Module 3-4 - Section 2: ストレスと健康・慢性疾患¶
セクション情報¶
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| モジュール | Module 3-4: 健康心理学・教育心理学 |
| 前提セクション | Section 1(健康行動モデル) |
| 想定学習時間 | 5時間 |
導入¶
Section 1では、人が健康関連行動を採る(あるいは採らない)理由を説明する認知的枠組みとして、健康信念モデル、トランスセオレティカルモデル、計画的行動理論の3つを検討した。本セクションでは、健康心理学のもう一つの中核的テーマであるストレスと健康の関係に焦点を移す。
ストレスが健康に有害であるという認識は日常的に広く共有されているが、心理学的にはストレスの概念規定自体が一つの理論的課題である。ストレスは外的な刺激(ストレッサー)なのか、個体の内的反応なのか、それとも個体と環境の関係性の中に位置づけられるのか。この問いに対する回答の仕方によって、ストレス研究のアプローチは大きく異なる。
本セクションでは、まずRichard Lazarusの認知的ストレス理論(トランザクショナルモデル)を中心にストレスとコーピングの理論的枠組みを検討し、次にストレスが免疫機能に影響する生理学的経路を精神神経免疫学の知見に基づいて概観する。最後に、慢性疾患の心理的側面として、疼痛管理、患者教育、治療アドヒアランスの問題を取り上げる。
Lazarusのストレス・コーピング理論¶
ストレス概念の変遷¶
ストレス研究の歴史において、ストレスの概念は大きく3つのアプローチで定義されてきた。
第一は、刺激基盤モデル(stimulus-based model) である。このアプローチでは、ストレスは個体に負荷をかける外的な出来事や環境条件(ストレッサー)として定義される。Thomas Holmes & Richard Rahe(1967)の社会的再適応評価尺度(Social Readjustment Rating Scale: SRRS) はこのアプローチの代表例であり、配偶者の死、離婚、失業などのライフイベントに「生活変化単位(Life Change Unit: LCU)」の重みづけを与え、累積されたストレス量から疾病リスクを予測しようとした。しかしこのアプローチは、同一の出来事に対する個人差(同じ出来事でもストレスを感じる程度が人によって異なる)を十分に説明できないという根本的な問題を抱えていた。
第二は、反応基盤モデル(response-based model) である。Hans Selye(1956)の汎適応症候群(General Adaptation Syndrome: GAS) がこのアプローチの古典である。Selyeは、ストレッサーの種類にかかわらず生体が示す非特異的な生理的反応パターンとしてストレスを定義し、警告反応期(alarm reaction)、抵抗期(stage of resistance)、疲弊期(stage of exhaustion)の3段階を提唱した。このモデルは生理学的メカニズムの解明に寄与したが、認知的評価の役割を無視しているという批判を受けた。
第三が、Richard Lazarusが提唱したトランザクショナルモデル(transactional model) である。
トランザクショナルモデルの構造¶
Key Concept: トランザクショナルモデル(transactional model of stress) Richard Lazarus & Susan Folkman(1984)が提唱したストレス理論。ストレスを外的刺激でも内的反応でもなく、個人と環境の間の「取引(transaction)」として捉える。個人が環境の要求を自己の資源では対処しきれないと認知的に評価した場合にストレスが生じるとする。
Lazarus & Folkman(1984)は、心理的ストレスを「自己の資源を超えると評価され、自己の安寧(well-being)を脅かすと判断される、個人と環境との間の特定の関係」と定義した。この定義の核心は、ストレスが客観的な出来事の属性でも生体の自動的反応でもなく、個人による認知的評価(cognitive appraisal) を介して構成されるという点にある。
認知的評価¶
Lazarusのモデルにおいて、認知的評価は2段階で生じる。
Key Concept: 一次的評価(primary appraisal) 出来事が自己にとってどのような意味を持つかの評価。「無関係(irrelevant)」「良性-肯定的(benign-positive)」「ストレスフル(stressful)」のいずれかに分類される。ストレスフルと評価された場合、さらに「害-喪失(harm-loss)」「脅威(threat)」「挑戦(challenge)」に細分される。
一次的評価(primary appraisal) では、ある出来事が自己の安寧にとってどのような意味を持つかが評価される。出来事が「無関係」と評価されればストレス反応は生じない。「良性-肯定的」と評価されれば肯定的情動が生じる。「ストレスフル」と評価された場合にストレス過程が開始される。
ストレスフルと評価された出来事は、さらに3つの下位カテゴリに分類される。「害-喪失」は既に生じた損害(失恋、病気の診断など)を指す。「脅威」は将来生じうる害の予期である。「挑戦」は困難を伴うが成長の可能性を含む状況の評価であり、肯定的な動機づけを伴う。脅威と挑戦は相互に排他的ではなく、同一の状況について両方の評価が同時に生じうる点が重要である。
Key Concept: 二次的評価(secondary appraisal) その状況に対処するために何ができるかについての評価。利用可能なコーピング資源・選択肢とその有効性の見積もり。一次的評価とほぼ同時に生じ、両者は相互に影響し合う。
二次的評価(secondary appraisal) では、その状況に対して何ができるか、どのようなコーピング選択肢が利用可能か、それぞれの選択肢はどの程度有効かが評価される。「一次的」「二次的」という語は時間的順序を意味するのではなく、評価の焦点の違いを示す。一次的評価が「状況は自己にとって何を意味するか」を問うのに対し、二次的評価は「自分にはそれに対して何ができるか」を問う。両者はほぼ同時に、かつ相互に影響しながら生じる。
ストレスは、一次的評価で「脅威」や「害-喪失」と判断され、かつ二次的評価で対処可能な資源が不十分と判断された場合に最も強く経験される。逆に、困難な状況であっても十分な対処資源があると判断されれば、ストレス反応は緩和される。
graph TD
A["出来事・状況"] --> B["一次的評価"]
B -->|"無関係"| C["ストレス反応なし"]
B -->|"良性-肯定的"| D["肯定的情動"]
B -->|"ストレスフル"| E["害-喪失 / 脅威 / 挑戦"]
E --> F["二次的評価"]
F -->|"対処資源が十分"| G["ストレス低減"]
F -->|"対処資源が不十分"| H["ストレス反応の生起"]
H --> I["コーピングの発動"]
I -->|"再評価"| B
コーピング¶
Key Concept: コーピング(coping) 自己の資源を超えると評価された外的・内的要求を管理するために、認知的・行動的に努力を払う過程。Lazarus & Folkman(1984)は、問題焦点型コーピングと情動焦点型コーピングの2つの主要な機能を区分した。
Lazarus & Folkman(1984)は、コーピングを「自己の資源を超えると評価された外的・内的な特定の要求を管理するために、絶えず変化する認知的・行動的努力」と定義した。この定義には2つの重要な含意がある。第一に、コーピングは過程(process)であり固定的な特性(trait)ではない。状況の変化や再評価に応じてコーピングの様式も変化する。第二に、コーピングは「努力」であり、その成功・不成功とは独立に定義される。
コーピングは機能に基づいて2つに大別される。
問題焦点型コーピング(problem-focused coping) は、ストレスの原因となっている問題自体に働きかけて状況を変化させようとする方略である。情報収集、計画立案、直接的な行動、環境の改変、新たなスキルの獲得などが含まれる。
情動焦点型コーピング(emotion-focused coping) は、ストレスフルな状況に伴う否定的情動を調整・管理しようとする方略である。回避、距離化、選択的注意、肯定的再評価(positive reappraisal)、社会的支援の希求、感情の表出などが含まれる。
Folkman & Lazarus(1980)の研究では、日常的なストレスフルな出来事に対して、人は問題焦点型と情動焦点型の両方のコーピングを併用することが示された。一般に、状況が統制可能(controllable)であると評価される場合には問題焦点型コーピングが優位になり、統制不可能と評価される場合には情動焦点型コーピングが優位になる傾向がある。ただし、どちらのコーピングが「適応的」であるかは状況に依存し、統制不可能な状況(例: 末期疾患の告知)において問題焦点型コーピングに固執することは、かえって適応を阻害しうる。
後年の研究では、Lazarusの二分法を拡張する試みが行われている。Charles Carver, Michael Scheier, & Jagdish Weintraub(1989)はCOPE尺度を開発し、問題焦点型・情動焦点型に加えて「回避型コーピング(avoidant coping)」を独立のカテゴリとして位置づけた。回避型コーピングには行動的離脱(behavioral disengagement)やメンタル・ディスエンゲージメント(mental disengagement)が含まれ、一般に適応的な帰結と負の関連を示す。また、Susan Folkman(1997)自身も後年、ストレスフルな状況においてもポジティブな意味を見出す意味に基づくコーピング(meaning-based coping) の重要性を指摘している。
graph LR
subgraph "コーピングの機能的分類"
A["問題焦点型コーピング"] --- A1["情報収集"]
A --- A2["計画立案"]
A --- A3["直接的行動"]
B["情動焦点型コーピング"] --- B1["肯定的再評価"]
B --- B2["社会的支援の希求"]
B --- B3["感情の表出"]
C["回避型コーピング"] --- C1["行動的離脱"]
C --- C2["否認"]
end
D["状況の統制可能性: 高"] -.-> A
E["状況の統制可能性: 低"] -.-> B
E -.-> C
ソーシャルサポートとストレス緩衝効果¶
コーピングと密接に関連する概念として、ソーシャルサポート(social support) がある。ソーシャルサポートは、他者から提供される援助であり、道具的サポート(instrumental support: 具体的な援助や物資の提供)、情緒的サポート(emotional support: 共感・傾聴・慰め)、情報的サポート(informational support: 助言や情報の提供)、評価的サポート(appraisal support: 自己評価に関するフィードバック)に分類される。
Key Concept: ストレス緩衝仮説(stress-buffering hypothesis) Sheldon Cohen & Thomas Wills(1985)が提唱した仮説。ソーシャルサポートは、高ストレス条件下でのみ健康に保護的効果を発揮する(ストレスと健康の関係を緩衝する)とする。低ストレス条件下ではサポートの有無による健康差は小さい。
Cohen & Wills(1985)は、ソーシャルサポートと健康の関係について2つの仮説を整理した。直接効果仮説(main effect hypothesis) は、ストレスの水準にかかわらずソーシャルサポートが健康に有益であるとする。ストレス緩衝仮説(stress-buffering hypothesis) は、ソーシャルサポートが高ストレス条件下でのみ健康に保護的効果を発揮するとする。彼らのレビューでは、ソーシャルサポートの知覚された利用可能性(perceived availability)を測定した研究ではストレス緩衝効果が支持され、社会的ネットワークの構造(ネットワークサイズなど)を測定した研究では直接効果が支持されるという結果を報告した。
ストレス緩衝効果のメカニズムとしては、ソーシャルサポートが認知的評価を変容させる(脅威の過大評価を是正する、対処資源の見積もりを高める)経路と、コーピング行動を直接促進する経路が想定されている。
ストレスと免疫機能:精神神経免疫学¶
精神神経免疫学の成立¶
Key Concept: 精神神経免疫学(psychoneuroimmunology: PNI) 心理的過程、神経系、免疫系の間の双方向的な相互作用を研究する学際的領域。Robert Ader & Nicholas Cohen(1975)がラットにおいて免疫反応の古典的条件づけを実証したことが、この領域の出発点とされる。
精神神経免疫学は、心理的過程(ストレス認知、情動、行動)が神経系を介して免疫系に影響を及ぼし、逆に免疫系の活動が神経系を経由して心理的過程に影響するという双方向的な関係を解明する学際的領域である。
この領域の発端として広く引用されるのが、Robert Ader & Nicholas Cohen(1975)の研究である。彼らはラットにおいて、免疫抑制剤(シクロホスファミド)と対提示されたサッカリン水溶液が、後にサッカリン水溶液の単独提示によっても免疫抑制反応を誘発することを示した。すなわち、免疫反応が古典的条件づけによって修飾されうることを実証した。この発見は、免疫系が中枢神経系から独立した自律的システムであるという当時の通念に対する根本的な挑戦であった。
ストレスから免疫機能への経路¶
ストレスが免疫機能に影響するメカニズムには、主として2つの生理学的経路が関与する。
1. 視床下部-下垂体-副腎皮質系(HPA軸: hypothalamic-pituitary-adrenal axis)
心理的ストレスの認知は、視床下部(hypothalamus)からの副腎皮質刺激ホルモン放出ホルモン(CRH: corticotropin-releasing hormone)の分泌を促進し、下垂体前葉からの副腎皮質刺激ホルモン(ACTH: adrenocorticotropic hormone)の放出を介して、副腎皮質からのコルチゾール(cortisol) の分泌を引き起こす。コルチゾールは強力な免疫調節作用を持ち、短期的には抗炎症作用を発揮するが、慢性的な高コルチゾール状態はリンパ球の増殖抑制、ナチュラルキラー(NK)細胞活性の低下、サイトカインバランスの変調など、免疫機能の広範な抑制をもたらす。
2. 交感神経-副腎髄質系(SAM系: sympathetic-adrenal-medullary system)
ストレスに対する急性の「闘争-逃走反応(fight-or-flight response)」として、交感神経系の活性化とカテコラミン(アドレナリン、ノルアドレナリン)の放出が生じる。免疫細胞はアドレナリン受容体を発現しており、カテコラミンはNK細胞活性やリンパ球の遊走パターンを修飾する。
graph TD
A["心理的ストレスの認知的評価"] --> B["視床下部"]
B --> C["HPA軸"]
B --> D["SAM系"]
C --> C1["CRH → ACTH → コルチゾール"]
D --> D1["交感神経活性化 → カテコラミン"]
C1 --> E["免疫機能の修飾"]
D1 --> E
E --> E1["リンパ球増殖の変化"]
E --> E2["NK細胞活性の変化"]
E --> E3["サイトカインバランスの変化"]
E --> E4["炎症反応の変化"]
F["行動的媒介要因"] --> E
F --- F1["睡眠障害"]
F --- F2["喫煙・飲酒増加"]
F --- F3["運動量の低下"]
急性ストレスと慢性ストレスの免疫影響の違い¶
Suzanne Segerstrom & Gregory Miller(2004)は293の研究を対象としたメタ分析を実施し、ストレスの種類と持続時間によって免疫機能への影響が質的に異なることを明らかにした。
急性ストレス(acute stress) は、免疫機能の一時的な増強と関連する。数分から数時間の短期的ストレッサー(公開スピーチ課題、暗算課題などの実験室ストレッサー)に対して、NK細胞活性の上昇やリンパ球の末梢血中への動員(redistribution)が観察される。これは進化的に、外傷に備えた免疫系の準備態勢と解釈される。
慢性ストレス(chronic stress) は、免疫機能の広範な抑制と関連する。長期介護者のストレス、失業、慢性的な対人葛藤など、持続的で統制不可能なストレッサーは、液性免疫・細胞性免疫の両方の指標を低下させる。Janice Kiecolt-Glaser らの一連の研究は、介護者ストレスの影響を繰り返し実証している。例えば、認知症患者の介護者は統制群と比較してインフルエンザワクチンに対する抗体産生反応が低く(Kiecolt-Glaser et al., 1996)、創傷治癒速度が遅い(Kiecolt-Glaser et al., 1995)ことが示されている。
| ストレスの種類 | 持続時間 | 免疫機能への影響 | 例 |
|---|---|---|---|
| 急性実験室ストレス | 数分〜数時間 | 一時的増強(NK細胞活性上昇など) | 公開スピーチ課題 |
| 急性自然ストレス | 数日〜数週間 | 混合的(細胞性免疫の一時的増強と液性免疫指標の変動) | 試験期間 |
| 慢性ストレス | 数か月〜数年 | 広範な抑制(細胞性・液性免疫の低下) | 長期介護、失業 |
ストレスと疾病の関連に関する実証的知見¶
Sheldon Cohen らの一連の研究は、ストレスと感染症罹患の関連を実験的に示した重要な成果である。Cohen, Tyrrell, & Smith(1991)は、健常なボランティアに対して5種の風邪ウイルスのいずれかを鼻腔内に投与し、事前に測定したストレス指標(知覚されたストレス、否定的感情、ストレスフルなライフイベントの数)との関連を検討した。結果として、ストレス指標が高い個人ほど風邪の発症率が高いという量-反応関係が認められた。この研究はストレスと感染症罹患の因果的関連を示す最も強力な証拠の一つとされている。
ストレスと免疫の関連を考える上で、行動的媒介要因の存在も重要である。ストレスは睡眠の質の低下、喫煙・飲酒の増加、運動量の減少、食生活の悪化など、免疫機能に影響する行動変化を引き起こしうる。したがって、ストレスから免疫機能への影響は、神経内分泌経路による直接的な免疫修飾と、行動変化を介した間接的な影響の両方を含む複合的な過程である。
慢性疾患の心理的側面¶
慢性疾患と心理学¶
Key Concept: 慢性疾患(chronic illness) 完全な治癒が困難であり、長期にわたる管理を必要とする疾患の総称。糖尿病、心疾患、がん、慢性疼痛、喘息、HIV/AIDSなどが含まれる。慢性疾患の管理には患者自身の行動変容と自己管理が不可欠であり、健康心理学の重要な応用領域である。
医療技術の進歩と人口の高齢化に伴い、疾病構造は急性感染症から慢性疾患へと移行した。慢性疾患は患者の日常生活、心理的状態、社会的関係に広範かつ長期的な影響を及ぼす。健康心理学は、慢性疾患の患者が直面する心理的課題と、それに対する介入方法の開発に重要な貢献を果たしている。
慢性疾患が患者にもたらす心理的課題には以下が含まれる。
- 不確実性への対処: 疾病の予後、治療効果、症状の変動に関する不確実性が持続的なストレス源となる
- 自己概念の再構成: 「健康な自己」から「疾患をもつ自己」へのアイデンティティの変容が求められる
- 喪失への適応: 身体機能、社会的役割、将来の計画などの喪失に対する心理的適応
- 自己管理の負担: 服薬、食事制限、運動、自己モニタリングなど日常的な疾病管理行動の持続
疼痛の心理学¶
慢性疼痛(chronic pain)は、組織損傷が治癒した後も3か月以上持続する疼痛であり、急性疼痛とは質的に異なる病態として理解されている。
Key Concept: ゲートコントロール理論(gate control theory of pain) Ronald Melzack & Patrick Wall(1965)が提唱した疼痛理論。脊髄後角にある「門(gate)」が末梢からの痛覚信号を調節し、この門の開閉が末梢神経線維の活動パターンだけでなく、脳からの下行性制御(認知・情動的要因)によっても影響されるとする。疼痛の心理学的研究の理論的基盤となった。
Melzack & Wall(1965)のゲートコントロール理論は、疼痛が単に末梢の組織損傷の信号を脳が受動的に受け取る過程ではなく、脊髄レベルでの門制御メカニズムと脳からの下行性調節を含む能動的な過程であることを理論化した。この理論は、認知的要因(注意、期待、解釈)や情動的要因(不安、抑うつ)が疼痛体験を修飾するメカニズムの理論的基盤を提供し、慢性疼痛の心理学的介入を正当化する根拠となった。
慢性疼痛の心理学的理解において重要な概念が、恐怖-回避モデル(fear-avoidance model) である。Johan Vlaeyen & Steven Linton(2000)が提唱したこのモデルは、疼痛に対する破局的思考(pain catastrophizing)が疼痛恐怖(fear of pain)を引き起こし、活動回避(avoidance of activity)、身体的脱条件化(physical deconditioning)、さらなる疼痛と障害の増大という悪循環を形成する過程を記述する。
graph TD
A["疼痛体験"] --> B{"疼痛の解釈"}
B -->|"破局的思考なし"| C["対峙・段階的活動"]
C --> D["回復"]
B -->|"破局的思考あり"| E["疼痛恐怖"]
E --> F["活動回避・過度の警戒"]
F --> G["身体的脱条件化・抑うつ"]
G --> H["障害の増大"]
H --> A
慢性疼痛に対する心理学的介入として最もエビデンスが蓄積されているのは、認知行動療法(cognitive behavioral therapy: CBT) である。疼痛に対するCBTは、破局的思考の修正、活動ペーシング(activity pacing)の導入、リラクセーション技法の習得、段階的な活動復帰(graded activity)を主要な構成要素とする。系統的レビューにおいて、CBTは慢性疼痛患者の疼痛強度、障害度、気分、破局的思考の改善に効果を示すことが繰り返し報告されている。
患者教育と自己管理支援¶
慢性疾患の管理において、患者教育(patient education)は不可欠な要素である。しかし、単なる知識の提供では行動変容に十分でないことが広く認識されている(Section 1で検討した健康行動モデルの知見と一致する)。
Kate Lorig らが開発した慢性疾患自己管理プログラム(Chronic Disease Self-Management Program: CDSMP) は、Banduraの自己効力感理論に基づく代表的な患者教育プログラムである。CDSMPは専門家主導ではなく、訓練を受けた慢性疾患患者がファシリテーターを務める(ピアリーダーモデル)点に特徴がある。プログラムは、症状管理技法、運動、疲労管理、疼痛管理、薬の適正使用、医療者との効果的なコミュニケーション、問題解決スキルなどを包括的に扱う。自己効力感の4つの情報源(遂行行動の達成、代理経験、言語的説得、生理的・感情的状態)を体系的に活用する設計がなされている。
治療アドヒアランス¶
Key Concept: アドヒアランス(adherence) 患者が医療者と合意した治療計画(服薬、生活習慣の変更、受診など)に沿って行動する程度。かつて使われた「コンプライアンス(compliance)」が医療者の指示に患者が従うという一方向的な含意を持つのに対し、アドヒアランスは患者-医療者間の合意に基づく協働的な概念として区別される。
治療アドヒアランスは慢性疾患管理における中心的課題の一つである。世界保健機関(WHO, 2003)の報告によれば、先進国における慢性疾患患者の治療アドヒアランスは平均50%程度に過ぎないとされる。アドヒアランスの低さは、治療効果の減弱、疾病の増悪、医療費の増大、死亡率の上昇と関連する。
アドヒアランスに影響する要因は多水準にわたる。
| 水準 | 要因の例 |
|---|---|
| 患者要因 | 疾病・治療に関する信念、自己効力感、動機づけ、精神的健康状態(うつ病は非アドヒアランスの強力な予測因) |
| 治療要因 | レジメンの複雑さ、副作用、治療期間、コスト |
| 患者-医療者関係 | コミュニケーションの質、信頼関係、共同意思決定 |
| 社会・環境要因 | ソーシャルサポート、経済的状況、医療へのアクセス |
アドヒアランス向上のための心理学的介入は多様であるが、Section 1で学んだ健康行動モデルとの接続が重要である。HBMの観点からは、疾病の重大性と治療の利益の認知を高め障壁を低減する介入が、TTMの観点からは行動変容の段階に応じた支援が、TPBの観点からは態度・主観的規範・行動統制感への働きかけが、それぞれ理論的に導かれる。特に動機づけ面接法(motivational interviewing: MI)は、TTMの理論的枠組みと親和性の高い臨床技法であり、患者の変化への準備状態に応じた介入を提供する点でアドヒアランス改善に効果を示すことが報告されている。
まとめ¶
- Lazarusのトランザクショナルモデルは、ストレスを個人と環境の動的な取引として捉え、認知的評価(一次的評価・二次的評価)がストレス反応の生起を決定するとする。ストレスは客観的な出来事の属性ではなく、個人の認知的評価を介して構成される。
- コーピングは問題焦点型と情動焦点型に大別され、状況の統制可能性に応じて適応的なコーピング方略は異なる。コーピングは固定的な特性ではなく、状況に応じて変化する過程である。
- ソーシャルサポートはストレスと健康の関係を緩衝する効果を持ち、認知的評価の変容とコーピング行動の促進を介してこの効果が生じると考えられている。
- 精神神経免疫学は、ストレスが神経内分泌系(HPA軸とSAM系)を介して免疫機能を修飾することを実証した。急性ストレスは免疫機能の一時的増強、慢性ストレスは広範な免疫抑制と関連する。
- 慢性疾患の心理学的側面として、慢性疼痛のゲートコントロール理論と恐怖-回避モデル、自己効力感に基づく患者教育、治療アドヒアランスの概念と規定因が重要である。
- ストレスと健康の関係は、生理学的経路と行動的媒介要因の両方を含む複合的な過程であり、Section 1の健康行動モデルの知見は慢性疾患の自己管理・アドヒアランス向上の文脈で直接的に応用される。
- 次のセクションでは、教育心理学の主題に移り、学習と動機づけの理論的枠組みを検討する。
用語集(Glossary)¶
| 用語 | 英語表記 | 定義 |
|---|---|---|
| トランザクショナルモデル | transactional model of stress | Lazarus & Folkmanが提唱した、ストレスを個人と環境の取引として捉える理論 |
| 認知的評価 | cognitive appraisal | 出来事が自己にとってどのような意味を持ち、何ができるかを判断する過程 |
| 一次的評価 | primary appraisal | 出来事が自己の安寧にとってどのような意味を持つかの評価 |
| 二次的評価 | secondary appraisal | その状況に対処するために何ができるかの評価 |
| コーピング | coping | ストレスフルな要求を管理するための認知的・行動的努力の過程 |
| 問題焦点型コーピング | problem-focused coping | ストレスの原因となる問題自体に働きかける対処方略 |
| 情動焦点型コーピング | emotion-focused coping | ストレスに伴う否定的情動を調整・管理する対処方略 |
| ソーシャルサポート | social support | 他者から提供される道具的・情緒的・情報的・評価的な援助 |
| ストレス緩衝仮説 | stress-buffering hypothesis | ソーシャルサポートが高ストレス条件下でのみ健康に保護的効果を発揮するとする仮説 |
| 精神神経免疫学 | psychoneuroimmunology (PNI) | 心理的過程・神経系・免疫系の双方向的な相互作用を研究する領域 |
| HPA軸 | hypothalamic-pituitary-adrenal axis | 視床下部-下垂体-副腎皮質系。ストレス反応における主要な神経内分泌経路 |
| コルチゾール | cortisol | 副腎皮質から分泌されるストレスホルモン。免疫調節作用を持つ |
| SAM系 | sympathetic-adrenal-medullary system | 交感神経-副腎髄質系。急性ストレスにおける闘争-逃走反応を媒介 |
| 慢性疾患 | chronic illness | 完全な治癒が困難であり長期にわたる管理を必要とする疾患の総称 |
| ゲートコントロール理論 | gate control theory of pain | 脊髄後角の門制御メカニズムと脳からの下行性調節を含む疼痛理論 |
| 恐怖-回避モデル | fear-avoidance model | 疼痛の破局的解釈が活動回避と障害の悪循環を形成する過程を記述するモデル |
| アドヒアランス | adherence | 患者が医療者と合意した治療計画に沿って行動する程度 |
| 慢性疾患自己管理プログラム | Chronic Disease Self-Management Program (CDSMP) | Lorigらが開発した、自己効力感理論に基づくピアリーダー型の患者教育プログラム |
| 社会的再適応評価尺度 | Social Readjustment Rating Scale (SRRS) | Holmes & Raheが開発した、ライフイベントのストレス量を測定する尺度 |
| 汎適応症候群 | General Adaptation Syndrome (GAS) | Selyeが提唱した、ストレッサーに対する非特異的な生理的反応の3段階モデル |
確認問題¶
Q1: Lazarusのトランザクショナルモデルにおける一次的評価と二次的評価の違いを説明し、同一の出来事(例: 転職)がある人にとっては「脅威」として、別の人にとっては「挑戦」として評価される理由をこのモデルに基づいて分析せよ。
A1: 一次的評価は出来事が自己の安寧にとってどのような意味を持つかの評価であり、「無関係」「良性-肯定的」「ストレスフル」のいずれかに分類される。ストレスフルと評価された場合、「害-喪失」「脅威」「挑戦」にさらに細分される。二次的評価は、その状況に対処するために何ができるか、どのようなコーピング資源が利用可能かの評価である。両者は時間的順序ではなく評価の焦点の違いを示し、同時並行的に相互作用する。転職について、一方の人がこれを「脅威」と評価し他方が「挑戦」と評価する違いは、一次的評価において同一の出来事に対する意味づけが個人の経験・信念・価値観によって異なることに加え、二次的評価においてコーピング資源(スキル、経験、ソーシャルサポート)の見積もりが異なることによる。十分なスキルとサポートがあると評価する人は困難を伴いつつも成長の機会と捉え(挑戦)、資源が不十分と判断する人は将来の害を予期する(脅威)。脅威と挑戦は相互排他的ではなく、同一の状況について両方の評価が共存しうる点もこのモデルの重要な特徴である。
Q2: Segerstrom & Miller(2004)のメタ分析の知見に基づき、急性ストレスと慢性ストレスが免疫機能に及ぼす影響の違いを説明し、その進化的意義について考察せよ。
A2: Segerstrom & Millerのメタ分析によれば、急性ストレス(数分から数時間の実験室ストレッサー)は免疫機能の一時的な増強と関連し、NK細胞活性の上昇やリンパ球の末梢血中への動員が観察される。一方、慢性ストレス(長期介護、失業など数か月以上持続するストレッサー)は、液性免疫・細胞性免疫の両方の広範な抑制と関連する。進化的観点から、急性ストレスによる免疫増強は、捕食者との遭遇や物理的な闘争など短期的な脅威に際して、外傷に伴う感染に備えた免疫系の準備態勢として適応的意義を持つと解釈できる。自然環境において短期的な身体的脅威は外傷のリスクを伴うため、免疫系が即座に防御態勢を強化することは生存に有利であった。しかし、こうしたストレス反応系は現代社会に特徴的な慢性的・心理社会的ストレッサー(経済的困窮、対人葛藤の持続など)に対して進化的に設計されていない。長期間にわたるHPA軸の持続的活性化とコルチゾールの慢性的高値は、免疫機能の全般的な抑制をもたらし、感染症への罹患可能性の増大や創傷治癒の遅延といった健康上の不利益を生じさせる。
Q3: 恐怖-回避モデル(Vlaeyen & Linton, 2000)が説明する慢性疼痛の悪循環のメカニズムを述べ、このモデルに基づく認知行動療法的介入がどのような構成要素を含むかを説明せよ。
A3: 恐怖-回避モデルによれば、急性の疼痛体験に対して破局的思考(「この痛みはどんどん悪くなる」「もう普通の生活は送れない」など)が生じると、疼痛恐怖が喚起される。疼痛恐怖は疼痛を引き起こしうる活動の回避と身体感覚への過度の警戒(hypervigilance)をもたらす。活動回避の持続は身体的脱条件化(筋力低下、柔軟性の低下)を引き起こし、結果としてわずかな活動でも疼痛が生じやすくなり、さらに抑うつが加わって障害が増大するという悪循環が形成される。このモデルに基づくCBTは、(1) 破局的思考の同定と認知的再構成(疼痛に関する非適応的な信念の修正)、(2) 段階的な活動復帰(graded activity/graded exposure)による回避行動の解消、(3) 活動ペーシング(疼痛の増悪を避けつつ活動量を適切に維持・増加させる技法)、(4) リラクセーション技法の習得(筋緊張の緩和と自律神経系の調整)を主要な構成要素とする。これにより、破局的思考→恐怖→回避→脱条件化→障害増大という悪循環の複数の環節に同時に介入する。
Q4: 治療アドヒアランスに影響する要因を多水準的に整理し、Section 1で学んだ健康行動モデル(HBM、TTM、TPB)のそれぞれがアドヒアランス改善介入にどのような理論的示唆を与えるかを論ぜよ。
A4: 治療アドヒアランスに影響する要因は、患者要因(疾病・治療に関する信念、自己効力感、動機づけ、精神的健康状態)、治療要因(レジメンの複雑さ、副作用、治療期間、コスト)、患者-医療者関係要因(コミュニケーションの質、信頼関係、共同意思決定)、社会・環境要因(ソーシャルサポート、経済的状況、医療アクセス)の多水準にわたる。HBMの観点からは、疾病を管理しないことの深刻さ(知覚された重大性)と罹患リスク(知覚された罹患可能性)の認知を高めて脅威認知を強化し、治療遵守の効果(知覚された利益)を明確にする一方、服薬に伴う困難さ(知覚された障壁)を低減する介入が導かれる。特にHBMの知見では障壁の低減が最も効果的であるため、処方の簡素化や副作用対策は理論的に優先される。TTMの観点からは、患者の行動変容の段階を評価し、前熟考期の患者には疾病管理の必要性への気づきを促す動機づけ面接法を、準備期の患者には具体的な行動計画の策定を、実行期・維持期の患者には再発防止と強化マネジメントを適用するという段階適合型の介入が導かれる。TPBの観点からは、治療遵守に対する態度(効果への信頼と否定的評価の修正)、主観的規範(家族・医療者からの支持の認知の強化)、知覚された行動統制感(服薬管理の自信の向上)のそれぞれに働きかける介入が導かれ、どの要因が対象集団で最も弱いかを評価した上で介入の優先順位を決定できる点が強みである。
Q5: Cohen et al.(1991)のウイルス接種実験の方法と結果を説明し、この研究がストレスと健康の因果関係を示す上でなぜ特に重要な証拠とされるかを研究デザインの観点から論ぜよ。
A5: Cohen et al.は健常なボランティア420名を対象に、事前にストレス指標(知覚されたストレス尺度、否定的感情尺度、過去1年間のストレスフルなライフイベント数)を測定した上で、5種類の風邪ウイルスのいずれかを鼻腔内に投与し、その後の風邪の発症率を観察した。結果として、3つのストレス指標のいずれにおいても、ストレス水準が高い個人ほど風邪の発症率が高いという量-反応関係が認められた。この研究が因果関係の証拠として特に重要とされる理由は、研究デザインにある。通常の疫学的観察研究ではストレスと疾病の関連が観察されても、逆の因果関係(疾病がストレスを引き起こす)、第三変数の影響(性格特性や社会経済的地位などの交絡因子)、報告バイアス(ストレスの高い人が症状を過大報告する)などの可能性を排除できない。Cohen et al.の研究では、ウイルスへの曝露が統制され(全員に同一条件でウイルスを投与)、発症の判定が客観的指標(ウイルスの分離、抗体価の変化)に基づき、年齢・性別・教育・体重・喫煙・運動・飲酒・食事・睡眠の質など広範な交絡因子が統計的に統制されている。このような実験的デザインにより、ストレスが免疫機能を介して感染症罹患を促進するという因果的方向性が、観察研究よりも遥かに強い根拠をもって示された。