Module 1-1 - Section 4: 市場構造と競争¶
セクション情報¶
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| モジュール | Module 1-1: 経済学基礎(ミクロ・マクロ) |
| 前提セクション | Section 2, Section 3 |
| 想定学習時間 | 3時間 |
導入¶
Section 2(消費者理論)では効用最大化を通じた消費者の行動原理を、Section 3(生産者理論)では費用構造と利潤最大化を通じた企業の行動原理を分析した。しかし、企業の行動は企業単独の内部条件だけでは決まらない。企業がどのような価格を設定し、どれだけの量を生産するかは、その企業が活動する市場の構造に大きく依存する。
Section 3 では完全競争市場を前提として $P = MC$ という利潤最大化条件を導出したが、現実の市場は完全競争の条件を満たさないことが多い。本セクションでは、市場構造(market structure)を体系的に分類し、完全競争・独占・独占的競争・寡占という4つの類型それぞれにおける企業行動と市場成果の違いを分析する。
市場構造の分類基準¶
市場構造は、主に以下の4つの基準によって分類される。
| 基準 | 内容 |
|---|---|
| 企業数 | 市場に参加する売り手の数 |
| 製品の同質性 | 各企業の製品が同一か差別化されているか |
| 参入障壁 | 新規企業が市場に参入する際の困難の程度 |
| 価格支配力 | 個別企業が市場価格に影響を与える能力 |
Key Concept: 参入障壁(Barriers to Entry) 新規企業が市場に参入する際に直面する障害の総称。規模の経済、法的規制、既存企業のブランド力、巨額の初期投資、特許などが含まれる。参入障壁の高さは市場における既存企業の利潤を長期的に維持しうるか否かを左右する重要な要因である。
参入障壁の定義については経済学者の間で見解が分かれる。ジョー・S・ベイン(Joe S. Bain, 1956)は「既存企業が潜在的参入者に対して持つ優位性であり、既存企業が競争的水準を超えて持続的に価格を引き上げても新規参入を誘引しない程度」と定義した。これに対しジョージ・スティグラー(George Stigler, 1968)は「新規参入者が負担しなければならないが既存企業は負担しない費用」とより限定的に定義した。スティグラーの定義では、規模の経済は参入障壁に該当しない(新規企業も既存企業も同じ技術を利用可能であるため)が、ベインの定義では参入障壁となりうる。どちらの定義を採用するかは、産業組織論や競争政策の文脈において分析結果を左右する。
これら4基準に基づく市場構造の分類を以下に整理する。
| 特性 | 完全競争 | 独占的競争 | 寡占 | 独占 |
|---|---|---|---|---|
| 企業数 | 非常に多い | 多い | 少数 | 1社 |
| 製品 | 同質 | 差別化 | 同質または差別化 | 代替品なし |
| 参入障壁 | なし | 低い | 高い | 非常に高い |
| 価格支配力 | なし | 限定的 | 相当程度 | 完全 |
| 近似的な産業例 | 農産物市場 | カフェ・レストラン | 自動車・携帯キャリア | 地域独占の水道事業 |
graph LR
subgraph classification ["市場構造の分類体系"]
direction TB
A["市場構造"] --> B["企業数"]
A --> C["製品差別化"]
A --> D["参入障壁"]
A --> E["価格支配力"]
end
B --> F["多数"]
B --> G["少数"]
B --> H["1社"]
F --> I["同質製品 → 完全競争"]
F --> J["差別化製品 → 独占的競争"]
G --> K["寡占"]
H --> L["独占"]
市場構造は、競争の程度が高い順に、完全競争 → 独占的競争 → 寡占 → 独占と配列される。以下ではこの順に各類型を詳述する。
完全競争¶
完全競争市場の条件¶
Key Concept: 完全競争(Perfect Competition) 多数の小規模な売り手と買い手が同質の財を取引し、すべての市場参加者が完全な情報を持ち、参入・退出が自由に行える市場構造。個別の企業は市場価格に影響を与えることができず、プライステイカーとして行動する。
完全競争市場の成立には以下の条件が必要である。
- 多数の売り手と買い手: 各主体の市場シェアが極めて小さく、個別の行動が市場全体に影響を与えない
- 製品の同質性: すべての企業が同一の財を供給し、消費者は売り手を区別しない
- 自由な参入・退出: 新規参入にも市場退出にも障壁がない
- 完全情報: すべての市場参加者が価格・品質に関する情報を完全に保有する
農産物市場(特にコメや小麦の卸売市場)は完全競争に最も近い実例とされる。多数の農家が品質規格の揃った農産物を供給し、市場価格は個別の農家の行動によっては変動しない。
短期均衡と長期均衡¶
Section 3 で導出した通り、完全競争企業は $P = MC$ で生産量を決定する。短期均衡では、市場価格の水準に応じて正の経済的利潤、ゼロ利潤、損失のいずれかが生じうる。
長期においては、参入・退出が自由であることから、次の調整メカニズムが作用する。
- 正の経済的利潤が存在する場合: 利潤に引きつけられて新規企業が参入 → 市場供給が増加 → 価格が下落 → 利潤が縮小
- 損失が存在する場合: 損失を被る企業が退出 → 市場供給が減少 → 価格が上昇 → 損失が縮小
このプロセスが続く結果、長期均衡では以下が成立する。
$$P = MC = AC_{\min}$$
すなわち、長期均衡では経済的利潤がゼロとなり、各企業は平均費用曲線の最低点(最小効率規模)で生産する。
完全競争の効率性¶
完全競争市場の長期均衡は、2つの意味で効率的である。
- 配分効率(allocative efficiency): $P = MC$ が成立し、消費者が財の追加1単位に付ける価値(価格)と、社会がその1単位を生産するために犠牲にする資源(限界費用)が一致する。資源配分の観点から過不足がない
- 生産効率(productive efficiency): $P = AC_{\min}$ が成立し、各企業が最低の平均費用で生産する。利用可能な技術のもとで最も効率的な生産が行われる
この二重の効率性が、完全競争が経済学においてベンチマーク(基準)として用いられる理由である。後述する他の市場構造は、この基準からの乖離として評価される。
なお、完全競争市場が現実にはほぼ存在しないとする批判もある。フリードリヒ・ハイエク(Friedrich Hayek)は、完全情報の仮定を特に問題視し、市場の本質的機能は分散した知識を集約・活用するプロセスにあると論じた。完全競争モデルでは、そうした知識の発見・伝達機能が捨象されてしまう。
独占¶
独占の定義と発生要因¶
Key Concept: 独占(Monopoly) 市場に売り手が1社のみ存在し、その企業の製品に近い代替品がない市場構造。独占企業は市場供給の全量を支配するため、価格設定力を持つプライスメイカーとして行動する。
独占が発生する主な要因は以下の通りである。
| 要因 | 説明 | 例 |
|---|---|---|
| 規模の経済 | 市場規模に対して効率的生産規模が大きく、1社のみが存続可能 | 水道、鉄道 |
| 法的規制 | 特許権、政府による独占的事業許可 | 医薬品の特許、郵便事業 |
| 資源独占 | 希少な生産要素を1社が支配 | ダイヤモンド原石(デビアス社の歴史的事例) |
| ネットワーク外部性 | 利用者数の増加が製品の価値を高め、勝者総取りを促す | オペレーティングシステム |
独占企業の利潤最大化¶
独占企業は市場の唯一の供給者であるため、市場需要曲線そのものが独占企業の直面する需要曲線となる。需要曲線が右下がりであることから、独占企業が産出量を増やして販売するには価格を引き下げる必要がある。
このため、独占企業の限界収入(MR)は価格よりも低くなる。産出量を1単位増やすとき、追加の1単位は値下げ後の価格で販売されるが、それ以前に販売していたすべての単位についても値下げの影響を受けるためである。線形の逆需要関数 $P = a - bQ$ のもとでは、$MR = a - 2bQ$ となり、MR曲線は需要曲線の2倍の傾きで下降する。
利潤最大化条件は生産者理論の一般原則と同じく $MR = MC$ であるが、完全競争とは異なり、$MR < P$ であるため、独占価格は限界費用を上回る。
$$P_m > MC \quad \text{(独占均衡)}$$
すなわち、独占企業は完全競争に比べて少ない量を高い価格で販売する。
独占による死荷重¶
独占企業が $P > MC$ で供給することにより、完全競争均衡と比較して次の非効率が生じる。
- 消費者余剰の減少: 高い価格により消費者が失う余剰の一部は独占企業の利潤として移転されるが、残りの部分は社会全体から消失する
- 死荷重(deadweight loss)の発生: 完全競争であれば取引が成立するはずの範囲($MC < P < P_m$ に対応する取引量)において、取引が行われないことによる社会的損失
死荷重は、独占価格 $P_m$ と完全競争価格 $P_c$(= MC)の間、かつ需要曲線とMC曲線に囲まれた三角形の面積として表される。この非効率は、配分効率の喪失($P \neq MC$)に起因する。
自然独占と公共政策¶
Key Concept: 自然独占(Natural Monopoly) 市場全体の需要量を1社で供給する方が、複数の企業が分担して供給するよりも総費用が低い状態。長期平均費用曲線が市場需要の範囲全体にわたって右下がりであるとき、自然独占が成立する。
電力送配電網、水道管網、鉄道線路といったインフラストラクチャーは、巨額の初期固定投資を要し、追加的な利用者への供給の限界費用が小さいため、自然独占となりやすい。これらの産業では複数企業による重複投資が社会的に非効率であるため、独占を認めた上で政府規制により弊害を抑制するアプローチが一般的である。
主要な価格規制方式として以下の2つがある。
限界費用価格規制(marginal cost pricing): $P = MC$ を義務づける方式。配分効率を達成するが、自然独占ではMC < ACであるため、企業は赤字を被る。この損失を補填するために政府補助金が必要となり、補助金の財源確保に伴う追加的な社会的費用(課税の死荷重等)が発生する。
平均費用価格規制(average cost pricing): $P = AC$ を義務づける方式。企業の経済的利潤はゼロとなり、補助金なしで企業は存続可能である。ただし $P > MC$ であるため死荷重は完全には解消されず、配分効率は達成されない。また、費用を膨らませても利潤がゼロになるよう価格が調整されるため、企業に費用削減のインセンティブが弱まる(アバーチ=ジョンソン効果)という問題がある。
| 規制方式 | 価格水準 | 効率性 | 企業の存続 | 問題点 |
|---|---|---|---|---|
| 限界費用価格規制 | $P = MC$ | 配分効率を達成 | 赤字(補助金が必要) | 補助金の財源と非効率 |
| 平均費用価格規制 | $P = AC$ | 一部の死荷重が残る | 存続可能 | 費用削減インセンティブの弱さ |
日本においては、電力・ガス事業が長らく地域独占体制のもと総括原価方式(平均費用価格規制の一種)により規制されてきた。2016年の電力小売全面自由化以降は、送配電部門(自然独占性が高い)を法的に分離し、発電・小売部門には競争を導入する構造改革が進められている。
独占的競争¶
チェンバリンのモデル¶
Key Concept: 独占的競争(Monopolistic Competition) 多数の企業が差別化された製品を供給し、各企業が自社製品について限定的な価格支配力を持つが、参入・退出が自由な市場構造。エドワード・チェンバリン(Edward Chamberlin, 1933)の『独占的競争の理論』によって体系化された。
独占的競争は完全競争と独占の中間的な性質を持つ。完全競争との共通点は企業数が多く参入・退出が自由であること、独占との共通点は各企業が右下がりの需要曲線に直面すること(製品差別化のため)である。
Key Concept: 製品差別化(Product Differentiation) 同一カテゴリの財・サービスに対して、各企業が品質・デザイン・ブランド・立地・サービスなどの面で異なる特性を付与し、消費者にとって不完全な代替物とすること。
カフェ・レストラン業界は独占的競争の典型例である。多数の店舗が営業し(多数の企業)、参入障壁は比較的低く(新規開店が容易)、各店舗はメニュー・雰囲気・立地・ブランドにより差別化されている。消費者は特定の店舗への選好を持つが、他店への乗り換えは十分可能である。
短期均衡と長期均衡¶
短期的には、独占的競争企業は独占企業と同様の利潤最大化行動をとる。右下がりの需要曲線に対して $MR = MC$ となる生産量を選択し、需要曲線上の対応する価格で販売する。製品差別化が成功していれば、短期的に正の経済的利潤を獲得しうる。
しかし長期的には、参入障壁が低いため、正の利潤は新規参入を誘引する。新規企業の参入により既存企業の需要曲線は左方にシフトし(市場を分け合うため)、経済的利潤は縮小する。このプロセスは利潤がゼロになるまで続き、長期均衡では需要曲線が長期平均費用曲線に接する。
長期均衡では以下が同時に成立する。
- $MR = MC$(利潤最大化条件)
- $P = AC$(経済的利潤ゼロ、自由参入・退出の結果)
- $P > MC$(需要曲線が右下がりであるため)
超過設備と効率性¶
独占的競争の長期均衡における特徴的な帰結が、超過設備(excess capacity)の存在である。需要曲線が右下がりであるため、$P = AC$ が成立する接点は AC曲線の最低点よりも左側に位置する。すなわち、各企業は平均費用を最小化する産出量よりも少なく生産しており、生産設備に余裕(超過設備)がある。
この結果を完全競争の長期均衡($P = MC = AC_{\min}$)と比較すると、独占的競争では、
- 生産効率が達成されない: $AC > AC_{\min}$ で生産しているため
- 配分効率が達成されない: $P > MC$ であるため
という二重の非効率が存在する。チェンバリンはこの非効率を「製品差別化(多様性)に対する社会的な対価」と位置づけた。消費者は画一的な製品よりも多様な選択肢を好む可能性があり、超過設備のコストは多様性の便益と比較衡量されるべきであるとの解釈である。
寡占¶
寡占の特徴¶
Key Concept: 寡占(Oligopoly) 少数の大企業が市場の大部分を供給する市場構造。各企業の意思決定が他の企業の行動に直接影響を及ぼし、また他の企業の行動によって直接影響を受ける相互依存性が本質的な特徴である。
Key Concept: 相互依存性(Mutual Interdependence) 寡占市場において、ある企業の価格・産出量の決定が他の企業の利潤に影響を及ぼし、かつ他の企業の反応が自社の利潤を変化させるという関係。この相互依存性のため、寡占企業は競争相手の反応を予測した上で意思決定を行う必要がある。
日本の携帯電話キャリア市場(NTTドコモ、KDDI、ソフトバンク、楽天モバイル)や自動車産業(トヨタ、ホンダ、日産等の少数の大手メーカーが世界市場を支配)は寡占の代表例である。
寡占の分析は、相互依存性のため完全競争や独占に比べて格段に複雑である。企業が相手の反応をどう予想するかによって均衡の結果が異なるため、唯一の寡占モデルは存在せず、異なる仮定に基づく複数のモデルが提案されている。
クールノー競争¶
クールノー競争(Cournot competition)は、1838年にオーギュスタン・クールノー(Augustin Cournot)が提示した、最も基本的な寡占モデルである。
基本仮定: - 2企業(複占: duopoly)が同質の財を供給する - 各企業は相手の産出量を所与として自社の産出量を決定する(数量競争) - 両企業が同時に意思決定を行う
各企業は $MR = MC$ を解いて利潤を最大化するが、MR は相手の産出量に依存する。企業1の利潤最大化産出量を相手の産出量の関数として表したものが反応関数(reaction function)であり、企業2についても同様に反応関数が導出される。2つの反応関数の交点がクールノー=ナッシュ均衡である。
クールノー均衡では、完全競争に比べて産出量は少なく価格は高いが、独占に比べて産出量は多く価格は低い。一般に $n$ 社のクールノー競争では、$n$ が増加するほど均衡は完全競争に接近する。
ベルトラン競争¶
ベルトラン競争(Bertrand competition)は、1883年にジョセフ・ベルトラン(Joseph Bertrand)が提示したモデルであり、クールノーとは異なり価格を戦略変数とする。
基本仮定: - 2企業が同質の財を供給する - 各企業は相手の価格を所与として自社の価格を決定する - 同時に意思決定を行う
同質財の場合、消費者は最も安い企業から購入するため、わずかでも低い価格を設定した企業が市場全体の需要を獲得する。この結果、両企業は互いに値下げを行い、均衡では $P = MC$ となる。すなわち、たった2社でも完全競争と同じ結果が実現する(ベルトランの逆説)。
この結果はクールノー均衡と大きく異なり、戦略変数の選択(数量か価格か)が結果を左右することを示している。現実の適用可能性としては、生産能力に制約がなく事後的に需要に応じた供給が可能な産業(ソフトウェア販売やサービス業など)ではベルトラン型の競争がより当てはまると考えられる。一方、生産能力への事前コミットメントが重要な産業(重工業等)ではクールノー型が適切とされる。
シュタッケルベルク・モデル¶
シュタッケルベルク・モデル(Stackelberg model)は、1934年にハインリヒ・フォン・シュタッケルベルク(Heinrich von Stackelberg)が提示したモデルであり、先手(リーダー)と後手(フォロワー)の逐次的な意思決定を仮定する。
基本仮定: - 2企業が同質の財を供給する(数量競争) - リーダーがまず産出量を決定し、フォロワーがそれを観察してから産出量を決定する
フォロワーはリーダーの産出量を所与としてクールノー型の最適反応を行う。リーダーはフォロワーのこの反応関数を織り込んだ上で自社の産出量を決定する。
均衡の結果、リーダーはクールノー均衡よりも多く生産し、フォロワーはより少なく生産する。リーダーの利潤はフォロワーの利潤を上回り、先手の利益(first-mover advantage)が存在する。市場全体の産出量はクールノー均衡よりも多く、価格はより低い。
寡占モデルの比較¶
| 特性 | クールノー | ベルトラン | シュタッケルベルク |
|---|---|---|---|
| 戦略変数 | 産出量 | 価格 | 産出量 |
| 意思決定のタイミング | 同時 | 同時 | 逐次的 |
| 均衡価格の水準 | $MC < P < P_m$ | $P = MC$ | $MC < P < P_{\text{Cournot}}$ |
| 先手の優位 | なし | なし | あり |
| 企業数と均衡の関係 | $n \to \infty$ で完全競争に収束 | 2社で完全競争と同一 | リーダー/フォロワー構造を仮定 |
カルテルと協調行動¶
寡占市場では、企業間の競争を制限して共同で利潤を最大化する誘因が存在する。企業間の明示的な価格・産出量の協定をカルテル(cartel)と呼ぶ。
カルテルが完全に機能する場合、参加企業は共同で独占利潤を最大化する産出量を設定し、利潤を分配する。このとき市場全体の結果は独占と同一になる。しかし、カルテルには本質的な不安定性がある。各参加企業にとって、他のメンバーが生産を制限している間に自社だけ密かに増産すれば利潤を増やせるという抜け駆けの誘因が存在するためである。この問題はSection 5で扱うゲーム理論(囚人のジレンマ)により形式的に分析される。
石油輸出国機構(OPEC: Organization of the Petroleum Exporting Countries)はカルテルの代表例である。OPECは加盟国の原油生産量を調整することで国際原油価格に影響を及ぼしてきた。しかし、各加盟国が割当量を超えて生産する事例が繰り返し報告されており、カルテルの内在的不安定性を実証している。
なお、多くの国ではカルテルは競争法(日本では独占禁止法)によって原則として違法とされている。
屈折需要曲線モデル¶
屈折需要曲線モデル(kinked demand curve model)は、1939年にポール・スウィージー(Paul Sweezy)が提示した、寡占市場における価格硬直性を説明するモデルである。
このモデルは、競争企業の非対称的な反応に基づいている。ある企業が値上げした場合、競争相手は追随せず、値上げ企業は大幅に顧客を失う(需要曲線の上側は弾力的)。一方、ある企業が値下げした場合、競争相手も直ちに追随するため、値下げ企業は市場シェアをほとんど拡大できない(需要曲線の下側は非弾力的)。
この非対称的な反応の仮定により、現行価格の点で需要曲線に屈折(kink)が生じる。屈折点に対応してMR曲線には不連続な垂直のギャップが生じ、MC曲線がこのギャップの範囲内で変動しても、利潤最大化価格と産出量は変化しない。これが寡占市場で価格が硬直的になる(費用変動に対して価格が反応しにくい)理由を説明する。
ガソリン小売市場で観察される行動がこのモデルの例証となる。ある給油所が値上げすれば顧客は近隣の他社に流れるが、値下げすれば他社も即座に追随するため、値下げの利益は短期的にしか持続しない。結果として、各社とも現行価格を維持する傾向がある。
ただし、屈折需要曲線モデルは価格の硬直性を説明するものの、屈折点の価格水準がどのように決定されるかは説明しないという限界がある。
市場構造の比較¶
以下に、4つの市場構造における主要な経済的成果を総括する。
| 評価項目 | 完全競争 | 独占的競争 | 寡占 | 独占 |
|---|---|---|---|---|
| 均衡価格 | $P = MC$ | $P > MC$ | $MC < P$(モデル依存) | $P > MC$ |
| 産出量 | 最大 | 完全競争より少 | モデル依存 | 最小 |
| 長期経済的利潤 | ゼロ | ゼロ | 正(参入障壁による) | 正(参入障壁による) |
| 配分効率 | 達成 | 非達成 | 非達成 | 非達成 |
| 生産効率 | 達成 | 非達成(超過設備) | モデル依存 | 不確定 |
| 死荷重 | なし | あり(小) | あり(中) | あり(大) |
graph LR
subgraph spectrum ["競争度のスペクトル"]
direction LR
PC["完全競争<br/>P = MC<br/>利潤ゼロ<br/>効率的"] --> MC2["独占的競争<br/>P > MC<br/>利潤ゼロ<br/>超過設備"]
MC2 --> OL["寡占<br/>P > MC<br/>利潤正の可能性<br/>相互依存"]
OL --> MN["独占<br/>P >> MC<br/>利潤正<br/>死荷重最大"]
end
style PC fill:#e8f5e9
style MN fill:#ffebee
完全競争から独占に向かうにつれて、価格支配力は増大し、産出量は減少し、社会的余剰の損失は拡大する傾向にある。ただし、独占がつねに社会的に望ましくないとは限らない。自然独占のケースでは、1社による供給が重複投資を避けるという意味で費用効率的であり、また独占的利潤がイノベーションへの投資を促進する可能性(シュンペーター仮説)も指摘されている。市場構造の評価には、静態的効率性だけでなく動態的効率性(技術革新の促進)の観点も含めた多角的な分析が求められる。
まとめ¶
- 市場構造は企業数、製品の同質性、参入障壁、価格支配力の4基準で分類される。完全競争・独占的競争・寡占・独占の4類型が基本である
- 完全競争は $P = MC = AC_{\min}$ の長期均衡をもたらし、配分効率と生産効率の双方を達成する理論上のベンチマークである
- 独占では $P > MC$ となり死荷重が発生する。自然独占に対しては限界費用価格規制か平均費用価格規制により弊害の抑制を図る
- 独占的競争では製品差別化により各企業が限定的な価格支配力を持つが、自由参入により長期利潤はゼロとなる。ただし超過設備が存在し、完全競争に比べ非効率である
- 寡占では相互依存性が本質的特徴であり、戦略変数や意思決定のタイミングに応じてクールノー・ベルトラン・シュタッケルベルク等の異なるモデルが適用される
- カルテルは共同利潤最大化を図るが、抜け駆けの誘因により本質的に不安定であり、多くの国で違法とされている
- 次のSection 5では、寡占市場における戦略的相互作用を分析するゲーム理論の枠組みと、市場メカニズムが効率的な資源配分を達成できない市場の失敗を扱う(→ Module 1-1, Section 5「ゲーム理論と市場の失敗」参照)
用語集(Glossary)¶
| 用語 | 英語表記 | 定義 |
|---|---|---|
| 完全競争 | Perfect Competition | 多数の企業が同質財を供給し、参入退出が自由でプライステイカーとして行動する市場構造 |
| 独占 | Monopoly | 市場に売り手が1社のみ存在し、代替品がない市場構造 |
| 独占的競争 | Monopolistic Competition | 多数の企業が差別化製品を供給し、限定的な価格支配力を持つが参入退出が自由な市場構造 |
| 寡占 | Oligopoly | 少数の大企業が市場を支配し、相互依存性が存在する市場構造 |
| 参入障壁 | Barriers to Entry | 新規企業の市場参入を困難にする要因の総称 |
| 自然独占 | Natural Monopoly | 市場全体の需要を1社で供給する方が総費用が低い状態 |
| 製品差別化 | Product Differentiation | 同一カテゴリの財に異なる特性を付与し不完全な代替物とすること |
| 相互依存性 | Mutual Interdependence | 寡占市場で各企業の決定が他社に直接影響し合う関係 |
| 配分効率 | Allocative Efficiency | P = MC が成立し資源配分に過不足がない状態 |
| 生産効率 | Productive Efficiency | 最低の平均費用で生産が行われている状態 |
| 死荷重 | Deadweight Loss | 市場の非効率性により社会全体から消失する余剰 |
| 反応関数 | Reaction Function | 相手の戦略を所与としたときの自社の最適反応を表す関数 |
| 限界費用価格規制 | Marginal Cost Pricing | 独占企業にP = MCでの価格設定を義務づける規制方式 |
| 平均費用価格規制 | Average Cost Pricing | 独占企業にP = ACでの価格設定を義務づける規制方式 |
| 屈折需要曲線 | Kinked Demand Curve | 競争相手の非対称的反応により現行価格で需要曲線が屈折するモデル |
| カルテル | Cartel | 企業間で価格・産出量について結ぶ協調的協定 |
| ベルトランの逆説 | Bertrand Paradox | 同質財の価格競争では2社でも完全競争と同一の結果が生じるという命題 |
確認問題¶
Q1: 独占企業が完全競争企業と異なり $P > MC$ で生産する理由を、限界収入と需要曲線の関係に基づいて説明せよ。
A1: 独占企業は市場唯一の供給者であり、右下がりの需要曲線に直面する。産出量を1単位増加させるためには価格を引き下げる必要があり、この値下げは追加の1単位のみならず既存のすべての販売単位にも適用される。そのため限界収入は常に価格を下回る($MR < P$)。利潤最大化条件 $MR = MC$ を満たす産出量において、$MR = MC < P$ が成立するため、独占価格は限界費用を超える。完全競争ではMR = P であるため $P = MC$ となるが、独占ではこの等式が成り立たない点が本質的な違いである。
Q2: 独占的競争市場において、短期的に正の経済的利潤が存在しても長期的にはゼロに収束するメカニズムを説明せよ。また、長期均衡で超過設備が生じる理由を述べよ。
A2: 独占的競争では参入障壁が低いため、短期的に正の経済的利潤が存在すると新規企業が参入する。新規企業の参入により市場が分割され、既存企業の需要曲線は左方にシフトする。このプロセスは経済的利潤がゼロになるまで継続し、長期均衡では需要曲線が平均費用曲線に接する。超過設備が生じる理由は、需要曲線が右下がりであるため、接点がAC曲線の最低点よりも左側に位置するからである。すなわち、各企業はAC最小化産出量よりも少ない量しか生産しておらず、生産能力に余裕が残る。
Q3: クールノー競争とベルトラン競争の均衡結果の違いを説明し、どのような産業特性のもとで各モデルがより適切であるかを論じよ。
A3: クールノー競争では各企業が産出量を戦略変数として同時に決定する。均衡価格は完全競争と独占の中間に位置し、正の経済的利潤が生じる。一方、ベルトラン競争では各企業が価格を戦略変数とし、同質財の場合、均衡では $P = MC$(完全競争と同一の結果)となる。これをベルトランの逆説と呼ぶ。クールノー・モデルは、生産能力への事前投資が重要で供給量の調整が容易でない産業(重工業・素材産業等)に適している。ベルトラン・モデルは、供給能力に制約が少なく事後的に需要に応じた供給が可能な産業(サービス業・ソフトウェア販売等)により適合する。
Q4: 自然独占に対する限界費用価格規制と平均費用価格規制のそれぞれの利点と問題点を比較せよ。
A4: 限界費用価格規制($P = MC$)は配分効率を達成する利点があるが、自然独占では長期平均費用が需要範囲全体にわたって逓減しているため $MC < AC$ となり、企業は赤字を被る。企業を存続させるには政府補助金が必要であり、その財源確保に伴う課税の死荷重が新たな社会的費用を生む。平均費用価格規制($P = AC$)は企業が経済的利潤ゼロで存続可能であり補助金を必要としない利点があるが、$P > MC$ であるため死荷重が完全には解消されない。さらに、費用を膨張させても価格が調整される構造のため、企業に費用削減のインセンティブが弱まるという問題がある。
Q5: ある産業において3社の企業が市場の90%を供給しており、製品は各社のブランドによって差別化されている。この産業が該当する市場構造を特定し、その構造の特徴を4つの分類基準に基づいて説明せよ。また、この産業でカルテルが形成されやすい理由と、カルテルが不安定になる理由を述べよ。
A5: この産業は寡占に該当する。4つの分類基準に基づく特徴は以下の通りである。企業数は少数(3社)、製品は差別化されている、市場シェアの集中度から参入障壁は高いと推定される、各企業は相当程度の価格支配力を持つ。カルテルが形成されやすい理由は、企業数が少ないため合意の形成と監視が容易であること、また相互依存性が高く価格競争の激化が全社の利潤を損なうことを各社が認識していることである。一方、カルテルが不安定になる理由は、各社にとって他社が生産を制限している間に自社だけ増産すれば利潤を拡大できるという抜け駆けの誘因が存在するためである。この問題は囚人のジレンマの構造を持ち、個別合理性が集団的最適を損なう典型例である。