Module 4-1 - Section 3: 心理学の哲学的問題¶
セクション情報¶
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| モジュール | Module 4-1: 心理学史・科学哲学 |
| 前提セクション | Section 1(心理学史の深化) |
| 想定学習時間 | 7時間 |
導入¶
Section 1では、心理学が哲学から分離して独立の経験科学として成立する知的背景を検討した。しかし、心理学が「科学」として自律した後も、哲学的問題は心理学の根底に存在し続けている。本セクションでは、心理学に最も深く関わる四つの哲学的問題群——心身問題と意識のハードプロブレム、自由意志と決定論、民間心理学と科学的心理学の関係、心理学における法則の性格——を検討する。
これらの問題は純粋に抽象的な思弁ではない。心身問題は神経科学の実証的研究と直結し(→ Module 2-1「神経・生理心理学」参照)、自由意志の問題は脳科学実験によって新たな局面を迎え、民間心理学の問題は臨床心理学の実践的基盤に関わり、法則の性格の問題は心理学的知見の一般化可能性を左右する。哲学的議論と実証研究の接点を明確にしながら、各問題の構造を分析する。
心身問題と意識のハードプロブレム¶
心身問題の基本構図¶
Key Concept: 心身問題(mind-body problem) 心的状態(意識、思考、感情など)と身体的状態(脳の物理的・化学的過程)の関係をめぐる哲学的問題。心理学の存立基盤に関わる根本問題であり、Descartes以来、哲学と科学の交差点に位置する。
心身問題は、少なくとも以下の二つの側面を含む。第一は存在論的側面であり、「心的なものは何であるか」——すなわち、心的状態は物理的状態とは別種の存在か、それとも物理的状態に還元されるか、という問いである。第二は因果的側面であり、「心的なものは身体に因果的影響を及ぼしうるか」——すなわち、意識的な意図や決断が身体的行動を引き起こすのか、という問いである。
心身問題に対する立場は多岐にわたるが、主要なものを整理すると以下のようになる。
graph TD
A["心身問題の立場"] --> B["二元論"]
A --> C["一元論"]
B --> B1["実体二元論<br>Descartes"]
B --> B2["性質二元論<br>Chalmers"]
C --> C1["物理主義/唯物論"]
C --> C2["観念論"]
C1 --> D1["同一説<br>Smart, Place"]
C1 --> D2["機能主義<br>Putnam, Fodor"]
C1 --> D3["消去的唯物論<br>Churchland夫妻"]
C1 --> D4["創発主義"]
B2 --> E["意識のハードプロブレム"]
D2 --> F["計算主義的認知科学"]
D3 --> G["神経科学への還元"]
Rene Descartes(ルネ・デカルト, 1596-1650)の実体二元論(substance dualism)は、心(res cogitans)と物体(res extensa)を異なる実体と見なし、心身の相互作用を松果体において生じるものとした。この立場は直観的にわかりやすいものの、根本的な困難を抱えている。非物理的な心がいかにして物理的な身体に因果的影響を及ぼしうるのか(相互作用問題)、そしてそのような相互作用はエネルギー保存則に違反しないのか、という問題である。
現代の心の哲学において最も影響力のある立場は物理主義(physicalism)の諸形態である。心脳同一説(mind-brain identity theory)は、心的状態は特定の脳状態と文字通り同一であると主張する。J.J.C. Smart(J・J・C・スマート)やU.T. Place(U・T・プレイス)が提唱した。しかし、同一の心的状態(例えば「痛み」)が異なる物理的基盤上で実現されうるという多重実現可能性(multiple realizability)の議論(Hilary Putnam(ヒラリー・パトナム), 1967年)は、心脳同一説に対する有力な批判となった。
Key Concept: 機能主義(functionalism) 心的状態をその機能的役割——すなわち、入力(感覚刺激)、出力(行動)、および他の心的状態との因果的関係——によって定義する立場。心的状態の同一性は物理的基盤ではなく機能的役割によって決まるため、多重実現可能性を許容する。認知心理学および計算論的認知科学の哲学的基盤として広く受け入れられている。
機能主義(functionalism)は、Putnam やJerry Fodor(ジェリー・フォーダー)によって提唱され、心的状態を機能的役割によって定義することで多重実現可能性の問題を解消した。認知心理学が「情報処理」という枠組みで心的過程を記述する際、暗黙のうちに前提としているのは機能主義的な心身観である。コンピュータのソフトウェアがハードウェアから相対的に独立であるように、心的過程は脳の物理的実装から相対的に独立な機能的レベルで記述可能であるとされる。
意識のハードプロブレム¶
Key Concept: 意識のハードプロブレム(hard problem of consciousness) David Chalmersが提起した問題。物理的過程がなぜ・いかにして主観的経験(クオリア)を伴うのかという問い。行動や認知機能の神経基盤を説明する「イージープロブレム」とは区別される。
David Chalmers(デイヴィッド・チャーマーズ, 1966-)は「意識のハードプロブレムに直面する(Facing Up to the Problem of Consciousness)」(1995年)において、意識をめぐる問題を二つに区分した。
イージープロブレム(easy problems): 注意の制御、覚醒と睡眠の区別、刺激の弁別と報告、行動の意図的制御など、認知機能の神経メカニズムを解明する問題群。これらは原理的には通常の神経科学的方法で解決可能である(→ Module 3-1「認知神経科学」で扱った注意・記憶・実行機能の神経基盤はイージープロブレムの研究に属する)。
ハードプロブレム(the hard problem): 物理的過程がなぜ主観的経験(phenomenal consciousness)を伴うのか。赤を見る経験はなぜ「あのような感じ」がするのか。脳のニューロン発火パターンから、なぜ・いかにして質的な主観的体験(クオリア(qualia))が生じるのか。
Chalmersは、ハードプロブレムの存在を論証するために、哲学的ゾンビ(philosophical zombie)という思考実験を用いた。哲学的ゾンビとは、物理的・機能的にはわれわれと完全に同一でありながら、主観的経験を一切持たない仮想的存在である。もしゾンビが論理的に可能であるならば、物理的・機能的な記述が意識の十分条件ではないことが帰結する。Chalmersはこの論証に基づき、意識は物理的性質に還元されない基本的性質であるとする性質二元論(property dualism)を主張した。
ハードプロブレムに対する立場は分かれている。
| 立場 | 代表的論者 | 主張 |
|---|---|---|
| 性質二元論 | Chalmers | 意識は物理的性質に還元不可能な基本的性質 |
| 高階表象理論 | Rosenthal | 意識は心的状態に対する高階の表象によって成立 |
| グローバル・ワークスペース理論 | Baars | 意識はグローバルな情報の放送に対応 |
| 統合情報理論 | Tononi | 意識は統合された情報量(Φ)に対応 |
| 幻想主義 | Frankish | 主観的経験の非還元性は認知的幻想 |
| 神秘主義 | McGinn | 人間の認知能力ではハードプロブレムは解決不可能 |
心理学の実証研究にとっての含意は以下の点にある。認知心理学や認知神経科学は、主として「イージープロブレム」に取り組んでいる。しかし、意識研究においては、意識の神経相関(neural correlates of consciousness, NCC)の同定がハードプロブレムの解決に直結するかどうかが問われる。NCCの同定は、意識に伴う神経活動パターンを特定する作業であるが、それは相関関係の記述であって、「なぜその神経活動が意識を伴うのか」という説明にはならないという批判がある。
自由意志と決定論¶
問題の構造¶
Key Concept: 決定論(determinism) ある時点の宇宙の状態と自然法則が与えられれば、その後のすべての状態が一義的に決定されるとする立場。心理学においては、人間の行動がその先行条件(遺伝・環境・脳状態)によって完全に決定されるか否かという形で問題が現れる。
自由意志(free will)の問題は、心理学に対して二重の関わりを持つ。第一に、心理学的説明は人間の行動を先行条件から予測・説明しようとするものであり、この営み自体が暗黙のうちに決定論的な前提を含んでいる。行動が先行条件によって説明可能であればあるほど、自由意志の余地は縮小するように見える。第二に、自由意志の有無は法的責任・道徳的責任の基礎であり、臨床心理学・法心理学の実践に直結する。
自由意志と決定論の関係に対する主要な立場は以下の三つに整理される。
graph LR
A["自由意志と決定論"] --> B["両立論<br>(compatibilism)"]
A --> C["非両立論<br>(incompatibilism)"]
C --> D["強い決定論<br>(hard determinism)"]
C --> E["自由意志論<br>(libertarianism)"]
B --> F["Hume, Frankfurt<br>現代の主流的立場"]
D --> G["自由意志は幻想"]
E --> H["非決定論的過程が<br>自由意志の基盤"]
両立論(compatibilism): 決定論と自由意志は両立可能であるとする立場。David Hume(ヒューム)やHarry Frankfurt(ハリー・フランクファート)に代表される。Frankfurtは、自由意志を「自分の欲求について反省し、その欲求に基づいて行為できる能力」として再定義した。この立場では、自由意志は決定論的な因果連鎖の外部にある何かではなく、特定の種類の因果的過程(合理的熟慮を経た行為)に帰属される。両立論は現代の分析哲学において最も支持を集める立場であり、PhilPapers調査(2020年)では哲学者の59.2%が両立論を支持している。
強い決定論(hard determinism): 決定論が真であり、それゆえ自由意志は存在しないとする立場。
自由意志論(libertarianism): 自由意志は存在し、そのためには決定論は偽でなければならないとする立場。量子力学的不確定性に自由意志の基盤を求める議論があるが、量子力学的な不確定性は「ランダムさ」であって、行為者の「コントロール」とは異なるという批判に直面する。
Libet実験とその解釈¶
自由意志をめぐる議論は、Benjamin Libet(ベンジャミン・リベット, 1916-2007)の実験(1983年)によって神経科学的な次元に持ち込まれた。
Libetは被験者に、好きなタイミングで手首を曲げるよう指示し、(a) 脳波上の準備電位(readiness potential, RP)の開始時点、(b) 動作の意図を意識した時点(W判断)、(c) 筋電図上の動作開始時点を比較した。結果は以下の順序を示した。
- 準備電位の開始: 動作の約550ms前
- 意識的意図(W判断): 動作の約200ms前
- 動作開始: 0ms
すなわち、意識的な「動こう」という意図の自覚に先立って、脳はすでに運動準備を開始していた。この結果は、「意識的な意図が行動を引き起こす」という素朴な理解に対する挑戦として広く議論された。
sequenceDiagram
participant RP as 準備電位
participant W as 意識的意図
participant M as 動作開始
Note over RP: -550ms
Note over W: -200ms
Note over M: 0ms
RP->>W: 約350ms先行
W->>M: 約200ms先行
Note right of M: Libet実験の時間的関係
しかし、Libet実験の解釈には多くの問題が指摘されている。
方法論的批判: 被験者が時計の針の位置で意図の時点を報告する手法(Libet時計)自体が、主観的な時間判断の誤差を含む。意図の「正確な時点」が存在するという前提自体が疑問視される。
準備電位の解釈: Aaron Schurger(アーロン・シュルガー)ら(2012年)は、準備電位が運動の開始を反映するのではなく、確率的な神経活動のノイズが閾値を超えた結果として事後的に検出されるアーティファクトである可能性を示した。すなわち、準備電位は「脳がすでに決定していた」ことの証拠ではなく、意思決定に至る確率的過程の一部に過ぎない可能性がある。
Libet自身の解釈: Libet自身は自由意志の完全な否定には至らず、意識的な「拒否権(veto)」の可能性を提唱した。意識的意図は行動の開始者ではなくとも、準備された行動を最終的に実行するか抑制するかの決定権を持つとした。
心理学への含意: Libet実験の議論は、心理学にとって以下の論点を提起する。行動の因果的起源が意識的意図に先立つ脳活動にあるとしても、それは「意識が因果的に無力である」ことを直ちに意味しない。意識的な合理的熟慮が長期的な行動方略の形成に寄与し、その方略が個々の行動の先行条件を構成するという階層的な因果モデルを考えることができる。
民間心理学と科学的心理学の関係¶
民間心理学とは何か¶
Key Concept: 民間心理学(folk psychology) 日常的な心理的概念(信念、欲求、意図、感情など)を用いて人間の行動を説明・予測する素朴な理論的枠組み。「彼女はコーヒーが欲しかった(欲求)ので、カフェに行った(行動)」のような日常的説明がその典型例である。
民間心理学(folk psychology)とは、われわれが日常的に他者の行動を理解・予測する際に用いる心理学的な概念と推論の枠組みである。信念(belief)、欲求(desire)、意図(intention)、恐怖(fear)、喜び(joy)といった命題的態度(propositional attitudes)を他者に帰属し、それに基づいて行動を説明する。例えば、「太郎は雨が降ると信じ(信念)、濡れたくないと思い(欲求)、傘を持って出かけた(行動)」という説明は、民間心理学の典型的な推論構造を示している。
民間心理学と科学的心理学の関係については、哲学的に三つの主要な立場がある。
消去的唯物論:民間心理学の全面否定¶
Paul Churchland(ポール・チャーチランド, 1942-)とPatricia Churchland(パトリシア・チャーチランド, 1943-)は、消去的唯物論(eliminative materialism)の立場から、民間心理学は根本的に誤った理論であり、成熟した神経科学によって最終的に置換されると主張した。
Churchland夫妻の論証は以下の構造を持つ。(1) 民間心理学は、他の民間理論(folk physics, folk biology)と同様に、行動の説明・予測のために構成された経験的理論である。(2) 経験的理論は、その説明力と予測力によって評価されるべきである。(3) 民間心理学は広範な心理現象(精神疾患、創造性、知覚の錯覚、睡眠、記憶のメカニズムなど)を説明できず、過去数千年にわたってほとんど進歩していない停滞した理論である。(4) したがって、民間心理学は燃素説(phlogiston theory)や天動説と同様に、より優れた科学的理論(神経科学)によって消去されるべきである。
民間心理学の擁護¶
消去的唯物論に対しては、複数の方向から批判がなされている。
理論-理論(theory-theory)からの擁護: 民間心理学が「理論」であるとしても、その予測力は日常的な場面において極めて高い。われわれは他者の行動を高い精度で予測しており、社会生活はこの予測の成功に依存している。停滞している理論が常に誤っているわけではない。
Jerry Fodor(フォーダー)の立場: Fodorは、信念や欲求といった命題的態度は、心的表象(mental representations)として因果的に実在するものであり、認知科学の正当な理論的構成概念であると主張した。Fodorによれば、思考の言語(language of thought)仮説に基づき、命題的態度は脳内の表象的状態と体系的に対応する。消去的唯物論は、成熟した神経科学が民間心理学を置換するという予測を立てているが、この予測自体が正しいかどうかは経験的問題であり、現時点で神経科学が民間心理学の概念に対応する体系的代替を提供していない以上、消去の時期尚早である。
シミュレーション説(simulation theory): Alvin Goldman(アルヴィン・ゴールドマン)らが提唱した立場で、われわれは他者を理解する際に理論を適用するのではなく、自分自身の心的過程をシミュレーション装置として用いて他者の心的状態を追体験する。この立場では、民間心理学は「理論」ではないため、理論の成否という基準で評価すること自体が不適切となる。
graph TD
A["民間心理学の地位"] --> B["消去的唯物論<br>Churchland夫妻"]
A --> C["理論としての擁護<br>Fodor"]
A --> D["シミュレーション説<br>Goldman"]
B --> B1["民間心理学は<br>根本的に誤った理論"]
B1 --> B2["神経科学による置換"]
C --> C1["命題的態度は<br>因果的に実在"]
C1 --> C2["認知科学の正当な<br>理論的構成概念"]
D --> D1["他者理解は理論適用<br>ではなくシミュレーション"]
D1 --> D2["理論の成否基準は<br>不適切"]
心理学の実践への含意¶
民間心理学と科学的心理学の関係は、心理学の実践——特に臨床心理学——に対して重要な含意を持つ。認知行動療法(CBT)は、クライエントの信念(認知的歪み)を同定し修正するという治療原理に基づいており、民間心理学の中心概念である「信念」を治療的に操作している。消去的唯物論が正しいとすれば、CBTの概念的基盤は根本的に問い直される必要がある。しかし、CBTが経験的に有効であるという事実は、民間心理学的概念が少なくとも臨床的な有用性を持つことを示唆する。
同様に、日常的な心理的説明と科学的心理学の説明はレベルが異なるものとして共存しうるという見方もある。David Marr(デイヴィッド・マー)の三水準分析(計算理論水準・表象とアルゴリズム水準・実装水準)を援用すれば、民間心理学は計算理論水準に近い記述であり、神経科学は実装水準の記述であって、一方が他方を「消去」する関係にあるとは限らないと考えることができる。
心理学における法則の性格¶
心理学的法則は自然法則か¶
Key Concept: 他の事情が等しければ条件付き法則(ceteris paribus laws) 「他の条件が等しい場合に」という留保付きの法則。物理学の厳密な法則とは異なり、心理学を含む特殊科学の法則は通常この形式をとる。例えば「強化された行動は頻度が増加する(他の条件が等しければ)」のような形式である。
物理学の法則——例えば万有引力の法則——は、例外のない厳密な普遍法則(strict laws)として定式化される。これに対し、心理学の一般化はいかなる性格を持つのか。心理学の法則の性格をめぐる議論は、心理学の科学としての地位に直結する重大な問題である。
心理学の一般化には、少なくとも以下の特徴が認められる。
例外の存在: 心理学的一般化は例外を伴う。「認知的不協和は態度変容を動機づける」という一般化は、多くの場面で成立するが、不協和が態度変容ではなく合理化や情報回避によって解消される場合もある。
条件の多重性: 心理学的現象は、遺伝的要因、発達的経緯、文化的文脈、状況的要因、個人差など、膨大な条件に依存する。すべての条件を特定して厳密に統制することは実質的に不可能である。
領域限定性: 心理学的一般化は、特定の文化・年齢層・実験条件において成立する傾向性であって、時空間を超えた普遍的法則ではないことが多い。WEIRD(Western, Educated, Industrialized, Rich, Democratic)問題は、この限界を端的に示している(→ Module 4-1, Section 2参照)。
Fodorの特殊科学論¶
Jerry Fodor(フォーダー)は「特殊科学(Special Sciences)」(1974年)において、心理学を含む特殊科学の自律性を擁護した。Fodorの議論は以下の構造を持つ。
(1) 心理学の法則は物理学の法則に還元されない。その理由は多重実現可能性にある。同一の心理学的種(例えば「痛み」)が異なる物理的状態によって実現されうるならば、心理学的法則と物理学的法則の間には一対一の対応関係が成立しない。
(2) しかし、還元不可能であることは非科学的であることを意味しない。特殊科学は、物理学とは異なる水準で自然の秩序を捉えており、その水準において有意味な一般化を提供する。
(3) 特殊科学の法則がceteris paribus条件付きであるのは、心理学的種と物理的種の対応が多対多であるために、物理学の水準から見れば例外が生じうるからである。しかし、心理学的水準において一般化が説明力と予測力を持つ限り、それは正当な科学的法則である。
法則の性格に関する諸見解¶
| 立場 | 主張 | 代表的論者 |
|---|---|---|
| 還元主義 | 心理学的法則は最終的に物理学的法則に還元されるべき | Oppenheim & Putnam(初期) |
| 反還元主義 | 特殊科学は自律的であり、還元は不要 | Fodor |
| 法則懐疑論 | 心理学には厳密な意味での法則は存在しない | Davidson(異常一元論) |
| メカニズム論 | 法則ではなくメカニズムの記述が心理学の目標 | Bechtel, Machamer |
Donald Davidson(ドナルド・デイヴィドソン, 1917-2003)は「心的出来事(Mental Events)」(1970年)において異常一元論(anomalous monism)を提唱した。Davidsonによれば、すべての心的出来事は物理的出来事と同一であるが(一元論)、心的述語と物理的述語を結ぶ厳密な法則は存在しない(異常性)。心的なものは物理的なものに随伴(supervene)するが、還元可能ではない。Davidsonの立場は、心理学において厳密な法則を求めること自体が不適切であることを示唆する。
近年のメカニズム論(mechanism)は、法則の問題に対する別のアプローチを提供する。Carl Craver(カール・クレイヴァー)やWilliam Bechtel(ウィリアム・ベクテル)らは、心理学を含む生命科学の説明は、普遍法則の発見ではなく、現象を産出するメカニズム——すなわち、組織化された構成要素とその活動・相互作用——の記述であると主張する。この立場からは、心理学的説明の妥当性は「法則をどれだけ発見したか」ではなく、「メカニズムをどれだけ正確に記述したか」によって評価される。
graph LR
A["心理学的一般化の性格"] --> B["厳密な法則か?"]
A --> C["ceteris paribus法則か?"]
A --> D["メカニズム記述か?"]
B --> B1["否: 例外が不可避<br>Davidson"]
C --> C1["是: 特殊科学として<br>正当 Fodor"]
D --> D1["法則ではなく<br>メカニズムが目標<br>Bechtel, Craver"]
C1 --> E["心理学の科学的<br>自律性を擁護"]
D1 --> E
B1 --> F["異常一元論:<br>厳密な心理物理法則<br>は存在しない"]
まとめ¶
- 心身問題において、現代の心理学は主として機能主義的な前提のもとで研究を進めているが、意識のハードプロブレム(Chalmers)は、物理的記述から主観的経験がなぜ生じるかという問題が未解決であることを示している
- 自由意志と決定論の問題は、Libet実験によって神経科学的な次元に持ち込まれたが、実験の解釈自体が論争的であり、両立論的な枠組みのもとで自由意志概念を再構成する試みが主流となっている
- 民間心理学と科学的心理学の関係については、消去的唯物論(Churchland夫妻)による全面否定からFodorによる擁護まで幅があり、臨床心理学の実践はこの哲学的問題と密接に関わっている
- 心理学における法則は物理学のような厳密な普遍法則ではなくceteris paribus法則であるが、Fodorの特殊科学論はこれを心理学の科学性の否定ではなく固有の特質として位置づけている。メカニズム論は法則に代わる説明目標を提示している
- これらの哲学的問題は「解決済み」ではなく、心理学の研究実践の背後で常に作動しており、特に意識研究、臨床実践、行動予測の一般化可能性といった場面で繰り返し表面化する
用語集(Glossary)¶
| 用語 | 英語表記 | 定義 |
|---|---|---|
| 心身問題 | mind-body problem | 心的状態と身体的状態の関係をめぐる哲学的問題 |
| 実体二元論 | substance dualism | 心と物体を異なる実体と見なすDescartes的立場 |
| 性質二元論 | property dualism | 物理的実体に還元不可能な心的性質が存在するとする立場 |
| 多重実現可能性 | multiple realizability | 同一の心的状態が異なる物理的基盤上で実現されうるというPutnamの議論 |
| 機能主義 | functionalism | 心的状態を入力・出力・他の心的状態との機能的関係によって定義する立場 |
| 意識のハードプロブレム | hard problem of consciousness | 物理的過程がなぜ主観的経験を伴うのかというChalmersの問い |
| クオリア | qualia | 主観的経験の質的側面。「赤の赤さ」のような感覚的体験の質 |
| 哲学的ゾンビ | philosophical zombie | 物理的に同一でありながら主観的経験を欠く仮想的存在 |
| 意識の神経相関 | neural correlates of consciousness (NCC) | 特定の意識的経験に対応する最小限の神経活動パターン |
| 決定論 | determinism | 先行条件と自然法則によって後続の状態が一義的に決定されるとする立場 |
| 両立論 | compatibilism | 決定論と自由意志は両立可能であるとする立場 |
| 準備電位 | readiness potential | 自発的運動に先行して出現する緩徐な脳電位変動 |
| 民間心理学 | folk psychology | 信念・欲求等の日常概念で行動を説明・予測する素朴な枠組み |
| 消去的唯物論 | eliminative materialism | 民間心理学は根本的に誤りであり神経科学によって置換されるとする立場 |
| 命題的態度 | propositional attitudes | 信念・欲求・意図など、命題に対する心的態度 |
| 特殊科学 | special sciences | 物理学以外の個別科学。心理学・生物学・経済学など |
| ceteris paribus法則 | ceteris paribus laws | 「他の条件が等しければ」という留保付きの法則 |
| 異常一元論 | anomalous monism | 心的出来事は物理的出来事と同一だが厳密な心理物理法則は存在しないとするDavidsonの立場 |
| メカニズム論 | mechanism | 科学的説明の目標は法則発見ではなくメカニズムの記述であるとする立場 |
確認問題¶
Q1: 機能主義が心脳同一説の問題を克服したとされる根拠を、多重実現可能性の議論に即して説明せよ。また、機能主義が認知心理学の暗黙の哲学的前提となっている理由を述べよ。
A1: 心脳同一説は心的状態を特定の脳状態と同一視するが、Putnamの多重実現可能性の議論は、同一の心的状態(例えば痛み)がヒト・タコ・仮想的な異星人において異なる物理的基盤上で実現されうることを指摘した。このため、心的状態を特定の物理的状態に同定することはできない。機能主義はこの問題を、心的状態を入力・出力・他の心的状態との機能的関係によって定義することで解消した。機能主義のもとでは、心的状態の同一性は物理的基盤ではなく機能的役割によって決まるため、多重実現が許容される。認知心理学が「情報処理」の枠組みで心的過程を記述するとき、その記述は脳の物理的実装から相対的に独立な機能的レベルでの記述であり、これはまさに機能主義的な心身観を前提としている。ソフトウェアがハードウェアから相対的に独立であるというコンピュータの比喩が、この前提を端的に示している。
Q2: Chalmersが区別した「イージープロブレム」と「ハードプロブレム」の違いを説明し、認知神経科学の意識研究(NCCの同定など)がハードプロブレムに対してどのような位置づけにあるか論じよ。
A2: イージープロブレムは、注意の制御・刺激の弁別・行動の制御などの認知機能の神経メカニズムを解明する問題群であり、原理的には通常の神経科学的方法で取り組み可能である。ハードプロブレムは、物理的過程がなぜ主観的経験(クオリア)を伴うのかという問いであり、機能的・物理的記述からは原理的に導出できないとChalmersは主張する。認知神経科学における意識の神経相関(NCC)の同定は、特定の意識的経験に対応する神経活動パターンを特定する作業であり、イージープロブレムとハードプロブレムの境界領域に位置する。NCCの同定はハードプロブレムへの重要な制約条件を提供するが、「なぜその神経活動パターンが主観的経験を伴うのか」という問いには直接答えない。NCCは相関関係の記述であって、主観的経験の存在を物理的過程から説明する理論ではない、という批判がここに関わる。
Q3: Libet実験の結果とその主要な解釈を述べたうえで、Schurgerらの批判がLibet実験の自由意志への含意をどのように変更するか説明せよ。
A3: Libet実験では、自発的な手首の屈曲運動において、準備電位の開始(動作の約550ms前)が意識的意図の自覚(約200ms前)に先行することが示された。これは「意識的決定が行動を開始する」という素朴な理解に反し、脳が意識に先行して運動を準備しているとして、自由意志の否定の根拠とされることがあった。しかしSchurgerら(2012年)は、準備電位が特定の意図の神経的表現ではなく、確率的な神経活動のノイズが閾値を超えた結果として事後的にEEG信号を加算平均した際に現れるアーティファクトである可能性を示した。この解釈に従えば、準備電位は「脳がすでに決定していた」証拠ではなく、意思決定に至る確率的な過程の反映に過ぎない。Schurgerらの批判は、Libet実験が自由意志に対して持つとされた否定的含意を大幅に弱める。
Q4: 消去的唯物論(Churchland夫妻)の主要な論証を再構成し、それに対するFodorの立場からの反論を述べよ。
A4: Churchland夫妻の論証は以下のように再構成される。(1) 民間心理学は行動の説明・予測のための経験的理論である。(2) 経験的理論は説明力・予測力で評価されるべきである。(3) 民間心理学は広範な心理現象(精神疾患の機序、創造性、知覚の錯覚等)を説明できず、数千年間停滞した理論である。(4) したがって、民間心理学は神経科学によって消去(置換)されるべきである。Fodorの立場からの反論は以下の点を含む。第一に、信念や欲求は脳内の心的表象として因果的に実在するものであり、思考の言語仮説に基づいて認知科学の正当な理論的構成概念として位置づけられる。第二に、民間心理学の日常的な予測力は極めて高く、社会生活の基盤となっている。第三に、消去的唯物論は成熟した神経科学が民間心理学を置換するという予測を立てているが、現時点でその代替は提供されていない。第四に、民間心理学的水準と神経科学的水準は異なる記述水準であり、一方が他方を消去する関係にあるとは限らない。
Q5: Fodorの特殊科学論は、心理学的法則がceteris paribus条件付きであることをどのように正当化するか。また、メカニズム論は法則の問題に対してどのような代替的視点を提供するか。
A5: Fodorは多重実現可能性を根拠に、心理学的法則は物理学的法則に還元されないと論じた。心理学的種(例えば「痛み」)は複数の物理的状態によって実現されうるため、心理学的法則と物理学的法則の間に一対一対応は成立しない。心理学的法則がceteris paribus条件付きであるのは、心理学的種と物理的種の対応が多対多であることに起因する。物理学的水準から見れば例外が生じうるが、心理学的水準においてその一般化が説明力・予測力を持つ限り、それは正当な科学的法則である。特殊科学の自律性はこの点に基礎づけられる。一方、メカニズム論(Bechtel, Craver)は、心理学の説明目標を法則の発見からメカニズムの記述へと転換する。メカニズムとは、現象を産出する組織化された構成要素とその活動・相互作用のことである。この立場からは、心理学の科学的妥当性は普遍法則の有無ではなく、メカニズムの正確な記述によって評価される。法則の不在は心理学の科学性の欠陥ではなく、説明目標の再定式化によって解消される問題となる。