コンテンツにスキップ

Module 3-4 - Section 3: ポジティブ心理学とwell-being

セクション情報

項目 内容
モジュール Module 3-4: 健康心理学・教育心理学
前提セクション Section 1(健康行動モデル), Section 2(ストレスと健康・慢性疾患)
想定学習時間 4時間

導入

Section 1では健康行動を規定する認知的枠組みを、Section 2ではストレスが健康に及ぼす影響とその心理学的過程を検討した。これらのセクションに共通するのは、疾病・障害・機能不全の予防と対処という「問題の除去・軽減」を主たる関心とする視座である。本セクションで扱うポジティブ心理学(positive psychology)は、この伝統的な視座を補完し、人間の最適な機能(optimal functioning)と繁栄(flourishing)の条件を科学的に探究する領域である。

ポジティブ心理学は、心理学が疾病や障害の治療に偏重してきた歴史的傾向に対する反省から、1998年にMartin E. P. Seligmanが米国心理学会(APA)会長就任演説で提唱した運動に端を発する。ただし、ポジティブ心理学が扱う主題---幸福、美徳、強み、レジリエンス、人生の意味---は、それ自体としてはアリストテレスの「エウダイモニア」に遡る古い問いであり、人間性心理学(humanistic psychology)やMaslow、Rogersの研究にも先行的な議論がある。ポジティブ心理学の独自の貢献は、これらの主題を実証科学の方法論に基づいて体系的に研究しようとした点にある。

本セクションでは、ポジティブ心理学の成立と基本的枠組み、Seligmanが提唱したPERMAモデル、レジリエンスの概念と理論、エビデンスに基づくポジティブ介入、そしてwell-beingの測定と批判を順に検討する。


ポジティブ心理学の成立と基本的枠組み

歴史的背景

Key Concept: ポジティブ心理学(positive psychology) 人間の強み、美徳、最適な機能、繁栄の条件を実証科学の方法論に基づいて研究する心理学の領域。Martin E. P. Seligman & Mihaly Csikszentmihalyiが2000年に「American Psychologist」誌の特集号で体系的に提唱した。

Seligman & Csikszentmihalyi(2000)は、第二次世界大戦後の心理学が精神疾患の治療と人間の弱さの修復に過度に集中してきたと指摘し、心理学には本来3つの使命があったと論じた。すなわち、(1) 精神疾患の治療、(2) すべての人の生活をより充実させること、(3) 高い才能を発見し育成すること、である。戦後の退役軍人庁(VA)の設立と国立精神衛生研究所(NIMH)の研究助成構造によって、心理学の資源が (1) に集中した結果、(2) と (3) が相対的に等閑視されてきたという歴史的分析である。

この主張の背景には、Seligman自身の研究歴がある。Seligmanは学習性無力感(learned helplessness)の研究で著名であり、統制不可能な嫌悪事象への反復的曝露が無力感と抑うつ的行動を引き起こすメカニズムを解明した。しかし、同一の実験条件下でも無力感に陥らない個体が一定数存在するという観察が、Seligmanの関心を「なぜ無力になるか」から「なぜ無力にならないか」へと転換させた。この問いの反転がポジティブ心理学の思想的出発点の一つである。

3つの柱

Seligman & Csikszentmihalyi(2000)は、ポジティブ心理学の研究対象を3つの水準に整理した。

graph TD
    A["ポジティブ心理学の3つの柱"] --> B["主観的水準"]
    A --> C["個人水準"]
    A --> D["集団水準"]
    B --> B1["ポジティブな主観的経験"]
    B --> B2["幸福感、フロー、満足、希望"]
    C --> C1["ポジティブな個人的特性"]
    C --> C2["強み、美徳、才能、レジリエンス"]
    D --> D1["ポジティブな制度・共同体"]
    D --> D2["市民的美徳、社会的責任、利他性"]

主観的水準(subjective level) は、ポジティブな主観的経験を扱う。well-being(安寧)、満足、幸福感(happiness)、フロー体験(flow)、希望(hope)、楽観性(optimism)などがここに含まれる。フロー体験についてはCsikszentmihalyiの研究が中核をなす(→ Module 2-2, Section 4「動機づけ」参照)。

個人水準(individual level) は、ポジティブな個人的特性を扱う。人格的強み(character strengths)、美徳(virtues)、才能(talents)、勇気、忍耐、知恵、対人能力、レジリエンスなどが含まれる。Christopher Peterson & Seligman(2004)による「Character Strengths and Virtues(CSV)」は、6つの普遍的美徳と24の人格的強みを体系化した分類枠組みであり、DSMが精神病理を分類するのと対称的に、人間のポジティブな特性を分類しようとする試みである。

集団水準(group level) は、個人の繁栄を支える制度的・共同体的条件を扱う。市民的美徳、利他性、寛容、職業倫理、ポジティブな組織文化などが研究対象となる。

人格的強みの分類体系(VIA分類)

Key Concept: VIA分類(Values in Action Classification) Peterson & Seligman(2004)が開発した人格的強みの分類体系。6つの核となる美徳(知恵、勇気、人間性、正義、節制、超越性)の下に24の人格的強みを配置する。文化横断的な普遍性を志向して設計された。

美徳 含まれる強み
知恵と知識(Wisdom and Knowledge) 創造性、好奇心、開放性、向学心、展望
勇気(Courage) 勇敢さ、忍耐、誠実さ、熱意
人間性(Humanity) 愛、親切さ、社会的知性
正義(Justice) チームワーク、公正さ、リーダーシップ
節制(Temperance) 寛容、謙虚さ、思慮深さ、自己制御
超越性(Transcendence) 審美眼、感謝、希望、ユーモア、スピリチュアリティ

VIA分類は、質問紙(VIA-IS: Values in Action Inventory of Strengths)を通じて個人の上位5つの「特徴的強み(signature strengths)」を同定し、それを日常生活や職業において意図的に活用する介入の基盤となっている。


PERMAモデル

モデルの概要

Key Concept: PERMAモデル(PERMA model) Seligman(2011)が著書「Flourish」で提唱したwell-beingの多元的モデル。Positive Emotion(ポジティブ感情)、Engagement(没頭)、Relationships(関係性)、Meaning(意味)、Accomplishment(達成)の5要素からwell-beingを構成する。

Seligmanは初期には「本物の幸福理論(authentic happiness theory)」を提唱し、快楽的な幸福(pleasant life)、没頭する生活(engaged life)、意味ある生活(meaningful life)の3要素を幸福の構成要素とした。しかし、2011年の著書「Flourish」においてこの理論を改訂し、PERMAモデルを提唱した。改訂の主な理由は、(1) 幸福(happiness)という用語が快楽的な気分に過度に結びつけられる傾向がある、(2) 人生満足度という単一指標による測定は幸福の多元的構造を捉えきれない、(3) 達成と関係性を独立した構成要素として明示的に位置づける必要がある、という認識であった。

graph LR
    subgraph "PERMAモデル"
        P["P: Positive Emotion<br/>ポジティブ感情"]
        E["E: Engagement<br/>没頭"]
        R["R: Relationships<br/>関係性"]
        M["M: Meaning<br/>意味"]
        A["A: Accomplishment<br/>達成"]
    end
    P --> F["Flourishing<br/>繁栄"]
    E --> F
    R --> F
    M --> F
    A --> F

5要素の内容

1. Positive Emotion(ポジティブ感情)

喜び、感謝、安らぎ、興味、希望、誇り、楽しさ、畏敬、愛などのポジティブな感情体験である。Barbara Fredricksonの拡張-形成理論(broaden-and-build theory) は、ポジティブ感情の機能的意義を体系化した理論として重要である(→ Module 2-2, Section 1「感情の理論」参照)。

Key Concept: 拡張-形成理論(broaden-and-build theory) Barbara Fredrickson(1998, 2001)が提唱した理論。ポジティブ感情は個人の「思考-行動レパートリー」を一時的に拡張し(broaden)、その拡張を通じて永続的な個人資源(身体的、知的、社会的、心理的資源)を形成する(build)とする。ネガティブ感情が特定の行動傾向を狭めるのとは対照的な機能を持つ。

Fredricksonによれば、恐怖は逃走、怒りは攻撃というように、ネガティブ感情は特定の行動傾向(specific action tendency)を狭く限定するのに対し、ポジティブ感情は思考と行動のレパートリーを拡張する。喜びは遊びや創造性を促進し、興味は探索と学習を動機づけ、満足感は統合的な自己省察を促す。この一時的な拡張が、長期的には社会的紐帯(友情、信頼関係)、知的資源(知識、問題解決能力)、身体的資源(健康、体力)、心理的資源(レジリエンス、楽観性)の蓄積に寄与する。

2. Engagement(没頭)

活動への深い没入状態であり、Csikszentmihalyiが概念化したフロー(flow) と密接に関連する。フローとは、課題の難易度と個人のスキルが高い水準で均衡し、明確な目標とフィードバックが存在する場合に生じる、完全な没入と集中の心理状態である(→ Module 2-2, Section 4「動機づけ」参照)。フロー状態では自意識の消失や時間感覚の変容が生じ、活動自体が内発的に報酬的となる。PERMAにおけるEngagementは、フローのみならず、自身の強みを活用した活動への深い関与を広く含む。

3. Relationships(関係性)

ポジティブな対人関係は、well-beingの最も強力な予測因の一つである。Christopher Petersonは、ポジティブ心理学の知見を一言で要約するならば「Other people matter(他者が重要である)」と述べた。Section 2で検討したソーシャルサポートのストレス緩衝効果も、関係性のwell-beingへの寄与の一側面として理解できる。Seligmanは、ポジティブ感情を最も強く引き出す活動のほとんどが他者との関わりを含むことを指摘し、関係性を独立した構成要素として位置づけた。

4. Meaning(意味)

自分自身よりも大きな何か(宗教、社会的使命、家族、組織など)に帰属し、それに奉仕しているという感覚である。意味の感覚はSection 2で触れたFolkmanの意味に基づくコーピング(meaning-based coping)とも関連し、困難な状況においてもポジティブな意味を見出すことが適応を促進する。Viktor Franklの実存分析(logotherapy)における「意味への意志(will to meaning)」の概念も、この要素の思想的背景にある。

5. Accomplishment(達成)

目標の追求と達成それ自体がwell-beingに寄与するという要素である。達成は他の4要素に帰着しない独立の構成要素としてSeligmanが追加した。達成感はポジティブ感情を伴うことが多いが、必ずしもポジティブ感情のためだけに追求されるわけではない。困難な目標に粘り強く取り組む過程自体が、繁栄の構成要素であるとされる。Angela Duckworthのグリット(grit)---長期的な目標に対する情熱と粘り強さ---はこの要素と関連する概念である。

PERMAモデルの評価

PERMAモデルはポジティブ心理学の概念的枠組みとして広く影響力を持つが、いくつかの批判も提起されている。

  • 構成要素の独立性: 5要素間に高い相関があり、独立した構成要素として弁別できるかについて疑問がある(Goodman et al., 2018)。例えばポジティブ感情と関係性は強く共変動する。
  • 理論的導出の不十分さ: 5要素がなぜこの5つであるのかの理論的根拠が十分に示されていないとする批判がある。身体的健康(Health)やEconomic stability(経済的安定)を加えるべきとする提案もなされている(PERMA+H; Seligman自身が後年言及)。
  • 測定の課題: PERMAの各要素をどのように測定するかについて、研究者間で合意が得られていない。

レジリエンス

レジリエンスの概念

Key Concept: レジリエンス(resilience) 重大な逆境、トラウマ、脅威、ストレスの源に直面した際の良好な適応過程。単なる逆境の不在ではなく、重大なリスクの存在を前提として、それにもかかわらず良好な適応を示すこととして定義される。

レジリエンスの心理学的研究は、1970年代にNorman Garmezy、Emmy Werner、Michael Rutterらの発達精神病理学(developmental psychopathology)における先駆的研究に遡る。これらの研究者は、貧困、精神疾患の家族歴、虐待などの高リスク環境で育ちながらも健全に発達する子どもの存在に注目した。Emmy Wernerのカウアイ島縦断研究(Kauai Longitudinal Study; Werner & Smith, 1982, 1992)は、ハワイのカウアイ島で1955年に生まれた698名の子どもを出生から成人期まで30年以上にわたって追跡した研究である。この研究では、高リスク群の約3分の1が深刻な問題を発現することなく適応的な成人に成長したことが報告された。

レジリエンスの概念規定は研究の進展に伴い変遷してきた。初期には「脆弱でない子ども(invulnerable children)」という表現が用いられたが、これは誤解を招くものとして批判された。レジリエンスは不死身性(invulnerability)ではなく、逆境に対する適応的な反応の過程であり、時間や文脈によって変動しうる動的な現象である。

レジリエンスとストレス・コーピングの接続

レジリエンスの概念は、Section 2で学んだLazarusのストレス・コーピング理論と密接に関連する。Lazarusのモデルにおいて、ストレスフルな出来事が「脅威」ではなく「挑戦」として評価され(一次的評価)、かつ対処可能な資源が十分であると判断される(二次的評価)場合、ストレス反応は緩和される。レジリエントな個人は、まさにこの認知的評価のパターンを示しやすい傾向がある。すなわち、逆境を脅威よりも挑戦として評価し、自己のコーピング資源に対する信頼が高い。

また、Section 2で検討したソーシャルサポートのストレス緩衝効果は、レジリエンスの保護因子としての社会的支援と直接的に対応する。レジリエンス研究において一貫して同定される保護因子には以下が含まれる。

graph TD
    A["レジリエンスの保護因子"] --> B["個人内因子"]
    A --> C["家族因子"]
    A --> D["コミュニティ因子"]
    B --> B1["認知能力・問題解決スキル"]
    B --> B2["自己効力感"]
    B --> B3["情動調整能力"]
    B --> B4["楽観的な帰属スタイル"]
    C --> C1["温かく安定した養育者との関係"]
    C --> C2["家族の凝集性"]
    C --> C3["適切な養育実践"]
    D --> D1["学校や地域の支援的環境"]
    D --> D2["メンターの存在"]
    D --> D3["社会的資源へのアクセス"]

心的外傷後成長

レジリエンスと関連しつつ区別される概念が、心的外傷後成長(posttraumatic growth: PTG) である。

Key Concept: 心的外傷後成長(posttraumatic growth: PTG) Richard Tedeschi & Lawrence Calhoun(1996, 2004)が提唱した概念。トラウマ体験との苦闘の結果として生じるポジティブな心理的変容を指す。元の適応水準への回復(レジリエンス)を超えた成長を含む。

Tedeschi & Calhounによれば、PTGはトラウマ体験自体によって生じるのではなく、トラウマとの認知的苦闘(cognitive struggle)---すなわち、それまでの前提世界観(assumptive world)が破壊され、再構築される過程---を通じて生じる。PTGの5つの領域として、(1) 他者との関係性の深化、(2) 新たな可能性の認識、(3) 個人的強さの認識、(4) スピリチュアルな変容、(5) 人生への感謝の増大が報告されている。

PTGの概念にはいくつかの批判がある。自己報告に基づく測定が多く、報告されたPTGが実際の行動変容や客観的指標によって裏づけられるかが問われている。また、PTGの報告がコーピング方略としての「肯定的幻想(positive illusion)」を反映している可能性も指摘されている。


ポジティブ介入のエビデンス

ポジティブ介入の概要

Key Concept: ポジティブ心理学的介入(positive psychology intervention: PPI) ポジティブ感情、ポジティブな行動、またはポジティブな認知を培養することを主たる目的とする介入活動。well-beingの向上と抑うつ症状の軽減の両方に効果を示すエビデンスが蓄積されている。

Sin & Lyubomirsky(2009)は51の研究(参加者計4,266名)を対象としたメタ分析を実施し、ポジティブ心理学的介入がwell-beingの向上(r = 0.29)と抑うつ症状の軽減(r = 0.31)に有意な効果を持つことを報告した。ただし、出版バイアスの影響や長期的効果の持続性については議論が残る。Bolier et al.(2013)のメタ分析(39研究、参加者6,139名)でも、PPIが主観的well-being(d = 0.34)、心理的well-being(d = 0.20)、抑うつ症状(d = 0.23)に小〜中程度の効果を持つことが確認されている。

主要なポジティブ介入

1. 感謝の介入(gratitude intervention)

感謝の介入は最も広く研究されているPPIの一つである。Robert Emmons & Michael McCullough(2003)の研究では、参加者を3群に分け、(a) 感謝することを5つ書く群、(b) 煩わしかったことを5つ書く群、(c) 週の出来事を5つ書く群として10週間追跡した結果、感謝群は煩わしさ群と比較して生活満足度が高く、身体症状が少なく、運動量が多いことが示された。

感謝の手紙(gratitude letter / gratitude visit) は、Seligman et al.(2005)の研究で検証された。まだ十分に感謝を伝えていない人に対して感謝の手紙を書き、直接それを読み上げて訪問する介入である。この介入は、実施後1か月まで有意な幸福感の増加と抑うつ症状の減少を示した。

2. 強みの活用(strengths use)

自身の上位の人格的強み(signature strengths)を同定し、それを新しい方法で日常生活に意図的に活用する介入である。Seligman et al.(2005)の研究では、参加者がVIA-ISで同定された上位5つの強みを1週間にわたり毎日新しい方法で使用した結果、6か月後まで幸福感の持続的な増加と抑うつ症状の減少が認められた。この効果の持続性は、感謝の手紙よりも長期的であった。

3. 最良の自己の視覚化(Best Possible Self)

Laura King(2001)が開発した介入であり、将来の最良の自己を想像し、その詳細を書き出す課題である。すべてがうまくいった場合の将来の自分を具体的に描写することで、楽観性とポジティブ感情が増大することが示されている。

4. 親切行為(acts of kindness)

Sonja Lyubomirsky et al.(2005)の研究では、1週間に5つの親切行為を行う(特に1日にまとめて行う条件で効果が大きかった)ことでwell-beingが向上することが示された。

介入 主な研究者 効果の持続 エビデンスの強さ
感謝日記 Emmons & McCullough (2003) 数週間〜数か月 中〜高
感謝の手紙 Seligman et al. (2005) 約1か月
強みの活用 Seligman et al. (2005) 6か月
最良の自己の視覚化 King (2001) 数週間
親切行為 Lyubomirsky et al. (2005) 数週間

Section 1・2との接続

ポジティブ介入は、Section 1で検討した健康行動モデルの枠組みでも理解できる。例えば、ポジティブ介入への従事を「健康行動」と捉えた場合、計画的行動理論(TPB)の観点からは、介入に対するポジティブな態度、周囲の支持(主観的規範)、実行可能性の認知(行動統制感)が介入への参加と継続を規定する。また、TTMのステージモデルの枠組みを適用すれば、well-being向上への動機づけの段階に応じた介入設計が可能となる。

さらに、レジリエンスとポジティブ介入は、Section 2のストレス・コーピング理論を補完する位置にある。Lazarusのモデルではストレスフルな状況への対処が主題であったが、ポジティブ介入はストレス発生以前に心理的資源を蓄積し、将来のストレスへの耐性を高める予防的機能を果たしうる。Fredricksonの拡張-形成理論が示唆するように、ポジティブ感情の蓄積は個人の心理的資源(レジリエンスを含む)を長期的に形成する。


well-beingの測定と批判

well-beingの2つの伝統

well-beingの概念と測定には、哲学的起源の異なる2つの伝統が存在する。

Key Concept: 快楽主義的well-being(hedonic well-being) 快楽の最大化と苦痛の最小化としてwell-beingを定義する伝統。アリスティッポスやエピクロスに遡り、心理学ではEdward Dienerの主観的well-being(subjective well-being)研究として展開されている。

Key Concept: エウダイモニア的well-being(eudaimonic well-being) 人間としての潜在的可能性の実現、美徳の実践、意味ある生活としてwell-beingを定義する伝統。アリストテレスに遡り、心理学ではCarol Ryffの心理的well-being(psychological well-being)やSeligmanのPERMAモデルに反映されている。

快楽主義的アプローチ: Edward Diener(1984)は主観的well-being(subjective well-being: SWB) を、(1) 生活満足度(life satisfaction、認知的評価)、(2) ポジティブ感情の頻度、(3) ネガティブ感情の不在、の3成分から構成されるものとして定義した。測定には、人生満足度尺度(Satisfaction With Life Scale: SWLS; Diener et al., 1985)やPositive and Negative Affect Schedule(PANAS; Watson, Clark, & Tellegen, 1988)が広く用いられている。

エウダイモニア的アプローチ: Carol Ryff(1989)は心理的well-being(psychological well-being: PWB) のモデルを提唱し、(1) 自律性、(2) 環境統御、(3) 個人的成長、(4) 他者との肯定的関係、(5) 人生の目的、(6) 自己受容の6次元を同定した。このモデルは、単に「幸せを感じている」こと以上に、人間としての最適な機能を多次元的に捉えようとする。

graph LR
    subgraph "快楽主義的well-being"
        H1["生活満足度"]
        H2["ポジティブ感情の頻度"]
        H3["ネガティブ感情の不在"]
    end
    subgraph "エウダイモニア的well-being"
        E1["自律性"]
        E2["環境統御"]
        E3["個人的成長"]
        E4["他者との肯定的関係"]
        E5["人生の目的"]
        E6["自己受容"]
    end
    H1 --> W["Well-being"]
    H2 --> W
    H3 --> W
    E1 --> W
    E2 --> W
    E3 --> W
    E4 --> W
    E5 --> W
    E6 --> W

ポジティブ心理学への批判

ポジティブ心理学は広範な影響力を持つ一方で、学術的・社会的な批判も多く提起されている。

1. 方法論的批判

ポジティブ心理学研究の一部は、再現性の危機(replication crisis)の影響を受けている。例えば、Fredricksonが提唱した「ポジティビティ比」(ポジティブ感情とネガティブ感情の比率が2.9013:1を超えると繁栄する)については、数学的モデルの妥当性がNicholas Brown, Alan Sokal, & Harris Friedman(2013)によって根本的に否定され、元の論文(Fredrickson & Losada, 2005)の数学的部分は撤回された。この事例は、ポジティブ心理学における精密な実証的検証の必要性を示す象徴的なケースとなった。

また、PPIのメタ分析において出版バイアスの可能性が指摘されており、効果量が過大に推定されている可能性がある。個々の介入研究のサンプルサイズが小さく、追跡期間が短い研究も多い。

2. 概念的・理論的批判

  • ネガティブ感情の軽視: ポジティブ心理学がポジティブな側面を強調するあまり、ネガティブな感情や経験の適応的機能を過小評価しているとする批判がある。悲しみ、怒り、不安は進化的に適応的な機能を持ち、不適切に抑制することはかえって有害でありうる。
  • 個人主義的偏向: well-beingの原因を個人の認知や行動に帰属する傾向が強く、構造的不平等、貧困、差別などの社会構造的要因を十分に考慮していないとする批判がある。「幸福は選択である」というメッセージは、不利な社会的条件に置かれた人々に対して有害に機能しうる。

3. 文化的批判

ポジティブ心理学の主要な知見は、WEIRD(Western, Educated, Industrialized, Rich, Democratic)な集団から得られたものが多い。幸福やwell-beingの概念は文化によって大きく異なり、個人の肯定的感情の最大化を重視する西洋的な枠組みが普遍的に適用可能かは疑問視されている。東アジア文化圏では、ポジティブ感情とネガティブ感情の弁証法的共存(dialectical emotions)が適応的とされる場合があり、ポジティブ感情のみを追求する介入が文化的に適合しない可能性がある(Leu et al., 2011)。

4. 商業化と科学的厳密性の乖離

ポジティブ心理学の概念がコーチング産業、自己啓発市場、企業研修などに急速に商業化され、科学的エビデンスを超えた主張が流通しているとする懸念がある。学術的なポジティブ心理学者自身もこの問題を認識しており、エビデンスに基づかない「ポジティブ思考」の商業的流布と学術的ポジティブ心理学を区別する必要性を訴えている。


まとめ

  • ポジティブ心理学は、Seligman & Csikszentmihalyi(2000)を起点として、人間の強み・美徳・最適な機能を実証科学の方法で研究する領域である。精神病理の治療に偏重した心理学の歴史的傾向を補完する位置づけにある。
  • PERMAモデルは、well-beingをPositive Emotion、Engagement、Relationships、Meaning、Accomplishmentの5要素から構成する枠組みであり、幸福を多元的に捉えることを志向する。
  • レジリエンスは重大な逆境に対する良好な適応過程であり、Section 2のストレス・コーピング理論における認知的評価やソーシャルサポートと密接に関連する。心的外傷後成長(PTG)は、逆境との苦闘を通じた元の水準を超えるポジティブな変容を指す。
  • 感謝の介入、強みの活用、最良の自己の視覚化などのポジティブ介入は、well-beingの向上と抑うつ症状の軽減に対して小〜中程度の効果を示すメタ分析的エビデンスが蓄積されている。
  • well-beingの概念には快楽主義的伝統とエウダイモニア的伝統があり、それぞれ異なる測定アプローチが存在する。
  • ポジティブ心理学には方法論的批判(再現性、出版バイアス)、概念的批判(ネガティブ感情の軽視、個人主義的偏向)、文化的批判(WEIRD偏向)が提起されており、これらを踏まえた批判的理解が重要である。
  • 次のセクションでは教育心理学の主題に移り、学習と教育における心理学的知見を検討する。

用語集(Glossary)

用語 英語表記 定義
ポジティブ心理学 positive psychology 人間の強み・美徳・最適な機能を実証科学の方法で研究する心理学の領域
PERMAモデル PERMA model Seligmanが提唱したwell-beingの5要素モデル(Positive Emotion, Engagement, Relationships, Meaning, Accomplishment)
VIA分類 Values in Action Classification Peterson & Seligmanが開発した6美徳・24強みの人格的強みの分類体系
人格的強み character strengths VIA分類において同定される24のポジティブな個人的特性
特徴的強み signature strengths 個人が特に高く保持している上位の人格的強み
拡張-形成理論 broaden-and-build theory Fredricksonが提唱した、ポジティブ感情が思考-行動レパートリーを拡張し個人資源を形成するとする理論
フロー flow Csikszentmihalyiが概念化した、課題の難易度とスキルが均衡した際に生じる完全な没入状態
レジリエンス resilience 重大な逆境に直面した際の良好な適応過程
心的外傷後成長 posttraumatic growth (PTG) トラウマ体験との苦闘の結果として生じるポジティブな心理的変容
ポジティブ心理学的介入 positive psychology intervention (PPI) ポジティブ感情・行動・認知を培養することを目的とする介入活動
グリット grit 長期的な目標に対する情熱と粘り強さ(Duckworth)
主観的well-being subjective well-being (SWB) 生活満足度、ポジティブ感情の頻度、ネガティブ感情の不在から構成されるwell-beingの快楽主義的概念
心理的well-being psychological well-being (PWB) Ryffが提唱した6次元からなるwell-beingのエウダイモニア的概念
快楽主義的well-being hedonic well-being 快楽の最大化と苦痛の最小化としてwell-beingを定義する伝統
エウダイモニア的well-being eudaimonic well-being 人間の潜在的可能性の実現・美徳の実践としてwell-beingを定義する伝統

確認問題

Q1: ポジティブ心理学が「心理学の歴史的偏り」として指摘した問題とは何か。また、この指摘に対してどのような反論が可能かを考察せよ。

A1: Seligman & Csikszentmihalyi(2000)は、第二次世界大戦後の心理学が精神疾患の治療と人間の弱さの修復に過度に集中し、心理学本来の3つの使命---精神疾患の治療、すべての人の生活の充実、才能の発見と育成---のうち後2者が等閑視されてきたと指摘した。この偏りの歴史的原因として、退役軍人庁の設立やNIMHの研究助成構造を挙げている。この指摘に対する反論としては、(1) 人間性心理学(Maslow、Rogers)は既にポジティブ心理学的主題を扱っており、ポジティブ心理学の「新しさ」は過大評価されている、(2) 精神疾患の治療は人口の相当部分に影響する重要な課題であり、この領域への資源集中は合理的な優先順位づけであった、(3) ポジティブ心理学は「疾病モデルの偏り」を修辞的に誇張することで自身の正当性を主張している面がある、といった論点が挙げられる。ポジティブ心理学の主張の妥当性は一定程度認められるが、それが「既存の心理学がネガティブなものだけを研究してきた」という単純な二項対立として理解されるべきではない。

Q2: PERMAモデルの5要素を説明し、各要素がSection 1・2で学んだ概念とどのように接続するかを論ぜよ。

A2: PERMAモデルの5要素は、Positive Emotion(ポジティブ感情)、Engagement(没頭)、Relationships(関係性)、Meaning(意味)、Accomplishment(達成)である。Section 1・2との接続について、Relationships(関係性)はSection 2で検討したソーシャルサポートの概念と直接的に関連する。Cohen & Wills(1985)のストレス緩衝仮説が示すように、ポジティブな対人関係はストレス下での健康維持に保護的効果を持ち、well-beingの基盤となる。Meaning(意味)はSection 2のFolkmanの意味に基づくコーピングと関連し、困難な状況においてもポジティブな意味を見出すことが適応を促進する。Positive Emotionは、Fredricksonの拡張-形成理論に基づけば、心理的資源(レジリエンスを含む)の蓄積に寄与するため、Section 2のストレスへの予防的機能を果たす。また、PERMAの各要素の向上を「健康行動」と捉えるならば、Section 1の計画的行動理論(態度・主観的規範・行動統制感)やTTM(行動変容の段階)の枠組みが、ポジティブ介入への参加と継続の促進に適用可能である。

Q3: レジリエンスの概念を定義し、Lazarusのトランザクショナルモデル(Section 2)との関連を説明せよ。また、レジリエンスと心的外傷後成長(PTG)の概念的区別を述べよ。

A3: レジリエンスは、重大な逆境、トラウマ、脅威に直面した際の良好な適応過程と定義される。単なる逆境の不在ではなく、重大なリスクの存在を前提とした上での良好な適応を指す。Lazarusのトランザクショナルモデルとの関連では、レジリエントな個人は一次的評価において逆境を「脅威」よりも「挑戦」として評価する傾向があり、二次的評価においてコーピング資源の利用可能性を高く見積もる。ソーシャルサポートのストレス緩衝効果も、レジリエンスの保護因子としてのコミュニティ因子に対応する。レジリエンスとPTGの概念的区別は、レジリエンスが逆境以前の適応水準への回復・維持を中心的に含むのに対し、PTGはトラウマ体験との認知的苦闘を経て元の適応水準を超えたポジティブな変容が生じることを指す。PTGは逆境からの回復ではなく、前提世界観の破壊と再構築という認知的過程を通じた質的な変容(他者との関係性の深化、新たな可能性の認識、個人的強さの認識等)を含む。両者は相互に排他的ではなく、レジリエントな個人がPTGを示すこともある。

Q4: ポジティブ心理学に対する文化的批判の内容を説明し、この批判がwell-beingの測定にどのような含意を持つかを論ぜよ。

A4: ポジティブ心理学の主要な知見はWEIRD(Western, Educated, Industrialized, Rich, Democratic)な集団から得られており、幸福やwell-beingの概念が文化的に普遍的であるかが疑問視されている。具体的には、(1) 個人のポジティブ感情の最大化を重視する枠組みは個人主義的な西洋文化の価値観を反映しており、集団主義的な文化における調和や義務の履行を通じたwell-beingを十分に捉えない、(2) 東アジア文化圏ではポジティブ感情とネガティブ感情の弁証法的共存が適応的とされる場合があり、ポジティブ感情のみの増大を目指す介入が文化的に不適合となる可能性がある(Leu et al., 2011)。well-beingの測定への含意としては、主観的well-being(生活満足度やポジティブ感情の頻度)の尺度が文化横断的に同一の構成概念を測定しているかという測定の等価性の問題が生じる。例えば、「非常に幸福」と自己報告することが社会的に望ましくないとされる文化では、自己報告に基づくwell-being測定が系統的に過小評価される。Ryffの心理的well-beingの6次元も西洋哲学に根ざした枠組みであり、自律性や環境統御を重視する点が非西洋文化圏に普遍的に適用可能かは検討を要する。

Q5: Fredricksonの拡張-形成理論の基本的主張を説明し、この理論がSection 2で学んだストレスとコーピングの枠組みとどのように統合的に理解できるかを考察せよ。

A5: Fredricksonの拡張-形成理論は、ポジティブ感情がネガティブ感情とは対称的な機能を持つと主張する。ネガティブ感情は特定の行動傾向(恐怖→逃走、怒り→攻撃)を狭く限定するのに対し、ポジティブ感情は個人の思考-行動レパートリーを一時的に拡張する。喜びは遊びと創造性を、興味は探索と学習を促進する。この拡張を通じて、長期的に社会的資源(友情、信頼関係)、知的資源(知識、問題解決スキル)、心理的資源(レジリエンス、楽観性)が形成される。Section 2のストレス・コーピング理論との統合的理解は、以下のように構成できる。Lazarusのモデルではストレス発生後のコーピングが焦点であったが、拡張-形成理論はストレス発生以前の心理的資源の蓄積メカニズムを説明する。ポジティブ感情の経験を通じて蓄積された個人資源は、将来のストレスフルな状況における二次的評価(「対処可能な資源がある」という評価)を高め、コーピングの有効性を向上させる。また、問題焦点型コーピングに必要な問題解決スキルや情報探索能力、情動焦点型コーピングに必要な認知的柔軟性や社会的支援ネットワークは、いずれもポジティブ感情の拡張効果を通じて形成されうる。すなわち、拡張-形成理論はコーピング資源の発生メカニズムを説明し、ストレス・コーピング理論はそれらの資源がストレス下でいかに動員されるかを説明するという相補的な関係にある。