Module 3-2 - Section 4: 進化心理学¶
セクション情報¶
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| モジュール | Module 3-2: 文化心理学・進化心理学 |
| 前提セクション | なし |
| 想定学習時間 | 5時間 |
導入¶
人間の心理はなぜ現在のような形態をとっているのか。進化心理学(evolutionary psychology)は、自然選択と性選択の理論を適用することによって、人間の心理的メカニズムの設計原理を解明しようとする学問分野である。この領域はCharles Darwinの進化論を起源としつつ、1990年代にLeda CosmidesとJohn Toobyらの理論的枠組みによって独自の研究プログラムとして確立された。
Module 1-4(社会心理学)で検討した対人魅力、集団行動、利他行動などの現象について、進化心理学は「なぜその心理傾向が存在するのか」という究極要因(ultimate cause)の水準から説明を試みる。従来の心理学が行動の至近要因(proximate cause)、すなわち「どのようなメカニズムで行動が生起するか」を問うのに対し、進化心理学は「なぜそのメカニズムが進化したのか」を問う。Module 1-5(発達心理学)で扱った生得的機構と環境の関係も、進化的視点から再解釈される。
本セクションでは、進化心理学の基盤となる概念と主要な理論、そしてこの分野に対する批判と限界を検討する。
自然選択と適応の基本概念¶
自然選択の原理¶
進化心理学の理論的基盤は、Darwinが『種の起源』(1859)で提唱した自然選択(natural selection)の原理である。自然選択が作動するためには、次の3つの条件が満たされる必要がある。
Key Concept: 自然選択(natural selection) ある形質に (1) 変異(variation)が存在し、(2) その変異が適応度(繁殖成功度)に差をもたらし、(3) その変異が遺伝可能であるとき、適応度を高める形質が世代を経て集団内に広まる過程。
graph TD
V["変異(variation): 個体間に形質の差異が存在"] --> S["選択(selection): 形質の差が生存・繁殖の差をもたらす"]
S --> H["遺伝(heritability): 有利な形質が次世代に伝達される"]
H --> A["適応(adaptation): 環境への適合度が高い形質が集団内に広まる"]
A -->|世代を経た蓄積| V
自然選択は「方向」や「目的」を持たない。環境に対してたまたま有利であった変異が残存するという、盲目的な過程である。この点の誤解が、進化心理学の議論において頻繁に問題となる。
適応と副産物¶
進化心理学が特に重視するのは適応(adaptation)の概念である。適応とは、特定の適応的問題(adaptive problem)を解決するように自然選択によって形成された形質を指す。
Key Concept: 適応(adaptation) 特定の生存・繁殖上の問題を解決するように、自然選択の反復的過程を通じて設計された形質。眼の水晶体による焦点調節、免疫系の病原体認識などが典型例である。
ただし、すべての形質が適応であるわけではない。Stephen Jay GouldとRichard Lewontin(1979)は、適応主義的説明が安易に濫用される危険性を指摘し、形質の進化的由来として以下の区別を提唱した。
| 分類 | 定義 | 例 |
|---|---|---|
| 適応(adaptation) | 自然選択によって特定機能のために形成された形質 | 恐怖反応、味覚嫌悪学習 |
| 副産物(by-product / spandrel) | 適応に付随して生じたが、それ自体は選択の対象ではなかった形質 | 臍(へそ)、骨の白色 |
| ノイズ(noise) | 適応的意義を持たないランダムな変異 | 臍の形状の個人差 |
ある形質が適応であると主張するためには、(1) その形質が複雑で精巧であること、(2) 特定の問題に対して機能的に特殊化していること、(3) 代替的な説明(副産物、偶然)では説明困難であることを示す必要がある。George Williams(1966)は『適応と自然選択』において、適応概念の安易な適用に対して厳格な証拠基準を要求した。
進化的適応環境(EEA)¶
EEAの概念¶
進化心理学の中心的仮定の一つは、人間の心理メカニズムが現代の環境ではなく、過去の環境での適応的問題を解決するように設計されたというものである。
Key Concept: 進化的適応環境(Environment of Evolutionary Adaptedness; EEA) ある適応が自然選択によって形成された際の選択圧の統計的集合体。特定の時代や場所を指すのではなく、適応ごとに異なる選択圧の歴史的パターンを意味する。John Bowlbyが愛着理論の文脈で導入した概念である。
EEAは「更新世(Pleistocene)のサバンナ」と同一視されることがあるが、これは過度の単純化である。EEAは適応ごとに異なり、恐蛇反応のEEAは霊長類の進化史全体にわたるかもしれないし、乳糖耐性のEEAは牧畜文化の出現以降の数千年間であるかもしれない。
ミスマッチ仮説¶
現代の環境がEEAと大きく異なる場合、かつて適応的であった心理傾向が不適応的な結果をもたらしうる。これをミスマッチ仮説(mismatch hypothesis)と呼ぶ。
Key Concept: ミスマッチ仮説(mismatch hypothesis) 進化的に形成された心理メカニズムが、現代の環境条件下では本来の適応的機能と異なる(しばしば不適応的な)結果を生む現象を説明する枠組み。
graph LR
EEA["EEA: 食料希少な環境"] -->|自然選択| PREF["高カロリー食品への選好が適応的"]
PREF -->|現代環境| MIS["食料が豊富な環境でのミスマッチ"]
MIS --> OB["肥満・生活習慣病のリスク増大"]
典型例として、高脂肪・高糖質食品への嗜好性がある。食料が希少であったEEAでは、エネルギー密度の高い食品を積極的に摂取する傾向は生存に有利であった。しかし現代の食料過剰な環境では、この同じ傾向が肥満や代謝疾患のリスクを高める。同様に、蛇やクモへの恐怖はEEAでは適応的であったが、現代社会における主要な死因(交通事故、生活習慣病など)に対してはこのような迅速な恐怖学習が生じにくい。
配偶選択の心理学¶
性選択理論¶
Darwinは自然選択に加えて、性選択(sexual selection)を進化の主要な駆動力として提唱した。性選択は2つのメカニズムからなる。
Key Concept: 性選択(sexual selection) 繁殖上の成功に直接関わる形質の進化を駆動する選択圧。同性内競争(intrasexual competition)と異性間選択(intersexual selection / mate choice)の2機制からなる。
| 機制 | 内容 | ヒトでの例 |
|---|---|---|
| 同性内競争(intrasexual competition) | 同性の個体間で配偶へのアクセスを巡る競争 | 男性間の地位競争、攻撃性 |
| 異性間選択(intersexual selection) | 一方の性が他方の性の特定形質を選好する | 女性による配偶者の資源保有量の評価 |
親の投資理論¶
Robert Trivers(1972)は、配偶選択における性差を説明する理論として親の投資理論(parental investment theory)を提唱した。
Key Concept: 親の投資理論(parental investment theory) Robert Trivers が提唱した理論で、子一人あたりの投資量(時間・エネルギー・機会費用)が大きい性は配偶者の選択において選り好みし(choosy)、投資量が小さい性は配偶へのアクセスを巡って同性内で競争する、と予測する。
哺乳類では、妊娠・授乳に伴う最低限の親の投資(minimal parental investment)が雌において圧倒的に大きいため、一般に雌が配偶者選択においてより選択的であり、雄が同性内競争に従事する。ヒトにおいても、女性の最低限の生物学的投資(妊娠約9ヶ月 + 授乳)は男性(受精に必要な精子提供)を大幅に上回る。
graph TD
PI["親の投資の性差"] --> HIGH["投資大の性(ヒトでは主に女性)"]
PI --> LOW["投資小の性(ヒトでは主に男性)"]
HIGH --> CHOOSY["配偶者選択で選り好み"]
LOW --> COMPETE["同性内競争"]
CHOOSY --> CRITERIA["選択基準: 資源提供能力、誠実さ、健康"]
COMPETE --> DISPLAY["地位獲得、資源蓄積、リスクテイキング"]
David Bussの異文化研究¶
David Buss(1989)は37の文化圏、10,047名を対象とした大規模異文化研究を実施し、配偶選択における性差の普遍性を検討した。主な知見は以下の通りである。
- 女性は男性よりも、配偶候補者の経済的見通し(financial prospects)と社会的地位を重視する傾向が一貫して認められた。
- 男性は女性よりも、配偶候補者の身体的魅力と若さを重視する傾向が一貫して認められた。
- 男性は女性よりも好む配偶相手の年齢が低く、女性は自分より年上の男性を好む傾向が認められた。
これらの知見は親の投資理論と整合するが、効果量は文化によって大きく異なること、また両性とも最も重視した特性は「親切さ」「知性」であったことにも留意が必要である。
短期的・長期的配偶戦略¶
人間の配偶戦略は単一ではなく、文脈に応じて短期的戦略と長期的戦略が使い分けられる。Buss & Schmitt(1993)の性戦略理論(Sexual Strategies Theory; SST)は、男女ともに短期的・長期的配偶戦略のレパートリーを持つが、それぞれの戦略を採用する閾値と選好基準に性差があると主張する。たとえば、短期的な関係において男性は相手の数を最大化する方向にバイアスがかかりやすく、女性は相手の遺伝的質を重視する傾向がある。
ただし、これらの性差は統計的な傾向であり、個人差は大きい。また、文化的規範・経済的条件・生態学的環境によって戦略の採用頻度は大きく変動する(→ Module 3-2, Section 1「文化心理学の基礎」参照)。
血縁選択と互恵的利他行動¶
包括適応度と血縁選択¶
利他行動(altruism)は、行為者のコストで他者に利益を与える行動であり、自然選択の枠組みでは一見説明が困難である。William D. Hamilton(1964)は、包括適応度(inclusive fitness)の概念を導入してこの問題に解答を与えた。
Key Concept: 包括適応度(inclusive fitness) 個体が自らの繁殖を通じて次世代に残す遺伝子のコピー数(直接適応度)に加え、血縁個体の繁殖を助けることで間接的に残す遺伝子のコピー数を合算した適応度の指標。W. D. Hamilton(1964)が提唱した。
Hamiltonの法則は、利他行動が進化する条件を次の不等式で定式化する。
rB > C
ここで、r は行為者と受益者の間の血縁度(coefficient of relatedness)、B は受益者が得る適応度上の利益、C は行為者が負う適応度上のコストである。この不等式が満たされるとき、利他的行動をコードする遺伝子は集団内に広まりうる。
| 関係 | 血縁度 (r) |
|---|---|
| 一卵性双生児 | 1.0 |
| 親子 | 0.5 |
| 同胞(きょうだい) | 0.5 |
| 祖父母−孫 | 0.25 |
| おじ/おば−甥/姪 | 0.25 |
| いとこ | 0.125 |
J. B. S. Haldaneの有名な言い回し「2人の兄弟か8人のいとこのためなら喜んで命を捧げよう」は、この論理を直感的に表現したものである。
血縁選択(kin selection)に基づく予測は、多くの実証研究で支持されている。たとえば、人は血縁者に対してより多くの援助を提供し、遺産をより多く残す傾向がある。Eugene BurnsteinらDavid Bussの共同研究者たちは、生死に関わる仮想場面で、血縁度の高い人物を優先的に援助するという結果を報告している(Burnstein, Crandall, & Kitayama, 1994)。
互恵的利他行動¶
血縁関係のない個体間での利他行動は、Trivers(1971)の互恵的利他行動(reciprocal altruism)理論によって説明される。
Key Concept: 互恵的利他行動(reciprocal altruism) 非血縁者間において、将来の見返りを期待して利他的行動を行うメカニズム。繰り返しの相互作用、裏切り者の検知能力、コストを上回る長期的利益の存在が条件となる。Robert Trivers(1971)が提唱した。
互恵的利他行動が安定的に維持されるためには、次の条件が必要である。
- 繰り返しの相互作用: 一回限りの相互作用では裏切りが有利となる
- 裏切り者の検知と排除: 利益だけを享受して返報しない「フリーライダー」を特定・制裁する能力
- コストとベネフィットの非対称性: 行為者のコストが受益者のベネフィットより小さいこと
Cosmidesは、Wason選択課題の改変版を用いて、人間が「社会的契約」の文脈で裏切り者検知に特化した推論能力を持つことを示した(Cosmides, 1989)。標準的なWason選択課題では成績が低い被験者も、「もし利益を受けるなら、コストを支払わなければならない」という社会的契約の形式に問題が書き換えられると、正答率が劇的に向上した。Cosmidesはこれを、裏切り者検知のための進化的に形成されたモジュール的メカニズムの証拠と解釈した。
graph LR
A["個体A: 利他的行動の提供"] -->|コスト C| B["個体B: 利益 B を受領"]
B -->|将来の返報| A
DET["裏切り者検知メカニズム"] -->|フリーライダーの排除| STABLE["互恵関係の安定的維持"]
A --> DET
進化心理学のモジュール性仮説¶
Cosmides & Tooby(1992)は、人間の心が汎用的な学習装置(general-purpose learning device)ではなく、特定の適応的問題を解決するために進化した多数の領域固有的モジュール(domain-specific modules)から構成されるという大規模モジュール性仮説(massive modularity hypothesis)を提唱した。
この仮説によれば、配偶選択、裏切り者検知、言語獲得、恐怖学習、近親相姦回避(Westermarck効果)などの問題に対して、それぞれ特殊化した情報処理メカニズムが存在する。これはJerry Fodor(1983)のモジュール概念(入力系に限定されたモジュール性)を大幅に拡張したものであり、認知科学においても議論が続いている。
進化心理学への批判と限界¶
進化心理学は強力な理論枠組みを提供する一方で、多くの批判にも直面している。以下では主要な批判を整理する。
反証可能性の問題¶
進化心理学的仮説はしばしば事後的説明(just-so story)になりがちであるという批判がある。ある行動が観察されたとき、それを適応として説明する「もっともらしい物語」を構築することは容易であるが、その物語が正しいことを厳密に検証することは困難な場合がある。Gould(1997)は、進化心理学が科学的に検証可能な仮説を生成する能力に疑問を呈した。
これに対して進化心理学者は、理論から導かれる特定の予測を事前に立て、それを異文化比較・実験・行動生態学的データで検証するという方法論的手続きが確立されていると反論する。たとえば、Bussの配偶選択研究は親の投資理論から事前に導出された予測を37文化で検証したものである。
遺伝決定論批判¶
進化心理学は遺伝決定論(genetic determinism)であるとの批判を受けることがある。しかし、主流の進化心理学者はこの批判を明確に否定する。進化心理学が主張するのは、進化的に形成された心理メカニズム(evolved psychological mechanism)の存在であり、そのメカニズムが環境入力に応じて柔軟に発現するという点を強調する。たとえば、条件的戦略(conditional strategy)の概念は、「もし環境条件Xならば行動Aを、条件Yならば行動Bを」という形式の柔軟な行動プログラムを想定しており、固定的な行動パターンの遺伝を主張するものではない。
政治的・倫理的批判¶
進化心理学的知見が、既存の社会的不平等やジェンダー規範を正当化するために利用される危険性が指摘されている。たとえば、性差の進化的基盤に関する研究が「男女の役割分担は自然なものである」という主張に援用されうる。
しかし、自然主義的誤謬(naturalistic fallacy)の観点から、「何が自然であるか」から「何がそうあるべきか」を導くことはできない。進化的に形成された傾向が存在することと、その傾向に従うべきであることは論理的に独立した主張である。進化心理学者自身も、この区別を繰り返し強調している。
EEAの特定困難¶
EEAの具体的な環境条件を正確に特定することは困難であり、仮説の検証可能性を制約する。更新世の環境に関する考古学的・古生態学的証拠は限定的であり、祖先の生活様式についての推論には不確実性が伴う。
文化の過小評価¶
文化心理学者(→ Module 3-2, Section 1–3)からは、進化心理学が文化の影響を過小評価しているとの批判がある。文化的な変異は進化的制約の上に構築されるだけでなく、遺伝子-文化共進化(gene-culture coevolution)を通じて進化過程そのものにも影響を及ぼす。乳糖耐性の進化(牧畜文化が乳糖分解酵素の遺伝子頻度を変化させた)は、文化が遺伝的進化を駆動した明確な事例である。
| 批判の観点 | 主な内容 | 進化心理学側の応答 |
|---|---|---|
| 反証可能性 | 事後的説明に陥りやすい | 事前予測の検証手続きが確立されている |
| 遺伝決定論 | 行動が遺伝で決定されるとの誤解 | 環境条件に応じた柔軟な発現を主張 |
| 政治的利用 | 社会的不平等の正当化に悪用されうる | 自然主義的誤謬の区別を強調 |
| EEAの不確定性 | 祖先の環境条件の特定が困難 | 収束的証拠による推論の精緻化 |
| 文化の過小評価 | 文化的変異を十分に説明できない | 遺伝子-文化共進化モデルの統合 |
graph TD
EP["進化心理学の主張"] --> STR["強み"]
EP --> LIM["限界・批判"]
STR --> S1["究極要因の説明力"]
STR --> S2["異文化的普遍性の予測"]
STR --> S3["具体的仮説の導出"]
LIM --> L1["反証可能性の問題"]
LIM --> L2["EEAの特定困難"]
LIM --> L3["文化的変異の説明不足"]
LIM --> L4["政治的悪用のリスク"]
まとめ¶
- 進化心理学は、自然選択と性選択の原理を用いて、人間の心理メカニズムがなぜ現在の形態を持つかを説明する理論枠組みである
- 適応は特定の適応的問題を解決するよう自然選択によって形成された形質であり、副産物やノイズとは区別される
- EEAの概念は、現代の心理傾向が過去の選択圧のもとで形成されたことを示し、ミスマッチ仮説は現代環境における不適応的結果を説明する
- 親の投資理論は配偶選択における性差を、Hamiltonの包括適応度理論は血縁者間の利他行動を、互恵的利他行動理論は非血縁者間の協力行動をそれぞれ説明する
- 進化心理学は強力な説明枠組みを提供する一方、反証可能性、文化の過小評価、政治的利用などの批判に直面しており、遺伝子-文化共進化モデルとの統合が進みつつある
- 次セクション(Section 5: 遺伝と環境の相互作用)では、行動遺伝学やエピジェネティクスの知見を通じて、進化的基盤と環境要因の動的な相互作用をより詳細に検討する
用語集(Glossary)¶
| 用語 | 英語表記 | 定義 |
|---|---|---|
| 自然選択 | natural selection | 適応度を高める遺伝可能な変異が世代を経て集団内に広まる過程 |
| 適応 | adaptation | 自然選択によって特定の問題を解決するよう形成された形質 |
| 副産物 | by-product / spandrel | 適応に付随して生じたが、それ自体は選択の対象でなかった形質 |
| 進化的適応環境 | Environment of Evolutionary Adaptedness (EEA) | ある適応が形成された際の選択圧の統計的集合体 |
| ミスマッチ仮説 | mismatch hypothesis | 進化的メカニズムが現代環境で不適応的結果を生む現象の説明枠組み |
| 性選択 | sexual selection | 繁殖成功に関わる形質の進化を駆動する選択圧 |
| 親の投資理論 | parental investment theory | 子への投資が大きい性は配偶者選択で選り好みし、投資が小さい性は同性内で競争するという理論 |
| 包括適応度 | inclusive fitness | 直接適応度と血縁者への間接的貢献を合算した適応度指標 |
| 血縁選択 | kin selection | 血縁度に基づいて利他行動が進化するメカニズム |
| 互恵的利他行動 | reciprocal altruism | 非血縁者間で将来の見返りを期待して利他行動を行うメカニズム |
| 自然主義的誤謬 | naturalistic fallacy | 「何が自然であるか」から「何がそうあるべきか」を導く誤った推論 |
| 大規模モジュール性仮説 | massive modularity hypothesis | 心が多数の領域固有的モジュールから構成されるとする仮説 |
| 遺伝子-文化共進化 | gene-culture coevolution | 遺伝的進化と文化的進化が相互に影響し合う過程 |
確認問題¶
Q1: Gouldらが指摘した「副産物(spandrel)」の概念を説明し、ある形質が適応であると主張するために必要な証拠基準について述べよ。
A1: 副産物とは、適応に付随して生じたが、それ自体は自然選択の対象ではなかった形質である。GouldとLewontin(1979)はこの概念を用いて、進化心理学的な適応主義の安易な適用に警鐘を鳴らした。ある形質が適応であると主張するためには、Williams(1966)が提示した基準に基づき、(1) その形質が複雑で精巧な設計を示すこと、(2) 特定の適応的問題に対して機能的に特殊化していること、(3) 副産物や偶然という代替的説明では十分に説明できないことを示す必要がある。
Q2: Triversの親の投資理論が配偶選択における性差をどのように説明するか述べ、Buss(1989)の異文化研究の知見がこの理論とどのように整合するかを論じよ。
A2: 親の投資理論は、子一人あたりの最低限の投資量が大きい性(哺乳類では一般に雌)は配偶者選択において選り好みし、投資量が小さい性(雄)は同性内で配偶へのアクセスを巡って競争すると予測する。Bussの37文化研究では、女性が男性よりも配偶候補者の経済的見通しと社会的地位を重視し、男性が女性よりも身体的魅力と若さを重視するという性差が文化横断的に認められた。女性の選り好みが資源提供能力のある配偶者に向かうことは、子への高い投資を補償する資源の確保という観点から親の投資理論と整合する。ただし効果量の文化間変動、および両性とも「親切さ」「知性」を最重視した点は、文化的・環境的要因の重要性も示唆する。
Q3: Hamiltonの法則(rB > C)を用いて、なぜ個体が自らの生存コストを負ってまで血縁者を援助する行動が進化しうるかを説明せよ。
A3: Hamiltonの法則 rB > C は、血縁度 r と受益者の適応度上の利益 B の積が行為者のコスト C を上回るとき、利他行動をコードする遺伝子が集団内に広まりうることを示す。利他行為者は自身の直接適応度を犠牲にするが、血縁者を援助することで同じ遺伝子を共有する個体の繁殖成功を高める。その結果、包括適応度(直接適応度+血縁者への間接的貢献)の観点では利他行動が有利となる。たとえば、同胞(r = 0.5)への援助では、受益者の利益が行為者のコストの2倍を超えれば利他行動は進化的に有利である。
Q4: 進化心理学に対する「事後的説明(just-so story)」批判の内容を説明し、それに対する進化心理学者の方法論的応答を述べよ。
A4: 「事後的説明」批判とは、観察された行動に対して適応的な物語を事後的に構築することは容易であるが、そのような説明は反証可能性に乏しく、科学的仮説としての要件を満たさないという批判である。この批判に対して進化心理学者は、理論から事前に特定の予測を導出し、異文化比較・実験・行動生態学的データを用いて検証するという仮説演繹的方法論が確立されていると反論する。Bussの配偶選択研究は、親の投資理論から事前に導かれた性差の予測を37文化で検証したものであり、事後的説明ではなく事前予測の検証というプロセスを踏んでいる。
Q5: 自然主義的誤謬(naturalistic fallacy)の観点から、進化心理学の知見を社会規範の正当化に用いることの問題点を論じよ。
A5: 自然主義的誤謬とは、「何が自然であるか」という事実命題から「何がそうあるべきか」という規範命題を導出する誤った推論である。進化心理学が性差や攻撃性の進化的基盤を明らかにしたとしても、それは「そのような傾向が存在する」という記述的主張に過ぎず、「そのような傾向に従うべきである」「社会はそのような傾向を容認すべきである」という規範的主張はそこからは導かれない。事実と当為は論理的に独立しており、進化的に形成された傾向が存在するからといって、ジェンダー不平等や暴力が正当化されるわけではない。科学的知見は政策的・倫理的判断に情報を提供するが、それ自体が規範を決定するものではない。