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Module 3-5 - Section 2: イノベーションの理論

セクション情報

項目 内容
モジュール Module 3-5: 経営情報論・イノベーション
前提セクション Section 1: 経営情報システムとIT戦略
想定学習時間 3時間

導入

Section 1では、企業の情報システムの類型からDX・プラットフォームビジネスに至るまで、情報技術が経営に与える影響を概観した。しかし、そもそも技術的変化はいかにして生じ、なぜ既存の優良企業がその変化に対応できず市場から退出するのか。この問いに答えるのがイノベーション理論である。

本セクションでは、ヨーゼフ・シュンペーターによる「新結合」と「創造的破壊」の古典的枠組みから出発し、イノベーションの類型論(プロダクト/プロセス、漸進的/急進的、アーキテクチュラル/モジュラー)を整理する。続いて、クレイトン・クリステンセンの破壊的イノベーション理論と「イノベーターのジレンマ」を検討し、技術変化の動態モデルとしてリチャード・フォスターの技術のSカーブ、およびウィリアム・アバナシーとジェイムズ・アッターバックによる産業イノベーションモデルを扱う。これらの理論は、Section 3で扱うイノベーション・マネジメントの実践的手法を理解するための理論的基盤となる。


シュンペーターのイノベーション論

新結合の概念

ヨーゼフ・アロイス・シュンペーター(Joseph Alois Schumpeter, 1883-1950)は、オーストリア生まれの経済学者であり、イノベーション研究の創始者とされる。シュンペーターは1912年の著書『経済発展の理論(Theorie der wirtschaftlichen Entwicklung)』において、経済発展の原動力は人口増加や資本蓄積といった外的・量的要因ではなく、経済体系の内部から生じる質的変化にあると主張した。

Key Concept: 新結合(Neue Kombination / New Combination) シュンペーターが提唱した概念で、既存の生産要素や知識を従来とは異なる方法で結びつけることを指す。経済発展の本質的原動力であり、後に「イノベーション」と呼ばれるようになった概念の原型である。

シュンペーターは新結合を以下の5つの類型に整理した。

類型 内容 具体例
新しい財貨の生産 消費者に未知の財、または新しい品質の財の導入 スマートフォンの登場
新しい生産方法の導入 未知の生産方法の採用(科学的発見に基づく必要はない) フォードの流れ作業方式
新しい販路の開拓 当該産業部門が未参入の市場への進出 日本企業の海外市場展開
新しい供給源の獲得 原料・半製品の新たな供給源の確保 シェールガス革命
新しい組織の実現 独占的地位の形成や独占の打破 持株会社制度の導入

重要なのは、シュンペーターが新結合を「発明(invention)」と明確に区別した点である。発明は新しい知識や技術の創出を指すが、新結合はそれを経済的に実行に移す行為(implementation)を指す。したがって、科学的に新しい発見に基づかなくとも、既存の知識や技術を新しい組み合わせで経済活動に適用すれば、それはイノベーションとなる。

創造的破壊

Key Concept: 創造的破壊(Creative Destruction) シュンペーターが1942年の著書『資本主義・社会主義・民主主義』で提示した概念。イノベーションが既存の経済構造を内部から不断に破壊し、新しい構造を創造するプロセスを指す。資本主義経済の本質的特徴として位置づけられた。

シュンペーターは1942年の『資本主義・社会主義・民主主義(Capitalism, Socialism and Democracy)』において、資本主義の本質は静的な均衡状態にあるのではなく、イノベーションによる「創造的破壊」の絶え間ないプロセスにあると論じた。新しい消費財、新しい生産方法、新しい輸送手段、新しい市場、新しい産業組織形態が、絶えず古い構造を破壊し、新しい構造を創造する。この過程は外部からの衝撃によるものではなく、資本主義経済の内的メカニズムとして生じる。

シュンペーター・マークI とマークII

シュンペーターのイノベーション論には、時期による重要な変遷が認められる。

マークI(初期シュンペーター) は『経済発展の理論』(1912年)に代表される。ここでは、イノベーションの担い手は「企業者(Unternehmer)」と呼ばれる個人的な起業家であり、既存の大企業ではなくアウトサイダーとしての新規参入者がイノベーションを推進する。既存企業は慣行に縛られるがゆえに変革を起こしにくく、創造的破壊は新興企業によって駆動される。

マークII(後期シュンペーター) は『資本主義・社会主義・民主主義』(1942年)に対応する。30年の時を経て、シュンペーターは大企業の研究開発(R&D)部門こそがイノベーションの主要な担い手であると見方を修正した。イノベーションは「ルーティン化」され、組織的なR&D投資によって計画的に推進されるようになる。豊富な資本と人的資源を有する大企業こそが、リスクの高いイノベーション投資を遂行しうるとした。

この転換は、20世紀前半の産業構造の変化を反映している。デュポン、GE、ベル研究所など、大企業のR&D研究所が次々と重要な技術革新を生み出した時代であった。マークIとマークIIのいずれが妥当かは現在でも論争が続いており、産業や時代によってイノベーションの担い手が異なることを示唆する実証研究が蓄積されている。


イノベーションの類型論

イノベーションの多様な形態を理解するために、複数の分類軸が提唱されている。

プロダクト・イノベーションとプロセス・イノベーション

最も基本的な区分は、イノベーションの対象による分類である。

  • プロダクト・イノベーション(Product Innovation): 新しい製品やサービスの開発・導入。顧客に対して新たな価値を提供することを目的とする。
  • プロセス・イノベーション(Process Innovation): 製品・サービスの生産・提供プロセスの改善・刷新。コスト削減、品質向上、効率化を目的とする。

両者は独立した概念ではなく、相互に関連する。プロダクト・イノベーションが新たな市場を創出し、その市場の成熟に伴いプロセス・イノベーションの重要性が増す、という動態的関係がある(後述するアバナシー=アッターバックモデルで詳述する)。

漸進的イノベーションと急進的イノベーション

変化の程度による分類も重要である。

  • 漸進的イノベーション(Incremental Innovation): 既存の製品・技術・知識基盤の上に改良を積み重ねる変化。既存企業が得意とし、累積的な性質を持つ。
  • 急進的イノベーション(Radical Innovation): 既存の技術体系とは断絶した、根本的に新しい技術原理に基づく変化。既存企業にとっては蓄積した知識やノウハウが無効化されるリスクがある。

ヘンダーソン=クラークの4類型

レベッカ・ヘンダーソン(Rebecca M. Henderson)とキム・クラーク(Kim B. Clark)は、1990年の論文「Architectural Innovation: The Reconfiguration of Existing Product Technologies and the Failure of Established Firms」において、漸進的/急進的という一次元的な分類では既存企業の成功・失敗を十分に説明できないと指摘し、2つの知識次元に基づく4類型を提唱した。

その2つの次元とは、(1)構成要素(コンポーネント)に関する知識の変化、および(2)構成要素間の関係性(アーキテクチャ)に関する知識の変化、である。

コンポーネント知識:変化なし コンポーネント知識:変化あり
アーキテクチャ知識:変化なし 漸進的イノベーション モジュラー・イノベーション
アーキテクチャ知識:変化あり アーキテクチュラル・イノベーション 急進的イノベーション

Key Concept: アーキテクチュラル・イノベーション(Architectural Innovation) 個々の構成要素(コンポーネント)の基本設計は変えずに、それらの結合の仕方(アーキテクチャ)を変更するイノベーション。既存企業が保有するアーキテクチャ知識を無効化するため、コンポーネント技術では優位にある企業でも対応に失敗しやすい。

ヘンダーソンとクラークがこの枠組みの有効性を示した事例が、半導体フォトリソグラフィ装置産業である。各世代の装置において、光学系やアライメント機構といったコンポーネント技術自体は漸進的に進歩したが、それらの組み合わせ方(アーキテクチャ)が変化したとき、既存のリーダー企業は繰り返し新規参入者に市場を奪われた。これは、既存企業が組織構造やコミュニケーション・チャネルを通じて暗黙的に蓄積したアーキテクチャ知識が、新しいアーキテクチャへの適応を妨げたためだと説明される。

モジュラー・イノベーション(Modular Innovation) は、アーキテクチャは変えずに特定のコンポーネントの技術原理を刷新するものである。例えば、ハードディスク製造におけるフェライト製の読み書きヘッドから薄膜金属ヘッドへの転換がこれにあたる。全体のアーキテクチャが維持されるため、既存企業は比較的対応しやすい。


クリステンセンの破壊的イノベーション理論

持続的イノベーションと破壊的イノベーション

クレイトン・クリステンセン(Clayton M. Christensen, 1952-2020)は、ハーバード・ビジネス・スクールの教授として、1997年の著書『イノベーターのジレンマ(The Innovator's Dilemma: When New Technologies Cause Great Firms to Fail)』において、優良な経営を行う既存企業がなぜ新技術への対応に失敗するのかを体系的に分析した。

クリステンセンは、技術革新を「持続的イノベーション(sustaining innovation)」と「破壊的イノベーション(disruptive innovation)」に区分した。

Key Concept: 破壊的イノベーション(Disruptive Innovation) 既存市場の主流顧客が重視する性能指標では劣るが、低価格・小型・簡便さなど別の価値次元で優れた製品・サービスが、当初はニッチ市場や非消費者を対象に普及し、やがて性能向上により主流市場をも侵食していくイノベーションのパターン。

持続的イノベーションは、既存の主流市場の顧客が重視する性能軸に沿って改善を行うイノベーションである。漸進的な改良も急進的な技術革新も、それが既存顧客の評価軸上の性能向上である限り、持続的イノベーションに分類される。既存の大企業はこの種のイノベーションに強い。

破壊的イノベーションは、当初は既存の主流市場の性能基準を満たさない。しかし、低価格、小型、操作の容易さ、利便性など、異なる価値基準において優位を持つ。この製品は最初、既存の主流顧客には「使い物にならない」と評価されるが、新しいニッチ市場や従来は非消費者であった層に受容される。その後、技術の進歩によって主流市場の要求水準をも満たすようになると、低コスト構造を武器に既存企業の市場を侵食する。

クリステンセンはさらに、破壊的イノベーションを2つのタイプに細分化した。

  • ローエンド型破壊: 既存市場の下位セグメントに安価な代替品として参入し、上位市場へ拡大していくパターン。
  • 新市場型破壊: 従来の製品を利用できなかった(あるいは利用していなかった)非消費者に向けて新たな市場を創出するパターン。

ディスクドライブ産業の事例

クリステンセンが理論構築の基盤とした事例が、ハードディスクドライブ(HDD)産業の技術変遷である。

1970年代後半から1990年代にかけて、HDDの物理的サイズは14インチ→8インチ→5.25インチ→3.5インチ→2.5インチと小型化していった。各世代の小型ドライブは、当初は記憶容量で既存の大型ドライブに大きく劣っていた。しかし、それぞれの小型ドライブは異なる市場セグメントに受容された。

ドライブサイズ 主要市場 市場の特性
14インチ メインフレーム 大容量が最重要
8インチ ミニコンピュータ 容量よりも小型化が求められた
5.25インチ デスクトップPC さらなる小型化と低価格
3.5インチ ラップトップPC 可搬性が重視された
2.5インチ ノートPC・携帯機器 極小サイズと低消費電力

各世代において、大型ドライブの既存リーダー企業は小型ドライブの開発に出遅れ、新規参入企業に市場を奪われた。例えば、8インチドライブの大手であったクアンタム・コーポレーションは、5.25インチドライブの市場投入が競合より約4年遅れた。既存企業が対応に失敗した理由は、技術的能力の欠如ではなく、経営上の合理的判断の帰結であった。

イノベーターのジレンマのメカニズム

Key Concept: イノベーターのジレンマ(The Innovator's Dilemma) 合理的で優れた経営を行う既存企業が、まさにその合理性ゆえに破壊的イノベーションへの対応に失敗するという逆説的状況。既存の優良顧客の声に応え、利益率の高い持続的イノベーションに資源を配分する合理的判断が、長期的には企業の競争力を損なう。

イノベーターのジレンマが生じるメカニズムは以下のように整理される。

  1. 資源配分の論理: 企業は限られた資源を、最も収益性の高いプロジェクトに配分する。破壊的イノベーションの対象市場は当初、規模が小さく利益率も低い。大企業の成長ニーズを満たさないため、資源配分の優先順位は必然的に低くなる。

  2. 顧客の声への忠実さ: 既存の優良顧客は、現行製品の性能向上を求める。破壊的技術は、既存顧客が重視する性能指標では劣っているため、顧客の声に従えば当然のこととして退けられる。

  3. バリューネットワークの拘束: 企業は、供給業者・流通業者・顧客から構成されるバリューネットワークの中で活動している。このネットワークが定義するコスト構造・利益率の基準が、破壊的イノベーションの追求を経済的に非合理にする。

  4. 組織能力のパラドックス: 持続的イノベーションに最適化された組織プロセスや価値基準は、破壊的イノベーションの探索・推進には不適合である。組織が有能であるほど、この不適合は深刻になる。

  5. 技術の進歩速度と市場の吸収速度の乖離: 技術は市場が必要とする以上の速度で進歩する。やがて破壊的技術も主流市場の要求水準を超えるレベルに達するが、その時点では既存企業の対応はすでに手遅れとなっている。

破壊的イノベーション理論への批判

破壊的イノベーション理論は経営学において広く受容された一方、その実証的妥当性に対する批判も存在する。

ジル・ルポール(Jill Lepore) は2014年の『ニューヨーカー』誌の論考「The Disruption Machine」において、クリステンセンが取り上げた事例の一部が実際の経緯と整合しないことを指摘した。例えば、破壊的イノベーションの犠牲者として描かれた企業の中に、実際にはその後も存続・成長した企業が含まれているという事実を示した。

アンドリュー・キング(Andrew A. King)とバートルトグトフ・バートルトグトフ(Baljir Baatartogtokh) は2015年の研究で、クリステンセンの最初の2冊の著書に登場する77の事例を体系的に再検証した。専門家79名へのインタビューを含む検証の結果、クリステンセン自身の定義に厳密に合致する事例は全体の約9%に過ぎないと結論づけた。「破壊は実在するが稀であり、イノベーションの一般理論としての説明力は限定的である」という評価を示した。

こうした批判に対し、クリステンセン自身は2015年の『ハーバード・ビジネス・レビュー』誌上の論文「What Is Disruptive Innovation?」において、理論の適用範囲を明確化し、「破壊」の語の安易な拡大使用を戒めた。破壊的イノベーションは結果ではなくプロセスであり、特定時点のスナップショットで判定すべきではないと応答した。


技術のSカーブと技術の不連続性

Sカーブの基本構造

Key Concept: 技術のSカーブ(Technology S-curve) ある技術に対する累積的なR&D投資と、その結果として達成される技術性能の関係を表すS字型の曲線。初期は進歩が緩慢で、中期に加速し、物理的・理論的限界に近づくと再び鈍化するというパターンを描く。リチャード・フォスターが1986年の著書で体系化した。

リチャード・フォスター(Richard N. Foster)は、1986年の著書『イノベーション――限界突破の経営戦略(Innovation: The Attacker's Advantage)』において、技術の進歩がS字型の曲線を描くことを体系的に論じた。

Sカーブの3つの段階は以下のとおりである。

  1. 導入期(初期段階): 技術の基本原理はまだ十分に理解されておらず、R&D投資に対する性能向上は緩慢である。
  2. 成長期(加速段階): 基本原理が解明され、改良の方向性が明確化する。R&D投資に対する性能向上が急激に加速する。
  3. 成熟期(減速段階): 技術が物理的・理論的限界に接近し、追加的なR&D投資に対する性能向上は逓減する。

技術の不連続性と攻撃者の優位

フォスターが強調したのは、ある技術のSカーブが成熟期に達したとき、全く異なる技術原理に基づく新しいSカーブが出現するという「技術の不連続性(technological discontinuity)」の概念である。

新しい技術は、当初は既存技術より性能が低い。しかし、新技術のSカーブが急成長段階に入ると、やがて既存技術の性能を追い越す。このとき、既存技術に投資を続ける企業(防御者)よりも、新技術に早期から投資する企業(攻撃者)が優位に立つ。フォスターはこれを「攻撃者の優位(attacker's advantage)」と呼んだ。

graph LR
    subgraph SC ["技術のSカーブと破壊的イノベーション"]
        direction LR
        A["既存技術<br/>導入期"] --> B["既存技術<br/>成長期"]
        B --> C["既存技術<br/>成熟期"]
        C -.->|"技術の不連続性"| D["新技術<br/>導入期"]
        D --> E["新技術<br/>成長期"]
        E --> G["新技術<br/>成熟期"]
    end
    style C fill:#f9a,stroke:#333
    style D fill:#adf,stroke:#333

この枠組みは、クリステンセンの破壊的イノベーション理論と重要な点で接続する。破壊的技術は、既存技術とは異なるSカーブ上に位置する。既存市場の性能軸では既存技術のSカーブが優位にあるが、新技術は異なる性能軸(小型化、低コスト、簡便性など)のSカーブ上で急成長し、やがて既存市場の要求水準をも超越する。


アバナシー=アッターバックモデル

モデルの概要

ウィリアム・アバナシー(William J. Abernathy)とジェイムズ・アッターバック(James M. Utterback)は、1975年から1978年にかけて発表した一連の論文において、産業におけるイノベーションのパターンが時間とともに体系的に変化することを明らかにした。このモデルは、プロダクト・イノベーションとプロセス・イノベーションの相対的な発生頻度が産業の発展段階に応じて変化するダイナミクスを記述する。

3つの段階

流動期(Fluid Phase)

産業の最初期にあたる流動期では、技術的・市場的不確実性が高く、多数の企業が異なる製品設計で参入する。イノベーションはプロダクト・イノベーションが支配的であり、各社は差別化された製品特性で競争する。生産プロセスは汎用的な設備と高度な技能を持つ労働者に依存し、柔軟だがコスト効率は低い。この時期には、どの製品設計が市場に受容されるかは不確定である。

移行期(Transitional Phase)とドミナント・デザイン

Key Concept: ドミナント・デザイン(Dominant Design) ある製品カテゴリにおいて、主要な構成要素とその基本的アーキテクチャが事実上の標準として確立された製品設計。ドミナント・デザインの成立後、競争の焦点は製品の多様性からコスト・品質・信頼性へと移行する。

流動期における多様な設計が市場で淘汰される中で、特定の製品設計が優勢となり「ドミナント・デザイン」が成立する。ドミナント・デザインの成立は、移行期の開始を画す。ここで重要なのは、ドミナント・デザインが必ずしも技術的に最も優れた設計ではないという点である。技術的性能に加え、ユーザーの学習効果、補完財の利用可能性、規制環境、企業間の提携関係、生産コストなど、多様な要因が複合的に作用してドミナント・デザインが選択される。

移行期においては、プロダクト・イノベーションの頻度は低下し始め、代わりにプロセス・イノベーションが増加する。企業は確立された製品設計を前提に、いかに効率的に生産するかを競うようになる。

固定期(Specific Phase)

ドミナント・デザインが広く確立された後の固定期では、プロダクト・イノベーション、プロセス・イノベーションともに漸進的・改良的なものが中心となる。生産プロセスは高度に専門化された設備に基づく大量生産体制へと移行し、コスト効率が最重視される。参入障壁は高まり、産業は少数の大企業による寡占構造に収斂する傾向がある。組織は官僚制的になり、急進的なイノベーションへの対応力は低下する。

graph LR
    subgraph AU ["アバナシー=アッターバックモデル"]
        direction LR
        F["流動期<br/>Fluid Phase"]
        T["移行期<br/>Transitional Phase"]
        S["固定期<br/>Specific Phase"]
        F -->|"ドミナント・デザイン成立"| T
        T -->|"生産体制の確立"| S
    end

    subgraph IV ["イノベーションの変化"]
        F1["プロダクト・イノベーション: 高<br/>プロセス・イノベーション: 低"]
        T1["プロダクト・イノベーション: 低下<br/>プロセス・イノベーション: 増加"]
        S1["両方とも漸進的<br/>コスト競争が主"]
    end

    F --- F1
    T --- T1
    S --- S1

具体例:自動車産業の歴史的展開

自動車産業は、アバナシー=アッターバックモデルの古典的事例としてしばしば引用される。

流動期(1890年代〜1900年代前半): 自動車産業の黎明期には、蒸気機関、電気モーター、ガソリンエンジンという異なる動力源が競合していた。車体形状も馬車の延長から様々なデザインが試みられ、数百の小規模メーカーが参入していた。製品の標準化は進んでおらず、各社が独自の設計思想に基づいて差別化を図った。

移行期(1900年代後半〜1920年代): ガソリンエンジンを動力源とする設計が優勢となり、1908年にヘンリー・フォード(Henry Ford)が発売したモデルTが、自動車のドミナント・デザインとして確立された。フォードは移動組立ライン方式(1913年導入)というプロセス・イノベーションにより大量生産を実現し、自動車の価格を劇的に引き下げた。競争の焦点は、多様な動力源による差別化から、ガソリン車の効率的な生産へと転換した。

固定期(1920年代以降): 自動車の基本的なアーキテクチャ(前部エンジン、後輪駆動、鋼鉄製ボディ)が標準化され、イノベーションは漸進的な改良が中心となった。産業は少数の大企業(GM、フォード、クライスラーの「ビッグスリー」)による寡占構造に収斂した。1920年代後半以降、ゼネラルモーターズ(GM)のアルフレッド・スローン(Alfred P. Sloan)による「あらゆる財布と目的に合う車(A car for every purse and purpose)」戦略がフォードの単一モデル戦略に取って代わったが、基本アーキテクチャ自体は維持された。

VHS対ベータマックス:ドミナント・デザインの力学

家庭用ビデオテープレコーダ(VTR)の規格競争は、ドミナント・デザインの成立メカニズムを示す代表的事例である。

1975年にソニーがベータマックス方式を発売し、1976年に日本ビクターがVHS方式を市場投入した。技術的性能の面では、ベータマックスは画質や筐体のコンパクトさで一定の優位を持っていた。しかし、VHSは以下の要因によりドミナント・デザインとして確立された。

  • 録画時間: VHSは当初から2時間録画を実現し、映画1本の録画が可能であった。ベータマックスの初期モデルは1時間であった。
  • オープンな規格戦略: 日本ビクターはVHS規格を他メーカーに広く供給し、松下電器(現パナソニック)をはじめとする多数の企業がVHS陣営に参加した。
  • 生産コスト: VHS方式は部品数が少なく精密調整箇所も限定されていたため、各メーカーの参入と量産が容易であった。
  • 補完財の充実: VHSの普及に伴いレンタルビデオ店のVHSソフト品揃えが充実し、間接的ネットワーク効果(→ Section 1参照)が作用した。

1988年にはソニー自身がVHS方式のデッキを併売するに至り、ベータマックスは事実上の市場撤退となった。この事例は、技術的優位性のみではドミナント・デザインの座を獲得できないこと、そして補完財のエコシステムや規格の開放性がドミナント・デザインの成立に決定的な役割を果たしうることを示している。


まとめ

  • シュンペーターは、経済発展の原動力を「新結合」(後のイノベーション)に求め、5つの類型に整理した。資本主義経済の本質はイノベーションによる「創造的破壊」の不断のプロセスにある
  • シュンペーターのイノベーション論には、起業家がイノベーションを主導するとするマークIと、大企業のR&Dがイノベーションの主体であるとするマークIIの転換が存在する
  • イノベーションは、対象(プロダクト/プロセス)、変化の程度(漸進的/急進的)、知識の変化の次元(ヘンダーソン=クラークの4類型)など、複数の軸で分類される
  • クリステンセンの破壊的イノベーション理論は、既存市場の性能基準では劣る技術が、異なる価値次元を通じて市場を侵食するメカニズムを説明する。合理的経営がかえって対応失敗を招くという「イノベーターのジレンマ」は、資源配分の論理・バリューネットワークの拘束・組織能力のパラドックスによって生じる
  • 破壊的イノベーション理論に対しては、実証的妥当性に関する批判(Lepore 2014、King & Baatartogtokh 2015)も存在し、その適用範囲については議論が継続している
  • 技術のSカーブは、技術性能がR&D投資に対してS字型に進歩し、成熟期に「技術の不連続性」が生じて新技術のSカーブに移行するダイナミクスを描く
  • アバナシー=アッターバックモデルは、産業の発展を流動期→移行期→固定期の3段階で記述し、ドミナント・デザインの成立を画期としてプロダクト・イノベーションからプロセス・イノベーションへの重心移動が生じることを示す
  • 次のSection 3では、これらの理論を踏まえ、イノベーションをいかに管理・促進するかという実践的手法(オープン・イノベーション、MOT、アントレプレナーシップ)を学ぶ

用語集(Glossary)

用語 英語表記 定義
新結合 Neue Kombination / New Combination 既存の生産要素や知識を従来とは異なる方法で結びつけること。シュンペーターが経済発展の本質的原動力として提唱した概念
創造的破壊 Creative Destruction イノベーションが既存の経済構造を内部から不断に破壊し、新しい構造を創造するプロセス。シュンペーターが資本主義経済の本質的特徴として位置づけた
破壊的イノベーション Disruptive Innovation 既存市場の主流顧客が重視する性能指標では劣るが、異なる価値次元で優れた製品が、ニッチ市場から拡大して主流市場を侵食するイノベーションのパターン
イノベーターのジレンマ The Innovator's Dilemma 合理的で優れた経営を行う既存企業が、その合理性ゆえに破壊的イノベーションへの対応に失敗するという逆説的状況
技術のSカーブ Technology S-curve ある技術に対する累積的R&D投資と達成される技術性能の関係を表すS字型の曲線。導入期・成長期・成熟期の3段階を描く
ドミナント・デザイン Dominant Design ある製品カテゴリにおいて、主要な構成要素と基本アーキテクチャが事実上の標準として確立された製品設計
アーキテクチュラル・イノベーション Architectural Innovation コンポーネントの基本設計を変えずに、それらの結合の仕方(アーキテクチャ)を変更するイノベーション
プロダクト・イノベーション Product Innovation 新しい製品やサービスの開発・導入を指すイノベーション
プロセス・イノベーション Process Innovation 製品・サービスの生産・提供プロセスの改善・刷新を指すイノベーション
漸進的イノベーション Incremental Innovation 既存の技術基盤の上に改良を積み重ねる変化
急進的イノベーション Radical Innovation 既存の技術体系とは断絶した、根本的に新しい技術原理に基づく変化
モジュラー・イノベーション Modular Innovation アーキテクチャを変えずに特定コンポーネントの技術原理を刷新するイノベーション
持続的イノベーション Sustaining Innovation 既存の主流市場の顧客が重視する性能軸に沿って改善を行うイノベーション
バリューネットワーク Value Network 企業が供給業者・流通業者・顧客と構成する事業ネットワーク。コスト構造や利益率の基準を規定する
技術の不連続性 Technological Discontinuity 既存技術のSカーブが成熟期に達したとき、異なる技術原理に基づく新しいSカーブが出現する現象
流動期 Fluid Phase アバナシー=アッターバックモデルの第1段階。技術的不確実性が高く、プロダクト・イノベーションが支配的な時期
移行期 Transitional Phase ドミナント・デザインが成立し、競争の焦点がプロセス・イノベーションへ移行する段階
固定期 Specific Phase 生産体制が確立し、漸進的改良とコスト競争が主となる成熟段階

確認問題

Q1: シュンペーターの「新結合」の5つの類型をすべて挙げ、それぞれの内容を簡潔に説明せよ。

A1: シュンペーターの新結合の5類型は以下のとおりである。(1)新しい財貨の生産:消費者に未知の財または新しい品質の財の導入。(2)新しい生産方法の導入:未知の生産方法の採用(科学的新発見に基づく必要はない)。(3)新しい販路の開拓:当該産業が未参入の市場への進出。(4)新しい供給源の獲得:原料・半製品の新たな供給源の確保。(5)新しい組織の実現:独占的地位の形成や既存独占の打破を含む新たな産業組織形態。重要なのは、これらが「発明」そのものではなく、既存の知識・技術を新たに組み合わせて経済活動に実装する行為を指す点である。

Q2: クリステンセンの破壊的イノベーション理論において、「イノベーターのジレンマ」が生じるメカニズムを、資源配分の論理とバリューネットワークの概念を用いて説明せよ。

A2: イノベーターのジレンマは以下のメカニズムで生じる。まず、資源配分の論理として、企業は限られた経営資源を最も収益性の高いプロジェクトに配分するため、当初は市場規模が小さく利益率も低い破壊的イノベーションの対象市場には投資優先順位が低くなる。次に、バリューネットワークの拘束として、企業は供給業者・流通業者・顧客から構成するバリューネットワークの中で活動しており、このネットワークが規定するコスト構造・利益率の基準が、破壊的イノベーションの追求を経済的に非合理にする。既存の優良顧客が現行製品の性能向上を求める中で、主流市場の性能基準に劣る破壊的技術は退けられる。しかし、技術の進歩速度が市場の吸収速度を上回ると、やがて破壊的技術が主流市場の要求水準を満たすようになり、低コスト構造を武器に既存企業の市場を侵食する。合理的な経営判断の積み重ねが、結果として対応の遅れを招くという逆説が、イノベーターのジレンマの核心である。

Q3: ドミナント・デザインの成立に寄与する要因を、VHS対ベータマックスの事例を用いて3つ以上説明せよ。

A3: ドミナント・デザインの成立要因は以下のとおりである。第一に、ユーザーニーズとの適合性として、VHSは当初から2時間録画を実現し映画1本の録画が可能であった点がベータマックスの1時間を上回った。第二に、規格のオープン性として、日本ビクターがVHS規格を他メーカーに広く供給し、松下電器をはじめ多数のメーカーがVHS陣営に参加したことで、生産規模と市場シェアが拡大した。第三に、生産コストの優位として、VHS方式は部品数が少なく精密調整箇所も限定されていたため、各メーカーの参入と量産が容易であった。第四に、補完財の充実として、VHSの普及に伴いレンタルビデオ店のVHSソフト品揃えが充実し、間接的ネットワーク効果が正のフィードバックループを形成した。この事例は、技術的優位性のみではドミナント・デザインの座を獲得できないことを示している。

Q4: ヘンダーソン=クラークの4類型において、アーキテクチュラル・イノベーションが既存企業にとって特に対応困難である理由を、組織的知識の観点から説明せよ。

A4: アーキテクチュラル・イノベーションでは、個々のコンポーネント技術は変化しないが、コンポーネント間の結合の仕方(アーキテクチャ)が変化する。既存企業にとってこれが特に対応困難である理由は、アーキテクチャ知識が組織内で暗黙的に埋め込まれているからである。組織は部門構造、コミュニケーション・チャネル、情報フィルタリングの慣行を通じて、既存アーキテクチャに最適化された情報処理パターンを形成する。この組織的知識は明示化されていないため、変化の必要性を認識すること自体が困難である。コンポーネント技術では引き続き優位にあるため、問題を過小評価しやすく、結果として新しいアーキテクチャを採用した新規参入者に市場を奪われる。漸進的イノベーションや急進的イノベーションと異なり、変化の性質が組織の「盲点」に位置するため、対応が遅れやすい。

Q5: アバナシー=アッターバックモデルの3段階(流動期・移行期・固定期)において、プロダクト・イノベーションとプロセス・イノベーションの相対的な重要性はどのように変化するか。自動車産業の歴史を例に説明せよ。

A5: 流動期には、プロダクト・イノベーションが支配的であり、プロセス・イノベーションの頻度は低い。自動車産業では1890年代から1900年代前半がこれにあたり、蒸気、電気、ガソリンという異なる動力源が競合し、多数の小規模メーカーが独自の設計で差別化を図った。移行期には、ドミナント・デザインの成立とともにプロダクト・イノベーションの頻度が低下し、プロセス・イノベーションが増加する。自動車産業では1908年のフォード・モデルTがドミナント・デザインとなり、1913年の移動組立ライン導入というプロセス・イノベーションが生産効率を劇的に向上させた。固定期には、両方のイノベーションとも漸進的な改良が中心となり、コスト競争が主となる。自動車産業では1920年代以降、基本アーキテクチャが標準化され、GM、フォード、クライスラーのビッグスリーによる寡占構造に収斂した。このように、産業の成熟に伴い、イノベーションの重心がプロダクトからプロセスへ、そして漸進的改良へと移行するダイナミクスが観察される。