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Module 3-4 - Section 3: ESG・サステナビリティ経営と企業不祥事

セクション情報

項目 内容
モジュール Module 3-4: 企業倫理・コーポレートガバナンス
前提セクション Section 1, Section 2
想定学習時間 3時間

導入

前セクションでは、コーポレートガバナンスの理論的基礎(エージェンシー理論・スチュワードシップ理論)および制度的枠組み(ガバナンスモデルの国際比較、コーポレートガバナンス・コード、内部統制のCOSO枠組み・J-SOX)を検討した。Section 1で扱ったCSRの規範的理論とSection 2で扱ったガバナンスの制度的枠組みは、いずれも企業が社会の中で持続的に存続するための条件を論じたものであるが、21世紀に入り、これらの議論は新たな段階に移行している。

その新段階を象徴するのがESG(環境・社会・ガバナンス)という概念である。ESGは、投資家の側からCSRを評価・選別する基準として発展し、資本市場を通じて企業行動を変革する力学を生み出した。同時に、企業の側からも「サステナビリティ経営」として環境・社会課題を経営戦略の中核に組み込む動きが広がり、非財務情報の開示制度も国際的に整備が進んでいる。

しかしながら、こうした制度整備にもかかわらず企業不祥事は後を絶たず、ESGを標榜しながら実態が伴わない「ESGウォッシング」の問題も浮上している。本セクションでは、ESG投資の概念と発展、サステナビリティ経営の理論的基盤、非財務情報開示の国際動向を概観した上で、企業不祥事の構造的分析と不正予防の仕組みを検討し、最後にESGウォッシングの問題を取り上げる。


ESG投資の概念と発展

Key Concept: ESG(Environmental, Social, Governance) 環境(Environmental)、社会(Social)、ガバナンス(Governance)の三要素の頭文字。投資判断において、従来の財務情報に加え、企業の環境対応・社会的責任・統治構造を考慮する枠組みを指す。ESGは投資家の側から企業の非財務的側面を評価する基準として機能し、CSRが企業の自主的取り組みを指すのに対し、ESGは資本市場からの評価・規律づけの文脈で用いられる。

ESG投資の歴史的展開

ESG投資の起源は、宗教的・倫理的動機に基づく社会的責任投資(SRI: Socially Responsible Investment)に遡る。18世紀のクエーカー教徒やメソジスト教徒が奴隷貿易関連企業への投資を忌避したことが初期の事例とされ、20世紀にはベトナム戦争期の軍需産業からのダイベストメント(投資引揚げ)や、南アフリカのアパルトヘイト体制に対する経済制裁としての投資撤退が、SRIの社会的認知を高めた。

SRIからESG投資への転換点となったのは、2004年に国連グローバル・コンパクト(UNGC)が公表した報告書『Who Cares Wins』である。同報告書は、環境・社会・ガバナンスの要素を投資分析と意思決定プロセスに統合することが、投資家と企業の双方にとって長期的利益に資すると主張し、「ESG」という用語を初めて体系的に用いた。

この流れを制度的に結実させたのが、2006年の責任投資原則(PRI)の策定である。

Key Concept: 責任投資原則(PRI: Principles for Responsible Investment) 2006年、国連環境計画・金融イニシアティブ(UNEP FI)と国連グローバル・コンパクト(UNGC)の支援の下で策定された、機関投資家向けの投資原則。ESG課題を投資の意思決定プロセスに組み込むことを求める6つの原則から構成される。法的拘束力はなく、署名機関による自主的なコミットメントとして機能する。

PRIの6つの原則は以下の通りである。

  1. 投資分析と意思決定のプロセスにESG課題を組み込む
  2. 活動的な所有者となり、所有方針と所有慣行にESG問題を組み入れる
  3. 投資対象の主体に対してESG課題についての適切な開示を求める
  4. 資産運用業界において本原則が受け入れられ、実行に移されるよう働きかけを行う
  5. 本原則を実行する際の効果を高めるために協働する
  6. 本原則の実行に関する活動状況や進捗状況に関して報告する

PRIへの署名機関数は、2006年の発足時の約100機関から2025年には5,000機関以上に拡大し、署名機関の運用資産総額は139兆ドルを超える規模に達している。

ESG投資の手法

ESG投資には複数の手法が存在し、グローバル・サステナブル投資連合(GSIA: Global Sustainable Investment Alliance)は以下のように分類している。

手法 内容
ネガティブ・スクリーニング 特定の業種(武器製造、たばこ、ギャンブル等)や基準に反する企業を投資対象から除外
ポジティブ・スクリーニング ESG評価の高い企業を選別して投資
ESGインテグレーション 財務分析にESG要素を体系的に統合して投資判断に反映
エンゲージメント・議決権行使 投資先企業との対話や議決権行使を通じてESG課題への対応を促進
サステナビリティ・テーマ投資 再生可能エネルギー、水資源等の特定テーマに投資
インパクト投資 社会的・環境的インパクトの創出を財務リターンと同等に重視する投資
規範ベース・スクリーニング 国際規範(国連グローバル・コンパクト原則等)への準拠を基準に投資対象を選別

このうち、近年はネガティブ・スクリーニングからESGインテグレーションへの重心移動が顕著である。ESGインテグレーションは、ESG要素を財務分析と不可分なものとして統合し、リスク調整後リターンの向上を目指す手法であり、単なる倫理的排除ではなく投資パフォーマンスの向上を志向する点で、ESG投資の主流化を象徴している。

事例:GPIFのESG投資への取り組み

年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF: Government Pension Investment Fund)は、日本におけるESG投資の拡大を牽引した代表的事例である。GPIFは2015年9月にPRIに署名し、日本の機関投資家として初めてESG投資への本格的なコミットメントを示した。

GPIFがESGを重視する根拠は、同法人の二つの特性にある。第一に「ユニバーサル・オーナー」としての性格である。GPIFの運用資産は約250兆円(2024年度末時点)に達し、国内外の資本市場全体に広範に投資するため、個別企業の外部不経済(環境汚染等)が他の投資先を通じてポートフォリオ全体のリターンを毀損する。第二に「超長期投資家」としての性格である。年金給付という長期的責務を負うGPIFにとって、短期的利益よりも持続可能な市場の構築が運用成果に直結する。

GPIFは2017年にESG指数(FTSE Blossom Japan Index、MSCI日本株女性活躍指数等)を選定し、パッシブ運用の一部をESG指数に連動させる取り組みを開始した。2023年度末時点で、ESG指数連動のパッシブ運用資産は約17.8兆円に達している。


サステナビリティ経営の理論と実践

トリプルボトムラインの概念

Key Concept: トリプルボトムライン(Triple Bottom Line: TBL) ジョン・エルキントン(John Elkington)が1994年に提唱し、著書『Cannibals with Forks: the Triple Bottom Line of 21st Century Business』(1997年)で体系化した概念。企業の成果を財務的利益(Profit)のみで測定するのではなく、環境(Planet)と社会(People)を加えた三つの「ボトムライン」で評価すべきとする枠組みである。3つのPとも呼ばれる。

TBLの意義は、企業活動の成果測定を財務的側面に限定する伝統的な会計思考を批判し、環境負荷と社会的影響を同等に重要な評価軸として位置づけた点にある。エルキントンは、財務的に成功していても環境を破壊し社会に害を及ぼす企業は持続可能ではなく、三つのボトムラインすべてで正の成果を上げることが21世紀の企業に求められる条件だと主張した。

ただし、TBLには重要な学術的批判が存在する。環境・社会のボトムラインを財務のボトムラインと同様に「純額」として測定することの困難さが指摘されており、エルキントン自身も2018年にHarvard Business Reviewへの寄稿で、TBLの概念が企業の利益追求姿勢の変革にはつながらなかったとして「リコール」(概念の撤回的再検討)を呼びかけている。この自己批判は、測定可能性と実効性の間のギャップというサステナビリティ経営の根本的課題を浮き彫りにしている。

SDGsとサステナビリティ経営の接合

持続可能な開発目標(SDGs: Sustainable Development Goals)は、2015年の国連サミットで採択された「持続可能な開発のための2030アジェンダ」に含まれる17の目標と169のターゲットから成る国際目標である。SDGsは政府のみならず企業を含むあらゆる主体の参画を前提としており、企業のサステナビリティ経営を方向づける国際的共通言語として機能している。

CSR、CSV、ESGとSDGsの関係を整理すると以下のようになる。

概念 主な行為主体 焦点 SDGsとの関係
CSR 企業 社会的責任の遂行 SDGsが具体的な課題領域を提供
CSV 企業 社会価値と経済価値の同時創出 SDGsが事業機会の特定に活用される
ESG 投資家 非財務リスク・機会の評価 SDGsがESG評価の実質的内容を構成
サステナビリティ経営 企業経営全般 長期的な企業価値創造 SDGsが経営戦略の枠組みとなる

サステナビリティ経営は、CSRの「企業の社会的責任」という規範的概念と、ESGの「投資家からの評価・規律づけ」という市場的圧力を統合し、環境・社会課題への対応を経営戦略の中核に位置づけるアプローチである。TBLが理論的基盤を提供し、SDGsが具体的目標を、ESGが市場からの評価基準を提供する構造となっている。


非財務情報開示の国際動向

企業のサステナビリティへの取り組みを資本市場が適切に評価するには、財務情報に加えて環境・社会・ガバナンスに関する情報(非財務情報)の開示が不可欠である。2000年代以降、非財務情報の開示基準は複数の国際的枠組みが乱立する状況から、統合・収斂の段階に入っている。

主要な開示基準・枠組み

GRI(Global Reporting Initiative) は、1997年に設立され2000年に初の持続可能性報告ガイドライン(GRIガイドライン)を公表した国際的な開示基準策定団体である。GRIスタンダードは、企業活動が経済・環境・社会に与えるインパクトに焦点を当てる「インパクト・マテリアリティ」の立場を取り、最も広く採用されている非財務情報開示基準の一つである。2025年時点で世界の大企業の約53%がGRIスタンダードを参照している。

Key Concept: TCFD(Task Force on Climate-related Financial Disclosures) 金融安定理事会(FSB)の要請を受けて2015年に設立された気候関連財務情報開示タスクフォース。マイケル・ブルームバーグ(Michael Bloomberg)が議長を務めた。2017年に最終提言を公表し、企業に対して気候関連のリスクと機会を「ガバナンス」「戦略」「リスク管理」「指標と目標」の4つの柱に沿って開示することを求めた。TCFDは2023年に解散し、その監視責任はISSBに移管された。

ISSB(International Sustainability Standards Board) は、IFRS財団が2021年に設立したサステナビリティ開示基準の国際的な策定機関である。ISSBは2023年6月にIFRS S1(サステナビリティ関連財務情報の開示に関する全般的要求事項)とIFRS S2(気候関連開示)の二つの基準を公表した。IFRS S2はTCFDの4つの柱を継承・発展させたものであり、TCFDの解散(2023年)とISSBへの監視責任の移管はこの統合プロセスの一環である。

Key Concept: 統合報告(Integrated Reporting) 国際統合報告評議会(IIRC: International Integrated Reporting Council、2010年設立)が提唱する報告枠組み。企業が財務資本、製造資本、知的資本、人的資本、社会・関係資本、自然資本の「6つの資本」をどのように活用して長期的に価値を創造するかを統合的に開示する。財務情報と非財務情報を分離せず、企業のビジネスモデルと価値創造プロセスの全体像を示すことを目的とする。

開示基準の収斂とダブル・マテリアリティ

非財務情報開示の国際動向において最も重要な論点の一つが「マテリアリティ」(重要性)の捉え方である。

アプローチ 焦点 代表的基準
財務マテリアリティ サステナビリティ課題が企業の財務状況に与える影響 ISSB(IFRS S1/S2)
インパクト・マテリアリティ 企業活動が環境・社会に与える影響 GRI
ダブル・マテリアリティ 上記の両方を包含 EU CSRD(企業サステナビリティ報告指令)

ISSBは投資家にとっての有用性(財務マテリアリティ)を重視する立場を取り、GRIは企業活動が社会全体に及ぼすインパクトを重視する。EUが2022年に採択した企業サステナビリティ報告指令(CSRD: Corporate Sustainability Reporting Directive)は、両者を統合した「ダブル・マテリアリティ」の立場を採用し、欧州サステナビリティ報告基準(ESRS)に基づく開示を義務づけている。

日本における非財務情報開示の制度化

日本では、2023年3月期から有価証券報告書にサステナビリティ情報の記載欄が新設された。さらに、サステナビリティ基準委員会(SSBJ)が2025年3月に日本版のサステナビリティ開示基準の最終版を公表し、ISSBのIFRS S1/S2をベースとした基準を策定した。適用は段階的に行われ、時価総額3兆円以上の企業は2027年3月期から、1兆円以上は2028年3月期から、5,000億円以上は2029年3月期からの適用が予定されている。

graph LR
    subgraph 投資家側 ["投資家側"]
        PRI["PRI署名機関"]
        INST["機関投資家"]
    end

    subgraph 評価機関 ["ESG評価機関"]
        MSCI["MSCI"]
        FTSE["FTSE Russell"]
        ISS["ISS"]
    end

    subgraph 企業側 ["企業側"]
        DISC["非財務情報開示"]
        MGMT["サステナビリティ経営"]
    end

    subgraph 開示基準 ["開示基準"]
        ISSB_S["ISSB IFRS S1/S2"]
        GRI_S["GRI スタンダード"]
        CSRD_S["EU CSRD/ESRS"]
    end

    PRI --> INST
    INST -->|ESG評価を参照| 評価機関
    評価機関 -->|評価・格付| 企業側
    INST -->|エンゲージメント| 企業側
    企業側 -->|準拠| 開示基準
    開示基準 -->|評価の基礎| 評価機関

企業不祥事の構造的分析

ガバナンスとCSRの制度的枠組みが整備されても、企業不祥事は繰り返し発生する。その構造的要因を理解するための理論的枠組みとして、ドナルド・クレッシー(Donald Cressey)の「不正のトライアングル」が広く参照されている。

不正のトライアングル

Key Concept: 不正のトライアングル(Fraud Triangle) 犯罪学者ドナルド・クレッシーが著書『Other People's Money』(1953年)で提示した不正行為の発生条件に関する理論。不正は(1)動機・プレッシャー(Pressure/Incentive)、(2)機会(Opportunity)、(3)正当化(Rationalization)の三要素が同時に揃ったときに発生するとする。当初は横領の研究から導出されたが、現在では企業不正全般の分析枠組みとして広く応用されている。

三要素の内容は以下の通りである。

  • 動機・プレッシャー: 不正行為に至る内的・外的圧力。個人レベルでは経済的困窮や依存症、組織レベルでは過度な業績目標、市場からの期待への対応圧力などが含まれる
  • 機会: 不正を実行し、かつ発覚を免れることが可能な状況。内部統制の不備、監視体制の形骸化、権限の集中、職務分掌の不徹底などが機会を生み出す
  • 正当化: 不正行為を自らの道徳観と矛盾しないものとして合理化する心理過程。「一時的な借用に過ぎない」「会社のためにやっている」「自分は不当に扱われている」といった自己正当化のロジックが機能する
graph TD
    FRAUD["企業不正の発生"]

    P["動機・プレッシャー<br/>Pressure"]
    O["機会<br/>Opportunity"]
    R["正当化<br/>Rationalization"]

    P -->|過度な業績目標<br/>経済的困窮| FRAUD
    O -->|内部統制の不備<br/>監視の形骸化| FRAUD
    R -->|会社のため<br/>一時的な措置| FRAUD

    P ---|三要素が<br/>同時に揃う| O
    O ---|三要素が<br/>同時に揃う| R

不正のトライアングルの実務的含意は、不正予防において三要素のいずれかを除去することが有効であるという点にある。特に「機会」は組織的に管理可能な要素であるため、内部統制の整備・運用が不正予防の中核に位置づけられる。

事例分析1:フォルクスワーゲン排ガス不正事件(2015年)

2015年9月、米国環境保護局(EPA)は、フォルクスワーゲン(VW)がディーゼル車に排ガス試験を検知して試験時のみ窒素酸化物(NOx)の排出量を基準内に抑制するソフトウェア(いわゆる「ディフィート・デバイス」)を搭載していたことを公表した。実走行時のNOx排出量は米国基準の最大40倍に達し、対象車両は全世界で約1,100万台に及んだ。

不正のトライアングルの枠組みでこの事件を分析すると、以下の構造が浮かび上がる。

要素 VW事件における具体的表出
動機・プレッシャー CEOマルティン・ヴィンターコルン(Martin Winterkorn)が掲げた「2018年までに販売台数世界一」という目標。米国市場攻略のためにクリーンディーゼル戦略を推進したが、低コストの排ガス浄化装置(LNT)では米国の厳格なNOx規制に適合することが技術的に困難であった
機会 エンジン開発部門に権限が集中し、技術的意思決定がトップダウンで行われる組織構造。社内の異議申立てが困難な権威主義的企業文化
正当化 「技術的には正当な制御であり不正ではない」「競争上やむを得ない」という技術者・経営者の認知の歪み

VWは最終的に280億ドル以上の罰金・賠償金を支払い、CEOは辞任した。この事件は、ESGの観点からも、環境(E)の虚偽、ガバナンス(G)の機能不全が投資家を含む全ステークホルダーに甚大な損害をもたらした事例として分析される。

事例分析2:東芝不正会計事件(2015年)

2015年、東芝が2008年度から2014年度第3四半期にかけて累計1,562億円の利益を水増ししていたことが第三者委員会の調査により判明した。不正の手法には、インフラ事業における工事原価の過少計上(工事進行基準の悪用)、半導体事業における在庫評価の操作、パソコン事業における部品取引を利用した利益のかさ上げ(バイセル取引)などが含まれる。

不正のトライアングルの枠組みに照らした分析は以下の通りである。

要素 東芝事件における具体的表出
動機・プレッシャー 歴代3社長(西田厚聡、佐々木則夫、田中久雄)による「チャレンジ」と称する過度な利益目標の設定と達成圧力。リーマン・ショック後の業績悪化、原発事業(ウェスチングハウス社買収)の不振が背景にあった
機会 経営トップが直接的に利益目標を指示し、事業部門(カンパニー)の会計処理に介入する構造。経営監査部が実質的に会計監査を行わず、内部通報制度も有名無実化していた。委員会設置会社であったにもかかわらず監査委員会の監視が形骸化していた
正当化 「チャレンジは経営上の正当な目標管理である」「会計処理の範囲内の裁量である」という組織的な正当化。上司の指示に逆らえない企業文化が個人レベルの正当化を助長した

東芝事件は、J-SOXの制度下で内部統制報告書が「有効」と評価されていたにもかかわらず、経営トップ自身が内部統制を無効化(management override)した事例であり、内部統制の本質的限界 ――「経営者による内部統制の無効化のリスク」―― を如実に示している。COSO枠組みにおいても、この限界は明示的に認識されており、統制環境の最上位に位置する経営者の倫理的姿勢こそが内部統制の実効性の根幹であることを東芝事件は再確認させた。


内部通報制度と不正予防の仕組み

企業不祥事の早期発見と予防において、内部通報制度(ホイッスルブローイング制度)は中核的な役割を果たす。消費者庁の調査によれば、企業不正の発覚端緒として内部通報は「上司による日常的な監視」や「内部監査」を上回る最大の検出手段である。

日本の公益通報者保護法

日本における内部通報制度の法的基盤は、公益通報者保護法(2004年制定、2006年施行)である。同法は、組織内の法令違反行為を通報した労働者(公益通報者)に対する解雇その他の不利益取扱いを禁止する。

2020年の法改正(2022年6月施行)では以下の重要な変更が加えられた。

改正事項 内容
体制整備義務 従業員301人以上の事業者に内部通報に適切に対応するための体制整備を義務化(300人以下は努力義務)
守秘義務の強化 通報対応従事者に通報者を特定させる情報の守秘義務を課し、違反には30万円以下の罰金
保護対象の拡大 退職者(退職後1年以内)と役員も保護対象に追加
行政措置 体制整備義務違反に対する助言・指導・勧告、勧告に従わない場合の公表

不正予防の多層的アプローチ

不正のトライアングルの三要素に対応する形で、不正予防は以下のような多層的アプローチとして構成される。

対象要素 予防策 具体的施策
動機・プレッシャーの低減 過度な業績圧力の抑制 現実的な目標設定、プロセス評価の導入、心理的安全性の確保
機会の排除 内部統制の整備・運用 職務分掌、承認プロセス、IT統制、定期的ローテーション
正当化の阻止 倫理的組織文化の醸成 行動規範の策定と浸透、倫理研修、トーン・アット・ザ・トップ
早期発見 通報・監視制度 内部通報制度、内部監査、データ分析による異常検知

「トーン・アット・ザ・トップ」(Tone at the Top)とは、経営トップが自ら倫理的行動の範を示し、組織全体の倫理的風土を形成することを指す概念であり、東芝事件が示したように、経営トップ自身が不正に関与した場合、いかに精緻な内部統制も無力化される。したがって、不正予防の最終的な砦は、経営者の倫理的姿勢と、それを外部から規律づけるガバナンス機構(独立社外取締役、監査委員会、外部監査人の独立性)の実効性にある。


ESGウォッシングの問題

Key Concept: ESGウォッシング(ESG Washing / Greenwashing) 企業や金融商品が、実態を伴わないにもかかわらずESG(環境・社会・ガバナンス)への配慮を標榜すること。環境面での虚偽・誇大表示を指す「グリーンウォッシング」(Greenwashing)を包含するより広い概念であり、社会面やガバナンス面での見せかけのコミットメントも含む。語源は「ホワイトウォッシング」(whitewashing、上辺の取り繕い)と「グリーン」の合成語である。

ESGウォッシングの類型

ESGウォッシングは以下のような形態で発現する。

類型 内容 具体例
選択的開示 好都合な情報のみを強調し、不都合な情報を隠蔽 CO2排出量の一部のみ開示し、サプライチェーン全体の排出を無視
曖昧な主張 定量的根拠なく「環境にやさしい」等の抽象的表現を使用 「エコ」「サステナブル」等のラベルを検証なく使用
基準の恣意的選択 自社に有利な評価基準のみを採用 特定のESG評価機関の高スコアのみを訴求
ファンド名称の誤導 ESGファンドと称しながら実質的なESG統合を行わない 「ESG」を冠したファンドがESGスクリーニングを実施していない
目標の設定と不作為 野心的な環境目標を公表するが達成に向けた具体的行動を伴わない ネットゼロ宣言をしながら設備投資計画が化石燃料依存のまま

欧州における規制動向

ESGウォッシングに対する規制の先頭に立っているのがEUである。2024年2月、EUは「グリーンウォッシング禁止指令」(Directive on Empowering Consumers for the Green Transition)を正式採択した。同指令は以下を主な内容とする。

  • 「環境にやさしい」「エコ」「グリーン」等の抽象的な環境主張を、公認の認証制度や科学的根拠に基づかない限り禁止
  • 公的な認証制度に基づかない独自のサステナビリティ・ラベルの使用を禁止
  • 製品の耐久性や修理可能性に関する誤解を招く情報の提供を禁止
  • 実証されていないカーボン・オフセットに基づく「カーボンニュートラル」主張を禁止

EU加盟国は採択から2年以内に国内法制化し、30か月以内に適用を開始する。

ESG評価の信頼性問題

ESGウォッシングの問題と密接に関連するのが、ESG評価機関間のスコアの乖離問題である。フロリアン・バーグ(Florian Berg)、ユリアン・ケルベル(Julian Kölbel)、ロベルト・リゴボン(Roberto Rigobon)によるMIT Sloanの研究「Aggregate Confusion: The Divergence of ESG Ratings」(Review of Finance, 2022年)は、主要6社のESG評価機関のスコア間の相関が平均0.61にとどまり、最低では0.42まで低下することを実証した。対照的に、ムーディーズとS&Pの信用格付けの相関は0.99である。

この乖離の原因は以下の三つに分解される。

乖離要因 寄与度 内容
測定の差異(Measurement) 50.1% 同一カテゴリーを異なる指標で測定
範囲の差異(Scope) 36.7% 評価対象とするESGカテゴリーが異なる
重みづけの差異(Weight) 13.2% 各カテゴリーへの重みづけが異なる

さらに「評価者効果」(rater effect)が検出されており、評価機関の企業に対する全体的印象が個別カテゴリーの評価に影響を及ぼすバイアスの存在が指摘されている。

この問題は、ESG投資の実効性に対する根本的疑問を提起する。企業がESG開示を行っても、評価機関によって異なる評価が下されるならば、投資家が一貫したESG情報に基づいて意思決定を行うことは困難であり、企業にとっても「何を改善すればESG評価が向上するのか」が不明瞭となる。ISSBによる開示基準の統一は、この問題の緩和に寄与することが期待されているが、評価手法自体の標準化は開示基準の統一とは別の課題である。

学術的論争:ESG投資のパフォーマンス

ESGスコアの高い企業が財務パフォーマンスでも優れるかどうかは、学術的に決着のついていない論争領域である。

フリーデ(Gunnar Friede)らによるメタ分析「ESG and Financial Performance: Aggregated Evidence from More than 2000 Empirical Studies」(Journal of Sustainable Finance & Investment, 2015年)は、1970年以降に発表された2,200以上の実証研究をレビューし、ESGと企業財務パフォーマンス(CFP)の間に正の相関を見出した研究が約63%、無相関が約28%、負の相関が約8%であると報告した。

ただし、この結果の解釈には以下の留意点がある。

  • 因果関係の不確定性: ESGが高いから財務パフォーマンスが良いのか、財務的に余裕のある企業がESGに投資できるのかという逆因果の問題(内生性の問題)が存在する
  • ESG測定の多義性: 前述のESG評価機関間のスコア乖離を踏まえると、「ESGスコア」自体が研究間で異なる構成概念を測定している可能性がある
  • 時間軸の問題: 短期的にはESG投資がコスト要因となる一方、長期的にはリスク低減や企業価値向上に寄与するという時間軸依存性が存在する

まとめ

  • ESG投資はSRIを起源とし、2006年のPRI策定を画期として機関投資家の投資プロセスに組み込まれた。GPIFのPRI署名(2015年)は日本のESG投資拡大の転機となった
  • サステナビリティ経営は、TBL(利益・環境・社会の三次元評価)を理論的基盤とし、SDGsを具体的な目標枠組みとして活用しながら、環境・社会課題への対応を経営戦略の中核に位置づけるアプローチである
  • 非財務情報開示は、GRI・TCFD・ISSBの統合・収斂が進んでおり、日本でもSSBJによるISSBベースの開示基準が2027年から段階的に適用される。マテリアリティの捉え方(財務マテリアリティ vs ダブル・マテリアリティ)は国際的な論争点である
  • 企業不祥事の構造的理解にはクレッシーの不正のトライアングル(動機・機会・正当化)が有効であり、VW排ガス不正事件と東芝不正会計事件はいずれも三要素が複合的に作用した事例である
  • 内部通報制度は不正の最大の検出手段であり、日本では2022年施行の改正公益通報者保護法により体制整備が義務化された
  • ESGウォッシングの問題は、EUにおける規制強化とESG評価機関間のスコア乖離の問題に端的に現れており、ESG投資の実効性に対する根本的課題を提起している

本セクションをもってModule 3-4「企業倫理・コーポレートガバナンス」を総括する。Section 1で検討した企業倫理の規範的理論(功利主義・義務論・徳倫理学)とCSRの概念的展開は、企業がなぜ社会的責任を負うべきかという「Why」に答え、Section 2で検討したコーポレートガバナンスの制度的枠組みは、その責任をどのように制度的に担保するかという「How」に答えた。本セクションで扱ったESG・サステナビリティ経営は、CSRとガバナンスの交差領域として、資本市場を通じた企業行動の変革メカニズムを提示するとともに、企業不祥事の分析とESGウォッシングの問題は、制度的枠組みの限界と、それを補完する経営者倫理・組織文化の重要性を示している。

用語集(Glossary)

用語 英語表記 定義
ESG Environmental, Social, Governance 環境・社会・ガバナンスの三要素。投資判断において企業の非財務的側面を評価する基準
責任投資原則(PRI) Principles for Responsible Investment UNEP FIとUNGCの支援の下で2006年に策定された、ESG課題を投資プロセスに組み込むことを求める機関投資家向けの6つの原則
トリプルボトムライン Triple Bottom Line エルキントン(1994年)が提唱した、企業成果を利益(Profit)・環境(Planet)・社会(People)の三次元で評価する枠組み
不正のトライアングル Fraud Triangle クレッシー(1953年)が提示した不正行為の発生条件モデル。動機・機会・正当化の三要素が同時に揃うとき不正が発生するとする
統合報告 Integrated Reporting IIRC(2010年設立)が提唱する、6つの資本の活用と長期的価値創造プロセスを統合的に開示する報告枠組み
TCFD Task Force on Climate-related Financial Disclosures FSBの要請で2015年に設立された気候関連財務情報開示タスクフォース。ガバナンス・戦略・リスク管理・指標と目標の4つの柱で開示を求めた。2023年に解散しISSBに移管
ESGウォッシング ESG Washing / Greenwashing 企業や金融商品が実態を伴わずにESGへの配慮を標榜すること。環境面の虚偽(グリーンウォッシング)を包含する広義の概念

確認問題

Q1: ESG投資がSRI(社会的責任投資)から発展した経緯を概説し、PRIがESG投資の普及に果たした役割を説明せよ。

A1: ESG投資の起源は、宗教的・倫理的動機に基づくSRIに遡る。18世紀のクエーカー教徒による奴隷貿易関連企業の投資忌避、20世紀のベトナム戦争期の軍需産業ダイベストメント、南アフリカのアパルトヘイトに対する投資撤退などがSRIの歴史的展開である。SRIが倫理的排除を主軸としていたのに対し、ESG投資への転換点となったのは2004年のUNGC報告書『Who Cares Wins』であり、ESG要素の投資分析への統合が長期的リターンに資するという議論が提示された。2006年にUNEP FIとUNGCの支援の下で策定されたPRIは、ESG課題を投資プロセスに組み込むことを機関投資家にコミットさせる制度的枠組みとして機能し、署名機関の拡大(2025年時点で5,000機関以上、運用資産139兆ドル超)を通じてESG投資の主流化を推進した。PRIは法的拘束力を持たない自主的原則であるが、署名機関の運用資産規模が示すように、事実上のグローバル・スタンダードとしての規範力を獲得している。

Q2: トリプルボトムライン(TBL)の概念を説明し、その意義と限界について述べよ。TBL提唱者であるエルキントン自身の自己批判にも触れること。

A2: TBLはエルキントン(1994年提唱、1997年体系化)が提示した概念であり、企業成果を財務的利益(Profit)のみならず環境への影響(Planet)と社会への貢献(People)の三次元で評価すべきとする枠組みである。その意義は、伝統的な財務一元的評価に対し、環境・社会を同等の評価軸として位置づけることで、サステナビリティ経営の理論的基盤を提供した点にある。しかし、環境・社会のボトムラインを財務のボトムラインと同様に定量的な「純額」として測定することの困難さが学術的に批判されてきた。エルキントン自身も2018年にHarvard Business Reviewで、TBLの25年間の実践が企業の利益偏重姿勢の変革にはつながらず、むしろ会計ツールとして矮小化されたとして概念の「リコール」を呼びかけた。この自己批判は、測定可能性と実効性のギャップというサステナビリティ経営の根本的課題を浮き彫りにしている。

Q3: 不正のトライアングルの三要素を説明し、フォルクスワーゲン排ガス不正事件または東芝不正会計事件のいずれかを題材に、各要素がどのように作用したかを分析せよ。

A3: 不正のトライアングルはクレッシー(1953年)が提示したモデルであり、(1)動機・プレッシャー(不正に至る内的・外的圧力)、(2)機会(不正を実行・隠蔽できる状況)、(3)正当化(不正を道徳的に許容可能と合理化する心理過程)の三要素が同時に揃うとき不正が発生するとする。東芝事件を例にとると、動機・プレッシャーは歴代3社長による「チャレンジ」と称する過度な利益目標の設定と達成圧力であり、リーマン・ショック後の業績悪化が背景にあった。機会としては、経営トップが事業部門の会計処理に直接介入する構造、経営監査部の実質的不機能、内部通報制度の有名無実化があった。正当化は、「チャレンジは正当な経営目標管理である」「会計処理の裁量範囲内である」という組織的合理化であり、上司の指示に逆らえない企業文化が個人レベルの正当化を助長した。この事件は、経営者自身が内部統制を無効化(management override)した典型例であり、COSO枠組みが認識する内部統制の本質的限界を示している。

Q4: 非財務情報開示における「財務マテリアリティ」と「ダブル・マテリアリティ」の違いを説明し、ISSBとEU CSRDがそれぞれどちらの立場を採用しているかを述べよ。

A4: 財務マテリアリティは、サステナビリティ課題が企業の財務状況・業績に与える影響を重要性の判断基準とする立場であり、投資家にとっての意思決定有用性を重視する。一方、ダブル・マテリアリティは、財務マテリアリティ(サステナビリティ課題が企業財務に与える影響)に加え、インパクト・マテリアリティ(企業活動が環境・社会に与える影響)の双方を重要性の判断基準とする立場である。ISSBのIFRS S1/S2は財務マテリアリティの立場を採用し、投資家を主たる利用者として企業価値に影響するサステナビリティ情報の開示を求める。EU CSRDは欧州サステナビリティ報告基準(ESRS)に基づきダブル・マテリアリティの立場を採用し、企業への影響のみならず企業から環境・社会への影響も開示対象とする。GRIはインパクト・マテリアリティを重視しており、ISSBとGRIの間の立場の違いが、開示基準の国際的収斂における主要な論点の一つとなっている。

Q5: ESG評価機関間のスコアの乖離問題について、Berg, Kölbel, Rigobon(2022年)の研究知見を要約し、この問題がESG投資の実効性にどのような影響を及ぼすかを論じよ。

A5: Berg, Kölbel, Rigobonは主要6社のESG評価機関のスコア間の相関が平均0.61にとどまることを実証し、信用格付け(ムーディーズとS&Pの相関0.99)と比較して著しく低いことを示した。乖離の原因は、測定の差異(同一カテゴリーを異なる指標で測定、寄与度50.1%)、範囲の差異(評価対象カテゴリーの違い、36.7%)、重みづけの差異(13.2%)に分解され、さらに評価者効果(全体印象が個別評価に影響するバイアス)も検出された。この乖離はESG投資の実効性に以下の影響を及ぼす。第一に、投資家が一貫したESG情報に基づく意思決定を行うことが困難になる。第二に、企業にとって「何を改善すればESG評価が向上するか」が不明瞭になり、ESG対応へのインセンティブが弱まる。第三に、ESGウォッシングの余地を生み出す。すなわち企業が自社に有利な評価機関のスコアのみを選択的に訴求することが可能となる。ISSBによる開示基準の統一は「何を開示するか」の標準化に寄与するが、「開示された情報をどう評価するか」という評価手法の標準化は別の課題として残存している。