質 | anterior cingulate cortex (ACC) | 認知的葛藤のモニタリング、痛みの情動的側面の処理に関与 |
| 大脳基底核 | basal ganglia | 随意運動の選択・制御と報酬に基づく学習に関与する皮質下核群 |
| 線条体 | striatum | 大脳基底核の入力部。尾状核と被殻から成る |
| 直接経路 | direct pathway | 大脳基底核の経路で、運動を促進する |
| 間接経路 | indirect pathway | 大脳基底核の経路で、不要な運動を抑制する |
| 報酬予測誤差 | reward prediction error | 予測された報酬と実際の報酬の差。ドーパミン信号として符号化される |
| 側性化 | lateralization | 左右の大脳半球が異なる機能で相対的優位性を示す現象 |
| 脳梁 | corpus callosum | 左右の大脳半球を連絡する最大の交連線維束 |
| 半側空間無視 | hemispatial neglect | 対側空間の刺激を認識できなくなる症候 |
確認問題¶
Q1: 大脳基底核の直接経路と間接経路の違いを説明し、パーキンソン病における運動障害がなぜ生じるかを神経回路の観点から論ぜよ。 A1: 直接経路では、線条体のD1受容体発現ニューロンがGPi/SNrを抑制し、GPi/SNrによる視床への持続的抑制を解除(脱抑制)することで、皮質への興奮性入力を促進し運動を開始させる。間接経路では、線条体のD2受容体発現ニューロンがGPeを抑制し、GPeによる視床下核(STN)への抑制が解除される。活動が増大したSTNがGPi/SNrを興奮させ、視床への抑制が強化されることで不要な運動を抑制する。パーキンソン病では黒質緻密部のドーパミンニューロンが変性し、線条体へのドーパミン供給が減少する。これにより直接経路(D1依存)の活動が低下し運動促進が弱まる一方、間接経路(D2依存)の脱抑制効果が減弱し結果として間接経路の活動が亢進する。両者の変化はいずれも視床への抑制を強化する方向に作用し、大脳皮質への興奮性入力が減少することで無動・固縮・振戦が生じる。
Q2: 患者H.M.の症例が記憶研究に与えた理論的貢献を3つ挙げて説明せよ。 A2: 第一に、海馬を含む内側側頭葉が新しい陳述記憶の固定化に不可欠であるが、記憶の永続的な貯蔵庫ではないことを示した。H.M.は手術前の遠隔記憶の大部分を保持していたため、長期記憶は海馬以外の大脳皮質領域に分散貯蔵されると考えられる。第二に、陳述記憶(エピソード記憶・意味記憶)と手続き記憶が異なる神経基盤を持つことを実証した。H.M.は新しい事実やエピソードを記憶できなかったが、鏡映描写課題などの運動技能学習は可能であった。第三に、短期記憶(ワーキングメモリ)と長期記憶が解離しうることを示した。H.M.の短期記憶の容量は正常であり、会話を維持することはできたが、注意が逸れると内容を長期記憶に転送できなかった。これらの知見は記憶の多重システム理論の基盤となった。
Q3: ロジャー・スペリーらの分離脳研究において、左視野に単語を提示した場合と右視野に提示した場合で患者の反応がどのように異なるかを、視覚系の解剖学的特性と半球機能の側性化に基づいて説明せよ。 A3: 視覚系では、各眼の右視野からの情報は左半球に、左視野からの情報は右半球に投射される(視交叉における鼻側線維の交叉による)。健常者では脳梁を介して両半球間で情報が共有されるが、分離脳患者では脳梁が離断されているため各半球は対側視野の情報のみを処理する。右視野に提示された単語は左半球に到達し、左半球は言語産出能力を有するため患者はその単語を口頭で報告できる。一方、左視野に提示された単語は右半球に到達するが、右半球は言語的出力能力に乏しいため口頭報告ができない。しかし、右半球は単語の意味を非言語的に理解しており、左手(右半球が制御)を用いて対応する物体を触覚で選択することは可能である。
Q4: フィニアス・ゲージの症例は、前頭前野のどのような機能を示唆するか。現代の神経科学的知見を踏まえて説明せよ。 A4: ゲージの症例は、前頭前野(特に腹内側前頭前野と眼窩前頭皮質)が社会的行動の制御、衝動抑制、計画的行動、人格の統合に不可欠であることを示唆した。ゲージは知的機能や言語能力が表面上保たれたにもかかわらず、衝動的・無計画・社会規範を無視する人物に変貌した。現代の神経科学では、腹内側前頭前野は感情的手がかりに基づく意思決定(アントニオ・ダマシオのソマティック・マーカー仮説との関連)に、眼窩前頭皮質は報酬価値の評価と社会的規範の遵守に関与することが知られている。ゲージの症例は、知能検査で測定される認知能力とは独立に、前頭前野が「合理的で社会的に適切な行動」を支える実行機能と情動制御の統合を担うことを示す初期の臨床的証拠であった。
Q5: 中脳辺縁系ドーパミン経路における報酬予測誤差の概念を説明し、この信号が学習にどのように寄与するかを論ぜよ。 A5: 報酬予測誤差とは、実際に得られた報酬と予測されていた報酬の差分である。ウォルフラム・シュルツの電気生理学的研究により、中脳VTAのドーパミンニューロンは予想外の報酬が得られたときに発火を増加させ(正の予測誤差)、予想通りの報酬では発火が変化せず、予想された報酬が得られなければ発火を減少させる(負の予測誤差)ことが示された。この信号パターンは強化学習の計算論的モデルにおけるTD誤差(temporal difference error)と数学的に対応する。正の予測誤差は報酬に先行する手がかりや行動の価値を上方修正し(報酬を得た行動の強化)、負の予測誤差は下方修正する(報酬が得られなかった行動の消去)。このドーパミン信号が側坐核を含む腹側線条体に伝達されることで、どの行動が報酬をもたらすかを経験的に学習する神経基盤が提供される。薬物依存では乱用薬物がこの経路のドーパミン放出を異常に増強し、報酬系の可塑的変化が嗜癖行動を駆動する。