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Module 2-3 - Section 4: 知能

セクション情報

項目 内容
モジュール Module 2-3: パーソナリティ心理学・個人差
前提セクション なし
想定学習時間 3.5時間

導入

知能(intelligence)は心理学において最も広く研究され、かつ最も論争の多い概念の一つである。「知能とは何か」という問いに対する合意は100年以上の研究を経てもなお完全には成立しておらず、E. G. Boring(1923)が述べた「知能とは知能検査が測定するものである」という操作的定義の循環性は、この問題の困難さを端的に示している。

本セクションでは、知能の測定の歴史から出発し、知能の構造に関する主要な因子論的モデル(Spearmanのg因子からCHC理論まで)を整理する。次に、因子分析的枠組みに収まらない多重知能理論やSternbergの三部理論を検討し、さらに知能の遺伝と環境をめぐる行動遺伝学的知見とFlynn効果を概観する。最後に、知能検査をめぐる文化的公平性やステレオタイプ脅威の問題に触れ、知能研究の現代的論点を把握する。


知能の定義と測定の歴史

知能の定義をめぐる困難

知能の定義は研究者によって大きく異なる。1921年にJournal of Educational Psychologyが14名の専門家に知能の定義を求めた際、得られた回答は「抽象的思考の能力」「学習能力」「環境への適応能力」など多岐にわたり、統一的見解は得られなかった。1986年にSternbergとDettermanが同様の調査を再度行った際にも、事情は大きくは変わらなかった。

Key Concept: 知能(intelligence) 抽象的思考、推論、問題解決、学習、環境適応などを包含する一般的な精神能力。操作的には知能検査の得点として測定されるが、その構成概念としての定義には研究者間で広範な合意が成立していない。

Binet-Simon知能検査の誕生

近代的な知能検査の起源は、フランスのAlfred Binet(アルフレッド・ビネー)とThéodore Simon(テオドール・シモン)による知能検査(1905年)に遡る。フランス政府の委託を受け、通常の学校教育では十分に対応できない児童を識別するという実践的目的のもとに開発された。

Binet-Simon検査は、年齢段階ごとに難易度の異なる課題(語彙、記憶、推論など)を配列し、児童が何歳相当の課題まで通過できるかを評価する。この到達レベルが精神年齢(mental age; MA)として表現された。

Key Concept: 精神年齢(mental age; MA) 知能検査において、被検者の成績がどの年齢集団の平均的成績に相当するかを示す指標。Binet-Simon検査で導入された。

Binetは知能を単一の数値に還元することに慎重であり、検査結果を教育的介入の出発点と位置づけていた。しかし、検査がアメリカに輸入された際(Lewis Termanによるスタンフォード・ビネー検査、1916年)、知能を固定的・遺伝的な特性とみなす解釈が広まり、Binetの本来の意図とは乖離した運用がなされることとなった。

知能指数(IQ)の導入

ドイツの心理学者William Stern(ウィリアム・シュテルン)は、精神年齢を暦年齢(chronological age; CA)で除した比率を用いることを提案した(1912年)。Termanがこれに100を乗じた値を知能指数(intelligence quotient; IQ)として採用した。

$$IQ = \frac{MA}{CA} \times 100$$

この比率IQ(ratio IQ)は、成人では精神年齢の概念が適用困難であるという根本的な問題を抱えていた。成人の認知能力は年齢とともに線形に増加するわけではないため、比率IQでは年齢間の比較が不正確になる。

Wechsler知能検査と偏差IQ

David Wechsler(デイヴィッド・ウェクスラー)は、比率IQに代わる方法として偏差IQ(deviation IQ)を導入した。偏差IQは、同年齢集団内での相対的位置を正規分布上の標準得点として表す。平均を100、標準偏差を15に設定し、個人の得点が同年齢集団内でどの位置にあるかを示す。

Key Concept: 偏差IQ(deviation IQ) 同年齢集団の得点分布を平均100、標準偏差15の正規分布に変換した標準得点。比率IQの問題を解決し、年齢を問わず同一の尺度で比較可能にした。Wechsler知能検査で採用。

Wechslerが開発したWechsler成人知能検査(Wechsler Adult Intelligence Scale; WAIS)は、現在第4版(WAIS-IV)が広く使用されている。WAISは言語理解(Verbal Comprehension)、知覚推理(Perceptual Reasoning)、ワーキングメモリ(Working Memory)、処理速度(Processing Speed)の4つの指標得点と、それらを統合した全検査IQ(Full Scale IQ; FSIQ)を算出する構造を持つ。

graph TD
    FSIQ["全検査IQ(FSIQ)"]
    FSIQ --> VCI["言語理解(VCI)"]
    FSIQ --> PRI["知覚推理(PRI)"]
    FSIQ --> WMI["ワーキングメモリ(WMI)"]
    FSIQ --> PSI["処理速度(PSI)"]
    VCI --> v1["類似"]
    VCI --> v2["単語"]
    VCI --> v3["知識"]
    PRI --> p1["積木模様"]
    PRI --> p2["行列推理"]
    PRI --> p3["パズル"]
    WMI --> w1["数唱"]
    WMI --> w2["算数"]
    PSI --> s1["記号探し"]
    PSI --> s2["符号"]

知能の構造に関する理論

知能の内部構造がどのように組織されているかは、因子分析(factor analysis)を主要な手法として探求されてきた。

Spearmanの二因子理論

Charles Spearman(チャールズ・スピアマン)は、異なる認知課題の成績間に正の相関があることを見出し、これらの相関の背後に単一の一般知能因子(general intelligence factor; g)が存在すると主張した(1904年)。Spearmanの二因子理論(two-factor theory)では、あらゆる知的課題の遂行はgと、各課題に固有の特殊因子(specific factor; s)の二種類の因子で説明される。

Key Concept: 一般知能因子g(general intelligence factor) Spearmanが提唱した、あらゆる認知課題の遂行に共通して関与する単一の潜在因子。多様な知的テスト間に見られる正の相関(正多様体 positive manifold)の背後にある共通因子として抽出される。

gの心理学的実体については今日まで議論が続いている。gは因子分析上の統計的構成概念であり、それが単一の神経基盤を持つのか、複数のプロセスの総合的指標なのかは確定していない。

Thurstoneの多因子理論

Louis Leon Thurstone(ルイス・レオン・サーストン)は、Spearmanのg因子説に反対し、知能は複数の独立した基本的精神能力(primary mental abilities; PMA)から構成されると主張した(1938年)。Thurstoneは因子分析の手法(特に直交回転)を用いて以下の7因子を同定した。

因子 内容
言語理解(Verbal Comprehension) 語彙・読解に関わる能力
語の流暢性(Word Fluency) 語を素早く想起・産出する能力
数(Number) 計算の速度と正確さ
空間(Space) 空間的な視覚化・心的回転
記憶(Memory) 記銘・再生の能力
知覚速度(Perceptual Speed) 視覚的パターンの迅速な識別
推理(Reasoning) 帰納的・演繹的推論

しかし、Thurstoneの7因子間にも正の相関が認められ、二次因子分析を行うとg因子に類似した高次因子が出現することが後に示された。このことは、gと群因子(group factors)の関係が排他的ではなく、階層的に捉えるべきことを示唆している。

Cattellの流動性知能と結晶性知能

Raymond B. Cattell(レイモンド・キャッテル)は、gを二つの大きな構成要素に分化させた(1963年)。

Key Concept: 流動性知能(fluid intelligence; Gf) 新奇な問題に対する推論・パターン認識能力。過去の学習や文化的知識に依存せず、抽象的思考力を反映する。加齢に伴い比較的早期から低下する傾向がある。

Key Concept: 結晶性知能(crystallized intelligence; Gc) 教育や経験を通じて蓄積された知識・技能に基づく知的能力。語彙力、一般的知識、言語理解などに反映される。加齢に伴う低下が緩やかで、高齢期まで維持・向上しうる。

John L. Horn(ジョン・ホーン)はCattellの理論を拡張し、Gf・Gcに加えて視覚処理(Gv)、聴覚処理(Ga)、処理速度(Gs)、短期記憶(Gsm)など、複数の広範能力(broad abilities)を含むHorn-Cattell理論(Gf-Gc理論)へと発展させた。Hornはgの必要性を否定し、広範能力のレベルで知能を記述すべきだと主張した。

Carrollの三層理論

John B. Carroll(ジョン・キャロル)は、過去の因子分析研究のデータセット460以上を再分析し、知能の構造を三層の階層モデルとして提示した(1993年)。

graph TD
    G["第III層: g(一般知能)"]
    G --> Gf["Gf: 流動性知能"]
    G --> Gc["Gc: 結晶性知能"]
    G --> Gy["Gy: 一般記憶・学習"]
    G --> Gv["Gv: 広範的視覚認知"]
    G --> Gu["Gu: 広範的聴覚認知"]
    G --> Gr["Gr: 広範的検索能力"]
    G --> Gs["Gs: 認知的処理速度"]
    Gf --> gf1["帰納的推理"]
    Gf --> gf2["量的推理"]
    Gc --> gc1["言語発達"]
    Gc --> gc2["語彙知識"]
    Gs --> gs1["知覚速度"]
    Gs --> gs2["反応時間"]
  • 第III層(Stratum III): 一般知能因子g
  • 第II層(Stratum II): 8つの広範能力(Gf, Gc, Gv, Gu, Gr, Gs, Glr, Gsmなど)
  • 第I層(Stratum I): 70以上の限定的能力(narrow abilities)

CHC理論の統合

Horn-Cattell理論とCarrollの三層理論は、Kevin S. McGrew(ケヴィン・マグリュー)らによってCattell-Horn-Carroll(CHC)理論として統合された(1997年以降)。CHC理論は現在、知能研究における最も広く受容されている構造モデルであり、Woodcock-Johnson検査やWAIS-IVなど主要な知能検査の理論的基盤となっている。

Key Concept: CHC理論(Cattell-Horn-Carroll theory) Cattell-Horn のGf-Gc理論とCarrollの三層理論を統合した知能の階層モデル。一般因子gの下に約10の広範能力、さらにその下に70以上の限定的能力を配置する。現代の知能検査の理論的基盤として最も広く採用されている枠組みである。

CHC理論はHorn-Cattell理論とCarrollの三層理論との間の相違点も内包している。特に、gの位置づけについてはHorn(gを不要と見なす立場)とCarroll(gを階層の頂点に置く立場)の見解の不一致が完全には解消されていない。実用的にはgを含む階層モデルとして運用されることが多い。


多重知能理論と実践知

Gardnerの多重知能理論

Howard Gardner(ハワード・ガードナー)は、因子分析的アプローチに基づく知能モデルを批判し、多重知能理論(theory of multiple intelligences)を提唱した(1983年)。Gardnerは、脳損傷患者の研究、天才児(savant)の事例、進化的考察など複数の基準を設定し、それらを満たすものとして以下の8つの知能を同定した。

知能の種類 内容
言語的知能(Linguistic) 言語の使用・理解に関わる能力
論理・数学的知能(Logical-Mathematical) 論理的推論・数学的操作の能力
空間的知能(Spatial) 空間的関係の認識・操作の能力
音楽的知能(Musical) 音楽の知覚・演奏・作曲に関わる能力
身体・運動的知能(Bodily-Kinesthetic) 身体の巧みな使用に関わる能力
対人的知能(Interpersonal) 他者の意図・感情の理解に関わる能力
内省的知能(Intrapersonal) 自己の内面の理解・調整に関わる能力
博物的知能(Naturalistic) 自然物の分類・識別に関わる能力

Gardnerの理論は教育実践に大きな影響を与え、多くの学校で「多重知能に基づく教育」が導入された。しかし、科学的観点からは以下の重要な批判がある。

因子分析的支持の欠如: 因子分析を行うと、Gardnerの8つの知能は独立した因子として出現しない。むしろ、これらの「知能」の多くは正の相関を示し、g因子の存在と整合的である。Gardnerの同定基準は因子分析とは異なる論理に基づいているが、標準的な心理測定学的方法による経験的支持は弱い。

知能と才能の区別の曖昧さ: 音楽的知能や身体・運動的知能を「知能」と呼ぶことの妥当性について、これらは「才能」(talent)や「適性」(aptitude)として区別すべきだとする見解がある。

経験的検証の不足: 多重知能に基づく教育プログラムの効果を厳密に検証した研究は限られており、教育実践への広範な影響に比して経験的根拠は不十分である。

Sternbergの三部理論

Robert Sternberg(ロバート・スターンバーグ)は、成功的知能の三部理論(triarchic theory of successful intelligence)を提唱した(1985年)。この理論は知能を3つの下位理論から構成されるものとして捉える。

graph LR
    SI["成功的知能"]
    SI --> AN["分析的知能(Analytical)"]
    SI --> CR["創造的知能(Creative)"]
    SI --> PR["実践的知能(Practical)"]
    AN --- an1["要素的下位理論: メタ認知、遂行成分、知識獲得成分"]
    CR --- cr1["経験的下位理論: 新奇な状況への対処、情報処理の自動化"]
    PR --- pr1["文脈的下位理論: 環境への適応、環境の選択、環境の形成"]
  • 分析的知能(analytical intelligence): 情報の分析、比較、評価に関わる。従来のIQ検査で測定される能力に最も近い。
  • 創造的知能(creative intelligence): 新奇な問題への対処、既存知識の新しい状況への適用に関わる。
  • 実践的知能(practical intelligence): 日常生活における暗黙知(tacit knowledge)の獲得と活用、環境への適応に関わる。

Sternbergの理論は知能の概念を拡張した点で意義があるが、実践的知能の測定法(状況判断テスト等)の構成概念妥当性や、分析的・創造的・実践的知能がgと独立した構成概念であるかについては実証的な議論が続いている。


知能の遺伝と環境

行動遺伝学の方法

知能における遺伝と環境の寄与は、行動遺伝学(behavioral genetics)の方法によって検討されてきた。主な研究デザインは以下の通りである。

双生児研究(twin study): 一卵性双生児(MZ)と二卵性双生児(DZ)のIQの相関を比較する。MZは遺伝子を100%共有し、DZは平均50%を共有する。MZの相関がDZより有意に高ければ、遺伝的影響が示唆される。

養子研究(adoption study): 養子のIQと生物学的親のIQ、養育親のIQそれぞれとの相関を比較する。成長とともに養子のIQが生物学的親のIQとの相関を増し、養育親のIQとの相関が減少するパターンが繰り返し報告されている。

遺伝率の推定と解釈

メタ分析の結果、知能の遺伝率(heritability)は概ね0.50〜0.80と推定されている。ただし、遺伝率には以下の重要な解釈上の注意点がある。

Key Concept: 遺伝率(heritability) ある集団内における形質の表現型分散のうち、遺伝的分散が占める割合。個人の形質がどの程度遺伝で「決まる」かを示すものではなく、特定の集団・環境における分散の帰属を示す集団統計量である。

  • 遺伝率は集団特性であり、個人に適用できない。「IQの遺伝率が0.60」とは、ある集団のIQ分散の60%が遺伝的差異に帰属しうることを意味し、「個人のIQの60%が遺伝で決まる」という意味ではない。
  • 遺伝率は環境の均質性に依存する。環境が均質な集団では遺伝率が高く推定され、環境の差異が大きい集団では低く推定される。
  • 遺伝率が高いことは、環境介入が無効であることを意味しない。

知能の遺伝率は年齢とともに上昇する傾向がある。幼児期には約0.40であるのに対し、成人期には0.60〜0.80に達する。この一見逆説的な現象は、遺伝子型と環境の相関(gene-environment correlation; rGE)、特に能動的rGE(個人が自身の遺伝的素因に合致した環境を選択する傾向)によって説明される。

反応幅の概念

Key Concept: 反応幅(reaction range) 遺伝子型が許容する表現型の変動範囲。同一の遺伝子型であっても、環境条件の違いによって異なる表現型(IQなど)が実現しうることを示す概念。遺伝的制約の中で環境が果たす役割を強調する。

反応幅の概念は、遺伝と環境を二項対立的に捉えるのではなく、遺伝子型が設定する可能性の範囲の中で環境が表現型を実現するという相互作用的な理解を促す。ただし、反応幅の実際の幅を経験的に特定することは困難であり、概念的ツールとしての側面が強い。

Flynn効果

Key Concept: Flynn効果(Flynn effect) 世代を追うごとにIQ検査の平均得点が上昇する現象。James Flynnが複数の国のデータを体系的に報告した(1984, 1987)。上昇幅は10年あたり約3点(流動性知能の検査でより顕著)とされる。

Flynn効果は以下の点で知能研究に重要な示唆を持つ。

  • 上昇の速度が速すぎるため、遺伝的変化では説明できない(遺伝子頻度の変化は数世代では生じない)。
  • 環境要因(栄養改善、教育の普及、認知的に刺激の多い環境、疾病の減少など)が知能の世代間変動に大きく寄与していることを示す。

Flynn効果の考えられる要因としては、以下が挙げられている。

要因 説明
栄養改善 栄養状態の向上が脳の発達を促進
教育の普及・質の向上 より多くの人がより長い教育を受けるようになった
認知環境の変化 テクノロジー、メディア、都市化による抽象的思考の訓練機会の増加
家族規模の縮小 少子化による一人あたりの資源(教育投資など)の増加
疾病・環境毒素の減少 感染症や鉛曝露の減少
検査への馴れ テスト形式への慣熟(ただし主要因とは考えにくい)

いずれの要因が主要因であるかは確定しておらず、複数の要因が複合的に作用している可能性が高い。また、一部の先進国(ノルウェー、デンマークなど)では近年Flynn効果の停滞ないし逆転が報告されており、その解釈も議論の対象となっている。

graph TD
    FE["Flynn効果(世代間IQ上昇)"]
    FE --> ENV["環境要因"]
    ENV --> NUT["栄養改善"]
    ENV --> EDU["教育の普及"]
    ENV --> COG["認知環境の変化"]
    ENV --> FAM["家族規模の縮小"]
    ENV --> DIS["疾病・環境毒素の減少"]
    FE --> LIM["近年の停滞・逆転の報告"]
    LIM --> LIM1["北欧諸国でのデータ"]
    LIM --> LIM2["要因の解釈は未確定"]

知能検査をめぐる論争

知能検査の予測的妥当性

知能検査の得点(特にg因子負荷の高い検査)は、学業成績(r ≈ 0.50)、職業的成功(r ≈ 0.20〜0.50、職種による)、健康関連指標、寿命などとの有意な相関が報告されている。この予測的妥当性は知能検査の実用的価値を支持する一方で、知能検査の得点のみで個人の能力や将来を判断することの危険性も指摘されている。動機づけ、自己制御、創造性、社会的スキルなど、IQでは捕捉されない要因が成功に大きく寄与することは多くの研究で示されている。

文化的公平性の問題

知能検査の項目が特定の文化的背景を前提としている場合、その文化に属さない集団に対して不公平に機能する可能性がある。この問題に対処するため、言語依存度の低い検査(Ravenの漸進的行列検査など)の開発が進められてきたが、完全に「文化フリー」(culture-free)な検査の作成は原理的に困難であるとされ、現在では「文化公平」(culture-fair)な検査を目指す方向にシフトしている。

ステレオタイプ脅威

Claude Steele(クロード・スティール)とJoshua Aronson(ジョシュア・アロンソン)は、自集団に対する否定的ステレオタイプを意識することが検査成績を低下させるというステレオタイプ脅威(stereotype threat)現象を報告した(1995年)。実験では、検査を「知的能力の診断」として呈示した条件でアフリカ系アメリカ人の成績が低下し、「問題解決の研究」として呈示した条件ではこの低下が見られなかった。

Key Concept: ステレオタイプ脅威(stereotype threat) 自集団に対する否定的ステレオタイプが当てはまる状況に置かれた際に、そのステレオタイプを確認してしまうことへの不安が課題遂行を妨害する現象。Steele & Aronson(1995)によって初めて実験的に実証された。

ステレオタイプ脅威は知能検査における集団間差の一部を説明する要因として大きな注目を集めた。しかし、近年の大規模再現研究やメタ分析は、当初報告された効果量よりも小さい効果を示しており、出版バイアスを統制すると効果がさらに減少する可能性が指摘されている。Flore & Wicherts(2015)のメタ分析では、出版バイアスの影響を考慮した場合、効果量が大幅に縮小することが報告された。また、Finnigan & Corker(2016)やShewach et al.(2019)の分析でも、実際の高ステークスな検査場面でのステレオタイプ脅威の効果は当初の想定より限定的であることが示唆されている。ステレオタイプ脅威が実験室内では存在しうる現象であるとしても、その実際の社会的影響の大きさについては慎重な評価が必要である。


まとめ

  • 知能は心理学において最も研究されてきた個人差変数の一つであるが、その定義については合意が完全には成立していない。
  • 知能の測定は、Binet-Simon検査(精神年齢)→比率IQ→偏差IQ(Wechsler)と発展してきた。WAISは現在最も広く使用される個別式知能検査である。
  • 知能の構造については、Spearmanのg因子からThurstoneの多因子論、Cattellの流動性・結晶性知能の区別を経て、CHC理論として階層的モデルに統合されている。
  • Gardnerの多重知能理論は教育実践に大きな影響を与えたが、因子分析的な支持は弱い。Sternbergの三部理論は知能概念の拡張を試みたが、経験的検証は道半ばである。
  • 行動遺伝学の研究は知能における遺伝と環境の両方の寄与を示しており、Flynn効果は環境要因の重要性を明瞭に示している。
  • 知能検査は一定の予測的妥当性を持つが、文化的公平性やステレオタイプ脅威の問題が存在し、結果の解釈には慎重さが求められる。
  • 次のSection 5「個人差研究の現代的トピック」では、知能を含む個人差変数が人格特性や健康とどのように関連するかを検討する。

用語集(Glossary)

用語 英語表記 定義
知能 intelligence 抽象的思考、推論、問題解決、学習、適応などを包含する一般的精神能力
精神年齢 mental age (MA) 被検者の成績が何歳相当かを示す指標
知能指数 intelligence quotient (IQ) 知能検査の得点を標準化した指標。偏差IQでは平均100、SD15
偏差IQ deviation IQ 同年齢集団内での相対的位置を正規分布上で表した標準得点
一般知能因子g general intelligence factor (g) あらゆる認知課題に共通して関与する潜在因子
流動性知能 fluid intelligence (Gf) 新奇な問題への推論・パターン認識能力
結晶性知能 crystallized intelligence (Gc) 教育・経験で蓄積された知識・技能に基づく知的能力
CHC理論 Cattell-Horn-Carroll theory Gf-Gc理論と三層理論を統合した知能の階層モデル
多重知能理論 theory of multiple intelligences Gardnerが提唱した8つの独立した知能の理論
遺伝率 heritability 集団の表現型分散に占める遺伝的分散の割合
反応幅 reaction range 遺伝子型が許容する表現型の変動範囲
Flynn効果 Flynn effect 世代を追うごとにIQ検査の平均得点が上昇する現象
ステレオタイプ脅威 stereotype threat 否定的ステレオタイプへの不安が課題遂行を妨害する現象

確認問題

Q1: Spearmanの一般知能因子gとThurstoneの基本的精神能力(PMA)はどのような点で対立し、最終的にどのように統合されたか説明せよ。

A1: Spearmanは全ての認知課題に共通する単一の因子gを想定したのに対し、Thurstoneは7つの独立した因子を主張し、gの存在を否定した。しかし、Thurstoneの7因子間にも正の相関が認められ、二次因子分析でg様の高次因子が出現した。これらの知見は、gを頂点に広範能力群を中間層、限定的能力を下層に配置する階層モデル(Carrollの三層理論、CHC理論)へと統合された。gと群因子は排他的ではなく、階層的に共存する。

Q2: 流動性知能(Gf)と結晶性知能(Gc)の区別を説明し、加齢に伴うそれぞれの変化パターンの違いについて述べよ。

A2: 流動性知能は新奇な問題に対する推論・パターン認識能力であり、過去の学習に依存しない。結晶性知能は教育・経験を通じて蓄積された知識・技能に基づく能力である。加齢に伴い、Gfは比較的早期(20代後半〜30代頃)から緩やかに低下する傾向があるのに対し、Gcは高齢期まで維持ないし向上しうる。この二重の発達軌跡は、知能の変化が一様でないことを示している。

Q3: 知能の遺伝率が0.60であるという知見は、「個人のIQの60%は遺伝で決まる」という意味か。なぜそうではないのかを説明せよ。

A3: 遺伝率は集団統計量であり、ある集団におけるIQの分散のうち遺伝的差異に帰属しうる割合を示す。個人のIQのうち何%が遺伝に「由来する」かを示すものではない。遺伝率は環境の均質性に依存し、環境が均質な集団では遺伝率が高く推定される。また、遺伝率が高くても環境介入が無効であることを意味しない。遺伝率は特定の集団・環境条件における相対的寄与の推定値に過ぎない。

Q4: Flynn効果が遺伝的要因では説明できないのはなぜか。また、考えられる環境的要因を3つ挙げて説明せよ。

A4: Flynn効果によるIQ上昇は10年あたり約3点のペースで生じているが、集団の遺伝子頻度がこのような短期間で大きく変化することは生物学的にありえない。考えられる環境要因としては、(1)栄養改善による脳の発達促進、(2)教育の普及と質の向上による認知的訓練機会の増加、(3)テクノロジー・メディア・都市化に伴う抽象的思考の日常的訓練機会の増加が挙げられる。これらが複合的に作用していると考えられている。

Q5: Gardnerの多重知能理論が教育実践に広く受容されながらも、科学的には批判を受けている理由を、因子分析の観点から説明せよ。

A5: Gardnerの8つの知能は因子分析を行うと独立した因子として出現しない。むしろ、これらの知能間には正の相関が認められ、g因子の存在と整合的なパターンを示す。Gardnerの同定基準は脳損傷の事例やサヴァン症候群など因子分析以外の論理に基づいているが、心理測定学的方法による経験的支持が弱いことが科学的批判の中核である。また、多重知能に基づく教育プログラムの効果を厳密に検証した研究が限られている点も問題視されている。