Module 2-3 - Section 3: 国際政治経済論¶
セクション情報¶
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| モジュール | Module 2-3: 国際政治学の展開 |
| 前提セクション | なし(ただしModule 1-4 Section 4「国際政治経済の基礎」の知識を前提とする) |
| 想定学習時間 | 3時間 |
導入¶
Module 1-4 Section 4では、国際政治経済学(International Political Economy: IPE)の基本的枠組み——三つの知的伝統、比較優位と貿易体制の概要、ブレトンウッズ体制の成立と崩壊、覇権安定論、グローバル・ガバナンスの構造——を扱った。本セクションでは、これらの基礎を踏まえ、IPEの中核的論争をより深く、かつ体系的に分析する。
具体的には、まずIPEの理論的パラダイムを4つの柱(リベラリズム、リアリズム/重商主義、マルクス主義/従属論、コンストラクティビズム)として整理した上で、自由貿易の政治的基盤と保護主義のロジックを要素賦存モデル・特殊要素モデルの両面から検討する。次に、ポスト・ブレトンウッズの国際金融・通貨体制と金融危機の政治学を分析し、開発の政治経済学における近代化論から制度重視アプローチへの展開を追う。最後に、ダニ・ロドリック(Dani Rodrik)の政治的トリレンマ、グローバリゼーション・バックラッシュ、そしてグローバル・サプライチェーンの政治を検討する。
IPEの理論的枠組み——4つのパラダイム¶
IPEは歴史的に、リベラリズム・重商主義(リアリズム)・マルクス主義という3大パラダイムを基軸として発展してきた。これにコンストラクティビズム的アプローチを加えた4つの理論枠組みを以下に整理する。
リベラリズム¶
経済的リベラリズムは、自由な市場取引が諸国間の相互利益を生むという前提に立つ。アダム・スミス(Adam Smith)の『国富論』(1776年)やデイヴィッド・リカード(David Ricardo)の比較優位論を理論的基盤とし、政府介入を最小化した自由貿易・資本移動の自由化が世界全体の厚生を増大させると主張する。
IPEにおけるリベラル制度主義(liberal institutionalism)は、国際制度やレジームが国家間協力を促進するメカニズムを重視する。ロバート・コヘイン(Robert O. Keohane)は『覇権後の国際政治経済(After Hegemony)』(1984年)において、覇権国なき後も国際レジームが情報の非対称性を緩和し、取引費用を低下させることで協力を維持できると論じた(→ Module 2-3, Section 4「国際制度・国際法・グローバルガバナンス」参照)。
リアリズム(重商主義 / 経済ナショナリズム)¶
リアリスト的IPEは、国際経済関係を国家間の権力闘争の一環として把握する。重商主義(mercantilism)の伝統を引き、国家は相対的利得(relative gains)を重視し、経済的手段を用いて国家安全保障と権力の極大化を図ると仮定する。
Key Concept: 覇権安定論(Hegemonic Stability Theory) チャールズ・キンドルバーガー(Charles P. Kindleberger)が『大不況の世界 1929-1939(The World in Depression)』(1973年)で提起し、ロバート・ギルピン(Robert Gilpin)が精緻化した理論。国際経済秩序の安定は、自由貿易や通貨安定などの公共財を単独で供給する意思と能力を持つ覇権国(hegemon)の存在に依存するとする。覇権国の衰退は国際経済秩序の不安定化をもたらすと予測する。
覇権安定論に対しては、コヘインが前述の著作で「覇権なき後の協力(cooperation after hegemony)」の可能性を実証的に示し、覇権衰退後もレジームが持続し得ることを論じた。この理論的対立は、IPEの中心的論争の一つである。
マルクス主義・従属論・世界システム論¶
マルクス主義的IPEは、資本主義的世界経済が構造的な搾取と不平等を生み出すメカニズムに着目する。カール・マルクス(Karl Marx)の『資本論(Das Kapital)』(1867年)に端を発し、国際的な資本蓄積過程が中心部(core)と周辺部(periphery)の間の不平等を再生産すると論じる。
ラウル・プレビッシュ(Raúl Prebisch)とハンス・ジンガー(Hans Singer)は1949年に、一次産品の交易条件が長期的に悪化するというプレビッシュ=ジンガー命題(Prebisch-Singer thesis)を提示し、自由貿易が途上国にとって不利に作用し得ることを示した。アンドレ・グンダー・フランク(Andre Gunder Frank)は「低開発の発展(development of underdevelopment)」という概念を通じて、途上国の低開発が先進国との構造的関係から能動的に生み出される状態であると主張した。
イマニュエル・ウォーラーステイン(Immanuel Wallerstein)は世界システム論(world-systems theory)を展開し、中心部・半周辺部(semi-periphery)・周辺部という三層構造で資本主義世界経済を分析する枠組みを提示した。
コンストラクティビズム的アプローチ¶
コンストラクティビズムは、経済的利益や政策選好が物質的条件から自動的に導出されるのではなく、規範・アイデンティティ・知識共同体(epistemic communities)などの観念的要素によって社会的に構成されると主張する。たとえば、自由貿易が望ましいとする共有された信念がどのように形成・普及・変容するかを分析の対象とする。マーク・ブライス(Mark Blyth)が論じるように、経済危機への対応策の選択は純粋に合理的な計算ではなく、危機を解釈する「経済的アイデア」によって方向づけられる。
graph LR
subgraph "IPEの4つの理論パラダイム"
L["リベラリズム<br/>自由市場・制度・相互利益"]
R["リアリズム<br/>国家権力・相対的利得・覇権"]
M["マルクス主義<br/>構造的搾取・中心-周辺"]
C["コンストラクティビズム<br/>観念・規範・アイデンティティ"]
end
L --- |"制度は協力を促進するか"| R
R --- |"権力か構造的搾取か"| M
L --- |"利益は所与か構成されるか"| C
M --- |"物質的構造か観念的構造か"| C
国際貿易体制¶
自由貿易の理論的基盤:比較優位¶
Key Concept: 比較優位(Comparative Advantage) リカードが『経済学および課税の原理』(1817年)で提示した貿易理論の基礎概念。ある国が他国に比べてすべての財の生産において絶対的に劣位にあっても、相対的に生産性の高い(機会費用の低い)財に特化して貿易を行うことで、双方の国が利益を得ることができる。自由貿易を正当化する最も基本的な理論的根拠である。
比較優位論の成立には完全競争・生産要素の国内移動の自由・国際的不移動性・規模に対する収穫一定などの仮定が置かれている。現実経済ではこれらの仮定が成立しない場合も多く、規模の経済や不完全競争を考慮した新貿易理論(ポール・クルーグマン(Paul Krugman)、1979年)が比較優位論を補完している。
GATT/WTO体制の展開¶
第二次世界大戦後、1947年に関税及び貿易に関する一般協定(General Agreement on Tariffs and Trade: GATT)が成立した。GATTは最恵国待遇(Most Favoured Nation: MFN)原則と内国民待遇を柱とし、多角的貿易交渉(ラウンド)を通じて関税の段階的引き下げを実現した。
1986年に開始されたウルグアイ・ラウンド(Uruguay Round)は、7年半にわたる交渉を経て1994年に妥結し、以下の画期的成果を生んだ。
- 世界貿易機関(World Trade Organization: WTO)の設立(1995年1月発効):GATTの暫定的性格を脱し、恒久的な国際機関として制度化
- 紛争解決メカニズムの強化:上級委員会(Appellate Body)の設置、逆コンセンサス方式の採用により、敗訴国による裁定の阻止を不可能にした
- 対象範囲の拡大:サービス貿易(GATS)、知的財産権(TRIPS)、農業、繊維の分野に規律を拡張
しかし、2001年に開始されたドーハ・ラウンドは、先進国と途上国の利害対立により事実上停滞しており、多角的貿易体制の限界が指摘されている。
貿易の国内政治:誰が得をし、誰が損をするか¶
自由貿易は国全体としての厚生を増大させるとしても、国内のすべての集団が均等に利益を得るわけではない。貿易の分配的帰結を分析する2つの主要モデルが存在する。
Key Concept: Stolper-Samuelson定理(Stolper-Samuelson Theorem) ヘクシャー=オリーン・モデル(Heckscher-Ohlin model)の枠組みで、ウォルフガング・ストルパー(Wolfgang Stolper)とポール・サミュエルソン(Paul Samuelson)が1941年に導出した定理。ある財の価格上昇は、その財の生産に集約的に用いられる生産要素の実質報酬を増大させ、他方の要素の実質報酬を減少させる。自由貿易への移行は、各国の豊富な生産要素の所有者に利益をもたらし、希少な要素の所有者に損害を与える。
Stolper-Samuelson定理は、貿易政策をめぐる政治的対立が生産要素のライン(要素間対立: factor cleavage)に沿って生じることを予測する。すなわち、先進国では資本家が自由貿易を支持し、労働者が保護主義を支持するという階級的対立構造が生じる。
これに対し、リカード=ヴァイナー・モデル(Ricardo-Viner model, 特殊要素モデル)は、生産要素の産業間移動が不完全であるという仮定に基づく。このモデルでは、貿易の利益と損害は産業(セクター)のラインに沿って生じる(産業間対立: sectoral cleavage)。輸出産業に固定された要素の所有者は自由貿易から利益を得、輸入競合産業に固定された要素の所有者は損害を被る。
| 分析軸 | Stolper-Samuelson定理 | リカード=ヴァイナー・モデル |
|---|---|---|
| 基盤モデル | ヘクシャー=オリーン | 特殊要素モデル |
| 要素移動性 | 高い(産業間を自由に移動) | 低い(産業に固定) |
| 政治的亀裂 | 要素間(資本 vs. 労働) | 産業間(輸出産業 vs. 輸入競合産業) |
| 連合パターン | 階級型(class-based) | 産業型(industry-based) |
| 時間的射程 | 長期 | 短中期 |
マイケル・ヒスコックス(Michael Hiscox)は『International Trade and Political Conflict』(2002年)において、要素移動性の高い時代には階級型の政治的亀裂が、要素移動性の低い時代には産業型の亀裂が支配的になることを歴史的に実証し、両モデルを統合する視座を提供した。
保護主義の政治経済学¶
自由貿易が国全体の厚生を増大させるにもかかわらず保護主義が根強い理由は、利益と損失の非対称的な分布にある。マンカー・オルソン(Mancur Olson)の集合行為論(『The Logic of Collective Action』, 1965年)が示す通り、保護主義から利益を得る集団(輸入競合産業の企業・労働者)は少数であるがゆえに組織化が容易であり、ロビイング活動を通じて政治的影響力を行使できる。他方、自由貿易から利益を得る消費者は多数だが一人当たりの利益が小さいため、集団としての政治的動員が困難である(フリーライダー問題)。
グロスマン=ヘルプマン・モデル(Grossman-Helpman model, 1994年)は、利益集団のロビイング活動と政府の政治的支持最大化行動を定式化し、保護主義的政策が政治均衡として生じ得るメカニズムを理論的に示した。
国際金融・通貨体制¶
ブレトンウッズ体制とその遺産¶
1944年のブレトンウッズ会議で構築された戦後国際通貨体制の柱は、金ドル本位制(米ドルを金と固定レートで兌換)、国際通貨基金(IMF)による国際収支支援、国際復興開発銀行(世界銀行)による長期開発融資であった。この体制は1950-60年代に安定的な経済成長を支えたが、米国の経常赤字拡大と金準備の減少(トリフィンのジレンマ: Triffin Dilemma)により持続困難となり、1971年8月15日のニクソン・ショック(金ドル兌換停止)により崩壊した(→ Module 1-4, Section 4参照)。
金融のトリレンマ¶
Key Concept: 金融のトリレンマ(Impossible Trinity / Mundell-Fleming Trilemma) ロバート・マンデル(Robert Mundell)が1960-63年の一連の論文で、マーカス・フレミング(J. Marcus Fleming)が1962年にそれぞれ独立に提起した命題。一国は(1)為替レートの安定(固定相場制)、(2)自律的な金融政策、(3)資本移動の自由——の3つを同時に達成することはできず、最大で2つしか選択できないとする。
金融のトリレンマは、国際通貨体制の選択を構造的に制約する。ブレトンウッズ体制は為替安定と金融政策の自律性を選択し、資本移動を規制することで成立していた。体制崩壊後の変動相場制下では、先進国は金融政策の自律性と資本移動の自由を選択し、為替安定を放棄した。ユーロ圏は為替安定と資本移動の自由を選択する代わりに、各国の金融政策の自律性を放棄した(欧州中央銀行に委譲)。香港のカレンシーボード制も同様のパターンである。
通貨危機とコンディショナリティ¶
Key Concept: コンディショナリティ(Conditionality) IMFが融資供与の条件として借入国に課す経済政策改革の要件。財政緊縮、金融引き締め、構造改革(民営化・貿易自由化・資本市場自由化)などを含む。融資の段階的供与(トランシュ)と条件遵守の定期的審査により履行を確保する。
1997-98年のアジア通貨危機(Asian financial crisis)は、金融のトリレンマとコンディショナリティの問題を鮮明に示した事例である。多くの東アジア諸国は、事実上の固定相場制(ドル・ペッグ制)を維持しつつ資本移動の自由化を進めたことで、トリレンマの制約に正面から直面した。
危機の背景には以下の要因があった。
- 固定的な為替制度と資本自由化の同時追求: 不可能の三角形の観点から本質的に不安定な組み合わせ
- 短期資本の大量流入と急激な流出: 1990年代前半に流入した短期外貨建て借入が、投資家の信認喪失とともに一斉に引き揚げられた(サドン・ストップ: sudden stop)
- 国内金融システムの脆弱性: 政府と企業の密接な関係(クローニー・キャピタリズム)、不十分な金融規制、企業の過大な外貨建て債務
1997年7月のタイ・バーツ切り下げを契機に、投機的資本の急激な流出がインドネシア・韓国・マレーシアなど東アジア全域に連鎖的に波及した(コンテイジョン: contagion)。
IMFは緊急融資を提供したが、その融資条件——緊縮財政・高金利政策・金融部門の構造改革——は激しい政治的論争を引き起こした。ジョセフ・スティグリッツ(Joseph Stiglitz)は、IMFの処方箋が流動性危機を支払不能危機に転化させたと批判した。画一的な政策処方箋(「一つのサイズですべてに適合する: one size fits all」アプローチ)が、ラテンアメリカの債務危機とは構造的に異なる東アジア経済に不適切に適用されたという批判も広がった。マレーシアのマハティール・ビン・モハマド(Mahathir bin Mohamad)首相がIMFの処方箋を拒否して資本規制を導入し、危機からの回復を達成したことは注目された。
アジア通貨危機の政治的帰結は多大であった。インドネシアではスハルト政権が崩壊し、韓国では財閥改革が進められた。また、危機を経験した東アジア諸国は外貨準備の蓄積と地域金融協力(チェンマイ・イニシアティヴ、2000年)を推進し、IMFへの依存度を低下させる方向に動いた。
開発の政治経済学¶
近代化論と従属理論¶
第二次世界大戦後の開発理論は、ウォルト・ロストウ(Walt W. Rostow)の『経済成長の諸段階(The Stages of Economic Growth)』(1960年)に代表される近代化論(modernization theory)から出発した。近代化論は、すべての社会が伝統的社会から近代的社会へと同一の段階を経て発展するという線形的発展観に基づく。
これに対し、従属理論(dependency theory)は、途上国の低開発が先進国との構造的関係から生み出される状態であると批判した。前述のプレビッシュ=ジンガー命題を理論的基盤とし、フランクの「低開発の発展」概念やウォーラーステインの世界システム論に展開された。近代化論が低開発を「まだ発展の途上にある状態」と捉えるのに対し、従属理論は低開発を先進国との構造的関係によって能動的に生み出された状態と捉える点に根本的な差異がある。
ワシントン・コンセンサスとポスト・ワシントン・コンセンサス¶
Key Concept: ワシントン・コンセンサス(Washington Consensus) ジョン・ウィリアムソン(John Williamson)が1989年に命名した、IMF・世界銀行・米財務省(いずれもワシントンD.C.に所在)が途上国に対して推奨した10項目の経済政策パッケージの総称。財政規律、貿易・資本自由化、規制緩和、民営化を主な柱とする市場主導型発展戦略の象徴である。
| # | 政策項目 | 内容 |
|---|---|---|
| 1 | 財政規律 | 財政赤字の抑制 |
| 2 | 公共支出の再配分 | 教育・保健・インフラへの重点化 |
| 3 | 税制改革 | 課税ベースの拡大と限界税率の引き下げ |
| 4 | 金利の自由化 | 市場決定型の金利設定 |
| 5 | 競争的為替レート | 過大評価の是正 |
| 6 | 貿易自由化 | 関税引き下げ・数量制限の撤廃 |
| 7 | 外国直接投資の自由化 | FDI流入障壁の除去 |
| 8 | 民営化 | 国有企業の私有化 |
| 9 | 規制緩和 | 参入障壁の除去・競争促進 |
| 10 | 財産権の保護 | 法制度の整備 |
ワシントン・コンセンサスは1980-90年代の開発政策を支配したが、以下の批判を受けた。第一に、緊縮財政と公共支出削減が教育・保健分野を直撃し、貧困層の生活水準を悪化させた社会的コストの問題。第二に、画一的な政策処方箋が各国の制度的文脈や歴史的経路依存性を無視しているという批判。第三に、融資条件を通じた政策介入が途上国の政策主権(policy space)を侵害しているという主権の問題。第四に、東アジアの「開発国家(developmental state)」——韓国・台湾・シンガポールが国家主導の産業政策によって急速な経済成長を達成した事実——がワシントン・コンセンサスの普遍性に根本的な疑問を投げかけた。
ロドリックは「ワシントン・コンセンサスよ、さようなら。ワシントンの混乱よ、こんにちは」と論じ、画一的政策処方箋の限界を指摘した。ポスト・ワシントン・コンセンサスは、以下の転換を特徴とする。
- 制度の重視: 市場が機能するための制度的基盤(所有権保護、契約執行、ガバナンス)の構築が成長の前提条件
- 社会的セーフティネット: 経済改革の社会的コストを緩和する再分配政策の不可欠性
- 政策空間の確保: 各国の文脈に応じた政策選択の余地を確保すべきこと
- 国家の役割の再評価: 市場の失敗を補正する国家の積極的介入の正当化
制度と経済成長:Acemoglu & Robinson¶
ダロン・アセモグル(Daron Acemoglu)、サイモン・ジョンソン(Simon Johnson)、ジェイムズ・ロビンソン(James A. Robinson)は、制度が経済発展の根本的要因であることを一連の研究で実証的に示した。2001年の論文で植民地時代の死亡率を操作変数として制度の因果的効果を推定し、2012年の『国家はなぜ衰退するのか(Why Nations Fail)』で一般向けに体系化した。3名は2024年にノーベル経済学賞を受賞している。
その中心的主張は、包摂的制度(inclusive institutions)——広範な政治参加、所有権の保護、法の支治、機会の平等を保障する制度——が長期的な経済繁栄をもたらし、収奪的制度(extractive institutions)——少数のエリートが権力と富を独占する制度——が停滞と貧困をもたらすというものである。植民地時代の制度的遺産(入植者が構築した制度の性質)が、現代の経済格差のパターンを強く規定しているとする。この知見は、ワシントン・コンセンサスの「正しい政策を実施すれば成長する」という見方に対し、「正しい制度なくして正しい政策の効果は発揮されない」という制度主義的転回を代表するものである。
グローバリゼーションの政治経済¶
Rodrikのグローバリゼーションのトリレンマ¶
Key Concept: Rodrikのトリレンマ(Rodrik's Trilemma / Political Trilemma of the World Economy) ロドリックが2000年の論文で提示し、『グローバリゼーション・パラドクス(The Globalization Paradox)』(2011年)で精緻化した命題。ハイパーグローバリゼーション(hyperglobalization)、国民国家主権(national sovereignty)、民主政治(democratic politics)の3つを同時に達成することはできず、最大で2つしか選択できないとする。
graph TD
HG["ハイパーグローバリゼーション"]
NS["国民国家主権"]
DEM["民主政治"]
HG --- |"黄金の拘束衣<br/>民主主義を制限"| NS
HG --- |"グローバル連邦主義<br/>国家主権を委譲"| DEM
NS --- |"ブレトンウッズの妥協<br/>グローバリゼーションを制限"| DEM
style HG fill:#f9f,stroke:#333
style NS fill:#bbf,stroke:#333
style DEM fill:#bfb,stroke:#333
3つの組み合わせはそれぞれ歴史的に異なる国際秩序に対応する。
第一の選択:「黄金の拘束衣」(Golden Straitjacket)——ハイパーグローバリゼーションと国家主権を維持しつつ民主政治を制約する。19世紀の金本位制に対応する。この時代は自由な資本移動と貿易が国家主権と両立していたが、民主政治は未発達または制限されていた。トーマス・フリードマン(Thomas Friedman)が用いた比喩であり、グローバル市場の要求に合わせた国内政策の調整が事実上の義務となり、民主的な選択の幅が狭まる。
第二の選択:「ブレトンウッズの妥協」(Bretton Woods Compromise)——国家主権と民主政治を維持しつつ経済統合を制限する。戦後のブレトンウッズ体制がこれに該当する。資本規制によりグローバリゼーションを管理しつつ、各国が完全雇用政策や福祉国家の構築など国内の民主的政策空間を確保した。ロドリックはこの選択を「賢明なグローバリゼーション(smart globalization)」として積極的に評価する。
第三の選択:「グローバル連邦主義」(Global Federalism)——ハイパーグローバリゼーションと民主政治を両立させるが、そのためには国家主権を超国家的な民主的制度に委譲する必要がある。EUはこの方向への部分的な試みであるが、完全な実現は現実的には極めて困難である。
グローバリゼーション・バックラッシュ¶
2010年代以降、グローバリゼーションに対する反動(backlash)が先進国を中心に顕著となった。2016年の英国のEU離脱(Brexit)国民投票やドナルド・トランプ政権の通商政策はその象徴的事例である。
これらの現象は、Rodrikのトリレンマの観点から、ハイパーグローバリゼーションの深化が国内の民主的政策空間を圧迫した結果、民主政治が「黄金の拘束衣」を拒絶する動きとして解釈できる。グローバリゼーションの分配的帰結——先進国における製造業雇用の減少、所得格差の拡大——が、Stolper-Samuelson定理が予測するように敗者層の政治的動員を引き起こした。
ブランコ・ミラノヴィッチ(Branko Milanovic)の「象のカーブ(elephant curve)」は、1988-2008年の世界所得分布の変化を示し、グローバリゼーションの勝者(新興国の中間層と先進国の超富裕層)と敗者(先進国の中低所得層)を視覚的に描出した。
補償仮説(compensation thesis)——経済開放度の高い国ほど社会保障支出を拡大しリスクを補償する——は、ピーター・カッツェンスタイン(Peter Katzenstein, 1985年)やデイヴィッド・キャメロン(David Cameron, 1978年)の研究に基づくが、資本の国際的移動性の増大が「底辺への競争(race to the bottom)」圧力を生み、十分な補償の提供を困難にしている。
グローバル・サプライチェーンの政治¶
現代のグローバリゼーションの特徴は、最終財の貿易から中間財の国際的分業——グローバル・バリューチェーン(Global Value Chain: GVC)——へと貿易構造が変容した点にある。リチャード・ボールドウィン(Richard Baldwin)は『グレート・コンバージェンス(The Great Convergence)』(2016年)で、情報通信技術の発展によって「第二のアンバンドリング(second unbundling)」が生じ、生産工程の国際的分散が加速したと論じた。
GVCの政治的含意は多岐にわたる。第一に、中間財貿易の増大は保護主義のコストを増大させ、伝統的な関税政策の有効性を低下させる。第二に、企業は比較優位に基づいて生産工程を最適配置するため、一国の通商政策が他国のサプライチェーン全体に波及する。第三に、米中対立に見られるように、サプライチェーンの安全保障化(securitization)が進行し、経済的効率性と地政学的考慮の間の緊張が高まっている。ヘンリー・ファレル(Henry Farrell)とエイブラハム・ニューマン(Abraham Newman)が提唱した「武器化された相互依存(weaponized interdependence)」の概念は、グローバル・ネットワークのハブ的位置を占める国家がそのネットワーク効果を地政学的目的に転用しうることを理論化した。
まとめ¶
- IPEは、リベラリズム・リアリズム(覇権安定論)・マルクス主義(従属論・世界システム論)・コンストラクティビズムという4つの理論パラダイムを通じて、国際政治と国際経済の相互作用を分析する
- 国際貿易体制は、比較優位の理論的基盤の上にGATT/WTO体制として制度化されたが、貿易の分配的帰結(Stolper-Samuelson定理、特殊要素モデル)は国内政治的対立を生む
- 国際金融通貨体制は、ブレトンウッズ体制の崩壊を経て変動相場制に移行し、金融のトリレンマが各国の政策選択を構造的に制約している。アジア通貨危機はその脆弱性を露呈し、IMFのコンディショナリティの正統性が問われた
- 開発の政治経済学は、近代化論から従属理論、ワシントン・コンセンサスからポスト・ワシントン・コンセンサス、そしてAcemoglu & Robinsonらの制度重視アプローチへと展開した
- グローバリゼーションの政治経済は、Rodrikのトリレンマが示す構造的緊張の中で、バックラッシュやサプライチェーンの再編という現代的課題に直面している
- 次セクション(→ Module 2-3, Section 4「国際制度・国際法・グローバルガバナンス」)では、本セクションで検討した国際経済秩序を支える制度的枠組みをより包括的に検討する
用語集(Glossary)¶
| 用語 | 英語表記 | 定義 |
|---|---|---|
| 国際政治経済論 | International Political Economy (IPE) | 国際政治と国際経済の相互作用を体系的に分析する学問領域 |
| 覇権安定論 | Hegemonic Stability Theory | 国際経済秩序の安定が公共財を供給する単一の覇権国の存在に依存するとする理論 |
| 比較優位 | Comparative Advantage | 機会費用が相対的に低い財に特化することで貿易当事国双方が利益を得るという原理 |
| Stolper-Samuelson定理 | Stolper-Samuelson Theorem | 財の価格変化がその財の生産に集約的に用いられる要素の実質報酬を変化させるとする定理 |
| リカード=ヴァイナー・モデル | Ricardo-Viner Model | 生産要素の産業間移動が不完全であると仮定し、貿易の分配的帰結を産業単位で分析するモデル |
| 金融のトリレンマ | Impossible Trinity / Mundell-Fleming Trilemma | 為替安定・金融政策の自律性・資本移動の自由の3つを同時に達成できないとする命題 |
| コンディショナリティ | Conditionality | IMFが融資供与の条件として借入国に課す政策改革の要件 |
| ワシントン・コンセンサス | Washington Consensus | IMF・世界銀行・米財務省が推奨した市場主導型の10項目の政策パッケージ |
| ポスト・ワシントン・コンセンサス | Post-Washington Consensus | 制度の重要性と政策空間の確保を強調する、ワシントン・コンセンサスを修正した開発パラダイム |
| 包摂的制度 | Inclusive Institutions | 広範な政治参加・所有権保護・法の支配を保障する制度。長期的繁栄をもたらすとされる |
| 収奪的制度 | Extractive Institutions | 少数のエリートが権力と富を独占する制度。経済停滞をもたらすとされる |
| Rodrikのトリレンマ | Rodrik's Trilemma | ハイパーグローバリゼーション・国民国家主権・民主政治を同時に達成できないとする命題 |
| 従属理論 | Dependency Theory | 途上国の低開発が先進国との構造的関係により能動的に生み出されるとする理論 |
| 世界システム論 | World-Systems Theory | 資本主義世界経済を中心部・半周辺部・周辺部の三層構造で分析する枠組み |
| プレビッシュ=ジンガー命題 | Prebisch-Singer Thesis | 一次産品の交易条件が長期的に悪化するという命題 |
| グローバル・バリューチェーン | Global Value Chain (GVC) | 財の企画から最終消費に至る価値創造過程が国際的に分散した生産構造 |
| 武器化された相互依存 | Weaponized Interdependence | グローバル・ネットワークのハブ的地位を地政学的目的に転用しうるとする概念 |
| 補償仮説 | Compensation Thesis | 経済開放度が高い国ほど社会保障支出を拡大しリスクを補償するという仮説 |
確認問題¶
Q1: 覇権安定論の基本命題を説明し、コヘインがこれにどのような批判・修正を加えたか述べよ。
A1: 覇権安定論は、国際経済秩序の安定が、自由貿易体制や通貨安定などの公共財を単独で供給する意思と能力を持つ覇権国の存在に依存するとする理論である。キンドルバーガーが1930年代の大恐慌を覇権不在による国際協力の失敗として解釈したことに端を発する。これに対しコヘインは『覇権後の国際政治経済』において、覇権国の衰退後も国際レジーム(制度的枠組み)が情報の非対称性を緩和し取引費用を低下させることで国家間協力を維持できると論じ、覇権安定論の決定論的予測を修正した。覇権は国際協力の十分条件ではあっても必要条件ではない、というのがコヘインの核心的主張である。
Q2: Stolper-Samuelson定理と特殊要素モデル(Ricardo-Viner model)は、貿易政策をめぐる国内政治的対立をそれぞれどのように予測するか、両者の相違を説明せよ。
A2: Stolper-Samuelson定理は生産要素の完全な産業間移動を仮定し、自由貿易への移行が各国の豊富な要素の所有者に利益を、希少な要素の所有者に損害をもたらすと予測する。政治的対立は生産要素のライン(資本 vs 労働)に沿った階級的対立として生じる。一方、特殊要素モデルは要素の産業間移動が不完全であると仮定し、貿易の利害が産業単位で分かれると予測する。輸出産業に固定された要素の所有者が自由貿易を支持し、輸入競合産業に固定された要素の所有者が保護主義を支持するという産業間対立が生じる。Hiscoxの研究が示すように、要素移動性が高い時代・局面には前者が、低い時代・局面には後者が妥当する。
Q3: 金融のトリレンマ(Mundell-Fleming trilemma)を説明し、ブレトンウッズ体制・現在の変動相場制・ユーロ圏がそれぞれどの2つを選択しているか述べよ。
A3: 金融のトリレンマとは、一国が為替レートの安定、自律的な金融政策、資本移動の自由という3つの政策目標を同時に達成することはできず、最大で2つしか選択できないという命題である。ブレトンウッズ体制は為替安定(固定相場制)と金融政策の自律性を選択し、資本移動を規制した。現在の変動相場制下の主要先進国は金融政策の自律性と資本移動の自由を選択し、為替安定を放棄している。ユーロ圏は為替安定(共通通貨)と資本移動の自由を選択する代わりに、各国の独立した金融政策を放棄し、欧州中央銀行に一元化した。
Q4: ワシントン・コンセンサスからポスト・ワシントン・コンセンサスへの転換の背景と内容を説明し、Acemoglu & Robinsonの制度論がこの転換にどのような含意を持つか論じよ。
A4: ワシントン・コンセンサスは、財政規律・貿易自由化・民営化・規制緩和を柱とする市場主導の政策パッケージであり、1980-90年代にIMF・世界銀行の融資条件として途上国に広く適用された。しかし、社会的コストの大きさ、画一的処方箋の不適切さ、政策主権の侵害、東アジアの開発国家の成功との矛盾から批判を受けた。ポスト・ワシントン・コンセンサスは制度の重要性、社会的セーフティネット、政策空間の確保、国家の積極的役割の再評価を掲げた。Acemoglu & Robinsonの研究は、包摂的制度が長期的繁栄の根本的要因であり、収奪的制度が停滞をもたらすことを実証的に示した。この知見は、「正しい政策を実施すれば成長する」というワシントン・コンセンサスの前提に対し、「正しい制度なくして正しい政策の効果は発揮されない」という制度主義的転回を根拠づけるものである。
Q5: Rodrikのグローバリゼーションのトリレンマを説明し、2010年代以降のグローバリゼーション・バックラッシュ(Brexit、トランプ政権の通商政策等)をこの枠組みでどのように解釈できるか論じよ。
A5: Rodrikのトリレンマは、ハイパーグローバリゼーション・国民国家主権・民主政治の3つを同時に達成することはできないという命題である。1990年代以降のハイパーグローバリゼーションの進展は「黄金の拘束衣」的状況——経済統合と国家主権を維持しつつ民主的政策選択の幅が狭まる——を生み出した。Brexitやトランプ政権の保護主義的通商政策は、このトリレンマの観点から、民主政治が「黄金の拘束衣」を拒絶する動きとして解釈できる。グローバリゼーションの分配的帰結(先進国の製造業雇用の減少、所得格差の拡大)がStolper-Samuelson定理の予測通りに敗者層の政治的動員を引き起こし、国民国家主権と民主政治を回復するためにグローバリゼーションを制限する「ブレトンウッズ的妥協」への回帰圧力が生じている。Rodrik自身もこの方向を規範的に支持している。