Module 3-4 - Section 5: 学習困難と教室の社会的相互作用¶
セクション情報¶
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| モジュール | Module 3-4: 健康心理学・教育心理学 |
| 前提セクション | Section 4(教育心理学の基礎) |
| 想定学習時間 | 4時間 |
導入¶
教育心理学の基礎(→ Section 4参照)では、学習理論の教育的応用、メタ認知と自己調整学習、動機づけと学業達成を検討した。しかし、これらの理論が想定する「標準的な」学習者像だけでは、教室の実態を十分に捉えることはできない。現実の教室には、学習障害(LD)、注意欠如・多動症(ADHD)、知的ギフテッドネスなど、認知的・神経発達的に多様なプロファイルを持つ学習者が在籍しており、その教育的ニーズは画一的な教授法では充足できない。
本セクションでは、第一に学習困難と特別支援教育の心理学的基盤を検討する。学習障害・ADHD・ギフテッドネスの定義・神経基盤・教育的対応を、DSM-5-TR(→ Module 2-5参照)の診断枠組みと神経発達の知見(→ Module 1-5参照)を踏まえて論じる。第二に、教室における社会的相互作用と協同学習の理論・実証を検討する。Section 4で導入した社会的構成主義と協同学習の概念を、より詳細なメカニズムと実践モデルの水準で展開する。
学習困難と特別支援教育¶
学習障害(限局性学習症)¶
Key Concept: 学習障害(learning disability / specific learning disorder) 知的能力の全般的な遅れがないにもかかわらず、読字・書字・算数など特定の学業スキルの習得に持続的な困難を示す神経発達症群。DSM-5-TRでは「限局性学習症(specific learning disorder; SLD)」として分類される。
学習障害(learning disability; LD)は、教育心理学と臨床心理学の交差点に位置する概念である。DSM-5-TR(→ Module 2-5参照)では限局性学習症として、以下の3つの下位類型が規定されている。
| 下位類型 | DSM-5-TR指定子 | 主な困難 | 有病率(推定) |
|---|---|---|---|
| 読字障害 | 読字の障害を伴う(ディスレクシア) | 正確または流暢な単語認識、デコーディング、読解 | 5-15% |
| 書字障害 | 書字表出の障害を伴う | 綴り、文法・句読法、文章構成 | 7-15% |
| 算数障害 | 算数の障害を伴う(ディスカルキュリア) | 数の感覚、算数的事実の記憶、計算の正確さ・流暢性 | 3-7% |
LDの診断には以下の4基準が求められる。(1) 学業スキルの困難が少なくとも6か月間持続していること、(2) 学業スキルが年齢相応の水準を著しく下回ること、(3) 困難が学齢期に始まること(ただし潜在的な困難が顕在化するのは学業的要求が能力を超えた時点であってよい)、(4) 知的能力障害、視聴覚の未矯正の障害、精神疾患、心理社会的逆境、教授言語の不習熟では説明できないこと。
ディスレクシアの認知・神経基盤¶
Key Concept: ディスレクシア(dyslexia) 読字の正確性・流暢性に持続的な困難を示す限局性学習症の一類型。音韻処理の障害が中核的な認知的特徴とされ、左半球の側頭頭頂領域および後頭側頭領域の機能異常が神経基盤として報告されている。
ディスレクシア(dyslexia)は最も研究が進んだ学習障害であり、その認知的メカニズムに関する理論的蓄積は厚い。支配的な理論は音韻障害仮説(phonological deficit hypothesis)であり、ディスレクシアの中核的困難が言語音の表象・処理・操作の障害にあるとする。音韻認識(phonological awareness)――語を構成する音素を分離・操作する能力――はアルファベティック言語における読字習得の最強の予測因子の一つであり、ディスレクシア児はこの能力に顕著な困難を示す。
ただし、音韻障害仮説だけではディスレクシアの全貌を説明できないとする指摘もある。二重経路モデル(dual-route model)の枠組みでは、音韻経路(sublexical route: 文字-音素対応規則による読み)と語彙経路(lexical route: 心的辞書への直接アクセス)の一方または両方の障害がディスレクシアの異なるサブタイプを生むとされる。さらに、迅速自動化命名(rapid automatized naming; RAN)の障害がディスレクシアの別の認知的指標として注目されており、音韻認識障害とRAN障害の二重障害仮説(double-deficit hypothesis)(Wolf & Bowers, 1999)では、両方の障害を併せ持つ場合に最も重度のディスレクシアが生じるとされる。
graph TD
subgraph dyslexia_models ["ディスレクシアの認知的モデル"]
PD["音韻障害仮説"] --> PA["音韻認識の障害"]
PA --> RD["読字の正確性の困難"]
DD["二重障害仮説"] --> PA
DD --> RAN["迅速自動化命名の障害"]
RAN --> RF["読字の流暢性の困難"]
PA --> SEVERE["両障害の併存 → 重度のディスレクシア"]
RAN --> SEVERE
end
神経画像研究(→ Module 1-5参照)は、ディスレクシアの神経基盤として左半球の少なくとも2つの後方領域――側頭頭頂接合部(temporo-parietal junction: 音韻分析に関与)と後頭側頭領域(visual word form area: 視覚的語形の自動処理に関与)――の低活性化を一貫して報告している。これらの領域の構造的異常(灰白質の体積減少、白質路の統合性低下)も報告されており、ディスレクシアが神経発達的基盤を持つことを支持する。
エビデンスに基づく読字指導¶
学習障害への教育的対応において、介入への反応モデル(Response to Intervention; RTI)が北米を中心に広く導入されている。
Key Concept: 介入への反応モデル(Response to Intervention; RTI) 学習困難のリスクを早期に同定し、エビデンスに基づく介入の効果を段階的にモニタリングすることで、特別支援教育の対象を判定する多層的枠組み。
RTIは3つの層(tier)から構成される。
graph TD
T1["Tier 1: 全員を対象とした質の高い通常教育<br/>(全体の80-85%が十分に反応)"] --> T2["Tier 2: 小集団による追加的介入<br/>(10-15%が対象、週2-4回)"]
T2 --> T3["Tier 3: 個別の集中的介入<br/>(3-5%が対象、特別支援教育への橋渡し)"]
ディスレクシアに対するエビデンスに基づく介入の核心は、構造化された音韻に基づく読字指導(structured literacy / phonics-based instruction)である。National Reading Panel(2000)のメタ分析は、体系的なフォニックス指導が読字困難児の読みの正確性と理解力を有意に向上させることを確認した。特に、音韻認識訓練と文字-音素対応の明示的指導を組み合わせた介入が効果的とされる。
注意欠如・多動症(ADHD)¶
Key Concept: 注意欠如・多動症(attention-deficit/hyperactivity disorder; ADHD) 不注意、多動性、衝動性を中核症状とする神経発達症。DSM-5-TRでは、不注意優勢型、多動性-衝動性優勢型、混合型の3つの表現型が規定されている。教育場面における学業的・社会的困難と強く関連する。
ADHDは教育心理学において極めて重要な神経発達症である。学齢期の有病率は約5-7%(男女比は約2:1だが、不注意優勢型では性差が小さい)と推定され、教室に在籍する頻度の高い特別な教育的ニーズを持つ児童の一群を成す。
ADHDの3つの中核症状は教育場面において以下のように顕現する。
| 症状領域 | 教育場面での顕現 | 学業への影響 |
|---|---|---|
| 不注意 | 指示の聞き逃し、課題への持続的集中の困難、ケアレスミス | 課題の未完了、テスト成績の不安定さ |
| 多動性 | 離席、そわそわした動き、過度のおしゃべり | 教室ルールの逸脱、授業の妨害 |
| 衝動性 | 順番を待てない、他者の発言を遮る、結果を考えずに行動 | 仲間関係の困難、危険行動 |
ADHDの認知・神経基盤¶
ADHDの認知的特徴として最も一貫して報告されているのは、実行機能(executive function; EF)の障害である。Russell Barkley(1997)の実行機能障害モデルは、行動抑制(behavioral inhibition)の障害がADHDの一次的欠損であり、それが作業記憶、自己調整、動機づけの調整、言語の内面化(内言)の障害を二次的に生むと主張した。
ただし、近年の研究はADHDの認知的プロファイルが実行機能障害だけでは説明できない多様性を持つことを示している。Sonuga-Barke(2002, 2005)の二重経路モデル(ADHDの二重経路モデル)は、実行機能障害に加えて、報酬系の異常(遅延報酬の割引が過大になる傾向)がADHDの別の認知的経路を構成すると提唱した。さらに、時間知覚の障害を第三の経路として加える三重経路モデルも提案されている。
神経基盤としては、前頭前皮質(prefrontal cortex)とその線条体(striatum)との連結回路の構造的・機能的異常が最も一貫して報告されている。これらの回路はドーパミンとノルエピネフリンの神経伝達物質系によって調節されており、ADHD治療薬(メチルフェニデート、アンフェタミン等の精神刺激薬やアトモキセチン等の非刺激薬)はこれらの系に作用する。
ADHDへの教育的対応¶
ADHDのある児童生徒への教育的対応は、多層的な介入(multimodal intervention)として設計されるべきである。
| 介入の層 | 方略 | エビデンス |
|---|---|---|
| 環境調整 | 座席配置(前方・教師の近く)、注意を逸らす刺激の最小化、視覚的スケジュール | 実践的推奨(RCTは限定的) |
| 教授的配慮 | 課題の分割、明確で短い指示、頻繁なフィードバック、トークンエコノミー | 行動介入のメタ分析で効果確認 |
| 自己調整支援 | 自己モニタリング訓練、組織化スキルの指導 | 中程度の効果 |
| 薬物療法 | 精神刺激薬(メチルフェニデート等) | MTA研究で短期効果を確認 |
MTA研究(Multimodal Treatment Study of Children with ADHD; MTA Cooperative Group, 1999)は、ADHD治療における薬物療法、行動療法、両者の併用、通常の地域ケアを比較した大規模RCTであり、ADHD治療エビデンスの基盤を成す。14か月後の結果では、薬物療法群が行動療法単独群より中核症状の軽減に優れていたが、併用群は薬物療法単独群よりも社会的スキルや親子関係、学業面でより広範な改善を示した。長期追跡では群間差が縮小する傾向もあり、長期的な教育的支援の重要性が示唆される。
知的ギフテッドネス¶
Key Concept: ギフテッドネス(giftedness) 一つ以上の領域において同年齢の仲間と比較して際立って高い能力または達成を示す特性。定義は一義的ではなく、高いIQ(通常130以上)を基準とする伝統的定義から、多元的な能力や創造性、課題への熱中を含む拡張的定義まで幅がある。
ギフテッド教育は教育心理学の重要な下位領域であるが、LDやADHDと比較して「特別な教育的ニーズ」として認知される度合いが低い傾向がある。しかし、ギフテッドの児童生徒が通常のカリキュラムのペースと深度では十分な知的挑戦を受けられないことは、動機づけの低下、退屈による問題行動、潜在能力の非発揮(underachievement)を招きうる。
Joseph Renzulli(1978, 2005)の三輪概念モデル(three-ring conception of giftedness)は、ギフテッドネスを単なる高IQではなく、以下の3要素の交差として定義した。
graph TD
subgraph renzulli ["Renzulliの三輪概念モデル"]
AA["平均以上の能力<br/>Above-Average Ability"]
TC["課題への熱中<br/>Task Commitment"]
CR["創造性<br/>Creativity"]
AA --- G["ギフテッドネス"]
TC --- G
CR --- G
end
ギフテッド児への教育的対応は、大きく以下の3つのアプローチに分類される。
| アプローチ | 内容 | 利点・懸念 |
|---|---|---|
| 早修(acceleration) | 飛び級、教科ごとの先取り学習 | 学業的に効果的; 社会的・情緒的適応への懸念がしばしば指摘されるが、メタ分析では概ね良好な適応が示される |
| 拡充(enrichment) | 通常カリキュラムを深化・拡張する追加的学習機会 | 幅広い知的刺激; 十分な挑戦が確保されない場合がある |
| 能力別集団編成(ability grouping) | ギフテッド児を同質集団で教育 | 知的仲間との相互作用; 社会的分離の懸念 |
二重例外(2e)の児童¶
Key Concept: 二重例外(twice-exceptional; 2e) ギフテッドネスと学習障害・ADHDなどの障害を併せ持つ児童生徒。高い能力が障害を「マスク」し、障害が能力を「マスク」するため、両方のニーズが見落とされやすい。
二重例外(twice-exceptional; 2e)の児童は、ギフテッドネスと障害(LD、ADHD、自閉スペクトラム症など)を同時に持つ。例えば、極めて高い言語的推論能力を持ちながらディスレクシアを併存する児童は、高い言語理解力によって読字困難をある程度補償するため、LDの発見が遅れる。同時に、読字の困難が学業成績を引き下げるため、ギフテッドとしても同定されない。このような「相互マスキング」により、2e児は適切な支援を受けられないリスクが高い。
2e児への対応では、ギフテッドネスに対応する知的挑戦と、障害に対応する支援・配慮の両方を同時に提供する必要がある。これは、個別の教育計画(Individualized Education Program; IEP)またはそれに準ずる枠組みにおいて、強みに基づくアプローチ(strengths-based approach)を採用することで実現される。
教室における社会的相互作用¶
仲間関係と学業達成¶
教室は学習の場であると同時に、児童生徒が社会的スキルを獲得し、仲間関係を形成する社会的場である。仲間関係(peer relationships)と学業達成の間には、双方向的な関連が存在する。
ソシオメトリック法(sociometric methods)による研究は、教室内の仲間関係を以下のカテゴリーに分類してきた。
| 社会的地位 | 特徴 | 学業との関連 |
|---|---|---|
| 人気児(popular) | 多くの肯定的指名、少ない否定的指名 | 学業達成と正の相関 |
| 拒否児(rejected) | 少ない肯定的指名、多い否定的指名 | 学業達成と負の相関、学校不適応のリスク |
| 無視児(neglected) | 肯定的指名も否定的指名も少ない | 学業達成との関連は弱い |
| 両極児(controversial) | 肯定的指名も否定的指名も多い | 学業達成との関連は一貫しない |
仲間からの拒否は、学業成績の低下、学校への帰属感の低下、不登校(school refusal)、さらには抑うつや不安症状のリスク因子であることが縦断研究で示されている。一方、友人関係や仲間からの承認は、学校への動機づけと学業的関与(academic engagement)を高める保護因子として機能する。
協同学習の理論的基盤と実践モデル¶
Section 4で導入した協同学習(cooperative learning)の概念を、ここでは理論的メカニズムと具体的な実践モデルの水準で詳細に検討する。
協同学習を支える理論的メカニズム¶
協同学習の効果を説明する理論的メカニズムは、複数の視点から論じられてきた。
| 理論的視点 | 中核的メカニズム | 代表的研究者 |
|---|---|---|
| 社会的相互依存理論 | 目標構造(協同・競争・個別)が相互作用パターンを規定 | Deutsch, Johnson & Johnson |
| 社会的構成主義 | ZPD内での仲間との対話が高次思考を促進 | Vygotsky |
| 認知的精緻化理論 | 他者に説明することで自己の理解が深化 | Webb |
| 動機づけ理論 | 集団目標と個人の責任がタスク動機づけを増加 | Slavin |
社会的相互依存理論(social interdependence theory)は、Morton Deutsch(1949)が提唱し、David W. JohnsonとRoger T. Johnson(1989, 2009)が教育場面に展開した理論である。この理論は、個人の目標達成が他者の目標達成とどのように関連づけられているか(目標構造)が、相互作用のパターンと成果を決定すると主張する。
graph LR
subgraph goal_structures ["目標構造と相互作用パターン"]
CO["協同的目標構造<br/>正の相互依存"] -->|促進的相互作用| PO["高い達成・肯定的対人関係・心理的健康"]
COMP["競争的目標構造<br/>負の相互依存"] -->|対立的相互作用| NEG["勝者のみ高達成・対立的関係"]
IND["個別的目標構造<br/>相互依存なし"] -->|相互作用なし| MID["個別的達成・関係希薄"]
end
Johnson & Johnson(2009)のメタ分析は、協同的目標構造が競争的・個別的目標構造と比較して、学業達成(効果量 d = 0.49-0.67)、対人関係の質、心理的健康のすべてにおいて優れた成果をもたらすことを示している。
認知的精緻化理論の観点からは、Noreen M. Webb(1989, 2009)の研究が重要である。Webbは、協同学習グループ内での説明行動(elaborated explanations)が学習成果に最も強く関連することを示した。単に正答を教える行為よりも、なぜそうなるかを説明する行為が、説明する側・される側の双方の学習を促進する。これは、説明の過程で学習者が自身の知識を再構成し、精緻化する(→ Section 4の精緻化方略参照)ことによると考えられる。
主要な協同学習モデル¶
協同学習には多くの具体的な実践モデルが開発されてきた。主要なモデルを以下に整理する。
ジグソー法(Jigsaw method) は、Elliot Aronson(1971, 1978)が人種統合後の教室における偏見の低減を目的として開発した方法であり、協同学習の代表的モデルの一つである。ジグソー法では、各生徒が異なる学習材料の一部分(ピース)を担当し、専門家グループ(同じピースを担当する他グループの生徒との集まり)で内容を深めた後、ホームグループに戻って他のメンバーに教える。各メンバーは全体像を理解するために他のメンバーの説明に依存するため、積極的相互依存が構造的に保証される。
STAD(Student Teams-Achievement Divisions) は、Robert Slavin(1978, 1995)が開発したモデルであり、教師の教授→チームでの練習→個別テスト→チーム得点の算出という流れから成る。チーム得点は各メンバーの「向上得点」(過去の個人成績からの伸び)に基づいて算出されるため、能力の低いメンバーもチームへの貢献が可能であり、これが積極的相互依存と個人の責任を同時に実現する。
| モデル | 開発者 | 特徴 | 積極的相互依存の仕組み |
|---|---|---|---|
| ジグソー法 | Aronson | 各メンバーが異なる材料を担当 | 資源の相互依存 |
| STAD | Slavin | 向上得点に基づくチーム評価 | 報酬の相互依存 |
| グループ調査法 | Sharan & Sharan | グループが調査テーマを選択し探究 | 課題の相互依存 |
| 構造的アプローチ | Kagan | Think-Pair-Shareなどの汎用構造 | 構造による相互依存 |
教師-生徒相互作用¶
教室における社会的相互作用は、仲間間だけでなく、教師と生徒の間にも重要な力動を持つ。
Key Concept: 教師期待効果(teacher expectancy effect / Pygmalion effect) 教師が抱く生徒の学業能力に関する期待が、教師の行動を媒介として、生徒の実際の学業達成に影響を及ぼす現象。Rosenthal & Jacobson(1968)の実験的研究に端を発する。
ロバート・ローゼンタール(Robert Rosenthal)とレノア・ジェイコブソン(Lenore Jacobson, 1968)は、教師に「今後知的に伸びる」と告げた児童(実際にはランダムに選ばれた児童)が、実際にIQ得点の上昇を示したと報告した(ピグマリオン効果)。この研究自体には方法論的批判もあるが、教師期待が生徒の学業達成に影響を与えうるという基本的命題は、後続の研究によって支持されている。
Jussim & Harber(2005)のレビューは、教師期待効果に関する研究を総括し、以下の知見をまとめた。(1) 教師期待効果は実在するが、効果量は一般に小さい(d = 0.1-0.3)。(2) 効果は特定の条件下で大きくなる。社会的烙印(stigma)を持つ集団(人種的少数派、低社会経済的地位の児童)において効果が増幅される傾向がある。(3) 教師期待が生徒の達成に影響する媒介メカニズムとして、期待に基づく差別的な教師行動が同定されている。
教師期待が生徒の学業達成に影響を与える媒介メカニズムとして、Brophy(1983)は以下の4つの教師行動の差異を挙げた。(1) 社会情緒的風土: 高期待生徒に対してより温かく友好的な雰囲気を作る。(2) 言語的入力: 高期待生徒により多くの、より困難な内容を教授する。(3) 言語的出力の機会: 高期待生徒により多く発言の機会を与え、回答を待つ時間(wait time)を長くする。(4) フィードバック: 高期待生徒の回答に対してより精緻で建設的なフィードバックを与える。
インクルーシブ教育の心理学的基盤¶
Key Concept: インクルーシブ教育(inclusive education) 障害の有無にかかわらず、すべての児童生徒が地域の通常の教室で共に学ぶことを原則とする教育理念・実践。分離教育や統合教育(integration: 障害児を通常学級に「受け入れる」)を超えて、教育システム自体の変革を志向する。
インクルーシブ教育は、特別な教育的ニーズを持つ児童生徒の教育をめぐる国際的潮流を反映した理念・実践である。1994年のサラマンカ声明(Salamanca Statement, UNESCO)は、インクルーシブ教育を国際的な政策目標として位置づけた。
インクルーシブ教育の心理学的基盤は、以下の理論的観点から支持される。
- 社会的学習理論の観点: 障害のある児童と定型発達児が共に学ぶ環境は、モデリングと仲間間の相互作用を通じて、社会的スキルの発達を促進する
- 偏見低減の接触仮説: Gordon Allport(1954)の接触仮説は、適切な条件(平等な地位、共通目標、協力、制度的支持)下での集団間接触が偏見を低減すると主張した。インクルーシブな教室における協同学習はこれらの条件を満たしうる
- 自己決定理論の観点: インクルーシブな環境は、障害のある児童の自律性・有能感・関係性の充足を、分離環境よりもよく支持しうる
ただし、インクルーシブ教育の効果は、その実施の質に強く依存する。物理的な統合(同じ教室にいること)だけでは不十分であり、合理的配慮(reasonable accommodation)の提供、教師の専門性の向上、学級全体の社会的包摂の風土の醸成が不可欠である。教室内での障害のある児童の社会的孤立は、分離教育よりもむしろ有害な結果をもたらしうるという指摘もある。
ユニバーサルデザインに基づく学習(Universal Design for Learning; UDL)は、インクルーシブ教育を実現するための教授設計の枠組みであり、以下の3原則から成る。(1) 提示の多様性: 学習内容を複数の表象形式(視覚・聴覚・触覚等)で提供する。(2) 行動と表出の多様性: 学習成果を表現する方法に選択肢を設ける。(3) 関与の多様性: 動機づけと学習への関与を高める多様な手段を提供する。
まとめ¶
- 学習障害(限局性学習症)は、知的能力の全般的な遅れがないにもかかわらず特定の学業スキルに持続的な困難を示す神経発達症群である。ディスレクシアの中核的障害は音韻処理にあり、構造化された音韻に基づく読字指導がエビデンスに基づく介入として確立されている。RTI(介入への反応モデル)は、学習困難のリスクを早期に同定し段階的に対応する枠組みである
- ADHDは不注意・多動性・衝動性を中核症状とする神経発達症であり、実行機能障害と報酬系の異常が主要な認知的基盤として同定されている。教育的対応は環境調整、教授的配慮、自己調整支援、薬物療法の多層的介入として設計される
- ギフテッドネスは高い能力の一側面であるが、適切な知的挑戦の欠如は動機づけの低下と潜在能力の非発揮を招く。二重例外(2e)の児童は、ギフテッドネスと障害の相互マスキングにより、両方のニーズが見落とされやすい
- 教室の社会的相互作用において、協同学習は社会的相互依存理論・認知的精緻化理論によってその効果が説明される。ジグソー法やSTADなどの具体的モデルは、積極的相互依存と個人の責任の両立を構造的に保証する
- 教師期待効果は、教師の行動を媒介として生徒の学業達成に影響を与えうるが、効果量は一般に小さく、社会的に不利な集団で増幅される傾向がある
- インクルーシブ教育は、すべての学習者が通常の教室で共に学ぶことを志向する理念であるが、その効果は実施の質(合理的配慮、教師の専門性、UDLの適用)に強く依存する
用語集(Glossary)¶
| 用語 | 英語表記 | 定義 |
|---|---|---|
| 学習障害 / 限局性学習症 | learning disability / specific learning disorder | 知的能力の全般的遅れがなく特定の学業スキルに持続的な困難を示す神経発達症 |
| ディスレクシア | dyslexia | 読字の正確性・流暢性に持続的困難を示す限局性学習症の一類型 |
| 音韻障害仮説 | phonological deficit hypothesis | ディスレクシアの中核的困難が音韻処理の障害にあるとする仮説 |
| 二重障害仮説 | double-deficit hypothesis | 音韻認識障害とRAN障害の併存が重度のディスレクシアを生むとする仮説(Wolf & Bowers) |
| 介入への反応モデル | Response to Intervention (RTI) | エビデンスに基づく介入への反応を段階的にモニタリングする多層的枠組み |
| 注意欠如・多動症 | attention-deficit/hyperactivity disorder (ADHD) | 不注意・多動性・衝動性を中核症状とする神経発達症 |
| 実行機能 | executive function | 目標指向的行動の計画・制御・モニタリングに関わる認知機能群 |
| ギフテッドネス | giftedness | 一つ以上の領域で同年齢集団より際立って高い能力・達成を示す特性 |
| 二重例外 | twice-exceptional (2e) | ギフテッドネスと障害を併せ持つ児童生徒 |
| 協同学習 | cooperative learning | 積極的相互依存と個人の責任に基づく構造化された相互学習 |
| 社会的相互依存理論 | social interdependence theory | 目標構造が相互作用パターンと成果を決定するとする理論(Deutsch, Johnson & Johnson) |
| ジグソー法 | Jigsaw method | 各メンバーが異なる材料を担当し教え合う協同学習モデル(Aronson) |
| STAD | Student Teams-Achievement Divisions | 向上得点に基づくチーム評価を特徴とする協同学習モデル(Slavin) |
| 教師期待効果 | teacher expectancy effect / Pygmalion effect | 教師の期待が教師行動を媒介して生徒の学業達成に影響する現象 |
| インクルーシブ教育 | inclusive education | 障害の有無にかかわらず通常の教室で共に学ぶことを原則とする教育理念 |
| ユニバーサルデザインに基づく学習 | Universal Design for Learning (UDL) | すべての学習者のアクセスを保証するための教授設計の3原則枠組み |
確認問題¶
Q1: ディスレクシアの認知的基盤に関する音韻障害仮説と二重障害仮説の違いを説明し、二重障害仮説が提唱された理由を述べよ。
A1: 音韻障害仮説は、ディスレクシアの中核的な認知的困難が音韻処理(語を構成する音素の表象・分離・操作)の障害にあるとする。音韻認識の障害は文字-音素対応(デコーディング)を困難にし、読字の正確性を阻害する。一方、二重障害仮説(Wolf & Bowers, 1999)は、音韻認識障害に加えて迅速自動化命名(RAN)の障害がディスレクシアの別の認知的経路を構成すると主張する。この仮説が提唱された理由は、(1) 音韻認識は正常であるにもかかわらず読字の流暢性に困難を示す児童が存在すること、(2) RANの障害は特に読字の速度・流暢性と関連し、音韻認識の障害とは独立した予測力を持つこと、(3) 音韻認識障害とRAN障害の両方を併せ持つ児童が最も重度の読字困難を示すことが臨床的に観察されたためである。
Q2: ADHDのある児童に対する教育的対応として、RTIの3層モデルの考え方を適用するとすれば、各層でどのような介入が考えられるか。MTA研究の知見も踏まえて論じよ。
A2: Tier 1(全体支援)では、教室全体の環境調整(視覚的スケジュールの提示、明確なルールと手順、構造化された授業展開)と、すべての児童にとって有益な教授法の工夫(課題の短い単位への分割、頻繁なフィードバック、能動的参加の促進)を行う。Tier 2(小集団支援)では、ADHDのリスクが高い児童を小集団で、自己モニタリング訓練や組織化スキルの指導(ノートの取り方、宿題管理など)を週に数回提供する。行動契約やトークンエコノミーなどの行動介入もこの層に位置づけられる。Tier 3(個別支援)では、重度の困難を示す児童に対して個別化された集中的介入を実施し、必要に応じて薬物療法との連携を行う。MTA研究は、薬物療法がADHDの中核症状の軽減に最も効果的である一方、行動療法との併用が社会的スキルや学業面でより広範な改善をもたらすことを示しており、教育的介入と医療的介入の統合的アプローチの重要性を支持する。
Q3: 協同学習の効果を説明する理論的メカニズムについて、社会的相互依存理論と認知的精緻化理論の2つの視点から説明し、それぞれの視点がどのような教室実践の設計原理につながるかを論じよ。
A3: 社会的相互依存理論(Deutsch, Johnson & Johnson)は、個人の目標達成が他者の目標達成と正に連結されている(正の相互依存)場合に、促進的な相互作用パターン(相互支援、情報共有、建設的な葛藤解決)が生じ、高い達成と肯定的な対人関係がもたらされると主張する。この視点からの設計原理は、(a) 集団目標と個人の責任を明確に構造化すること(例: STADの向上得点制度)、(b) 資源・役割・報酬の相互依存を意図的に設計すること(例: ジグソー法の資源分割)である。認知的精緻化理論(Webb)は、グループ内で他者に概念を説明する行為が、説明者自身の知識の再構成と深化をもたらすと主張する。この視点からの設計原理は、(a) 単なる正答の伝達ではなく、理由の説明を促す課題と発問を設計すること、(b) 生徒が互いに「なぜそうなるか」を問い合う対話の文化を育成すること、(c) グループ構成において、適度な能力差を設けて教え合いの機会を最大化することである。
Q4: 二重例外(2e)の児童が適切な支援を受けにくい理由を「相互マスキング」の概念を用いて説明し、強みに基づくアプローチがこの問題にどう対応するかを述べよ。
A4: 二重例外の児童では、高い知的能力がLDやADHDなどの困難を補償し、学業成績が平均的な範囲に留まることで障害が見過ごされる。同時に、障害が学業パフォーマンスを低下させるため、ギフテッドとしての同定基準(高い成績や標準テストの高得点)を満たさず、ギフテッドとしても認識されない。この「相互マスキング」により、児童は「平均的な生徒」として扱われ、ギフテッドネスに対する知的挑戦も障害に対する支援も受けられない。強みに基づくアプローチは、児童の高い能力をまず認識・活用し、その強みを活かした学習方法で障害のある領域を補償する。例えば、ディスレクシアを持つ言語的ギフテッド児に対して、高度な思考を要する口頭討論や音声入力による表現の機会を提供しつつ(強みの活用)、同時に構造化された音韻指導を別途行う(困難への支援)。これにより、障害に対する「矯正」のみに焦点を当てるアプローチでは見落とされがちな、児童の知的潜在能力の発揮と自己効力感の維持が可能になる。