Module 2-6 - Section 4: 日本的雇用システムと労使関係¶
セクション情報¶
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| モジュール | Module 2-6: 人的資源管理(HRM) |
| 前提セクション | Section 1, Section 2, Section 3 |
| 想定学習時間 | 3.5時間 |
導入¶
前セクションまでは、HRMの戦略的位置づけ、採用・選考、人材育成・評価、報酬制度という、組織における人的資源管理の基本的構成要素を検討してきた。これらの議論は主として欧米を起源とする理論枠組みに依拠していたが、HRM施策の設計と運用は、その組織が置かれた制度的・文化的文脈に深く規定される。ベストフィット・アプローチが示唆するように、HRM施策の有効性は普遍的ではなく、経営環境や社会制度との整合性に依存する。
本セクションでは、日本企業のHRMを形成してきた制度的基盤である「日本的雇用システム」を取り上げる。終身雇用・年功序列・企業別労働組合という「三種の神器」の形成過程と経済的合理性を理解したうえで、1990年代以降の構造的変容――非正規雇用の拡大、成果主義の導入とその挫折、ジョブ型雇用への移行議論――を検討する。さらに、日本の労使関係の制度的枠組みと労働法の基礎を概観し、正規・非正規間の二重構造問題を論じる。
日本的雇用システムの「三種の神器」¶
アベグレンの発見¶
日本的雇用システムの特徴を世界に知らしめたのは、アメリカの経営学者ジェームス・C・アベグレン(James C. Abegglen)である。アベグレンは1955年から1956年にかけて日本の大工場19社、中小工場34社を対象としたフィールドワークを実施し、その成果を1958年に『日本の経営(The Japanese Factory: Aspects of Its Social Organization)』として刊行した。同書でアベグレンは、日本企業における雇用関係がアメリカ企業とは根本的に異なることを指摘し、その特質を「生涯のコミットメント(lifetime commitment)」と表現した。
アベグレンが発見した日本企業の特徴は、後に「三種の神器」(三種の神器とは日本神話に登場する天皇の正統性の象徴に由来する比喩表現)として定式化された。この概念は、終身雇用、年功序列、企業別労働組合の三要素から構成される。
Key Concept: 終身雇用(Lifetime Employment) 企業が従業員を新卒採用から定年退職まで長期的に雇用し続ける慣行。法律上の義務ではなく、労使間の暗黙の了解に基づく社会的規範である。「終身」は文字通りの意味ではなく、定年までの長期継続雇用を指す。大企業の男性正社員を中心に成立した慣行であり、全労働者に一律に適用されたわけではない。
Key Concept: 年功序列(Seniority-Based System) 勤続年数および年齢に応じて賃金・職位が上昇する人事処遇制度。勤続に伴う技能蓄積と生活費の増大を反映する合理的側面を持つ一方、個人の能力・成果と報酬の乖離を生じさせる構造的問題も内包する。
Key Concept: 企業別労働組合(Enterprise Union) 特定企業の従業員を組織単位とする労働組合の形態。欧米で主流の産業別組合(industrial union)や職業別組合(craft union)とは異なり、同一企業のホワイトカラーとブルーカラーが同一組合に所属する。経営側との協調的関係を形成しやすい反面、企業横断的な労働者の連帯を弱める側面がある。
三種の神器の連関構造¶
三要素は独立して存在するのではなく、相互に補完的な制度として連関している。終身雇用は企業特殊的技能への長期投資を可能にし、その投資回収を年功賃金が保証する。企業別労働組合は、企業の繁栄と従業員の処遇改善を一体のものとして追求する「運命共同体」的関係を制度化し、終身雇用と年功序列の維持を支える。
graph TD
A["終身雇用<br>長期継続雇用の慣行"] --> B["企業特殊的技能の蓄積"]
B --> C["年功序列<br>勤続年数に応じた処遇向上"]
C --> D["長期勤続のインセンティブ"]
D --> A
E["企業別労働組合<br>企業内の労使協調"] --> F["雇用安定の優先交渉"]
F --> A
E --> G["企業業績と賃金の連動"]
G --> C
A --> H["組合員の長期的利害の一致"]
H --> E
style A fill:#4a90d9,color:#fff
style C fill:#7b68ee,color:#fff
style E fill:#2ecc71,color:#fff
この連関構造において、各要素は他の要素の存在を前提として機能する。終身雇用がなければ年功賃金の合理性は失われ、企業別組合の求心力も低下する。逆に、年功賃金と企業別組合が崩壊すれば、終身雇用を維持するインセンティブも減退する。この制度的補完性(institutional complementarity)は、日本的雇用システムの安定性と変革の困難さの双方を説明する鍵概念である。
日本的雇用システムの歴史的形成過程¶
戦前期:流動的労働市場の時代¶
明治期から大正期にかけて、日本の労働市場は高い流動性を特徴としていた。特に工場労働者は、より高い賃金を求めて頻繁に転職する「渡り職工」が一般的であった。この時代、熟練工の定着は企業にとって深刻な課題であり、一部の大企業は勤続奨励策として退職金制度や社内福利厚生を導入し始めたが、長期雇用はまだ例外的な慣行にとどまっていた。
ホワイトカラー層については、官吏制度の影響を受けた「職員」としての身分的処遇が大正期に大企業で成立し始め、月給制・定期昇給・退職金といった長期雇用を前提とする処遇体系の萌芽がみられた。しかし、これはあくまでも少数の大企業の一部の従業員層に限定された慣行であった。
戦時体制:国家統制と雇用の固定化¶
日中戦争(1937年)から太平洋戦争にかけて、戦時経済体制の下で労働力の国家統制が強化された。1939年の「従業者雇入制限令」、1942年の「労務調整令」などにより、軍需産業を中心に労働者の移動が制限され、事実上の雇用固定化が進行した。
この時期に導入された制度として重要なのは、1940年の「賃金統制令」である。同令は賃金の上昇を抑制するために初任給と昇給率を規制したが、結果として勤続年数に応じた定期昇給(年功賃金)の慣行が法的裏付けをもって全産業に普及した。また、1938年に設立された産業報国会は、労使が一体となって生産増強に取り組む組織であり、企業別組合の原型の一つとなった。
戦時体制下の国家統制は本来、効率的な戦時動員を目的とした臨時措置であったが、その結果として形成された雇用の固定化、年功的処遇、企業単位の労使関係という枠組みは、戦後の日本的雇用システムの制度的基盤となった。
戦後復興期:制度の再編と確立¶
終戦直後の1945年から1950年代にかけて、占領軍の民主化政策の下で労働三法(労働組合法1945年、労働関係調整法1946年、労働基準法1947年)が制定され、労働者の団結権・団体交渉権・団体行動権が法的に保障された。この時期、労働組合の組織率は急速に上昇し、1949年には推定組織率55.8%に達した。
しかし、日本の労働組合運動は、欧米とは異なる独自の発展を遂げた。占領軍の民主化政策の下で結成された組合の多くは、産業別ではなく企業別に組織された。これは、戦前期のホワイトカラーとブルーカラーの身分格差を撤廃する「工職混合組合」として企業単位で結成されたことに起因する。
1950年代に入ると、激しい労使紛争(1953年の日産争議、1954年の近江絹糸争議など)を経て、経営側が主導権を確保する形で労使関係が安定化した。経営側は、長期雇用と引き換えに広範な人事権(配転・出向の権限)を獲得し、労働組合側は雇用保障と年功的処遇を獲得するという、いわば暗黙の「社会契約」が成立した。
高度成長期:日本的雇用システムの完成¶
1955年頃から1973年の石油危機に至る高度経済成長期に、三種の神器は制度として完成・定着した。年平均約10%の実質GDP成長率の下で、企業は恒常的な労働力不足に直面し、新卒一括採用による囲い込みと長期雇用のメリットが最大化された。
この時期の特徴として以下を挙げることができる。
- 新卒一括採用の慣行化: 毎年4月に学卒者を一括採用し、企業内教育(OJT)を通じて企業特殊的技能を育成する慣行が大企業を中心に確立した。
- 年功賃金体系の精緻化: 職能資格制度が1960年代後半から普及し、勤続年数を基軸としながらも職務遂行能力を加味する賃金体系が構築された。
- 企業別組合の協調路線: 1955年の日本生産性本部設立に象徴される労使協調路線が定着し、企業の成長を通じた労働条件の改善という方向性が共有された。
- 企業内福利厚生の充実: 社宅、保養施設、社内預金制度などの企業内福利厚生が拡充され、従業員の企業帰属意識を強化した。
この時期に完成した日本的雇用システムは、1970年代後半から1980年代にかけて日本企業の国際競争力の源泉として注目を集めた。エズラ・ヴォーゲル(Ezra F. Vogel, 1979)の『ジャパン・アズ・ナンバーワン(Japan as Number One)』に象徴されるように、日本的経営は欧米企業にとっての学習モデルとして評価された。
内部労働市場論と日本的雇用の経済学的説明¶
ドーリンジャー=ピオレの内部労働市場論¶
日本的雇用システムの経済学的合理性を理解するうえで、ピーター・ドーリンジャー(Peter B. Doeringer)とマイケル・ピオレ(Michael J. Piore)が1971年に提唱した内部労働市場(Internal Labor Market: ILM)の概念が重要である。
Key Concept: 内部労働市場(Internal Labor Market) 企業組織の内部において、労働力の配分・価格決定(賃金)・訓練が管理的規則と慣行によって統治される制度的枠組み。外部労働市場(external labor market)が価格メカニズム(市場賃金)を通じて労働力を配分するのに対し、内部労働市場では管理的決定(昇進・配置転換・内部昇給)によって労働力の配分が行われる。
ドーリンジャーとピオレによれば、内部労働市場が形成される要因は3つある。(1) 企業特殊的技能(firm-specific skills)の存在:OJTを通じて獲得される技能で、当該企業内でのみ価値を持ち、外部労働市場では移転不可能な技能。(2) OJTの重要性:職場での実践的訓練が技能形成の中心的手段であること。(3) 慣習(custom)の役割:長期的な雇用関係の中で形成される非公式な規則・慣行。
日本の大企業は、この内部労働市場を極めて発達した形で運用してきた。新卒一括採用を「入口の門(port of entry)」とし、内部昇進・ジョブローテーション・企業内訓練を通じて人材を育成・配分するシステムは、ドーリンジャー=ピオレ理論の典型事例と位置づけることができる。
小池和男の知的熟練論¶
日本の内部労働市場の特質をさらに精緻に分析したのが、労働経済学者の小池和男(Kazuo Koike)である。小池は日米欧の製造業における技能形成を比較調査し、「知的熟練(intellectual skill)」の概念を提唱した。
小池の知的熟練論の核心は、日本の大企業のブルーカラー労働者が単なる定型作業の遂行者ではなく、「異常と変化への対処」能力を備えた知的労働者であるという発見にある。小池によれば、知的熟練とは、(1) 通常と異なる事態(設備の故障、不良品の発生)への対処能力、(2) 生産工程の変化(新製品の導入、工程改善)への対応能力、という二つの次元から構成される。
知的熟練の形成手段はOJTによる幅広い職務経験であり、具体的にはジョブローテーション(計画的配置転換)を通じて複数の工程を経験することで培われる。この点において、小池の議論は、欧米型の職務専門化(一人一職務)とは対照的な日本型の「幅広い技能形成」の合理性を経済学的に説明した。
小池理論は、終身雇用と年功賃金の合理性を以下のように説明する。幅広い知的熟練の形成には長期間を要するため、長期雇用が前提となる。企業は技能投資の回収のために従業員を長期的に雇用し、従業員は年功賃金による将来の報酬を期待して長期勤続する。この相互依存関係が、日本的雇用システムの経済的効率性を担保する。
ただし、小池の知的熟練論に対しては、野村正實をはじめとする研究者から実証的根拠の妥当性に疑問が呈されている。調査報告の記述に恣意的な解釈が含まれるという批判や、日本と欧米の技能差を過大に評価しているという指摘がある。
トヨタに見る日本的雇用の実践¶
トヨタ自動車は、日本的雇用システムの典型例として国際的にも研究対象とされてきた企業である。トヨタ生産方式(Toyota Production System: TPS)は、多能工化(一人の作業者が複数の工程を担当すること)、カイゼン(現場主導の継続的改善活動)、QCサークル(小集団による品質管理活動)を特徴とし、これらはいずれも従業員の長期勤続と幅広い技能形成を前提としている。
トヨタの労使関係もまた、日本的雇用の特質を示している。1962年の「労使宣言」において、労使双方が「相互信頼」と「生産性向上を通じた労働条件の改善」を確認し、以後、協調的な労使関係が維持されてきた。しかし、2019年にトヨタ自動車社長(当時)の豊田章男は「終身雇用を守っていくのは難しい局面に入ってきた」と発言し、日本を代表する企業においても日本的雇用の持続可能性に疑問が呈されるに至った。
日本的雇用システムの変容¶
1990年代以降の環境変化¶
バブル経済の崩壊(1991年)以降、日本的雇用システムを取り巻く環境は根本的に変化した。その主要な要因は以下の通りである。
- 長期不況と企業業績の悪化: バブル崩壊後の「失われた30年」と称される長期停滞は、終身雇用の経済的前提(持続的成長)を掘り崩した。
- グローバル競争の激化: 国際的な競争環境の変化は、日本企業に対してコスト構造の見直しと人材戦略の再構築を迫った。
- 少子高齢化の進行: 人口構成の変化は、年功賃金の持続可能性(高齢化による人件費の増大)に構造的な問題を提起した。
- 技術革新と産業構造の変化: IT化・デジタル化の進展は、企業特殊的技能の価値を相対的に低下させ、外部労働市場で流通する汎用的技能(portable skills)の重要性を高めた。
成果主義の導入と挫折¶
1990年代後半から2000年代にかけて、多くの日本企業が年功序列に代わる人事処遇制度として「成果主義」を導入した。成果主義とは、従業員の業績(成果)を評価基準の中心に据え、それに基づいて処遇を決定する人事制度である。
富士通は1993年に日本の大企業として先駆的に成果主義を導入し、年齢ではなく成果に基づいて評価・報酬を決定する「目標管理評価制度」を全社的に展開した。しかし、その運用は深刻な問題を引き起こした。具体的には、(1) 達成しやすい低い目標を設定する従業員が続出し、挑戦的な目標設定が回避された、(2) 個人の成果を重視するあまり、チームワークや組織市民行動(目標シートに記載されない協力的行動)が阻害された、(3) 評価の公正性に対する不満が蔓延し、組織のモラールが低下した。2003年3月期には2期連続の最終赤字を計上し、成果主義は事実上の失敗として認識された。
富士通の事例は、成果主義導入の教訓として広く参照される。その失敗の本質は、成果主義という制度そのものの欠陥ではなく、チームワークと長期的な能力形成を重視してきた日本的雇用システムとの制度的不整合にあったと解釈される。年功序列を前提として構築された組織文化・評価慣行の中に、成果主義的な制度を部分的に移植しても、制度間の補完性が機能しないのである。
ジョブ型雇用への移行議論¶
2010年代以降、日本の雇用論議の中心的概念となったのが「メンバーシップ型」と「ジョブ型」の対比である。この類型論は労働政策研究・研修機構の濱口桂一郎(Keiichiro Hamaguci)によって体系化された。
Key Concept: ジョブ型雇用(Job-Based Employment) 職務(ジョブ)を基軸とする雇用システム。職務の内容・範囲・責任が職務記述書(job description)によって明確に定義され、賃金はジョブに対して設定される。欧米で主流の雇用形態であり、職務が消滅すれば雇用契約も終了するのが原則である。
濱口の類型論によれば、日本の伝統的雇用は「メンバーシップ型」――組織の一員(メンバー)としての地位を基軸とし、職務内容は入社後に企業が決定する――であるのに対し、欧米の標準的雇用は「ジョブ型」――職務を基軸とし、その職務遂行能力を持つ者を採用する――である。メンバーシップ型では「賃金の値札をヒトに貼る」のに対し、ジョブ型では「賃金の値札をジョブに貼る」と表現される。
2020年以降、日立製作所、富士通、KDDI、資生堂など多くの大企業がジョブ型人事制度の導入を表明した。しかし、濱口自身が指摘するように、日本企業の「ジョブ型」導入の多くは、職務給の部分的導入や管理職層への適用にとどまり、新卒一括採用・社内異動・解雇規制といったメンバーシップ型の根幹は維持されている。ジョブ型への「完全移行」というよりも、メンバーシップ型の枠組み内での部分的修正として理解すべきだという見解が、労働研究者の間では有力である。
「収束論」と「持続論」の学術論争¶
日本的雇用システムの将来に関しては、学術的に二つの対立する見解が存在する。
収束論(convergence thesis) は、グローバル化・技術革新・株主資本主義の浸透により、日本の雇用システムは欧米型(外部労働市場重視・職務基準・成果主義)に収束していくと主張する。この立場からは、終身雇用の縮小、成果主義の拡大、非正規雇用の増加は、収束プロセスの一環として解釈される。
持続論(persistence thesis) は、日本的雇用システムの制度的補完性と経路依存性(path dependence)を重視し、システムの基本構造は修正を加えながらも存続すると主張する。この立場によれば、日本的雇用システムは教育制度(選抜的な入試制度と新卒一括採用の連動)、金融制度(メインバンク・システムと長期的経営の連動)、法制度(判例法理による解雇規制)などの関連制度と強い相互依存関係にあり、一要素のみの変更は困難である。
現実の推移を観察すると、大企業の正社員における長期雇用慣行は統計的には大幅には崩壊しておらず、勤続年数のデータも急激な変化を示していない。他方で、非正規雇用の拡大や処遇制度の多様化は着実に進行しており、「部分的変容」あるいは「ハイブリッド化」という捉え方が現状に近い。完全な収束でも完全な持続でもなく、制度の核心部分を維持しながら周辺部分を変化させていく「漸進的適応」が進行していると評価するのが妥当である。
労使関係の制度的枠組み¶
団体交渉と労使協議制¶
日本の労使関係は、法的に保障された団体交渉と、慣行として発展した労使協議制の二層構造によって特徴づけられる。
団体交渉(collective bargaining) は、労働組合法によって保障された労働者の権利であり、使用者は正当な理由なく団体交渉を拒否することができない(労働組合法第7条第2号、不当労働行為の禁止)。日本では、企業別組合が当該企業の経営者と直接交渉する形が主流であり、交渉事項は賃金、労働時間、福利厚生、人事制度など広範にわたる。
労使協議制(labor-management consultation system) は、団体交渉とは別に、労使が経営情報を共有し、経営方針や生産計画などについて協議する制度である。法律上の義務ではなく、労使間の合意に基づく任意の制度であるが、日本の大企業では広く普及している。厚生労働省の調査によれば、労働組合のある事業所の約8割が何らかの労使協議制度を設けている。
労使協議制は団体交渉の補完機能を担い、経営への「参加」的要素を有する。団体交渉が対立的交渉を前提とするのに対し、労使協議制はより協調的な情報共有・意見交換の場として機能する。この二層構造は、日本の労使関係の協調性を制度的に支える重要な仕組みである。
春闘¶
Key Concept: 春闘(Shunto / Spring Labor Offensive) 毎年春季(2月~4月)に、労働組合が産業横断的に足並みを揃えて賃上げ等の労働条件改善を要求する、日本独自の賃金交渉方式。1956年に始まり、産業別・企業別の賃金交渉を社会的に同期化させることで、個別企業の交渉力格差を補完する機能を果たす。
春闘は1956年に太田薫(当時の総評議長代行)らの主導で開始された。その基本的メカニズムは以下の通りである。まず、鉄鋼・自動車・電機などの主要産業の大手企業において先行的に交渉が行われ、妥結額が「相場」として形成される。この相場が中小企業や他産業の交渉に波及し、社会全体の賃金水準の底上げを実現する。このパターンセッター方式(pattern bargaining)は、企業別組合の交渉力の限界を産業横断的な連携によって補完する機能を持つ。
春闘は、高度成長期には毎年10%を超える賃上げを実現し、生活水準の向上に大きく貢献した。しかし、1970年代の石油危機以降、賃上げ率は低下傾向に転じ、1990年代以降の長期不況下ではベースアップのゼロ回答(賃上げなし)が常態化した時期もあった。2010年代後半以降、政府の賃上げ要請(「官製春闘」と呼ばれる)もあり、賃上げ率は回復傾向にある。
労働組合の組織率の推移¶
日本の労働組合組織率は、1949年の55.8%をピークに長期的な低下傾向が続いている。2023年時点の推定組織率は16.3%であり、先進国の中でも低い水準にある。組織率低下の要因としては、(1) サービス産業化に伴う組合組織化の困難な業種の拡大、(2) 非正規雇用者の増加(非正規の組織率は約8%)、(3) 若年層の組合離れ、(4) 中小企業における組合不在、などが挙げられる。
労働法の基礎¶
日本の労働法制は、個別的労働関係法と集団的労使関係法の二つの体系から構成される。HRMの実務に直接関わる主要法令を概観する。
労働基準法(1947年制定)¶
労働基準法は、賃金、労働時間、休日、安全衛生など労働条件の最低基準を定める法律である。その主要な規定は以下の通りである。
| 規定事項 | 内容 |
|---|---|
| 労働時間 | 1日8時間、1週40時間が法定上限(第32条) |
| 時間外労働 | 労使協定(36協定)の締結が必要(第36条) |
| 賃金支払い | 通貨払い・直接払い・全額払い・毎月1回以上・一定期日の5原則(第24条) |
| 解雇制限 | 30日前の予告または30日分の平均賃金支払い(第20条) |
| 年次有給休暇 | 6か月継続勤務で10日付与(第39条) |
労働基準法は強行法規であり、同法の基準を下回る労働条件を定める労働契約は、その部分について無効となる。
労働組合法(1945年制定、1949年全面改正)¶
労働組合法は、憲法第28条が保障する労働三権(団結権・団体交渉権・団体行動権)の具体化を目的とする法律である。主要な規定として、(1) 労働組合の結成・運営に対する使用者の介入の禁止(不当労働行為の禁止)、(2) 団体交渉の応諾義務、(3) 正当な争議行為に対する民事・刑事上の免責、(4) 労働協約の規範的効力(組合員の労働条件を規律する効力)、が定められている。
労働契約法(2007年制定)¶
労働契約法は、個別の労働契約に関するルールを明文化した法律であり、働き方の多様化に対応して2007年に制定された。特に重要な規定は以下の通りである。
- 解雇権濫用法理の明文化(第16条): 客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない解雇は無効とする。この規定は、判例法理として確立していた解雇規制を初めて制定法に明記したものである。
- 有期労働契約の無期転換ルール(第18条): 有期労働契約が通算5年を超えて反復更新された場合、労働者は無期労働契約への転換を申し込むことができる。2012年の改正で追加された。
- 不合理な労働条件の禁止(第20条): 有期契約労働者と無期契約労働者の間で、不合理な労働条件の相違を禁止する。
労働市場の二重構造問題¶
非正規雇用の拡大¶
Key Concept: 非正規雇用(Non-Regular Employment) 正規雇用(期間の定めのないフルタイム直接雇用)以外の雇用形態の総称。パートタイム労働者、有期契約労働者、派遣労働者、嘱託などが含まれる。正規雇用に比べて賃金水準が低く、雇用の安定性や福利厚生へのアクセスが制限されることが多い。
日本における非正規雇用者の割合は、1984年の約15%から2023年の約37%へと一貫して上昇してきた。この拡大の背景には、(1) 企業側の人件費抑制ニーズ(固定費としての正社員人件費の抑制)、(2) 1985年の労働者派遣法制定と1999年・2003年の規制緩和による対象業務の拡大、(3) サービス産業化に伴う労働需要構造の変化、(4) 女性・高齢者の労働参加率の上昇、などの複合的要因がある。
正規・非正規間の格差¶
正規・非正規間の処遇格差は、日本の労働市場における最も深刻な構造的問題の一つである。その格差は多面的であり、主な次元を以下に整理する。
| 格差の次元 | 内容 |
|---|---|
| 賃金格差 | 非正規の時給は正規の約60~70%程度。生涯賃金格差はさらに拡大 |
| 賞与・退職金 | 非正規には支給されないか、大幅に低い水準にとどまる場合が多い |
| 社会保険 | 短時間労働者は適用対象外となる場合がある |
| 教育訓練 | 企業内教育の機会が正規に比べて著しく限定される |
| 昇進・キャリア | 管理職への昇進機会がほぼ存在しない |
| 雇用の安定性 | 有期契約であり、契約更新拒否(雇い止め)のリスクがある |
この格差構造は、内部労働市場と外部労働市場の分断として理論的に説明できる。正規雇用者は発達した内部労働市場の中で長期的なキャリアと処遇向上を享受する一方、非正規雇用者は外部労働市場に留め置かれ、内部労働市場へのアクセスを構造的に遮断されている。この二重構造は、日本的雇用システムが大企業の男性正社員を中核として設計されていることの裏面であり、システムの「受益者」と「排除された者」の分断を示す。
graph TD
subgraph 内部労働市場
A["正規雇用者"] --> B["長期雇用保障"]
A --> C["年功賃金・昇進"]
A --> D["企業内教育訓練"]
A --> E["社会保険・福利厚生の完全適用"]
end
subgraph 外部労働市場
F["非正規雇用者"] --> G["有期契約・雇い止めリスク"]
F --> H["低賃金・昇進機会の欠如"]
F --> I["教育訓練機会の限定"]
F --> J["社会保険の適用制限"]
end
K["参入障壁"] --- A
K --- F
style A fill:#4a90d9,color:#fff
style F fill:#e74c3c,color:#fff
style K fill:#95a5a6,color:#fff
同一労働同一賃金の法制化¶
正規・非正規間の不合理な待遇差を是正するため、2018年に「働き方改革関連法」が成立し、パートタイム・有期雇用労働法(大企業2020年4月、中小企業2021年4月施行)が整備された。同法は、(1) 不合理な待遇差の禁止(均衡待遇:第8条)、(2) 差別的取扱いの禁止(均等待遇:第9条)、(3) 待遇差の内容・理由に関する説明義務(第14条)、を使用者に課している。
2020年10月には最高裁判所が5件の判決(大阪医科薬科大学事件、メトロコマース事件等)を下し、賞与・退職金については正社員と契約社員の待遇差を不合理とは認めなかった一方、各種手当(扶養手当、年末年始勤務手当等)については不合理な待遇差と判断した。これらの判例は、同一労働同一賃金の具体的適用範囲を画定する重要な先例となっている。
ただし、日本の同一労働同一賃金は、欧州の「同一職務同一賃金」(同じ職務であれば企業を問わず同一の賃金水準を保障する制度)とは性質が異なる。日本の法制は、同一企業内での正規・非正規間の「不合理な待遇差」の禁止にとどまり、企業間・産業間の賃金格差には及ばない。この点で、日本の制度は構造的格差の根本的是正よりも、個別企業内の処遇改善に重点を置いたものと評価される。
まとめ¶
- 日本的雇用システムは、終身雇用・年功序列・企業別労働組合の三要素が制度的補完性を持って連関する体系であり、アベグレン(1958)の研究によって国際的に知られるようになった。
- このシステムは戦前の流動的労働市場を起点に、戦時統制、戦後の労使関係再編、高度成長期の制度定着という段階を経て形成された。「日本の伝統」ではなく、特定の歴史的条件の産物である。
- 内部労働市場論(ドーリンジャー=ピオレ)と知的熟練論(小池)は、日本的雇用の経済的合理性を企業特殊的技能の形成と回収の観点から説明する。
- 1990年代以降、バブル崩壊・グローバル化・少子高齢化を背景に、成果主義の導入、非正規雇用の拡大、ジョブ型雇用の議論など、システムの変容が進行している。ただし、その変化は全面的な転換ではなく、漸進的な適応として理解すべきである。
- 日本の労使関係は、企業別組合を基盤とし、団体交渉と労使協議制の二層構造、春闘による産業横断的賃金交渉を特徴とする。
- 正規・非正規間の処遇格差(二重構造)は日本的雇用システムの構造的問題であり、同一労働同一賃金の法制化が進められているが、その射程は同一企業内の待遇差是正にとどまる。
- 次のセクションでは、日本的雇用システムの変容と密接に関連するダイバーシティと働き方改革について検討する。
用語集(Glossary)¶
| 用語 | 英語表記 | 定義 |
|---|---|---|
| 終身雇用 | Lifetime Employment | 企業が従業員を新卒採用から定年退職まで長期的に雇用し続ける慣行。法的義務ではなく、労使間の暗黙の了解に基づく社会的規範 |
| 年功序列 | Seniority-Based System | 勤続年数および年齢に応じて賃金・職位が上昇する人事処遇制度 |
| 企業別労働組合 | Enterprise Union | 特定企業の従業員を組織単位とする労働組合の形態。欧米の産業別・職業別組合とは異なる日本的特徴 |
| 内部労働市場 | Internal Labor Market | 企業組織の内部において、労働力の配分・価格決定・訓練が管理的規則と慣行によって統治される制度的枠組み |
| 春闘 | Shunto / Spring Labor Offensive | 毎年春季に労働組合が産業横断的に足並みを揃えて賃上げ等を要求する日本独自の賃金交渉方式 |
| ジョブ型雇用 | Job-Based Employment | 職務を基軸とする雇用システム。職務の内容・範囲・責任が明確に定義され、賃金はジョブに対して設定される |
| 非正規雇用 | Non-Regular Employment | 正規雇用以外の雇用形態の総称。パートタイム、有期契約、派遣などが含まれ、処遇面で正規雇用との格差が存在する |
確認問題¶
Q1: 日本的雇用システムの「三種の神器」を構成する三要素を挙げ、それぞれの相互補完関係を説明せよ。
A1: 三種の神器は終身雇用・年功序列・企業別労働組合である。終身雇用は企業特殊的技能への長期投資を可能にし、年功序列はその投資回収を処遇向上の形で保証することで長期勤続のインセンティブを提供する。企業別労働組合は、雇用安定と企業業績連動型の賃金改善を優先的に交渉することで、終身雇用と年功序列の維持を制度的に支える。三要素は相互に他の要素の存在を前提として機能するため、一要素のみの変更は制度全体の不整合を招く。
Q2: 内部労働市場論と小池和男の知的熟練論は、日本的雇用システムの経済的合理性をどのように説明するか。
A2: ドーリンジャー=ピオレの内部労働市場論は、企業特殊的技能の存在とOJTの重要性を根拠に、企業内部での管理的な労働力配分が外部市場を通じた配分よりも効率的であると説明する。小池和男の知的熟練論は、日本の大企業ブルーカラー労働者が「異常と変化への対処」能力(知的熟練)を持つことを実証的に示し、この知的熟練がジョブローテーションによる幅広い職務経験を通じて形成されるため、長期雇用と年功賃金が技能投資とその回収の合理的な制度的基盤となると説明する。
Q3: 富士通の成果主義導入が困難に直面した要因を、制度的補完性の観点から分析せよ。
A3: 富士通は1993年に目標管理評価制度を導入したが、チームワークを基盤とする組織文化、長期的能力形成を前提とした人材育成体系、年功序列的な評価慣行といった既存制度との整合性が確保されなかった。成果主義的な個人評価は、達成容易な低い目標の設定、組織市民行動の減退、チームワークの阻害を引き起こした。これは、日本的雇用システムの各要素が制度的補完性を持つため、一要素(報酬制度)のみを変更しても、他の要素(長期雇用、企業内教育、企業別組合との協調)との不整合が生じ、システム全体のパフォーマンスが低下することを示す事例である。
Q4: 日本的雇用システムの変容に関する「収束論」と「持続論」の論点を整理し、現状の評価を述べよ。
A4: 収束論は、グローバル化・技術革新・株主資本主義の浸透により、日本の雇用システムが欧米型(外部労働市場重視・成果主義・ジョブ型)に収束すると主張する。持続論は、教育制度・金融制度・法制度との制度的補完性と経路依存性を根拠に、システムの基本構造は存続すると主張する。現状は、大企業正社員の長期雇用は統計的に大きく崩壊しておらず、他方で非正規雇用の拡大やジョブ型的要素の部分的導入は進行している。したがって、完全な収束でも完全な持続でもなく、制度の核心部分を維持しつつ周辺部分を変化させる「漸進的適応」あるいは「ハイブリッド化」として評価するのが妥当である。
Q5: 日本の正規・非正規間の二重構造はなぜ生じ、同一労働同一賃金の法制化はその解決にどの程度寄与しうるか。
A5: 二重構造は、日本的雇用システムが大企業の男性正社員を中核として設計されたことの構造的帰結である。内部労働市場の恩恵(長期雇用、年功賃金、教育訓練、福利厚生)は正規雇用者に集中し、非正規雇用者は外部労働市場に留め置かれ、内部労働市場へのアクセスを構造的に遮断されている。2018年のパートタイム・有期雇用労働法は不合理な待遇差の禁止を定めたが、その射程は同一企業内の正規・非正規間の待遇差に限定され、企業間・産業間の賃金格差には及ばない。また、直接的な罰則規定がないこと、「不合理」の判断基準が判例の蓄積に依存することから、構造的格差の根本的是正には限界があり、内部労働市場と外部労働市場の分断という構造そのものへのアプローチが必要となる。