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Module 3-4 - Section 1: 健康行動モデル

セクション情報

項目 内容
モジュール Module 3-4: 健康心理学・教育心理学
前提セクション なし
想定学習時間 5時間

導入

健康心理学(health psychology)は、健康の維持・増進、疾病の予防・治療における心理学的要因の役割を解明する領域である。身体的健康が生物学的要因のみならず、個人の認知・信念・行動によって大きく左右されるという認識は、生物心理社会モデル(biopsychosocial model; Engel, 1977)の台頭とともに定着した。

本セクションでは、人がなぜ健康に関連する行動を採る(あるいは採らない)のかを説明する主要な理論的枠組みとして、健康信念モデル(Health Belief Model)、トランスセオレティカルモデル(Transtheoretical Model)、そして計画的行動理論(Theory of Planned Behavior)の3つを取り上げる。これらのモデルはいずれも、健康行動の規定因を個人の認知的過程に求める点で共通するが、焦点を当てる認知変数や行動変容の捉え方に重要な差異がある。

なお、計画的行動理論については社会心理学(Module 1-4, Section 3「態度と態度変容」)で態度-行動関係の文脈から既に導入されている。本セクションでは、この理論を健康行動への応用という視座から改めて検討し、他の健康行動モデルとの比較の中に位置づける。


健康信念モデル

モデルの成立背景

Key Concept: 健康信念モデル(Health Belief Model: HBM) 個人が健康関連行動を採るか否かを、脅威の認知(罹患可能性と重大性)と行動の評価(利益と障壁)、さらに行動のきっかけによって予測するモデル。1950年代に米国公衆衛生局の社会心理学者らによって開発された。

健康信念モデルは、Godfrey Hochbaum、Stephen Kegeles、Howard Leventhal、Irwin Rosenstock らが1950年代に開発した、健康行動の予測・説明のための最初期の理論モデルである。開発の契機となったのは、結核の無料検診が提供されているにもかかわらず受診率が低いという公衆衛生上の問題であった。合理的に考えれば無料検診を受けることは明白に有益であるにもかかわらず、多くの人がそれを回避するのはなぜか。この問いに対して、個人の「信念(belief)」の構造に注目することで説明を試みたのがHBMである。

理論的背景には、Kurt Lewinの場の理論(field theory)と期待価値理論(expectancy-value theory)がある。Lewinの理論では、行動は個人の主観的な生活空間(life space)における心理的力の均衡によって決まる。HBMはこの考え方を健康行動に適用し、健康に対する脅威の認知と、行動の利益・障壁の認知という心理的変数の組み合わせによって行動の生起を予測する。

モデルの構成要素

HBMは以下の主要な構成要素から成る。

1. 知覚された罹患可能性(perceived susceptibility)

ある疾病や健康問題に自分がかかる可能性がどの程度あるかについての主観的評価である。例えば、「自分がインフルエンザにかかる可能性は高い」と知覚している人は、予防行動を採りやすい。客観的なリスクとは独立した主観的判断である点が重要である。

2. 知覚された重大性(perceived severity)

その疾病にかかった場合の結果の深刻さに関する主観的評価である。医学的帰結(疼痛、障害、死亡)のみならず、社会的帰結(仕事への影響、家族関係の変化、社会的偏見)も含まれる。

知覚された罹患可能性と知覚された重大性を合わせて、知覚された脅威(perceived threat) と呼ぶ。脅威の認知が高いほど行動への動機づけが高まる。

3. 知覚された利益(perceived benefits)

推奨される行動を採ることによって得られる効果に対する主観的評価である。「ワクチン接種によりインフルエンザの罹患リスクが下がる」という信念がこれにあたる。

4. 知覚された障壁(perceived barriers)

推奨される行動を採ることに伴うコスト・困難さの主観的評価である。経済的コスト、身体的苦痛、時間的制約、心理的不快感(恐怖、恥ずかしさなど)が含まれる。

HBMでは、知覚された利益から知覚された障壁を差し引いた「純利益」の評価が行動の生起に直接影響するとされる。多くの実証研究において、知覚された障壁が行動の最も強力な予測因であることが繰り返し報告されている(Janz & Becker, 1984のメタ分析)。

5. 行動のきっかけ(cues to action)

行動を実際に起動させるトリガーとなる刺激である。内的きっかけ(身体症状の自覚)と外的きっかけ(メディアの健康キャンペーン、知人の発病、医師の助言など)に大別される。

6. 自己効力感(self-efficacy)

Rosenstock, Strecher, & Becker(1988)によって後年追加された構成要素であり、推奨される行動を実際に遂行できるという個人の確信の程度を指す。Albert Bandura(1977)の自己効力感概念を取り込んだものであり、特に禁煙や運動習慣の形成など、持続的な行動変容が求められる場面でその重要性が認識された。

graph TD
    A["知覚された罹患可能性"] --> C["知覚された脅威"]
    B["知覚された重大性"] --> C
    C --> G{"健康行動の実行"}
    D["知覚された利益"] --> G
    E["知覚された障壁"] --> G
    F["行動のきっかけ"] --> G
    H["自己効力感"] --> G
    I["人口統計学的変数・心理社会的変数"] -.-> A
    I -.-> B
    I -.-> D
    I -.-> E

実証的知見と限界

HBMは予防的健康行動(ワクチン接種、がん検診受診、歯科受診など)、疾病行動(症状知覚後の受診行動)、病者役割行動(処方への遵守)など広範な健康行動の研究に適用されてきた。Janz & Becker(1984)のレビューでは、46の研究のうち知覚された障壁が最も頻繁に有意な予測因として同定され、続いて知覚された罹患可能性、知覚された利益、知覚された重大性の順であった。

一方で、HBMにはいくつかの重要な限界が指摘されている。

  • 構成要素間の関係の不明確さ: 各変数間の関係(例えば脅威認知と利益-障壁評価がどのように統合されるか)が明確に定式化されていない。これにより、モデルとしての検証可能性(反証可能性)が低下している。
  • 社会的・環境的要因の軽視: HBMは個人の認知に焦点を当てるが、社会経済的状況、文化的規範、医療制度へのアクセスなどの構造的要因を十分に考慮していない。
  • 行動意図の不在: 認知から行動への経路において「意図」という媒介変数が含まれておらず、認知がどのように行動に変換されるかのメカニズムが不十分である。
  • 時間的過程の欠如: HBMは静的なモデルであり、行動変容の段階的プロセスを記述しない。

トランスセオレティカルモデル

モデルの概要

Key Concept: トランスセオレティカルモデル(Transtheoretical Model: TTM) James Prochaska & Carlo DiClemente(1983)が提唱した行動変容の段階モデル。個人の行動変容を5つの段階として捉え、段階に応じた介入が効果的であるとする。「変化のステージモデル(Stages of Change Model)」とも呼ばれる。

HBMや計画的行動理論が「行動を規定する認知変数は何か」という問いに答えるモデルであるのに対し、TTMは「行動変容はどのような時間的過程を経て生じるか」という問いに焦点を当てる。Prochaska & DiClementeは、禁煙行動の研究を出発点として、複数の心理療法理論(精神分析、行動療法、ロジャーズの人間中心療法など)に共通する変化の過程を統合した。「トランスセオレティカル(理論横断的)」という名称はここに由来する。

変化のステージ

TTMの中核的な構成要素は、行動変容の5段階(ステージ)である。

Key Concept: 変化のステージ(Stages of Change) 行動変容を前熟考期・熟考期・準備期・実行期・維持期の5段階として捉える枠組み。各段階は質的に異なる認知・動機づけの状態を反映し、段階間の移行は直線的とは限らない。

1. 前熟考期(precontemplation)

今後6か月以内に行動を変える意図がない段階である。行動変容の必要性を認識していないか、過去に何度か試みて失敗し諦めている場合がある。この段階にある人は問題を過小評価し、変化の利益よりもコストを強く認識している。

2. 熟考期(contemplation)

今後6か月以内に行動を変える意図がある段階である。問題を認識し、行動変容の利益と障壁を比較検討しているが、まだ行動には移していない。変化の利益とコストが拮抗しており、長期間この段階にとどまる「慢性的熟考者(chronic contemplator)」も存在する。

3. 準備期(preparation)

今後30日以内に行動を変える意図があり、過去1年以内に何らかの行動的ステップを踏んだことがある段階である。具体的な行動計画を立て始めている状態に相当する。

4. 実行期(action)

実際に行動を変えてから6か月以内の段階である。行動の変化が明確に観察可能であるが、再発(relapse)のリスクが最も高い時期でもある。

5. 維持期(maintenance)

行動変容から6か月以上が経過し、再発の防止に取り組んでいる段階である。行動が習慣化し、自己効力感が高まっている状態であるが、特定の誘因に対する警戒は引き続き必要とされる。

stateDiagram-v2
    [*] --> 前熟考期
    前熟考期 --> 熟考期
    熟考期 --> 準備期
    準備期 --> 実行期
    実行期 --> 維持期
    維持期 --> [*]: 終結
    実行期 --> 前熟考期: 再発
    実行期 --> 熟考期: 再発
    維持期 --> 熟考期: 再発

変化のプロセス

TTMは、ステージ間の移行を促進する心理的・行動的活動として、10の変化のプロセス(processes of change) を同定している。これらは認知的・体験的プロセス(前半のステージで主に機能)と行動的プロセス(後半のステージで主に機能)に大別される。

種別 プロセス 内容 主に機能するステージ移行
認知的・体験的 意識の高揚(consciousness raising) 問題に関する情報の獲得と気づき 前熟考期→熟考期
認知的・体験的 感情的喚起(dramatic relief) 問題に関する感情的体験 前熟考期→熟考期
認知的・体験的 自己再評価(self-reevaluation) 行動と自己像の再評価 熟考期→準備期
認知的・体験的 環境再評価(environmental reevaluation) 行動が環境・他者に与える影響の評価 熟考期→準備期
認知的・体験的 社会的解放(social liberation) 社会的な行動変容支援の認識 前熟考期→熟考期
行動的 自己解放(self-liberation) 変わるという決意とコミットメント 準備期→実行期
行動的 援助関係(helping relationships) ソーシャルサポートの活用 実行期・維持期
行動的 強化マネジメント(reinforcement management) 行動変容に対する報酬の活用 実行期・維持期
行動的 逆条件づけ(counterconditioning) 問題行動の代替行動の学習 実行期・維持期
行動的 刺激統制(stimulus control) 問題行動を誘発する刺激の除去・回避 実行期・維持期

意思決定バランスと自己効力感

TTMには変化のステージとプロセスに加え、意思決定バランス(decisional balance)自己効力感(self-efficacy) が補助的な構成概念として含まれる。

意思決定バランスは、行動変容の「恩恵(pros)」と「負担(cons)」の主観的比較である。Prochaska et al.(1994)は48の問題行動についてメタ分析を行い、前熟考期から実行期にかけて恩恵の認知が増大し、負担の認知が減少するという一貫したパターンを見出した。特に、前熟考期では負担が恩恵を上回り、熟考期でその関係が逆転する(交差点が存在する)という知見が報告されている。

自己効力感は、Banduraの概念と同義であり、各ステージにおいて誘惑場面(temptation)に直面しても問題行動を回避できるという確信の程度を指す。ステージが進むにつれて自己効力感は高まり、誘惑の強度は低下する傾向がある。

graph LR
    subgraph "前熟考期〜熟考期"
        A["認知的・体験的プロセスが優位"]
        B["意思決定バランス: 負担 > 恩恵"]
    end
    subgraph "準備期〜維持期"
        C["行動的プロセスが優位"]
        D["意思決定バランス: 恩恵 > 負担"]
    end
    A --> C
    B --> D
    E["自己効力感: 低→高"] -.-> A
    E -.-> C

応用と批判

TTMは禁煙、運動促進、食生活改善、がん検診受診促進、コンドーム使用促進、薬物乱用防止など、極めて広範な健康行動の介入に適用されてきた。ステージに合わせた介入(stage-matched intervention)の概念は、画一的な介入よりも効果的であるという主張の根拠となり、臨床実践に大きな影響を与えた。

一方で、TTMに対しては以下の批判が提起されている。

  • ステージの恣意性: 6か月、30日という時間的区切りの理論的根拠が薄い。ステージは離散的カテゴリというよりも連続体上の人為的区分ではないかとする批判がある(Sutton, 2001)。
  • ステージ適合介入の優位性に関する疑問: 系統的レビューにおいて、ステージ適合介入が非適合介入よりも一貫して優れているという明確な証拠は限定的である(Bridle et al., 2005)。
  • 変化のプロセスとステージの対応: 理論が予測するプロセスとステージの対応関係が実証的に十分支持されていないとする指摘がある。
  • 疑似ステージ効果: ステージ分類が行動意図の連続変数を離散化しただけであり、ステージに基づくモデルが連続変数に基づくモデルよりも優れた予測力を持つわけではないとする批判(West, 2005)がある。

これらの批判にもかかわらず、TTMは行動変容を時間的過程として捉えるという視座を提供した点、および臨床現場において「まだ変える気のない人にどう関わるか」という問題に実践的な枠組みを与えた点で重要な貢献を果たしている。


計画的行動理論の健康行動への応用

理論の概要(復習)

Key Concept: 計画的行動理論(Theory of Planned Behavior: TPB) Icek Ajzen(1991)が合理的行為理論を拡張して提唱した行動予測モデル。行動意図が行動の直接的な規定因であり、意図は (1) 行動に対する態度、(2) 主観的規範、(3) 知覚された行動統制感の3要因によって決定されるとする。(→ Module 1-4, Section 3「態度と態度変容」参照)

計画的行動理論の基本構造はModule 1-4で既に学んでいる。ここでは健康行動研究における具体的な適用について検討する。

健康行動研究での実証的知見

TPBは健康行動研究において最も広く適用されている理論の一つである。Armitage & Conner(2001)は185の研究を対象としたメタ分析を実施し、TPBが行動意図の分散の39%、行動の分散の27%を説明するという結果を報告した。

具体的な適用領域と知見を以下に示す。

運動行動: Hagger, Chatzisarantis, & Biddle(2002)のメタ分析では、行動に対する態度と知覚された行動統制感が運動意図の強力な予測因であり、主観的規範の予測力は相対的に弱いことが示された。

食行動: 果物・野菜の摂取、脂肪摂取の制限、健康的な食事パターンの採用など、様々な食行動においてTPBの適用が報告されている。態度が最も強い予測因であるケースが多いが、行動の性質によって3要因の相対的重要性は変動する。

喫煙・飲酒: 喫煙開始の予測では、主観的規範(特に同輩からの圧力の認知)が態度や行動統制感よりも重要な役割を果たすとする知見があり、社会的文脈の影響力の大きさを示している。

性行動: コンドーム使用行動の予測では、意図と行動の乖離が特に顕著であり、知覚された行動統制感(パートナーとの交渉力の認知など)が重要な修飾因として機能する。

graph LR
    subgraph "TPBの健康行動への適用"
        A["行動に対する態度"] -->|"例: 運動は健康によい"| D["行動意図"]
        B["主観的規範"] -->|"例: 家族が禁煙を望んでいる"| D
        C["知覚された行動統制感"] -->|"例: 禁煙できる自信がある"| D
        C --> E["健康行動"]
        D --> E
    end

意図-行動ギャップ

TPBの重要な課題の一つが、意図-行動ギャップ(intention-behavior gap) の問題である。行動意図をもっているにもかかわらず実際の行動に移せないという現象は、健康行動において特に顕著である。「運動しようと思っているがなかなかできない」「禁煙したいが実行に移せない」という状況は日常的に広くみられる。

Key Concept: 意図-行動ギャップ(intention-behavior gap) 行動意図の形成と実際の行動遂行との間に存在する乖離。行動変容の意図を持つ人のうち、実際に行動を変えるのは約半数にとどまるとする知見がある(Sheeran, 2002)。

この問題に対処するために提案された補完的概念の一つが、Peter Gollwitzerの実行意図(implementation intention) である。

実行意図は、「いつ、どこで、どのように」行動するかを事前に具体的に計画する認知的方略であり、「もしXの状況になったら、Yの行動をする(if-then plan)」という形式をとる。Gollwitzer & Sheeran(2006)のメタ分析では、実行意図の形成が健康行動を含む幅広い領域で行動遂行を有意に促進することが示されている(d = 0.65)。


3モデルの比較と統合

比較表

比較軸 HBM TTM TPB
理論的起源 期待価値理論、場の理論 複数の心理療法理論の統合 合理的行為理論(社会心理学)
焦点 行動を規定する認知変数 行動変容の時間的過程 行動意図の規定因
主要構成概念 脅威認知、利益-障壁評価 5段階のステージ、変化のプロセス 態度、主観的規範、行動統制感
行動変容の捉え方 静的(ある時点の認知から予測) 動的(段階的プロセス) 静的(ある時点の認知から予測)
意図の位置づけ 明示的に含まない 暗黙的にステージの定義に含む 行動の直接的規定因
社会的要因 限定的(行動のきっかけに含む程度) 限定的(援助関係など) 主観的規範として明示的に含む
自己効力感 後年追加 補助概念として含む 行動統制感として実質的に含む
検証可能性 低い(変数間関係の定式化が不明確) 中程度(ステージの妥当性に疑義あり) 高い(変数間関係が明示的)

統合的理解に向けて

これら3モデルは競合するというよりも、健康行動の異なる側面を照射する相補的な枠組みである。

HBMは特に、個人がなぜ特定の健康上の脅威に対して予防行動を採るか(あるいは採らないか)を説明する際に有用であり、疾病の脅威認知が行動の起点となる場面(感染症の予防接種、がん検診など)に適合性が高い。

TTMは、行動変容を一時点の意思決定ではなく時間的過程として捉える点で独自の貢献を果たしている。「まだ変える気のない人」への介入戦略(動機づけ面接法との親和性など)を理論的に基礎づけている。

TPBは、態度・社会的規範・行動統制感という3要因の相対的寄与を定量的に評価できるため、どの要因に介入すべきかの優先順位決定に有用である。ただし、意図-行動ギャップの問題から、意図の形成だけでは不十分であり、実行意図の形成など行動の実装に関する追加的方略が必要であることが示されている。

近年の健康行動研究では、これらの古典的モデルを超えて、自動的過程(習慣、衝動的反応)と熟慮的過程の二重過程(dual-process)の枠組みや、行動経済学のナッジ(nudge)の概念、さらにはソーシャル・エコロジカルモデル(social-ecological model)など個人の認知を超えた環境・政策レベルの要因を統合する方向に理論的発展が進んでいる。


まとめ

  • 健康信念モデル(HBM)は、知覚された脅威(罹患可能性と重大性)と知覚された利益-障壁の評価から健康行動の生起を予測する。最も歴史の古いモデルであり、特に予防行動の説明に有用だが、変数間関係の定式化が不明確で検証可能性が低いという理論的課題を抱える。
  • トランスセオレティカルモデル(TTM)は、行動変容を5段階の時間的過程として記述する。ステージに応じた介入の概念は臨床実践に大きな影響を与えたが、ステージの恣意性やステージ適合介入の優位性に関する疑問が提起されている。
  • 計画的行動理論(TPB)は、行動意図を媒介変数として態度・主観的規範・行動統制感の3要因から健康行動を予測する。検証可能性が高く実証的支持も豊富であるが、意図-行動ギャップの問題が課題として残り、実行意図などの補完的概念が提案されている。
  • これらのモデルは競合するのではなく、健康行動の異なる側面を照射する相補的な枠組みとして理解すべきである。
  • 次のSection 2(ストレスと健康・慢性疾患)では、ストレスが健康に影響する過程を扱うが、ストレス場面における対処行動の選択にも本セクションで学んだ認知的枠組みが適用される。

用語集(Glossary)

用語 英語表記 定義
健康心理学 health psychology 健康の維持・増進、疾病の予防・治療における心理学的要因を研究する領域
生物心理社会モデル biopsychosocial model 健康と疾病を生物学的・心理学的・社会的要因の相互作用から理解する枠組み
健康信念モデル Health Belief Model (HBM) 脅威認知と利益-障壁評価から健康行動を予測するモデル
知覚された罹患可能性 perceived susceptibility 疾病に罹患する可能性についての主観的評価
知覚された重大性 perceived severity 疾病の結果の深刻さについての主観的評価
知覚された脅威 perceived threat 知覚された罹患可能性と重大性を合わせた概念
知覚された利益 perceived benefits 推奨行動を採ることの効果についての主観的評価
知覚された障壁 perceived barriers 推奨行動を採ることのコスト・困難さについての主観的評価
行動のきっかけ cues to action 健康行動を実際に起動させるトリガーとなる刺激
トランスセオレティカルモデル Transtheoretical Model (TTM) 行動変容を5段階の時間的過程として記述するモデル
前熟考期 precontemplation 行動変容の意図がない段階
熟考期 contemplation 行動変容を検討しているが未着手の段階
準備期 preparation 近い将来の行動変容に向けて具体的な準備をしている段階
実行期 action 行動変容を実行して6か月以内の段階
維持期 maintenance 行動変容を6か月以上継続し再発防止に取り組む段階
変化のプロセス processes of change TTMにおいてステージ間移行を促進する10の心理的・行動的活動
意思決定バランス decisional balance 行動変容の恩恵と負担の主観的比較
計画的行動理論 Theory of Planned Behavior (TPB) 態度・主観的規範・行動統制感から行動意図を予測する理論
意図-行動ギャップ intention-behavior gap 行動意図と実際の行動遂行との間の乖離
実行意図 implementation intention いつ・どこで・どのように行動するかを事前に具体的に計画するif-then形式の認知的方略
自己効力感 self-efficacy 特定の行動を遂行できるという個人の確信の程度

確認問題

Q1: 健康信念モデル(HBM)の主要な構成要素を挙げ、それぞれがインフルエンザ予防接種行動の文脈でどのように機能するかを具体例とともに説明せよ。

A1: HBMの主要構成要素は、(1) 知覚された罹患可能性、(2) 知覚された重大性、(3) 知覚された利益、(4) 知覚された障壁、(5) 行動のきっかけ、(6) 自己効力感である。インフルエンザ予防接種の文脈では、知覚された罹患可能性は「今年インフルエンザにかかる可能性が高い」という認知、知覚された重大性は「インフルエンザにかかると仕事を長期間休む必要がある」という帰結の深刻さの認知にあたる。両者を合わせた知覚された脅威が行動への動機づけとなる。知覚された利益は「接種により感染リスクが大幅に下がる」という効果の認知、知覚された障壁は「接種に時間がかかる」「副反応が心配」などの行動に伴うコストの認知である。行動のきっかけは、職場の接種推奨の通知や知人の罹患といった行動を起動させる刺激である。自己効力感は「接種の予約をして実際に受けに行くことができる」という確信である。Janz & Becker(1984)のレビューによれば、知覚された障壁が最も頻繁に行動の予測因として同定されている。

Q2: トランスセオレティカルモデル(TTM)の5つのステージを説明し、前熟考期から実行期への移行において認知的・体験的プロセスと行動的プロセスがどのように役割を分担するかを述べよ。

A2: TTMの5ステージは、前熟考期(行動変容の意図なし)、熟考期(6か月以内の変容を検討中)、準備期(30日以内の変容を計画し具体的ステップを踏んでいる)、実行期(行動変容を実行して6か月以内)、維持期(変容から6か月以上経過し再発防止に取り組む)である。前熟考期から熟考期・準備期への初期の移行においては、意識の高揚(問題に関する情報の獲得)、感情的喚起(問題に関する情動的体験)、自己再評価(行動と自己像の再評価)、環境再評価(行動が他者に与える影響の評価)などの認知的・体験的プロセスが主に機能する。一方、準備期から実行期、そして維持期への移行においては、自己解放(変化への決意)、強化マネジメント(報酬の活用)、逆条件づけ(代替行動の学習)、刺激統制(誘発刺激の除去)などの行動的プロセスが主に機能する。このように、変化の初期段階では認知・動機づけの変化が先行し、後期段階では具体的な行動的方略が重要になるという非対称性がTTMの重要な主張である。

Q3: 計画的行動理論(TPB)における意図-行動ギャップとは何か。この問題に対してGollwitzerの実行意図がどのような解決策を提供するかを説明せよ。

A3: 意図-行動ギャップとは、行動を変えるという意図を持っているにもかかわらず、実際の行動遂行に至らないという現象である。Sheeran(2002)によれば、行動変容の意図を持つ人のうち実際に行動を変えるのは約半数にとどまる。この問題は、TPBが行動意図の形成過程を精緻に説明する一方で、意図がいかにして行動に変換されるかのメカニズムが不十分であることを示している。Gollwitzerの実行意図は、「もしXの状況になったら、Yの行動をする」というif-then形式で行動計画を事前に具体化する方略であり、行動の開始を意識的な意思決定ではなく状況手がかりによる自動的な行動起動に変換する。Gollwitzer & Sheeran(2006)のメタ分析では中程度の効果量(d = 0.65)が報告されており、意図の形成(目標意図)に加えて実行意図を形成することで、意図-行動ギャップの縮小が促進されることが示されている。

Q4: HBM、TTM、TPBの3モデルを比較し、それぞれの理論的強みと限界を踏まえた上で、禁煙支援プログラムの設計にどのように統合的に活用できるかを論ぜよ。

A4: HBMの強みは脅威認知(喫煙による健康被害のリスクと重大性)と利益-障壁評価の構造を明示する点にあり、禁煙の動機づけを高めるメッセージの設計に活用できる。ただし、静的モデルであるため行動変容の時間的過程を記述できない。TTMの強みは、対象者が変容過程のどの段階にあるかを評価し、段階に応じた介入を設計できる点にあり、前熟考期の喫煙者には意識の高揚や感情的喚起を、準備期の喫煙者には具体的な行動計画を、実行期の喫煙者には再発防止の行動的方略を提供するという戦略が導かれる。ただしステージの恣意性やステージ適合介入の優位性に疑義がある。TPBの強みは、態度・主観的規範・行動統制感の相対的寄与を定量的に評価できる点にあり、例えば対象集団において主観的規範の影響が大きければ社会的サポートの強化を、行動統制感の影響が大きければ自己効力感を高める介入を優先するという判断が可能になる。統合的な禁煙支援プログラムでは、HBMに基づく脅威認知の喚起とTTMに基づくステージ評価で対象者を層別化し、各ステージにおいてTPBの3要因のうちどれに焦点を当てるかを決定するという多層的な設計が考えられる。加えて、TPBの意図-行動ギャップに対しては実行意図の形成を組み込むことが有効である。

Q5: HBMが「知覚された障壁が最も強力な行動の予測因」であるとするJanz & Beckerの知見は、計画的行動理論の枠組みとどのように対応づけられるか。両モデルの概念的重なりと相違を分析せよ。

A5: HBMの知覚された障壁は、推奨行動の実行に伴うコスト・困難さの主観的評価であり、TPBの構成要素との対応関係は複合的である。知覚された障壁のうち、行動の実行能力に関する側面(「禁煙する自信がない」「運動を続けるのが困難」)はTPBの知覚された行動統制感に概念的に対応する。一方、行動に対するコスト評価の側面(「検診に行く時間がもったいない」「ワクチンの副反応が嫌だ」)はTPBにおける行動に対する態度の否定的側面(行動への否定的評価)に対応する。さらに、社会的な障壁(「検診を受けると周囲に病気を疑われる」)は主観的規範と関連する。このようにHBMの知覚された障壁は、TPBの複数の構成要素にまたがる複合的な概念であり、TPBの方がこれを分析的に細分化していると言える。逆にHBMは「障壁」という単一の概念でこれらの多様な阻害要因を包括的に捉えている点で実践的な簡便さを持つが、介入の焦点を絞る上ではTPBの分析的な枠組みの方が有用である。