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Module 1-4 - Section 3: 安全保障の基礎概念

セクション情報

項目 内容
モジュール Module 1-4: 国際政治学入門
前提セクション Section 1: リアリズムの系譜, Section 2: リベラリズムとコンストラクティヴィズム
想定学習時間 2.5時間

導入

前二セクションでは、国際政治学の主要パラダイム——リアリズム、リベラリズム、コンストラクティヴィズム——の理論的枠組みを検討した。本セクションでは、これらの理論的視座を踏まえ、国際政治学における中心的な実質領域である安全保障(security)の基礎概念を体系的に検討する。

アナーキーという構造的条件の下で、国家はいかにして自らの安全を確保するか。この問いに対する分析枠組みとして、安全保障のジレンマ、抑止理論、同盟の理論、安全保障共同体という四つの概念群を取り上げる。これらは単に個別の理論ではなく、相互に連関しながら国際安全保障の力学を構成する要素である。安全保障のジレンマはアナーキー下の構造的問題を記述し、抑止理論と同盟理論はその問題への対処戦略を分析し、安全保障共同体はジレンマそのものの超克可能性を提示する。


安全保障のジレンマ

ハーツの問題提起

Key Concept: 安全保障のジレンマ(Security Dilemma) アナーキーな国際システムにおいて、ある国家が自国の安全保障を高めるために行う措置(軍備増強等)が、意図せずして他国の安全保障を低下させ、結果として相互不信と軍備競争の悪循環を生む構造的現象。ジョン・ハーツが1950年の論文で概念化した。

安全保障のジレンマ(security dilemma)は、ジョン・ハーツ(John H. Herz, 1908–2005)が1950年の論文「Idealist Internationalism and the Security Dilemma」(『World Politics』誌)および1951年の著書『Political Realism and Political Idealism』において定式化した概念である。ハーツはドイツ出身のユダヤ系政治学者で、ナチス政権から逃れてアメリカに亡命した経歴を持ち、国際政治の構造的暴力に対する鋭い問題意識を有していた。

ハーツは安全保障のジレンマを次のように定義した。「複数の権力単位が並存し、それらの上位に立つ権威が存在しない社会——すなわちアナーキーな社会——においては、各単位が自らの安全のために行う自助的措置が、意図にかかわらず、他の単位の安全を脅かす傾向がある」。この定義の核心は、意図と結果の乖離にある。国家Aが純粋に防衛的な動機で軍備を増強したとしても、国家Bはその意図を確実に知ることができない。アナーキー下では他国の意図に関する不確実性が構造的に存在するため、国家Bは最悪の事態を想定して自らも軍備を増強する。これが国家Aの安全保障を低下させ、さらなる軍備増強を促す——こうして悪循環が成立する。

graph TD
    A["国家Aの安全保障への不安"] --> B["国家Aが軍備を増強<br/>(防衛的意図)"]
    B --> C["国家Bが脅威を認識<br/>(意図の不確実性)"]
    C --> D["国家Bが軍備を増強<br/>(防衛的対応)"]
    D --> E["国家Aの安全保障が低下"]
    E --> A
    style A fill:#fadbd8,stroke:#333
    style B fill:#d4e6f1,stroke:#333
    style C fill:#fdebd0,stroke:#333
    style D fill:#d4e6f1,stroke:#333
    style E fill:#fadbd8,stroke:#333

この悪循環の本質は、各国家が合理的に行動しているにもかかわらず、集合的には非合理的な結果——すべての国家の安全保障が低下する——が生じる点にある。ゲーム理論の用語で言えば、安全保障のジレンマは囚人のジレンマの構造と類似している。

ジャーヴィスの攻撃・防御均衡理論

安全保障のジレンマの理論的精緻化に最も大きく貢献したのが、ロバート・ジャーヴィス(Robert Jervis, 1940–2021)である。ジャーヴィスは1978年の論文「Cooperation under the Security Dilemma」(『World Politics』誌)において、安全保障のジレンマの深刻度を規定する二つの変数を特定した。

第一の変数: 攻撃・防御均衡(offense-defense balance)

軍事技術や地理的条件によって、攻撃と防御のどちらが有利であるかが変化する。防御が優位な状況では、現状維持を志向する国家は比較的低コストで自国を防衛でき、安全保障のジレンマは緩和される。逆に攻撃が優位な状況では、先制攻撃の誘因が高まり、ジレンマは深刻化する。

第二の変数: 攻撃・防御識別可能性(offense-defense distinguishability)

攻撃的な軍事態勢と防御的な軍事態勢を外部から区別できるか否かである。区別可能であれば、他国は相手の意図を軍事態勢から推測でき、不確実性が低減する。区別不可能であれば、どのような軍備増強も攻撃的意図の表れと解釈されうる。

ジャーヴィスはこれら二変数の組み合わせにより、四つの戦略環境(strategic worlds)を提示した。

環境 攻撃・防御均衡 識別可能性 安全保障のジレンマ 特徴
第1世界 攻撃優位 不可能 最も深刻 軍備競争・先制攻撃が合理的。最も危険な状況
第2世界 攻撃優位 可能 ジレンマなし、だが危険 攻撃意図は識別可能だが、攻撃側が有利
第3世界 防御優位 不可能 深刻 防御優位だが意図の推測が困難。不要な軍備競争が生じうる
第4世界 防御優位 可能 最も緩和 防御的態勢が識別可能で、現状維持国は安心を得られる

この枠組みは、安全保障のジレンマが常に同じ深刻度で存在するわけではなく、技術的・地理的条件によって変動することを示している。たとえば、第一次世界大戦前のヨーロッパでは、鉄道網の発達による動員速度の向上と機関銃以前の攻撃的戦術ドクトリンが攻撃優位の状況を生み出し(実際には防御が優位であったが、当時の軍事指導者の認識は攻撃優位であった)、先制動員の連鎖を通じて大戦に至った。これは「第1世界」的状況の歴史的事例として理解される。


抑止理論

抑止の基本論理

Key Concept: 抑止(Deterrence) 相手に対して、攻撃を行った場合に耐えがたい報復を受けるという脅威を与えることにより、攻撃を思いとどまらせる戦略。攻撃によって得られる利益よりも被る損害が大きいと相手に認識させることが核心である。

抑止(deterrence)とは、潜在的な攻撃者に対して、攻撃を実行した場合に耐えがたい損害を与えるという脅威を提示することにより、攻撃の実行を断念させる戦略的概念である。抑止の論理は古くから存在するが、核兵器の出現により、その理論的精緻化が急速に進展した。

トマス・シェリング(Thomas Schelling, 1921–2016)は、ゲーム理論を国際政治に応用した先駆的業績『紛争の戦略(The Strategy of Conflict)』(1960年)および『軍備と影響力(Arms and Influence)』(1966年)において、抑止を「強制外交(coercive diplomacy)」の一形態として理論化した。シェリングは、抑止を「相手にやらせない(deterrence)」力と、「相手にやらせる(compellence)」力に区別し、前者が受動的・防御的であるのに対し、後者が能動的・攻撃的であることを指摘した。

抑止の三条件

抑止が有効に機能するためには、以下の三つの条件が同時に満たされる必要がある。

graph TD
    D["抑止の成立"] --> C1["能力<br/>Capability"]
    D --> C2["意志/信憑性<br/>Credibility"]
    D --> C3["通信/伝達<br/>Communication"]
    C1 --> E1["報復を実行しうる<br/>十分な軍事力の保有"]
    C2 --> E2["報復を実行する<br/>意志と決意の存在"]
    C3 --> E3["報復意志と能力の<br/>相手への明確な伝達"]
    style D fill:#d5f5e3,stroke:#333
    style C1 fill:#d4e6f1,stroke:#333
    style C2 fill:#d4e6f1,stroke:#333
    style C3 fill:#d4e6f1,stroke:#333

1. 能力(Capability): 抑止を行う国家は、攻撃者に耐えがたい損害を与えうる十分な報復能力を保有していなければならない。核抑止の文脈では、敵の先制攻撃を受けた後にもなお報復攻撃を遂行できる第二撃能力(second-strike capability)が決定的に重要となる。

2. 信憑性/意志(Credibility): 報復の脅威は信憑性がなければ機能しない。相手に「この国は本当に報復を実行する」と信じさせる必要がある。しかし、特に核報復の場合、報復の実行は報復する側にとっても壊滅的な結果をもたらす可能性があり、合理的な行為者が本当に報復を実行するかについて疑念が生じうる。これがシェリングの言う「信憑性の問題(credibility problem)」である。

3. 通信(Communication): 抑止の脅威は相手に明確に伝達されなければならない。報復の能力と意志が存在しても、それが潜在的攻撃者に認識されていなければ抑止効果は生じない。軍事演習、公式声明、同盟条約の締結などが通信の手段として機能する。

三条件のうち一つでも欠ければ、抑止は破綻しうる。たとえば、能力は十分でも信憑性が疑われれば、攻撃者は「報復は行われないだろう」と判断して攻撃に踏み切る可能性がある。

核抑止と相互確証破壊

Key Concept: 相互確証破壊(Mutual Assured Destruction: MAD) 核武装した二国が互いに対して壊滅的な第二撃能力を保有する状態。一方が核攻撃を仕掛ければ、先制攻撃を受けた側もなお報復攻撃によって攻撃側を壊滅させることができるため、双方にとって核戦争の開始は合理的でなくなる。冷戦期の米ソ関係における戦略的安定の基盤とされた。

核兵器の出現は、抑止理論に根本的な変容をもたらした。通常兵器による抑止では、攻撃者が「報復を受けても得るものの方が大きい」と判断する可能性が常に存在するが、核兵器はその破壊力の桁違いの大きさゆえに、いかなる政治的目的も核戦争によって達成される利益を正当化しえないという状況を作り出した。

相互確証破壊(MAD)の概念は、1960年代にアメリカの国防長官ロバート・マクナマラ(Robert McNamara, 1916–2009)の下で公式な核戦略ドクトリンとして確立された。MADの論理は以下の通りである。

  1. 米ソ双方が、相手の先制攻撃を受けた後にもなお、相手国を壊滅させるに足る第二撃能力を保有する
  2. したがって、いずれの側が先に核攻撃を仕掛けても、自国の壊滅は免れない
  3. 合理的な指導者はこのような結果を望まないため、核戦争の開始は合理的選択肢から排除される
  4. 結果として、恐怖の均衡(balance of terror)に基づく戦略的安定が実現する

第二撃能力を確保するために、米ソ両国は核の三本柱(nuclear triad)——大陸間弾道ミサイル(ICBM)、潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)、戦略爆撃機——という三種類の運搬手段を整備した。特にSLBMを搭載した戦略原子力潜水艦は、深海に潜伏することで敵の先制攻撃から生存しうるため、第二撃能力の最も確実な担保とみなされた。

MADの論理は、一見逆説的な帰結をもたらす。すなわち、弾道弾迎撃ミサイル(ABM)のような防御システムの導入は、相手の第二撃能力を無効化する可能性があるため、かえって戦略的安定を損なうとされた。このため米ソは1972年にABM条約を締結し、ABMの配備を厳しく制限した。これは「防御が不安定化をもたらす」という直観に反する論理であり、核抑止の独自性を端的に示している。

抑止理論の限界と批判

抑止理論に対しては、以下のような批判が存在する。

合理性の前提: 抑止は、相手が費用便益計算を行う合理的行為者であることを前提とするが、現実の政治指導者が常に合理的に行動するとは限らない。誤認、組織的失敗、心理的バイアス、あるいはイデオロギー的狂信が合理的計算を歪める可能性がある。

信憑性のパラドクス: 核報復の脅威は、実行すれば自国も壊滅するという点で、根本的な信憑性の問題を抱える。シェリングはこの問題に対して「不確実性の操作(manipulation of risk)」という概念を提唱し、危機状況をエスカレートさせることで偶発的核戦争のリスクを意図的に高め、相手に譲歩を迫る「瀬戸際政策(brinkmanship)」の論理を展開した。

拡大抑止の問題: 同盟国に対する攻撃を核報復で抑止する「拡大抑止(extended deterrence)」は、自国への直接攻撃に対する抑止よりも信憑性が低い。アメリカはヨーロッパの同盟国を守るためにモスクワとの核戦争を本当にリスクするのか——冷戦期を通じてこの疑念は繰り返し提起された。


同盟の理論

同盟形成の論理: 脅威均衡論

Key Concept: 脅威均衡論(Balance of Threat Theory) スティーヴン・ウォルトが提唱した同盟形成理論。国家は単に最も強力な国家に対抗するのではなく、最も脅威的な国家に対抗して同盟を形成すると主張する。脅威の評価は、総合的国力、地理的近接性、攻撃的能力、攻撃的意図の四要素によって決定される。

スティーヴン・ウォルト(Stephen Walt, 1955–)は、著書『同盟の起源(The Origins of Alliances)』(1987年)において、伝統的な勢力均衡論(balance of power theory)を発展的に修正する脅威均衡論(balance of threat theory)を提唱した。

ケネス・ウォルツ(→ Section 1参照)のネオリアリズムに基づく勢力均衡論は、国家がシステム内で最も強力な国家(ないし連合)に対抗して同盟を形成すると予測する。しかしウォルトは、中東地域における同盟パターンの実証的分析を通じて、国家が対抗するのは最も強力な国家ではなく、最も脅威的(threatening)な国家であることを示した。

ウォルトによれば、脅威の認識は以下の四つの要素によって決定される。

脅威評価の要素 内容 具体例
総合的国力(Aggregate Power) 人口、経済力、軍事力の総合 ソ連の総合的国力は大きいが、その脅威は直接的な近隣国でより強く感じられた
地理的近接性(Geographic Proximity) 脅威源との物理的距離 隣接国からの脅威は遠方の大国よりも切迫して認識される
攻撃的能力(Offensive Power) 侵攻・攻撃を実行しうる軍事的能力 大規模な機甲部隊の保有は攻撃的能力の指標
攻撃的意図(Aggressive Intentions) 他国に対する敵意や拡張意図の認識 領土拡張を公言する指導者は高い脅威と認識される

バランシングとバンドワゴニング

同盟形成において国家がとりうる基本的な行動パターンは、バランシング(balancing)バンドワゴニング(bandwagoning)の二つに大別される。

バランシング: 脅威に対抗するために、脅威源とは反対側の勢力と同盟を結ぶ行動。勢力均衡論・脅威均衡論いずれにおいても、国際政治における支配的な行動パターンとされる。

バンドワゴニング: 脅威源の側に付く行動。勝ち馬に乗ることで安全を確保しようとする戦略。従来、バンドワゴニングは弱小国が強大な脅威に直面した際にとる行動とされてきた。

graph LR
    subgraph balancing ["バランシング(Balancing)"]
        T1["脅威国X"] -.->|"対抗"| A1["国家A + 国家B + 国家C<br/>(対抗同盟の形成)"]
    end
    subgraph bandwagoning ["バンドワゴニング(Bandwagoning)"]
        T2["脅威国X"] -->|"追従"| A2["国家D<br/>(脅威国側に付く)"]
    end
    style T1 fill:#fadbd8,stroke:#333
    style A1 fill:#d5f5e3,stroke:#333
    style T2 fill:#fadbd8,stroke:#333
    style A2 fill:#fdebd0,stroke:#333

ウォルトの実証的分析は、国際政治においてバランシングがバンドワゴニングよりも圧倒的に一般的であることを示した。バンドワゴニングが生じるのは、主として孤立した弱小国が強大な脅威に直面し、他に同盟の選択肢がない場合に限られる。この知見は、勢力均衡が国際政治の持続的パターンであるというリアリズムの基本的主張を補強するものである。

脅威均衡論とウォルツの勢力均衡論の相違を整理すると以下のようになる。

比較点 勢力均衡論(ウォルツ) 脅威均衡論(ウォルト)
同盟形成の動因 最も強力な国家(連合)に対抗 最も脅威的な国家に対抗
脅威の指標 国力(主に物質的能力) 国力+近接性+攻撃能力+攻撃意図
意図の扱い 構造的理論のため意図は捨象 脅威評価の一要素として組み込む
分析レベル システムレベルに限定 システム+ユニットレベル
説明力 全般的なパターンの予測 具体的な同盟選択の説明に優れる

同盟のジレンマ: 巻き込まれと見捨てられ

Key Concept: 同盟のジレンマ(Alliance Dilemma) グレン・スナイダーが1984年に提起した概念。同盟国を支援すれば望まない紛争に巻き込まれる(entrapment)リスクが高まり、逆に支援を控えれば同盟国に見捨てられる(abandonment)リスクが高まるというトレードオフ。同盟内政治の構造的制約を分析する枠組みである。

グレン・スナイダー(Glenn H. Snyder, 1924–2013)は、1984年の論文「The Security Dilemma in Alliance Politics」(『World Politics』誌)において、安全保障のジレンマを同盟関係の内部に適用し、同盟のジレンマ(alliance dilemma)を定式化した。

安全保障のジレンマが対立する国家間の構造的問題であるのに対し、同盟のジレンマは同盟を組む国家間の構造的問題である。同盟国は、同盟パートナーを支持する度合いと対手(adversary)への対応の間で、以下の二つのリスクのトレードオフに直面する。

巻き込まれ(Entrapment): 同盟国の紛争や冒険的な政策に引きずり込まれるリスク。同盟コミットメントを強化し、同盟国への支持を明確にするほど、このリスクは増大する。同盟国が自国の支持を前提に冒険的行動をとる道徳的危険(moral hazard)が生じるためである。

見捨てられ(Abandonment): 同盟国が条約上の義務を履行せず、危機の際に支援を得られないリスク。同盟コミットメントを緩め、同盟国への支持を曖昧にするほど、同盟国は安全保障上の保証に疑念を抱き、独自に行動する(例えば独自核武装や敵対国との単独講和)可能性が高まる。

graph TD
    AL["同盟関係"] --> SC["同盟国への支持を強化"]
    AL --> SW["同盟国への支持を弱体化"]
    SC --> R1["巻き込まれリスク増大<br/>(Entrapment)"]
    SC --> R2["見捨てられリスク低減"]
    SW --> R3["巻き込まれリスク低減"]
    SW --> R4["見捨てられリスク増大<br/>(Abandonment)"]
    R1 -.->|"トレードオフ"| R3
    R2 -.->|"トレードオフ"| R4
    style SC fill:#d4e6f1,stroke:#333
    style SW fill:#fdebd0,stroke:#333
    style R1 fill:#fadbd8,stroke:#333
    style R4 fill:#fadbd8,stroke:#333
    style R2 fill:#d5f5e3,stroke:#333
    style R3 fill:#d5f5e3,stroke:#333

スナイダーは、このジレンマの深刻度が国際システムの極性構造(polarity)によって異なることを指摘した。多極システム(multipolarity)では、同盟国が他の同盟へ乗り換える「再編成(realignment)」の可能性が現実的であるため、見捨てられのリスクが高く、ジレンマはより深刻となる。他方、二極システム(bipolarity)——冷戦期の米ソ対立のような——では、超大国にとって同盟国の離反先が限られるため見捨てられのリスクは低いが、同盟国が超大国の紛争に巻き込まれるリスクは存在する。

同盟のジレンマは歴史的事例において繰り返し観察される。たとえば、第一次世界大戦前のヨーロッパにおいて、ドイツのオーストリア=ハンガリーに対する「白紙委任状(blank check)」——セルビアに対するいかなる行動をも支持するという保証——は、典型的な巻き込まれの事例である。オーストリア=ハンガリーはドイツの支持を前提に強硬な対セルビア政策を採り、これが連鎖的な動員と開戦に至った。逆に、冷戦期に西欧諸国が繰り返し表明した「アメリカは本当にヨーロッパのためにソ連との核戦争をリスクするのか」という懸念は、見捨てられの恐怖を反映している。


安全保障共同体

ドイチュの概念

Key Concept: 安全保障共同体(Security Community) カール・ドイチュが1957年に提唱した概念。構成国間で武力紛争の発生が「考えられない(unthinkable)」状態に達した国家群を指す。共通の社会的問題を平和的変化の過程によって解決するという合意が成立している政治的共同体である。

カール・ドイチュ(Karl Deutsch, 1912–1992)は、チェコスロバキア出身の政治学者で、コミュニケーション理論を政治統合の分析に応用した先駆者である。ドイチュは共著『Political Community and the North Atlantic Area』(1957年)において、安全保障共同体(security community)の概念を提唱した。

ドイチュの定義によれば、安全保障共同体とは「共通の社会的問題を『平和的変化(peaceful change)』の過程によって解決しなければならず、また解決できるという合意に達した集団」である。すなわち、構成国間で武力行使が紛争解決の手段として排除されている——単に制度的に抑制されているだけでなく、武力行使が「考えられない(unthinkable)」状態に至った——政治的共同体を指す。

ドイチュは安全保障共同体を二つの類型に分類した。

融合型安全保障共同体(Amalgamated Security Community): 複数の独立した政治単位が統合し、共通の政府を持つ単一の政治体を形成した状態。アメリカ合衆国の形成がその典型例である。

多元的安全保障共同体(Pluralistic Security Community): 構成国が法的独立性と別個の政府を保持しつつ、相互間での武力紛争が考えられない状態に達した共同体。ドイチュはこの類型が融合型よりも実現が容易であり、持続性も高いと論じた。

安全保障共同体の形成条件

ドイチュは歴史的事例の比較分析を通じて、安全保障共同体の形成を促進する諸条件を特定した。主要な条件として以下が挙げられる。

  • 社会的コミュニケーションの密度: 構成国の社会間で人の移動、貿易、通信などの相互交流が高い頻度で行われること
  • 価値観の共有: 基本的な政治的価値観——自由、民主主義、法の支配など——が共有されていること
  • 相互応答性(mutual responsiveness): 各国の政治エリートが他国の必要と要求に対して敏感に応答すること
  • 経済的利益の共有: 経済的相互依存が深化し、紛争のコストが協力の利益を大幅に上回ること

NATOとEU: 安全保障共同体の現代的展開

ドイチュの概念は、北大西洋条約機構(NATO)と欧州統合の文脈で広く参照されてきた。西欧・北米の先進民主主義国間の関係は、多元的安全保障共同体の最も成功した事例とされる。特に、かつて繰り返し大戦を交えた独仏関係が、欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC, 1951年設立)以降の統合過程を通じて、武力紛争が「考えられない」関係に転換したことは、安全保障共同体の形成可能性を実証する代表的事例である。

エマニュエル・アドラー(Emanuel Adler)とマイケル・バーネット(Michael Barnett)は、ドイチュの理論をコンストラクティヴィズム(→ Section 2参照)の視座から発展させ、安全保障共同体の形成過程を「共有されたアイデンティティと信頼の構築」として再解釈した。彼らは安全保障共同体の発展段階を、萌芽的段階(nascent)、上昇段階(ascendant)、成熟段階(mature)の三段階に整理した。

安全保障共同体の概念は、安全保障のジレンマに対する根本的な解答を提示するものとして理論的に重要である。安全保障のジレンマがアナーキー下での意図の不確実性に起因するとすれば、安全保障共同体は構成国間での信頼と共有アイデンティティの確立を通じて、その不確実性そのものを解消する可能性を示唆している。ただし、安全保障共同体の形成は特定の社会的・経済的・文化的条件の下でのみ実現しており、その普遍的な適用可能性については議論が分かれる。


まとめ

  • 安全保障のジレンマは、アナーキー下で国家が自助的に安全を追求する結果、意図せずして他国の安全を脅かし、軍備競争や緊張の悪循環が生じる構造的現象である。ジャーヴィスの攻撃・防御均衡理論は、このジレンマの深刻度が技術的・地理的条件によって変動することを示した
  • 抑止理論は、報復の脅威によって攻撃を未然に防ぐ戦略を体系化したものであり、能力・信憑性・通信の三条件を要する。核抑止の文脈では相互確証破壊(MAD)が戦略的安定の基盤となったが、合理性の前提や信憑性のパラドクスに対する批判が存在する
  • 脅威均衡論(ウォルト)は、国家が最も強力な国家ではなく最も脅威的な国家に対抗して同盟を形成することを示し、バランシングがバンドワゴニングよりも一般的であることを実証した
  • 同盟のジレンマ(スナイダー)は、同盟内部における巻き込まれと見捨てられのトレードオフを分析し、同盟政治の構造的制約を明らかにした
  • 安全保障共同体(ドイチュ)は、構成国間で武力紛争が「考えられない」状態に至った政治的共同体であり、安全保障のジレンマの超克可能性を提示する概念である
  • 次セクションでは、これらの安全保障概念を踏まえつつ、国際政治経済(IPE)の基礎的枠組みを検討する

用語集(Glossary)

用語 英語表記 定義
安全保障のジレンマ Security Dilemma アナーキー下で、ある国家の安全保障強化措置が他国の安全保障を低下させ、軍備競争の悪循環を生む構造的現象
攻撃・防御均衡 Offense-Defense Balance 軍事技術・地理的条件により、攻撃と防御のどちらが有利かを規定する要因。安全保障のジレンマの深刻度を左右する
抑止 Deterrence 報復の脅威を提示することにより、潜在的攻撃者に攻撃を断念させる戦略的概念
相互確証破壊 Mutual Assured Destruction (MAD) 核武装した二国が互いに壊滅的な第二撃能力を持ち、核戦争の開始が双方にとって合理的でなくなる状態
第二撃能力 Second-Strike Capability 敵の先制核攻撃を受けた後にもなお報復核攻撃を遂行できる軍事能力
核の三本柱 Nuclear Triad ICBM・SLBM・戦略爆撃機の三種類の核運搬手段による戦略核戦力体制
拡大抑止 Extended Deterrence 同盟国への攻撃を自国の核報復で抑止すること。同盟国への「核の傘」の提供
脅威均衡論 Balance of Threat Theory 国家は最も脅威的な国家に対抗して同盟を形成するとするウォルトの理論
バランシング Balancing 脅威国に対抗するために反対側の勢力と同盟を形成する行動
バンドワゴニング Bandwagoning 脅威国の側に付くことで安全を確保しようとする行動
同盟のジレンマ Alliance Dilemma 同盟国支持を強化すれば巻き込まれリスクが、弱化すれば見捨てられリスクが増大するトレードオフ
巻き込まれ Entrapment 同盟国の紛争や冒険的政策に引きずり込まれるリスク
見捨てられ Abandonment 同盟国が危機の際に条約上の義務を履行しないリスク
安全保障共同体 Security Community 構成国間で武力紛争の発生が「考えられない」状態に達した政治的共同体。ドイチュが1957年に概念化
多元的安全保障共同体 Pluralistic Security Community 構成国が法的独立性を保持しつつ相互間の武力紛争が排除された安全保障共同体

確認問題

Q1: 安全保障のジレンマが発生するメカニズムを、アナーキー・意図の不確実性・自助という三つの概念を用いて説明せよ。また、ジャーヴィスの枠組みに基づき、安全保障のジレンマが最も緩和される条件はどのようなものか。

A1: アナーキーな国際システムでは上位権威が不在であるため、国家は自助(self-help)によって安全を確保せざるをえない。しかし、他国の意図に関する不確実性が構造的に存在するため、ある国家が防衛目的で軍備を増強しても、他国はその意図を確実に知りえず、最悪の事態を想定して自らも軍備を増強する。この連鎖が相互不信と軍備競争の悪循環を生む。ジャーヴィスの枠組みでは、防御が攻撃に対して優位であり(攻撃・防御均衡が防御側に有利)、かつ攻撃的態勢と防御的態勢が外部から区別可能である場合(第4世界)に、安全保障のジレンマは最も緩和される。防御優位であれば現状維持国は低コストで安全を確保でき、識別可能性が高ければ相手の防衛的意図を確認できるためである。

Q2: 抑止が有効に機能するための三条件(能力・信憑性・通信)を説明し、核抑止の文脈で信憑性が特に問題となる理由を論ぜよ。

A2: 抑止の三条件は以下の通りである。第一に能力(capability)——報復を実行しうる十分な軍事力の保有。第二に信憑性(credibility)——報復を実行する意志と決意が存在し、相手がそれを信じていること。第三に通信(communication)——報復の能力と意志が潜在的攻撃者に明確に伝達されていること。核抑止の文脈で信憑性が特に問題となるのは、核報復の実行が報復する側にとっても壊滅的結果をもたらすためである。合理的な指導者であれば、相手国への核報復が自国への核反撃を招くことを理解しているはずであり、それでもなお報復を実行するかについて疑念が生じる。これはシェリングが指摘した「信憑性の問題」であり、特に拡大抑止(同盟国防衛のための核報復の脅威)において深刻となる。

Q3: ウォルトの脅威均衡論はウォルツの勢力均衡論をどのように修正したか。両理論の相違点を脅威評価の要素に着目して説明せよ。

A3: ウォルツの勢力均衡論は、国家がシステム内で最も強力な国家(連合)に対抗して同盟を形成すると予測し、脅威の指標を主に物質的な国力に限定した。これに対してウォルトの脅威均衡論は、国家が対抗するのは最も強力な国家ではなく最も脅威的な国家であると修正した。脅威の評価は総合的国力のみならず、地理的近接性(近いほど脅威が大きい)、攻撃的能力(侵攻能力が高いほど脅威が大きい)、攻撃的意図(敵対的・拡張的意図が認識されるほど脅威が大きい)の四要素によって決定される。この修正により、物質的能力では劣るが近接し攻撃的意図を持つ国家が、遠方の大国よりも深刻な脅威と認識される事例を説明できるようになった。また、ウォルツが構造的理論として意図を捨象したのに対し、ウォルトは脅威評価の一要素として意図を明示的に組み込んだ点で分析レベルが拡張されている。

Q4: スナイダーの同盟のジレンマにおける「巻き込まれ」と「見捨てられ」のトレードオフを説明し、このジレンマが多極システムと二極システムでどのように異なるか論ぜよ。

A4: 同盟のジレンマとは、同盟国への支持を強化すれば相手の冒険的政策に引きずり込まれる「巻き込まれ」のリスクが増大し、逆に支持を控えれば同盟国が条約義務を履行しない「見捨てられ」のリスクが増大するというトレードオフである。多極システムでは、同盟国が他の同盟へ乗り換える再編成(realignment)の選択肢が現実的に存在するため、見捨てられのリスクが構造的に高い。同盟国を引き留めるために支持を強化する必要があるが、それは巻き込まれリスクを高める。したがって、多極システムではジレンマがより深刻となる。二極システムでは、超大国にとって同盟国の離反先が限定されるため、見捨てられのリスクは相対的に低い。しかし、同盟国が超大国間の対立に巻き込まれるリスクは依然として存在する。冷戦期の西欧諸国がアメリカの核の傘を信頼しつつも米ソ対立への巻き込まれを懸念したのは、二極システムにおける同盟のジレンマの典型例である。