Module 3-2 - Section 1: 公共選択論とゲーム理論¶
セクション情報¶
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| モジュール | Module 3-2: 政治経済学 |
| 前提セクション | なし |
| 想定学習時間 | 5時間 |
導入¶
政治現象を経済学的手法で分析する試みは、20世紀後半の政治学に大きなインパクトを与えた。伝統的な政治学が規範的議論や制度記述を中心としていたのに対し、公共選択論(Public Choice)は「政治的アクターも自己利益を追求する合理的個人である」という前提に基づき、投票行動、立法過程、官僚制の行動などを統一的に説明しようとする。本セクションでは、公共選択論の基本枠組みを概観した後、集合行為問題とその克服条件を検討し、さらにゲーム理論の政治学応用について学ぶ。これらの理論的道具立ては、次のSection 2で扱う資本主義の多様性(VoC)や再分配の政治を理解する基盤となる。
合理的選択アプローチの基本前提¶
公共選択論を含む合理的選択アプローチ(rational choice approach)は、以下の基本的前提に立脚する。
Key Concept: 方法論的個人主義(Methodological Individualism) 社会現象の説明を個人の行動・選好・判断に還元して行う方法論的立場。集団や国家を独立した行為主体として扱うのではなく、個々人の合理的行動の集積として政治現象を理解する。
効用最大化仮定:各アクターは自己の効用(utility)を最大化するように行動する。政治家は得票の最大化を、官僚は予算の最大化を、有権者は自己の利益に適う政策の実現を追求すると仮定される。この仮定は、政治的行為を分析可能な形で定式化するための理論的道具であり、人間が常に利己的であるという存在論的主張ではない点に注意が必要である。
均衡概念:合理的選択アプローチでは、各アクターが自己の戦略を変更する誘因を持たない状態、すなわち均衡(equilibrium)を分析の中心に据える。ゲーム理論におけるナッシュ均衡がその代表例であり、制度や政策の安定性を判断する基準として用いられる。
Key Concept: ナッシュ均衡(Nash Equilibrium) すべてのプレイヤーが他のプレイヤーの戦略を所与としたとき、自己の戦略を一方的に変更しても利得を改善できない戦略の組み合わせ。ジョン・ナッシュ(John Nash)が1950年に定式化した。政治学においては、制度的均衡や政策の安定性の分析に広く応用される。
公共選択論(Public Choice)¶
ブキャナンとタロックの「同意の計算」¶
Key Concept: 公共選択論(Public Choice) 政治過程における意思決定を、経済学のミクロ的分析手法(合理的個人の効用最大化行動)を用いて分析する学問領域。ジェームズ・ブキャナン(James M. Buchanan)とゴードン・タロック(Gordon Tullock)を中心に1960年代に体系化された。
ジェームズ・ブキャナンとゴードン・タロックは、1962年の共著『同意の計算(The Calculus of Consent)』において、集合的意思決定のルール自体を経済学的に分析する枠組みを提示した。彼らの中心的な問いは「合理的個人はどのような集合的意思決定ルールに合意するか」というものである。
ブキャナンとタロックは、意思決定ルールの選択において2種類のコストが存在すると論じた。
- 外部コスト(external costs):集合的決定が自分の意思に反して行われた場合に被るコスト。多数決の閾値が低いほど(例えば単純多数決)、少数者への不利益が生じやすく、外部コストは高くなる。
- 意思決定コスト(decision-making costs):合意形成に要する交渉・調整のコスト。全員一致ルールでは外部コストはゼロになるが、意思決定コストは極めて高くなる。
合理的個人は、この2つのコストの合計を最小化するルールに合意する。これが最適多数決ルールであり、必ずしも単純多数決とは限らない。この分析は、憲法レベルの制度設計(constitutional political economy)の理論的基礎を提供した。ブキャナンはこの業績を含む公共選択論への貢献により、1986年にノーベル経済学賞を受賞した。
レントシーキング¶
Key Concept: レントシーキング(Rent-seeking) 新たな富の創出ではなく、政治的手段を通じて既存の富の再分配から利益を得ようとする活動。タロック(1967)が概念を提起し、アン・クルーガー(Anne Krueger, 1974)が「レントシーキング」という用語を導入した。
レントシーキングとは、市場競争を通じた生産性向上ではなく、ロビー活動、規制の獲得、補助金の確保、関税の設定など、政治過程を利用して経済的利益(レント)を獲得しようとする行動を指す。
タロックの重要な洞察は、レントシーキング活動自体に費やされる資源が社会的な浪費(deadweight loss)を生み出すという点にある。例えば、ある規制によって100億円の独占利潤が生じる場合、企業はその規制を獲得するためにロビー活動に多額の資金を投じる。この投入資源は生産的活動には向けられず、社会全体の厚生を減少させる。
レントシーキングの概念は、なぜ非効率な政策が維持されるのかを理解する鍵となる。特定の利益集団が規制や補助金から集中的に利益を受ける一方、そのコストは広く薄く納税者全体に分散されるため、被害者側にはコストに見合う反対運動を組織する誘因が乏しい。この非対称性がレントシーキングを持続させる構造的要因である。
投票のパラドクスと合理的無知¶
アンソニー・ダウンズ(Anthony Downs)は、1957年の著作『民主主義の経済理論(An Economic Theory of Democracy)』において、合理的個人の投票行動に関する2つの重要な問題を提起した。
投票のパラドクス(paradox of voting / Downs' paradox):投票の期待利得は「自分の一票が選挙結果を変える確率 × 政策の差がもたらす利得」で算出される。大規模選挙では自分の一票が決定的になる確率は極めて低く(天文学的に小さい)、投票所に行くコスト(時間、交通費等)が期待利得を上回る。したがって、合理的個人は投票しないはずである。しかし現実には多くの人が投票する。これが投票のパラドクスである。
このパラドクスに対しては、市民的義務感(civic duty)、表出的動機(expressive motivation: 自分の政治的立場を表明すること自体に効用を見出す)、社会的圧力などの非道具的動機を組み込むことで説明する試みがなされている。ウィリアム・ライカー(William Riker)とピーター・オードシュック(Peter Ordeshook)は、ダウンズのモデルに「D項」(市民的義務からの効用)を加え、投票参加を合理的選択の枠内で説明しようとした。
Key Concept: 合理的無知(Rational Ignorance) 政治的情報を収集するコストが、その情報に基づいて行動することの期待便益を上回る場合に、情報収集を行わないことが合理的となる状態。ダウンズが1957年に定式化した。
合理的無知は、有権者が政策の詳細について十分な知識を持たないことを合理的行動として説明する。有権者の一票が選挙結果を左右する確率が極めて低いため、政策情報の収集に投資する便益は乏しい。この帰結として、有権者はイデオロギー的ラベルや政党の評判などのヒューリスティクス(近道)に依存して投票判断を行いやすくなる。
中位投票者定理¶
Key Concept: 中位投票者定理(Median Voter Theorem) 一次元の政策空間において、有権者の選好が単峰型(single-peaked)であるとき、多数決投票の結果は中位投票者(選好分布の中央値に位置する投票者)の最適点に収束するという定理。ダンカン・ブラック(Duncan Black, 1948)が定式化した。
中位投票者定理の成立条件は以下の通りである。
- 争点の一次元性: 政策選択肢が一つの次元(例: 左右の政治スペクトラム)上に配置できる
- 単峰型選好: 各有権者が最も望ましい点(理想点)を1つ持ち、そこから離れるほど効用が低下する
- 有権者の参加: 全員が投票に参加する
- 二者間の競争: 候補者・政党が2つである
この条件下では、どの候補者も中位投票者の理想点に向けて政策を収斂させる誘因を持つ。中位投票者の理想点がコンドルセ勝者(すべてのペアワイズ比較で多数の支持を得る選択肢)となるからである。
ダウンズは、この定理を二大政党制の下での政党競争モデルに応用した。得票最大化を目指す二大政党は、中位投票者の位置する政策ポジションに向かって収斂する傾向を持つ。これが二大政党制下での政策の類似化(convergence)を説明する。
ただし、現実の政治においては争点が多次元であることが多く、その場合にはリチャード・マッケルヴィー(Richard McKelvey)が示したカオス定理(chaos theorem)により、安定的な多数決均衡が存在しない可能性がある。また、有権者が必ずしも全員投票するわけではないこと、候補者が政策実施後に公約を変更しうることなど、定理の前提が充足されない状況は多い。
官僚制の経済理論:ニスカネンモデル¶
ウィリアム・ニスカネン(William Niskanen)は、1971年の著書『官僚制と代議制政府(Bureaucracy and Representative Government)』において、官僚行動の経済理論を提示した。
ニスカネンモデルの核心は、官僚が予算最大化(budget maximization)を追求するという仮定にある。民間企業の経営者が利潤を最大化するのと類似的に、官僚は自己の権力・地位・裁量と相関する予算規模の最大化を目指す。
このモデルでは、官僚は情報の非対称性を利用して議会(スポンサー)に対する交渉上の優位を確保する。官僚は自らの組織の実際の費用関数を知っているが、議会はそれを正確に把握できない。この情報格差により、官僚は必要以上に大きな予算を獲得し、結果として公共サービスの過剰供給(社会的に最適な水準を超える供給)が生じるとニスカネンは論じた。
このモデルは、小さな政府論や行政改革の理論的根拠の一つとなった。ただし、ニスカネン自身が後に修正を加え(1975年、1991年)、予算最大化は特殊ケースであり、より一般的には余剰(surplus: 予算と最小費用の差額)の最大化が官僚の行動を記述するとした。また、パトリック・ダンリーヴィ(Patrick Dunleavy)は局形成モデル(bureau-shaping model)を提唱し、官僚は予算総額よりも自らの裁量権や組織形態を操作すると主張した。
graph TD
A["公共選択論の主要概念体系"] --> B["投票・選挙の分析"]
A --> C["官僚制の分析"]
A --> D["利益集団の分析"]
B --> B1["投票のパラドクス<br/>Downs, 1957"]
B --> B2["合理的無知<br/>Downs, 1957"]
B --> B3["中位投票者定理<br/>Black, 1948"]
C --> C1["予算最大化モデル<br/>Niskanen, 1971"]
C --> C2["局形成モデル<br/>Dunleavy, 1991"]
D --> D1["レントシーキング<br/>Tullock, 1967"]
D --> D2["集合行為問題<br/>Olson, 1965"]
B1 -.->|"なぜ投票するか"| B2
B3 -.->|"政党の収斂"| B1
D1 -.->|"非効率政策の維持"| D2
集合行為問題¶
Olsonのフリーライダー問題と集団の規模¶
Key Concept: 集合行為問題(Collective Action Problem) 集団の構成員全員にとって望ましい結果が、個々人の合理的行動の帰結としては達成されない状況。各個人が自己利益を追求すると、集団全体にとって最適な結果から乖離する。
Key Concept: フリーライダー問題(Free-rider Problem) 公共財や集合財の便益から排除不可能である場合に、各個人が費用を負担せずに他者の努力に「ただ乗り」する誘因を持つ問題。マンサー・オルソン(Mancur Olson)が1965年の著書『集合行為の論理(The Logic of Collective Action)』で体系的に分析した。
オルソンの議論の核心は、「共通の利益を持つ集団のメンバーは、その共通利益の実現のために自発的に行動するだろう」という常識的な仮定への根本的な反駁にある。公共財(non-excludable かつ non-rivalrous な財)の場合、一人が費用を負担して獲得した便益はメンバー全員に及ぶ。したがって合理的個人は、自分が費用を負担しなくても他者の行動から便益を受けられるため、貢献しない(フリーライドする)誘因を持つ。
オルソンの重要な洞察は、集団の規模と集合行為の成功の関係にある。
- 大集団: メンバーが多いほど、個々人の貢献の限界的影響は小さくなり、フリーライダー問題は深刻化する。また、集団内の相互監視も困難になる。大集団は集合行為に失敗しやすい(潜在的集団 latent group)。
- 小集団: メンバーが少なければ、個々の貢献が全体の成果に与える影響は大きく、また相互監視も容易である。特に、一部のメンバーにとって集合行為の便益がその費用を上回る場合(特権的集団 privileged group)、その集団は自発的に集合行為を達成しうる。
選択的誘因¶
Key Concept: 選択的誘因(Selective Incentives) フリーライダー問題を克服するために、集合行為への貢献者にのみ提供される私的な便益(正の誘因)、または非貢献者に課される不利益(負の誘因)。
オルソンは、大集団が集合行為を達成するためには、公共財の提供だけでは不十分であり、貢献者のみが享受できる選択的誘因が必要であると論じた。
- 正の選択的誘因: 労働組合の割引保険、業界団体の情報サービスなど、会員限定の私的便益
- 負の選択的誘因: ユニオンショップ制(組合加入義務)、職業団体の強制加入、社会的制裁
オルソンはこれを「副産物理論(by-product theory)」と呼んだ。すなわち、集合行為はしばしば選択的誘因の「副産物」として達成されるのである。
Ostromのコモンズ論¶
Key Concept: コモンズの悲劇(Tragedy of the Commons) ギャレット・ハーディン(Garrett Hardin, 1968)が提示した概念で、共有資源(common-pool resource)を利用する個人が各自の利益を最大化するように行動すると、資源が過剰利用され枯渇するという問題。
ハーディンは共有資源の問題に対して、私有化か政府による規制が唯一の解決策であると論じた。これに対してエリノア・オストロム(Elinor Ostrom)は、1990年の著書『コモンズの統治(Governing the Commons)』において、共有資源を利用するコミュニティが、外部の権威(国家)にも私有化にも頼らず、自主的に資源管理に成功する事例を世界各地から収集し体系的に分析した。
オストロムは、スイス・トゥルベルの共有牧草地、日本の入会地、フィリピンの灌漑システム、スペインの水利組合など、長期にわたって持続的な共有資源管理に成功している事例を比較分析し、それらに共通する制度的特徴を「8つの設計原理(design principles)」として抽出した。
オストロムの8つの設計原理:
| 番号 | 設計原理 | 内容 |
|---|---|---|
| 1 | 明確に定義された境界 | 資源の利用権を持つ者と持たない者、及び資源自体の境界が明確に定義されている |
| 2 | 利用ルールと地域条件の適合 | 資源の利用・提供ルールが地域の労働・資材・費用条件に適合している |
| 3 | 集合的選択の取り決め | 利用ルールの影響を受ける者の大部分が、そのルールの修正に参加できる |
| 4 | モニタリング | 資源の状態と利用者の行動を監視する者が、利用者に対して説明責任を負うか、利用者自身である |
| 5 | 段階的制裁 | ルール違反者に対して、違反の重大性と文脈に応じた段階的な制裁が科される |
| 6 | 紛争解決メカニズム | 紛争解決の手段が非公式かつ低コストで利用可能である |
| 7 | 組織化の権利の承認 | 利用者が自らの制度を設計する権利が外部の政府当局に認められている |
| 8 | 入れ子型の組織構造 | 資源の利用・提供・監視・執行・紛争解決・統治の活動が、複数層の入れ子型組織で行われている |
オストロムの研究は、ハーディンの「国家か市場か」という二分法を超え、コミュニティによる自主管理という第三の選択肢を理論的・実証的に確立した。この業績により、オストロムは2009年にノーベル経済学賞を受賞した。政治学者として初のノーベル経済学賞受賞者である。
graph LR
A["集合行為問題"] --> B["Olson<br/>フリーライダー問題"]
A --> C["Hardin<br/>コモンズの悲劇"]
B --> B1["解決策:<br/>選択的誘因"]
B --> B2["集団規模:<br/>大集団ほど困難"]
C --> C1["Hardinの処方箋:<br/>私有化 or 国家規制"]
C --> C2["Ostromの反論:<br/>自主管理の可能性"]
C2 --> D["8つの設計原理"]
D --> D1["境界の明確化"]
D --> D2["ルールの適合性"]
D --> D3["集合的選択"]
D --> D4["モニタリング"]
D --> D5["段階的制裁"]
D --> D6["紛争解決"]
D --> D7["組織化の権利"]
D --> D8["入れ子型組織"]
ゲーム理論の政治学応用¶
囚人のジレンマ¶
囚人のジレンマ(Prisoner's Dilemma)は、個人の合理性と集団の合理性が乖離する状況を端的に示すゲームである。
| 相手: 協力 | 相手: 裏切り | |
|---|---|---|
| 自分: 協力 | 双方にやや良い結果(R, R) | 自分が最悪・相手が最善(S, T) |
| 自分: 裏切り | 自分が最善・相手が最悪(T, S) | 双方にやや悪い結果(P, P) |
(T > R > P > S かつ 2R > T + S の条件が成り立つ)
一回限りの囚人のジレンマでは、相手がどちらの戦略を選んでも裏切りが最適反応(dominant strategy)となるため、ナッシュ均衡は双方の裏切り(P, P)である。これはパレート劣位な結果であり、双方が協力する場合(R, R)よりも悪い。
政治学においては、軍備競争、貿易保護主義、環境規制、集合行為問題など、多くの状況が囚人のジレンマとして分析されてきた。
繰り返しゲームと協力の進化¶
一回限りでは協力が成立しない囚人のジレンマも、同じ相手と繰り返し対戦する場合(反復囚人のジレンマ iterated Prisoner's Dilemma)には、協力が均衡として成立しうる。これはフォーク定理(Folk Theorem)として知られ、将来の利得に対する割引率が十分に低い(将来を重視する)場合、繰り返しゲームにおいて協力を含む多様な結果が部分ゲーム完全均衡として維持されうる。
ロバート・アクセルロッド(Robert Axelrod)は、1984年の著書『協力の進化(The Evolution of Cooperation)』において、反復囚人のジレンマのコンピュータ・トーナメントを実施した。世界中のゲーム理論家から戦略プログラムを募集し、総当たり方式で対戦させたところ、2回のトーナメントの両方で、アナトール・ラパポート(Anatol Rapoport)が提出したしっぺ返し戦略(Tit for Tat: TFT)が優勝した。
しっぺ返し戦略のルールは極めて単純である。 1. 初回は協力する 2. 以降は、相手の前回の手をそのまま繰り返す(相手が協力すれば協力、裏切れば裏切り)
アクセルロッドは、しっぺ返し戦略の成功要因を4つの性質に帰した。 - 善良性(nice): 先に裏切らない - 報復性(retaliatory): 裏切りには即座に応じる - 寛容性(forgiving): 相手が協力に転じれば直ちに許す - 明快性(clarity): 単純で相手に理解されやすい
この研究は、国際政治における協力の可能性を理論的に支持するものとして、国際関係論にも大きな影響を与えた。ただし、しっぺ返し戦略がすべての環境で最適であるとは限らず、ノイズのある環境(意図せぬ裏切りが起こる状況)では「寛大なしっぺ返し(Generous Tit for Tat)」や「Pavlov戦略」のほうが優れる場合があるとする研究もある。
チキンゲームと国際危機交渉¶
チキンゲーム(game of chicken)は、2人のプレイヤーがともに強硬策をとると双方にとって最悪の結果(破滅)を招くが、一方だけが譲歩すれば譲歩した側は「敗者」となるという構造を持つ。
| 相手: 譲歩 | 相手: 強硬 | |
|---|---|---|
| 自分: 譲歩 | 双方にまあまあの結果 | 自分が敗者・相手が勝者 |
| 自分: 強硬 | 自分が勝者・相手が敗者 | 双方に最悪の結果(破滅) |
囚人のジレンマとの決定的な違いは、支配戦略が存在しない点にある。最適な戦略は相手の行動に依存する。ナッシュ均衡は、一方が強硬・他方が譲歩の2つ存在する(非対称均衡)。
バートランド・ラッセル(Bertrand Russell)が核時代の瀬戸際政策(brinkmanship)をチキンゲームに喩えたことは広く知られている。キューバ危機(1962年)は、チキンゲームの最も著名な歴史的実例として分析されてきた。ソ連がキューバに核ミサイルを配備し、アメリカが海上封鎖で対抗したこの危機は、双方が強硬策を貫けば核戦争に至るという構造を持っていた。最終的にフルシチョフがミサイル撤去に同意し(譲歩)、一方でケネディはキューバ不侵攻とトルコのミサイル撤去を秘密裏に約束することで、双方が一定の面子を保つ形で決着した。
チキンゲームの分析からは、瀬戸際政策の論理が導かれる。自らの「退路を断つ」コミットメント(例えば、撤退不可能な軍の配置)を示すことで、相手に譲歩を迫ることができる。トーマス・シェリング(Thomas Schelling)は『紛争の戦略(The Strategy of Conflict, 1960)』でこの論理を精緻化した。
連合形成のゲーム理論¶
ウィリアム・ライカー(William Riker)は、1962年の著書『政治的連合の理論(The Theory of Political Coalitions)』において、連合形成に関するサイズ原理(size principle)を提唱した。
ライカーは、ゼロサムゲーム的状況(一方の利得が他方の損失)において、合理的なアクターは最小勝利連合(minimum winning coalition)を形成すると主張した。勝利に必要な最小限のメンバーで連合を組むことで、勝利の果実を少人数で分け合うことができるからである。必要以上に大きな連合は、利益配分を希薄化させるため合理的ではない。
このサイズ原理は、議会における連立政権の形成パターンを説明する理論として影響力を持った。ただし、完全情報の仮定が厳しいこと、イデオロギー的近接性を考慮していないことなどの限界が指摘されている。ロバート・アクセルロッド自身は「最小連結勝利連合(minimal connected winning coalition)」、すなわちイデオロギー的に隣接する政党による最小勝利連合が形成されやすいと修正を加えた。
合理的選択アプローチへの批判¶
合理的選択アプローチは政治学に強力な分析道具を提供してきた一方、重要な批判にもさらされている。
ドナルド・グリーン(Donald P. Green)とイアン・シャピロ(Ian Shapiro)は、1994年の著書『合理的選択理論の病理学(Pathologies of Rational Choice Theory)』において、合理的選択理論の政治学への応用を体系的に批判した。彼らが指摘した主な問題は以下の通りである。
- 事後的な理論構築(post hoc theory development): 理論が観察結果に合うように事後的に調整されることが多く、反証可能性が低い
- 曖昧な予測の操作化: 理論から導かれる予測が曖昧で検証困難な形で定式化される
- 恣意的な適用範囲の制限: 理論に合わない事例を「適用範囲外」として除外する傾向
グリーンとシャピロの結論は、合理的選択理論が政治学において「喧伝されるほどの成果を上げていない」というものであった。適切に実施された実証テストは、合理的選択モデルを支持しないか、自明な命題を確認するにとどまることが多いと彼らは論じた。
ただし、この批判自体に対する反論もある。合理的選択理論の擁護者は、理論の目的は現実の完全な記述ではなく、分析的な焦点の提供と仮説の体系的な導出にあると主張している。また、オストロムのコモンズ研究のように、合理的選択の枠組みから出発しつつも制度的文脈を重視する「制度的合理的選択(Institutional Rational Choice)」の方向性は、批判を受けて発展した生産的な研究プログラムといえる。
まとめ¶
- 公共選択論は、方法論的個人主義と効用最大化仮定に基づき、政治過程を経済学的に分析する学問体系であり、ブキャナンとタロックの『同意の計算』を出発点とする
- レントシーキングの概念は、非効率な政策が政治的に維持されるメカニズムを説明する
- ダウンズの投票のパラドクスと合理的無知は、民主主義における有権者行動の逆説を浮き彫りにする
- 中位投票者定理は、二大政党制下での政策収斂を予測するが、多次元の争点空間では不安定性が生じうる
- ニスカネンモデルは、官僚の予算最大化行動を通じた政府の過大化を理論的に説明する
- オルソンのフリーライダー問題は、大集団における集合行為の困難を示し、選択的誘因の必要性を論じた
- オストロムは、コミュニティによる共有資源の自主管理が8つの設計原理のもとで成功しうることを実証し、国家か市場かの二分法を超えた
- ゲーム理論は、囚人のジレンマ・チキンゲーム・連合形成など、政治的相互作用の構造を分析する強力な道具を提供する
- アクセルロッドの反復囚人のジレンマ研究は、繰り返しの相互作用と応報戦略が協力を可能にすることを示した
- 合理的選択アプローチには、グリーンとシャピロに代表される方法論的批判があり、その限界を認識した上での運用が求められる
- 次のSection 2では、これらの理論的基盤を踏まえ、資本主義の多様性と不平等・再分配の政治を扱う
用語集(Glossary)¶
| 用語 | 英語表記 | 定義 |
|---|---|---|
| 方法論的個人主義 | Methodological Individualism | 社会現象を個人の行動・選好に還元して説明する方法論的立場 |
| 公共選択論 | Public Choice | 政治過程における意思決定を経済学のミクロ的手法で分析する学問領域 |
| レントシーキング | Rent-seeking | 政治的手段を通じて既存の富の再分配から利益を得ようとする活動 |
| 合理的無知 | Rational Ignorance | 情報収集コストが期待便益を上回るとき、無知でいることが合理的となる状態 |
| 中位投票者定理 | Median Voter Theorem | 単峰型選好の下で多数決の結果が中位投票者の理想点に収束するという定理 |
| ナッシュ均衡 | Nash Equilibrium | 各プレイヤーが戦略を一方的に変更しても利得を改善できない戦略の組み合わせ |
| 集合行為問題 | Collective Action Problem | 個人の合理的行動が集団にとって最適な結果を達成しない状況 |
| フリーライダー問題 | Free-rider Problem | 公共財の便益に排除不可能な場合にただ乗りの誘因が生じる問題 |
| 選択的誘因 | Selective Incentives | 集合行為への貢献者にのみ提供される私的便益または非貢献者への制裁 |
| コモンズの悲劇 | Tragedy of the Commons | 共有資源の個人的利用最大化が資源の枯渇を招く問題 |
| しっぺ返し戦略 | Tit for Tat | 初回は協力し、以後は相手の前回の手を模倣する戦略 |
| 最小勝利連合 | Minimum Winning Coalition | 勝利に必要な最小限のメンバーで構成される連合 |
確認問題¶
Q1: ブキャナンとタロックの『同意の計算』において、最適な集合的意思決定ルールはどのように決定されるか。2種類のコストの概念を用いて説明せよ。
A1: ブキャナンとタロックは、集合的意思決定には2種類のコストが伴うと論じた。第一は外部コスト(多数決の閾値が低いほど、自分の意思に反する決定が行われるリスクが高まるコスト)、第二は意思決定コスト(合意に必要な交渉・調整の費用で、閾値が高いほど増大する)である。全員一致では外部コストはゼロだが意思決定コストは最大となり、単純多数決では逆の傾向を示す。合理的個人は、この2つのコストの合計を最小化するルールに合意する。これが最適多数決ルールであり、問題領域ごとに異なりうる。
Q2: オルソンの集合行為論とオストロムのコモンズ論はどのような点で対照的であり、どのような点で補完的か。
A2: オルソンは、大集団におけるフリーライダー問題の深刻さを強調し、外部的な誘因(選択的誘因)や強制なしには大集団の集合行為は達成されないと論じた。一方、オストロムは、中規模のコミュニティが国家の介入も私有化もなく、自主的に共有資源の管理に成功する事例を多数示し、8つの設計原理を抽出した。対照的なのは、オルソンが集合行為の困難を強調するのに対し、オストロムが自主管理の可能性を示した点である。しかし補完的でもある。オストロムの事例の多くは中規模集団であり、オルソンが指摘した「小集団ほど集合行為に成功しやすい」という命題と整合的である。また、オストロムの設計原理(モニタリング、段階的制裁など)は、オルソンの選択的誘因(負の誘因)の具体的制度化と解釈できる。
Q3: 投票のパラドクスとは何か。また、合理的選択の枠組み内でこのパラドクスを解消する試みにはどのようなものがあるか。
A3: 投票のパラドクスとは、合理的な個人にとって投票の期待利得(自分の一票が選挙結果を変える確率 × 政策の差がもたらす利得)が投票コスト(時間、移動費等)を下回るため、合理的には棄権すべきであるにもかかわらず、現実には多くの有権者が投票に参加するという矛盾である。合理的選択の枠内での解消の試みとして、ライカーとオードシュックは投票の効用関数にD項(市民的義務感からの効用)を加え、投票行為自体から得られる表出的効用(expressive utility)を考慮するモデルを提唱した。また、ゲーム理論的アプローチでは、投票参加を一種の協調ゲームとして分析する試みもある。
Q4: キューバ危機(1962年)をチキンゲームの枠組みで分析せよ。どのような点でこのモデルは有効であり、どのような限界があるか。
A4: キューバ危機は、米(ケネディ)とソ連(フルシチョフ)の二者が、双方とも強硬策(核戦争へのエスカレーション)をとれば最悪の結果(核戦争)を招くが、一方的な譲歩は政治的敗北を意味するという、チキンゲームの構造を持っていた。最終的にソ連がミサイル撤去に応じ(表面上の譲歩)、米国がキューバ不侵攻とトルコのミサイル撤去を秘密裏に約束する形で決着した。モデルの有効性は、瀬戸際政策の論理(コミットメントを示すことで相手に譲歩を迫る戦略)を明確に示す点にある。限界としては、実際の危機が二者間の単一回のゲームではなく、複数のアクター(軍部、外交官等)を含み、情報の不完全性が存在し、時間経過に伴う逐次的意思決定が行われた点がモデルの単純な構造には収まらない。
Q5: 合理的選択アプローチに対するグリーンとシャピロの批判の要点を述べ、この批判に対してどのような反論が可能かを論じよ。
A5: グリーンとシャピロの批判の要点は、(1) 合理的選択理論が事後的に理論を調整する傾向がある(事後的理論構築)、(2) 理論から導かれる予測が曖昧で検証困難である、(3) 反証事例を恣意的に適用範囲外として排除する、という3点である。これにより、合理的選択理論の実証的成果は喧伝されるほどではないと結論づけた。反論としては、第一に、合理的選択の目的は現実の完全な記述ではなく、分析的な焦点の提供と仮説の体系的導出にあるという方法論的立場がある。第二に、オストロムの制度的合理的選択のように、合理的選択の基本前提を維持しつつ制度的文脈を取り込むことで、批判に応える形で理論が発展している事実がある。第三に、合理的選択モデルは他の理論と比較したときの相対的説明力で評価されるべきであり、完全な予測力がなくとも有用な分析道具でありうるという議論がある。