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Module 2-1 - Section 4: グローバル・ジャスティス

セクション情報

項目 内容
モジュール Module 2-1: 政治哲学・政治思想の展開
前提セクション Section 2, Section 3
想定学習時間 3時間

導入

Section 1からSection 3までの議論は、基本的に一国内の正義を対象としていた。ロールズの正義論は国民国家の「基本構造」を正義の第一の主題とし、リバタリアニズム・コミュニタリアニズム・フェミニズム・多文化主義も国内の制度的枠組みにおける権利・承認・分配を論じてきた。しかし、グローバル化の進展により、正義の射程を国境の内部に限定してよいのかという根本的問いが浮上する。

本セクションでは、この問いをめぐる主要な立場——コスモポリタニズムとナショナリズム/国家主義——の対立を軸に、Charles Beitz(チャールズ・ベイツ)の国際的格差原理の構想、Thomas Pogge(トマス・ポッゲ)の制度的コスモポリタニズムと消極的義務論、ロールズ『万民の法』における国際正義の構想、David Miller(デイヴィッド・ミラー)の国民的責任論、そして人権の哲学的基礎づけをめぐる論争を検討する。Section 3で触れたNancy Fraser(ナンシー・フレイザー)の「フレーミングの不正義」——正義の主体の範囲そのものが争われるという問題提起——は、グローバル・ジャスティスの議論の出発点の一つでもある(→ Module 2-1, Section 3「熟議民主主義・フェミニズム・多文化主義」参照)。


グローバル・ジャスティスの問題設定

Key Concept: グローバル・ジャスティス(global justice) 正義の原理を国家の枠組みを超えて地球規模で適用すべきか、適用するとすればいかなる原理が妥当かを問う政治哲学の領域。国際的な貧困・不平等、人権、制度設計、環境問題などを対象とする。

グローバル・ジャスティスの中心的な問いは、「正義の射程は国境を超えるか」である。世界銀行の基準では、1日2.15ドル未満で生活する人々が2024年時点で約7億人存在し、世界の所得上位1%が全体の所得の約20%を占めるなど、国際的不平等は極めて深刻である。この状況に対して、正義の理論はどのように応答すべきか。

ロールズの『正義論』(1971)は、正義の原理が適用される対象を「社会の基本構造」——すなわち一国内の主要な政治的・経済的制度——に限定していた。この前提に対して、二つの方向から異議が提起される。第一に、コスモポリタンの立場は、グローバルな経済的相互依存の深化により、もはや国家単位の自足的な協働体系という前提は成立しないと主張する。第二に、ナショナリストの立場は、正義の要求が成立するためには共有されたナショナル・アイデンティティや政治的紐帯が必要であり、国境を超えた平等主義的正義は過剰な要求だと論じる。

Key Concept: グローバルな基本構造(global basic structure) ロールズが国内の「基本構造」(社会の主要な制度的枠組み)を正義の第一の主題としたのに対して、WTO・IMF・世界銀行などの国際経済制度、国際法体系、貿易・投資の規則群などからなるグローバルな制度的枠組みを指す概念。コスモポリタンはこれが国内の基本構造に類する正義の主題であると主張する。


コスモポリタニズム——Beitzの国際的格差原理

Beitzの議論の構造

Charles Beitz(チャールズ・ベイツ)は『政治理論と国際関係』(Political Theory and International Relations, 1979)において、ロールズの正義論を国際的に拡張する最初の体系的な試みを行った。Beitzの議論は二段階で構成される。

第一段階は「資源再分配原理」(resource redistribution principle)である。天然資源の地理的分布は道徳的に恣意的であり、個人の努力や功績と無関係である。したがって、各人は利用可能な総資源に対する平等な一応の権利(equal prima facie claim)を有するとBeitzは論じる。

第二段階はより重要であり、グローバルな格差原理(global difference principle)の提唱である。Beitzは、ロールズの議論が前提とする国家間の経済的自足性はもはや成立しないと指摘する。国際貿易・投資の拡大により、グローバルな社会的協働の体系(global scheme of social cooperation)が現に存在している。この事実を前提とすれば、ロールズの議論の論理をそのまま適用して、原初状態をグローバルに拡張すべきである。すなわち、無知のヴェールの背後に置かれた当事者たちは自分がどの国の市民であるかを知らないとすれば、国内の場合と同様に格差原理——社会的・経済的不平等は最も不利な立場にある人々の利益を最大化する場合にのみ許容される——を選択するはずである。

Key Concept: コスモポリタニズム(cosmopolitanism) すべての個人を道徳的関心の究極的な単位(ultimate unit of moral concern)とみなし、正義の原理は人類全体に等しく適用されるべきだとする立場。国籍・民族・文化的帰属は正義の原理の適用範囲を限定する道徳的根拠とはならないと主張する。

Beitzの議論の意義と批判

Beitzの議論の核心は、ロールズ自身の方法論的前提——道徳的に恣意的な要因によって人々の人生の見通しが決定されるべきではない——をグローバルに一貫して適用すれば、国内に限定された正義論は維持できないという点にある。出生国という要因は、人種や性別と同様に道徳的に恣意的であり、これが人生の見通しを決定的に左右する現状は正義に反するとBeitzは論じた。

この議論に対しては、グローバルな社会的協働の体系が国内のそれと同程度に緊密であるかという事実認定上の疑問、および格差原理が要求する程度の国際的再分配の実行可能性に関する疑問が提起されている。


Poggeの制度的コスモポリタニズム

消極的義務としてのグローバルな正義

Thomas Pogge(トマス・ポッゲ)は、コスモポリタニズムの論証を根本的に異なる方向から構築する。Poggeの独創性は、グローバルな貧困の根絶を積極的義務(positive duty)——困窮者を援助する義務——ではなく、消極的義務(negative duty)——他者に不当な害を与えない義務——の問題として定式化した点にある。

Key Concept: 消極的義務(negative duty) 他者に害を与えないこと、他者の権利を侵害しないことを求める義務。積極的義務(困窮者を助ける義務)よりも道徳的に強い要求とされる。Poggeは、先進国の市民がグローバルな貧困に対して負う義務をこの消極的義務として位置づけ、援助の義務よりも強い根拠を提示した。

Poggeの議論は以下の構造をとる。第一に、現行のグローバルな制度的秩序——国際貿易規則、知的財産権制度、金融規制、資源・借入特権(international resource privilege, international borrowing privilege)——は、先進国に有利なように設計されており、途上国の人々の人権を組織的に侵害している。第二に、先進国の市民は自国の政府を通じてこの不正な制度秩序の形成・維持に加担しており、その恩恵を受けている。第三に、したがって先進国の市民は、この制度秩序が引き起こす害に対する消極的義務——不正な制度を改革し、害を除去する義務——を負う。

Key Concept: 制度的コスモポリタニズム(institutional cosmopolitanism) Poggeが提唱した立場。個人の行為ではなく制度的構造に焦点を合わせ、グローバルな制度秩序が人権の実現を妨げている場合、その制度の設計・維持に関与する者には改革の義務があるとする。コスモポリタニズムを制度設計の問題として具体化した点に特徴がある。

構造的不正義の具体例

Poggeが指摘する構造的不正義の典型例として、「国際資源特権」がある。これは、ある国の政府がいかに非民主的・抑圧的であっても、その国の天然資源を国際市場で売却する権限が国際的に承認されるという慣行である。同様に「国際借入特権」は、非民主的政権が国民の名において国際的に借入を行い、政権交代後も国民がその債務を負い続ける仕組みを指す。これらの制度は、途上国における権威主義体制の存続を助長し、資源の呪い(resource curse)を悪化させるとPoggeは論じる。

WTOの貿易規則も、先進国が農業補助金を維持しつつ途上国に市場開放を要求するという非対称的な構造を持つ。TRIPS協定(知的所有権の貿易関連の側面に関する協定)による厳格な特許保護は、途上国における必須医薬品へのアクセスを制約する。Poggeはこれらを、先進国が途上国に対して「課している」(imposing)制度的秩序の一部として分析する。

Poggeへの批判

Poggeの議論に対する主要な批判は、彼の論証が本当に消極的義務の範囲内に収まるかという点に向けられる。制度の改革義務は、厳密には「害を与えない」義務ではなく、「害を除去するために積極的に行動する」義務ではないか。また、グローバルな貧困の原因を専ら国際制度に帰する点は、国内の統治の失敗(腐敗、政策の誤り)の役割を過小評価しているとの批判もある。


ナショナリズムの擁護——Millerの国民的責任論

Millerの議論の枠組み

David Miller(デイヴィッド・ミラー)は『ナショナリティについて』(On Nationality, 1995)および『国民的責任とグローバルな正義』(National Responsibility and Global Justice, 2007)において、コスモポリタニズムに対するナショナリストの立場からの体系的な応答を展開した。

Key Concept: 国民的責任(national responsibility) Millerの理論の中核概念。各国民(nation)は自らの政治的決定とその帰結に対して集合的責任を負うとする原理。国際的不平等の一部は各国の選択の帰結であり、その責任を他国に転嫁すべきではないという主張に連なる。

Millerの議論は二つの広く共有される直観の緊張関係から出発する。第一の直観は、現存するグローバルな不平等は根本的に不正であるというものである。第二の直観は、国民が自らの選択の帰結に責任を負うことを認めれば、ある程度の不平等は不可避かつ正当であるというものである。Millerはこの二つの直観を調停する理論を構築しようとする。

平等原理と充足原理

Millerは、同胞(co-nationals)に対する義務と非同胞に対する義務を区別する。同胞に対しては、共有されたナショナル・アイデンティティと政治的制度を基盤として、平等原理(principle of equality)が適用される。すなわち、社会的財の分配において平等な取り扱いが要求される。

一方、非同胞に対しては、平等原理ではなく充足原理(principle of sufficiency)が適用される。すなわち、すべての人間が基本的人権を享受できる十分な水準(sufficient level)に達することが要求されるが、それ以上の平等化は要求されない。Millerはこの区別を、コスモポリタニズムが国籍の道徳的意義を無視していると批判する根拠とする。

Millerの国際正義の二要素

Millerの理論において、グローバルな正義は二つの要素から構成される。第一に、基本的人権の世界的な保護。第二に、独立した政治的共同体間の公正な相互作用の条件の確立。この枠組みは、コスモポリタン的なグローバルな平等主義を退けつつ、極端な不介入主義をも排する中間的立場を志向する。

graph TD
    A["正義の射程をめぐる対立"]
    A --> B["コスモポリタニズム"]
    A --> C["ナショナリズム/国家主義"]
    B --> D["Beitz: グローバルな格差原理"]
    B --> E["Pogge: 制度的コスモポリタニズム<br/>消極的義務論"]
    C --> F["Miller: 国民的責任論<br/>平等原理 vs 充足原理"]
    C --> G["Rawls: 万民の法<br/>体面ある諸人民への寛容"]
    D --> H["国際的再分配の<br/>平等主義的要求"]
    E --> H
    F --> I["基本的人権の保護<br/>+ 公正な相互作用"]
    G --> I

ロールズ『万民の法』

国内正義論からの展開

John Rawls(ジョン・ロールズ)は『万民の法』(The Law of Peoples, 1999)において、自らの正義論を国際的領域に拡張する試みを提示した。しかし、その結論はBeitzやPoggeのようなコスモポリタンが期待したものとは大きく異なっていた。

Key Concept: 万民の法(the law of peoples) ロールズが提唱した国際正義の政治的構想。「諸人民」(peoples)を国際社会の基本的単位とし、リベラルな諸人民と体面ある諸人民の間で合意されうる国際的な正義の原理を定式化した。国際的な格差原理は採用されず、人権の保護と諸人民間の相互尊重を基軸とする。

ロールズの議論の出発点は、国際的な原初状態の当事者を個人ではなく「諸人民」(peoples)——合理的かつ理にかなった政治的構成体——とする点にある。この選択自体がコスモポリタンとの根本的な相違を示す。ロールズにとって、国際正義の基本単位は個人ではなく、組織化された政治的共同体である。

「体面ある諸人民」と寛容の原理

ロールズは、秩序ある諸人民(well-ordered peoples)をリベラルな諸人民と「体面ある諸人民」(decent peoples)の二種類に区分する。

Key Concept: 体面ある諸人民(decent peoples) ロールズの『万民の法』における分類。リベラルな民主主義体制ではないが、(1)侵略的でなく、(2)基本的人権を尊重し、(3)法体系が共通善に基づく正義の構想を反映し、(4)市民に意味のある政治参加の機会を提供する政治体制を有する諸人民。リベラルな諸人民はこれを寛容すべきだとロールズは論じる。

体面ある諸人民の概念は、リベラリズムの寛容(toleration)の理念に根ざしている。リベラルな社会が国内的に多様な包括的教説を寛容すべきであるのと同様に、国際社会においてもリベラルでない秩序ある体制を一定の条件のもとで寛容すべきだとロールズは論じる。リベラルな諸人民が体面ある諸人民に自国のリベラルな制度の採用を要求することは、リベラリズムの本質に反する不寛容な態度である。

国際的格差原理の拒否

ロールズが『万民の法』において最も論争的であったのは、国際的な格差原理を明確に拒否した点である。その理由は以下の通りである。

第一に、国際的な原初状態の当事者は諸人民の代表であり、個人ではない。諸人民の代表が選択する原理は、諸人民間の平等な尊重と自律に関わるものであり、個人間の分配的正義の原理ではない。

第二に、ロールズは国際的な不平等の原因を主として国内の「政治文化」——制度、政策選択、公共的徳——に帰する。一国の富は天然資源の多寡よりも、その政治文化と社会制度の質に依存するとロールズは論じる。したがって、体面ある諸人民の自律的な選択の帰結として生じた不平等を国際的再分配によって是正することは、諸人民の自決権を侵害する。

第三に、ロールズは「援助の義務」(duty of assistance)を認めるが、これは「負担のかかる状況にある社会」(burdened societies)が秩序ある諸人民となるための支援に限定され、国際的平等を目標とするものではない。この義務には「切断点」(cut-off point)があり、対象社会が秩序ある諸人民の水準に達すれば義務は消滅する。

graph LR
    A["ロールズ『正義論』<br/>国内正義"] --> B["基本構造を<br/>正義の主題とする"]
    B --> C["格差原理<br/>(国内適用)"]
    A --> D["ロールズ『万民の法』<br/>国際正義"]
    D --> E["諸人民を<br/>基本単位とする"]
    E --> F["体面ある諸人民<br/>への寛容"]
    E --> G["国際的格差原理の拒否"]
    E --> H["援助の義務<br/>(切断点あり)"]
    C -.->|"Beitz・Pogge:<br/>グローバルに拡張すべき"| I["グローバルな格差原理"]
    G -.->|"対立"| I

コスモポリタンからの批判

ロールズの『万民の法』に対しては、BeitzとPoggeの双方から厳しい批判が寄せられた。Poggeは、ロールズが国際的不平等の原因を国内の政治文化に帰するのは、グローバルな制度的秩序が途上国の政治文化そのものを歪めている事実を無視していると批判する。先進国が支持する国際資源特権は途上国の権威主義を助長し、不正な貿易規則は途上国の経済発展を阻害する。Beitzは、ロールズ自身が国内正義論で用いた「道徳的恣意性」の論理が、出生国の恣意性にも適用されるべきだと主張し、ロールズの国際正義論は方法論的に一貫していないと批判した。


人権のグローバルな基盤

人権の二つの構想

グローバル・ジャスティスの議論において、人権は中心的な役割を果たす。ロールズの『万民の法』もMillerの理論も、人権の世界的保護を国際正義の基本的要素として承認している。しかし、人権をいかに基礎づけるかについては根本的な対立がある。

自然権的構想(naturalistic conception)は、人権を人間性(humanity)そのものに由来する権利として理解する。人権は、既存の法的・社会的構造とは独立に、すべての人間が人間であるがゆえに有する権利である。この構想は伝統的な自然法・自然権の系譜に属する。

政治的構想(political conception)は、ロールズの『万民の法』に端を発し、Beitz自身やJoseph Raz(ジョセフ・ラズ)によって展開された。この構想は、人権の本質を現代の国際政治実践におけるその機能——国家主権の限界を画定し、国際的介入の正当化根拠を提供する——に即して理解する。Beitzは、自然権的構想は「国際人権実践を照らすのではなく歪めてしまう」と批判し、人権を実際の国際政治的実践から切り離して基礎づけようとする試みは生産的でないと論じた。

Key Concept: 人権の政治的構想(political conception of human rights) 人権の意義を、人間の本性や自然権ではなく、現代の国際政治実践におけるその役割・機能から理解する立場。人権は国家主権の限界を画定し、国際社会による介入の正当化根拠を提供する実践的規範として把握される。ロールズ、Beitz、Razらが擁護する。

能力アプローチとの接続

Amartya Sen(アマルティア・セン)の能力アプローチ(capability approach)とMartha Nussbaum(マーサ・ヌスバウム)の人権論は、人権のグローバルな基盤に関する議論に独自の貢献をなしている。Senは、人間の福利(well-being)を「機能」(functionings)——人が実際に達成しうる「あり方」と「行い」——と「潜在能力」(capabilities)——人が選択しうる機能の集合——によって評価すべきだと主張する。Nussbaumはこれを発展させ、人間の尊厳に不可欠な10の中心的潜在能力のリストを提示し、すべての国家がその市民に対してこれらの潜在能力の閾値を保障すべきだと論じた。このアプローチは、コスモポリタニズムとナショナリズムの対立を横断し、何が保障されるべきかの内容面に焦点を合わせる点で独自の位置を占める。


応用問題——気候正義

グローバル・ジャスティスの理論的対立は、気候変動問題において具体的な政策論争として顕在化する。気候正義(climate justice)は、気候変動の原因への寄与と被害の分布が著しく不均等であるという事実を出発点とする。

Key Concept: 気候正義(climate justice) 気候変動の原因・帰結・対策費用の配分が公正になされるべきだという要求。先進国が歴史的に大量の温室効果ガスを排出してきた一方、途上国がその被害を不均衡に受けているという非対称性が中核的な問題である。

コスモポリタンの立場からは、気候変動はグローバルな構造的不正義の典型例として分析される。Poggeの枠組みで言えば、先進国が恩恵を受けてきた化石燃料依存のグローバルな経済制度は、途上国に不均衡な害をもたらしており、先進国の市民はこの制度を改革する消極的義務を負う。国連気候変動枠組条約(UNFCCC)が採用する「共通だが差異ある責任」(common but differentiated responsibilities)の原則は、こうしたコスモポリタン的発想を部分的に反映している。

一方、Millerの国民的責任論の観点からは、各国の排出量はその国の政策選択の帰結であり、過去の排出に対する責任の帰属は慎重に検討すべきだとされる。ただし、Miller自身も基本的人権の保護が国際的義務であることは認めており、気候変動が途上国の人々の基本的人権を脅かす限りにおいて、先進国には対応義務があることは否定しない。


まとめ

  • グローバル・ジャスティスの中心的問いは「正義の射程は国境を超えるか」であり、コスモポリタニズムとナショナリズム/国家主義の対立として展開される
  • Beitzは、グローバルな社会的協働の存在を根拠にロールズの格差原理を国際的に拡張し、グローバルな格差原理を提唱した
  • Poggeは、グローバルな貧困の根絶を消極的義務の問題として定式化し、先進国が不正なグローバル制度秩序の改革義務を負うと論じた(制度的コスモポリタニズム)
  • Millerは、同胞に対する平等原理と非同胞に対する充足原理を区別し、コスモポリタン的なグローバル平等主義を退けつつ基本的人権の世界的保護を求めた
  • ロールズ『万民の法』は、諸人民を基本単位とし、体面ある諸人民への寛容の原理に基づき、国際的格差原理を拒否した。援助の義務は認めるが切断点を設ける
  • 人権の基礎づけについては、自然権的構想と政治的構想の対立があり、Senの能力アプローチが第三の道を提示する
  • 気候正義は、グローバル・ジャスティスの理論的対立が具体化する主要な応用問題である
  • 本セクションの議論は、Module 2-1全体の総括として、正義の原理がいかなる範囲の人々に適用されるべきかという根本問題が、ロールズ以後の政治哲学において未だ係争中であることを示している

用語集(Glossary)

用語 英語表記 定義
グローバル・ジャスティス global justice 正義の原理を国境を超えて地球規模で適用すべきかを問う政治哲学の領域
コスモポリタニズム cosmopolitanism すべての個人を道徳的関心の究極的単位とし、正義の原理は人類全体に等しく適用されるべきだとする立場
制度的コスモポリタニズム institutional cosmopolitanism Poggeが提唱した、グローバルな制度秩序に焦点を合わせ、制度が人権を侵害する場合に改革義務が生じるとするコスモポリタニズムの一形態
消極的義務 negative duty 他者に害を与えないこと・権利を侵害しないことを求める義務。積極的義務より道徳的拘束力が強いとされる
グローバルな基本構造 global basic structure WTO・IMF等の国際経済制度、国際法体系などからなるグローバルな制度的枠組み
万民の法 the law of peoples ロールズが提唱した国際正義の政治的構想。諸人民を基本単位とし、人権保護と相互尊重を基軸とする
体面ある諸人民 decent peoples リベラルではないが、非侵略的で人権を尊重し、共通善に基づく法体系を有する秩序ある政治体制
国民的責任 national responsibility 各国民が自らの政治的決定の帰結に対して負う集合的責任(Miller)
充足原理 principle of sufficiency 基本的人権の享受に十分な水準への到達を要求する原理。平等原理とは区別される
資源再分配原理 resource redistribution principle 天然資源の地理的分布の道徳的恣意性を根拠に、資源への平等な一応の権利を主張するBeitzの原理
人権の政治的構想 political conception of human rights 人権を国際政治実践における機能から理解する立場。ロールズ、Beitz、Razらが擁護
気候正義 climate justice 気候変動の原因・帰結・対策費用の公正な配分を求める要求
能力アプローチ capability approach 人間の福利を「機能」と「潜在能力」から評価するSen・Nussbaumの枠組み
援助の義務 duty of assistance ロールズの『万民の法』における、負担のかかる社会が秩序ある諸人民となるための支援義務。切断点あり

確認問題

Q1: Beitzが「グローバルな格差原理」を正当化するために、ロールズの国内正義論のいかなる前提を批判したか説明せよ。

A1: Beitzは、ロールズの正義論が前提とする国家間の経済的自足性(各国が閉鎖的な協働体系であるという仮定)がもはや成立しないと批判した。国際貿易・投資の拡大によりグローバルな社会的協働の体系が現に存在しており、この事実を前提とすれば、原初状態をグローバルに拡張して無知のヴェールの背後に置かれた当事者が自分の出生国を知らないとすべきであり、その場合には国内の場合と同様に格差原理が選択されるはずだと論じた。

Q2: Poggeの消極的義務論は、従来の援助義務論(積極的義務としてのグローバルな貧困根絶)とどのように異なるか。その論理構造と、それに対する批判を述べよ。

A2: 従来の議論がグローバルな貧困根絶を困窮者を助ける積極的義務(慈善・援助の義務)として構成したのに対し、Poggeは先進国の市民が不正なグローバル制度秩序の形成・維持に加担し恩恵を受けているという事実に基づき、害を与えない消極的義務——不正な制度を改革する義務——として定式化した。消極的義務は積極的義務より道徳的拘束力が強いとされるため、これにより援助よりも強い義務の根拠を提示できる。批判としては、制度改革の義務は「害を与えない」義務ではなく「害を除去するために積極的に行動する」義務ではないかという点、およびグローバルな貧困の原因を国際制度に一元化し国内統治の失敗を過小評価しているという点がある。

Q3: ロールズが『万民の法』で国際的格差原理を拒否した理由を三点挙げて説明せよ。

A3: 第一に、国際的な原初状態の当事者は個人ではなく諸人民の代表であり、彼らが選択する原理は諸人民間の平等な尊重と自律に関わるものであって個人間の分配的正義の原理ではない。第二に、国際的不平等の原因は主として各国の政治文化と社会制度の質にあり、天然資源の多寡ではない。したがって、体面ある諸人民の自律的選択の帰結を国際的再分配で是正することは諸人民の自決権を侵害する。第三に、援助の義務は認めるが、それは「負担のかかる状況にある社会」が秩序ある諸人民となるための支援に限定され、切断点を有する。国際的な平等それ自体は目標とされない。

Q4: Millerの国民的責任論において、同胞に対する義務と非同胞に対する義務はどのように区別されるか。また、この区別に対してコスモポリタンの立場からいかなる批判が可能か。

A4: Millerは、共有されたナショナル・アイデンティティと政治的制度を基盤として、同胞に対しては平等原理(社会的財の分配における平等な取り扱い)を、非同胞に対しては充足原理(基本的人権の享受に十分な水準への到達)を適用すべきだと区別する。コスモポリタンの立場からは、出生国・国籍は人種・性別と同様に道徳的に恣意的な要因であり、これを根拠に義務の性質を変えることは正当化されないと批判できる。また、グローバルな制度的相互依存の中で国内と国際の境界を明確に引くことは困難であるとの指摘も可能である。

Q5: 気候正義の問題に対して、Poggeの制度的コスモポリタニズムとMillerの国民的責任論はそれぞれどのような処方箋を提示しうるか比較せよ。

A5: Poggeの制度的コスモポリタニズムの観点からは、化石燃料依存のグローバル経済制度は先進国に恩恵をもたらしつつ途上国に不均衡な害(気候変動被害)を課しており、先進国の市民はこの不正な制度を改革する消極的義務を負う。したがって、制度的改革——排出規制の国際的枠組み、途上国への技術移転・資金供与——が要求される。一方、Millerの国民的責任論の観点からは、各国の排出量はその国の政策選択の帰結であり、責任の帰属は国民的責任の原理に基づいて検討される。ただし、気候変動が途上国の基本的人権を脅かす限りにおいて、充足原理に基づく対応義務は認められる。Poggeがより強い義務(構造的不正義の改革)を求めるのに対し、Millerは基本的人権の保護に限定されたより限定的な義務を提示する。