コンテンツにスキップ

Module 1-1 - Section 1: 政治学の定義と基本概念

セクション情報

項目 内容
モジュール Module 1-1: 政治学原論
前提セクション なし
想定学習時間 2.5時間

導入

政治学を学ぶにあたり、最初に問わなければならないのは「政治とは何か」という根本的な問いである。日常的に「政治」という語は多義的に用いられるが、学問としての政治学はこの概念を厳密に定義し、分析の対象範囲を画定する必要がある。

本セクションでは、政治学の定義と射程を確認したうえで、政治現象を理解するための三つの基本概念――権力(power)、権威(authority)、正統性(legitimacy)――を検討する。これらは政治学全体を貫く中核概念であり、以降のすべてのモジュールで繰り返し参照される基盤となる。さらに、アントニオ・グラムシ(Antonio Gramsci)のヘゲモニー概念を取り上げ、権力が物理的強制のみならず文化的・知的領導を通じて行使されることを理解する。


政治学の定義と射程

「政治」とは何か

「政治」の定義は一義的ではなく、論者によって強調点が異なる。政治学の歴史を通じて提示されてきた主要な定義を整理すると、以下のようになる。

アリストテレス(Aristoteles) は『政治学(Politika)』において、人間を「ポリス的動物(zoon politikon)」と規定し、政治を共同体における善き生(eu zen)の実現に向けた営みとして捉えた。この古典的理解では、政治は倫理と不可分であり、共同体の公共的事柄を審議し決定する活動全般を指す。

近代以降、政治の定義はより分析的になる。マックス・ウェーバー(Max Weber) は政治を「国家間あるいは国家内部の集団間における権力の分配(Machtverteilung)に影響を与えようとする努力」と定義した(『職業としての政治』1919年)。ウェーバーの定義は権力概念を中心に据え、政治を権力闘争の場として捉える。

ハロルド・ラスウェル(Harold D. Lasswell) は、政治を「誰が、何を、いつ、いかにして獲得するか(who gets what, when, how)」の問題として定式化した(1936年)。この定義は、政治を社会的価値の分配をめぐる競争として捉え、政治分析の焦点を権力の行使過程に向ける。

デイヴィッド・イーストン(David Easton) は、政治を「社会に対する諸価値の権威的配分(the authoritative allocation of values for a society)」と定義した(1953年)。この定義は、政治システム論の基盤となり、政治を社会全体に対して拘束力をもつ決定の過程として捉える点に特徴がある。

Key Concept: 諸価値の権威的配分(authoritative allocation of values) デイヴィッド・イーストンが提唱した政治の定義。社会において希少な資源・価値が、権威をもつ主体(典型的には国家)によって拘束力のある形で配分される過程を「政治」と呼ぶ。この定義により、政治学の分析対象は国家の公式的意思決定にとどまらず、社会における価値配分の全過程に拡張される。

政治学の対象範囲

上記の定義群から浮かび上がるように、政治学の射程は狭義の政府活動にとどまらない。政治学は以下の領域を包含する。

  • 国家と政府: 統治機構の構造、政策過程、官僚制
  • 権力関係: 社会集団間の支配・従属関係、エリートと大衆の関係
  • 公共的意思決定: 法律の制定、資源の配分、紛争の解決
  • 政治的行為: 投票、政党活動、社会運動、抗議行動
  • 国際関係: 国家間の相互作用、国際機構、戦争と平和

政治学は、これらの現象を記述し、因果関係を解明し、場合によっては規範的な評価を行う学問である。


権力(power)の概念

権力は政治学における最も基本的かつ最も論争的な概念の一つである。権力をどのように定義し分析するかという問題は、20世紀後半の政治学において「権力論争(power debate)」と呼ばれる重要な学術的議論を生み出した。

Key Concept: 権力(power) 他者の行動・思考・選好に影響を与え、自己の意志を実現する能力。ウェーバーは「社会的関係の内部で、抵抗を排してでも自己の意志を貫徹するすべての可能性」と定義した。権力は政治学の中核概念であるが、その定義と分析方法をめぐって多元主義・エリート主義・構造主義の間で激しい論争が展開されてきた。

ウェーバーの権力定義

マックス・ウェーバーは『経済と社会(Wirtschaft und Gesellschaft)』(1922年、遺稿)において、権力(Macht)を「ある社会的関係の内部で、抵抗を排してでも自己の意志を貫徹するすべての可能性」と定義した。この定義は以下の特徴をもつ。

  1. 関係概念: 権力は個人の属性ではなく、社会的関係の中で生じる
  2. 意志の貫徹: 他者の抵抗にもかかわらず目的を達成できること
  3. 可能性: 実際に行使されなくとも、行使しうるという潜在的能力を含む

ウェーバーの定義は極めて広範であり、あらゆる社会的場面に適用可能である反面、その広さゆえに具体的な分析枠組みとしては精緻化が必要とされた。

ダールの権力観と多元主義

ロバート・ダール(Robert A. Dahl) は、権力をより操作可能な形で定義した。ダールによれば、「AがBに対して権力をもつとは、Aの働きかけがなければBが行わなかったであろうことをBに行わせる範囲において成立する」(1957年)。この定義は、権力を観察可能な行動の次元で捉える点に特徴がある。

ダールはこの権力観に基づき、コネティカット州ニューヘイブン市の権力構造を実証的に研究した(『Who Governs?: Democracy and Power in an American City』1961年)。ダールは都市開発・公教育・政党指名の三つの政策領域における意思決定過程を分析し、各領域で異なるアクターが影響力を行使していることを発見した。すなわち、単一の権力エリートが全領域を支配しているのではなく、複数の集団が政策領域ごとに分散的に影響力をもつという多元主義(pluralism)的な権力構造を実証した。

この研究は、C・ライト・ミルズ(C. Wright Mills)の「パワー・エリート」論(1956年)――軍部・企業・政治のエリートが一体となってアメリカ社会を支配しているという主張――に対する有力な反論となった。

バクラックとバラッツ――権力の第二の顔

ピーター・バクラック(Peter Bachrach)モートン・バラッツ(Morton S. Baratz) は、論文「Two Faces of Power」(1962年)において、ダールの権力観が「権力の一つの顔」しか捉えていないと批判した。バクラックとバラッツは、権力には意思決定に直接影響を与える側面(第一の顔)に加え、特定の争点が公的な議題に上がること自体を阻止する側面(第二の顔)があると主張した。

この「非決定(nondecision-making)」の権力とは、「ある者が社会的・政治的価値と制度的慣行を創出・強化し、公的な政治過程における議論の範囲を、当該者にとって比較的無害な争点に限定する場合に行使される」ものである。すなわち、権力の行使は、観察可能な意思決定の場だけでなく、何が意思決定の対象となるかを制御するアジェンダ設定の場においても生じる。

ルークスの権力の三次元論

スティーヴン・ルークス(Steven Lukes) は著書『Power: A Radical View』(1974年)において、ダールの一次元的権力観とバクラックとバラッツの二次元的権力観を統合しつつ、さらに第三の次元を付加した。

Key Concept: 権力の三つの顔(three faces of power) 権力の行使形態を三つの次元で捉える分析枠組み。第一の顔(ダール)は観察可能な意思決定における影響力、第二の顔(バクラックとバラッツ)はアジェンダ設定を通じた非決定の権力、第三の顔(ルークス)は人々の選好そのものを形成し、支配に対する不満の認識自体を抑制するイデオロギー的権力である。

次元 提唱者 権力の作用 分析対象
第一の顔 ダール 意思決定への直接的影響 観察可能な行動・決定
第二の顔 バクラックとバラッツ アジェンダ設定、非決定 顕在的・潜在的争点の抑制
第三の顔 ルークス 選好の形成、イデオロギー的支配 人々の認識・欲求そのもの

ルークスの第三の次元は、権力の最も深層的な作用形態を捉える。第三の次元においては、被支配者が自らの「真の利益(real interests)」を認識できなくなるように選好が形成される。すなわち、支配者は被支配者の不満を抑圧するのではなく、不満そのものが生じないようにすることで支配を維持する。

この三次元的権力論は、後述するグラムシのヘゲモニー概念と理論的親和性をもつ。

graph TD
    A["権力の三つの顔"] --> B["第一の顔<br/>(ダール)<br/>意思決定への影響"]
    A --> C["第二の顔<br/>(バクラック&バラッツ)<br/>アジェンダ設定・非決定"]
    A --> D["第三の顔<br/>(ルークス)<br/>選好・認識の形成"]
    B --> E["観察可能な行動"]
    C --> F["争点の抑制"]
    D --> G["イデオロギー的支配"]

    style A fill:#f9f,stroke:#333,stroke-width:2px
    style B fill:#bbf,stroke:#333
    style C fill:#bfb,stroke:#333
    style D fill:#fbb,stroke:#333

権力概念をめぐる学術的論争

権力の定義と分析をめぐっては、三つの立場が対立してきた。

多元主義(pluralism): ダールに代表される立場。権力は複数の集団に分散しており、民主的過程を通じて競争的に行使される。権力分析は観察可能な意思決定過程に焦点を当てるべきとする。

エリート主義(elitism): ミルズやガエターノ・モスカ(Gaetano Mosca)、ヴィルフレド・パレート(Vilfredo Pareto)に連なる立場。社会は少数のエリートによって支配されており、民主主義は形式的なものにすぎない。

構造主義・マルクス主義: 権力を個人間の関係としてではなく、社会構造(とりわけ経済的生産関係)に内在するものとして捉える。個々のアクターの意図を超えた構造的制約が政治的帰結を規定するとする。ルークスの第三の次元やグラムシのヘゲモニー論はこの系譜に位置づけられる。

これらの論争は単なる定義上の争いではなく、「何を政治学の分析対象とすべきか」「どのような方法で権力を研究すべきか」という政治学の根本的な方法論的問題と不可分である。


権威(authority)の概念

権力と密接に関連しつつも区別されるのが権威の概念である。権力が他者の抵抗を押し切って自己の意志を貫徹する能力を指すのに対し、権威は被支配者の自発的な服従を伴う点で異なる。

Key Concept: 権威(authority) 正統なものとして承認された権力。被支配者が命令への服従を義務として受け入れる場合、その権力は権威として機能する。権力が強制力(coercion)に依拠しうるのに対し、権威は被支配者による正統性の承認を前提とする。

権威は「正統化された権力」と言い換えることができる。ある指導者の命令に人々が従うのは、物理的強制を恐れるからではなく、その命令が正統な手続きや資格に基づいて発せられたと認めるからである。

ウェーバーの支配の三類型

ウェーバーは『経済と社会』において、権威(支配、Herrschaft)が正統性を獲得する根拠に基づき、三つの「理念型(Idealtypus)」を提示した。理念型とは現実をそのまま写し取ったものではなく、分析のための概念的純化であることに注意が必要である。

Key Concept: 伝統的支配・カリスマ的支配・合法的支配(traditional, charismatic, legal-rational authority) ウェーバーが提示した支配の正統性の三つの理念型。伝統的支配は「昔からそうであった」という慣習に基づき、カリスマ的支配は指導者個人の非凡な資質への帰依に基づき、合法的支配は合理的に制定された法規則への信奉に基づく。現実の政治体制はこれら三類型の混合として理解される。

graph LR
    W["ウェーバーの支配の三類型"] --> T["伝統的支配<br/>Traditional"]
    W --> C["カリスマ的支配<br/>Charismatic"]
    W --> L["合法的支配<br/>Legal-Rational"]

    T --> T1["正統性の根拠:<br/>伝統・慣習"]
    T --> T2["例: 世襲君主制,<br/>長老制"]

    C --> C1["正統性の根拠:<br/>個人の超凡な資質"]
    C --> C2["例: 革命的指導者,<br/>宗教的預言者"]

    L --> L1["正統性の根拠:<br/>合理的法規則"]
    L --> L2["例: 近代官僚制国家,<br/>法の支配"]

伝統的支配(traditionale Herrschaft)

伝統的支配とは、ウェーバーの表現を借りれば「永遠の昨日の権威(Autorität des 'ewig Gestrigen')」に基づく支配である。「太古から存在する秩序と支配権力の神聖性」への信仰が正統性の基盤となる。

具体例としては、ヨーロッパの世襲君主制、アフリカやアジアの伝統的首長制、日本の天皇制(とりわけ近代以前)が挙げられる。伝統的支配において、支配者の権限は伝統によって画定されるが、伝統が明確に規定しない領域では支配者の恣意的裁量が生じうる。

カリスマ的支配(charismatische Herrschaft)

カリスマ的支配は、指導者個人の「非日常的な資質(außeralltägliche Qualität)」――すなわちカリスマ――への帰依に基づく。カリスマとはギリシャ語で「神の恩寵の賜物」を意味し、ウェーバーはこれを超自然的・超人間的、あるいは少なくとも非凡な力や資質と定義した。

歴史的事例としては、ナポレオン・ボナパルト(Napoleon Bonaparte)、マハトマ・ガンディー(Mahatma Gandhi)、毛沢東(Mao Zedong)などが挙げられる。カリスマ的支配は本質的に不安定であり、カリスマの「日常化(Veralltäglichung)」――すなわちカリスマ的指導者の退場後に支配を持続させるための制度化――が課題となる。カリスマの日常化は、伝統的支配(世襲化)または合法的支配(制度化)への移行として現れる。

合法的支配(legale Herrschaft)

合法的支配は、合理的に制定された法規則の体系への信奉に基づく。人々は特定の個人に服従するのではなく、法的に定められた手続きと規則に服従する。この類型においては、命令を発する者もまた法の拘束を受ける。

合法的支配の最も純粋な形態は官僚制(Bürokratie) である。ウェーバーは近代官僚制を、規則による職務遂行、権限の明確な階層秩序、文書主義、専門的訓練を受けた職員による運営を特徴とする、合理的で効率的な支配装置として分析した。近代の立憲民主主義国家は、合法的支配の典型例である。


正統性(legitimacy)の概念

正統性とは、政治権力ないし政治体制が被支配者から「正しい」「従うべきもの」として承認されている状態を指す。正統性は権威の基盤であり、権力が安定的に行使されるための不可欠の条件である。

Key Concept: 正統性(legitimacy) 政治権力・政治体制が被支配者から正当なものとして承認されている状態。正統性を欠く権力は強制力のみに依拠せざるをえず、統治コストが増大し不安定化する。正統性の源泉はウェーバーの三類型(伝統・カリスマ・合法性)で分析されるほか、ビーサムらによる多元的分析が展開されている。

正統性の重要性

いかなる政治体制も、純粋な物理的強制のみによって長期間存続することはできない。支配者が被支配者の服従を安定的に獲得するには、自らの支配が正統であるという信念を被支配者の間に確立する必要がある。正統性を欠く体制は、常に反乱・革命のリスクにさらされる。

ウェーバーの正統性論

ウェーバーの支配の三類型は、同時に正統性の三つの源泉を示している。すなわち、伝統(「太古からそうであった」)、カリスマ(「この指導者は非凡である」)、合法性(「正当な手続きで制定された規則である」)が、それぞれ正統性の根拠となる。

ウェーバーの分析は今日でも正統性論の出発点として広く参照されるが、いくつかの批判も提起されている。第一に、三類型は網羅的か(他の正統性の源泉は存在しないのか)という問題がある。第二に、正統性は被支配者の主観的信念の問題なのか、客観的に評価可能な基準が存在するのかという問題がある。

ビーサムの正統性論

デイヴィッド・ビーサム(David Beetham) は『The Legitimation of Power』(1991年)において、ウェーバーの正統性論を批判的に発展させた。ビーサムによれば、正統性は単なる主観的信念(「被支配者が正統だと信じていること」)に還元されるべきではなく、以下の三つの要素から構成される。

  1. 法的妥当性(legal validity): 権力が確立された規則・法に適合していること
  2. 規範的正当化(normative justifiability): 権力が広く共有された道徳的・文化的価値に合致していること
  3. 同意と承認(consent and recognition): 被支配者が権威を積極的に承認していること

ビーサムの枠組みは、正統性を多面的に捉える点でウェーバーの三類型を補完し、正統性の「程度」を分析する道を開いた。

正統性の揺らぎと危機

正統性は固定的なものではなく、歴史的に変動する。体制の正統性が揺らぐ状況としては、以下が挙げられる。

  • 経済的危機による統治能力への疑念
  • 腐敗の蔓延による規範的正当化の毀損
  • 選挙不正など手続き的合法性の破壊
  • 社会変動に伴う価値観の変容

シーモア・マーティン・リプセット(Seymour Martin Lipset) は、正統性と有効性(effectiveness)を区別し、政治体制の安定は両者の組み合わせによって規定されるとした(1959年)。正統性が高くとも有効性が低い体制は不安定化しうるし、逆に有効性が高くとも正統性を欠く体制(たとえば経済成長を遂げる権威主義体制)も長期的には脆弱性を抱える。


ヘゲモニー(hegemony)

ルークスの権力の第三の次元と理論的に接続するのが、グラムシのヘゲモニー概念である。ヘゲモニーは、権力・権威・正統性の概念を文化的・イデオロギー的次元に拡張するものとして、現代の政治理論において重要な位置を占める。

Key Concept: ヘゲモニー(hegemony) アントニオ・グラムシが精緻化した概念。支配階級が物理的強制(coercion)のみならず、知的・道徳的指導(intellectual and moral leadership)を通じて被支配階級の同意(consent)を調達し、自らの世界観を社会全体の「常識(senso comune)」として浸透させることで支配を維持する過程を指す。

グラムシの問題意識

アントニオ・グラムシ(Antonio Gramsci, 1891-1937) はイタリアの共産主義思想家であり、ファシスト政権下の獄中で執筆された『獄中ノート(Quaderni del carcere)』(1929-1935年執筆、1948年以降出版)において、ヘゲモニー概念を展開した。

グラムシの中心的問いは、なぜ西欧の先進資本主義社会では、マルクスが予言したような労働者階級の革命が生じなかったのか、という点にあった。正統マルクス主義が経済的土台(下部構造)による上部構造の規定を強調したのに対し、グラムシは文化・イデオロギー・教育といった上部構造の領域が、支配の維持において独自の役割を果たしていると主張した。

強制と同意

グラムシは、支配階級の権力維持を強制(coercion)同意(consent) の二つの契機から分析した。強制は国家の暴力装置(軍隊・警察・裁判所)によって担われ、同意はヘゲモニーの確立を通じて獲得される。安定した支配は、強制のみでも同意のみでもなく、両者の適切な組み合わせによって成立する。

ヘゲモニーが機能している社会では、支配階級の利益に適った価値観・信念体系が「常識」として社会全体に浸透し、被支配階級は自らの従属的地位を自然なもの、あるいは不可避なものとして受け入れる。これはルークスの権力の第三の次元――人々の選好そのものを形成する権力――と対応する。

知識人の役割

グラムシは、ヘゲモニーの確立と維持において知識人(intellettuali) が重要な役割を果たすと論じた。グラムシは知識人を二つの類型に分類する。

  • 伝統的知識人(intellettuali tradizionali): 聖職者、学者、文人など、既存の社会秩序に組み込まれた知識人。支配階級のヘゲモニーを再生産する。
  • 有機的知識人(intellettuali organici): 特定の社会階級から生まれ、その階級の世界観を理論化し組織化する知識人。被支配階級の有機的知識人は、対抗ヘゲモニーの構築を担う。

対抗ヘゲモニーと陣地戦

グラムシは、支配的ヘゲモニーに対抗する対抗ヘゲモニー(counter-hegemony) の構築を、革命的変革の条件として位置づけた。対抗ヘゲモニーの構築は、国家権力の正面からの奪取(「機動戦」)ではなく、市民社会の内部でイデオロギー的・文化的闘争を漸進的に展開する陣地戦(guerra di posizione) によって達成される。

グラムシのヘゲモニー論は、権力が物理的強制のみならず文化的・知的支配を通じて行使されることを明らかにし、政治学・社会学・文化研究に広範な影響を与えた。


まとめ

  • 「政治」の定義は多様であるが、現代政治学ではイーストンの「諸価値の権威的配分」が広く参照される。政治学の射程は国家活動にとどまらず、社会における権力関係全般に及ぶ。
  • 権力概念は「権力の三つの顔」として三次元的に理解される。ダールの一次元的権力観(意思決定への直接的影響)、バクラックとバラッツの二次元的権力観(アジェンダ設定・非決定)、ルークスの三次元的権力観(選好の形成・イデオロギー的支配)は、段階的に権力分析の射程を拡張した。
  • 権威は正統化された権力であり、ウェーバーは伝統的支配・カリスマ的支配・合法的支配の三類型を理念型として提示した。
  • 正統性は政治権力が被支配者から承認される状態を指し、安定的な統治の不可欠の条件である。ビーサムは法的妥当性・規範的正当化・同意と承認の三要素から多面的に分析する枠組みを提示した。
  • グラムシのヘゲモニー概念は、支配が強制のみならず知的・道徳的指導を通じた同意の調達によって維持されることを明らかにし、ルークスの権力の第三の次元と理論的に接続する。
  • 次のセクション(Section 2)では、これらの基本概念を前提として、政治学がどのように学問として発展してきたか(古典的政治学→行動論革命→新制度論)を検討する。

用語集(Glossary)

用語 英語表記 定義
諸価値の権威的配分 authoritative allocation of values イーストンによる政治の定義。社会における希少な資源・価値が権威をもつ主体により拘束力のある形で配分される過程
権力 power 他者の行動・思考・選好に影響を与え、自己の意志を実現する能力
権威 authority 被支配者から正統なものとして承認された権力。自発的服従を伴う
正統性 legitimacy 政治権力・体制が被支配者から正当なものとして承認されている状態
権力の三つの顔 three faces of power 権力を三次元で捉える枠組み。意思決定への影響(ダール)、アジェンダ設定(バクラック&バラッツ)、選好の形成(ルークス)
非決定 nondecision-making 特定の争点が公的議題に上ること自体を阻止する権力行使の形態
伝統的支配 traditional authority 慣習・伝統への信仰に基づく支配の正統性類型
カリスマ的支配 charismatic authority 指導者個人の非凡な資質への帰依に基づく支配の正統性類型
合法的支配 legal-rational authority 合理的に制定された法規則への信奉に基づく支配の正統性類型
理念型 ideal type (Idealtypus) ウェーバーの方法論的概念。分析のために現実の特定側面を純化・強調した概念構成
ヘゲモニー hegemony グラムシの概念。支配階級が知的・道徳的指導を通じて被支配階級の同意を調達し、自らの世界観を常識として浸透させる過程
対抗ヘゲモニー counter-hegemony 支配的ヘゲモニーに対抗する代替的な価値観・世界観の体系
有機的知識人 organic intellectual 特定の社会階級から生まれ、その階級の世界観を理論化・組織化する知識人
多元主義 pluralism 権力が複数の集団に分散しているとする権力観。ダールが代表的論者

確認問題

Q1: 権力と権威の違いを説明せよ。なぜこの区別が政治学において重要なのか。

A1: 権力は他者の抵抗を排してでも自己の意志を貫徹する能力であり、強制力に依拠しうる。これに対し権威は、被支配者が服従を義務として自発的に受け入れる正統化された権力である。この区別が重要なのは、純粋な強制力のみに依拠する統治は高コストかつ不安定であり、安定的な政治秩序の維持には被支配者による権力の正統性承認(すなわち権威の確立)が不可欠だからである。

Q2: ルークスの権力の三つの顔(三次元的権力論)をそれぞれ説明し、第三の次元が第一・第二の次元とどのように異なるかを論じよ。

A2: 第一の次元(ダール)は、観察可能な意思決定過程における直接的影響力であり、AがBにBの意に反する行動をとらせることを指す。第二の次元(バクラックとバラッツ)は、非決定の権力であり、特定の争点が公的議題に上ること自体を阻止するアジェンダ設定の力を指す。第三の次元(ルークス)は、人々の選好・認識そのものを形成するイデオロギー的権力であり、被支配者が自らの「真の利益」を認識できなくなるように働く。第三の次元が他と根本的に異なるのは、第一・第二の次元では被支配者が(顕在的であれ潜在的であれ)何らかの不満や利害対立を有しているのに対し、第三の次元では不満そのものが抑制されるため、外部からの観察が極めて困難になる点にある。

Q3: ウェーバーの支配の三類型について、それぞれの正統性の根拠を示し、現実の政治事例を一つずつ挙げて説明せよ。

A3: 伝統的支配は「太古から存在する秩序」への信仰に基づき、世襲君主制(例: イギリス王室の権威は数世紀にわたる伝統に由来する)がその例である。カリスマ的支配は指導者の非凡な個人的資質への帰依に基づき、ガンディーのインド独立運動における指導力がその例である。合法的支配は合理的に制定された法規則への信奉に基づき、近代官僚制国家(例: 日本国憲法に基づく内閣総理大臣の権限)がその例である。ただしこれらは理念型であり、現実の政治体制は複数の類型の混合形態をとることが多い。

Q4: グラムシのヘゲモニー概念は、正統マルクス主義の権力理解とどのように異なるか。また、ルークスの権力の第三の次元とどのような理論的親和性をもつか。

A4: 正統マルクス主義は経済的土台(下部構造)が上部構造(政治・法・文化)を規定すると考え、支配階級の権力は経済的所有関係と国家の暴力装置によって維持されるとした。これに対しグラムシは、支配の維持において文化・教育・メディアなどを通じた知的・道徳的指導(ヘゲモニー)が独自の役割を果たすと主張した。すなわち、支配階級の世界観が「常識」として社会全体に浸透することで、被支配階級が自らの従属を自然なものとして受容するようになる。この過程は、ルークスの第三の次元――人々の選好・認識そのものを形成し、支配に対する不満の発生自体を抑制する権力――と正確に対応する。両者はともに、権力の最も深層的な作用形態が、被支配者の意識の内面にまで及ぶことを指摘している。

Q5: ある国で長年政権を維持してきた指導者が、経済危機をきっかけに大規模な抗議運動に直面している状況を想定する。ビーサムの正統性の三要素の枠組みを用いて、この体制の正統性危機を分析せよ。

A5: ビーサムの枠組みでは、正統性は法的妥当性・規範的正当化・同意と承認の三要素から構成される。経済危機下の体制を分析すると、まず経済運営の失敗は「有能な統治」という規範的正当化を毀損する。次に、危機対応における法的手続きの逸脱(例: 非常事態宣言の濫用、抗議者への過剰な弾圧)は法的妥当性を損なう。さらに、大規模抗議運動の発生は被支配者による積極的な同意と承認が崩壊したことの表出である。これら三要素が連鎖的に毀損されることで正統性危機が深化し、体制は強制力への依存を強めざるをえなくなる。しかし強制力への過度の依存はさらなる正統性の毀損を招くという悪循環が生じる。