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Module 2-4 - Section 1: 官僚制の理論と政策過程論

セクション情報

項目 内容
モジュール Module 2-4: 行政学・公共政策
前提セクション なし
想定学習時間 3.5時間

導入

行政学は、国家の統治機構のうち行政組織の構造・機能・過程を分析する学問領域である。本セクションでは、行政組織を分析する理論的基盤として、マックス・ウェーバー(Max Weber)の官僚制論とプリンシパル=エージェント理論を検討したのち、公共政策がいかにして形成・決定・実施・評価されるかを扱う政策過程論の主要モデルを概観する。

官僚制は近代国家の行政を支える組織原理であり、その合理性と同時に逆機能が古典的な論争点をなす。他方、政策過程論は、合理的意思決定モデルの限界を出発点として、インクリメンタリズム、ゴミ箱モデル、政策の窓モデルなど多様な分析枠組みを発展させてきた。これらの理論群は、現代の行政改革や公共政策の設計・評価を理解するうえで不可欠の前提知識を構成する。


ウェーバーの官僚制論

支配の三類型と合法的支配

マックス・ウェーバー(1864-1920)は、支配(Herrschaft)の正当性の根拠に基づき、支配を三つの理念型(Idealtypus)に分類した。

支配類型 正当性の根拠 典型例
カリスマ的支配 指導者の超日常的資質への帰依 宗教的預言者、革命的指導者
伝統的支配 古来の伝統・慣習の神聖性 世襲君主制、封建制
合法的支配 制定された規則の合法性 近代官僚制国家

Key Concept: 合法的支配(Legale Herrschaft) 制定された法規範とその手続きの合法性に対する信念に基づく支配形態。被支配者は個人ではなく法的秩序に服従する。合法的支配の最も純粋な形態が官僚制的行政である。

ウェーバーによれば、近代化の進展とともに支配は合理化(Rationalisierung)の方向へ向かい、合法的支配が支配的な形態となる。これは政治的支配の「脱人格化」(Entpersönlichung)の過程でもある。

官僚制の理念型

ウェーバーは、近代官僚制の構造的特徴を以下の諸原則として理念型的に定式化した。

Key Concept: 官僚制の理念型(Ideal Type of Bureaucracy) ウェーバーが『経済と社会』において提示した、近代的行政組織の構造的特徴を純粋に抽出した分析概念。現実の組織をこの理念型との偏差において測定することで、組織の合理性の程度を分析する道具として機能する。

  1. 規則による権限の原則(Kompetenzprinzip): 職務上の権限は明文化された規則によって体系的に配分される。各職位の権限と義務が法的に確定されている。
  2. 階統制と審級制の原則(Hierarchie und Instanzenzug): 上位の官職が下位の官職を監督する明確な指揮命令系統が確立される。不服申立ての審級制も整備される。
  3. 文書主義(Aktenmäßigkeit): 職務の遂行は文書(Akten)に基づいて行われ、すべての決定・命令・通達が文書化・記録される。
  4. 専門的訓練の前提(Fachschulung): 職務の遂行には専門的な知識・技能の習得が前提とされる。試験制度による資格認定が行われる。
  5. 全力投球の原則(Hauptberuflichkeit): 職務は官吏の主たる活動として全精力を傾注すべきものとされる。
  6. 一般的規則による職務遂行: 職務は多かれ少なかれ確固とした、多かれ少なかれ包括的な、学習可能な規則に従って遂行される。

ウェーバーはこのような官僚制を「精密さ、迅速さ、明確さ、文書への精通、継続性、裁量の余地、統一性、厳格な上下関係、摩擦の軽減、物的・人的費用の節約」という点で、他のあらゆる組織形態に対して技術的に優越するものと位置づけた。

官僚制の逆機能:マートンの批判

ロバート・キング・マートン(Robert King Merton, 1910-2003)は、ウェーバーが描いた官僚制の合理的・効率的側面に対して、官僚制が構造的に生み出す逆機能(dysfunction)を指摘した(1940年の論文 "Bureaucratic Structure and Personality")。

マートンの中心的概念は「訓練された無能力」(trained incapacity)である。これはソースタイン・ヴェブレンに由来する概念で、官僚が規則への遵守を繰り返し訓練される結果、規則遵守それ自体が目的化し、変化した状況に対する適応能力を失う現象を指す。

マートンが指摘した官僚制の逆機能は以下のように整理される。

逆機能 内容
目標の転置(goal displacement) 規則遵守という手段が自己目的化する
形式主義・繁文縟礼(red tape) 手続きの過度な形式化が業務を遅滞させる
セクショナリズム 部門間の縄張り意識が組織全体の目標達成を阻害する
前例主義・保守主義 先例踏襲への固執が革新的対応を妨げる
権威主義的傾向 職位に基づく権威が過度に強調される

マートンによれば、官僚制における規律の強調は、官僚の行動を規則への「儀礼主義」(ritualism)的な適合へと導き、組織の本来の目的に対する志向を失わせる。この分析は、官僚制が内在的に抱える構造的矛盾を示すものであり、ウェーバーの官僚制論を批判的に発展させた重要な貢献である。

官僚制と民主制の緊張関係

ウェーバー自身が認識していた根本的問題として、官僚制と民主制の間の緊張関係がある。官僚制は専門知識(Fachwissen)と職務上の秘密(Dienstgeheimnis)を武器として、政治的支配者に対しても優位に立ちうる。ウェーバーはこれを「官僚制の優越的地位の権力的基礎」と呼んだ。

民主的に選出された政治家は、情報と専門知識において官僚に劣後するため、官僚機構を実効的に統制することが困難となる。この問題は後述するプリンシパル=エージェント理論の先駆的認識でもあり、現代の行政統制論の出発点をなしている。


プリンシパル=エージェント理論

理論の基本構造

Key Concept: プリンシパル=エージェント理論(Principal-Agent Theory) 委任者(プリンシパル)が代理人(エージェント)に業務を委託する関係において、両者の利害不一致と情報の非対称性から生じる問題を分析する理論。経済学のエージェンシー理論に起源を持ち、政治学では政治家と官僚の関係分析に広く応用される。

プリンシパル=エージェント理論(以下、P-A理論)は、ある主体(プリンシパル)が自らの利益のために他の主体(エージェント)に行為を委託する関係を分析する枠組みである。この理論は元来、経済学においてジェンセン(Michael Jensen)とメックリング(William Meckling)が1976年に定式化した企業の所有と経営の分離の問題に起源を持つが、政治学・行政学においては政治家(プリンシパル)と官僚(エージェント)の関係を分析する強力な道具として発展した。

P-A関係において問題が生じる二つの基本条件は以下の通りである。

  1. 利害の不一致: プリンシパルとエージェントの目的関数が一致しない。政治家は再選を、官僚は予算の拡大や裁量の確保を志向する場合がある。
  2. 情報の非対称性: エージェントがプリンシパルよりも多くの情報を保有する。官僚は政策の実施状況や専門的知識において政治家に対し情報優位に立つ。

逆選択とモラルハザード

情報の非対称性は二つの異なる問題を発生させる。

逆選択(adverse selection) は、契約締結前の段階における隠された情報(hidden information)の問題である。プリンシパルがエージェントの能力や特性を十分に観察できないため、質の低いエージェントが選ばれやすくなる現象を指す。行政の文脈では、官僚の真の能力や政策選好を政治家が採用・任命時に十分に判別できない状況がこれに該当する。

モラルハザード(moral hazard) は、契約締結後の段階における隠された行動(hidden action)の問題である。エージェントの行動をプリンシパルが完全に観察できないため、エージェントが自己利益を追求する行動をとる可能性が生じる。官僚が政治家の選好から逸脱した政策運用を行う「エージェンシー・スラック(agency slack)」がその典型例である。

政治家による官僚統制の手段

P-A理論の枠組みにおいて、プリンシパルたる政治家がエージェントたる官僚を統制する手段は以下のように類型化される。

事前的統制(ex ante control): - 制度設計: 行政手続法の制定、意思決定プロセスの標準化により、官僚の裁量の幅を事前に制限する - 人事権の行使: 任命権・罷免権を通じて、プリンシパルの選好に合致するエージェントを選任する - 報告義務: 定期的な業績報告を義務づけることで、情報の非対称性を緩和する

事後的統制(ex post control): - パトロール型監視(police patrol oversight): 議会委員会等による定期的・体系的な監視活動。マシュー・マカビンズ(Mathew McCubbins)とトマス・シュワルツ(Thomas Schwartz)が1984年に提示した分類による。 - 火災報知器型監視(fire alarm oversight): 利益団体、市民、メディア等の第三者が問題を発見した際に議会に通報する仕組み。パトロール型に比べ監視コストが大幅に低減される。 - 予算統制: 予算の配分・削減を通じた行政活動への統制。

マカビンズとシュワルツの研究は、議会がパトロール型監視よりも火災報知器型監視を選好する傾向を明らかにし、「議会は官僚を監視していない」という通説に対する有力な反論を提示した。

複数プリンシパル問題

現実の行政においては、官僚が単一のプリンシパルのみに対面するわけではない。議会(立法府)、大統領・首相(行政府の長)、裁判所(司法府)、さらには国民・利益団体など、複数のプリンシパルが存在する。これを複数プリンシパル問題(multiple principals problem)と呼ぶ。

複数のプリンシパルの選好が一致しない場合、官僚はプリンシパル間の対立を利用して自律的な裁量を拡大する可能性がある。また、どのプリンシパルの指令を優先すべきかという問題が生じ、統制の有効性が低下する。この問題は、権力分立制をとるアメリカ合衆国においてとりわけ顕著に観察されるが、議院内閣制をとる日本においても、内閣と国会、与党組織と行政機構の間の複雑な委任関係として現れる。


政策過程論の概要

政策サイクル・モデル

政策過程論(policy process theory)は、公共政策が形成・実施・評価される一連の過程を分析する学問領域である。その最も基本的な枠組みが政策サイクル・モデル(policy cycle model)であり、政策過程を以下の段階に区分する。

graph TD
    A["1. アジェンダ設定<br/>Agenda Setting"] --> B["2. 政策形成<br/>Policy Formulation"]
    B --> C["3. 政策決定<br/>Policy Decision"]
    C --> D["4. 政策実施<br/>Policy Implementation"]
    D --> E["5. 政策評価<br/>Policy Evaluation"]
    E -->|"フィードバック"| A

    style A fill:#4a90d9,color:#fff
    style B fill:#4a90d9,color:#fff
    style C fill:#4a90d9,color:#fff
    style D fill:#4a90d9,color:#fff
    style E fill:#4a90d9,color:#fff
  1. アジェンダ設定(agenda setting): 社会問題が政策課題として認知され、政府の政策議題に載せられる段階。ロジャー・コブ(Roger Cobb)とチャールズ・エルダー(Charles Elder)は、公衆の関心事項である「体系的アジェンダ」と政府機関が検討対象とする「制度的アジェンダ」を区別した。
  2. 政策形成(policy formulation): 課題に対する具体的な政策代替案が作成・検討される段階。
  3. 政策決定(policy decision): 複数の代替案から一つが正式に採択される段階。
  4. 政策実施(policy implementation): 決定された政策が行政機関によって実行に移される段階。
  5. 政策評価(policy evaluation): 政策の成果・効果が事後的に検証される段階。評価結果はフィードバックとして次の政策サイクルに反映される。

政策サイクル・モデルは、複雑な政策過程を段階的に整理する点で分析上の有用性を持つが、現実の政策過程が必ずしもこの直線的な順序に従わないこと、各段階の境界が不明確であること等の批判も受けている。

合理モデル

合理モデル(rational model)は、政策決定を合理的な問題解決過程として把握する。意思決定者は、(1) 問題を明確に定義し、(2) すべての代替案を列挙し、(3) 各代替案の結果を予測し、(4) 一貫した価値基準に照らして最適な代替案を選択する、という手順を踏むと想定される。

ハーバート・サイモン(Herbert Simon, 1916-2001)は、現実の意思決定者がこのような完全合理性を達成することの不可能性を指摘し、「限定合理性(bounded rationality)」の概念を提唱した。人間の認知能力には限界があり、すべての代替案の探索・比較は現実的に不可能であるため、意思決定者は「満足化(satisficing)」基準に従って行動するとした。

インクリメンタリズム

Key Concept: インクリメンタリズム(Incrementalism) チャールズ・リンドブロム(Charles Lindblom)が提唱した政策決定モデル。現実の政策決定は既存政策からの漸進的な修正として行われるとする。政策決定者は全体を見渡す「総覧的分析」ではなく、限られた範囲の代替案を比較検討する「漸進的比較分析」によって意思決定を行う。

チャールズ・リンドブロム(1917-2018)は、サイモンの限定合理性をさらに発展させ、1959年の論文 "The Science of 'Muddling Through'" において、インクリメンタリズム(漸増主義、漸変主義)を提唱した。リンドブロムは合理モデルを「根本的方法(root method)」あるいは「総覧的合理的分析(synoptic rational analysis)」と呼び、これを非現実的であると批判した。

リンドブロムの主張の骨子は以下の通りである。

  • 現実の政策決定者は、既存の政策を前提として、そこからの漸進的な変更幅のみに着目する(「枝葉の方法」(branch method))
  • 目的と手段は相互依存的であり、分離して考えることはできない
  • 政策は一回的な決定ではなく、連続的な試行錯誤の過程を通じて修正される
  • 「良い政策」とは、多様なアクター間の合意が得られた政策である(合意基準)

インクリメンタリズムに対しては、(1) 現状維持バイアスを正当化し根本的改革を軽視するとの批判、(2) 危機的状況における迅速な政策転換を説明できないとの批判が向けられてきた。リンドブロム自身も後年(1979年)、この理論を修正し、「分析的戦略の体系(a still muddling, not yet through)」として再定式化を試みた。

ゴミ箱モデル

Key Concept: ゴミ箱モデル(Garbage Can Model) コーエン(Michael D. Cohen)、マーチ(James G. March)、オルセン(Johan P. Olsen)が1972年に提唱した意思決定モデル。「組織化された無秩序(organized anarchy)」の状態にある組織において、問題・解・参加者・選択機会という四つの独立した流れが、偶然的にゴミ箱(選択機会)の中で合流することによって意思決定が行われるとする。

マイケル・コーエン、ジェームズ・マーチ、ヨハン・オルセンは、合理モデルやインクリメンタリズムがいずれも前提とする「問題→解決」という因果的連鎖それ自体を疑問視した。彼らの1972年の論文 "A Garbage Can Model of Organizational Choice" は、大学のような「組織化された無秩序」を対象として、意思決定の根本的に異なるモデルを提示した。

「組織化された無秩序」は以下の三つの特性を持つ。

  1. 問題のある選好(problematic preferences): 組織の目標・選好が曖昧で、一貫性に欠ける
  2. 不明確な技術(unclear technology): 自らの生産過程を十分に理解していない
  3. 流動的参加(fluid participation): 意思決定への参加者が場面ごとに変動する

ゴミ箱モデルでは、以下の四つの流れが独立に存在する。

流れ 内容
選択機会 決定を行うべき機会(会議、予算編成時期等)
問題 参加者が抱える様々な課題・関心事項
問題とは独立に存在する解決策・提案
参加者 時間とエネルギーの制約を受けつつ参加するアクター

これらが「ゴミ箱」(選択機会)の中に投げ込まれ、偶然的に結びつくことで決定がなされる。ある解はそれに対応する問題がないまま存在し、ある問題は解が見つからないまま放置されうる。決定は論理的帰結というよりもタイミングと偶然の産物である。

ゴミ箱モデルは、合理性を前提としない意思決定分析の可能性を拓いた点で画期的であったが、理論の不確定性が高く予測力に乏しいとの批判もある。このモデルはキングダン(Kingdon)の政策の窓モデルに重要な影響を与えた。


Kingdonの政策の窓モデル

三つの流れ

Key Concept: 政策の窓(Policy Window) ジョン・キングダン(John Kingdon)が1984年の著書 Agendas, Alternatives, and Public Policies で提唱した政策変化のモデルにおける中核概念。問題の流れ、政策の流れ、政治の流れの三つが合流するとき、短期間だけ開く政策変化の機会を指す。

ジョン・キングダン(John Kingdon)は、ゴミ箱モデルの発想を連邦政府の政策過程に応用し、「政策の窓(policy window)」モデルを構築した。キングダンのモデルでは、三つの独立した流れが並行して存在する。

1. 問題の流れ(problem stream): 社会問題が政策課題として認識される過程を指す。問題の認識は、(a) 指標(統計データの変化)、(b) 焦点事象(focusing events: 危機、災害、象徴的出来事)、(c) フィードバック(既存政策の評価結果)の三つの契機によって促進される。

2. 政策の流れ(policy stream): 政策コミュニティ(研究者、官僚、利益団体等の専門家集団)の中で、様々な政策アイデアが生成・淘汰される過程を指す。キングダンはこれを生物の「原始スープ(primeval soup)」に喩え、多数のアイデアが浮遊し、結合・分離・変異を繰り返す中で、技術的実行可能性や価値的受容可能性を満たすものだけが「生き残る」とした。

3. 政治の流れ(political stream): 政権交代、議会の構成変化、国民的気分(national mood)の変動、利益団体のキャンペーンなど、政治状況の変化を指す。

graph LR
    subgraph "問題の流れ"
        P1["指標の変化"]
        P2["焦点事象"]
        P3["フィードバック"]
    end

    subgraph "政策の流れ"
        PO1["政策アイデアの生成"]
        PO2["原始スープでの淘汰"]
        PO3["実行可能な代替案"]
    end

    subgraph "政治の流れ"
        PL1["政権交代"]
        PL2["国民的気分"]
        PL3["利益団体の活動"]
    end

    P1 --> W["政策の窓<br/>Policy Window"]
    P2 --> W
    P3 --> W
    PO3 --> W
    PL1 --> W
    PL2 --> W
    PL3 --> W
    W --> PE["政策起業家が<br/>機会を捕捉"]
    PE --> R["政策変化の実現"]

    style W fill:#e74c3c,color:#fff
    style PE fill:#f39c12,color:#fff
    style R fill:#27ae60,color:#fff

政策の窓と政策起業家

三つの流れが合流するとき、「政策の窓」が開く。この窓は短期間しか開いておらず、時機を逸すると閉じてしまう。窓が開く契機は、主として問題の流れ(重大な事件・災害の発生等)または政治の流れ(選挙による政権交代等)の変化によって生じる。

Key Concept: 政策起業家(Policy Entrepreneur) 自らの資源(時間、エネルギー、評判、金銭)を投入し、将来の見返りを期待して政策推進を図るアクター。政府内外を問わず存在し、三つの流れを結合させて政策の窓が開いた機会を捉え、特定の政策案を政策議題に載せる役割を果たす。

政策の窓が開いた際に決定的な役割を果たすのが政策起業家(policy entrepreneur)である。政策起業家は政策の窓の開放を待ち受け、あるいは自ら窓を押し開くよう働きかけ、事前に準備しておいた政策案を問題と政治的機会に結びつける。キングダンは、政策起業家を「カヌーイストが激流を待つように、好機を辛抱強く待ち、窓が開いた瞬間に行動する」存在として描写した。

キングダン・モデルの意義は、政策変化を合理的な問題解決の帰結としてではなく、独立した流れの偶然的合流と戦略的行為者の介入の結果として把握する点にある。このモデルは日本の政策分析にも広く適用されており、NPO法の制定過程やこども政策の推進などの事例研究に用いられている。


政策実施と政策評価

トップダウン・アプローチ

政策実施研究(implementation studies)は、1973年のジェフリー・プレスマン(Jeffrey Pressman)とアーロン・ウィルダフスキー(Aaron Wildavsky)の研究を嚆矢とする。彼らの著書 Implementation(副題は「ワシントンの大いなる期待はいかにしてオークランドで砕かれたか」)は、連邦政府の経済開発庁(EDA)がカリフォルニア州オークランドで実施した雇用創出プログラムの失敗を分析したものである。

プレスマンとウィルダフスキーは、政策実施の過程に多数の「決定点(decision points)」と「承認点(clearance points)」が存在し、各点で異なるアクターの合意が必要であることを明らかにした。実施過程に関与するアクターが15以上に及ぶ場合、個々の承認確率が高くても、全体としての実施成功確率は著しく低下する。これは「共同行動の複雑性」(complexity of joint action)と呼ばれる。

このアプローチは、政策決定者の意図を出発点として、その忠実な実施を妨げる要因を分析する「トップダウン・アプローチ」の基盤を形成した。トップダウン・アプローチは、政策目標の明確性、因果理論の妥当性、実施構造の適切性、実施担当者の意欲と能力などを政策実施の成否を左右する変数として重視する。

ボトムアップ・アプローチとストリートレベル官僚制

トップダウン・アプローチに対して、政策の現場における実施担当者の役割を重視するボトムアップ・アプローチが提起された。その中核をなすのがマイケル・リプスキー(Michael Lipsky)の「ストリートレベル官僚制(street-level bureaucracy)」論(1980年)である。

Key Concept: ストリートレベル官僚制(Street-Level Bureaucracy) マイケル・リプスキーが提唱した概念。教師、警察官、社会福祉士、ケースワーカーなど、市民と直接対面して業務を行う第一線の公務員(ストリートレベル官僚)が、大きな裁量を行使しつつ政策を実質的に形成している実態を分析する理論枠組み。

リプスキーによれば、ストリートレベル官僚は以下の構造的条件の下で業務を遂行する。

  • 資源の慢性的不足: 大量のケースを限られた時間・予算で処理しなければならない
  • 目標の曖昧性: 組織目標が抽象的で、個別のケースへの適用が一義的に定まらない
  • 裁量の大きさ: 現場の状況に応じた判断が不可避であり、広い裁量が認められる

これらの条件下でストリートレベル官僚は、(1) サービスの配給(rationing)、(2) クライアントのカテゴリー化、(3) 対応の定型化(routinization)などの対処戦略(coping mechanisms)を発展させる。その結果、法令上の政策と市民が実際に受ける政策とが乖離する現象が生じる。リプスキーの表現を借りれば、「ストリートレベル官僚の決定、彼らが確立するルーティン、彼らが不確実性やプレッシャーに対処するために発明する方策こそが、実質的には彼らが実施する公共政策となる」のである。

ボトムアップ・アプローチは、実施過程の現実を把握する点で優れているが、政策決定者の民主的正当性を相対化しすぎるとの批判もあり、現代の政策実施研究はトップダウンとボトムアップの統合(synthesis)を志向する傾向にある。

政策評価の手法

政策評価は、実施された政策の成果を体系的に検証する活動である。主要な評価手法は以下の通りである。

評価手法 概要 特徴
費用便益分析(CBA) 政策の費用と便益を金銭的に数値化して比較する 異なる政策分野間の比較が可能だが、金銭換算困難な価値の扱いが課題
費用効果分析(CEA) 一定の効果を達成するために必要な費用を比較する 便益の金銭換算を回避できるが、異質な効果の比較は困難
プログラム評価 政策プログラムの設計・実施・成果を体系的に評価する 因果関係の特定(ランダム化比較試験等)を重視する

Key Concept: EBPM(Evidence-Based Policy Making) 証拠に基づく政策立案。政策の企画・立案を、勘や経験に頼るのではなく、データや統計的エビデンスに基づいて合理的に行うアプローチ。イギリスのブレア政権(1997年〜)を嚆矢とし、日本でも2017年頃から本格的に推進されている。

EBPMは、政策評価の近年の潮流として注目される。その方法論的基盤には、ランダム化比較試験(RCT: Randomized Controlled Trial)、回帰不連続デザイン(RDD)、差の差法(DID: Difference in Differences)などの因果推論の手法がある。日本においても、2017年に内閣官房に「EBPM推進委員会」が設置され、各府省におけるエビデンスに基づく政策立案の定着が図られている。

ただし、EBPMに対しては、(1) エビデンスが存在しない政策領域への適用限界、(2) 価値判断を伴う政策決定における「証拠」の位置づけ、(3) 実験的手法の倫理的・実務的制約、といった課題も指摘されている。


まとめ

  • ウェーバーの官僚制論は、近代行政組織の合理性を理念型として定式化した。合法的支配に基づく階統制・文書主義・専門性が官僚制の構造的特徴である。
  • マートンは官僚制の逆機能(目標の転置、形式主義等)を指摘し、官僚制の合理性の限界を明らかにした。
  • P-A理論は、情報の非対称性と利害不一致から生じるモラルハザード・逆選択の問題を枠組みとして、政治家と官僚の関係を分析する。パトロール型・火災報知器型の監視手段が政治的統制の手段として機能する。
  • 政策過程論は、合理モデルの限界を認識したうえで、インクリメンタリズム(リンドブロム)、ゴミ箱モデル(コーエン、マーチ、オルセン)、政策の窓モデル(キングダン)など多様な分析枠組みを発展させた。
  • 政策実施研究は、トップダウン(プレスマン=ウィルダフスキー)とボトムアップ(リプスキーのストリートレベル官僚制)の二つのアプローチを発展させ、政策評価はEBPMの推進を背景に因果推論の手法を積極的に取り入れつつある。
  • 次のセクション(Section 2)では、これらの理論的枠組みを前提として、日本の行政制度の具体的な構造と行政改革の展開を検討する。

用語集(Glossary)

用語 英語表記 定義
合法的支配 Legale Herrschaft 制定された法規範の合法性に対する信念に基づく支配形態
官僚制の理念型 Ideal Type of Bureaucracy ウェーバーが提示した近代行政組織の構造的特徴の純粋な抽出
逆機能 Dysfunction マートンが指摘した官僚制の構造的欠陥(目標転置、形式主義等)
訓練された無能力 Trained Incapacity 規則遵守の習慣化により状況適応能力を失う現象
プリンシパル=エージェント理論 Principal-Agent Theory 委任者と代理人の間の利害不一致・情報非対称性の問題を分析する理論
モラルハザード Moral Hazard エージェントの行動を観察できないことから生じる自己利益追求行動
逆選択 Adverse Selection エージェントの特性を観察できないことから質の低いエージェントが選ばれる現象
火災報知器型監視 Fire Alarm Oversight 第三者の通報に依拠する事後的な官僚統制の手段
インクリメンタリズム Incrementalism 既存政策からの漸進的修正として政策決定を把握するリンドブロムの理論
ゴミ箱モデル Garbage Can Model 問題・解・参加者・選択機会の偶然的合流による意思決定モデル
政策の窓 Policy Window 三つの流れの合流により短期間だけ開く政策変化の機会
政策起業家 Policy Entrepreneur 政策推進のために自らの資源を投入し、政策の窓の機会を捉えるアクター
ストリートレベル官僚制 Street-Level Bureaucracy 市民と直接対面する第一線公務員の裁量行使を分析する理論枠組み
EBPM Evidence-Based Policy Making データ・統計的エビデンスに基づく政策立案のアプローチ

確認問題

Q1: ウェーバーの官僚制の理念型を構成する主要な特徴を4つ挙げ、それぞれが組織の合理性にどう寄与するか説明せよ。

A1: (1) 規則による権限の原則: 各職位の権限と義務を法的に明確化することで恣意的な権限行使を排除し、予測可能性を確保する。(2) 階統制と審級制: 上位官職による下位官職の監督と不服申立て制度により、統一的な組織運営と誤りの是正を可能にする。(3) 文書主義: すべての決定・命令を文書化・記録することで、業務の継続性・透明性・検証可能性を担保する。(4) 専門的訓練の前提: 試験制度による資格認定を通じて専門能力を持つ人材を配置し、業務遂行の質を確保する。これらの特徴が相互に補完し合うことで、官僚制は「没人格的」かつ技術的に効率的な行政運営を実現する。

Q2: プリンシパル=エージェント理論における「逆選択」と「モラルハザード」の違いを、行政の具体的な場面に即して説明せよ。

A2: 逆選択は契約締結前の「隠された情報」の問題であり、モラルハザードは契約締結後の「隠された行動」の問題である。行政における逆選択の例としては、政治家が官僚の真の能力や政策選好を採用・任命時に十分に判別できず、自己の選好に合致しない官僚を選んでしまう事態が挙げられる。モラルハザードの例としては、任命後の官僚が政治家からの監視の及ばない領域で自己利益(予算拡大、裁量確保等)を追求する行動をとるエージェンシー・スラックが挙げられる。前者は事前の情報非対称性、後者は事後の行動観察困難性に起因する点で本質的に異なる。

Q3: 合理モデル、インクリメンタリズム、ゴミ箱モデルの三つの政策決定モデルについて、それぞれの前提と限界を比較せよ。

A3: 合理モデルは意思決定者の完全な合理性(全代替案の列挙、結果予測、最適選択)を前提とするが、サイモンが指摘したように人間の認知能力には限界があり、この前提は非現実的である。インクリメンタリズムは限定合理性を前提として既存政策からの漸進的修正を現実的な意思決定像として描くが、現状維持バイアスを正当化し根本的政策転換を説明できないとの批判がある。ゴミ箱モデルは合理性の前提自体を放棄し、問題・解・参加者の偶然的合流として意思決定を把握するが、理論の不確定性が高く予測力に乏しいという限界を持つ。三者は合理性の仮定の強度において段階的に異なり、分析の精緻さと現実への適合度の間にトレードオフが存在する。

Q4: Kingdonの政策の窓モデルにおける「三つの流れ」と「政策起業家」の役割を説明し、ゴミ箱モデルとの理論的連続性を論ぜよ。

A4: Kingdonモデルでは、問題の流れ(社会問題の認識)、政策の流れ(政策コミュニティにおける代替案の生成・淘汰)、政治の流れ(政権交代、世論変動等)が独立に展開し、これらが合流するとき「政策の窓」が短期間だけ開く。政策起業家は、自らの資源を投入してこの機会を捕捉し、準備しておいた政策案を問題と政治的機会に結びつける戦略的行為者である。このモデルはゴミ箱モデルの「問題・解・参加者・選択機会の独立した流れが偶然的に合流する」という発想を連邦政策過程に応用したものであり、決定を合理的因果連鎖の帰結ではなくタイミングと偶然の産物として把握する点で理論的連続性を持つ。ただしKingdonモデルは政策起業家という意図的行為者を導入することで、ゴミ箱モデルよりも戦略的行為の分析余地を拡大している。

Q5: トップダウン・アプローチとボトムアップ・アプローチの政策実施論における相違点を、リプスキーのストリートレベル官僚制論に言及しつつ説明せよ。

A5: トップダウン・アプローチ(プレスマン=ウィルダフスキー等)は政策決定者の意図を出発点とし、決定された政策が実施過程の各段階を経て忠実に執行されるか否かを分析する。政策目標の明確性、因果理論の妥当性、承認点の数などが実施成否の変数となる。ボトムアップ・アプローチはこれに対し、実施の現場から出発する。リプスキーのストリートレベル官僚制論によれば、教師・警察官・ケースワーカー等の第一線公務員は、資源不足・目標の曖昧性・大きな裁量という構造的条件の下で、サービスの配給やクライアントのカテゴリー化等の対処戦略を発展させ、事実上の政策形成者として機能する。トップダウンが「設計された政策はなぜ失敗するか」を問うのに対し、ボトムアップは「現場で実際にどのような政策が実施されているか」を問う点で分析の出発点と方向性が根本的に異なる。