Module 3-1 - Section 1: ポピュリズムの理論と民主主義の後退¶
セクション情報¶
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| モジュール | Module 3-1: 現代民主主義の諸問題 |
| 前提セクション | なし |
| 想定学習時間 | 5時間 |
導入¶
21世紀に入り、民主主義は世界的に後退局面に入っている。V-Dem(Varieties of Democracy)研究所の2025年報告によれば、世界の自由民主主義国は29か国にまで減少し、権威主義国(91か国)が民主主義国(88か国)を上回った。この逆転は冷戦終結後初めてのことである。
こうした状況の中心にあるのがポピュリズムと民主主義の後退(democratic backsliding)という二つの現象である。ポピュリズムは「人民」の名のもとに既存のエリートや制度を攻撃する政治的潮流であるが、それ自体が民主主義を破壊するとは限らない。一方、民主主義の後退は選挙で選ばれた指導者が合法的手段を用いて民主的制度を漸進的に弱体化させるプロセスであり、かつてのクーデターとは根本的に異なる。
本セクションでは、まずポピュリズムの理論的定義と類型を検討し、ポピュリズムと民主主義の両義的関係を分析する。次いで、民主主義の後退のメカニズムと世界的トレンドを、ハンガリー、ベネズエラ、トルコ、ポーランドなどの具体的事例とともに検討する。
ポピュリズムの概念と定義¶
ポピュリズムは政治学において最も論争的な概念の一つであり、その定義をめぐっては複数の有力なアプローチが競合している。
「薄い中心イデオロギー」アプローチ¶
現在最も広く受け入れられている定義は、カス・ムッデ(Cas Mudde)とクリストバル・ロビラ・カルトワッサー(Cristóbal Rovira Kaltwasser)が提唱した「薄い中心イデオロギー」(thin-centered ideology)アプローチである。
Key Concept: 薄い中心イデオロギー(Thin-centered Ideology) ポピュリズムを、社会が「純粋な人民」(the pure people)と「腐敗したエリート」(the corrupt elite)という二つの同質的で対立する集団に分断されていると考え、政治は人民の一般意志(volonté générale)の表現であるべきだとするイデオロギーとして定義するアプローチ。ムッデとカルトワッサーによって体系化された。
この定義の核心は「薄い中心」(thin-centered)という点にある。ポピュリズムは政治課題の一部にしか対応せず、経済体制や政治体制についての固有の見解を持たない。そのため現実の政治では、ポピュリズムは常に「宿主イデオロギー」(host ideology)と結合して現れる。右派ポピュリズムはナショナリズムやナティビズム(排外主義)と結びつき、左派ポピュリズムは社会主義や反帝国主義と結合する。
もう一つの重要な特徴は、ポピュリズムが政治的競争を道徳的用語で定義する点である。「人民」は道徳的に「純粋」であり、「エリート」は「腐敗」している。この道徳的二項対立により、妥協は「純粋なもの」の堕落を意味することになり、多元主義的な民主政治との緊張が生じる。
言説・政治戦略アプローチ¶
エルネスト・ラクラウ(Ernesto Laclau)とシャンタル・ムフ(Chantal Mouffe)は、ポピュリズムをイデオロギーではなく政治的な言説(discourse)ないし政治ロジックとして捉えた。ラクラウの理論において、ポピュリズムとは政治的フロンティア(境界線)を構築する戦略であり、「下からの者たち」と「上の者たち」の間に境界線を引く行為である。
ラクラウは「空虚なシニフィアン」(empty signifier)という概念を導入した。これは、正義や人民といった普遍的理念を表す言葉が、特定の内容を持たないまま政治的環境を象徴的に構造化する機能を持つことを指す。この理論では、ポピュリズムは政治に内在する敵対性(antagonism)の表現であり、必ずしも民主主義と対立するものではない。
政治戦略アプローチ¶
クルト・ワイラント(Kurt Weyland)をはじめとする研究者は、ポピュリズムを個人的リーダーが組織を介さずに大衆の支持を直接動員する政治戦略として定義する。この定義はラテンアメリカの事例分析において特に有力であり、カリスマ的指導者が既存の政党や中間組織を迂回して直接的な支持動員を行う現象を捉えている。
graph TD
A["ポピュリズムの定義アプローチ"] --> B["薄い中心イデオロギー<br/>Mudde & Kaltwasser"]
A --> C["言説・政治ロジック<br/>Laclau & Mouffe"]
A --> D["政治戦略<br/>Weyland"]
B --> B1["核心: 人民 vs エリートの<br/>道徳的二項対立"]
B --> B2["特徴: 宿主イデオロギーと結合"]
C --> C1["核心: 政治的フロンティアの構築"]
C --> C2["特徴: 空虚なシニフィアン"]
D --> D1["核心: カリスマ的リーダーによる<br/>直接的大衆動員"]
D --> D2["特徴: 中間組織の迂回"]
左派ポピュリズムと右派ポピュリズム¶
ポピュリズムの具体的な表現形態は、結合する宿主イデオロギーによって大きく異なる。
右派ポピュリズムは、ヨーロッパで顕著に見られる形態であり、ナショナリズムやナティビズムと結合する。「人民」は民族的・文化的に同質な集団として定義され、「エリート」に加えて移民や少数民族などの「外部の敵」が排除の対象となる。フランスの国民連合(旧国民戦線)、ハンガリーのフィデス(Fidesz)、オランダの自由党などが典型的な事例である。
左派ポピュリズムは、ラテンアメリカで伝統的に強い形態であり、社会主義や反帝国主義と結合する。「人民」は社会経済的に搾取された大衆として定義され、「エリート」は経済的寡頭支配層やその背後にある外国勢力とされる。ベネズエラのウゴ・チャベス(Hugo Chávez)政権、ボリビアのエボ・モラレス(Evo Morales)政権、スペインのポデモス(Podemos)が代表例である。
両者に共通するのは、「純粋な人民」対「腐敗したエリート」という基本構造であるが、「人民」の定義と排除の対象が根本的に異なる。カルトワッサーとムッデは、ラテンアメリカのポピュリズム研究が包摂的(inclusive)な側面を強調する一方、ヨーロッパのポピュリズム研究は排除的(exclusive)な側面を強調する傾向があると指摘している。
ポピュリズムと民主主義の両義的関係¶
ポピュリズムと民主主義の関係は単純な対立構造では捉えられない。ムッデとカルトワッサーは編著『ヨーロッパとアメリカ大陸におけるポピュリズム:脅威か矯正か』(2012)において、この両義性を体系的に分析した。
民主主義の脅威としてのポピュリズム¶
ポピュリズムが民主主義に対する脅威となる経路は複数ある。
第一に、ポピュリズムの道徳的二項対立は多元主義(pluralism)と根本的に相容れない。政治的競争を善対悪の闘いとして捉えるため、反対派は「腐敗したエリート」の一員として正統性を否定される。これは民主主義の基本的前提である反対派の正統性(mutual toleration)を掘り崩す。
第二に、ポピュリズムは自由主義的制度(liberal institutions)に対して敵対的である。権力分立、司法の独立、メディアの自由、少数派の権利保護といった制度は、「人民の意志」の実現を妨げる障害とみなされやすい。ポピュリスト指導者が権力を掌握した場合、これらの制度的制約を除去しようとする傾向がある。
第三に、ポピュリズムは政治をゼロサムゲームとして構成する。「人民」に属さないとみなされた集団は排除の対象となり、少数派の権利が侵害される危険がある。
民主主義の「矯正」としてのポピュリズム¶
一方で、ポピュリズムは民主主義にとって「矯正」(corrective)として機能しうるとする見方も有力である。
第一に、ポピュリズムは政治的排除に対する異議申し立てとして機能する。既存の政治システムから疎外された人々に声を与え、政治参加を促進する。ラテンアメリカにおけるポピュリズムは、先住民や都市貧困層などの周縁化された集団を政治過程に包摂する役割を果たした。
第二に、ポピュリズムはエリートの応答性の欠如(unresponsiveness)に対する民主的反応として理解できる。ムッデは、ポピュリズムは「非自由主義的な民主的応答」(illiberal democratic response)であると同時に「非民主的なリベラリズムへの応答」(response to undemocratic liberalism)でもあると論じている。テクノクラート支配やEUのような超国家機関による決定が民主的正統性を欠くとき、ポピュリズムは人民主権の再主張として現れる。
第三に、ポピュリズムは争点の可視化を促進する。既存の政党システムが扱わない問題(移民、格差、主権など)を政治議題に乗せることで、民主的議論の活性化に寄与しうる。
Key Concept: ポピュリズム(Populism) 社会を「純粋な人民」と「腐敗したエリート」に二分し、人民の一般意志に基づく政治を主張する薄い中心イデオロギー。民主主義に対する脅威と矯正の両面を持つ。
民主主義の後退(Democratic Backsliding)¶
概念と類型¶
Key Concept: 民主主義の後退(Democratic Backsliding) 国家主導で既存の民主主義を支える政治制度が弱体化・解体されるプロセス。ナンシー・バーミオによって体系化され、現代では選挙で選ばれた指導者による漸進的な制度侵食が主要な形態となっている。
ナンシー・バーミオ(Nancy Bermeo)は、2016年の論文「民主主義の後退について」において、民主主義の後退の類型を整理した。バーミオは、冷戦終結以降、民主主義の崩壊形態が根本的に変化したことを示した。
古典的形態: かつての民主主義の崩壊は、軍事クーデターや革命による突然の体制転換が典型であった。これらは暴力的で、明確な断絶点を持ち、国際的な非難の対象となりやすかった。
現代的形態: 現代の民主主義の後退は、以下の三つの形態で生じる。
- 約束的クーデター(promissory coup): 軍が民主主義の回復を「約束」しながら権力を掌握するもの。
- 行政権の漸進的拡大(executive aggrandizement): 選挙で選ばれた行政府の長がチェック・アンド・バランスを一つずつ弱体化させるもの。
- 戦略的選挙操作(strategic electoral manipulation): 選挙制度を操作して野党の勝利を困難にするもの。
Key Concept: 行政権の漸進的拡大(Executive Aggrandizement) 選挙で選ばれた行政府の長が、合法的手段を通じて三権分立・司法の独立・メディアの自由などの制度的チェックを漸進的に弱体化させるプロセス。クーデターとは異なり首長の交替を伴わず、合法性の外観を維持するため検知・抵抗が困難である。
バーミオが示した最も重要な知見は、現代において最も頻度が高く危険な形態が行政権の漸進的拡大であるという点である。この形態は合法的チャネルを通じて実行されるため、民主主義の正統性の外観を維持しつつ、その実質を空洞化させることが可能である。
レヴィツキーとジブラットの「民主主義の死に方」¶
スティーブン・レヴィツキー(Steven Levitsky)とダニエル・ジブラット(Daniel Ziblatt)は、2018年の著作『民主主義の死に方』(How Democracies Die)において、バーミオの類型論をさらに発展させた。彼らの核心的議論は、現代の民主主義は「一撃」(bang)ではなく「すすり泣き」(whimper)のうちに死ぬということである。
Key Concept: 民主主義のガードレール(Democratic Guardrails) 民主主義を支える非公式の規範・慣行のこと。レヴィツキーとジブラットは特に「相互的寛容」(mutual toleration: 対立する政党が互いを正統な競争相手として認める)と「制度的自制」(institutional forbearance: 制度的権限を最大限行使しないという自制)の二つの規範を重視した。
レヴィツキーとジブラットは、権威主義的指導者の行動パターンを四つの指標で特定した。
- 民主主義のルールに対する弱いコミットメント(または拒否)
- 政治的反対派の正統性の否定
- 暴力の容認・奨励
- メディアや反対派の市民的自由の制限への意欲
重要なのは、これらの兆候を持つ政治家が権力に到達する前に排除する「門番機能」(gatekeeping)を政党が担うべきだという議論である。民主主義の後退は、この門番機能が失敗するときに始まる。
V-Demデータによる世界的トレンド¶
Key Concept: 第三の民主化の波の逆流(Reverse Wave / Third Wave of Autocratization) サミュエル・ハンチントンが論じた「第三の民主化の波」(1974年以降)の後退現象。V-Dem研究所は現在の局面を「第三の専制化の波」と呼び、既存の民主主義国における後退、民主化途上国における崩壊、既存の権威主義体制の深化の三つの形態を含むとしている。
V-Dem研究所の2025年報告書(Democracy Report 2025)は、世界的な民主主義の後退の深刻さを数量的に示している。
主要な知見は以下の通りである。
- 自由民主主義の水準: 人口加重平均で1985年の水準にまで後退。国別平均では1996年の水準まで低下。
- 専制化の進行: 45か国で専制化(autocratization)が進行中。これに対し民主化が進行中の国は19か国にとどまる。
- 体制類型の逆転: 2024年時点で民主主義国88、権威主義国91となり、20年ぶりに権威主義国が多数派に。自由民主主義国は最も少ない体制類型(29か国)となった。
- 表現の自由: 全世界の約4分の1の国で表現の自由が悪化。これは過去25年間で最悪の記録である。
- 偽情報と分極化: 専制化が進行中の国のほぼ半数で政府による偽情報拡散が増加。全世界の4分の1の国で政治的分極化が深まっている。
民主主義の後退の事例分析¶
ハンガリー:オルバン政権の「非自由主義国家」建設¶
ハンガリーのヴィクトル・オルバン(Viktor Orbán)首相と与党フィデス(Fidesz)による民主主義の後退は、バーミオの「行政権の漸進的拡大」の教科書的事例である。オルバンは2010年の総選挙でフィデスが議席の3分の2を獲得して以降、以下の段階を経て体制を変容させた。
第一段階:憲法秩序の改変(2010-2012年) 2011年、新憲法(「基本法」)を制定し、憲法裁判所の権限を大幅に縮小した。判事の退職年齢を70歳から62歳に引き下げることで、ベテラン判事を一斉退職させ、フィデスに忠実な判事を任命した。
第二段階:メディアの掌握 独立メディアに対する経済的圧力を通じて、批判的報道機関を買収または廃業に追い込んだ。2018年までに、与党に友好的なオリガルヒがハンガリーのメディアの大部分を支配する状態となった。2023年には「国家主権防衛法」を制定し、外国からの資金を受ける組織の調査権限を政府に付与した。
第三段階:選挙制度の操作 選挙区の区割りを変更し、選挙法を改正して与党に有利な条件を整えた。これにより、フィデスの得票率が過半数を下回る場合でも議席の3分の2を獲得できる構造を作り出した。
第四段階:司法の完全掌握 2019年には行政裁判所を新設し、人権・選挙・庇護に関する訴訟を行政府の監督下に置いた。オルバン自身が2014年に「非自由主義国家」(illiberal state)の建設を公言しており、民主主義の手続き(選挙、議会、法律)を用いて民主主義の実質を解体するという逆説的なプロセスを体現している。
ベネズエラ:チャベス政権の左派ポピュリズムと民主主義崩壊¶
ベネズエラのウゴ・チャベス政権(1999-2013年)は、左派ポピュリズムが民主主義の後退をもたらした代表的事例である。
チャベスは1998年の大統領選挙で既存の二大政党体制への不満を背景に当選した。「人民対寡頭支配」というポピュリスト的言説を駆使し、マルクス主義的な階級闘争のレトリックを重ねた。
制度的侵食の過程: 就任直後の1999年、国民議会の承認を経ずに制憲議会を招集し、新憲法を起草した。この新憲法は大統領の権限を大幅に拡大し、再選制限を緩和した。その後、メディアの抑圧、軍の政治化、司法の支配を進めた。
チャベスの手法は、バーミオの行政権漸進的拡大のパターンに正確に合致する。選挙は形式的に維持されたが、メディアの支配、司法の従属化、野党への制度的妨害により、競争的な選挙の実質は徐々に失われた。レヴィツキーとウェイ(Lucan Way)の用語では、ベネズエラは「完全な権威主義」ではなく「競争的権威主義」(competitive authoritarianism)の段階を経由して権威主義化した。
Key Concept: 競争的権威主義(Competitive Authoritarianism) レヴィツキーとウェイが提唱した体制概念。形式的には多党制選挙が実施されるが、現職者が国家資源やメディアの支配などを通じて不当な優位を享受する体制。完全な民主主義でも完全な権威主義でもない「ハイブリッド体制」の一形態。
トルコ:エルドアン政権と大統領制への移行¶
トルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン(Recep Tayyip Erdoğan)と公正発展党(AKP)の事例は、段階的な行政権拡大の典型例である。
エルドアンは2003年に首相に就任し、当初は民主化改革を推進した(EU加盟交渉の文脈)。しかし2010年代以降、権威主義化が加速した。2013年のゲジ公園抗議運動への弾圧、2016年のクーデター未遂事件後の大規模粛清を経て、2017年の憲法改正国民投票で議院内閣制から大統領制への移行が僅差で可決された。
2017年の憲法改正は、首相職の廃止、大統領への閣僚・副大統領の任命権付与、大統領令の発出権、司法委員会への判事任命権、議会解散権を含む広範な権限集中をもたらした。この国民投票自体も、適切な公印のない投票用紙の有効化、メディアの偏向、野党への妨害が指摘された。
ポーランド:「法と正義」党による司法の掌握¶
ポーランドにおける「法と正義」党(PiS: Prawo i Sprawiedliwość)による民主主義の後退(2015-2023年)は、司法の独立への攻撃に特化した事例として重要である。
PiSは2015年の選挙で勝利した直後、憲法裁判所の判事任命をめぐる危機を意図的に引き起こした。前政権が任命した5名の判事の就任を阻止し、PiSに忠実な判事を任命した。さらに、憲法裁判所の審理手続きを変更し、案件を時系列順に処理することを義務づける法律を制定して裁判所を実質的に機能停止させた。
続いて、通常裁判所の判事人事権を掌握し、検察総長を法務大臣と兼任させることで検察の政治的独立を排除した。2018年には最高裁判所の判事退職年齢を引き下げ、最高裁判所長官を含むベテラン判事の強制退職を図った。
この事例はEUの法の支配メカニズム(EU条約第7条手続き)が発動された数少ない事例であり、国際的な民主主義防衛の限界も同時に示した。なお、2023年の選挙でPiSが政権を失い、新政権が民主主義の修復に着手したが、任命済みの判事の処遇など、後退の「巻き戻し」が極めて困難であることも明らかになっている。
graph LR
A["選挙での勝利<br/>民主的正統性の獲得"] --> B["憲法・基本法の改正<br/>権限の法的拡大"]
B --> C["司法の掌握<br/>判事の入替・権限縮小"]
C --> D["メディアの支配<br/>批判的報道の抑圧"]
D --> E["選挙制度の操作<br/>競争条件の歪曲"]
E --> F["競争的権威主義<br/>形式的選挙は維持"]
style A fill:#4CAF50,color:#fff
style F fill:#F44336,color:#fff
民主主義の後退の構造的要因¶
経済的不平等と文化的反発¶
民主主義の後退の背景要因については、「経済的不安定」説と「文化的反発」説が競合している。
経済的不安定説: トマ・ピケティ(Thomas Piketty)が『21世紀の資本』(2013年)で示したように、先進国では所得格差が拡大し、中間層の実質所得が停滞・低下している。グローバル化と脱工業化の敗者が既存の政治エリートへの不信を強め、ポピュリスト指導者への支持に向かうという経路である。
文化的反発説: ピッパ・ノリス(Pippa Norris)とロナルド・イングルハート(Ronald Inglehart)は『文化的反発』(Cultural Backlash, 2019)において、ポスト物質主義的価値観(多文化主義、ジェンダー平等、世俗化、性的少数者の権利)の浸透に対する伝統主義者の反動が権威主義的ポピュリズムの原動力であると論じた。経験的分析の結果、経済的要因よりも文化的要因のほうがポピュリスト政党への投票をよく説明することを示した。
イングルハートは両要因の相互作用を認めつつ、経済的不平等は政府介入への支持拡大をもたらす可能性があるが、現時点では移民や同性婚といった「感情的に熱い」(emotionally hot)文化的争点がそれを阻んでいると論じている。
制度的脆弱性と門番機能の失敗¶
レヴィツキーとジブラットは、民主主義の後退が生じるか否かは、制度の設計だけでなく、政党が「門番」(gatekeeper)として権威主義的傾向を持つ候補者を排除できるかどうかに依存すると論じた。
歴史的に、政党は候補者選定過程を通じて、権威主義的人物が権力に到達することを防いできた。しかし、予備選挙の導入やメディア環境の変化により、政党エリートの門番機能は弱体化している。候補者が政党組織を迂回してメディアを通じて直接有権者に訴えかけることが可能になったため、政党による品質管理が困難になった。
国際的波及と民主主義支援の限界¶
冷戦期には、米国やEUが民主主義の防衛に積極的な役割を果たした。しかし現在、いくつかの要因により国際的な民主主義支援のメカニズムが弱体化している。
第一に、中国やロシアなどの権威主義的大国が、「主権」や「内政不干渉」の原則を盾に民主主義への国際的圧力に対抗している。第二に、民主主義の後退が合法的手段で進行するため、明確な「レッドライン」を引くことが困難であり、EU第7条手続きのようなメカニズムも実効性に欠ける。第三に、欧米諸国自身が国内の民主主義的規範の侵食に直面しており、外部への民主主義促進の信頼性が低下している。
まとめ¶
- ポピュリズムの定義には複数のアプローチが存在するが、ムッデとカルトワッサーの「薄い中心イデオロギー」アプローチが現在最も広く採用されている。ポピュリズムは常に宿主イデオロギーと結合し、右派ポピュリズム(排外主義的)と左派ポピュリズム(包摂的だが反多元主義的)に分岐する。
- ポピュリズムと民主主義の関係は両義的である。民主主義を脅かす側面(多元主義の否定、自由主義的制度への敵対)と、民主主義を矯正する側面(排除された集団の包摂、エリートの応答性向上)を同時に持つ。
- 現代の民主主義の後退は、軍事クーデターではなく、選挙で選ばれた指導者による合法的手段を通じた漸進的な制度侵食(行政権の漸進的拡大)として生じる。これはバーミオ、レヴィツキー=ジブラットが共通して指摘する中心的知見である。
- V-Demデータは、世界的な「第三の専制化の波」の深刻さを数量的に示している。自由民主主義国は29か国にまで減少し、権威主義国が民主主義国を上回った。
- ハンガリー、ベネズエラ、トルコ、ポーランドの事例は、合法的手段による民主主義侵食のパターンを共有しつつも、イデオロギー的背景(右派/左派)、侵食の速度、国際的文脈において異なる特徴を示す。
- 民主主義の後退の構造的要因として、経済的不平等、文化的反発、制度的脆弱性(門番機能の失敗)、国際的民主主義支援の限界が相互に作用している。
- 次セクションでは、民主主義の後退を加速させる現代特有の要因として、政治的分極化、デジタル技術、ポスト真実の問題を検討する。
用語集(Glossary)¶
| 用語 | 英語表記 | 定義 |
|---|---|---|
| ポピュリズム | Populism | 社会を「純粋な人民」と「腐敗したエリート」に二分し、人民の一般意志に基づく政治を主張する薄い中心イデオロギー |
| 薄い中心イデオロギー | Thin-centered Ideology | 政治課題の一部にのみ対応し、具体的な経済・政治体制の構想を持たないイデオロギー。常に宿主イデオロギーと結合して現れる |
| 民主主義の後退 | Democratic Backsliding | 国家主導で既存の民主主義を支える政治制度が弱体化・解体されるプロセス |
| 行政権の漸進的拡大 | Executive Aggrandizement | 選挙で選ばれた行政府の長が合法的手段を通じてチェック・アンド・バランスを漸進的に弱体化させるプロセス |
| 民主主義のガードレール | Democratic Guardrails | 民主主義を支える非公式の規範。特に相互的寛容と制度的自制を指す(レヴィツキー=ジブラット) |
| 競争的権威主義 | Competitive Authoritarianism | 形式的には多党制選挙が実施されるが、現職者が不当な優位を享受するハイブリッド体制(レヴィツキー=ウェイ) |
| 第三の専制化の波 | Third Wave of Autocratization | 冷戦後の民主化の波が逆転し、世界的に権威主義化が進行する現象。V-Dem研究所が名付けた |
| 空虚なシニフィアン | Empty Signifier | 特定の内容を持たないまま政治環境を象徴的に構造化する言葉・概念(ラクラウ) |
| 相互的寛容 | Mutual Toleration | 対立する政党が互いを正統な競争相手として認める民主的規範 |
| 制度的自制 | Institutional Forbearance | 制度上の権限を最大限に行使しないという政治的自制の規範 |
| 門番機能 | Gatekeeping | 政党が候補者選定を通じて権威主義的人物の権力到達を防ぐ機能 |
| 文化的反発 | Cultural Backlash | ポスト物質主義的価値観の浸透に対する伝統主義者の反動。ノリスとイングルハートが体系化 |
確認問題¶
Q1: ムッデとカルトワッサーによるポピュリズムの定義の核心を説明し、それが「薄い中心イデオロギー」と呼ばれる理由を述べよ。
A1: ムッデとカルトワッサーは、ポピュリズムを「社会が純粋な人民と腐敗したエリートという二つの同質的かつ対立する集団に分断されているとみなし、政治は人民の一般意志の表現であるべきだ」とするイデオロギーと定義した。「薄い中心イデオロギー」と呼ばれるのは、ポピュリズムが政治課題の一部(人民対エリートの対立構造)にしか対応せず、最適な経済体制や政治体制についての固有の見解を持たないためである。そのため現実の政治では、ポピュリズムは右派ではナショナリズムと、左派では社会主義といった「宿主イデオロギー」と結合して初めて具体的な政治プログラムとなる。
Q2: バーミオの類型論における「行政権の漸進的拡大」の特徴を、古典的クーデターとの対比で説明せよ。
A2: 古典的クーデターは軍事力などによる突然の政権転覆であり、行政府の長の交替を伴い、明確な断絶点を持つ。これに対し「行政権の漸進的拡大」は、選挙で選ばれた行政府の長が、首長の交替を伴わず、合法的チャネルを通じて、チェック・アンド・バランスを一つずつ段階的に弱体化させるプロセスである。制度変更が法律や憲法改正の形式をとるため、民主的正統性の外観を維持することができ、検知と抵抗が困難である。バーミオは現代においてこの形態が最も頻度が高く危険であると指摘した。
Q3: レヴィツキーとジブラットが「民主主義のガードレール」として重視した二つの規範を説明し、それが失われることでどのような帰結が生じるかを論ぜよ。
A3: レヴィツキーとジブラットが重視した二つの規範は、「相互的寛容」(mutual toleration)と「制度的自制」(institutional forbearance)である。相互的寛容とは、対立する政党が互いを正統な競争相手として認める規範であり、これが失われると反対派は「敵」とみなされ、あらゆる手段による排除が正当化される。制度的自制とは、制度上認められた権限を最大限に行使しないという規範であり、これが失われると、弾劾権の濫用、議事妨害の常態化、司法人事の政治化など、制度の「核オプション」が無制限に行使され、民主主義的競争がゼロサムの権力闘争に転化する。両規範の侵食は相互に強化し合い、民主主義の後退を加速させる。
Q4: ハンガリーのオルバン政権が民主主義を後退させた具体的な段階を3つ挙げ、それぞれがバーミオの「行政権の漸進的拡大」のどの側面に対応するかを論ぜよ。
A4: 第一に、2011年の新憲法制定と憲法裁判所の権限縮小(判事退職年齢の引き下げによる人事入替を含む)は、司法の独立性の弱体化に対応する。第二に、経済的圧力を通じた独立メディアの買収・廃業への追い込みは、メディアの自由の制限であり、行政府への批判能力の排除に対応する。第三に、選挙区割りの変更と選挙法改正による与党有利な制度設計は、戦略的選挙操作の側面も含むが、合法的手段を通じた野党の挑戦力の弱体化という行政権漸進的拡大の本質的要素である。いずれも議会多数派の立法権を用いて合法的に実行された点で、バーミオが指摘した「合法性の外観の維持」という特徴を共有している。
Q5: ポピュリズムの台頭の要因として「経済的不安定説」と「文化的反発説」があるが、両者の主張を比較し、イングルハートとノリスの実証的知見を踏まえてどちらがより説得力を持つかを論ぜよ。
A5: 経済的不安定説は、グローバル化と脱工業化による所得格差拡大・中間層の停滞が政治的不満を生み、ポピュリスト指導者への支持につながると主張する(ピケティの議論が背景)。文化的反発説は、多文化主義やジェンダー平等などのポスト物質主義的価値観の浸透に対する伝統主義者の反動が権威主義的ポピュリズムの原動力であると主張する。ノリスとイングルハートの実証分析によれば、ポピュリスト政党への投票行動をより強く説明するのは文化的要因であり、経済的要因単独では不十分であるとされる。ただしイングルハート自身は両要因の相互作用を認めており、経済的不平等が文化的不安を増幅するという経路を排除していない。両説は排他的ではなく、経済的不安定が文化的反発を強め、それがポピュリスト動員の土壌を形成するという統合的理解が最も説得力を持つと考えられる。