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Module 3-1 - Section 2: 政治的分極化・デジタル技術・ポスト真実

セクション情報

項目 内容
モジュール Module 3-1: 現代民主主義の諸問題
前提セクション Section 1: ポピュリズムの理論と民主主義の後退
想定学習時間 5時間

導入

前セクションでは、ポピュリズムと民主主義の後退(democratic backsliding)のメカニズムを検討した。民主主義の後退は選挙で選ばれた指導者が合法的手段を通じて制度を漸進的に侵食するプロセスであり、その構造的要因として経済的不平等、文化的反発、制度的脆弱性が相互に作用していることを確認した。

本セクションでは、民主主義の後退を加速させる現代特有の要因として、政治的分極化(political polarization)、デジタル技術の政治的影響、そしてポスト真実(post-truth)の政治を検討する。これらの三つの現象は相互に連関している。政治的分極化が深まると党派的メディア消費が促進され、デジタル技術がその傾向を増幅しうる。さらに、分極化した環境では事実よりも感情や信念に基づく政治的判断が優先される「ポスト真実」的状況が生じやすくなる。

ただし、これらの因果関係は単純ではなく、いずれの方向にも議論がある。本セクションでは、各現象の学術的定義と実証的根拠を整理したうえで、その相互関係と民主主義への含意を検討する。


政治的分極化

分極化の二つの次元:イデオロギー的分極化と感情的分極化

政治的分極化とは、政治的立場や態度が両極端に分かれていく現象を指す。政治学において分極化は大きく二つの次元に区分される。

Key Concept: イデオロギー的分極化(Ideological Polarization) 有権者や政治エリートの政策的立場が、リベラル・保守の両極に向かって拡散する現象。中間的立場をとる層が減少し、政策的見解が一貫して保守的あるいはリベラルに整列する傾向を指す。

Key Concept: 感情的分極化(Affective Polarization) 自党に対する好意と対立党に対する嫌悪・不信が強まる現象。政策的な意見の相違とは独立に、党派的所属そのものが社会的アイデンティティとして機能し、対立党の支持者に対する感情的敵意が増大する。アイエンガーとウェストウッド(Shanto Iyengar and Sean Westwood, 2015)が体系的に概念化した。

この区別は重要である。イデオロギー的分極化は政策選好の分布に関する現象であり、有権者が実質的に異なる政策を支持している状態を指す。一方、感情的分極化は社会心理学的現象であり、社会的アイデンティティ理論(social identity theory)に根拠を持つ。アイエンガーとウェストウッドの実験研究(2015)は、アメリカの党派間の暗黙のバイアスが人種間のバイアスを上回ることを示した。具体的には、実験参加者が奨学金の選考において、学業成績に関わらず同じ党派の候補者を優遇する傾向が確認された。

二つの分極化は必ずしも連動しない。有権者レベルでのイデオロギー的分極化はしばしば誇張されているのに対し、感情的分極化は実証的に一貫して確認されている。ドラックマンとレヴェンダスキー(James Druckman and Matthew Levendusky)は、感情的分極化の測定には感情温度計(feeling thermometer)による内集団と外集団の評価差が最も広く用いられているが、測定項目間の関係が十分に整理されていないという方法論的課題を指摘している。

アメリカにおける分極化の進行

アメリカの分極化は、議会レベルと有権者レベルの双方で記録されている。

議会レベルの分極化:1970年代以降、共和党と民主党の議員の投票行動は継続的に乖離してきた。DW-NOMINATE(Dynamic Weighted Nominal Three-Step Estimation)スコアで測定すると、両党間のイデオロギー的距離は南北戦争直後以来の水準に達している。この背景には、南部民主党の保守派が共和党に移行した政党再編成(party realignment)、予備選挙制度の影響、選挙区の再編(gerrymandering)など複数の制度的要因がある。

有権者レベルの分極化:ピュー研究所(Pew Research Center)の継続調査は有権者レベルでの分極化を詳細に記録している。2014年の大規模調査では、一貫して保守的またはリベラルな意見を持つアメリカ人の割合が過去20年間で10%から21%に倍増したことが明らかになった。また、共和党支持者の92%が民主党支持者の中央値より右に位置し、民主党支持者の94%が共和党支持者の中央値より左に位置する。

党派的敵対感情の増大:感情的分極化はさらに顕著に進行している。1994年には共和党支持者の17%が民主党に対して「非常に好ましくない」と回答していたが、2022年にはこの数値が62%にまで上昇した。民主党側も同様の傾向を示し、54%が共和党に「非常に好ましくない」と回答している。さらに、2019年の調査では、相手党を「国の幸福に対する脅威」と見なす層が増加しており、分極化が単なる意見の相違を超えて実存的脅威の認識に転化していることが示されている。

分極化の構造的要因

分極化の原因をめぐっては複数の説明枠組みが提示されている。

メディア環境の変容:1987年のフェアネス・ドクトリン(Fairness Doctrine)撤廃以降、党派的ケーブルテレビ(Fox News, MSNBC等)やトークラジオが台頭し、有権者が自己の政治的立場を強化する情報に選択的に接触する環境が形成された。

経済的不平等の拡大:1970年代以降の所得格差の拡大は、再分配政策をめぐる対立を先鋭化させた。マッカーティ、プール、ローゼンタール(Nolan McCarty, Keith Poole, Howard Rosenthal)は、所得格差と議会の分極化の間に強い相関関係があることを示している。

人口動態的選別(sorting):ビル・ビショップ(Bill Bishop)が『ビッグ・ソート』(The Big Sort, 2008)で論じたように、アメリカ人は政治的に同質な地域に集住する傾向を強めており、これが日常的な異質な他者との接触を減少させている。

エリートの分極化の波及:有権者の分極化がエリート主導で進むのか、草の根から発するのかについては議論がある。フィオリーナ(Morris Fiorina)は有権者の大多数は穏健であり、分極化はエリートレベルの現象が誇張されたものだと主張する一方、アブラモウィッツ(Alan Abramowitz)は有権者レベルでも実質的な分極化が進行していると反論している。

分極化と民主主義の質

分極化が民主主義の質に与える影響は多面的である。レビツキーとジブラットが論じた「民主主義のガードレール」、すなわち相互的寛容(mutual toleration)と制度的自制(institutional forbearance)は、分極化の深化によって直接的に損なわれる(→ Module 3-1, Section 1「ポピュリズムの理論と民主主義の後退」参照)。対立する政党を正統な競争相手と見なさず「国の脅威」と認識するようになれば、制度上の権限を最大限に行使しないという自制の規範は崩壊する。

実証的にも、感情的分極化とイデオロギー的分極化の双方が民主主義の質の低下と関連することが比較政治学的に示されている。ハイナル(Áron Hajnal, 2025)の153か国パネル分析は、感情的分極化が高い国ほど政治的腐敗の水準が高いことを確認した。

graph TD
    A["政治的分極化の構造的要因"] --> B["メディア環境の変容"]
    A --> C["経済的不平等の拡大"]
    A --> D["人口動態的選別"]
    A --> E["エリートの分極化"]

    B --> F["党派的メディア消費"]
    C --> F
    D --> G["日常的接触の減少"]
    E --> F

    F --> H["感情的分極化の深化"]
    G --> H
    H --> I["民主主義のガードレールの毀損"]
    I --> J["相互的寛容の喪失"]
    I --> K["制度的自制の崩壊"]
    J --> L["民主主義の質の低下"]
    K --> L

デジタル技術と民主主義

SNSと政治コミュニケーションの変容

インターネットとソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)の普及は、政治コミュニケーションの構造を根本的に変容させた。従来のマスメディアが「少数から多数へ」(one-to-many)の情報伝達モデルであったのに対し、SNSは「多数から多数へ」(many-to-many)のモデルを可能にした。これにより、情報の生産と流通に関するゲートキーパー(門番)としてのマスメディアの機能が弱体化した。

この変化は民主主義に対して両義的な影響を持つ。一方では、市民の政治参加の障壁を低下させ、周縁化された声を可視化し、権力の監視を可能にする。2011年の「アラブの春」やアメリカの「Black Lives Matter」運動におけるSNSの動員力はこの側面を示している。他方では、偽情報の拡散、感情的対立の増幅、データを通じた市民の監視といった負の影響も生じている。

フィルターバブルとエコーチェンバー

デジタル技術が民主的な公共圏に与える影響を論じる際に頻繁に参照される概念が、フィルターバブル(filter bubble)とエコーチェンバー(echo chamber)である。

Key Concept: フィルターバブル(Filter Bubble) イーライ・パリサー(Eli Pariser, 2011)が提唱した概念。検索エンジンやSNSのアルゴリズムが個人の過去の行動履歴に基づいて情報を選別・表示することで、利用者が自己の既存の信念を強化する情報にのみ接触する状態が生じることを指す。

Key Concept: エコーチェンバー(Echo Chamber) キャス・サンスティーン(Cass Sunstein, 2001)が『Republic.com』で論じた概念。同質的な意見を持つ者同士が閉じた空間で交流することで、内部の意見が増幅・強化され、異論への接触が最小化される現象を指す。フィルターバブルがアルゴリズムによる技術的境界に注目するのに対し、エコーチェンバーは空間内部の反響効果に注目する。

両概念は広く普及しているが、実証的根拠については重大な留保がある。まず、概念的な問題として、パリサーはフィルターバブルの明確な定義を示しておらず、サンスティーンもエコーチェンバーを厳密に定義していないことが指摘されている。

実証研究の結果はこれらの仮説に対して懐疑的である。複数のメタ分析や大規模データ研究は、SNS利用者の情報食が一般に考えられているほど均質ではないことを示している。フレッチャーとニールセン(Richard Fletcher and Rasmus Kleis Nielsen)の研究は、SNS利用者がむしろ非利用者よりも多様なニュースソースに接触する傾向があることを確認した。ブルーンスやズブリスら(Axel Bruns, Dubois and Blank)の研究も同様に、完全に閉じたエコーチェンバーの存在を否定している。

このため、メディア研究者の間では「フィルターバブルとエコーチェンバーという比喩はミスリーディングであり、より差し迫った社会問題を覆い隠している」という批判が有力になっている。フィルターバブル仮説に対する主な批判は以下のようにまとめられる。

批判の論点 内容
実証的根拠の不足 大規模データ研究が仮説を支持しない
提唱者の専門性 パリサーは活動家・起業家、サンスティーンは法学者であり、メディア研究の専門家ではない
ユーザーの能動性の過小評価 アルゴリズムの影響を決定論的に捉えすぎている
偶発的接触の存在 SNSでは「弱い紐帯」を通じた異質な情報への偶発的接触が生じる

ただし、これはアルゴリズムが情報環境に影響を与えないことを意味するのではない。2025年のScience誌掲載の大規模実験では、Facebookのアルゴリズムが党派的コンテンツの表示順位を変更した場合に感情的分極化に影響が生じることが示されている。問題は「フィルターバブル」のようなメタファーが示唆する単純な因果モデルの妥当性であり、デジタル環境における情報選択の複雑なメカニズムそのものではない。

SNSは分極化を深化させるか:因果関係をめぐる論争

SNSが政治的分極化を促進するかどうかは、最も活発に議論されている論点の一つである。

ボクセル、ゲンツコウ、シャピロ(Levi Boxell, Matthew Gentzkow, Jesse Shapiro, 2017)の研究は、この問題に関する重要な反証を提供した。彼らは9種類の分極化指標を統合して分析し、アメリカにおいて1996年から2012年にかけて分極化が最も進行したのは75歳以上の層であり、18〜39歳の層では進行が緩やかであったことを明らかにした。インターネットとSNSの利用率が最も低い高齢者層で分極化が最も進行しているという事実は、インターネットが分極化の主因であるという仮説に対する強力な反証となる。

一方、ゲンツコウ自身は、SNSの影響を完全に否定するのではなく、ケーブルテレビの党派的コンテンツや所得格差の拡大といった構造的要因の方がより重要であると解釈している。この論争は、単一の技術的要因に分極化を帰属させることの限界を示している。

偽情報と計算プロパガンダ

デジタル技術が民主主義に与える明確な脅威として、偽情報(disinformation)の大規模な流通と計算プロパガンダ(computational propaganda)の台頭がある。

Key Concept: 偽情報(Disinformation) 個人、集団、組織、国家に害を与える目的で意図的に作成・流布される虚偽の情報。クレア・ワードル(Claire Wardle)とホセイン・デラクシャン(Hossein Derakhshan, 2017)の情報障害(information disorder)フレームワークでは、偽情報(disinformation: 意図的虚偽)、誤情報(misinformation: 非意図的虚偽)、悪意情報(malinformation: 真実だが害を与える目的で流布)の三類型が区分される。

Key Concept: 計算プロパガンダ(Computational Propaganda) フィリップ・ハワード(Philip N. Howard)とサミュエル・ウーリー(Samuel C. Woolley)が体系化した概念。アルゴリズム、自動化技術(ボット)、人間のキュレーションを組み合わせて、SNS上で意図的に誤導的情報を拡散し世論を操作する行為を指す。オックスフォード・インターネット研究所のComputation Propaganda Projectが2012年以来、系統的に研究している。

偽情報の問題が世界的な注目を集めたのは、2016年アメリカ大統領選挙におけるロシアの介入である。ロシアの「インターネット・リサーチ・エージェンシー」(Internet Research Agency, IRA)は、数千のSNSアカウントを作成してアメリカ人を装い、人種、宗教、政治的対立を煽るコンテンツを大量に発信した。米上院情報特別委員会の報告書およびオックスフォード大学の分析によれば、IRAは特に黒人コミュニティを標的とし、投票抑制を狙った活動を行っていた。

ただし、IRAの実際の影響力については慎重な評価が必要である。Nature Communications誌掲載の研究(2023)は、IRAのコンテンツへの接触者は全Twitterユーザーの1%が全接触の70%を占めていたこと、接触者は元々共和党に強く同一化していたこと、そして接触と態度変化・投票行動変化の間に有意な関係が認められなかったことを報告している。

ケンブリッジ・アナリティカ事件もデジタル技術と民主主義の緊張を象徴する事例である。2018年に発覚したこの事件では、英国のデータ分析企業ケンブリッジ・アナリティカ(Cambridge Analytica)が、ケンブリッジ大学の研究者アレクサンドル・コーガン(Aleksandr Kogan)が開発したアプリ「This Is Your Digital Life」を通じて最大8,700万人のFacebookユーザーの個人データを同意なく収集していたことが明らかになった。このデータは心理プロファイリングに基づく政治的マイクロターゲティング(microtargeting)に使用されたとされる。事件はFacebookに対する50億ドルのFTC罰金につながり、EU のデジタルサービス法(Digital Services Act)やデジタル市場法(Digital Markets Act)の立法を促進した。

デジタル監視と権威主義

デジタル技術は民主化の手段となりうると同時に、権威主義体制の強化にも活用されている。フリーダム・ハウス(Freedom House)は2018年の報告書「デジタル権威主義の台頭」(The Rise of Digital Authoritarianism)において、この傾向を体系的に記録した。

中国の事例はこの問題の典型である。中国は社会信用システム(Social Credit System)を構築し、市民の社会的・個人的・財務的・政治的活動に関する膨大なデータを収集して社会的スコアリングを行っている。このシステムは本質的に監視システムであり、政治的反対者の識別と抑圧を可能にする。中国国内の世論調査では社会信用システムに対する高い支持率が報告されているが、学術研究はこの支持が(1)デジタル監視の抑圧的本質が不可視化されていること、(2)政府のプロパガンダと検閲がその実態を隠蔽していることに起因すると分析している。

さらに重要なのは、デジタル権威主義の「輸出」である。少なくとも80か国が中国製の警察・監視技術を導入しており、ファーウェイ(Huawei)を中心とする中国企業が「安全な都市」(Safe City)プロジェクトを通じてデジタルインフラを構築している。これらの技術は民主主義国では法的規制と市民社会によって抑制されうるが、権威主義国ではデジタル抑圧を促進する傾向がある。学術研究は、ファーウェイの技術が権威主義体制においてデジタル弾圧を促進する一方、民主主義体制では同様の効果が観察されないことを確認している。

graph LR
    subgraph 民主主義促進
        A1["市民の政治参加の障壁低下"]
        A2["権力監視の強化"]
        A3["周縁化された声の可視化"]
    end

    subgraph 民主主義脅威
        B1["偽情報の大規模流通"]
        B2["計算プロパガンダ"]
        B3["デジタル監視"]
        B4["データの政治的利用"]
    end

    C["デジタル技術"] --> 民主主義促進
    C --> 民主主義脅威

    民主主義促進 --> D["民主主義の質"]
    民主主義脅威 --> D

    B3 --> E["デジタル権威主義の輸出"]
    E --> F["権威主義体制の強化"]

ポスト真実の政治

ポスト真実の概念と背景

Key Concept: ポスト真実(Post-truth) オックスフォード辞典が2016年の「今年の言葉」に選出した概念。「客観的事実よりも、感情や個人的信念への訴えかけが世論形成においてより影響力を持つ状況」を指す。セルビア系アメリカ人劇作家スティーヴ・テシック(Steve Tesich)が1992年にThe Nation誌で初めて使用したとされる。2016年にはBrexitの国民投票とアメリカ大統領選挙を背景に使用頻度が前年比で20倍に増加した。

ポスト真実という概念は、虚偽情報の流通そのものではなく、公共的議論において事実の地位が低下する状況を指す。政治的虚偽は古来存在してきたが、ポスト真実の新しさは、事実の無視や歪曲が戦略的かつ組織的に行われ、それに対する社会的制裁が機能しなくなっている点にあるとされる。

ただし、ポスト真実が真に新しい現象であるか、それとも長年の政治的現象に対する現代的なラベルに過ぎないかについては学術的議論がある。メディア・コミュニケーション研究者は、デジタル環境によるコミュニケーション技術の革命的変化が社会認識論(social epistemology)の構造を変容させたと主張する傾向がある。一方、哲学者の間にはポストモダニズムなどの学術的潮流自体が客観的真実の地位を低下させたという見方もある。

エピステミック危機

ポスト真実の政治は、より広い「エピステミック危機」(epistemic crisis)の一部として位置づけられる。エピステミック危機とは、知識の共有された基盤、事実を裁定する信頼された権威、制度に対する信頼が広範に崩壊する状況を指す。

この危機の背景には複数の要因がある。第一に、伝統的な情報の門番であったマスメディアの権威の低下がある。第二に、専門家や科学的知識に対する信頼の低下が進行している。第三に、デジタル技術による情報環境の断片化が、共通の事実認識の基盤を掘り崩している。ポスト真実は特に、「不正確な知識や虚偽の知識、不誠実と不信が以前にも増して蔓延する社会政治的状態」であり、「共有された信頼ある裁定的権威」の危機と対応する。

ハノン(Michael Hannon)は、エピステミック危機と政治的分極化が相互に強化し合う関係にあることを論じている。分極化した環境では、人々は自己の政治的アイデンティティに合致する情報を選択的に受容し(アイデンティティ防衛的認知: identity-protective cognition)、科学的コンセンサスであってもそれが自己の政治的立場と矛盾する場合には拒絶する傾向を強める。

科学否認主義と政治

ポスト真実の政治の具体的発現として、科学否認主義(science denialism)の政治化がある。気候変動否認とCOVID-19をめぐるワクチン忌避は、科学と政治の交差点における二つの重要な事例である。

気候変動否認:気候変動の人為的原因に対する科学的コンセンサス(97%以上の気候科学者が同意)にもかかわらず、気候科学の否認はアメリカの保守主義の顕著な特徴となっている。研究者は、この否認がアイデンティティ防衛的認知によって駆動されていることを指摘する。すなわち、人々は自集団に支配的な信念に合致する証拠を選択的に受容・拒否する傾向があり、気候変動否認は科学的リテラシーの欠如ではなく政治的アイデンティティの表現として機能している。保守系メディアによる人為的気候変動の科学的コンセンサスの否定的報道は、分極化した認知をさらに強化している。

COVID-19とワクチン忌避:COVID-19パンデミックは、科学否認主義の政治的帰結を鮮明に可視化した。WHOはCOVID-19に伴う偽情報の蔓延を「インフォデミック」(infodemic)と呼称した。アメリカにおいてワクチン接種をめぐる党派的分裂は顕著であり、2021年夏の時点で少なくとも1回の接種を受けたか即座に接種する意向を持つ者の割合は、民主党支持者で88%であったのに対し、共和党支持者では52%にとどまった。

この党派差はエリート・メッセージングの影響を反映している。2021年3月の実験研究では、共和党支持者がトランプ前大統領からのワクチン推奨メッセージに接触した場合には接種意向が上昇したが、バイデン大統領からの同様のメッセージでは低下したことが示されている。これは科学的情報への態度が政治的アイデンティティによって媒介されていることの直接的な証拠である。

科学否認主義と政治の結合は、分極化、デジタル技術による偽情報の拡散、ポスト真実的状況が交差する地点に位置しており、本セクションで検討した三つの現象の相互連関を象徴的に示している。


まとめ

  • 政治的分極化には、政策的立場の乖離を指すイデオロギー的分極化と、党派的所属に基づく感情的敵意を指す感情的分極化の二つの次元がある。後者はアイエンガーとウェストウッドの研究により社会的アイデンティティ理論に基づいて概念化された。
  • アメリカにおける分極化は議会レベルと有権者レベルの双方で進行しており、特に党派的敵対感情(感情的分極化)の増大が顕著である。対立党を「国の脅威」と見なす認識の普及は、民主主義のガードレール(相互的寛容と制度的自制)を直接的に毀損する。
  • SNSが分極化を深化させるかどうかについては実証的論争が続いている。ボクセルらの研究はインターネット使用率の低い高齢者層で分極化が最も進行していることを示し、単純な技術決定論に疑問を呈している。
  • フィルターバブルとエコーチェンバーは広く普及した概念であるが、実証的根拠は限定的であり、メディア研究者の間ではミスリーディングなメタファーであるとの批判が有力になっている。ただし、アルゴリズムが情報環境に与える影響そのものは否定されていない。
  • 偽情報と計算プロパガンダは、2016年米大統領選挙やケンブリッジ・アナリティカ事件を契機に世界的な課題として認識された。ただし、その実際の効果については慎重な評価が必要であり、IRAの活動が態度変化や投票行動に有意な影響を与えたとする証拠は限定的である。
  • デジタル権威主義は、中国モデルの監視技術を中心に少なくとも80か国に輸出されており、権威主義体制の強化に寄与している。
  • ポスト真実は事実の地位の低下を指す概念であり、エピステミック危機として理解される。科学否認主義の政治化(気候変動否認、COVID-19ワクチン忌避)は、分極化・デジタル技術・ポスト真実の相互連関を象徴している。

用語集(Glossary)

用語 英語表記 定義
イデオロギー的分極化 Ideological Polarization 有権者や政治エリートの政策的立場がリベラル・保守の両極に向かって拡散する現象
感情的分極化 Affective Polarization 自党に対する好意と対立党に対する嫌悪・不信が強まる現象。社会的アイデンティティ理論に基づく
フィルターバブル Filter Bubble アルゴリズムによる情報選別が利用者を既存の信念を強化する情報環境に閉じ込める状態。パリサーが提唱
エコーチェンバー Echo Chamber 同質的意見を持つ者同士の閉じた空間で意見が増幅・強化される現象。サンスティーンが論じた
偽情報 Disinformation 個人・集団・組織・国家に害を与える目的で意図的に作成・流布される虚偽の情報
誤情報 Misinformation 害意なく拡散される虚偽の情報
悪意情報 Malinformation 真実であるが害を与える目的で文脈を無視して流布される情報
計算プロパガンダ Computational Propaganda アルゴリズム・自動化技術・人間のキュレーションを組み合わせてSNS上で世論を操作する行為
ポスト真実 Post-truth 客観的事実よりも感情や個人的信念への訴えが世論形成に影響力を持つ状況
エピステミック危機 Epistemic Crisis 知識の共有基盤と事実を裁定する信頼された権威が広範に崩壊する状況
アイデンティティ防衛的認知 Identity-protective Cognition 自集団に支配的な信念に合致する証拠を選択的に受容・拒否する認知傾向
インフォデミック Infodemic WHOが定義した、感染症流行時における偽情報の大規模拡散現象
マイクロターゲティング Microtargeting 個人の心理プロファイルやデータに基づき、特定の個人に合わせた政治メッセージを配信する手法

確認問題

Q1: イデオロギー的分極化と感情的分極化の違いを説明し、それぞれの測定方法の特徴を述べよ。

A1: イデオロギー的分極化は有権者や政治エリートの政策的立場がリベラル・保守の両極に向かって拡散する現象であり、政策に対する態度調査やDW-NOMINATEスコアなどの投票行動分析によって測定される。感情的分極化は政策的見解とは独立に、党派的所属に基づく感情的敵意が増大する現象であり、社会的アイデンティティ理論を理論的基盤とする。測定には感情温度計(feeling thermometer)による内集団・外集団の評価差が最も広く用いられるが、特性評価、社会的距離尺度、暗黙連合テスト(IAT)なども使用される。両者は必ずしも連動せず、有権者レベルではイデオロギー的分極化より感情的分極化の方が顕著に進行している場合がある。

Q2: フィルターバブル仮説に対する主要な実証的批判を整理し、デジタル技術と情報環境の関係をより正確に記述するにはどのような視点が必要か論じよ。

A2: フィルターバブル仮説への主要な批判は以下の通りである。第一に、大規模データ研究がSNS利用者の情報食が非利用者より多様である可能性を示している。第二に、SNS上の「弱い紐帯」を通じた偶発的な異質情報への接触が生じている。第三に、仮説はアルゴリズムの影響を決定論的に捉えすぎており、ユーザーの能動的な情報選択を過小評価している。より正確な理解のためには、アルゴリズムの影響を認めつつも、ユーザーの能動的選択、偶発的接触、プラットフォームの設計、既存の政治的態度との相互作用を含む複合的なモデルが必要である。2025年のScience誌掲載の実験が示すように、アルゴリズムは感情的分極化に一定の影響を与えうるが、それは「バブル」のような閉鎖空間モデルではなく、情報の相対的な可視性と顕著性の変化として理解されるべきである。

Q3: 偽情報(disinformation)、誤情報(misinformation)、悪意情報(malinformation)の三類型を、具体例を挙げて区別せよ。

A3: ワードルとデラクシャンの情報障害フレームワークによれば、三類型は情報の虚偽性と意図性によって区分される。偽情報は意図的に作成された虚偽情報であり、例えば2016年米大統領選挙時にIRAが作成した架空のニュース記事やSNS投稿がこれに該当する。誤情報は害意なく拡散される虚偽情報であり、例えばCOVID-19パンデミック初期に善意で共有された不正確な感染予防法がこれに当たる。悪意情報は真実であるが害を与える目的で文脈を無視して流布される情報であり、例えば政治的対立者の過去の発言を文脈から切り離して拡散する行為が該当する。三類型の区分において鍵となるのは意図(intent)であり、同一の情報が流通過程で偽情報から誤情報に転化することもある。

Q4: デジタル技術が民主主義を促進する側面と脅かす側面を、それぞれ具体的な事例を挙げて論じよ。権威主義体制におけるデジタル技術の役割にも言及せよ。

A4: デジタル技術の民主主義促進効果としては、2011年のアラブの春におけるSNSを通じた政治的動員、Black Lives Matterにおける警察暴力の可視化と市民運動の組織化が挙げられる。これらはゲートキーパーとしてのマスメディアを迂回し、市民が直接情報を発信・共有することで政治参加の障壁を低下させた事例である。一方、脅威としては、ロシアのIRAによる計算プロパガンダ、ケンブリッジ・アナリティカによるデータの政治的利用、偽情報の大規模流通がある。権威主義体制においてデジタル技術は統制の道具となり、中国の社会信用システムに見られるように市民の行動を包括的に監視・スコアリングし、政治的反対者を識別・抑圧するために活用される。さらに、中国は少なくとも80か国にこの監視技術を輸出しており、デジタル権威主義の国際的拡散が進行している。ファーウェイの技術が権威主義体制でデジタル弾圧を促進するが民主主義体制では同様の効果がないという研究結果は、技術の影響が制度的文脈によって媒介されることを示している。

Q5: ポスト真実の政治とエピステミック危機の関係を説明し、科学否認主義の政治化(気候変動否認またはCOVID-19ワクチン忌避)を事例として、分極化・デジタル技術・ポスト真実の相互連関を分析せよ。

A5: ポスト真実は客観的事実より感情と信念が世論形成に影響力を持つ状況であり、これは知識の共有基盤と信頼された裁定権威の崩壊というエピステミック危機の一部として位置づけられる。COVID-19ワクチン忌避を例にとると、三つの現象の相互連関は以下のように展開する。第一に、政治的分極化によりワクチン接種が党派的アイデンティティの指標となり、アイデンティティ防衛的認知によって科学的証拠の受容が政治的所属に媒介される(民主党支持者の88%に対し共和党支持者は52%が接種)。第二に、デジタル技術はワクチンに関する偽情報と陰謀論の大規模な拡散を可能にし、WHOが「インフォデミック」と呼称する状況を生じさせた。第三に、ポスト真実的状況においてエリート・メッセージングが科学的根拠より強い影響力を持ち、トランプからの推奨は共和党支持者の接種意向を高めるがバイデンからの推奨は逆効果となる。こうして分極化は情報受容を党派化し、デジタル技術は偽情報の拡散を増幅し、ポスト真実的状況は事実に基づく政策形成を困難にするという悪循環が形成される。