Module 1-2 - Section 2: 近代国家と社会契約論¶
セクション情報¶
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| モジュール | Module 1-2: 政治思想入門 |
| 前提セクション | Section 1: 古代ギリシア政治思想 |
| 想定学習時間 | 3時間 |
導入¶
Section 1では、古代ギリシアのポリスを舞台にプラトンとアリストテレスが展開した政治哲学を検討した。古代の政治思想は、市民の徳と共同体の善を中心に構想されていた。しかし、古代ギリシア・ローマの政治秩序が崩壊し、中世ヨーロッパにおいてキリスト教的世界観が支配的となると、政治は神学の下位に位置づけられ、統治の正統性は神の意志に帰せられるようになった。
この中世的秩序からの離脱を画した最初の思想家がニッコロ・マキアヴェッリ(Niccolo Machiavelli)である。マキアヴェッリは政治を道徳や神学から切り離し、権力の獲得と維持に関する独自の論理を持つ領域として把握した。続いてジャン・ボダン(Jean Bodin)が主権概念を理論化し、近代国家の知的基盤を整備した。
17世紀から18世紀にかけては、社会契約論が政治思想の中心的パラダイムとなる。ホッブズ、ロック、ルソーの三者は、いずれも「自然状態」から出発して「社会契約」によって政治社会の成立を説明するという共通の理論構造を用いたが、自然状態の描写、契約の内容、主権の帰属先において根本的に異なる結論に達した。本セクションでは、近代政治思想の形成過程をこれらの思想家に即して検討する。
マキアヴェッリ:政治と道徳の分離¶
歴史的背景¶
ニッコロ・マキアヴェッリ(1469-1527)は、イタリアのフィレンツェ共和国の外交官・政治思想家である。15世紀末から16世紀初頭のイタリアは、フィレンツェ、ヴェネツィア、ミラノ、教皇領、ナポリ王国といった小国に分裂し、フランスやスペインなど外国勢力の介入にさらされていた。マキアヴェッリ自身もフィレンツェ共和国の書記官として軍事・外交の実務に携わったが、1512年にメディチ家が復帰すると失脚し、政治の第一線から退いた。この失脚後の時期に代表作『君主論(Il Principe)』(1513年執筆、1532年刊行)が著された。
『君主論』のリアリズム¶
Key Concept: 政治的リアリズム(political realism) 政治を道徳・宗教・理想から独立した固有の領域として把握し、権力の実際の作用を分析する立場。マキアヴェッリはその創始者とされる。
マキアヴェッリの思想的革新は、政治を道徳や宗教から切り離し、「あるべき姿」ではなく「あるがままの姿」から出発した点にある。『君主論』第15章において、マキアヴェッリは明確にこう述べている。物事の実際のありよう(verita effettuale della cosa)に向かうべきであり、物事の想像上の姿に向かうべきではない、と。
この方法論的転換は、プラトンの理想国家論やキリスト教的な「善き統治者」の観念とは決定的に異なる。マキアヴェッリにとって、統治の成否を決めるのは統治者の道徳的善良さではなく、状況に応じて適切に行動する能力である。
ヴィルトゥとフォルトゥナ¶
Key Concept: ヴィルトゥ(virtu) マキアヴェッリ政治思想の中心概念。キリスト教的な「徳」とは異なり、状況に応じて果断に行動し、政治的目的を達成する力量・能力を意味する。
Key Concept: フォルトゥナ(fortuna) 運命・偶然の力。人間の制御を超えた外的条件の変動を指す。マキアヴェッリはヴィルトゥによってフォルトゥナに対抗しうると論じた。
マキアヴェッリの政治論を貫くのは、ヴィルトゥ(virtu)とフォルトゥナ(fortuna)の対概念である。ヴィルトゥはラテン語の virtus に由来するが、マキアヴェッリにおいてはキリスト教的道徳としての「徳」から意味が大きく転換している。ヴィルトゥとは、政治的状況を正確に判断し、必要に応じて果断に行動する能力——すなわち政治的力量——を指す。場合によっては残酷さや欺瞞も含みうる点が、伝統的な徳の概念との決定的な違いである。
フォルトゥナは、人間の意志や計画では制御しえない運命の力である。『君主論』第25章でマキアヴェッリは、フォルトゥナを氾濫する河川にたとえている。洪水そのものは防げないが、平時に堤防を築いておけば被害を軽減できる。同様に、優れたヴィルトゥを備えた君主は、フォルトゥナの変転に備えて事前に対策を講じ、状況が変化しても柔軟に対応できる。マキアヴェッリは、人事の半分はフォルトゥナが支配するが、残りの半分はヴィルトゥによって人間が制御しうると述べた。
マキアヴェッリの位置づけ¶
マキアヴェッリの歴史的意義は、政治を神学・道徳哲学の従属物から解放し、権力現象として自律的に分析する道を開いた点にある。この意味で、マキアヴェッリは近代政治学の創始者と位置づけられることが多い。ただし、マキアヴェッリ自身は体系的な国家理論を構築したわけではない。国家の正統性の根拠や統治権力の理論的基礎づけという課題は、次のボダン、そして社会契約論者たちに引き継がれることになる。
ジャン・ボダン:主権概念の理論化¶
歴史的背景と『国家論六篇』¶
ジャン・ボダン(Jean Bodin, 1530-1596)はフランスの法学者・政治思想家である。ボダンが主著『国家論六篇(Les Six Livres de la Republique)』(1576)を著した時期は、フランスがユグノー戦争(1562-1598)の渦中にあった。カトリックとプロテスタント(ユグノー)の激烈な宗教対立は内戦に発展し、国家の統一と秩序が根本から脅かされていた。こうした状況において、宗教的対立を超えた世俗的な国家権力の理論的基礎づけが喫緊の課題となった。
主権の概念¶
Key Concept: 主権(souverainete / sovereignty) ボダンが理論化した、国家における最高・絶対・恒久・不可分の権力。法を制定し廃止する権能を核心とし、国家を他の共同体から区別する決定的な属性とされる。
ボダンは『国家論六篇』において、国家(republique)を「多くの家族とそれらに共通の事柄との主権的権力を伴う正しい統治」と定義した。この定義において決定的に重要なのが主権(souverainete)の概念である。
ボダンによれば、主権とは「国家の絶対的かつ恒久的な権力」であり、その本質は立法権にある。主権者は法を制定し廃止する権能を有し、その権力は他のいかなる権力にも従属しない。主権の主要な属性としてボダンが挙げたのは以下の諸点である。
- 絶対性: 主権者は実定法に拘束されない(ただし自然法と神法には従う)
- 恒久性: 主権は一時的な委任ではなく、恒久的に存続する権力である
- 不可分性: 主権は分割されえない。分割すれば国家は解体する
- 不可譲性: 主権者はその権力を他者に譲渡しえない
ボダンの主権論は、中世的な封建秩序——権力が国王・貴族・教会・都市などに分散していた体制——を理論的に克服し、単一の最高権力に基づく近代的国家概念の基礎を提供した。宗教戦争という危機的状況のなかで、ボダンは宗教的分裂を超えた世俗的権力の絶対的優位を論証しようとした(いわゆるポリティーク派の立場)。
近代国家論への貢献¶
ボダンの主権概念は、その後のホッブズやロックの国家論に直接的な影響を与えた。ホッブズの絶対的主権論はボダンの不可分の主権概念を継承・発展させたものであり、近代国家が「主権を有する統一的な政治体」として理解される知的枠組みは、ボダンに遡る。
社会契約論の基本構造¶
社会契約論(social contract theory)は、17世紀から18世紀にかけて西洋政治思想の支配的パラダイムとなった理論枠組みである。その基本構造は三段階から成る。
Key Concept: 自然状態(state of nature) 社会契約論において想定される、政治社会の成立以前の人間の状態。思考実験としての仮説的状態であり、政治的権威や法が存在しない条件下で人間がいかに振る舞うかを問う。
Key Concept: 社会契約(social contract) 自然状態にある諸個人が、相互の合意によって政治社会を形成する行為。統治の正統性を神意や伝統ではなく、被治者の同意に求める理論的装置。
- 自然状態(state of nature): 政治社会が存在しない仮想的な状態を描写する
- 社会契約(social contract): 自然状態の問題を解決するため、諸個人が合意によって契約を結ぶ
- 政治社会(political society / civil society): 契約の結果として統治機構を持つ共同体が成立する
この理論構造の革新性は、政治権力の正統性を王権神授説や伝統的権威ではなく、個人の同意と合意に求めた点にある。統治の正統性は「上から」(神から王へ)ではなく「下から」(個人の契約による)説明される。ホッブズ、ロック、ルソーの三者はこの共通の枠組みを用いつつ、各段階の内実において根本的に異なる結論を導いた。以下、三者の理論を順に検討する。
トマス・ホッブズ:リヴァイアサンと絶対主権¶
歴史的背景¶
トマス・ホッブズ(Thomas Hobbes, 1588-1679)はイングランドの哲学者・政治思想家である。ホッブズの思想形成にとって決定的であったのは、イングランド内戦(1642-1651)の経験である。国王チャールズ1世と議会派の間の武力衝突は、秩序の崩壊がいかに悲惨な結果をもたらすかを具体的に示した。主著『リヴァイアサン(Leviathan)』は1651年に刊行された。
自然状態:「万人の万人に対する闘争」¶
ホッブズは人間の自然状態を徹底的に悲観的に描いた。自然状態においては共通の権力(common power)が存在しないため、いかなる行為の正不正も定まらない。ホッブズの人間観は二つの前提に立つ。第一に、人間の能力は概ね平等であり、身体的に劣る者も知略や連合によって最強の者を打倒しうる。第二に、諸個人は自己保存(self-preservation)を最優先する存在であり、希少な資源をめぐって不可避的に競争する。
この二つの前提から導かれるのが、ホッブズの有名な定式——「万人の万人に対する闘争(bellum omnium contra omnes)」——である。自然状態では常に暴力的死への恐怖が支配し、産業も文化も学問も成立しない。ホッブズはこれを「孤独で、貧しく、汚らわしく、獣のようで、短い(solitary, poor, nasty, brutish, and short)」生と形容した(『リヴァイアサン』第13章)。
自然法と自然権¶
ホッブズは自然状態において、自然権(jus naturale / natural right)と自然法(lex naturalis / natural law)を区別する。
自然権とは、各人が自己の生命を保存するためにあらゆる手段を用いうる自由である。自然法とは、理性によって発見される一般的規則であり、自己保存に反する行為を禁じる。ホッブズは多数の自然法を列挙するが、最も基本的な二つは以下のとおりである。
- 第一自然法: 平和を求め、それに従うべきである。ただし平和が得られない場合は、戦争のあらゆる手段と利益を用いてよい
- 第二自然法: 平和と自己防衛のために必要な限りで、各人は他のすべての人もそうする意志がある場合に、万物に対する権利を放棄すべきである
第二自然法が示すように、自然法は諸個人に自然権の相互放棄を要請する。しかし自然法は「良心において拘束する」にすぎず、それを強制する共通の権力がなければ遵守されない。ここに社会契約の必要性が生じる。
社会契約と主権者の成立¶
Key Concept: リヴァイアサン(Leviathan) ホッブズが主著のタイトルとした聖書由来の巨大海獣の名。転じて、社会契約によって形成される絶対的な主権を有する国家(コモンウェルス)を象徴する。
ホッブズの社会契約は以下のように構成される。自然状態にある諸個人は、相互に契約を結び、自然権を一人の人格(person)または合議体(assembly)に譲渡する。この人格が主権者(sovereign)であり、主権者に権利を譲渡した人びとの集合体が国家(コモンウェルス, commonwealth)を構成する。
ここで重要なのは、主権者自身は契約の当事者ではないという点である。契約は臣民相互の間で結ばれ、主権者はその契約によって権限を授与される。したがって、主権者が契約を破ることは論理的にありえず、臣民が主権者に対して契約違反を理由に抵抗する権利も存在しない。
ホッブズの主権論の要点は以下のとおりである。
- 主権の絶対性: 主権者の権力は絶対的であり、臣民はこれに服従する義務を負う
- 主権の不可分性: 主権が分割されれば、内部対立が生じ、自然状態に回帰する。立法権・行政権・司法権などの分離は認められない
- 抵抗権の否定: 臣民には主権者に対する抵抗権がない。ただし唯一の例外として、自己の生命が直接脅かされる場合には服従義務が解除されるとホッブズは認めた(自己保存は譲渡不可能な権利であるため)
- 政体の選好: ホッブズは君主制・貴族制・民主制の三政体を認めるが、権力の統一性と決定の迅速性から君主制を最善と見なした
ジョン・ロック:自然権の保障と抵抗権¶
歴史的背景¶
ジョン・ロック(John Locke, 1632-1704)はイングランドの哲学者・政治思想家である。主著『統治二論(Two Treatises of Government)』(1689年刊行)は名誉革命(1688-1689)の直後に公刊された。名誉革命では、議会がジェームズ2世を退位させ、ウィリアム3世とメアリ2世を共同統治者として迎えた。この過程は、臣民が暴君を合法的に退位させうることを実践的に示したものであり、ロックの政治理論はこの革命を理論的に正当化する役割を果たした。
自然状態と自然法¶
ロックの自然状態の描写は、ホッブズのそれとは根本的に異なる。ロックにおける自然状態は、必ずしも戦争状態ではない。
Key Concept: 自然権(natural rights) ロックが定式化した、人間が自然状態において生来有する権利。生命(life)、自由(liberty)、財産(property / estate)を中核とする。政治社会の成立以前から存在し、政府はこれを保障するために設立される。
ロックによれば、自然状態においても自然法(law of nature)が妥当する。自然法は理性によって認識される神の法であり、すべての人間は平等・独立であること、何人も他者の生命・健康・自由・財産を侵害してはならないことを命じる。自然状態において人間は自然権——生命・自由・財産に対する権利——を有しており、各人はこの自然法を犯した者を処罰する権利(自然的執行権)をも有する。
しかし、自然状態には決定的な欠陥がある。第一に、確立された成文法が存在しないため、紛争の基準が不明確である。第二に、公平な裁判官が存在しないため、各人が自己の事件の裁判官となり、偏見が混入する。第三に、判決を執行する公権力が存在しないため、権利の実効的保障がない。これらの「不便(inconveniences)」を解消するために、人びとは社会契約を結ぶ。
統治の信託理論¶
Key Concept: 信託(trust) ロックの統治理論の核心概念。政府は人民から自然権の保障を「信託」された受託者であり、信託の条件に違反した場合、人民は政府を解任し新たな統治を樹立しうる。
ロックの社会契約論において特徴的なのは、統治権力を信託(trust)として説明する点である。人びとは自然状態における自然法の執行権を共同体に委ね、共同体は統治機関(政府)にこの権力を信託する。ここで重要なのは、人びとは自然権そのものを放棄するのではなく、自然権を保障するための執行権を政府に委託するにすぎないという点である。
ホッブズが諸個人の自然権を主権者に「全面譲渡」したのに対し、ロックは自然権を「信託」の対象とした。この差異は決定的である。信託である以上、受託者(政府)が信託の条件——すなわち人民の生命・自由・財産の保障——に違反した場合、信託は解除され、権力は人民に復帰する。
抵抗権と革命権¶
Key Concept: 抵抗権(right of resistance) 統治者が人民の自然権を侵害し信託に違反した場合、人民が統治者に対して抵抗する正当な権利。ロックはこれをさらに進めて、人民が政府を解体し新たな政府を樹立する革命権をも認めた。
ロックは統治者が信託に違反した場合、人民には抵抗権(right of resistance)があると主張した。さらに、違反が組織的かつ継続的である場合には、既存の政府を解体して新たな政府を樹立する革命権(right of revolution)すら認めた。
この革命権の行使は無秩序な暴動とは区別される。ロックによれば、信託に違反した統治者こそが「反逆者(rebel)」である。なぜなら、統治者は人民が設立した法的秩序を破壊し、自然状態への回帰を引き起こしているからである。人民の抵抗は、この反逆に対する正当な対抗行為にほかならない。
所有権の理論¶
ロックの政治理論においては、所有権(property)が中核的位置を占める。ロックは『統治二論』第5章で、労働に基づく所有権の正当化を行った。自然状態において、地球とその産物は人類に共有のものとして与えられているが、各人は自己の身体に対する所有権を有する。自然に自らの労働を混ぜ合わせたとき(labour-mixing argument)、その対象は労働者の所有物となる。
ただしこの所有権には二つの制限がある。第一に、他者にも十分な量が残されていなければならない(十分性条件: enough and as good left in common for others)。第二に、腐敗させてしまうほどの量を取得してはならない(腐敗制限: spoilage limitation)。しかしロックは、貨幣の導入によってこれらの制限が事実上解除されると論じた。貨幣は腐敗しないため、蓄積に腐敗制限がかからなくなる。この議論は後世、資本主義的所有権の哲学的正当化として、またその批判(マルクスらによる)の出発点として重要な論点を提供した。
ジャン=ジャック・ルソー:一般意志と人民主権¶
歴史的背景と問題意識¶
ジャン=ジャック・ルソー(Jean-Jacques Rousseau, 1712-1778)はジュネーヴ生まれの哲学者・政治思想家である。主著に『人間不平等起源論(Discours sur l'origine et les fondements de l'inegalite parmi les hommes)』(1755)と『社会契約論(Du contrat social)』(1762)がある。
ルソーの問題設定は、ホッブズやロックとは異なる次元にある。ルソーの根本的な問いは、「人間は自由なものとして生まれた。しかるに人間はいたるところで鎖につながれている」(『社会契約論』第1巻第1章)という矛盾をいかに解決するか、という点にある。
自然状態と不平等の起源¶
ルソーの自然状態の描写は、ホッブズともロックとも大きく異なる。『人間不平等起源論』において、ルソーは自然状態の人間を孤立し自足した存在として描いた。自然人は自己保存(amour de soi)の感情と憐憫(pitie)の感情を有し、理性はまだ発達していない。ホッブズが描いたような相互不信や闘争は、文明化以降の産物であり、自然状態の真の姿ではないとルソーは批判した。
問題は、文明化の過程で生じた不平等にある。農耕の発明と土地の私有が不平等の起源であるとルソーは論じた。「最初に一片の土地を囲い込んで『これは自分のものだ』と言うことを思いつき、それを信じるほどお人よしの人々を見つけた者が、政治社会(societe civile)の真の創始者であった」(『人間不平等起源論』第2部冒頭)。私有財産の発生は富の不平等を生み、富者は自らの地位を守るために法と統治の仕組みを作り出した。つまり現存の政治社会は、不平等を固定化する装置にほかならない。
社会契約と一般意志¶
Key Concept: 一般意志(volonte generale / general will) ルソーの政治思想の中心概念。共同体全体の共通利益を志向する意志であり、個々の私的利益の総和(全体意志)とは区別される。主権は一般意志に基づいて行使される。
ルソーの『社会契約論』は、不平等を固定化する偽りの社会契約ではなく、自由と平等を両立させる真正の社会契約を構想しようとするものである。
ルソーが提示する社会契約の根本条件は、「各構成員がそのすべての権利とともに共同体の全体に対して自己を完全に譲渡すること」(『社会契約論』第1巻第6章)である。一見するとホッブズ的な全面譲渡に類似するが、決定的な違いがある。ルソーにおいて権利の譲渡先は特定の主権者個人ではなく、共同体の全体(corps politique)である。全員が全員に対して譲渡するため、誰も他者に従属しない。各人は共同体の構成員として、自ら参加する一般意志に従うにすぎず、それゆえ自由であり続ける。
一般意志は、全体意志(volonte de tous / will of all)とは区別される。全体意志が個々人の私的利益の単なる総和であるのに対し、一般意志は共通利益(bien commun)を志向する。ルソーによれば、全体意志から私的利益の相互に打ち消しあう部分を差し引いた残余が一般意志である。一般意志は常に正しく、常に公共の利益を目指す。
人民主権¶
Key Concept: 人民主権(souverainete du peuple / popular sovereignty) 主権が人民全体に帰属するとする原理。ルソーはこれを一般意志の行使として定式化し、主権は譲渡も代表もされえないと主張した。
ルソーにおいて主権は一般意志の行使にほかならない。主権は譲渡されえない(不可譲性)。なぜなら、意志は代行しえないからである。また主権は分割されえない(不可分性)。立法権と行政権の分離を主張する理論家たちは主権を分割しており、これは誤りであるとルソーは論じた。
さらにルソーは代議制(代表制)を否定した。主権は代表されえないのであり、人民の代表者(議員)は人民の代理人ではなく単なる使節にすぎない。法は人民自身が直接批准しなければならない。ルソーは「イギリスの人民は、自分たちは自由だと思っているが、それは大きな間違いである。彼らが自由なのは、議員を選挙する間だけのことで、議員が選ばれるやいなや、人民は奴隷となり、何ものでもなくなる」(『社会契約論』第3巻第15章)と述べ、直接民主政を原則とした。
三者の比較¶
ホッブズ、ロック、ルソーの社会契約論は、共通の理論枠組みを用いつつ根本的に異なる帰結に至る。以下にその対比を整理する。
graph TD
subgraph ホッブズ
H1[自然状態<br/>万人の万人に対する闘争<br/>恐怖・不安定] --> H2[社会契約<br/>自然権の全面譲渡<br/>臣民相互の契約]
H2 --> H3[政治体制<br/>絶対主権<br/>抵抗権なし]
end
subgraph ロック
L1[自然状態<br/>自然法が妥当<br/>不便はあるが平和的] --> L2[社会契約<br/>執行権の信託<br/>自然権は保持]
L2 --> L3[政治体制<br/>制限政府<br/>抵抗権・革命権あり]
end
subgraph ルソー
R1[自然状態<br/>自足した孤立個人<br/>平和で自由] --> R2[社会契約<br/>共同体全体への譲渡<br/>一般意志による自治]
R2 --> R3[政治体制<br/>人民主権<br/>直接民主政]
end
| 比較軸 | ホッブズ | ロック | ルソー |
|---|---|---|---|
| 主著 | 『リヴァイアサン』(1651) | 『統治二論』(1689) | 『社会契約論』(1762) |
| 歴史的背景 | イングランド内戦 | 名誉革命 | フランス旧体制への批判 |
| 自然状態 | 闘争状態(悲観的) | 自然法の下の平和(制約付き楽観) | 自足的個人の平和(楽観的) |
| 人間観 | 自己保存的・競争的 | 理性的・自然法を認識しうる | 自由で善良だが文明が堕落させる |
| 契約の内容 | 自然権の全面譲渡 | 執行権の信託(自然権は保持) | 共同体全体への全面譲渡 |
| 主権の帰属 | 主権者(君主が最善) | 人民(政府に信託) | 人民全体(一般意志) |
| 抵抗権 | 否定(自己保存の例外のみ) | 肯定(革命権まで含む) | 主権者=人民のため問題とならない |
| 権力分立 | 否定(主権の不可分性) | 肯定(立法権の優位) | 否定(主権の不可分性) |
この比較から明らかなように、同じ「社会契約」という枠組みを用いながら、自然状態の描写と人間観の違いが、契約の内容と帰結を根本的に規定している。ホッブズの悲観的人間観は絶対主権を、ロックの限定的楽観は制限政府を、ルソーの文明批判は人民主権による自治を、それぞれ帰結として導いた。
まとめ¶
- マキアヴェッリは政治を道徳・神学から切り離し、権力現象として自律的に分析するリアリズムの端緒を開いた。ヴィルトゥとフォルトゥナの対概念により、政治における人間の能動性と偶然性の相互作用を定式化した
- ボダンは主権概念を「絶対・恒久・不可分」の権力として理論化し、中世的な権力分散状態を克服する近代的国家概念の基礎を提供した
- ホッブズは自然状態を「万人の万人に対する闘争」と描写し、自然権の全面譲渡による絶対的主権の成立を論じた。秩序と安全の確保を最優先する政治理論を構築した
- ロックは自然状態に自然法の妥当を認め、政府を人民の自然権を保障するための信託と位置づけた。信託違反に対する抵抗権・革命権を理論化し、立憲主義の基礎を築いた
- ルソーは文明化による不平等を批判し、一般意志に基づく人民主権と直接民主政を構想した。個人の自由と共同体の意志の一致という問題を提起した
- 三者の社会契約論は、自然状態の描写の違いが契約の内容と政治体制の帰結を規定することを示しており、前提の差異がいかに理論全体を方向づけるかの典型例である
次のセクション(→ Section 3「自由主義・保守主義・マルクス主義」)では、社会契約論が切り拓いた近代政治思想の地平のうえに、19世紀以降の主要なイデオロギーがいかに形成されたかを検討する。
用語集(Glossary)¶
| 用語 | 英語表記 | 定義 |
|---|---|---|
| 政治的リアリズム | political realism | 政治を道徳・宗教から独立した固有の領域として把握し、権力の実際の作用を分析する立場 |
| ヴィルトゥ | virtu | マキアヴェッリの中心概念。状況に応じて果断に行動し政治的目的を達成する力量 |
| フォルトゥナ | fortuna | 運命・偶然の力。人間の制御を超えた外的条件の変動 |
| 主権 | sovereignty / souverainete | ボダンが理論化した国家の最高・絶対・恒久・不可分の権力。立法権を核心とする |
| 自然状態 | state of nature | 社会契約論における政治社会成立以前の仮説的状態 |
| 社会契約 | social contract | 自然状態の諸個人が相互の合意により政治社会を形成する行為 |
| リヴァイアサン | Leviathan | ホッブズの主著の題名。絶対的主権を有する国家を象徴する |
| 自然権 | natural rights | ロックが定式化した生来の権利。生命・自由・財産を中核とする |
| 信託 | trust | ロックの統治理論の核心。政府は人民から自然権の保障を委託された受託者である |
| 抵抗権 | right of resistance | 統治者が信託に違反した場合に人民が行使しうる抵抗の権利 |
| 一般意志 | general will / volonte generale | ルソーの中心概念。共同体全体の共通利益を志向する意志。全体意志とは区別される |
| 人民主権 | popular sovereignty | 主権が人民全体に帰属する原理。ルソーが一般意志の行使として定式化した |
確認問題¶
Q1: ホッブズ、ロック、ルソーの三者が描く自然状態はそれぞれどのように異なるか。その違いが社会契約の内容にどう影響しているか説明せよ。
A1: ホッブズの自然状態は「万人の万人に対する闘争」であり、共通の権力が存在しない限り人間は恒常的な恐怖と暴力的死の危険にさらされる。この極度の危険が自然権の「全面譲渡」と絶対主権の成立を帰結させる。ロックの自然状態は自然法が妥当する比較的平和な状態だが、成文法・公平な裁判官・執行力の欠如という「不便」がある。この限定的な問題が、自然権を保持したまま「執行権のみを信託」するという制限政府の構想を導く。ルソーの自然状態は自足的個人が孤立的に生きる平和な状態であり、問題は文明化に伴う不平等の発生にある。これに対する解決策として、共同体全体への譲渡と一般意志による自治という、自由と平等を両立させる契約が構想された。このように、自然状態における問題の深刻さの程度が、契約による権利譲渡の範囲と政治体制の性格を規定している。
Q2: ホッブズの社会契約論においてなぜ臣民に抵抗権が認められないのか、契約の構造に即して論理的に説明せよ。また唯一の例外とその根拠を述べよ。
A2: ホッブズの社会契約において、契約は臣民相互の間で結ばれ、主権者自身は契約の当事者ではない。臣民は互いに対して自然権を放棄し、その権利を主権者に授与することを約束する。主権者は契約の外部にあるため、契約を違反するということが論理的にありえず、臣民には主権者に対して契約違反を根拠とした抵抗権が存在しない。また主権を分割・制限すれば権力闘争が生じ自然状態に回帰する危険があるため、主権は絶対的でなければならないとホッブズは論じた。唯一の例外は、主権者が臣民の生命を直接脅かす場合である。自己保存こそが社会契約の根本目的であり、自己保存の権利は譲渡不可能であるため、生命への直接的脅威に対してのみ服従義務が解除される。
Q3: ロックの信託理論とホッブズの権利譲渡論の違いを、統治者の正統性の根拠と限界の観点から比較せよ。
A3: ホッブズにおいて統治者の正統性は、臣民が相互に結んだ契約により自然権を全面的に譲渡したことに基づく。譲渡は不可逆であり、主権者は契約の当事者ではないため、その権力には原理的に限界がない(ただし臣民の自己保存を除く)。これに対しロックにおいて統治者の正統性は、人民からの「信託」に基づく。人民は自然権そのものではなく、自然権を保障するための執行権を政府に委託する。政府は受託者であり、信託の条件——人民の生命・自由・財産の保障——を遵守する義務を負う。信託の条件に違反した場合、権力は人民に復帰し、人民は政府を解任して新たな政府を樹立しうる(抵抗権・革命権)。ホッブズの理論が秩序の安定を最優先するのに対し、ロックの理論は個人の自然権の保障を統治の目的とし、その限界を明示した点に根本的な差異がある。
Q4: ルソーの「一般意志」と「全体意志」の違いを説明し、一般意志の概念がなぜ人民主権の理論にとって不可欠であるか論じよ。
A4: 全体意志(volonte de tous)は個々の市民の私的利益に基づく意志の単なる総和であり、各人の特殊利益を反映するにすぎない。一般意志(volonte generale)は共同体全体の共通利益を志向する意志であり、個々の私的利益の相殺部分を差し引いた残余として定義される。一般意志が人民主権の理論にとって不可欠である理由は、ルソーの社会契約では各人が自己の権利を共同体全体に譲渡するが、この譲渡が奴隷化ではなく自由の実現となるためには、共同体の意志が個人の私的意志の強制ではなく、各人が市民として共有する共通利益の表現でなければならないからである。一般意志に従うことは自らの真の意志に従うことであり、それゆえ人民は主権者として自治しつつ自由であり続ける、というのがルソーの論理である。
Q5: マキアヴェッリの政治的リアリズムは、古代ギリシア政治思想(特にプラトン)といかなる点で断絶しているか。また、ボダンの主権概念がその後の社会契約論にどのような理論的前提を提供したか論じよ。
A5: プラトンの政治思想は善のイデアの認識に基づく理想国家の構想であり、政治は道徳・形而上学と不可分に結びついていた。「あるべき姿」から出発し、統治者の道徳的卓越性(知恵)が正しい統治の条件とされた。マキアヴェッリはこの伝統と決定的に断絶し、「あるがままの姿」から出発して、政治を道徳的善悪から独立した権力現象として分析した。統治者に求められるのは道徳的善良さではなくヴィルトゥ(政治的力量)であり、場合によっては道徳に反する行為も政治的必要性から正当化される。この転換は政治の自律的領域としての把握を可能にした。ボダンの主権概念は、国家の本質を「最高・絶対・恒久・不可分の権力」として定義し、近代国家論の基本的枠組みを提供した。社会契約論者たちにとって、「主権」とは何か、それは誰に帰属すべきかという問題設定自体がボダンに由来する。ホッブズは主権の絶対性・不可分性を継承し、ルソーも主権の不可分性を採用した。ロックは制限政府の立場から主権の絶対性を修正したが、主権概念自体は議論の前提として共有している。