Module 2-2 - Section 1: 感情の理論¶
セクション情報¶
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| モジュール | Module 2-2: 感情・動機づけの心理学 |
| 前提セクション | なし |
| 想定学習時間 | 3時間 |
導入¶
感情(emotion)は人間の心的生活の中核を成す現象であり、知覚・記憶・意思決定・社会的行動のあらゆる側面に浸透している。しかし、感情とは何か、感情はどのように生じるかという問いに対して、心理学は150年以上にわたり統一的な回答を得るに至っていない。本セクションでは、感情の定義と構成要素を整理した上で、古典的理論から現代の構成主義的感情理論に至るまでの主要な理論的枠組みを体系的に検討する。
感情研究は、Module 2-1(神経・生理心理学)で扱った自律神経系や扁桃体の知見と密接に関連しており、身体的・神経的過程と心理的経験の関係をめぐる議論は、感情理論の中心的な争点であり続けている。
感情の定義と構成要素¶
感情・気分・情動の区別¶
感情研究では、類似するがニュアンスの異なる複数の用語が使用されるため、まず概念の整理が必要である。
Key Concept: 感情(emotion) 特定の対象や出来事に対する比較的短時間の心理的反応であり、主観的経験、生理的変化、行動的表出、認知的評価の複数の構成要素を含む。
Key Concept: 気分(mood) 感情と比較して持続時間が長く(数時間〜数日)、強度が低く、明確な誘発対象を持たない拡散的な感情状態。
Key Concept: 情動(affect) 感情と気分を包括する上位概念。快-不快(valence)の次元を持つ心理的状態の総称として用いられることが多い。
感情と気分の主な違いを以下に整理する。
| 特性 | 感情(emotion) | 気分(mood) |
|---|---|---|
| 持続時間 | 秒〜分(短い) | 時間〜日(長い) |
| 強度 | 比較的高い | 比較的低い |
| 対象 | 特定の対象・出来事あり | 拡散的、対象が不明確 |
| 行動的表出 | 顕著(表情・声等) | 不明瞭 |
| 意識的自覚 | 明瞭なことが多い | 背景的・漠然としている |
感情の構成要素¶
多くの感情理論に共通する認識として、感情は単一の現象ではなく、複数の構成要素からなる多成分的過程(multi-component process)である。
graph TD
E["感情エピソード"]
E --> A["主観的経験<br/>(subjective experience)"]
E --> B["身体的反応<br/>(physiological response)"]
E --> C["行動的表出<br/>(behavioral expression)"]
E --> D["認知的評価<br/>(cognitive appraisal)"]
A --- A1["意識的な感じ<br/>快-不快の体験"]
B --- B1["自律神経系の変化<br/>心拍・発汗・呼吸等"]
C --- C1["表情・声・姿勢<br/>接近・回避行動"]
D --- D1["状況の意味づけ<br/>目標との関連の評価"]
これらの構成要素間の関係、とりわけどの要素が因果的に先行するかという問いが、後述する感情理論間の主要な対立軸となる。
古典的感情理論¶
James-Lange理論(末梢起源説)¶
William James(1884)とCarl Lange(1885)はほぼ同時期に独立して、当時の常識を覆す理論を提唱した。
Key Concept: James-Lange理論(James-Lange theory) 感情は身体的変化の知覚によって生じるとする理論。感情的な出来事に対してまず身体的反応(自律神経系の変化、骨格筋の反応)が生じ、その身体的変化を知覚することが感情経験そのものであるとする。
常識的な直感では「悲しいから泣く」と考えるが、Jamesはこの因果関係を逆転させた。すなわち「泣くから悲しい」のであり、もし身体的反応を取り除けば、感情経験は残らないと主張した。
graph LR
S["刺激<br/>(熊に遭遇)"] --> B["身体的反応<br/>(心拍増加、逃走)"]
B --> E["感情経験<br/>(恐怖の自覚)"]
style S fill:#f9f,stroke:#333
style B fill:#bbf,stroke:#333
style E fill:#fbb,stroke:#333
この理論の重要な帰結は、異なる感情には異なる身体的反応パターンが対応しなければならないという点である。怒りと恐怖が同一の身体反応パターンを持つならば、身体反応の知覚だけでは両者を区別できないことになる。
Cannon-Bard理論(視床起源説)¶
Walter Cannon(1927)はJames-Lange理論に対する体系的な批判を展開した。Philip Bard との共同研究に基づくCannon-Bard理論の要点は以下の通りである。
Key Concept: Cannon-Bard理論(Cannon-Bard theory) 感情的な刺激は視床(thalamus)で処理され、身体的反応(自律神経系の活性化)と感情経験(大脳皮質での主観的体験)が同時並行的に生じるとする理論。
Cannonの主要な反論は以下の4点に集約される。
- 内臓反応の非特異性: 異なる感情でも、自律神経系の反応パターンは類似している(→ 感情の弁別に不十分)
- 内臓反応の緩慢さ: 自律神経系の反応は発現に時間がかかる(1〜2秒)が、感情経験はより迅速に生じる
- 内臓感覚の鈍感さ: 内臓の変化に対する感受性は低く、微細な差異を知覚するのは困難である
- 内臓の外科的切断: 動物実験において、内臓と中枢神経系の連絡を遮断しても感情的行動が消失しない
graph TD
S["感情的刺激"] --> T["視床"]
T --> C["大脳皮質<br/>(感情の主観的経験)"]
T --> B["身体<br/>(自律神経系の反応)"]
style T fill:#ff9,stroke:#333
実証的検討¶
James-Lange理論とCannon-Bard理論の対立は、その後の実証研究によって両者の部分的な妥当性が示されることとなった。
Hohmannの脊髄損傷研究(1966): 脊髄損傷患者を対象とした研究で、損傷部位が高位にあるほど(すなわち身体からのフィードバックが遮断される範囲が広いほど)、感情経験の強度が低下することを報告した。この知見はJames-Lange理論を部分的に支持するものである。ただし、感情経験が完全に消失したわけではなく、「頭では怒っていると分かるが、以前のような燃えるような感じがない」という報告が見られた。これはCannon-Bard理論とも矛盾しない。
顔面フィードバック仮説: James-Lange理論の一つの変種として、表情筋の活動が感情経験に影響するという顔面フィードバック仮説(facial feedback hypothesis)がある。Strack, Martin, & Stepper(1988)は、参加者にペンを口にくわえさせることで笑顔に近い筋肉状態を誘発し、その状態で漫画をより面白く評価することを報告した。
しかし、この研究はRegistered Replication Report(Wagenmakers et al., 2016)において17の独立した研究室で追試され、元の効果は再現されなかった。顔面フィードバック効果自体の存在はメタ分析レベルでは支持される傾向にあるが、Strackらの特定のパラダイムによる効果の頑健性には疑問が呈されている。この事例は、心理学における再現性の問題(→ Module 2-4「心理統計法II・研究法」参照)を象徴する一例でもある。
Schachter-Singerの二要因理論¶
理論の核心¶
Stanley SchachterとJerome Singer(1962)は、James-Lange理論とCannon-Bard理論の双方の限界を踏まえ、感情経験の生成に2つの要因が必要であるとする理論を提唱した。
Key Concept: 二要因理論(two-factor theory of emotion) 感情経験は、(1)生理的覚醒(physiological arousal)と(2)その覚醒の認知的ラベリング(cognitive labeling)の2つの要因の組み合わせによって生じるとする理論。生理的覚醒は未分化であり、その覚醒をどのように解釈するかによって、経験される感情の種類が決まる。
Cannonの指摘した自律神経系反応の非特異性を受け入れつつ、Jamesの身体的反応の重要性も認める折衷的な立場である。重要な点は、同一の生理的覚醒が、状況の認知的解釈次第で異なる感情として経験されるとする点にある。
graph LR
S["刺激"] --> P["生理的覚醒<br/>(未分化)"]
S --> C["認知的解釈<br/>(状況の評価)"]
P --> E["感情経験"]
C --> E
style P fill:#bbf,stroke:#333
style C fill:#bfb,stroke:#333
style E fill:#fbb,stroke:#333
Schachter-Singer実験(1962)¶
Schachter & Singerの実験では、参加者にエピネフリン(アドレナリン)またはプラセボを注射し、その後、怒りを誘発する状況または多幸感(euphoria)を誘発する状況に配置した。エピネフリン投与群のうち、薬の効果について正しく知らされなかった群(薬の副作用による身体変化であると認識できない群)は、状況に応じてより強い怒りまたは多幸感を報告した。これは、身体的覚醒の原因が不明なとき、人は環境的手がかりに基づいてその覚醒に感情的ラベルを付与することを示唆する。
ただし、この実験は方法論上の問題(統計的検定の不適切さ、群間差の小ささ、直接的追試の失敗)が指摘されており、結果の解釈には注意を要する。
誤帰属パラダイムと吊り橋実験¶
二要因理論から導出される重要な予測の一つが、生理的覚醒の誤帰属(misattribution of arousal)である。ある原因によって生じた生理的覚醒が、別の原因に帰属されることで、感情経験が変容するという現象である。
Dutton & Aron(1974)の吊り橋実験は、誤帰属の代表的な実証研究である。高くて揺れる吊り橋(高覚醒条件)または低くて安定した橋(低覚醒条件)を渡った直後の男性参加者に、女性実験者が質問紙調査を依頼した。高覚醒条件の参加者は、TAT(主題統覚検査)的な物語課題においてより多くの性的内容を含む物語を作成し、また実験者に後日電話をかける割合も有意に高かった。橋による恐怖の覚醒が、女性実験者への性的魅力に誤帰属されたと解釈される。
この誤帰属パラダイムは、運動後の覚醒を用いた実験やホワイトノイズ条件の実験など多くの追試がなされ、一定の支持を得ている。ただし、効果の大きさや生態学的妥当性については議論が続いている。
基本感情理論¶
Ekmanの基本感情¶
Key Concept: 基本感情(basic emotions) 進化的に形成された、生物学的に基盤を持つ離散的な感情カテゴリ。各基本感情は固有の神経基盤、表情パターン、生理的反応パターン、評価パターンを持つとされる。
Paul Ekman(1972, 1992)は、Charles Darwinの『人及び動物の表情について』(1872)の系譜を引き継ぎ、感情の普遍性研究を精力的に展開した。Ekmanは以下の6つの基本感情を提唱した。
| 基本感情 | 英語 | 典型的な表情特徴 | 適応的機能 |
|---|---|---|---|
| 幸福 | happiness | 頬が上がる、口角が上がる(Duchenne smile) | 社会的絆の維持、接近行動の促進 |
| 悲しみ | sadness | 眉の内側が上がる、口角が下がる | 喪失への対処、他者の援助の誘発 |
| 怒り | anger | 眉が引き下げられる、上瞼が上がる | 障害の除去、闘争反応 |
| 恐怖 | fear | 眉が上がる、上瞼が上がる、口が開く | 脅威からの回避・逃走 |
| 嫌悪 | disgust | 鼻にしわ、上唇が上がる | 有害物質の拒絶 |
| 驚き | surprise | 眉が上がる、目が見開かれる、口が開く | 新奇刺激への注意の方向づけ |
後に Ekman(1999)は基本感情のリストを拡張し、軽蔑(contempt)や当惑(embarrassment)などを追加したが、中核的な6感情が最もよく引用される。
異文化間研究¶
Ekmanの研究の核心は、表情認知の普遍性の実証にある。Ekman & Friesen(1971)はパプアニューギニアのフォレ族(西洋文化と接触が少ない集団)を対象に、西洋人の表情写真の認知実験を実施した。フォレ族は、基本6感情の表情を有意に正しく同定でき(ただし恐怖と驚きの弁別はやや困難であった)、逆にフォレ族が産出した表情を西洋人も正しく同定できた。
この知見は、表情と感情の結びつきに文化普遍的な基盤があることを示唆するものとして広く受け入れられた。
Izardの分化感情理論¶
Carroll Izard(1977)も基本感情アプローチの代表的研究者であり、分化感情理論(Differential Emotions Theory: DET)を提唱した。Izardは10の基本感情(興味、喜び、驚き、悲しみ、怒り、嫌悪、軽蔑、恐怖、恥、罪悪感)を想定し、各感情が固有の動機づけ的性質を持つとした。EkmanとIzardは共に基本感情アプローチに属するが、Izardはより多くの感情を基本的と見なし、感情の動機づけ的側面をより強調した。
基本感情アプローチへの批判¶
1990年代以降、基本感情理論に対する体系的な批判が蓄積された。
Russell(1994)の批判: James Russell は、Ekmanらの異文化間研究の方法論的問題を指摘した。特に、強制選択法(予め用意されたカテゴリから選択させる方法)が結果を人為的に膨らませている可能性を論じた。自由回答法を用いた場合、表情認知の一致率は顕著に低下する。また、表情認知には文化内有利性(in-group advantage)が存在し、同じ文化圏の表情をより正確に認知できることも報告されている。
Barrett(2006)の批判: Lisa Feldman Barrett は、基本感情理論が想定する「各感情に固有の生理的パターンや神経基盤が存在する」という前提を、メタ分析的に検討した。その結果、特定の感情カテゴリと特定の自律神経系反応パターンや脳領域の活動との間に、一対一の対応関係は見出されなかったと結論した。例えば、扁桃体の活動は恐怖に限定されず、怒り、悲しみ、さらには正の感情でも観察される。
構成主義的感情理論¶
Barrettの構成された感情理論¶
基本感情理論への批判を最も体系的に展開し、代替的枠組みを提示したのがLisa Feldman Barrettの構成された感情理論(theory of constructed emotion)である。
Key Concept: 構成された感情理論(theory of constructed emotion) 感情は脳に予め組み込まれた回路から「発生」するのではなく、より基本的な心理的要素(コアアフェクト、概念知識、社会的文脈)から状況に応じて「構成」されるとする理論。同じ感情カテゴリに属する事例間にも大きな変動があり、感情カテゴリは自然種(natural kind)ではなく社会的に構成された概念であるとする。
Barrett(2017)の理論の中核的主張は以下の通りである。
-
コアアフェクト(core affect): 脳は身体の内部状態(内受容感覚: interoception)を常時モニターしており、その状態は快-不快(valence)と覚醒度(arousal)の2次元で特徴づけられる。これは感情そのものではなく、感情構成の素材である。
-
概念化(categorization): 脳はコアアフェクトの変動を、過去の経験に基づく概念知識を用いて意味づけする。「この身体状態は怒りである」という概念化が行われることで、初めて「怒り」という感情が経験される。
-
予測(prediction): 脳は過去の経験(概念知識)に基づいて身体状態と外界を絶えず予測しており、予測と実際の入力の差分(予測誤差)を最小化するように動作する。感情は、この予測的処理の産物である。
graph TD
I["内受容感覚<br/>(身体の状態)"] --> CA["コアアフェクト<br/>(快-不快 × 覚醒度)"]
CK["概念知識<br/>(過去の経験・言語・文化)"] --> Cat["概念化"]
SC["社会的文脈"] --> Cat
CA --> Cat
Cat --> EM["感情の経験・知覚<br/>(例: 怒り、恐怖、悲しみ)"]
style CA fill:#ffd,stroke:#333
style CK fill:#dff,stroke:#333
style EM fill:#fbb,stroke:#333
概念行為モデル¶
Barrettの概念行為モデル(conceptual act model)は、感情の知覚(他者の感情を読み取ること)にも同じ構成原理が適用されると主張する。他者の表情を見て「怒っている」と知覚するのは、表情から怒りを直接「検出」しているのではなく、文脈情報と概念知識を用いて積極的に構成しているのである。
この立場は、感情語彙や感情概念の発達が感情経験の分化に寄与するという予測を導く。実際、感情に関する語彙が豊かな人ほど(感情粒度: emotional granularity が高い人ほど)、感情経験がより分化・細分化されていることが報告されている。
基本感情理論との対立¶
基本感情理論と構成主義的感情理論の対立は、現在進行形の論争であり、両陣営ともに実証的証拠を蓄積している。
| 争点 | 基本感情理論の立場 | 構成主義的感情理論の立場 |
|---|---|---|
| 感情の本質 | 離散的な自然種 | 構成された概念カテゴリ |
| 生物学的基盤 | 各感情に固有の神経回路 | 汎用的な脳ネットワークの動的構成 |
| 表情の普遍性 | 表情-感情の対応は普遍的 | 文化・文脈依存的な構成 |
| 感情カテゴリの変動 | カテゴリ内変動はノイズ | カテゴリ内変動こそが本質 |
| 動物の感情 | ヒトと動物で基本感情を共有 | 動物の内部状態を人間の概念で分類することへの慎重さ |
この論争は単なる学術的議論にとどまらず、感情のAI認識技術、法廷での感情評価、精神医学的診断など応用面にも広い含意を持つ。
感情の次元モデル¶
基本感情理論が感情を離散的カテゴリとして捉えるのに対し、次元モデルは感情を連続的な次元空間上に位置づける。
Russellの円環モデル¶
Key Concept: 円環モデル(circumplex model of affect) James Russell(1980)が提唱した感情の次元モデル。すべての感情状態は、快-不快(valence)と覚醒度(arousal)の2次元から構成される円環空間上に布置されるとする。
このモデルでは、例えば「興奮」は高覚醒・高快、「リラックス」は低覚醒・高快、「怒り」は高覚醒・高不快、「悲しみ」は低覚醒・高不快の位置に布置される。
| 高覚醒 | 低覚醒 | |
|---|---|---|
| 快 | 興奮、歓喜 | 穏やか、リラックス |
| 不快 | 怒り、恐怖 | 悲しみ、退屈 |
円環モデルは感情のマッピングとして広く使用されているが、2次元のみで感情経験の全体を捉えきれるかについては議論がある。怒りと恐怖は円環モデル上で近い位置に布置されるが、動機づけ的方向性(接近 vs 回避)は大きく異なる。
WatsonのPANASモデル¶
David Watson & Auke Tellegen(1985)は、感情の2次元構造について異なるモデルを提唱した。
Key Concept: PANAS(Positive and Negative Affect Schedule) Watson, Clark, & Tellegen(1988)が開発した感情測定尺度。正感情(Positive Affect: PA)と負感情(Negative Affect: NA)を独立した2次元として測定する。PAは活力・集中・快活などを含み、NAは苦痛・怒り・恐怖などを含む。
PANASモデルの重要な主張は、正感情と負感情が単一次元の両極ではなく、独立した2次元であるという点にある。すなわち、正感情が高い状態と負感情が高い状態は同時に生じうる(例: 挑戦的な課題に取り組むときの興奮と不安の共存)。
Russellの円環モデルとWatsonのPANASモデルは、数学的には座標軸を45度回転させた関係にある。快-不快と覚醒度を軸とするか、正感情と負感情を軸とするかの違いであり、同じ感情空間を異なる角度から記述しているとも解釈できる。
評価理論(appraisal theory)¶
Lazarusの認知的評価理論¶
Key Concept: 認知的評価(cognitive appraisal) 感情を引き起こすのは出来事そのものではなく、その出来事を個人がどのように評価・解釈するかであるとする考え方。Richard Lazarus(1991)が体系化した。
Richard Lazarus(1991)の認知的評価理論は、感情経験において認知的評価過程が中心的役割を果たすと主張する。Lazarusは評価を2段階に分けた。
一次評価(primary appraisal): 出来事が自己の安寧(well-being)にとって関連性があるか、またそれが脅威か、挑戦か、喪失かを評価する段階。 - 無関係(irrelevant): 自己に関わりがない - 良性-肯定的(benign-positive): 自己にとって好ましい - ストレスフル(stressful): 脅威(threat)、挑戦(challenge)、または害-喪失(harm-loss)として評価
二次評価(secondary appraisal): ストレスフルな状況に対して、自分がどの程度の対処資源(coping resources)を持っているかを評価する段階。対処可能と評価されれば挑戦として経験され、対処困難と評価されれば脅威として経験される。
Lazarusの理論は、同一の出来事が異なる個人によって異なる感情を生じさせるメカニズムを説明する。試験という同じ出来事も、十分に準備した学生にとっては挑戦(高揚感)であり、準備不足の学生にとっては脅威(不安)となる。
Lazarusの理論は、Zajonc(1980)との間で著名な「認知-感情論争」を引き起こした。Zajonc は、感情反応は認知的評価なしに生じうる(情動の優位性: affective primacy)と主張し、閾下呈示された刺激に対する選好反応(単純接触効果)をその証拠とした。一方Lazarusは、認知的評価は必ずしも意識的・精緻な処理を必要とせず、自動的・無意識的な評価も「認知」に含まれると反論した。この論争は、「認知」の定義の問題に帰着する面があり、現在では両者の立場を統合的に捉える傾向が強い。
Schererの構成要素過程モデル¶
Klaus Scherer(2001, 2009)は、より精緻な評価理論として構成要素過程モデル(Component Process Model: CPM)を提唱した。
Key Concept: 構成要素過程モデル(Component Process Model: CPM) 感情エピソードは、新奇性、快適性、目標適合性、対処可能性、社会的規範適合性の5つの評価チェック(stimulus evaluation checks: SECs)が逐次的に行われることによって生じるとするSchererの理論。各チェックの結果の組み合わせが特定の感情パターンを予測する。
| 評価チェック(SEC) | 評価内容 | 例(怒りの場合) |
|---|---|---|
| 新奇性(novelty) | 出来事は新しいか、予期されたか | 予期しない妨害 |
| 内在的快適性(intrinsic pleasantness) | 出来事は快か不快か | 不快 |
| 目標適合性(goal relevance/conduciveness) | 目標達成を促進するか妨害するか | 目標を妨害 |
| 対処可能性(coping potential) | 自分はこの状況に対処できるか | 対処可能(相手に反撃できる) |
| 社会的規範適合性(norm compatibility) | 社会的規範や自己の基準に合致するか | 不公正(規範に反する) |
Schererのモデルは、評価の組み合わせによって多様な感情を生成でき、基本感情に限定されない柔軟な枠組みを提供する。また、評価チェックが逐次的に行われるため、感情が時間的に展開する過程をモデル化できる点も特徴的である。
まとめ¶
- 感情は主観的経験、身体的反応、行動的表出、認知的評価の多成分的過程であり、感情(emotion)、気分(mood)、情動(affect)は区別される。
- James-Lange理論は身体反応の知覚が感情経験であると主張し、Cannon-Bard理論は身体反応と感情経験の同時並行的生起を主張した。両理論とも部分的な妥当性を持つ。
- Schachter-Singerの二要因理論は、未分化な生理的覚醒と認知的ラベリングの組み合わせで感情が生じるとし、誤帰属パラダイム(吊り橋実験等)による支持を得たが、方法論的批判もある。
- 基本感情理論(Ekman)は進化的に基盤を持つ離散的な感情カテゴリを想定し、表情の異文化間普遍性を根拠としたが、方法論的問題や神経基盤の非特異性から批判を受けている。
- 構成主義的感情理論(Barrett)は、感情がコアアフェクト・概念知識・文脈から動的に構成されるとし、基本感情理論に対する有力な対抗枠組みとなっている。この論争は現在進行形である。
- 次元モデル(Russellの円環モデル、WatsonのPANAS)は感情を連続的次元空間に位置づけ、感情の測定と記述に広く利用されている。
- 評価理論(Lazarus, Scherer)は、認知的評価過程が感情生成の中心であるとし、同一出来事が個人間で異なる感情を生じさせるメカニズムを説明する。
次のセクションでは、これらの感情理論を前提として、感情の生物学的基盤(扁桃体、前頭前野、島皮質の役割)について詳述する。
用語集(Glossary)¶
| 用語 | 英語表記 | 定義 |
|---|---|---|
| 感情 | emotion | 特定の対象・出来事に対する短時間の多成分的心理反応 |
| 気分 | mood | 持続時間が長く強度の低い拡散的感情状態 |
| 情動 | affect | 感情と気分を包括する上位概念、快-不快の次元を持つ |
| James-Lange理論 | James-Lange theory | 身体的変化の知覚が感情経験であるとする末梢起源説 |
| Cannon-Bard理論 | Cannon-Bard theory | 身体反応と感情経験が視床を介して同時に生じるとする説 |
| 二要因理論 | two-factor theory | 生理的覚醒と認知的ラベリングの2要因で感情が生じるとする理論 |
| 誤帰属 | misattribution of arousal | 生理的覚醒の原因を別の原因に帰属する現象 |
| 基本感情 | basic emotions | 進化的に基盤を持つ離散的感情カテゴリ |
| 構成された感情理論 | theory of constructed emotion | 感情が概念知識等から動的に構成されるとするBarrettの理論 |
| コアアフェクト | core affect | 快-不快と覚醒度で特徴づけられる基本的な身体状態 |
| 感情粒度 | emotional granularity | 感情経験を細分化して区別する能力の個人差 |
| 円環モデル | circumplex model | 快-不快×覚醒度の2次元で感情を布置するRussellのモデル |
| PANAS | Positive and Negative Affect Schedule | 正感情と負感情を独立次元として測定する尺度 |
| 認知的評価 | cognitive appraisal | 出来事の個人的意味づけが感情を決定するとする考え方 |
| 一次評価 | primary appraisal | 出来事の自己関連性・脅威性を評価する段階 |
| 二次評価 | secondary appraisal | 対処資源の利用可能性を評価する段階 |
| 構成要素過程モデル | Component Process Model | 5つの評価チェックの逐次的処理で感情を説明するSchererの理論 |
| 顔面フィードバック仮説 | facial feedback hypothesis | 表情筋の活動が感情経験に影響するとする仮説 |
確認問題¶
Q1: James-Lange理論とCannon-Bard理論は、感情経験における身体的反応の役割について対照的な主張をしている。両理論の核心的な違いを、「因果関係の方向性」と「身体反応の特異性」の2点から説明せよ。
A1: James-Lange理論では、感情的刺激→身体的反応→感情経験という因果関係を想定し、身体反応が感情経験に先行する。また、異なる感情には異なる身体反応パターンが対応すると仮定する(身体反応の特異性を前提とする)。一方、Cannon-Bard理論では、感情的刺激が視床で処理された後、身体反応と感情経験が同時並行的に生じるとし、身体反応は感情経験の原因ではない。また、Cannonは異なる感情間で自律神経系の反応パターンが類似している(非特異的である)ことを論拠の一つとした。
Q2: Schachter-Singerの二要因理論において、Dutton & Aron(1974)の吊り橋実験はどのようなメカニズムで説明されるか。「生理的覚醒の誤帰属」の概念を用いて論じよ。
A2: 二要因理論によれば、感情経験は未分化な生理的覚醒と、その覚醒に対する認知的ラベリングから構成される。吊り橋実験では、高所で揺れる橋を渡ることによって生じた生理的覚醒(心拍増加、発汗等)が、参加者自身によって恐怖ではなく、直後に出会った女性実験者への性的魅力や興奮として誤って帰属(misattribution)された。覚醒の真の原因(橋の高さ・不安定さ)を正しく認識できなかったため、環境内の別の顕著な手がかり(魅力的な異性の存在)に覚醒が帰属され、結果として性的関心が高まったと解釈される。
Q3: 基本感情理論と構成主義的感情理論の主要な争点を3つ挙げ、それぞれの立場の主張を対比的に説明せよ。
A3: 主要な争点は以下の3つである。(1)感情の本質: 基本感情理論は感情を進化的に形成された離散的な自然種とみなすが、構成主義的感情理論は感情を概念知識・文脈・コアアフェクトから動的に構成される概念カテゴリとみなす。(2)神経基盤の特異性: 基本感情理論は各感情に固有の神経回路(例: 恐怖=扁桃体)を想定するが、構成主義的感情理論は汎用的な脳ネットワークが状況に応じて異なるパターンに構成されるとし、一対一対応を否定する。(3)表情の普遍性: 基本感情理論は表情と感情カテゴリの対応が文化を超えて普遍的であるとするが、構成主義的感情理論は表情認知における文化・文脈の影響を強調し、強制選択法を用いた異文化間研究の方法論的限界を指摘する。
Q4: 評価理論において、Lazarusの一次評価と二次評価はそれぞれ何を評価するものか。同じ出来事(例: 大学院入試)が異なる感情を引き起こすメカニズムを、評価理論の枠組みから具体的に説明せよ。
A4: 一次評価は出来事の自己関連性と、それが脅威・挑戦・喪失のいずれにあたるかを評価する段階であり、二次評価は自分がその状況にどの程度対処できるか(対処資源の利用可能性)を評価する段階である。大学院入試の例では、十分に準備した学生は一次評価で「自己にとって重要」かつ「挑戦」と評価し、二次評価で「対処可能」と判断するため、期待や高揚感を経験する。一方、準備不足の学生は一次評価で「脅威」と評価し、二次評価で「対処困難」と判断するため、強い不安を経験する。さらに、試験に不合格だった場合は、一次評価で「害-喪失」と評価され、悲しみや落胆が生じる。このように、同一の出来事に対する評価の差異が異なる感情を生成する。
Q5: Russellの円環モデルにおける「快-不快」と「覚醒度」の2次元を説明し、このモデルの利点と限界をそれぞれ1つ以上述べよ。
A5: 円環モデルは、あらゆる感情状態を快-不快(valence: ポジティブかネガティブか)と覚醒度(arousal: 活性化の程度が高いか低いか)の2次元から構成される環状の空間上に布置する。利点として、離散的カテゴリでは捉えにくい感情状態の中間的・混合的な性質を連続的に表現でき、感情の測定・比較のための共通枠組みを提供する点がある。限界として、2次元のみでは感情の質的な差異を十分に捉えられない場合がある。例えば、怒りと恐怖は円環上で近い位置(高覚醒・不快)に布置されるが、動機づけ的方向性(怒りの接近傾向 vs 恐怖の回避傾向)という重要な違いが表現されない。