Module 2-2 - Section 5: 福祉国家と先進民主主義国の比較¶
セクション情報¶
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| モジュール | Module 2-2: 比較政治学の展開 |
| 前提セクション | なし |
| 想定学習時間 | 3時間 |
導入¶
先進民主主義国は、自由選挙と法の支配という共通の政治的枠組みを持ちながら、市場経済と社会的保護の関係——すなわち資本主義と民主主義の緊張をいかに制度的に調停するか——について著しく異なる解を採用してきた。Module 1-3 で比較政治学の基本的な方法論と制度比較の枠組みを概観し(→ Module 1-3, Section 1「比較政治学の方法論」参照)、本モジュールの Section 1-2 では民主主義の制度設計を検討した。本セクションでは、先進民主主義国間の差異を理解するための主要な分析枠組みとして、(1) イェスタ・エスピン=アンデルセン(Gosta Esping-Andersen)の福祉レジーム論、(2) ロナルド・イングルハート(Ronald Inglehart)の脱物質主義論と政党システムの変容、(3) カス・ミュデ(Cas Mudde)のポピュリズム論、(4) コーポラティズムとプルーラリズムの利益媒介モデル、(5) ヨーロッパ統合の政治学を取り上げる。これらの分析枠組みは、先進国間の制度的多様性がなぜ生じ、いかに持続・変容するかを理解するための不可欠な道具立てである。
福祉国家の比較類型——エスピン=アンデルセンの福祉レジーム論¶
福祉国家研究の系譜¶
福祉国家(welfare state)の比較研究は、第二次世界大戦後の社会支出の拡大を背景に発展した。初期の研究は社会支出の対GDP比を主たる指標とし、福祉国家の「大きさ」の差異を産業化の水準や経済成長率で説明しようとした(収斂仮説)。しかし、同程度の経済発展水準にある諸国間でも福祉国家の構造は著しく異なる。1980年代に入ると、この構造的差異を体系的に説明する試みが登場した。
Key Concept: 福祉レジーム(welfare regime) 福祉の提供が国家・市場・家族の三者間でいかに配分されるかの制度的パターン。エスピン=アンデルセンが提唱した概念で、社会支出の量ではなく、福祉提供の質的な制度配置に着目する。同程度の社会支出を持つ国でも、福祉レジームは根本的に異なりうる。
エスピン=アンデルセンの三類型¶
エスピン=アンデルセンは『福祉資本主義の三つの世界(The Three Worlds of Welfare Capitalism)』(1990)において、OECD18か国の社会保障制度を体系的に比較し、福祉国家を三つの類型(レジーム)に分類した。分類の軸となるのが「脱商品化」の概念である。
Key Concept: 脱商品化(de-commodification) 個人が市場(労働市場)への参加なしに、社会的に許容可能な水準の生活を維持しうる程度。年金・失業給付・疾病給付などの社会保障制度が、労働者を労働力商品としての市場依存から解放する度合いを測定する指標。エスピン=アンデルセンの福祉レジーム類型論における中心的な分析概念である。
資本主義経済において、労働者は自己の労働力を商品として市場で売却し、対価として賃金を得ることで生計を維持する。疾病、老齢、失業などにより労働力を市場で売却できなくなった場合、社会保障制度がその代替的な所得保障を提供する程度が脱商品化の水準を示す。
三類型の特徴は以下のとおりである。
1. 自由主義型レジーム(liberal regime)
アメリカ、カナダ、オーストラリア、イギリスに典型的に見られる。このレジームは市場メカニズムを最大限に尊重し、国家による福祉提供を最小限に抑制する。社会保障給付は資力調査(ミーンズテスト)を伴い、給付水準は低く設定される。民間保険や企業内福祉が大きな役割を果たす。脱商品化の水準は最も低い。結果として、社会は市場所得に応じた二重構造——民間保険で保護される中・上層と、スティグマを伴う残余的な公的扶助に依存する貧困層——に分化する傾向がある。
2. 保守主義型レジーム(conservative/corporatist regime)
ドイツ、フランス、オーストリア、イタリアなど大陸ヨーロッパ諸国に典型的に見られる。社会保険が福祉提供の中心であり、職域別に分立した制度が存在する。給付は従前の所得水準に比例し(所得比例原則)、脱商品化の水準は中程度である。このレジームの特徴は、既存の地位・階層の差異を福祉制度を通じて再生産する傾向にある点にある。伝統的な家族の役割が制度的に前提とされ、男性稼得者モデル(male breadwinner model)が想定される。カトリック教会の社会教説、ビスマルク型社会保険の遺産、コーポラティズム的な利益代表構造がこのレジームの歴史的基盤をなす。
3. 社会民主主義型レジーム(social democratic regime)
スウェーデン、デンマーク、ノルウェーなど北欧諸国に典型的に見られる。普遍主義(universalism)——所得水準や職業にかかわらず全市民に同一の制度が適用される——を原則とし、脱商品化の水準は最も高い。高水準の給付は社会全体の連帯を基盤とし、中間層も公的福祉制度の受益者となるため、制度に対する政治的支持基盤が広い。さらに、このレジームは福祉提供を家族に依存させず、保育・高齢者介護などの社会サービスを国家が直接提供することで、女性の労働市場参加を促進する。
graph TD
subgraph LB["自由主義型"]
L1["市場中心の福祉提供"]
L2["資力調査付き給付"]
L3["低い脱商品化"]
L4["典型: 米・加・豪・英"]
end
subgraph CV["保守主義型"]
C1["社会保険中心"]
C2["職域別・所得比例給付"]
C3["中程度の脱商品化"]
C4["典型: 独・仏・墺・伊"]
end
subgraph SD["社会民主主義型"]
S1["普遍主義的福祉"]
S2["高水準の給付・社会サービス"]
S3["高い脱商品化"]
S4["典型: スウェーデン・デンマーク・ノルウェー"]
end
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style CV fill:#e8f4fd,stroke:#1976d2
style SD fill:#e8f5e9,stroke:#2e7d32
脱家族化¶
エスピン=アンデルセンは後の著作『ポスト工業経済の社会的基礎(Social Foundations of Postindustrial Economies)』(1999)において、三類型をジェンダーの観点から補強する概念として「脱家族化」を導入した。
Key Concept: 脱家族化(de-familialization) 福祉提供における家族依存の程度を示す概念。脱家族化の水準が高い制度は、育児・介護などのケア労働を家族(とりわけ女性)に依存せず、国家または市場がその機能を代替することで、個人が家族関係に依存せずに経済的自立を達成しうる条件を整える。
社会民主主義型レジームは脱家族化の水準も最も高く、公的保育・介護サービスの充実により女性の労働市場参加率が高い。保守主義型レジームは男性稼得者モデルを制度的に前提とするため脱家族化の水準が低く、自由主義型レジームは市場を通じた脱家族化(民間保育サービスの購入)に依存する。
福祉レジーム論への批判と拡張¶
ジェンダー視点からの批判¶
福祉レジーム論に対する最も早期かつ体系的な批判は、フェミニスト比較政治学者からのものであった。アン・オーロフ(Ann Shola Orloff)やダイアン・セインズベリー(Diane Sainsbury)は、脱商品化概念が有償労働に従事する労働者のみを分析対象とし、無償のケア労働を担う女性の福祉をとらえきれない点を批判した。脱商品化は「まず商品化されている」こと——すなわち労働市場に参入していること——を前提としており、家庭内で無償労働に従事する女性には適用しがたい。ジェーン・ルイス(Jane Lewis)は、各国を男性稼得者モデルの強弱で類型化する代替的枠組みを提示し、保守主義型レジーム内部にも男性稼得者モデルへの依存度に大きな差異があることを明らかにした。
「第四の世界」——南欧型・東アジア型¶
エスピン=アンデルセンの三類型がOECD先進国を十全にカバーしきれないとする批判も提起された。
南欧型: モーリツィオ・フェレーラ(Maurizio Ferrera)は、イタリア、スペイン、ポルトガル、ギリシャに共通する福祉国家の特徴——家族主義(familialism)の強さ、制度の断片性(内部者と外部者の二重構造)、クライエンテリズム(clientelism)による福祉配分——を指摘し、保守主義型とは区別される「南欧型」の存在を主張した。これらの国では、家族が福祉提供の中心的単位であり、公的社会サービスの発展が遅れ、年金制度は特定職域に手厚い一方で若年層や非典型雇用者への保護は薄い。
東アジア型: 日本、韓国、台湾などの東アジア諸国の福祉国家を三類型のいずれに分類するかについても議論がある。イアン・ホリデー(Ian Holliday)は「生産主義的福祉資本主義(productivist welfare capitalism)」の概念を提唱し、東アジアの福祉国家が経済成長を最優先し、社会政策を経済政策に従属させる傾向を指摘した。日本の福祉国家は、企業内福祉の厚さ、家族(とりわけ女性の無償労働)への依存、公的社会支出のGDP比の相対的低さという特徴を持ち、自由主義型と保守主義型の混合としばしば評される。宮本太郎は日本型福祉国家を「雇用レジーム」と「生活保障」の複合として捉え、正規雇用を通じた企業福祉と家族内ケアの結合が日本的福祉国家の構造的特質であると論じた。
政党システムの変容——脱物質主義と新しい政治的亀裂¶
リプセット=ロッカンの亀裂構造論¶
シーモア・マーティン・リプセット(Seymour Martin Lipset)とスタイン・ロッカン(Stein Rokkan)は、ヨーロッパの政党システムが国民革命と産業革命から生じた四つの社会的亀裂(cleavage)——(1) 中央 vs. 周辺、(2) 国家 vs. 教会、(3) 土地 vs. 産業、(4) 資本 vs. 労働——によって構造化されていると論じた(1967)。彼らの「凍結仮説(freezing hypothesis)」は、1920年代までに形成された政党システムの基本構造が1960年代に至るまで大きく変化していないと主張した。
イングルハートの脱物質主義論¶
Key Concept: 脱物質主義(post-materialism) ロナルド・イングルハートが『静かなる革命(The Silent Revolution)』(1977)で提唱した概念。物質的豊かさと身体的安全の確保された環境で社会化された世代は、経済成長や国防よりも、自己表現、生活の質、環境保護、政治参加などの脱物質主義的価値を重視するようになるとする理論。マズローの欲求階層説と社会化仮説に依拠する。
イングルハートの理論は二つの仮説に基づく。希少性仮説(scarcity hypothesis): 人は相対的に不足している財に高い価値を置く。社会化仮説(socialization hypothesis): 価値観は成人前の形成期(formative years)の社会経済的環境を反映し、成人後は比較的安定する。戦後の経済成長と安全保障の安定のもとで成長した世代(戦後世代)は、物質的安全を所与として脱物質主義的価値を優先するようになり、これが政党システムに新たな亀裂を持ち込む。
新しい政治的亀裂の出現¶
脱物質主義的価値の台頭は、従来の左右軸(経済的再分配をめぐる資本 vs. 労働の対立)に加え、新たな対立軸を政党システムに導入した。ハーバート・キッチェルト(Herbert Kitschelt)は、先進民主主義国の政治空間が「社会経済的左右」と「リバタリアン=権威主義」の二次元で構造化されていると論じた。環境保護政党(緑の党)やリバタリアン左派は脱物質主義的価値を代表し、急進右翼政党(radical right parties)は権威主義的・ナショナリスティックな価値を代表する。
graph TD
subgraph OLD["伝統的亀裂構造"]
A1["中央 vs 周辺"]
A2["国家 vs 教会"]
A3["土地 vs 産業"]
A4["資本 vs 労働"]
end
subgraph NEW["新しい政治的亀裂"]
B1["物質主義 vs 脱物質主義"]
B2["権威主義 vs リバタリアン"]
B3["統合 vs 境界画定"]
end
OLD -->|"1960年代以降の変容"| NEW
B1 --- B2
B2 --- B3
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style NEW fill:#fff3e0,stroke:#e65100
ピパ・ノリス(Pippa Norris)とイングルハートは、近年の先進民主主義国における対立軸の再編を「文化的バックラッシュ(cultural backlash)」の概念で説明した。グローバル化、移民の増大、多文化主義の進展に対し、文化的・人口学的変化に脅威を感じる層が権威主義的・ナショナリスティックな政党を支持するようになったとする。この分析は、後述するポピュリズムの台頭と密接に関連する。
ポピュリズムの台頭——定義・類型・構造的背景¶
ポピュリズムの定義¶
Key Concept: ポピュリズム(populism) カス・ミュデの最小限定義(minimal definition)によれば、社会が究極的に「純粋な人民(pure people)」と「腐敗したエリート(corrupt elite)」の二つの同質的な集団に分断されていると見なし、政治は人民の一般意志(volonte generale)の表現であるべきだとする「薄い」イデオロギー(thin-centred ideology)。薄いイデオロギーであるがゆえに、左右いずれの厚いイデオロギーとも結合しうる。
ミュデの定義が広く学術的に受容されている理由は、(1) ポピュリズムを特定の政策内容ではなく人民 vs. エリートという対立構図に還元することで、左派ポピュリズムと右派ポピュリズムの双方を包摂できること、(2) 「薄いイデオロギー」と規定することで、ポピュリズムが他のイデオロギー(ナショナリズム、社会主義など)と結合する多様な形態を説明できることにある。
ただし、ポピュリズムの定義については他のアプローチも存在する。エルネスト・ラクラウ(Ernesto Laclau)はポピュリズムをディスコース(言説)戦略として捉え、異質な社会的要求を「人民」という等価的連鎖のもとに接合する政治的論理と定義した。また、カート・ウェイランド(Kurt Weyland)はポピュリズムを政治戦略として定義し、組織化されていない大衆の支持に直接訴えかけるリーダーシップのスタイルと捉えた。
左翼ポピュリズムと右翼ポピュリズム¶
ポピュリズムは「薄いイデオロギー」であるため、結合するホスト・イデオロギーによって著しく異なる政治的形態をとる。
右翼ポピュリズム(right-wing populism): ヨーロッパの急進右翼ポピュリスト政党(フランスの国民連合〔旧国民戦線〕、オランダの自由党、オーストリア自由党など)は、ポピュリズムをナショナリズム・排外主義と結合させる。「人民」はエスニックまたは文化的に同質な国民として定義され、「エリート」に加えて移民・難民などの「外部者」も敵として位置づけられる。ミュデはこれを「排外主義的ポピュリズム(nativist populism)」とも呼ぶ。
左翼ポピュリズム(left-wing populism): ラテンアメリカのチャベス政権(ベネズエラ)やヨーロッパのポデモス(スペイン)、シリザ(ギリシャ)に見られるように、ポピュリズムを社会主義的・再分配的主張と結合させる。「人民」は経済的に搾取される庶民として定義され、「エリート」は経済的寡頭制や国際金融資本として構成される。シャンタル・ムフ(Chantal Mouffe)は左翼ポピュリズムを右翼ポピュリズムに対抗する民主主義的戦略として積極的に評価した。
ポピュリズム台頭の構造的背景¶
先進民主主義国におけるポピュリズムの台頭は、(1) グローバル化による経済的不安(製造業の空洞化、所得格差の拡大)、(2) 移民の増大と文化的多様性の拡大に対する不安、(3) 既成政党や政治エリートへの不信、(4) メディア環境の変容(SNSの台頭による直接的コミュニケーション)といった複合的要因によって説明される。
コーポラティズムとプルーラリズムの利益媒介¶
二つの利益媒介モデル¶
民主主義社会において、社会的利益が政治過程にいかに媒介されるかについて、比較政治学は二つの対照的なモデルを識別してきた。
Key Concept: コーポラティズム(corporatism) 利益団体と国家の間の制度化された協調的関係。ネオ・コーポラティズム(neo-corporatism)においては、労働組合のナショナルセンター、使用者団体、政府の三者が政策形成に関する協議(三者協議制)を行い、賃金政策・社会政策・経済政策について包括的な合意を形成する。フィリップ・シュミッター(Philippe C. Schmitter)が体系化した概念。
コーポラティズム: 利益団体が少数の包括的な全国組織に統合され、政府との制度的な協議チャネルを通じて政策形成に参加するモデル。スウェーデン、オーストリア、オランダなどの小規模開放経済国で典型的に発展した。コーポラティズム的な利益媒介は、賃金抑制と社会保障の拡充を同時に達成し、経済的安定と社会的統合を促進するとされた。ピーター・カッツェンスタイン(Peter Katzenstein)は、小規模開放経済国がグローバルな経済的ショックに適応するためにコーポラティズム的制度を発展させたと論じた。
プルーラリズム(多元主義): 多数の利益団体が自由に競争し、政策決定に影響力を行使するモデル。アメリカやイギリスに典型的に見られ、ロバート・ダール(Robert Dahl)のポリアーキー論と親和的である。利益団体は特定のイシューごとに組織され、政府への影響力はロビイングや選挙への関与を通じて行使される。国家は諸利益の中立的な仲裁者として位置づけられる。
コーポラティズムの変容¶
1990年代以降、グローバル化、欧州統合、労働市場の柔軟化によってコーポラティズム的制度は変容を迫られた。労働組合の組織率低下、非典型雇用の拡大、サービス産業化は三者協議の基盤を侵食した。しかし、コーポラティズムが完全に消滅したわけではなく、「リーン・コーポラティズム(lean corporatism)」やイシュー別の協議など、形態を変えて存続しているとの見方もある。
ヨーロッパ統合の政治学——EU統合の深化と民主主義の赤字¶
EU統合の展開¶
ヨーロッパ統合は、1951年のヨーロッパ石炭鉄鋼共同体(ECSC)に始まり、ヨーロッパ経済共同体(EEC, 1957)、マーストリヒト条約(1992)によるヨーロッパ連合(EU)の成立、単一通貨ユーロの導入(1999)、東方拡大(2004年以降)を経て深化と拡大を重ねてきた。
統合の推進要因を説明する理論として、(1) ネオ・ファンクショナリズム(neo-functionalism)と (2) リベラル政府間主義(liberal intergovernmentalism)が代表的である。エルンスト・ハース(Ernst B. Haas)のネオ・ファンクショナリズムは、一分野での統合が他分野への統合を波及的に促す「スピルオーバー(spillover)」効果を重視し、超国家的機関(欧州委員会など)の自律的な役割を強調する。アンドリュー・モラヴチック(Andrew Moravcsik)のリベラル政府間主義は、統合の推進力は各国政府の国内的選好に基づく政府間交渉であるとし、超国家的機関は加盟国の委任の範囲内で機能するにすぎないと主張した。
民主主義の赤字¶
Key Concept: 民主主義の赤字(democratic deficit) EU統治機構において民主的正統性と市民に対する説明責任が不十分であるという問題。具体的には、(1) 立法権を持つ欧州議会の権限の相対的弱さ、(2) 主要な政策決定を行う閣僚理事会・欧州理事会の不透明性、(3) 欧州委員会の民主的正統性の間接性、(4) EU政策決定と一般市民との距離の大きさを指す。
民主主義の赤字をめぐっては二つの対照的な見解がある。モラヴチックは、EUは各国政府を通じて間接的に民主的に正統化されており、またEUの権限は限定的分野に留まるため、民主主義の赤字は誇張されていると論じた。これに対し、サイモン・ヒックス(Simon Hix)やフォルカー・ハベルマス(Jurgen Habermas)は、EUの政策決定が加盟国市民の生活に重大な影響を及ぼす以上、直接的な民主的正統性の確保が不可欠であると主張した。
統合懐疑主義とBrexit¶
EU統合の深化に対する反発として、「ユーロスケプティシズム(Euroscepticism)」が各国で台頭した。ポール・タガート(Paul Taggart)とアレクサ・シュチェルビアク(Aleks Szczerbiak)は、EUの存在自体を否定する「ハード・ユーロスケプティシズム」と、統合の特定の側面を批判する「ソフト・ユーロスケプティシズム」を区別した。2016年のイギリスのEU離脱(Brexit)国民投票は、EU統合に対する民主的正統性の問題を最も劇的な形で顕在化させた事例である。Brexitは、移民問題、主権回復の訴求、既成政治への不満といった要因が、ポピュリスト的言説と結合して実現されたものであり、本セクションで論じた福祉国家の変容、脱物質主義に対する文化的バックラッシュ、ポピュリズムの台頭、EU統合の民主的正統性問題が複合的に交差する事象として理解すべきである。
まとめ¶
- エスピン=アンデルセンの福祉レジーム論は、福祉国家の差異を社会支出の量ではなく、国家・市場・家族間の制度的配置(脱商品化・脱家族化の水準)として質的に把握する枠組みを提供した
- 三類型(自由主義型・保守主義型・社会民主主義型)は有力な分析枠組みであるが、ジェンダー視点からの批判、南欧型・東アジア型の提起など、拡張と修正が継続的に行われている
- 戦後先進民主主義国の政党システムは、リプセット=ロッカンの伝統的亀裂構造から、イングルハートの脱物質主義、キッチェルトの二次元モデルへと分析枠組みが進展し、新たな政治的対立軸の出現が確認された
- ポピュリズムは「薄いイデオロギー」として左右いずれのホスト・イデオロギーとも結合し、先進民主主義国の政治において構造的な挑戦を突きつけている
- コーポラティズムとプルーラリズムは利益媒介の二つの理念型を示し、先進国の政策形成過程の比較分析の基盤をなす
- EU統合は超国家的統治の先進的実験であるが、民主主義の赤字やユーロスケプティシズムという形で、民主的正統性の問題に直面し続けている
- これらの分析枠組みは、現代民主主義の諸問題(→ Module 3-1「現代民主主義の諸問題」参照)や資本主義の多様性(→ Module 3-2「政治経済学」参照)の議論への橋渡しとなる
用語集(Glossary)¶
| 用語 | 英語表記 | 定義 |
|---|---|---|
| 福祉レジーム | welfare regime | 福祉の提供が国家・市場・家族の三者間でいかに配分されるかの制度的パターン |
| 脱商品化 | de-commodification | 個人が労働市場への参加なしに社会的に許容可能な水準の生活を維持しうる程度 |
| 脱家族化 | de-familialization | 福祉提供における家族依存の程度を示す概念。個人が家族関係に依存せず経済的自立を達成しうる条件 |
| 自由主義型レジーム | liberal regime | 市場メカニズムを重視し、資力調査付き給付を中心とする福祉国家類型 |
| 保守主義型レジーム | conservative/corporatist regime | 職域別社会保険を中心とし、既存の地位・階層の差異を再生産する福祉国家類型 |
| 社会民主主義型レジーム | social democratic regime | 普遍主義を原則とし、高水準の脱商品化・脱家族化を特徴とする福祉国家類型 |
| 脱物質主義 | post-materialism | 物質的安全の確保された環境で社会化された世代が自己表現・生活の質・環境保護などの価値を重視する傾向 |
| 凍結仮説 | freezing hypothesis | 1920年代に形成された政党システムの基本構造が長期にわたり安定的に存続するとする仮説 |
| ポピュリズム | populism | 社会を「純粋な人民」と「腐敗したエリート」に二分し、政治は人民の意志の表現であるべきとする薄いイデオロギー |
| コーポラティズム | corporatism | 労使団体と政府の三者間の制度的な協議を通じた利益媒介・政策形成のモデル |
| 民主主義の赤字 | democratic deficit | EU統治機構において民主的正統性と説明責任が不十分であるとする問題 |
| スピルオーバー | spillover | 一分野での統合が他分野への統合を波及的に促す効果。ネオ・ファンクショナリズムの中心概念 |
| ユーロスケプティシズム | Euroscepticism | 欧州統合に対する懐疑・批判的態度。ハード型とソフト型に区別される |
| 生産主義的福祉資本主義 | productivist welfare capitalism | 経済成長を最優先し社会政策を経済政策に従属させる東アジア型福祉国家の特徴 |
確認問題¶
Q1: エスピン=アンデルセンの福祉レジーム三類型(自由主義型・保守主義型・社会民主主義型)それぞれについて、脱商品化の水準、福祉提供の主要な担い手、典型的な国名を整理して説明せよ。
A1: 自由主義型レジーム(アメリカ、カナダ、オーストラリア)は脱商品化の水準が最も低く、市場が福祉提供の主要な担い手である。社会保障給付は資力調査を伴い給付水準は低く、民間保険や企業内福祉が大きな役割を果たす。保守主義型レジーム(ドイツ、フランス、オーストリア)は脱商品化の水準が中程度で、職域別社会保険が中心的な福祉提供の仕組みである。給付は従前所得に比例し、家族(特に男性稼得者モデル)も福祉提供の一翼を担う。社会民主主義型レジーム(スウェーデン、デンマーク、ノルウェー)は脱商品化の水準が最も高く、国家が普遍主義的な福祉を直接提供する。高水準の給付と社会サービスにより、市場や家族への福祉依存を最小化している。
Q2: ミュデによるポピュリズムの最小限定義を述べたうえで、左翼ポピュリズムと右翼ポピュリズムが「人民」と「敵」をそれぞれどのように構成するか比較せよ。
A2: ミュデの最小限定義によれば、ポピュリズムとは社会を「純粋な人民」と「腐敗したエリート」に二分し、政治は人民の一般意志の表現であるべきとする薄いイデオロギーである。右翼ポピュリズムでは「人民」はエスニックまたは文化的に同質な国民として定義され、「敵」には腐敗したエリートに加えて移民・難民などの「外部者」が含まれ、ナショナリズムや排外主義と結合する。左翼ポピュリズムでは「人民」は経済的に搾取される庶民として定義され、「敵」は経済的寡頭制や国際金融資本であり、社会主義的・再分配的主張と結合する。いずれも人民 vs. エリートの二項対立的構図を共有するが、「人民」と「敵」の境界線の引き方が根本的に異なる。
Q3: EU統合における「民主主義の赤字」とは何か。その具体的な問題点と、それに対する二つの対照的な見解を説明せよ。
A3: 民主主義の赤字とは、EU統治機構において民主的正統性と市民への説明責任が不十分であるという問題を指す。具体的には、直接選挙で選ばれる欧州議会の権限の相対的弱さ、政策決定を行う閣僚理事会や欧州理事会の不透明性、欧州委員会の間接的な民主的正統性、EU政策決定と一般市民との距離の大きさが問題とされる。これに対し、モラヴチックはEUが各国政府を通じて間接的に民主的正統化されており、権限も限定的であるため赤字は誇張されていると主張した。他方、ヒックスやハーバーマスはEUの政策が市民生活に重大な影響を与える以上、直接的な民主的正統性の確保が不可欠であると反論した。
Q4: 日本の福祉国家はエスピン=アンデルセンの三類型のいずれに最も近いか。三類型への位置づけの困難さとその理由を論じよ。
A4: 日本の福祉国家は三類型のいずれにも明確には分類しがたく、自由主義型と保守主義型の混合と評されることが多い。公的社会支出のGDP比が相対的に低い点や企業内福祉の重要性は自由主義型の特徴に近い。一方、職域別の社会保険制度や男性稼得者モデルの前提は保守主義型の要素を示す。さらに、家族(特に女性の無償労働)への依存の強さ、正規雇用を通じた生活保障という構造は、ホリデーの「生産主義的福祉資本主義」や宮本の「雇用レジーム」概念で別途説明されるべき独自の特徴を持つ。この分類の困難さ自体が、三類型がOECD先進国を十全にカバーしきれないとする批判——南欧型や東アジア型の「第四の世界」の提起——の根拠の一つとなっている。
Q5: イングルハートの脱物質主義論を支える二つの仮説(希少性仮説と社会化仮説)を説明したうえで、脱物質主義的価値の台頭がどのように政党システムの変容をもたらしたか論じよ。
A5: 希少性仮説は、人が相対的に不足している財に高い価値を置くとする。社会化仮説は、価値観が成人前の形成期の社会経済的環境を反映し、成人後は比較的安定するとする。戦後の経済成長と安全保障の安定のもとで成長した世代は物質的安全を所与とし、自己表現、環境保護、生活の質などの脱物質主義的価値を優先するようになった。これにより、従来の経済的左右軸(資本 vs. 労働)に加えて、リバタリアン=権威主義の軸が政党システムに導入された。環境保護政党(緑の党)は脱物質主義的価値を代表する新たな政治勢力として台頭し、他方で脱物質主義的価値の拡大に対する文化的バックラッシュとして急進右翼政党が勢力を伸長させた。リプセット=ロッカンの凍結仮説は1960年代以降の政党システムの変容によって部分的に修正を迫られることとなった。