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Module 3-2 - Section 2: 文化と認知・感情

セクション情報

項目 内容
モジュール Module 3-2: 文化心理学・進化心理学
前提セクション Section 1(文化心理学の基礎)
想定学習時間 4時間

導入

Section 1では、文化心理学の基礎概念として個人主義-集団主義の次元、相互独立的/相互協調的自己観、そして分析的思考と包括的思考の枠組みを導入した。Masuda & Nisbett(2001)の水中動画実験やJi, Zhang, & Nisbett(2004)の三項組課題など、認知スタイルの文化差を示す代表的知見もすでに概観した。

本セクションでは、これらの枠組みを基盤としつつ、認知過程と感情過程における文化差をより具体的かつ体系的に検討する。まず注意・知覚において文化がどのように選択的な処理パターンを形成するかを実験的知見とともに整理し、次にカテゴリ化と推論における文化差のメカニズムを掘り下げる。最後に、感情の文化的構成について、表示規則(display rules)、感情語彙の差異、感情の価値づけといった観点から論じる。


注意・知覚における文化差

文脈感受性と焦点対象への注意

Section 1で紹介したMasuda & Nisbett(2001)の研究は、注意配分における文化差の存在を示した。ここではその後の研究展開を詳細に検討する。

Key Concept: 文脈依存性(context sensitivity) 知覚・判断において、焦点対象のみならず周囲の文脈情報に注意を向け、それを処理に取り込む程度。東アジア文化圏の被験者で高い傾向が繰り返し報告されている。

Takahiko Masuda & Richard Nisbett(2006)はさらに「変化の見落とし」(change blindness)パラダイムを用いた研究を行った。場面の写真を短時間提示し、変更を加えた写真と交互に提示して変化を検出させる課題において、米国人被験者は焦点対象の変化の検出が速かった一方、日本人被験者は背景の文脈的変化の検出がより速かった。この結果は、注意配分の文化差が実験室条件下で再現可能であることを示す。

Hedden, Ketay, Aron, Markus, & Gabrieli(2008)はfMRI(機能的磁気共鳴画像法)を用いて、絶対判断(対象の大きさをそのまま再現する課題)と相対判断(対象と枠の比率を再現する課題)の遂行中の脳活動を比較した。東アジア系米国人では絶対判断時に、ヨーロッパ系米国人では相対判断時に、前頭前野の活動がより増大した。これは文化的に習慣化されていない処理モードを用いる際に、より多くの認知的制御資源が必要となることを示唆する。

Key Concept: フレーム・ライン課題(Framed-Line Test: FLT) Kitayama, Duffy, Kawamura, & Larsen(2003)が開発した課題。枠の中に描かれた線を見た後、別の大きさの枠に同じ絶対長の線(絶対課題)または同じ比率の線(相対課題)を描く。東アジア人は相対課題で、北米人は絶対課題で優れた成績を示す傾向がある。

Kitayama et al.(2003)のフレーム・ライン課題は、文化的認知スタイルの測定手法として広く用いられるようになった。この課題の重要性は、言語を介さず、比較的低次の知覚的処理段階での文化差を捉えられる点にある。

graph LR
    subgraph "フレーム・ライン課題"
        A["提示刺激: 枠の中の線"] --> B["絶対課題"]
        A --> C["相対課題"]
        B --> D["同じ長さの線を描く"]
        C --> E["同じ比率の線を描く"]
    end

    subgraph "文化差パターン"
        F["北米人: 絶対課題で高成績"] --> G["対象を文脈から分離する処理に習熟"]
        H["東アジア人: 相対課題で高成績"] --> I["対象と文脈の関係を処理する能力に習熟"]
    end

場面知覚と顔の文脈処理

Masuda, Ellsworth, Mesquita, Leu, Tanida, & Van de Veerdonk(2008)は、中心人物の表情判断における文脈の影響を検討した。笑顔の人物が怒り顔の集団に囲まれている、あるいは怒り顔の人物が笑顔の集団に囲まれている場面を提示し、中心人物の感情を判断させた。日本人被験者は周囲の人物の表情に影響を受けやすく(笑顔の中心人物も、周囲が怒り顔であれば幸福度を低く評定)、米国人被験者は背景の影響をあまり受けなかった。

この知見は、文脈感受性が抽象的な図形や場面だけでなく、社会的刺激の処理においても作動することを示している。アイトラッキング(視線追跡)研究では、日本人被験者が場面画像を見る際に背景への視線の走査(サッケード)が多く、米国人被験者が焦点対象への固視が長いことが報告されている(Chua, Boland, & Nisbett, 2005)。

graph TD
    A["場面の知覚"] --> B["焦点対象への注意"]
    A --> C["文脈情報への注意"]
    B --> D["分析的処理: 対象の属性抽出"]
    C --> E["包括的処理: 対象-文脈関係の統合"]
    D --> F["北米文化で習慣化"]
    E --> G["東アジア文化で習慣化"]
    F --> H["焦点対象の変化に敏感"]
    G --> I["文脈の変化・対象との不調和に敏感"]

カテゴリ化と推論における文化差

カテゴリに基づく推論と関係性に基づく推論

Section 1で紹介したJi, Zhang, & Nisbett(2004)の三項組課題(ニワトリ・牛・草)は、カテゴリ化の方略における文化差を示した。ここではカテゴリ化と推論の文化差をより体系的に整理する。

Key Concept: ルールに基づく分類(rule-based categorization) 対象を定義的特徴や形式的規則に基づいてカテゴリに分類する方略。分析的思考と親和性が高い。

Key Concept: 家族的類似性に基づく分類(family resemblance categorization) 対象をプロトタイプ(典型例)との全体的類似性に基づいて分類する方略。包括的思考と親和性が高い。

Norenzayan, Smith, Kim, & Nisbett(2002)は、ルールに基づく分類と家族的類似性に基づく分類の文化差を実験的に検討した。架空の生物を分類する課題において、北米の被験者は単一の決定的特徴(ルール)に基づいてカテゴリを判定する傾向が強く、韓国の被験者は複数の特徴にわたる全体的類似性に基づいて判定する傾向が強かった。

この知見は、アリストテレス以来の西洋における定義的カテゴリ(必要十分条件による分類)の伝統と、東アジアにおける関係的・全体的な把握様式との対応を示唆する。

因果推論の文化差

因果推論の文化差は、Section 1で言及した帰属研究に加え、共変動の検出や予測の領域でも観察される。

Key Concept: 素朴弁証法(naive dialecticism) 矛盾する情報を統合し、対立する主張の双方に妥当性を認めようとする認知的傾向。東アジア文化において、儒教・道教・仏教の思想的伝統の影響下で優勢とされる。Peng & Nisbett(1999)が実証的に検討した。

Spencer-Rodgers, Williams, & Peng(2010)は、素朴弁証法が東アジア人の判断や態度形成において広範に作用することを示した。例えば、あるサービスについて肯定的情報と否定的情報が同時に提示された場合、北米人は一方に偏った態度を形成しやすいが、東アジア人は両面を考慮した中庸的な態度を形成しやすい。

予測判断においても文化差がある。Ji, Nisbett, & Su(2001)は、上昇トレンドのデータ系列を提示して将来を予測させたところ、中国人の被験者はトレンドが反転すると予測する傾向が北米人より強かった。これは「物事は反対方向に変化する」という素朴弁証法的信念の反映と解釈されている。

graph TD
    A["矛盾する情報の提示"] --> B["分析的処理"]
    A --> C["弁証法的処理"]
    B --> D["一方を支持し他方を棄却"]
    B --> E["論理的一貫性の追求"]
    C --> F["双方に妥当性を認める"]
    C --> G["矛盾の受容・統合"]
    D --> H["北米文化で優勢"]
    F --> I["東アジア文化で優勢"]

帰属と因果の複雑さ

Morris & Peng(1994)の研究を拡張し、Choi, Nisbett, & Norenzayan(1999)は、韓国人と米国人を対象とした一連の実験で、韓国人被験者が行動の原因として状況要因をより重視することを確認した。しかし重要な点として、韓国人が性格特性(内的要因)を完全に無視するわけではなく、内的要因と状況要因の両方をより複雑に考慮する傾向が示された。

すなわち、文化差は「内的帰属 vs. 外的帰属」という単純な二項対立ではなく、因果理解の複雑さ(多数の原因を考慮する程度)における差異として理解するのがより正確である。


感情の文化的構成

感情の普遍性と文化的構成

感情研究における中心的論争の一つは、基本感情の普遍性と感情の文化的構成の関係である。

Key Concept: 基本感情理論(basic emotion theory) Paul Ekman(1972)らの立場。怒り・嫌悪・恐怖・幸福・悲しみ・驚きの6つの基本感情は、進化的に形成された普遍的な神経生理学的プログラムであり、文化を超えて共通の表情表出・生理反応パターンをもつとする。

Key Concept: 感情の社会的構成理論(social constructionist theory of emotion) James Averill(1980)やBatja Mesquita(2001)らの立場。感情は文化的・社会的な意味体系の中で構成されるものであり、感情の経験・表出・解釈のすべてが文化に依存するとする。

現在の文化心理学的知見は、これら二つの立場の間に位置づけられることが多い。すなわち、快-不快の基本的な情動反応や一部の表情認識における普遍性は認めつつ、感情の経験・表出・意味づけ・価値づけにおいて文化が重大な構成的役割を果たすという見解が有力である。

graph LR
    A["感情の二重過程モデル"] --> B["普遍的基盤"]
    A --> C["文化的構成"]
    B --> D["基本的情動反応"]
    B --> E["表情の普遍的要素"]
    C --> F["表示規則"]
    C --> G["感情語彙"]
    C --> H["理想感情"]
    C --> I["感情の評価構造"]

表示規則(Display Rules)

Key Concept: 表示規則(display rules) 特定の社会的状況においてどのような感情表出が適切かを規定する文化的規範。Ekman & Friesen(1969)が概念化した。感情経験そのものではなく、その表出の制御に関する規則である。

Ekman(1972)による古典的研究では、日本人と米国人の被験者にストレス喚起映像を見せ、一人で視聴した場合には両群で類似した表情が観察されたのに対し、実験者が同席した場合には日本人被験者が笑顔でネガティブ感情を覆い隠す傾向が強かった。この知見は、感情の生理的反応が普遍的であっても、社会的場面における表出が文化的規範によって調整されることを示す。

David Matsumoto(1990)は、表示規則の文化間比較を体系化した。Matsumotoの研究によれば、表示規則は感情の種類、相手との関係(内集団/外集団)、場面の公共性の関数として文化ごとに異なるパターンを示す。

状況 米国(個人主義的文化) 日本(集団主義的文化)
内集団成員の前でのネガティブ感情 比較的自由に表出 抑制する傾向
外集団成員の前でのネガティブ感情 抑制する傾向 比較的表出しうる
地位の高い相手の前 感情表出の修正は小さい 感情表出を大幅に修正

注目すべき知見として、内集団と外集団の区別が表示規則に与える影響のパターンが文化間で逆転する点がある。個人主義的文化では外集団に対して感情表出を制御する傾向があるのに対し、集団主義的文化では内集団の調和を維持するために内集団に対して表出を制御する傾向がある。

感情語彙の差異

Key Concept: 感情語彙(emotion vocabulary / emotion lexicon) ある言語において感情を表現するために利用可能な語彙の体系。言語によって感情語彙の豊富さ、分節の仕方、カバーする意味範囲が異なり、これが感情の認識・経験に影響する可能性がある。

感情語彙の文化差は、言語的相対性(linguistic relativity)の議論と密接に関連する。代表的な例として以下がある。

「甘え」(amae): 土居健郎(1971)が指摘した日本語特有の感情概念。他者の好意に依存し受容されたいという欲求を表す。英語には直接的な対応語がなく、英語話者が「甘え」を理解するには複数の概念(dependency, indulgence, presumption upon another's love)の組み合わせが必要である。

Schadenfreude(シャーデンフロイデ): 他者の不幸を喜ぶ感情を表すドイツ語。多くの言語にこの感情を表す単一の語彙が存在しないが、この感情自体は多くの文化で経験されることが示されている。

Lajya: インドのオリヤー語における感情概念で、恥・慎み・謙遜を包含する。英語の「shame」とは重なりつつもずれがあり、肯定的な社会的美徳としての含意をもつ。

Key Concept: 言語的相対性仮説(linguistic relativity hypothesis) 言語の構造(語彙・文法)が思考や知覚に影響を与えるという仮説。Edward Sapir と Benjamin Lee Whorf に由来する。感情領域では、感情語彙の有無や分節構造が感情の認識・経験に影響する可能性が議論されている。

Lisa Feldman Barrett(2006)は、感情語彙が感情の知覚を構成する役割を果たすと主張した。Barrett の「構成主義的感情理論」(theory of constructed emotion)では、感情語彙は身体的感覚(コア・アフェクト)を特定の感情カテゴリに分類するための概念的道具であり、異なる感情語彙をもつ文化では感情の経験そのものが異なりうるとされる。

graph TD
    A["身体的覚醒状態"] --> B["コア・アフェクト"]
    B --> C["快-不快の評価"]
    B --> D["覚醒度の評価"]
    C --> E["文化的感情概念による分類"]
    D --> E
    E --> F["感情語彙による命名"]
    F --> G["特定の感情カテゴリとしての経験"]
    E --> |"文化によって分節が異なる"| H["例: 甘え、Schadenfreude、Lajya"]

理想感情と感情の価値づけ

Key Concept: 理想感情(ideal affect) ある文化において人々が感じたいと望む感情状態。Jeanne Tsai(2007)の「感情の価値づけ理論」(affect valuation theory)の中核概念。理想感情は実際に経験される感情(actual affect)とは区別され、文化的価値観によって規定される。

Tsai(2007)の感情の価値づけ理論(affect valuation theory: AVT)は、文化が感情に影響する経路として、感情の頻度や強度だけでなく、「どのような感情が望ましいか」という価値づけの水準に着目した点で重要な貢献をなした。

Tsai, Knutson, & Fung(2006)は、ヨーロッパ系米国人が高覚醒の肯定的感情(興奮、熱狂)を理想とする傾向が強いのに対し、香港の中国人や東アジア系米国人が低覚醒の肯定的感情(穏やかさ、平静)を理想とする傾向が強いことを示した。

感情の次元 北米文化での価値づけ 東アジア文化での価値づけ
高覚醒肯定感情(excited, enthusiastic) 高く評価される 相対的に低い評価
低覚醒肯定感情(calm, peaceful) 相対的に低い評価 高く評価される
高覚醒否定感情(angry, anxious) 否定的に評価 否定的に評価
低覚醒否定感情(sad, lonely) 否定的に評価 否定的に評価

理想感情の文化差は、以下のような行動的帰結をもつ。

  • メディアと消費行動: Tsai(2007)は、米国の雑誌広告では興奮した表情(広い笑顔、活動的ポーズ)が多く、中国の雑誌広告では穏やかな表情(柔和な笑顔、静的ポーズ)が多いことを示した。
  • 対人関係: 理想感情が一致する他者を好む傾向がある。高覚醒の肯定感情を理想とする文化では活発で熱狂的な人物が好まれ、低覚醒の肯定感情を理想とする文化では落ち着いた穏やかな人物が好まれる。
  • 医師選択・リーダー選好: Tsaiらの研究では、理想感情の違いがヘルスケア提供者やリーダーの選好にまで影響することが示されている。

この理論は、感情の文化差を「表出の抑制」(表示規則)の水準だけでなく、「何を望ましいと感じるか」(感情の価値づけ)の水準で捉えるという重要な視点の転換をもたらした。

graph LR
    A["文化的価値観"] --> B["理想感情"]
    B --> C["感情調節の目標"]
    C --> D["行動選択・環境構成"]
    D --> E["実際の感情経験"]
    A --> F["文化的実践"]
    F --> |"メディア・教育・養育"| B
    B --> G["対人選好"]
    B --> H["消費行動"]

感情経験の文化差:「社会的関与感情」と「社会的離脱感情」

Shinobu Kitayama, Batja Mesquita, & Mayumi Karasawa(2006)は、感情経験の文化差を「社会的関与感情(socially engaging emotions)」と「社会的離脱感情(socially disengaging emotions)」の区別によって整理した。

Key Concept: 社会的関与感情と社会的離脱感情(socially engaging and disengaging emotions) 社会的関与感情は他者との結びつきを強化する感情(親しみ、感謝、罪悪感など)。社会的離脱感情は自己を他者から分離・区別する感情(誇り、優越感、怒りなど)。Kitayama, Mesquita, & Karasawa(2006)が概念化した。

Kitayama et al.(2006)は、日本人が社会的関与感情をより頻繁に経験し、米国人が社会的離脱感情をより頻繁に経験することを示した。しかもこの差異は主観的幸福感(well-being)との関連パターンにおいても表れる。米国では社会的離脱感情(誇り、優越感)の経験頻度が幸福感と正の相関をもち、日本では社会的関与感情(親しみ、感謝)の経験頻度が幸福感と正の相関をもつ。

感情の類型 具体例 心理的機能 文化的対応
社会的関与感情(肯定的) 親しみ、感謝、尊敬 他者との結合・調和の促進 相互協調的自己観と整合
社会的関与感情(否定的) 罪悪感、恥、負い目 関係性の修復・社会的規範の維持 相互協調的自己観と整合
社会的離脱感情(肯定的) 誇り、優越感、自尊心 自己の独自性・有能感の確認 相互独立的自己観と整合
社会的離脱感情(否定的) 怒り、軽蔑、フラストレーション 自己の権利・目標の主張 相互独立的自己観と整合

この枠組みは、Markus & Kitayama(1991)の自己構成理論(→ Section 1参照)における「自我に焦点化した感情」と「他者に焦点化した感情」の区別を発展させたものであり、文化的自己観と感情経験の連関をより精緻に捉えることを可能にしている。


まとめ

  • 注意・知覚における文化差は、フレーム・ライン課題(Kitayama et al., 2003)、変化の見落としパラダイム(Masuda & Nisbett, 2006)、アイトラッキング研究(Chua, Boland, & Nisbett, 2005)、fMRI研究(Hedden et al., 2008)など多様な手法で実証されている。東アジア文化では文脈感受性が高く、北米文化では焦点対象への注意が優勢である。
  • カテゴリ化において、北米人はルールに基づく分類を、東アジア人は家族的類似性や関係性に基づく分類を選好する傾向がある(Norenzayan et al., 2002)。推論においては、素朴弁証法(矛盾する情報の統合的処理)が東アジア文化で優勢である(Peng & Nisbett, 1999)。
  • 感情の文化的構成は、表示規則(どの場面でどの感情を表出するか)、感情語彙(「甘え」のような文化固有の感情概念)、理想感情(どのような感情状態を望ましいとするか)、社会的関与/離脱感情の経験パターンなど、多層的に作用する。
  • Tsai(2007)の感情の価値づけ理論は、感情の文化差を「表出の抑制」ではなく「感情の目標値の差異」として捉える視点を提供した。
  • 次のSection 3では、進化心理学のアプローチに転じ、人間心理の普遍的基盤を進化的適応の観点から検討する。文化と進化の関係は、Section 4で統合的に議論される。

用語集(Glossary)

用語 英語表記 定義
文脈依存性 context sensitivity 知覚・判断において周囲の文脈情報に注意を向けそれを処理に取り込む程度
フレーム・ライン課題 Framed-Line Test (FLT) 枠と線の関係を用いて絶対判断・相対判断の文化差を測定する課題
ルールに基づく分類 rule-based categorization 定義的特徴や形式的規則に基づいてカテゴリに分類する方略
家族的類似性に基づく分類 family resemblance categorization プロトタイプとの全体的類似性に基づいて分類する方略
素朴弁証法 naive dialecticism 矛盾する情報を統合し双方に妥当性を認める認知的傾向
基本感情理論 basic emotion theory 普遍的な基本感情の存在を主張する理論(Ekman)
感情の社会的構成理論 social constructionist theory of emotion 感情が文化的意味体系の中で構成されるとする理論
表示規則 display rules 社会的状況における感情表出の適切さを規定する文化的規範
感情語彙 emotion vocabulary ある言語で感情を表現するために利用可能な語彙体系
言語的相対性仮説 linguistic relativity hypothesis 言語の構造が思考や知覚に影響するという仮説
理想感情 ideal affect 文化において人々が望ましいと感じる感情状態(Tsai)
感情の価値づけ理論 affect valuation theory 理想感情と実際の感情を区別し文化的価値観が感情の目標を規定するとする理論
社会的関与感情 socially engaging emotions 他者との結びつきを強化する感情(親しみ、罪悪感など)
社会的離脱感情 socially disengaging emotions 自己を他者から分離・区別する感情(誇り、怒りなど)

確認問題

Q1: Kitayama et al.(2003)のフレーム・ライン課題(FLT)はどのような課題であり、どのような文化差が観察されるか。この課題が文化心理学研究で重視される理由も含めて説明せよ。 A1: フレーム・ライン課題は、枠の中に描かれた線を見た後、異なる大きさの枠に同じ絶対長の線を描く「絶対課題」と同じ比率の線を描く「相対課題」から構成される。東アジア人は相対課題で、北米人は絶対課題で優れた成績を示す。絶対課題は対象を文脈(枠の大きさ)から切り離す処理を必要とし、相対課題は対象と文脈の関係を保持する処理を必要とする。この課題が重視される理由は、言語を介さず、比較的低次の知覚的処理段階における文化差を捉えることができ、認知スタイルの文化差が高次の推論だけでなく知覚の基礎的過程にも及ぶことを示す証拠となるためである。

Q2: Ekman(1972)の表示規則の研究知見を説明し、基本感情の普遍性と表示規則の文化差がどのように両立するかを論じよ。 A2: Ekmanの研究では、日本人と米国人にストレス喚起映像を見せた際、一人で視聴した条件では両群に類似した表情反応が観察されたが、実験者が同席した条件では日本人がネガティブ感情を笑顔で覆い隠す傾向が強かった。この結果は、基本感情に対応する生理的・表情的反応は文化を超えて普遍的に存在するが、社会的場面でのその表出は文化固有の表示規則によって調整されることを示す。すなわち、感情の「経験」の水準では普遍性が保たれつつ、「表出」の水準では文化が構成的役割を果たすという形で両者は両立する。

Q3: 感情語彙の文化差がもつ理論的含意について、日本語の「甘え」を例に挙げつつ、Barrett(2006)の構成主義的感情理論の観点から説明せよ。 A3: 日本語の「甘え」は他者の好意に依存し受容されたいという欲求を表す感情概念であり、英語には直接的な対応語がない。Barrettの構成主義的感情理論によれば、感情語彙は身体的感覚(コア・アフェクト)を特定の感情カテゴリに分類する概念的道具である。「甘え」という語彙をもつ日本語話者は、依存・受容・信頼の混合した身体的状態を単一のまとまった感情カテゴリとして認識・経験できるが、対応語をもたない英語話者は同じ身体的状態を異なる形で分節化する(あるいはまとまった感情として経験しにくい)。このことは、感情語彙が感情の事後的なラベルではなく、感情経験そのものを構成する役割を果たすという構成主義的見解を支持する。

Q4: Tsai(2007)の感情の価値づけ理論(affect valuation theory)について、理想感情の文化差とその行動的帰結を説明せよ。 A4: 感情の価値づけ理論は、理想感情(人々が感じたいと望む感情状態)と実際の感情経験を区別し、理想感情は文化的価値観によって規定されるとする。Tsai et al.(2006)の研究では、ヨーロッパ系米国人が高覚醒の肯定感情(興奮、熱狂)を理想とするのに対し、東アジア系の人々は低覚醒の肯定感情(穏やかさ、平静)を理想とする傾向が示された。行動的帰結として、米国の雑誌広告では興奮した表情が、中国の広告では穏やかな表情が多用されること、理想感情が一致する他者を好む傾向があること、さらには医師やリーダーの選好にも影響することが報告されている。この理論の意義は、感情の文化差を「表示規則による表出の抑制」ではなく「感情の目標値そのものの差異」として捉えた点にある。

Q5: Kitayama, Mesquita, & Karasawa(2006)の「社会的関与感情」と「社会的離脱感情」の区別を説明し、この枠組みが自己構成理論(Markus & Kitayama, 1991)とどのように接続するか論じよ。 A5: 社会的関与感情は他者との結びつきを強化する感情(親しみ、感謝、罪悪感など)であり、社会的離脱感情は自己を他者から分離・区別する感情(誇り、優越感、怒りなど)である。日本人は社会的関与感情を、米国人は社会的離脱感情をより頻繁に経験する。自己構成理論との接続は以下の通りである。相互協調的自己観では自己が他者との関係の中に定義されるため、関係性を維持・強化する社会的関与感情が適応的であり頻繁に経験される。相互独立的自己観では自己が独立した存在として定義されるため、自己の独自性や有能性を確認する社会的離脱感情が適応的となる。さらに、主観的幸福感との関連パターンも自己構成と整合し、日本では関与感情が、米国では離脱感情が幸福感と正の相関をもつ。この枠組みは、自己構成理論の「自我に焦点化した感情」「他者に焦点化した感情」の区別を発展させ、文化的自己観が感情経験のパターンを方向づけるメカニズムをより精緻に捉えるものである。