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Module 1-5 - Section 3: 選挙制度と政党システム

セクション情報

項目 内容
モジュール Module 1-5: 日本政治入門
前提セクション Section 1: 日本国憲法と統治機構
想定学習時間 3.5時間

導入

選挙制度は、有権者の投票を議席配分に変換する制度的装置であり、政党システムの形態を規定する最も重要な制度的変数の一つである。モーリス・デュヴェルジェ(Maurice Duverger)が示したように、選挙制度は政党の数や競争のあり方に対して機械的効果と心理的効果を通じて構造的な影響を及ぼす(→ Module 1-3「比較政治制度論」参照)。

日本の衆議院選挙制度は、1925年から1993年まで中選挙区制(単記非移譲式投票制)を採用し、1994年の政治改革四法により小選挙区比例代表並立制へと移行した。この制度変更は、55年体制の崩壊と連動しつつ、政党システムの根本的な再編をもたらした。本セクションでは、中選挙区制の制度的特徴とその帰結、1994年選挙制度改革の経緯と論理、55年体制の構造と崩壊、そして崩壊後の政党システムの変容を検討する。


中選挙区制の特徴と帰結

Key Concept: 中選挙区制 / SNTV(Single Non-Transferable Vote) 1選挙区から複数名(日本では3〜5名)を選出し、有権者は1票のみを投じる単記非移譲式投票制。落選候補への票や当選確定候補の余剰票は他候補に移譲されず、死票となる。

制度の仕組み

中選挙区制は1925年の普通選挙法により導入され、1947年の一時的な大選挙区制を除き、1993年の第40回衆議院議員総選挙まで全ての衆議院選挙で用いられた。各選挙区の定数は3〜5名(一部例外あり)で、有権者は1人の候補者にのみ投票し、得票数の多い順に定数分の候補者が当選する。

この制度の本質的な特徴は、過半数の議席を獲得しようとする大政党が1選挙区に複数の候補者を擁立せざるを得ない点にある。定数5の選挙区で過半数(3議席)を確保するには、同一政党から3名の候補者を立てる必要がある。しかし、有権者は1票しか持たないため、政党としての票を候補者間で均等に配分することは極めて困難である。

候補者間競争と個人後援会の発達

Key Concept: 個人後援会(Personal Support Organization / Koenkai) 中選挙区制下で発達した、政党組織とは独立した候補者個人の支援組織。選挙区内の有権者との人的ネットワークを基盤とし、冠婚葬祭への出席、地域行事の後援、利益誘導を通じて票を固定化した。

中選挙区制の下では、同一政党の候補者同士が同じ選挙区で票を奪い合う「党内競争」(intra-party competition)が不可避的に生じた。政策や政党ラベルでは同党候補との差別化が困難であるため、候補者は政党組織とは別個の個人後援会(後援会)を組織し、選挙区内で独自の支持基盤を構築する必要があった。

ジェラルド・カーティス(Gerald Curtis)やラムザイヤー(J. Mark Ramseyer)とローゼンブルース(Frances Rosenbluth)の研究が示すように、中選挙区制は以下の行動様式を候補者に強く促した。

  1. 個人後援会の組織化: 政党組織に依存せず、候補者個人の地盤(じばん)・看板(かんばん)・鞄(かばん)を基盤とする支持ネットワークの構築
  2. 利益誘導政治: 選挙区への公共事業・補助金の誘致を通じた地元利益の還元によって、同党他候補との差別化を図る
  3. 派閥への帰属: 政治資金やポスト(大臣・党役職)の配分を派閥領袖に依存することで、選挙資金と組織的支援を確保する

中選挙区制と政党システムへの影響

中選挙区制は、ジョヴァンニ・サルトーリ(Giovanni Sartori)の政党システム類型(→ Module 1-3参照)における「一党優位政党制」(predominant party system)の制度的基盤となった。その機序は以下の通りである。

第一に、中選挙区制は大政党に有利に作用した。定数3〜5の選挙区では、組織力と資金力を持つ大政党が複数候補を擁立して議席を確保できる一方、小政党は1〜2議席の獲得にとどまった。第二に、同一選挙区内での自民党候補者間の競争が、政策による差別化ではなく利益誘導に基づく差別化を促したため、自民党は多様な利益集団の要求を吸収する包括政党(catch-all party)としての性格を強めた。第三に、候補者の個人後援会への依存は、政党組織の弱体化と引き換えに、選挙区レベルでの強固な動員メカニズムを生み出した。

デュヴェルジェの法則は、小選挙区制が二大政党制を促進すると予測するが、中選挙区制(M>1、ただしMは選挙区定数)においてはM+1法則が適用され、定数+1の有力候補に収斂する傾向がみられた。しかし国政レベルでは、自民党が恒常的に過半数を占め、野党が分裂する「一と二分の一政党制」(one-and-a-half party system)とも称される独自の政党システムが形成された。


55年体制の構造と崩壊

Key Concept: 55年体制(1955 System) 1955年の保守合同(自由民主党結成)と社会党再統一を契機に成立した政治体制。自民党が衆議院の約3分の2、社会党が約3分の1の議席を占める「2対1」の構図を基本とし、自民党の長期単独政権と社会党の万年野党という非対称的な二大政党制が38年間にわたって持続した。

55年体制の成立

1955年10月、左派社会党と右派社会党が統一して日本社会党が再建された。これに危機感を抱いた保守陣営は、同年11月に自由党と日本民主党が合同して自由民主党(自民党)を結成した(保守合同)。この二つの動きにより、自民党対社会党という二大政党的な対抗構図が出現した。これを政治学者の升味準之輔(ますみ じゅんのすけ)が「1955年の政治体制」と名づけたことから「55年体制」の呼称が定着した。

55年体制は冷戦構造の国内的反映でもあった。自民党は日米安保体制の維持と資本主義経済体制の推進を基本路線とし、社会党は護憲・非武装中立・反安保を掲げた。この体制下では、憲法改正に必要な3分の2の議席を自民党が確保できない一方、社会党は政権獲得に必要な過半数に到達できないという「均衡」が成立していた。

自民党の一党優位制

Key Concept: 包括政党(Catch-all Party) 特定の階級やイデオロギーに限定されず、幅広い社会層の利益を吸収・代表する政党類型。オットー・キルヒハイマー(Otto Kirchheimer)が提唱。自民党は農村部から都市部、財界から農業団体まで多様な利益集団を内包する包括政党として機能した。

自民党が38年間にわたり単独政権を維持しえた要因は複合的である。

第一に、経済成長の恩恵の分配である。高度経済成長期(1955〜1973年)とその後の安定成長期を通じて、自民党は公共事業、農業補助金、規制による産業保護等の利益分配メカニズムを駆使し、農村部・地方・中小企業などの幅広い支持基盤を維持した。

第二に、派閥システムの機能である。

Key Concept: 派閥(Faction) 自民党内における議員の非公式な組織的集団。派閥領袖の下で、総裁選での票の取りまとめ、閣僚・党役職ポストの配分、政治資金の調達・分配を行う。1970年代には「三角大福中」(三木武夫・田中角栄・大平正芳・福田赳夫・中曽根康弘)と呼ばれる5大派閥が並立した。

自民党の派閥は疑似政党的な機能を果たした。総裁選における各派閥間の競争は、党内での擬似的な「政権交代」を可能にし、有権者に変化の感覚を与えた。また、閣僚ポストの派閥間配分(「入閣待機組」の順送り人事)は党内の不満を抑制し、党の一体性を維持する装置として機能した。

第三に、野党の分裂である。1960年に民社党が社会党から分裂し、1964年には公明党が結成された。1970年代以降は「多党化」が進行し、社会党の勢力は漸減した。この野党多党化は、中選挙区制の下で反自民票を分散させ、結果として自民党の議席率を実際の得票率以上に押し上げた。

第四に、社会党の万年野党体制である。社会党は護憲・反安保を基軸とするイデオロギー政党としての性格を維持し、現実的な政権獲得戦略を構築しなかった。村山富市が首相となるまで(1994年)、社会党は政権担当能力について有権者の信任を得ることができなかった。

55年体制の崩壊

1993年、自民党は衆議院で過半数を失い、非自民・非共産8党派連立の細川護煕(ほそかわ もりひろ)内閣が成立した。55年体制を崩壊に導いた要因は以下の通りである。

(1)冷戦の終結(1989〜1991年): 冷戦構造の消滅は、安保・護憲を軸とする自民党対社会党の対抗図式の意味を薄れさせ、保革対立に代わる新たな政治的争点(政治改革、規制緩和、国際貢献)の台頭を促した。

(2)政治スキャンダルの連鎖: 1988年のリクルート事件は自民党の金権政治体質を白日の下にさらし、政治改革への国民的要求を高めた。1992年の東京佐川急便事件(金丸信の巨額献金問題)は、自民党最大派閥(竹下派)を直撃し、党内の亀裂を決定的なものとした。

(3)小沢一郎の離党と新党結成: 1993年6月、宮澤内閣不信任決議案が自民党内の造反(羽田孜・小沢一郎グループ39名が賛成、16名が欠席)により可決された。小沢一郎らは自民党を離党して新生党を結成し、武村正義らは新党さきがけを結成した。同年7月の総選挙で自民党は過半数を割り、日本新党代表の細川護煕を首班とする8党派連立政権が成立した。小沢は著書『日本改造計画』(1993年)において、政権交代可能な二大政党制の実現を主張し、この構想が以後の政治改革の基本的な方向性を規定した。

(4)バブル経済の崩壊: 1991年以降の長期経済停滞は、経済成長の果実の分配を基盤とする自民党の利益誘導政治の有効性を低下させ、有権者の政治不信を増大させた。


1994年選挙制度改革

Key Concept: 小選挙区比例代表並立制(Mixed-Member Majoritarian System / MMM) 衆議院議員の選出において、小選挙区制と比例代表制を組み合わせた混合型選挙制度。有権者は小選挙区で候補者に1票、比例代表でブロック単位の政党に1票の計2票を投じる。小選挙区と比例代表は独立に議席配分される(並立制)ため、ドイツの連用制(mixed-member proportional)とは異なり、小選挙区の結果に比例代表が連動しない。

改革の政治的背景

中選挙区制の問題点は1970年代から指摘されていたが、改革が具体化したのは1980年代末以降である。リクルート事件(1988年)を契機として、中選挙区制が金権政治を構造的に生み出しているという認識が広がった。その論理は以下の通りである。中選挙区制では同一政党の候補者間で競争が生じるため、政党ラベルや政策では差別化が困難であり、候補者は個人後援会の維持と利益誘導に膨大な資金を必要とする。この構造的な資金需要が政治腐敗の温床となるという議論である。

1989年の参議院選挙で自民党が大敗した後、海部俊樹内閣の下で第8次選挙制度審議会が設置され、小選挙区比例代表並立制の導入が答申された(1990年)。しかし、自民党内の反対や野党の抵抗により実現には至らなかった。

政治改革四法の成立

55年体制崩壊後の細川内閣は、政治改革を最重要課題として掲げた。1994年1月に衆議院で政治改革関連法案が可決されたが、参議院で否決された。その後、細川首相と自民党の河野洋平総裁との間のトップ会談を経て修正案が合意され、1994年3月に政治改革四法が成立した。

政治改革四法は以下の4法律から構成される。

法律名 主な内容
公職選挙法の一部改正 衆議院の選挙制度を中選挙区制から小選挙区比例代表並立制に変更
衆議院議員選挙区画定審議会設置法 小選挙区の区割りを画定する第三者機関の設置
政治資金規正法の一部改正 企業・団体献金の規制強化、政治資金の透明化
政党助成法 国庫から政党に対して政党交付金を交付する制度の創設

改革の論理と期待

選挙制度改革の推進者たちが掲げた論理は、主に以下の2点であった。

(1)政権交代可能な政治体制の実現: 小選挙区制の導入により、デュヴェルジェの法則が作用して二大政党制が形成され、有権者による政権選択が可能となる。自民党の恒常的な一党支配を終わらせ、政権交代を通じた政策転換を可能にするというものである。

(2)政策本位の選挙の実現: 小選挙区制では各選挙区から1名のみが当選するため、同一政党の候補者間競争は消滅する。候補者は個人後援会や利益誘導ではなく、政党の政策で有権者に訴えるようになり、政党中心の選挙が実現するという期待であった。

改革がもたらした変化

Key Concept: 一票の格差(Malapportionment) 選挙区間で1票の価値(有権者数と議員定数の比率)に不均衡が生じている状態。最高裁判所は衆議院で格差が2倍を超える場合に「違憲状態」と判断する傾向を示している。中選挙区制時代には最大3倍超の格差が存在し、小選挙区制導入後も「0増5減」「0増6減」等の段階的な是正が行われてきた。

小選挙区比例代表並立制の導入は、選挙の競争構造を根本的に変えた。制度導入当初の議席配分は小選挙区300、比例代表200(11ブロック)であった(後に小選挙区289、比例代表176に変更)。

主な制度的帰結として、第一に、同一政党候補者間の競争が消滅し、候補者選定における政党本部(特に党首・幹事長)の権限が強化された。第二に、小選挙区での勝利を目指す二大政党化の圧力が作用し、政党再編が促進された。第三に、比例代表の「復活当選」制度(惜敗率による比例名簿順位の決定)は小選挙区との連動を生み、小政党の独自戦略を複雑化させた。第四に、政党交付金の導入は政党の公的財政基盤を整備したが、企業・団体献金が完全には廃止されなかった。


政党システムの変容

55年体制崩壊後の政党再編(1993〜2003年)

55年体制崩壊後の10年間は、目まぐるしい政党の離合集散が展開された。

timeline
    title 政党システムの変遷
    1955 : "保守合同 自民党結成"
         : "社会党再統一"
         : "55年体制の成立"
    1993 : "自民党分裂 新生党・新党さきがけ結成"
         : "細川連立内閣成立"
         : "55年体制の崩壊"
    1994 : "政治改革四法 成立"
         : "自社さ連立 村山内閣"
    1996 : "民主党結成"
         : "小選挙区比例代表並立制初の総選挙"
    1998 : "新民主党結成 野党再編"
    2003 : "民主党と自由党が合併"
         : "二大政党的競争の本格化"
    2009 : "民主党 政権交代"
         : "308議席獲得"
    2012 : "自民党 政権復帰"
         : "294議席獲得"
         : "第三極政党の乱立"

1993年の細川内閣崩壊後、自民党は社会党・新党さきがけとの連立で政権に復帰し(1994年、村山内閣)、自社対立を基軸とした55年体制の構図は完全に解体された。1996年には旧新進党・旧社会党・旧新党さきがけなどから民主党が結成され、小選挙区制下での二大政党的な競争の核が形成された。

1996年の第41回総選挙は新制度下で初めて実施された選挙であり、自民党は小選挙区で169議席、比例代表で70議席を獲得して第一党を維持したが、単独過半数には届かなかった。その後、民主党が2003年に小沢一郎率いる自由党を吸収合併し、二大政党間の競争がいっそう鮮明になった。

2009年政権交代

2009年8月の第45回総選挙において、民主党は308議席を獲得する歴史的な大勝を収め、鳩山由紀夫内閣が成立した。自民党は119議席にとどまり、1955年の結党以来初めて衆議院第二党に転落した。

この政権交代は、小選挙区制の導入が意図した「政権交代可能な政治体制」が現実に機能した初めての本格的事例であった。小選挙区制の特性である「勝者総取り」の傾向が、民主党への追い風を議席数の上で増幅したのである(民主党の小選挙区得票率は約47%であったが、議席率は約74%に達した)。

しかし、民主党政権は普天間基地移設問題の迷走、東日本大震災への対応、消費増税をめぐる党内分裂などにより支持率が急落し、3年3ヶ月で幕を閉じた。

自民党の復権と一党優位制の再出現

2012年12月の第46回総選挙で、自民党は294議席(小選挙区237、比例代表57)を獲得し、公明党との連立で政権に復帰した。安倍晋三が首相に就任し(第2次安倍内閣)、以後長期政権を築くこととなった。

注目すべきは、自民党の比例代表得票率が約28%にとどまったにもかかわらず、小選挙区で圧倒的議席を確保した点である。これは民主党の壊滅的敗北(230議席から57議席へ激減)と第三極政党(日本維新の会、みんなの党等)の乱立による反自民票の分散が、小選挙区制の下で自民党に大きな議席ボーナスをもたらした結果である。

この選挙結果は、小選挙区制が必ずしも安定的な二大政党制を生み出すとは限らず、野党が分裂している状況では一党優位制を再強化しうることを示した。デュヴェルジェの法則に関して、導入を推進した石破茂は後に「二大政党に収斂すると思ったのは間違いだった」と述べている。サルトーリの類型論でいえば、55年体制崩壊後の日本は「穏健な多党制」への移行が期待されたが、実態としては自民党一強に中小野党が乱立する「一党優位政党制」への回帰という様相を呈した。

制度と政党システムの相互作用

graph TD
    A["中選挙区制 SNTV"] -->|"同一政党内競争"| B["個人後援会の発達"]
    A -->|"複数議席"| C["野党の分立を許容"]
    B --> D["利益誘導政治"]
    B --> E["派閥の形成・強化"]
    C --> F["自民党一党優位制"]
    D --> F
    E --> F
    F --> G["55年体制 1955-1993"]
    G -->|"政治スキャンダル・冷戦終結"| H["55年体制崩壊"]
    H --> I["小選挙区比例代表並立制 導入 1994"]
    I -->|"二大政党化の圧力"| J["民主党の成長"]
    I -->|"政権交代"| K["2009年 民主党政権"]
    K -->|"野党再分裂"| L["自民党一党優位の再出現 2012-"]

日本の事例は、選挙制度が政党システムに及ぼす影響が一方向的・決定論的ではないことを示している。小選挙区制は二大政党化への圧力を生むが、それが実際に安定的な二大政党制として定着するかどうかは、政党組織の凝集力、有権者の投票行動、社会的亀裂(cleavage)の構造など、選挙制度以外の変数にも依存する。日本では、小選挙区制の導入にもかかわらず、野党の組織的脆弱性と分裂傾向が持続し、自民党の組織的優位が維持されている。


まとめ

  • 中選挙区制(SNTV)は、同一政党候補者間の競争を構造的に生み出し、個人後援会・利益誘導政治・派閥という自民党政治の三つの特徴を制度的に規定した
  • 55年体制は自民党の一党優位制と社会党の万年野党体制を基軸とする38年間の政治体制であり、冷戦構造・経済成長・中選挙区制の組み合わせによって支えられていた
  • 冷戦終結、政治スキャンダル、小沢一郎の離党を契機として55年体制は崩壊し、1994年の政治改革四法により小選挙区比例代表並立制が導入された
  • 選挙制度改革は政権交代可能な二大政党制の実現を企図したものであり、2009年の民主党政権樹立で一度は実現したが、その後は自民党一党優位の再出現という帰結を迎えた
  • 日本の事例は、選挙制度が政党システムに及ぼす影響が、社会構造や政党組織など他の変数との複合的作用によって規定されることを示している
  • 次のセクションでは、本セクションで検討した政党政治の制度的枠組みを前提として、日本の行政組織と官僚制の構造・機能を分析する

用語集(Glossary)

用語 英語表記 定義
中選挙区制 Medium-sized District System 1選挙区から3〜5名を選出する日本独自の呼称。制度的にはSNTV(単記非移譲式投票制)に分類される
SNTV Single Non-Transferable Vote 有権者が1票のみを投じ、得票順に定数分の当選者を決定する制度。票の移譲は行われない
55年体制 1955 System 1955年から1993年まで継続した、自民党一党優位と社会党の野党第一党体制を基軸とする政治構造
包括政党 Catch-all Party 特定の階級・イデオロギーに限定されず、幅広い社会層を取り込む政党類型
派閥 Faction 自民党内の議員集団。総裁選・ポスト配分・資金調達を通じて党内政治を構造化する
個人後援会 Koenkai / Personal Support Organization 候補者個人を中心とする選挙区内の支援組織。政党組織とは独立に機能する
小選挙区比例代表並立制 Mixed-Member Majoritarian System (MMM) 小選挙区制と比例代表制を独立に並立させた混合型選挙制度
政治改革四法 Four Political Reform Laws 1994年成立。選挙制度改革・政治資金規正強化・政党助成制度創設を柱とする4法律の総称
一票の格差 Malapportionment / Vote-value Disparity 選挙区間における投票価値の不均衡。最高裁は2倍超の格差に違憲状態判断を示す傾向がある
政党交付金 Public Party Subsidy 政党助成法に基づき国庫から政党に交付される資金。国民1人あたり250円を基準に算定
保守合同 Conservative Merger 1955年に自由党と日本民主党が合併して自由民主党を結成したこと
惜敗率 Narrow-defeat Ratio 小選挙区での落選候補の得票数を当選者の得票数で除した比率。比例代表の復活当選の順位決定に使用

確認問題

Q1: 中選挙区制(SNTV)の下で、自民党の候補者が個人後援会を組織し、利益誘導政治に傾斜した制度的メカニズムを説明せよ。

A1: 中選挙区制では1選挙区から3〜5名が当選するため、過半数の議席を目指す自民党は同一選挙区に複数の候補者を擁立する必要があった。同党候補者間では政党ラベルや政策による差別化が困難であるため、各候補は政党組織とは独立した個人後援会を組織し、選挙区内の人的ネットワークを通じて固定票を確保した。この際、他候補との地理的・利益集団的な棲み分けを行うために、公共事業や補助金の選挙区への誘致(利益誘導)が有効な差別化手段となった。また、後援会維持と利益誘導には多額の資金が必要であり、派閥領袖を通じた資金調達への依存が派閥政治を強化した。

Q2: 1994年の選挙制度改革が「政権交代可能な政治体制」と「政策本位の選挙」の実現を期待した論理を、デュヴェルジェの法則と関連づけて説明せよ。

A2: 改革推進者は、小選挙区制の導入によりデュヴェルジェの法則の機械的効果(小選挙区の勝者総取りにより大政党が有利)と心理的効果(当選見込みのない候補への投票回避)が作用し、政党数が二大政党に収斂すると期待した。二大政党制が形成されれば、有権者は二つの政策パッケージから選択でき、政権交代を通じた政策転換が可能になる。また、各選挙区で1名のみ当選する小選挙区制では同一政党の候補者間競争がなくなるため、候補者は個人後援会や利益誘導ではなく政党の政策を掲げて選挙戦を展開するようになり、政策本位の選挙が実現するという論理であった。

Q3: 55年体制を38年間にわたり存続させた構造的要因を3つ以上挙げ、それぞれの機能を説明せよ。

A3: 第一に、高度経済成長とその果実の分配メカニズムである。自民党は公共事業・農業補助金・規制による産業保護を通じて幅広い社会層に利益を還元し、包括政党としての支持基盤を維持した。第二に、派閥システムによる党内擬似的政権交代である。総裁選における派閥間競争が党内の人事刷新を定期的にもたらし、有権者に変化の印象を与えつつ政権を維持した。第三に、中選挙区制の制度的効果である。複数定数の選挙区は組織力のある自民党の複数候補擁立を有利にし、反自民票を野党間で分散させた。第四に、冷戦構造の国内的反映として安保・護憲対立が固定化し、社会党が現実的な政権獲得戦略を構築しなかったことにより、実質的な政権交代の可能性が著しく低く抑えられた。

Q4: 2012年総選挙の結果は、小選挙区制が必ずしも安定的な二大政党制をもたらさないことを示した。この命題を具体的な選挙データに基づいて論じよ。

A4: 2012年総選挙では、自民党の比例代表得票率は約28%にとどまったが、小選挙区で237議席(全289の約82%)を獲得して圧勝した。これは民主党が230議席から57議席へ壊滅的に後退すると同時に、日本維新の会・みんなの党などの第三極政党が乱立して反自民票が分散したためである。小選挙区制の勝者総取り特性は、野党が一本化されれば二大政党間の競争を促進するが、野党が分裂している状況では第一党に過大な議席ボーナスを与え、一党優位制を再強化する。デュヴェルジェの法則は個々の選挙区レベルでは成立しうるが、国政レベルでの二大政党制の成立は、全国的に均質な政党組織の存在を前提としており、日本では野党側にその条件が欠けていた。

Q5: 中選挙区制と小選挙区比例代表並立制を、以下の観点から比較せよ。(a)政党内競争の有無、(b)小政党の生存可能性、(c)死票の発生。

A5: (a)中選挙区制では同一政党から複数候補が出馬するため激しい党内競争が生じたが、小選挙区制では各党1候補であるため党内競争は消滅し、公認権を握る党本部の権限が強化された。(b)中選挙区制では定数3〜5の選挙区で小政党も1議席を確保しうるため、多党化に親和的であった。小選挙区比例代表並立制では、小選挙区部分で小政党は不利であるが、比例代表部分で議席を獲得する余地があり、完全小選挙区制よりは小政党の生存可能性が高い。(c)中選挙区制は落選候補への票と当選候補の余剰票が全て死票となり、全体の死票率は相対的に高かった。小選挙区制では落選候補への票が全て死票となるため、接戦でない選挙区では死票率が極めて高くなる。比例代表部分がこれをある程度補完するが、並立制では小選挙区の死票が比例配分に反映されないため、完全な比例性は実現されない。