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Module 3-3 - Section 1: 東アジアの政治

セクション情報

項目 内容
モジュール Module 3-3: 地域研究的視点
前提セクション なし
想定学習時間 3時間

導入

東アジアは、比較政治学における体制研究の最も豊かなフィールドの一つである。中国・韓国・台湾という3つの政治体(polity)は、いずれも20世紀後半に権威主義体制を経験しながら、その後の軌跡は根本的に異なっている。中国は共産党による一党支配を維持・強化し、韓国と台湾はサミュエル・ハンチントン(Samuel Huntington)が「民主化の第三の波」と呼んだ1980年代後半の民主化の潮流に乗って、権威主義体制からの離脱に成功した。

本セクションでは、中国の党国体制の構造と習近平時代の権威主義の深化、韓国における軍事独裁からの民主化と制度的定着、台湾の段階的民主化と台湾海峡問題の構造を検討する。これら3つの事例を比較することで、権威主義体制の持続と崩壊を分ける条件、民主化の経路の多様性、そして東アジア固有の政治的ダイナミクスを理解することが目的である。


中国の政治体制

党国体制の構造

Key Concept: 党国体制(Party-state System) 政党と国家機構が一体化し、党が国家の上位に位置して統治を行う政治体制。中国では中国共産党(CCP)が憲法上「指導的役割」を有し、立法・行政・司法・軍のすべてを党が掌握する。ソ連型の一党制国家に起源を持つ。

中華人民共和国の政治体制は、党国体制(party-state system)と呼ばれる構造を有する。形式的には全国人民代表大会(全人代)が最高権力機関であり、国務院が行政を担い、最高人民法院が司法を管轄する。しかし実態においては、これらの国家機関はすべて中国共産党の指導の下に置かれている。

中国共産党の権力構造は以下の階層から成る。最高意思決定機関は中央政治局常務委員会(Politburo Standing Committee、PSC)であり、2022年の第20回党大会以降は7名で構成される。その上位に位置するのが党総書記であり、同時に国家主席および中央軍事委員会主席を兼務することで、党・国家・軍の三権を一身に集中させる。中央政治局(25名前後)、中央委員会(約200名の正式委員と約170名の候補委員)がその下に位置し、全国の党員数は2024年時点で約9,918万人に達する。

党と国家の関係において重要なのは、各級政府機関に設置される党組(党組織)の存在である。国務院各部門、地方政府、国有企業、大学、裁判所に至るまで、あらゆる組織内に党委員会が設置され、人事権を掌握する。この「党管幹部」(党が幹部を管理する)の原則が、党国体制の実効性を担保する中核的メカニズムである。

統治メカニズム: 幹部人事制度とテクノクラシー

中国共産党の統治能力を支える制度的基盤として、幹部人事制度(cadre management system)が挙げられる。これはソ連のノーメンクラトゥーラ(nomenklatura)制度を起源とし、党中央組織部が全国の幹部の任命・評価・昇進を管理するシステムである。

幹部の昇進は、主として以下の基準に基づいて評価される。第一にGDP成長率・財政収入等の経済的パフォーマンス、第二に政治的忠誠と規律遵守、第三に上級指導者との人的ネットワーク(パトロン=クライアント関係)である。とりわけ改革開放期以降、理工系の高学歴エリートが幹部に登用されるテクノクラシー(technocracy)的傾向が顕著であった。江沢民、胡錦濤、習近平のいずれも理工系の学位を持ち、1990年代には省長・市長の8割以上がエンジニアまたは自然科学系の出身者であったとされる。

しかし習近平時代に入ると、経済的パフォーマンスよりも政治的忠誠が昇進基準として重視される傾向が強まり、テクノクラシー的合理性の後退が指摘されている。第20回党大会(2022年)で選出された政治局常務委員7名は、すべて習近平との個人的関係が深い人物で占められた。

習近平体制と権威主義の深化

2012年に党総書記に就任した習近平は、前任者たちが構築した集団指導体制(collective leadership)を解体し、個人への権力集中を推し進めた。その主要な転換点は以下の通りである。

反腐敗運動: 2012年以降、「虎もハエも叩く」のスローガンの下で大規模な反腐敗キャンペーンを展開した。周永康(元政治局常務委員)、薄熙来(元重慶市党委書記)、令計画(元中央弁公庁主任)ら政治的ライバルが次々と失脚し、反腐敗運動が権力闘争の手段としても機能した。

任期制限の撤廃: 2018年、全国人民代表大会は憲法を改正し、国家主席の任期制限(連続2期10年)を撤廃した。これは鄧小平が文化大革命の教訓から導入した制度的安全弁を除去するものであり、事実上の終身支配への道を開いた。

思想的権威の確立: 2017年の第19回党大会で「習近平の新時代の中国の特色ある社会主義思想」が党規約に明記された。指導者個人の名を冠した思想の党規約への書き込みは、毛沢東・鄧小平以来のことである。さらに第20回党大会(2022年)では「二つの確立」(習近平の党中央の核心としての地位と習近平思想の指導的地位の確立)が強調された。

制度的制約の弱体化: 政治局常務委員の年齢に基づく引退慣行(「七上八下」: 67歳以下なら留任、68歳以上は引退)が事実上無視され、習近平自身が69歳で三期目に入った。集団指導体制における権力分散のメカニズムは大幅に弱体化した。

権威主義的レジリエンスとその限界

Key Concept: 権威主義的レジリエンス(Authoritarian Resilience) アンドリュー・ネイサン(Andrew J. Nathan)が2003年の論文で提唱した概念。1989年の天安門事件後、中国共産党の体制が崩壊するとの予測に反して持続した現象を説明する。制度化(institutionalization)、特に指導者交代の規範化、実績主義的昇進、機能的分化、政治参加のチャネル確保が、体制の適応力と持続性を支えたとする。

ネイサンは、天安門事件後の中国共産党体制が崩壊予測に反して存続し、むしろ経済成長・外交的成功を収めた要因として、制度化の進展を指摘した。具体的には、(1) 規範に基づく権力継承、(2) 能力主義的な幹部昇進制度、(3) 統治機構の機能的分化、(4) 限定的ではあるが政治参加のチャネルが確保されていること、の4点が挙げられた。

しかし習近平体制の下では、まさにこれらの制度的基盤が掘り崩されつつある。任期制限の撤廃は権力継承の規範を破壊し、政治的忠誠の重視は能力主義を後退させ、権力の個人集中は機能的分化を弱体化させた。ネイサン自身も後年、権威主義的レジリエンスには限界があることを示唆している。中国の体制持続は、制度的メカニズムの健全性にではなく、経済成長の継続と社会統制能力にますます依存する構造へと変化しつつある。

社会統制とデジタル権威主義

習近平政権は、デジタル技術を活用した社会統制の高度化を推進している。その中核的な仕組みが社会信用システム(Social Credit System)である。2014年に国務院が公表した「社会信用体系建設計画綱要」に基づき、個人・企業の経済的信用情報に加え、法令遵守・社会的行動を数値化して評価するシステムの構築が進められてきた。信用スコアが低い個人は航空券・高速鉄道の利用制限、子女の名門校入学制限などの不利益を被る一方、高スコア者は行政サービスの優遇を受ける。

加えて、顔認証技術を用いた監視カメラネットワーク、インターネット検閲(グレートファイアウォール)、SNS上の言論統制が重層的に組み合わされ、「デジタル権威主義」(digital authoritarianism)と呼ばれる統治モデルが形成されている。新疆ウイグル自治区では、これらの技術がウイグル族を対象とした大規模監視に用いられ、国際的な人権批判を招いている。

このデジタル権威主義モデルは、権威主義体制が新技術を活用して統治能力を強化し得ることを示す事例として、比較政治学においても注目されている。従来の権威主義研究が前提としていた「情報化は民主化を促進する」というテーゼに対する反証として位置づけられる。


韓国の民主化

権威主義体制の形成: 朴正煕と全斗煥

Key Concept: 発展主義国家(Developmental State) 国家が経済発展を最優先課題として設定し、官僚機構が産業政策を主導して急速な工業化を実現する体制。チャルマーズ・ジョンソン(Chalmers Johnson)が1982年の著作で日本のMITI(通商産業省)を事例に概念化した。韓国の朴正煕政権や台湾の国民党政権も典型的な事例とされる。

韓国における権威主義体制の起源は、1961年の軍事クーデターで権力を掌握した朴正煕(パク・チョンヒ)にある。朴政権は、国家主導の経済開発政策を推進し、財閥(チェボル)を育成して輸出志向型工業化を実現した。1960年代から1970年代にかけて韓国経済は「漢江の奇跡」と呼ばれる急成長を遂げたが、その政治的対価は市民的自由の大幅な制限であった。

1972年、朴正煕は維新体制(Yushin system)を宣言し、大統領の間接選挙制(統一主体国民会議による選出)への移行、大統領権限の大幅強化、国会議員の3分の1を大統領が任命する制度など、権威主義的統治を制度化した。1971年の大統領選で野党候補の金大中に迫られた経験が、この強権化の直接的契機であった。

1979年に朴正煕が側近の金載圭(KCIA部長)に暗殺された後、全斗煥(チョン・ドゥファン)が軍事クーデター(12・12粛軍クーデター)で権力を掌握した。1980年5月には光州で民主化を求める市民蜂起(光州事件 / 5・18民主化運動)が発生したが、軍によって武力鎮圧され、多数の死者を出した。光州事件は韓国民主化運動の原点として記憶され、その後の民主化要求の道義的基盤となった。

1987年6月民主抗争と民主化宣言

1987年1月、ソウル大学生の朴鍾哲(パク・ジョンチョル)が警察の取り調べ中に拷問死する事件が発生し、社会に衝撃を与えた。同年6月、延世大学生の李韓烈(イ・ハンニョル)が催涙弾の直撃を受けて重傷を負い(後に死亡)、これを契機に大規模な民主化デモが全国に拡大した。これが6月民主抗争(June Democratic Struggle)である。

Key Concept: 民主化の第三の波(Third Wave of Democratization) サミュエル・ハンチントン(Samuel Huntington)が1991年の著作で提唱した概念。1974年のポルトガルのカーネーション革命に始まり、南欧・ラテンアメリカ・東アジア・東欧へと波及した一連の民主化プロセスを指す。韓国(1987年)、台湾(1987-1996年)、フィリピン(1986年)は東アジアにおける「第三の波」の典型的事例である。

約20日間にわたる大規模デモの結果、全斗煥政権の後継者として指名されていた盧泰愚(ノ・テウ)が6月29日に「民主化宣言」(6・29宣言)を発表した。その核心的内容は以下の通りである。(1) 大統領直接選挙制への改憲、(2) 政治犯の釈放と金大中の政治活動再開、(3) 言論の自由の保障、(4) 地方自治制度の実施。同年10月の国民投票で新憲法(第六共和国憲法)が承認され、12月の大統領選挙で盧泰愚が当選した。

ハンチントンの民主化類型論に従えば、韓国の民主化は「変革」(replacement)――すなわち、体制側と反体制側の交渉・妥協による移行――の性格を持つ。軍部が完全に排除されたわけではなく、盧泰愚自身が軍出身であったが、制度的には民主主義の基本的枠組みが確立された点で画期的であった。

韓国民主主義の特徴と課題

民主化後の韓国政治は、いくつかの構造的特徴と課題を有する。

大統領制の強さと脆弱性: 韓国は5年単任制の大統領制を採用しており、大統領に強力な権限が集中する。しかし再選がないため、任期後半には求心力が急速に低下する「レームダック」現象が常態化する。加えて、退任後の大統領が逮捕・起訴される事例が繰り返されてきた(全斗煥、盧泰愚、李明博、朴槿恵)。

大統領弾劾: 2016年には朴槿恵(パク・クネ)大統領が崔順実(チェ・スンシル)ゲート事件をめぐり国会で弾劾訴追され、2017年に憲法裁判所が罷免を決定した。2024年12月には尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領が非常戒厳令の発出をめぐり弾劾訴追され、2025年4月に憲法裁判所が全員一致で罷免を決定した。1987年の民主化以降、8名の大統領のうち2名が弾劾により罷免されたことになる。これは韓国の民主主義が制度的チェック機能を有することを示す一方、大統領制の構造的不安定性も浮き彫りにしている。

政党政治の流動性: 韓国の政党は離合集散を繰り返し、制度化の程度が低い。保守系・進歩系の二大陣営は存在するが、選挙のたびに政党名や組織が変わり、個人のリーダーシップへの依存度が高い。地域主義(嶺南 vs. 湖南)が投票行動を強く規定してきたが、近年は世代間対立やジェンダー問題が新たな政治的亀裂として浮上している。

graph LR
    subgraph "韓国の民主化過程"
        A["朴正煕政権<br/>1961-1979"] --> B["維新体制<br/>1972-1979"]
        B --> C["全斗煥政権<br/>1980-1988"]
        C --> D["光州事件<br/>1980年5月"]
        D --> E["6月民主抗争<br/>1987年"]
        E --> F["6・29民主化宣言"]
        F --> G["第六共和国<br/>直接選挙制"]
        G --> H["文民政権の定着<br/>金泳三 1993年"]
        H --> I["初の政権交代<br/>金大中 1998年"]
    end

台湾の政治

国民党の一党支配と権威主義体制

台湾における権威主義体制は、1949年に国共内戦に敗れた中国国民党(KMT)が台湾に移転したことに始まる。蒋介石政権は、大陸反攻を名目として1949年に布告した戒厳令を維持し、38年間にわたる長期の戒厳統治を行った。この期間、反対党の結成は禁止され、言論・出版・集会の自由は厳しく制限され、政治的反対者は「白色テロ」と呼ばれる弾圧の対象となった。

台湾の権威主義体制には、中国大陸の党国体制とは異なる特徴があった。第一に、省籍矛盾と呼ばれるエスニックな権力構造が存在した。大陸から渡った外省人(約15%)が政治・軍・行政の要職を独占し、人口の多数を占める本省人(約85%)は政治参加から排除された。第二に、「自由中国」としての国際的正統性の主張から、形式的な立憲体制(憲法・議会・選挙)は維持された。第三に、韓国と同様に発展主義国家モデルを採用し、国家主導の産業政策によって急速な経済成長を実現した。

台湾の民主化過程

台湾の民主化は、ハンチントンの類型では「変容」(transformation)――すなわち、体制内エリートが主導する上からの改革――に分類される。これは市民の大規模な抗議行動が直接的契機となった韓国とは対照的である。

蒋経国による漸進的自由化: 蒋介石の子である蒋経国は、1970年代後半から「本土化」政策を推進し、本省人の政治参加を段階的に拡大した。1986年には民主進歩党(民進党 / DPP)の結成を事実上黙認し、1987年7月に戒厳令を解除した。蒋経国の決断の背景には、アメリカからの民主化圧力、経済発展に伴う中産階級の成長、そして国民党の統治正統性の維持という戦略的計算があった。

李登輝と民主化の完成: 1988年に蒋経国が死去すると、本省人出身の李登輝(リー・デンフイ)が総統に就任した。李登輝は国民党内の保守派(外省人エリート)との権力闘争を制しながら、一連の憲法改正を主導した。1991年に万年国会議員(大陸選出の終身議員)の退職を実現し、1994年の憲法改正で総統の直接選挙制を導入した。1996年、台湾史上初の総統直接選挙が実施され、李登輝が当選した。

政権交代の実現: 2000年の総統選挙で民進党の陳水扁が当選し、台湾史上初の平和的政権交代が実現した。これにより台湾の民主主義は「定着」(consolidation)の段階に入ったと評価される。以後、2008年には国民党の馬英九が当選し二度目の政権交代が、2016年には民進党の蔡英文が当選し三度目の政権交代が実現するなど、政権交代が常態化している。2024年1月には民進党の頼清徳が総統に当選した。

台湾海峡問題の構造

Key Concept: 一つの中国政策(One China Policy) 中華人民共和国政府が「中国はただ一つであり、台湾は中国の一部である」と主張する原則。アメリカは「一つの中国政策」を維持しつつ、台湾関係法(1979年)に基づき台湾への武器売却と安全保障上のコミットメントを継続している。中華民国(台湾)は「一つの中国」原則について独自の解釈を有し、近年は「中華人民共和国と中華民国は互いに隷属しない」との立場を明確化している。

台湾海峡問題は、未完の中国内戦に起源を持つ国際政治上の構造的問題である。中華人民共和国は台湾統一を「核心的利益」と位置づけ、武力行使の放棄を約束していない。一方、台湾の世論の多数は「現状維持」を支持しており、性急な統一にも独立にも消極的である。

1995年から1996年にかけての台湾海峡危機は、この構造的緊張が軍事的衝突の瀬戸際にまで達した事例である。1995年に李登輝がアメリカのコーネル大学を訪問したことに中国が反発し、台湾海峡でミサイル演習を実施した。1996年の総統選挙に際しても中国はミサイル発射演習を行い、アメリカは2個空母打撃群を派遣して中国を牽制した。この危機は、台湾海峡が米中関係の最も敏感な火種であることを改めて示した。

台湾のアイデンティティ政治

Key Concept: 一つの中国政策(One China Policy) は前述の通りであるが、台湾のアイデンティティ問題はこの政策枠組みを根底から揺るがす要因である。

台湾における住民のアイデンティティは、1990年代以降劇的に変化した。国立政治大学選挙研究センターの長期調査によれば、自らを「台湾人」と認識する住民の割合は1992年の17.6%から2023年の62.8%へと大幅に増加した。一方、「中国人」と認識する割合は25.5%から2.5%にまで減少した。「台湾人でもあり中国人でもある」とする二重アイデンティティも減少傾向にある。

このアイデンティティの変容は、台湾政治の基本的構図を規定している。国民党(KMT)は中華民国の正統性と両岸関係の安定を重視する立場をとり、民進党(DPP)は台湾の主体性と事実上の独立状態の維持を強調する。この対立軸は、経済政策や社会政策をめぐる左右対立よりも、台湾政治を構造化する主要なcleavage(政治的亀裂)として機能している。

2024年の総統選挙で当選した頼清徳は就任演説において「中華人民共和国と中華民国は互いに隷属しない」と述べ、「一つの中国」にも「独立」にも言及せずに現状維持を明言した。これに対し中国は「実質的な独立宣言」として強く反発した。

graph TD
    subgraph "東アジア3政治体の体制比較"
        direction TB
        CN["中国"]
        KR["韓国"]
        TW["台湾"]
    end

    subgraph "体制類型"
        A1["一党制権威主義<br/>党国体制"]
        A2["大統領制民主主義<br/>5年単任制"]
        A3["半大統領制民主主義<br/>4年・再選1回可"]
    end

    subgraph "民主化経路"
        B1["民主化なし<br/>権威主義の強化"]
        B2["replacement型<br/>社会運動主導"]
        B3["transformation型<br/>エリート主導"]
    end

    CN --> A1
    KR --> A2
    TW --> A3
    CN --> B1
    KR --> B2
    TW --> B3

まとめ

  • 中国の党国体制は、党が国家機構・軍・司法のすべてを掌握する構造であり、幹部人事制度が統治の中核メカニズムとして機能する。習近平体制の下で集団指導体制が解体され、個人への権力集中とデジタル権威主義による社会統制が進行している。
  • 韓国は朴正煕・全斗煥の軍事政権を経て、1987年の6月民主抗争により民主化を達成した。民主主義は制度的に定着したが、大統領弾劾の反復や政党政治の流動性など構造的課題を抱える。
  • 台湾はエリート主導の段階的民主化を経験し、1996年の総統直接選挙、2000年の初の政権交代を経て民主主義が定着した。台湾海峡問題と住民のアイデンティティ変容が、台湾政治の基本的な構造を規定している。
  • 3つの事例は、権威主義体制からの離脱(または持続)の条件、民主化の経路の多様性、そして経済発展と政治体制の関係について、比較政治学に豊かな素材を提供する。
  • 次のセクション(Section 2)では、中東・アフリカ・ラテンアメリカの政治とインド太平洋の地政学を扱い、東アジア以外の地域との比較の視座を獲得する。

用語集(Glossary)

用語 英語表記 定義
党国体制 Party-state System 政党と国家機構が一体化し、党が国家の上位に位置して統治を行う政治体制
権威主義的レジリエンス Authoritarian Resilience 権威主義体制が制度化を通じて適応力・持続性を維持する現象。ネイサンが2003年に概念化
民主化の第三の波 Third Wave of Democratization 1974年以降の南欧・ラテンアメリカ・東アジア・東欧における一連の民主化プロセス
一つの中国政策 One China Policy 中国はただ一つであるとする原則。中華人民共和国・アメリカ・台湾がそれぞれ異なる解釈を持つ
発展主義国家 Developmental State 国家が経済発展を最優先とし、官僚機構が産業政策を主導して急速な工業化を実現する体制
維新体制 Yushin System 1972年に朴正煕が宣言した権威主義的統治体制。大統領の間接選挙制や権限強化を含む
幹部人事制度 Cadre Management System 中国共産党が全国の幹部の任命・評価・昇進を管理するシステム
デジタル権威主義 Digital Authoritarianism デジタル技術を活用して社会統制・監視を高度化する権威主義的統治モデル
社会信用システム Social Credit System 個人・企業の経済的信用と社会的行動を数値化して評価する中国の統制システム
省籍矛盾 Provincial Origin Conflict 台湾における外省人と本省人の間のエスニックな権力格差・対立構造
6月民主抗争 June Democratic Struggle 1987年6月に韓国で発生した大規模な民主化要求デモ
白色テロ White Terror 台湾の戒厳令期間中に国民党政権が行った政治的弾圧

確認問題

Q1: 中国の党国体制において、「党管幹部」の原則はどのような機能を果たしているか。その具体的メカニズムとともに説明せよ。 A1: 「党管幹部」の原則は、中国共産党が政府・軍・国有企業・大学・司法機関等のあらゆる組織の人事権を掌握することで、党国体制の実効的な支配を確保するメカニズムである。具体的には、各級組織に党委員会(党組)が設置され、中央組織部が幹部の任命・評価・昇進を一元的に管理する。この制度により、形式的には国家機関が行政を担うが、実質的な意思決定と人事は党が統制する構造が維持される。

Q2: ネイサンの「権威主義的レジリエンス」論が指摘した中国共産党の制度的強みとは何か。また、習近平体制の下でそれらの制度的基盤はどのように変容したか。 A2: ネイサンは、(1) 規範に基づく権力継承、(2) 能力主義的な幹部昇進、(3) 統治機構の機能的分化、(4) 政治参加チャネルの確保、の4点を制度的強みとして挙げた。習近平体制ではこれらが大幅に弱体化している。任期制限の撤廃により権力継承の規範が破壊され、政治的忠誠の重視により能力主義が後退し、権力の個人集中により機能的分化が弱まった。体制の持続は制度よりも経済成長と社会統制技術への依存を強めている。

Q3: 韓国と台湾の民主化過程を、ハンチントンの民主化類型論を用いて比較せよ。それぞれの民主化の主導的アクターと経路の違いに着目すること。 A3: 韓国の民主化は「変革」(replacement)型に近く、市民の大規模な抗議行動(6月民主抗争)が体制側に民主化の受容を迫った。主導的アクターは学生・市民運動と野党勢力であり、軍事政権側は社会的圧力に屈する形で6・29宣言を発出した。一方、台湾の民主化は「変容」(transformation)型であり、蒋経国・李登輝という体制内エリートが主導した上からの改革であった。戒厳令解除、万年国会議員の退職、総統直接選挙制の導入が段階的に進められ、急激な体制転換ではなく漸進的な制度改革によって民主化が達成された。

Q4: 台湾における住民のアイデンティティ変容が台湾海峡問題に与える影響について論じよ。 A4: 1992年から2023年にかけて「台湾人」アイデンティティが17.6%から62.8%に急増し、「中国人」アイデンティティが25.5%から2.5%に激減したことは、台湾社会が「中華民国」の枠組みから「台湾」という独自のアイデンティティへと移行しつつあることを示す。この変容は、中国が主張する「一つの中国」原則の社会的基盤を台湾側で掘り崩し、統一の可能性をますます遠ざけている。同時に、台湾の政治指導者は増大する台湾人意識を背景に「現状維持」を堅持しつつ事実上の独立状態を強化する傾向にあり、中国はこれを「漸進的独立」として警戒を強めている。この構造的乖離が台湾海峡の緊張を恒常化させている。

Q5: 発展主義国家モデルは韓国と台湾の権威主義体制期にどのように機能し、その後の民主化にどのような影響を与えたか。 A5: 韓国の朴正煕政権と台湾の国民党政権は、いずれも国家が産業政策を主導し、特定産業の育成・輸出振興・外資導入を戦略的に推進する発展主義国家モデルを採用した。この結果、急速な経済成長が実現し、所得水準の向上・中産階級の拡大・高学歴層の増加がもたらされた。経済発展は一時的には権威主義体制の正統性を補強したが、中長期的には政治参加を求める社会集団の成長を促し、民主化の社会的条件を整備した。すなわち、発展主義国家モデルは権威主義体制の自己掘り崩し(self-undermining)効果を内包しており、近代化論(modernization theory)が予測する「経済発展は民主化を促進する」というテーゼの東アジアにおける実証例となっている。