Module 3-2 - Section 1: 文化心理学の基礎¶
セクション情報¶
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| モジュール | Module 3-2: 文化心理学・進化心理学 |
| 前提セクション | なし |
| 想定学習時間 | 5時間 |
導入¶
心理学は長らく「人間の心理の普遍的法則」の解明を目指してきた。しかし20世紀後半以降、心理学の知見の多くが西洋先進国の限られたサンプルに基づいていること、そしてそのサンプルから得られた結果が世界中の人間に一般化できるとは限らないことが繰り返し指摘されてきた。文化心理学(cultural psychology)は、文化と心理過程の相互構成的な関係を研究する学問領域であり、心理学における普遍性の前提そのものを問い直す試みである。
Module 1-4(社会心理学)Section 2では、Markus & Kitayama(1991)の自己構成理論を概観し、相互独立的自己観と相互協調的自己観の基本的な区別を導入した(→ Module 1-4, Section 2「自己と社会的アイデンティティ」参照)。本セクションでは、文化心理学という学問領域そのものの成立と方法論的基盤から出発し、個人主義-集団主義の次元、自己観の文化差、そして認知スタイルの文化差を体系的に検討する。
文化の定義と心理学における位置づけ¶
文化とは何か¶
Key Concept: 文化(culture) ある集団の成員間で共有され、世代間で伝達される信念・価値・慣行・象徴・人工物の総体。生物学的遺伝ではなく社会的学習を通じて獲得される。
文化の定義は研究者によって多様であるが、Alfred Kroeber & Clyde Kluckhohn(1952)は当時までに蓄積された164の定義を体系的に整理した。現在の文化心理学では、文化を「共有された意味体系」として捉える立場が主流である。Richard Shweder(1990)は文化を「意図の世界(intentional world)」と表現し、文化は人々が構成し、同時に人々を構成する象徴的環境であるとした。
文化はいくつかの水準で分析可能である。
graph TD
A["文化の分析水準"] --> B["観察可能な水準"]
A --> C["暗黙の水準"]
B --> D["物質文化: 道具・建築・テクノロジー"]
B --> E["制度: 法制度・教育制度・経済体制"]
B --> F["慣行・儀礼: 挨拶・冠婚葬祭・食事様式"]
C --> G["価値観: 何を善/悪、望ましい/望ましくないとするか"]
C --> H["暗黙の信念: 世界観・自己観・因果理解の枠組み"]
C --> I["認知的傾向: 注意・推論・カテゴリ化のパターン"]
文化心理学にとって特に重要なのは、暗黙の水準(価値観・信念・認知的傾向)である。観察可能な慣行や制度は暗黙の信念体系の表出であり、同時にその信念体系を再生産する。
比較文化心理学と文化心理学¶
文化と心理の関係を研究するアプローチには、大きく2つの伝統がある。
Key Concept: 比較文化心理学(cross-cultural psychology) 文化を独立変数として扱い、異なる文化間で心理過程や行動を比較する研究アプローチ。John Berry, Ype Poortinga, Marshall Segall, & Pierre Dasen(1992)らが体系化した。
Key Concept: 文化心理学(cultural psychology) 文化と心理を相互構成的(mutually constitutive)な関係として捉え、文化的実践が心理過程をどのように形成するかを理解しようとする研究アプローチ。Richard Shweder(1990)やHazel Markus & Shinobu Kitayama(1991)が代表的研究者である。
| 観点 | 比較文化心理学 | 文化心理学 |
|---|---|---|
| 文化の扱い | 独立変数 | 心理と不可分の文脈 |
| 前提 | 普遍的な心理過程が存在し、文化はそれを修飾する | 文化と心理は相互構成的であり、分離できない |
| 方法論 | 等価性を確保した尺度による多国間比較 | 文化的文脈に根ざした質的・混合的方法 |
| 目的 | 文化間の差異と類似の体系的記述 | 文化が心理を構成するメカニズムの解明 |
| 概念的枠組み | エティック(etic)アプローチが中心 | エミック(emic)アプローチを重視 |
比較文化心理学は文化を外的な変数として扱い、心理過程の文化間差異を測定する。これに対し文化心理学は、Shweder(1990)の「文化と心は互いを構成し合う(culture and psyche make each other up)」という命題に示されるように、文化を心理過程の外部にある「原因」ではなく、心理過程そのものを構成する不可分の要素とみなす。
Key Concept: エティックとエミック(etic and emic) 言語学者Kenneth Pike(1967)に由来する区別。エティック・アプローチは文化を超えた普遍的枠組みで現象を分析する。エミック・アプローチはある文化の内部の意味体系に即して現象を理解する。
実際の研究では、両アプローチは排他的ではなく相補的に用いられる。文化間比較(エティック)で差異を確認した後、各文化内の意味体系(エミック)を詳細に分析するという研究デザインは広く採用されている。
個人主義-集団主義の次元¶
Hofstedeの文化次元理論¶
Key Concept: 個人主義-集団主義(individualism-collectivism) 社会の成員が自己を独立した個人として定義するか、集団の一員として定義するかに関する文化次元。Geert Hofstede(1980)が大規模調査に基づいて同定した。
Geert Hofstede(1980)はIBMの70か国以上の従業員を対象とした大規模質問紙調査の因子分析から、文化を記述する4つの次元(後に6つに拡張)を同定した。その中核をなすのが個人主義-集団主義次元である。
Hofstedeの指標(Individualism Index: IDV)によると、米国・英国・オーストラリア・オランダなどの西洋先進国がIDV高得点(個人主義的)であり、グアテマラ・エクアドル・パナマ・韓国・台湾などがIDV低得点(集団主義的)である。日本は中程度に位置する(IDV=46)。
| IDV高得点(個人主義的)の特徴 | IDV低得点(集団主義的)の特徴 |
|---|---|
| 個人の権利と自由を重視 | 集団の調和と義務を重視 |
| 自己表現・自己実現が奨励される | 集団への忠誠・順応が奨励される |
| 核家族が基本単位 | 拡大家族・内集団が基本単位 |
| 個人の業績に基づく評価 | 集団への貢献・関係性に基づく評価 |
| 対立は建設的に直面すべきもの | 対立は調和を乱すため回避すべきもの |
Triandisによる精緻化¶
Harry Triandis(1995)はHofstedeの二分法を精緻化し、個人主義-集団主義に水平-垂直の次元を加えた4類型を提唱した。
graph TD
A["個人主義-集団主義の4類型"] --> B["水平的個人主義"]
A --> C["垂直的個人主義"]
A --> D["水平的集団主義"]
A --> E["垂直的集団主義"]
B --- B1["独自性重視 + 平等志向"]
C --- C1["独自性重視 + 競争・階層受容"]
D --- D1["調和重視 + 平等志向"]
E --- E1["調和重視 + 階層秩序受容"]
- 水平的個人主義: 個人の独自性を重視しつつ、地位の平等を志向する(例: スウェーデン、デンマーク)
- 垂直的個人主義: 個人の独自性を重視し、競争による地位の差異を受容する(例: 米国)
- 水平的集団主義: 集団の調和を重視しつつ、成員間の平等を志向する(例: イスラエルのキブツ)
- 垂直的集団主義: 集団の調和を重視し、集団内の階層秩序を受容する(例: インド、日本の伝統的社会)
この4類型はHofstedeの単純な二分法に比べ、同じ「集団主義的」とされる文化間の差異を説明できるという利点がある。
個人主義-集団主義次元への批判¶
個人主義-集団主義の枠組みは広く普及したが、同時に重要な批判を受けている。
- 過度の単純化: 多様な文化的特徴を単一の連続体に縮約することの妥当性が問われる。Daphna Oyserman, Heather Coon, & Markus Kemmelmeier(2002)のメタ分析は、米国が常に最も個人主義的で東アジアが常に最も集団主義的であるという通念が必ずしもデータに支持されないことを示した。
- 文化内変動の無視: 同一文化内でも地域・階層・世代・状況によって個人主義-集団主義の程度は大きく異なる。文化を国単位で均質なものとして扱うことは、文化内の多様性を覆い隠す。
- 二極の独立性: 個人主義と集団主義は単一次元の両極ではなく、独立した次元である可能性がある。Oysermanら(2002)は、ある文化が個人主義的であることと集団主義的であることは相互に排他的ではないと指摘した。
相互独立的自己観と相互協調的自己観¶
Markus & Kitayamaの自己構成理論¶
Module 1-4 Section 2で概観した自己構成理論を、ここでは文化心理学の中心概念として詳細に検討する。
Key Concept: 相互独立的自己観(independent self-construal) 自己を他者から区別された自律的・独自的な存在として構成する傾向。内的属性(能力・意見・感情)が行動の主たる規定因とされ、自己の一貫性が重視される。北米・西欧文化で優勢とされる。
Key Concept: 相互協調的自己観(interdependent self-construal) 自己を重要な他者との関係性の中に位置づけ、社会的文脈における役割・地位・関係を通じて定義する傾向。状況に応じた柔軟な自己呈示が適応的とされ、調和の維持が重視される。東アジア文化で優勢とされる。
Markus & Kitayama(1991)の理論の核心は、自己構成の違いが認知・感情・動機づけの広範な領域に体系的な影響を及ぼすという主張である。
graph TD
subgraph "相互独立的自己観"
A1(("自己")) --- B1["内的属性"]
A1 -.- C1["友人"]
A1 -.- D1["同僚"]
A1 -.- E1["家族"]
end
subgraph "相互協調的自己観"
A2(("自己")) === C2["友人"]
A2 === D2["同僚"]
A2 === E2["家族"]
A2 --- B2["関係的属性"]
end
上図において、実線(===)は自己と他者の境界が流動的であること、破線(-.-)は自己と他者の間に明確な境界が存在することを示す。相互独立的自己では内的属性が自己の中核にあり他者との関係は周辺的であるのに対し、相互協調的自己では他者との関係そのものが自己の構成要素となる。
自己構成の差異がもたらす心理的帰結¶
Markus & Kitayama(1991)は、自己構成の文化差が以下の心理的領域に波及すると理論化した。
| 心理的領域 | 相互独立的自己 | 相互協調的自己 |
|---|---|---|
| 認知 | 自己の内的属性に焦点 | 他者との関係・社会的文脈に焦点 |
| 感情 | 自尊感情・優越感・怒りなど自我に焦点化した感情(ego-focused emotions)が優勢 | 親密感・恥・罪悪感など他者に焦点化した感情(other-focused emotions)が優勢 |
| 動機づけ | 自己高揚動機・独自性動機 | 自己改善動機・適合動機 |
この理論を支持する代表的な実証研究として、以下のものがある。
自己記述の文化差: Sang-Chin Choi & Kibum Kim(2003)は、韓国人の自己記述が北米人に比べて社会的役割や関係性への言及を多く含むことを示した。Courtney Stevens & Hazel Markus(2005、未発表研究報告をMarkus(2008)が引用)の研究でも、米国人が個人的属性(「私は好奇心旺盛だ」)で自己を記述するのに対し、日本人は社会的文脈に依存した記述(「家では穏やかだが、職場では厳しい」)を多く生成することが確認されている。
自己高揚と自己改善: 北米の被験者は成功フィードバック後に動機づけが高まるのに対し、日本の被験者は失敗フィードバック後にむしろ動機づけが高まるという知見がある(Steven Heine, Darrin Lehman, Hazel Markus, & Shinobu Kitayama, 1999)。これは相互独立的自己においては自己高揚(self-enhancement)が、相互協調的自己においては自己改善(self-improvement)が主要な動機づけとして機能することを示唆する。
自己構成理論への批判と発展¶
この理論は文化心理学において最も影響力の大きい枠組みの一つであるが、以下の批判・修正も提出されている。
- 本質主義の危険: 「西洋人は独立的、東洋人は協調的」という図式は、文化を過度に均質化・本質化する危険がある。個人の自己構成は文化的背景のみならず、社会階層、ジェンダー、世代、状況によって変動する。
- 測定の問題: 自己構成を質問紙で測定する試み(Ted Singelis, 1994のSelf-Construal Scale等)は、信頼性・妥当性に課題が指摘されている。質問紙の回答自体が文化的に構成されるため、回答バイアス(参照点効果、黙従傾向など)を統制する必要がある。
- 二項対立の超克: Vignoles et al.(2016)による33か国の大規模研究は、独立性と協調性が文化間で一貫した対立関係にないことを示し、自己構成の多次元モデルを提唱した。この研究では、独立性のうち「自己表現」は西洋文化で高いが「自己一貫性」は文化差が小さいなど、下位次元によってパターンが異なることが明らかになった。
認知スタイルの文化差¶
分析的思考と包括的思考¶
Key Concept: 分析的思考(analytic thinking) 対象を文脈から切り離して個別の要素に分解し、カテゴリ分類と形式論理に基づいて理解する認知スタイル。西洋文化、特に北米で優勢とされる。
Key Concept: 包括的思考(holistic thinking) 対象を文脈との関係性の中で全体的に把握し、矛盾の受容と変化の予測を重視する認知スタイル。東アジア文化で優勢とされる。
Richard Nisbett(2003)は著書『The Geography of Thought(木を見る西洋人 森を見る東洋人)』において、古代ギリシアの分析的伝統と古代中国の包括的伝統にまで遡り、認知スタイルの東西差を理論化した。
graph LR
subgraph "分析的思考"
A1["対象を文脈から分離"] --> B1["カテゴリに基づく分類"]
B1 --> C1["形式論理による推論"]
C1 --> D1["矛盾の排除・一貫性の追求"]
end
subgraph "包括的思考"
A2["対象を文脈の中で把握"] --> B2["関係性に基づく理解"]
B2 --> C2["経験・直観に基づく推論"]
C2 --> D2["矛盾の受容・変化の予測"]
end
実証的知見¶
認知スタイルの文化差は、多様な実験パラダイムで示されている。
注意と知覚: Takahiko Masuda & Richard Nisbett(2001)の研究では、水中の動画を見た後の報告において、米国人の被験者は前景の魚(焦点対象)に関する記述が多かったのに対し、日本人の被験者は背景の水草や石(文脈情報)への言及が多く、焦点対象と文脈の関係(「魚が水草のそばを泳いでいた」)についての記述も多かった。
因果帰属: Ara Norenzayan & Richard Nisbett(2000、Michael Morris & Kaiping Peng(1994)の先行研究を踏まえた研究)は、社会的事象の原因帰属において、北米人が行為者の内的特性に注目しやすい(→ Module 1-4, Section 1の基本的帰属錯誤を参照)のに対し、東アジア人が状況要因をより重視することを確認した。Michael Morris & Kaiping Peng(1994)は、同じ殺人事件の新聞報道を分析し、英語メディアが犯人の性格特性(「不安定な人物」)に言及しやすいのに対し、中国語メディアが状況要因(「最近解雇された」「社会的孤立」)に言及しやすいことを示した。
カテゴリ化と推論: Ji, Zhang, & Nisbett(2004)の三項組課題(triad task)では、「ニワトリ」「牛」「草」のうち2つを選んでまとめるよう求めたとき、北米人は「ニワトリと牛」(動物というカテゴリ)でまとめる傾向が強く、中国人は「牛と草」(牛は草を食べるという関係性)でまとめる傾向が強かった。
矛盾への態度: Kaiping Peng & Richard Nisbett(1999)は、矛盾する2つの主張を提示されたとき、北米人はどちらか一方をより強く支持する傾向があるのに対し、中国人は双方に一定の妥当性を認める「弁証法的」な態度を示すことを見出した。これは東アジアの知的伝統に根ざす「矛盾の受容」の認知的表出と解釈されている。
認知スタイルの文化差の起源¶
認知スタイルの東西差の起源については複数の仮説が提出されている。
| 仮説 | 主張 | 代表的研究者 |
|---|---|---|
| 哲学的伝統仮説 | 古代ギリシアの分析的哲学と古代中国の包括的哲学が、それぞれの知的伝統を形成した | Nisbett(2003) |
| 社会構造仮説 | 狩猟・牧畜社会は個人の自律性を促進し分析的認知を育む。水田稲作社会は集団的協調を必要とし包括的認知を育む | Thomas Talhelm et al.(2014) |
| 自己構成媒介仮説 | 独立的自己観は焦点対象への注意を促し分析的認知をもたらす。協調的自己観は文脈への注意を促し包括的認知をもたらす | Markus & Kitayama(1991); Nisbett et al.(2001) |
Talhelm et al.(2014)の「稲作理論(rice theory)」は、中国国内の稲作地域と小麦栽培地域を比較し、水田稲作地域の住民がより包括的思考・集団主義的傾向を示すことを見出した研究として注目される。水田稲作は灌漑の共同管理を必要とし、相互依存的な社会関係を促進するため、包括的な認知スタイルが文化的に醸成されるという仮説である。
graph TD
A["生態的・経済的基盤"] --> B["社会構造"]
B --> C["文化的価値・信念体系"]
C --> D["自己構成のパターン"]
D --> E["認知スタイル"]
E --> F["注意・知覚・推論・判断"]
C --> E
A --> |"例: 稲作 vs 牧畜"| B
B --> |"例: 相互依存的 vs 自律的"| C
認知スタイル研究への批判¶
認知スタイルの文化差に関する研究にも重要な留意点がある。
- 効果量の問題: 文化差の効果量は統計的に有意であっても、必ずしも大きくない。文化間変動よりも文化内変動の方が大きいことが多く、「西洋人は分析的、東洋人は包括的」という二分法的記述は過度の一般化である。
- 課題依存性: 認知スタイルの文化差は課題の種類や文脈によって出現したりしなかったりする。すべての認知課題で一貫した文化差が見られるわけではない。
- 社会経済的要因の交絡: 国際比較では文化的要因と社会経済的要因を分離することが困難である。教育水準、都市化の程度、メディア環境なども認知スタイルに影響しうる。
まとめ¶
- 文化心理学は、文化と心理過程を相互構成的な関係として捉える学問であり、比較文化心理学の「文化を独立変数とする」アプローチとは異なる認識論的立場をとる。
- 個人主義-集団主義は最も広く用いられる文化次元であるが、過度の単純化、文化内変動の無視、二極の独立性といった批判がある。Triandis(1995)の水平-垂直次元による精緻化が試みられている。
- 相互独立的自己観と相互協調的自己観の区別(Markus & Kitayama, 1991)は、認知・感情・動機づけの広範な文化差を統合的に説明する枠組みであるが、本質主義的な適用を避け、文化内変動や多次元性を考慮する必要がある。
- 分析的思考と包括的思考の区別(Nisbett, 2003)は、注意・知覚・因果帰属・カテゴリ化・矛盾への態度において実証的支持を得ている。その起源として哲学的伝統、社会構造(稲作理論を含む)、自己構成の媒介効果が提案されている。
- 次のSection 2では、本セクションで導入した文化差の枠組みを基盤として、認知・感情のより具体的な文化的構成プロセスを検討する。
用語集(Glossary)¶
| 用語 | 英語表記 | 定義 |
|---|---|---|
| 文化 | culture | ある集団の成員間で共有され、世代間で伝達される信念・価値・慣行・象徴の総体 |
| 比較文化心理学 | cross-cultural psychology | 文化を独立変数として扱い、異なる文化間で心理過程を比較する研究アプローチ |
| 文化心理学 | cultural psychology | 文化と心理を相互構成的な関係として捉える研究アプローチ |
| エティック | etic | 文化を超えた普遍的枠組みで現象を分析するアプローチ |
| エミック | emic | ある文化の内部の意味体系に即して現象を理解するアプローチ |
| 個人主義-集団主義 | individualism-collectivism | 自己を独立した個人として定義するか集団の一員として定義するかに関する文化次元 |
| 相互独立的自己観 | independent self-construal | 自己を他者から区別された自律的存在として構成する傾向 |
| 相互協調的自己観 | interdependent self-construal | 自己を他者との関係性の中に位置づけて構成する傾向 |
| 分析的思考 | analytic thinking | 対象を文脈から分離し、カテゴリと形式論理で理解する認知スタイル |
| 包括的思考 | holistic thinking | 対象を文脈との関係の中で全体的に把握する認知スタイル |
確認問題¶
Q1: 比較文化心理学と文化心理学は、文化と心理過程の関係をそれぞれどのように捉えているか。両者の認識論的立場の違いを説明せよ。 A1: 比較文化心理学は、文化を心理過程の外部にある独立変数として扱い、普遍的な心理過程が存在するという前提のもと、文化がそれをどのように修飾するかを検討する。これに対し文化心理学は、Shweder(1990)の「文化と心は互いを構成し合う」という命題に基づき、文化と心理は相互構成的であり分離不可能であると考える。前者はエティック(文化横断的な普遍的枠組み)に重点を置き、後者はエミック(文化内部の意味体系)を重視する傾向がある。
Q2: Oyserman et al.(2002)のメタ分析は、個人主義-集団主義の枠組みに対してどのような批判を提起したか。その知見の含意を説明せよ。 A2: Oyserman et al.(2002)は、米国が常に最も個人主義的で東アジアが常に最も集団主義的であるという通念が必ずしもデータに支持されないことを示した。また、個人主義と集団主義が単一次元の両極ではなく独立した次元である可能性を指摘した。この知見は、文化を国単位で単純なラベル(「個人主義的」「集団主義的」)で分類することの限界を示し、文化内変動や個人主義・集団主義の多次元性を考慮した研究デザインの必要性を示唆する。
Q3: Markus & Kitayama(1991)の自己構成理論において、相互独立的自己観と相互協調的自己観の違いは動機づけの側面にどのような差異をもたらすとされるか。Heine et al.(1999)の研究知見を踏まえて説明せよ。 A3: 相互独立的自己観では自己高揚動機(自己の肯定的側面を強調し維持する動機)が主要であり、相互協調的自己観では自己改善動機(自己の不足を認識し改善する動機)が主要であるとされる。Heine et al.(1999)は、北米の被験者が成功フィードバック後に課題への動機づけが高まるのに対し、日本の被験者は失敗フィードバック後にむしろ動機づけが高まることを示した。これは相互独立的自己においては成功体験が自己の肯定的イメージを強化する動機づけ源となり、相互協調的自己においては失敗の情報が自己改善の契機として機能することを意味する。
Q4: Masuda & Nisbett(2001)の水中動画実験の知見を説明し、それが分析的思考と包括的思考のどのような側面を反映しているか考察せよ。 A4: Masuda & Nisbett(2001)は、水中の動画を見せた後の自由報告において、米国人被験者が前景の魚(焦点対象)への言及が多かったのに対し、日本人被験者は背景の環境情報への言及が多く、対象と文脈の関係に関する記述も多かったことを見出した。この知見は、分析的思考における「対象を文脈から分離し焦点化する」注意パターンと、包括的思考における「対象を文脈の中で全体的に把握する」注意パターンの違いを反映している。すなわち、認知スタイルの文化差は高次の推論だけでなく、注意配分という知覚の初期段階から存在することを示す。
Q5: Talhelm et al.(2014)の稲作理論とは何か。この理論が認知スタイルの文化差の説明としてもつ意義と限界を述べよ。 A5: 稲作理論は、水田稲作が灌漑の共同管理を必要とし相互依存的な社会関係を促進するため、稲作地域では包括的思考・集団主義的傾向が文化的に醸成されるという仮説である。Talhelm et al.(2014)は中国国内の稲作地域と小麦栽培地域を比較し、この仮説を支持する結果を得た。この理論の意義は、認知スタイルの文化差を国・民族単位ではなく生態的・経済的基盤から説明し、同一国内の地域差を予測できる点にある。限界としては、生態的要因から認知スタイルへの因果経路が複雑で交絡変数の統制が困難であること、現代の都市化社会では農業形態の影響が弱まっている可能性があること、歴史的な農業形態と現在の認知スタイルを結びつける媒介メカニズムの実証が不十分であることが挙げられる。