Module 3-1 - Section 3: 言語の神経基盤¶
セクション情報¶
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| モジュール | Module 3-1: 認知神経科学 |
| 前提セクション | なし |
| 想定学習時間 | 4時間 |
導入¶
言語は人間に固有の高度な認知能力であり、その神経基盤の解明は認知神経科学の中核的課題の一つである。Module 1-1 Section 5(言語と認知)では認知心理学の観点から語彙アクセス、文処理、言語産出のモデルを学んだ。本セクションではこれらの認知過程がいかなる脳領域・神経回路によって実現されるかを扱う。
言語の神経科学は、19世紀のブローカ(Paul Broca)とウェルニッケ(Carl Wernicke)による古典的な損傷研究に端を発する。彼らの業績はModule 2-1 Section 2で概観した通りであり、ブローカ野が言語産出に、ウェルニッケ野が言語理解に関与するという機能局在の考え方は100年以上にわたり臨床の指針とされてきた。しかし、fMRIやPET、拡散テンソル画像法(DTI)、皮質電気刺激法といった現代の研究手法の発展は、この古典的モデルが言語の神経基盤の複雑さを大幅に単純化していたことを明らかにした。
本セクションでは、まず古典的モデルを批判的に再検討し、次に現代的な二重経路モデル(背側経路・腹側経路)の枠組みを提示し、最後に文処理の神経基盤を概観する。
古典的モデルの成立と限界¶
ブローカ野とウェルニッケ野の発見¶
ポール・ブローカ(1861)は、発話がほぼ不可能であるにもかかわらず言語理解が保たれていた患者「タン」の死後剖検から、左半球の下前頭回後部(現在のブロードマン領野44/45)の損傷を特定し、この領域が言語産出に関与すると主張した。カール・ウェルニッケ(1874)は、流暢に発話するが内容が無意味で言語理解が著しく障害される患者を報告し、左上側頭回後部(BA22)の損傷を同定した。
Key Concept: ウェルニッケ=ゲシュヴィント・モデル(Wernicke-Geschwind model) ノーマン・ゲシュヴィント(Norman Geschwind, 1965)が古典的知見を統合して提唱した言語の神経回路モデル。ウェルニッケ野(言語理解)→弓状束(arcuate fasciculus)→ブローカ野(言語産出)という直列的な情報の流れを仮定し、各構成要素の損傷が異なる失語症タイプを生じるとした。
ウェルニッケ=ゲシュヴィント・モデルは、言語の神経基盤を理解するための明快な枠組みとして20世紀後半の神経心理学・臨床神経学に大きな影響を与えた。このモデルでは、聴覚的な言語入力はまず一次聴覚野で処理された後ウェルニッケ野で理解され、発話が必要な場合は弓状束を介してブローカ野に情報が転送され、運動計画が生成されるとした。弓状束の損傷は復唱の障害を特徴とする伝導失語(conduction aphasia)を引き起こすと予測された。
graph LR
A["一次聴覚野"] --> B["ウェルニッケ野<br/>(言語理解)"]
B -->|"弓状束"| C["ブローカ野<br/>(言語産出)"]
C --> D["一次運動野<br/>(調音)"]
B -.->|"損傷"| E["ウェルニッケ失語<br/>(流暢だが理解障害)"]
C -.->|"損傷"| F["ブローカ失語<br/>(非流暢だが理解保持)"]
古典的モデルの問題点¶
20世紀後半から21世紀にかけて蓄積された知見は、古典的モデルの複数の前提に重大な修正を迫った。
第一に、ブローカ野は「産出」のみ、ウェルニッケ野は「理解」のみという機能的二分法が成り立たない。 fMRI研究は、ブローカ野(左下前頭回)が言語産出のみならず、統語的に複雑な文の理解、意味的曖昧性の解消、音韻的ワーキングメモリなど多様な言語課題で活動することを示している。逆に、ウェルニッケ野として同定されてきた領域の損傷が必ずしも理解障害を引き起こすとは限らず、損傷部位と失語症タイプの対応は古典的モデルが想定するほど単純ではない。
第二に、損傷は表面的な皮質病変にとどまらないことが多い。 ニーナ・ドロンカーズ(Nina Dronkers)らは、ブローカの原患者2名の保存脳をMRIで再検査し、損傷がブローカ野の表面にとどまらず、島皮質や皮質下白質を含む広範な領域に及んでいたことを報告した(Dronkers et al., 2007)。この知見は、古典的な失語症症状が単一の皮質領域の損傷によるものではなく、皮質下の接続線維を含むネットワーク全体の破壊によるものであることを示唆する。
第三に、言語処理には古典的モデルが想定しなかった多数の領域が関与する。 左前側頭葉(anterior temporal lobe; ATL)、左下前頭回の広い範囲(BA44/45にとどまらずBA47を含む)、角回(angular gyrus; AG)、縁上回(supramarginal gyrus; SMG)、補足運動野(supplementary motor area; SMA)、小脳など、古典的モデルの二領域には収まらない広範な脳領域が言語処理に参画することが明らかになっている。
Key Concept: 失語症(aphasia) 脳損傷(脳卒中、外傷、神経変性疾患など)に起因する後天的な言語障害の総称。発話・理解・復唱・読字・書字のいずれか、あるいは複数が障害される。損傷部位と症状の対応パターンにより複数のタイプに分類されるが、古典的な分類よりも実際の臨床像は多様である。
第四に、言語機能は右半球にも部分的に分散している。 古典的モデルは言語を左半球の専有とみなしたが、音声知覚の初期段階(スペクトル・時間的分析)には両側の上側頭回が関与し、韻律(プロソディ)、比喩、ユーモアの理解には右半球が寄与する(→ Module 2-1, Section 2「脳の構造と機能」参照)。
graph TD
subgraph "古典的モデルの想定"
A1["ブローカ野 = 産出"]
A2["ウェルニッケ野 = 理解"]
A3["弓状束 = 唯一の接続"]
end
subgraph "現代的知見による修正"
B1["ブローカ野 = 産出 + 統語処理 + WM"]
B2["ウェルニッケ野の範囲・機能は不明確"]
B3["複数の接続経路(背側・腹側)"]
B4["ATL、AG、SMG、SMAなども関与"]
B5["右半球も部分的に寄与"]
end
A1 -->|"修正"| B1
A2 -->|"修正"| B2
A3 -->|"修正"| B3
二重経路モデル¶
Hickok-Poeppelモデル¶
古典的モデルに代わる現代的枠組みとして、グレゴリー・ヒコック(Gregory Hickok)とデイヴィッド・ポエペル(David Poeppel)が提唱した二重経路モデル(dual stream model)がある(Hickok & Poeppel, 2004, 2007)。このモデルは、視覚系における背側経路(「どこ/いかに」経路)と腹側経路(「なに」経路)の二分法(→ Module 2-1, Section 2参照)に類似した構造を言語処理にも想定する。
Key Concept: 二重経路モデル(dual stream model) 音声言語処理が2つの並行する神経経路---背側経路(dorsal stream)と腹側経路(ventral stream)---によって支えられるとするモデル。背側経路は音声と調音運動の対応づけ(聴覚-運動統合)を担い、腹側経路は音声から意味への変換(音声-意味対応)を担う。
二重経路モデルの処理過程は以下のように記述される。
1. 両側での初期音声処理: 音声入力はまず両側の上側頭回(superior temporal gyrus; STG)背側部でスペクトル・時間的分析を受ける。続いて、両側の上側頭溝(superior temporal sulcus; STS)で音韻的表象(phonological representation)への変換が行われる。この初期段階が両半球で並行して進む点が、古典的モデルとの重要な相違点である。
2. 腹側経路(ventral stream): 両側のSTSから側頭葉を腹側方向に展開する経路であり、音韻的表象を広く分散した概念的表象(意味記憶)に対応づける「音声-意味インターフェース」として機能する。解剖学的には、中側頭回(middle temporal gyrus; MTG)、下側頭回(inferior temporal gyrus; ITG)、左前側頭葉(ATL)を経由し、白質路としては鉤状束(uncinate fasciculus)と下前頭後頭束(inferior fronto-occipital fasciculus; IFOF)、および極限被膜(extreme capsule)の線維が関与する。腹側経路は両側性に機能するが、文レベルの意味統合においては左半球優位の傾向を示す。
3. 背側経路(dorsal stream): 左半球に強く側性化した経路であり、STSの音韻的表象をシルビウス裂後部の頭頂-側頭接合部(Sylvian parietal-temporal area; Spt領域)を経由して前頭葉の運動関連領域(ブローカ野を含む左下前頭回、腹側運動前野)に投射する「聴覚-運動インターフェース」として機能する。白質路としては弓状束(arcuate fasciculus)と上縦束(superior longitudinal fasciculus; SLF)が主要な構成要素である。この経路は、音声の復唱、新しい語の学習(音韻形式の短期保持と調音プログラムへの変換)、音韻的ワーキングメモリにおいて不可欠である。
graph LR
A["音声入力"] --> B["両側STG<br/>(スペクトル・時間分析)"]
B --> C["両側STS<br/>(音韻表象)"]
C --> D["腹側経路(両側性)"]
C --> E["背側経路(左半球優位)"]
D --> F["MTG → ATL<br/>(音声-意味対応)"]
F --> G["広範な概念的表象"]
E --> H["Spt領域<br/>(聴覚-運動統合)"]
H --> I["左IFG / 運動前野<br/>(調音プログラム)"]
二重経路モデルの臨床的妥当性¶
二重経路モデルは、古典的モデルでは十分に説明できなかった臨床像を整合的に説明する。
ウェルニッケ失語: 左後部STG/STSの損傷は背側経路と腹側経路の両方の入力段階を障害し、復唱と理解の双方に影響を与える。ただし、腹側経路が両側性であるため、片側損傷では理解が完全には失われないことが多い。重度のウェルニッケ失語では皮質下白質の損傷が広範であり、対側半球による代償も妨げられている場合が多い。
伝導失語: Spt領域を含む左シルビウス裂後部の損傷、または弓状束の損傷は、背側経路を選択的に障害する。音声理解は腹側経路により保持されるが、音韻表象から調音プログラムへの変換が障害されるため、復唱が困難になる。音韻性錯語(phonemic paraphasia)が特徴的に出現する。
語義失語(transcortical sensory aphasia): 左ATLや左MTGの損傷は腹側経路の音声-意味対応を障害するが、背側経路が保持されるため復唱は可能である。語の意味理解は障害されるが、聞いた語をオウム返しに復唱できるという特徴的な解離が生じる。
Key Concept: Spt領域(Sylvian parietal-temporal area) シルビウス裂後部に位置し、聴覚的音韻表象と運動的調音表象を対応づける聴覚-運動統合の要所。Hickokらにより同定された領域であり、弓状束の後端に近接する。背側経路の中核的な中継点である。
Friedericiによる拡張¶
アンゲラ・フリーデリチ(Angela Friederici)は、Hickok-Poeppelモデルを拡張し、背側経路をさらに2つの下位経路に区分した(Friederici, 2012)。
- 背側経路I: 側頭葉上部から運動前野へ投射し、音声の運動的模倣・復唱に関与する(SLFを経由)。
- 背側経路II: 側頭葉後部からBA44へ投射し、階層的統語構造の処理に関与する(弓状束を経由)。この経路は人間で特に発達しており、非ヒト霊長類では未発達であることから、ヒトの統語能力の進化的基盤と関連づけられている。
同様に、腹側経路も以下のように区分される。
- 腹側経路I: STGからBA45へ投射し、音韻-意味の対応づけに関与する(極限被膜線維系を経由)。
- 腹側経路II: STGから側頭極・前頭葉眼窩部へ投射し、基本的な意味処理に関与する(鉤状束を経由)。
graph TD
subgraph "Friedericiの拡張二重経路モデル"
STG["上側頭回(STG)"]
STG --> DS1["背側経路I<br/>STG → 運動前野<br/>(SLF経由)"]
STG --> DS2["背側経路II<br/>後部側頭葉 → BA44<br/>(弓状束経由)"]
STG --> VS1["腹側経路I<br/>STG → BA45<br/>(極限被膜経由)"]
STG --> VS2["腹側経路II<br/>STG → 側頭極 → 眼窩前頭<br/>(鉤状束経由)"]
DS1 --> F1["音声の運動的模倣"]
DS2 --> F2["階層的統語構造処理"]
VS1 --> F3["音韻-意味対応"]
VS2 --> F4["基本的意味処理"]
end
文処理の神経基盤¶
Module 1-1 Section 5では、文の統語解析(ガーデンパス現象、最小付加の原則)や文理解における推論生成を認知モデルの観点から学んだ。ここでは、これらの過程を実現する脳領域とネットワークを概観する。
統語処理に関与する脳領域¶
左下前頭回(left IFG / ブローカ野): 左下前頭回は統語処理において中心的な役割を果たすことが多数のfMRI研究で確認されている。特にBA44は、統語的に複雑な文(例えば目的語関係節文 "The reporter that the senator attacked..." のような埋め込み構造)の処理で活動が増大する。ただし、BA44の活動は統語処理に特異的ではなく、構造的な階層性を持つ系列の処理(音楽の和声構造の処理など)でも観察される。エヴリーナ・フェドレンコ(Evelina Fedorenko)らの個人レベルfMRI研究は、左IFG内に言語選択的な下位領域と、言語以外の認知課題にも反応する非言語的な下位領域が空間的に隣接して存在することを示している。
左後部上側頭回・上側頭溝(left posterior STG/STS): 統語的逸脱の検出(文法的に不正な文に対するERPのELAN成分やP600成分の生成源として推定される領域)に関与する。この領域は語の文法カテゴリ(名詞・動詞・形容詞など)の初期的な同定にも関与するとされる。
左前側頭葉(left ATL): 左ATLの機能については議論が続いているが、複数の語を組み合わせて句や文の構造を構築する「組み合わせ的処理」(combinatorial processing)への関与が示唆されている。ただし、ATLの活動が統語的構造の構築そのものを反映するのか、統語構造に基づく意味的統合を反映するのかについては見解が分かれている。
Key Concept: 事象関連電位(event-related potential; ERP) 特定の認知的事象に時間的にロックされた脳の電気的反応。頭皮上の電極で記録される。言語処理研究では、統語的逸脱に対するELAN(early left anterior negativity; 約100-300ms)やP600(約500-900msの陽性波)、意味的逸脱に対するN400(約300-500msの陰性波)が重要な成分として知られる。
意味処理に関与する脳領域¶
左中側頭回・下側頭回(left MTG/ITG): 語彙-意味処理の中核領域である。Module 1-1 Section 5で扱ったプライミング効果の神経基盤として、意味的に関連する語対の処理でこの領域の活動が調節されることが報告されている。
左前側頭葉(left ATL): 語義の貯蔵、特に概念的意味の統合のハブ(hub)としての機能が提唱されている。マシュー・ランバート(Matthew Lambon Ralph)らのハブ・アンド・スポーク・モデル(hub-and-spoke model)では、ATLが感覚モダリティを超えた概念表象の収束点として機能し、各モダリティ固有の情報(視覚的外見、触覚的特性、聴覚的特徴など)がスポークとしてATLに接続するとされる。意味性認知症(semantic dementia)において左ATLの萎縮が語義の選択的喪失を引き起こすことが、この仮説の臨床的根拠となっている。
左角回(left angular gyrus; AG): 意味統合、特に文脈に基づく予測的処理への関与が示されている。Module 1-1 Section 5で扱った状況モデルの構築においても、左AGが重要な役割を果たす可能性がある。
Key Concept: N400(N400成分) 意味的に予測に反する語(例:「彼はコーヒーにクリームと砂糖と靴下を入れた」の「靴下」)の処理で増大する、刺激提示後約300-500msに頂点を持つ陰性のERP成分。マルタ・クタス(Marta Kutas)とスティーヴン・ヒリヤード(Steven Hillyard, 1980)により発見された。意味的統合の困難さ、あるいは語彙-意味アクセスのコストを反映するとされる。
文処理のネットワーク的理解¶
現代の神経言語学では、文処理を特定の脳領域の機能に還元するのではなく、領域間のネットワーク的な相互作用として理解する方向に進んでいる。
フリーデリチ(Friederici, 2002, 2012)の文理解の時間的モデルは、ERP研究の知見を統合して、文処理を以下の3段階として記述する。
第1段階(Phase 1; 約100-300ms): 入力語の文法カテゴリが自動的に同定され、初期の局所的統語構造が構築される。この段階は左前方領域(ブローカ野の一部とATL)が関与し、統語的逸脱はELAN成分として反映される。
第2段階(Phase 2; 約300-500ms): 語彙-意味情報と主題役割(誰が何をしたか)の情報が統合される。左MTG/ITGの意味処理領域が中心的に関与し、意味的逸脱はN400成分として反映される。
第3段階(Phase 3; 約500-900ms): 統語情報と意味情報が統合的に評価され、必要に応じて再分析が行われる。Module 1-1 Section 5で学んだガーデンパス文の再分析はこの段階に対応する。左IFG(BA44/45)と後部側頭葉の相互作用が重要であり、P600成分として反映される。
| 段階 | 時間窓 | 主要な処理 | 関与領域 | ERP成分 |
|---|---|---|---|---|
| Phase 1 | 100-300ms | 文法カテゴリ同定・初期統語構造構築 | 左IFG(BA44), 左ATL | ELAN |
| Phase 2 | 300-500ms | 語彙-意味統合・主題役割割り当て | 左MTG/ITG | N400 |
| Phase 3 | 500-900ms | 統語-意味統合・再分析 | 左IFG, 左後部STG | P600 |
言語産出の神経基盤¶
Module 1-1 Section 5で学んだLeveltの言語産出モデルの各段階は、以下のように脳領域に対応づけられている。
概念化段階: 伝達意図の生成には、前頭前野(PFC)の広い範囲と、デフォルトモードネットワーク(default mode network)の構成要素(内側前頭前野、後帯状皮質)が関与するとされる。
語彙選択(レンマ選択): 左MTG/ITGが語彙-意味表象の活性化に関与し、左IFG(特にBA45/47)が競合する語彙候補の中から適切な語を選択する過程(語彙選択における競合解消)に関与する。Module 1-1 Section 5で学んだTOT現象(先端現象)は、レンマの活性化には成功しているが語形の検索に失敗した状態であり、左MTGの活動は保持されつつ左島皮質や左IFGの後部領域の活動が不十分である状態として神経画像研究で記述されている。
音韻的符号化: 左IFG後部(BA44)と左上側頭回の後部、および左縁上回(SMG)が音韻表象の組み立てに関与する。
調音: 左運動前野の腹側部、一次運動野の口腔・喉頭領域、補足運動野(SMA)、島皮質が調音プログラムの実行に関与する。小脳は発話のタイミング制御と運動協調に寄与する(→ Module 2-1, Section 2「脳の構造と機能」参照)。
graph TD
A["伝達意図<br/>(PFC, DMN)"] --> B["語彙選択<br/>(左MTG/ITG → 左IFG)"]
B --> C["音韻的符号化<br/>(左IFG後部, 左SMG)"]
C --> D["調音プログラム<br/>(運動前野, SMA, 島皮質)"]
D --> E["運動実行<br/>(一次運動野, 小脳)"]
E --> F["音声出力"]
F -->|"自己モニタリング<br/>(STG/STS)"| B
まとめ¶
- ブローカ野とウェルニッケ野に基づく古典的モデル(ウェルニッケ=ゲシュヴィント・モデル)は、言語機能の神経基盤を理解する出発点として歴史的意義を持つが、現代の神経画像研究・損傷研究により、その前提の多くに修正が必要であることが明らかになった。特に、産出と理解の二分法の不適切さ、関与する脳領域の広範さ、右半球の関与が重要な修正点である。
- Hickok-Poeppelの二重経路モデルは、背側経路(聴覚-運動統合、復唱・音韻的WM)と腹側経路(音声-意味対応、言語理解)の2つの並行経路を仮定し、古典的モデルよりも臨床像を整合的に説明する。Friedericiはさらに各経路を下位区分し、特に背側経路IIの弓状束を介したBA44への投射がヒト固有の階層的統語処理を支えるとした。
- 文処理の神経基盤は、左IFG(統語的複雑さの処理)、左後部STG/STS(文法カテゴリ同定)、左ATL(組み合わせ的処理)、左MTG/ITG(語彙-意味処理)が協調するネットワークとして理解される。ERPの時間的指標(ELAN、N400、P600)は、文処理が段階的かつ並列的に進行する複雑な過程であることを示す。
- 言語産出の各段階(概念化→語彙選択→音韻的符号化→調音)は、前頭前野から運動野に至る広範な領域のネットワークにより実現され、自己モニタリング経路を通じて側頭葉の理解システムとも連動する。
用語集(Glossary)¶
| 用語 | 英語表記 | 定義 |
|---|---|---|
| ウェルニッケ=ゲシュヴィント・モデル | Wernicke-Geschwind model | ウェルニッケ野→弓状束→ブローカ野の直列的回路を仮定した古典的言語モデル |
| 失語症 | aphasia | 脳損傷に起因する後天的な言語障害の総称 |
| 伝導失語 | conduction aphasia | 復唱の障害を特徴とする失語症。背側経路の損傷と関連 |
| 二重経路モデル | dual stream model | 背側経路と腹側経路の2つの並行経路を仮定する言語処理モデル |
| 背側経路 | dorsal stream | 聴覚-運動統合を担い、音韻表象を調音プログラムに変換する経路 |
| 腹側経路 | ventral stream | 音声から意味への変換を担い、語彙-意味処理を支える経路 |
| Spt領域 | Sylvian parietal-temporal area | 聴覚-運動統合の要所となるシルビウス裂後部の領域 |
| 弓状束 | arcuate fasciculus | 側頭葉と前頭葉を結ぶ白質路。背側経路の主要構成要素 |
| 極限被膜 | extreme capsule | 腹側経路の白質路の一つ。STGとBA45を接続する |
| 事象関連電位 | event-related potential (ERP) | 特定の認知的事象に対する脳の時間的に精密な電気的反応 |
| ELAN | early left anterior negativity | 統語的逸脱に対して約100-300msで出現する陰性のERP成分 |
| N400 | N400 | 意味的に予測に反する語に対して約300-500msで出現する陰性のERP成分 |
| P600 | P600 | 統語的再分析や統語-意味統合の困難を反映する約500-900msの陽性ERP成分 |
| 意味性認知症 | semantic dementia | ATLの萎縮に伴い語義が選択的に喪失する神経変性疾患 |
| ハブ・アンド・スポーク・モデル | hub-and-spoke model | ATLが概念表象のモダリティ横断的なハブとして機能するとするモデル |
確認問題¶
Q1: ウェルニッケ=ゲシュヴィント・モデルの主要な問題点を3つ挙げ、それぞれについて現代の知見がどのような修正を迫ったかを説明せよ。
A1: 第一に、ブローカ野を産出に、ウェルニッケ野を理解に排他的に対応づける機能的二分法が不適切である。fMRI研究はブローカ野が統語的に複雑な文の理解にも関与することを示し、ウェルニッケ野損傷が必ずしも予測通りの理解障害を引き起こさないことが臨床的に確認されている。第二に、単一の白質路(弓状束)のみが言語領域間を接続するという仮定が不正確である。DTI研究は弓状束に加え、極限被膜線維系、鉤状束、下前頭後頭束など複数の白質路が言語領域間を接続していることを明らかにし、二重経路モデルの解剖学的基盤を提供した。第三に、言語処理に関与する領域がブローカ野・ウェルニッケ野の二領域に限定されるという仮定が過度な単純化である。左ATL、角回、縁上回、SMA、小脳、右半球の領域など、古典的モデルが想定しなかった多数の脳領域が言語処理に参画することが示されている。
Q2: Hickok-Poeppelの二重経路モデルにおいて、伝導失語と語義失語(超皮質性感覚失語)がそれぞれどの経路の障害として説明されるか、復唱能力の違いに言及しつつ論ぜよ。
A2: 伝導失語は背側経路の選択的障害として説明される。Spt領域を含む左シルビウス裂後部の損傷、または弓状束の損傷により、音韻表象から調音プログラムへの変換(聴覚-運動統合)が障害される。腹側経路は保持されるため言語理解は比較的良好であるが、復唱が顕著に障害され、音韻性錯語が特徴的に出現する。一方、語義失語は腹側経路の障害として説明される。左ATLや左MTGの損傷により音声-意味対応が障害され、語の意味理解が困難になる。しかし背側経路は保持されるため、音韻表象から調音プログラムへの変換は可能であり、意味を理解せずとも聞いた語を復唱することができる。このように、二重経路モデルは復唱能力の保持/障害のパターンを、2つの経路の解離として整合的に説明する。
Q3: Friedericiの文理解の時間的モデルにおいて、ELAN、N400、P600の3つのERP成分がそれぞれ反映する処理段階を説明し、これらが文処理の逐次的・並列的性質について何を示唆するかを論ぜよ。
A3: ELANは文処理の第1段階(約100-300ms)に対応し、入力語の文法カテゴリの自動的同定と初期統語構造の構築を反映する。文法カテゴリの逸脱(例えば動詞が期待される位置に名詞が出現する場合)に対して出現する。N400は第2段階(約300-500ms)に対応し、語彙-意味情報の統合と主題役割の処理を反映する。文脈上予測に反する語(意味的逸脱)に対して振幅が増大する。P600は第3段階(約500-900ms)に対応し、統語情報と意味情報の統合的評価および再分析を反映する。ガーデンパス文の再分析点で顕著に出現する。これらの成分が異なる時間窓で出現することは文処理が逐次的に進行する側面を示すが、各段階の時間窓は重複しうること、またELANとN400が部分的に並行して処理される可能性が報告されていることから、文処理は厳密に直列的ではなく、逐次的処理と並列的処理が共存するカスケード的な過程であることが示唆される。
Q4: 言語産出における語彙選択の神経基盤を説明し、先端現象(TOT)がこの過程のどの段階の障害として解釈されるかを二重経路モデルの観点も含めて論ぜよ。
A4: 語彙選択において、左MTG/ITGが語彙-意味表象の活性化(レンマレベルの処理)を担い、左IFG(特にBA45/47)が競合する語彙候補の中から適切な語を選択する機能を果たす。レンマが選択された後、音韻的符号化の段階で語形(音韻形式)が検索される。TOT現象は、レンマレベルの活性化には成功しているが語形の検索に失敗した状態であり、これは腹側経路における意味処理から背側経路への音韻情報の受け渡しの段階での障害とも解釈できる。神経画像研究では、TOT状態で左MTGの活動は保持される(意味的アクセスの成功を反映)一方、左島皮質や左IFG後部の活動が不十分であることが報告されており、語形の音韻的組み立てとその調音プログラムへの変換が困難な状態が反映されていると考えられる。